ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート57(Ⅵ-7) 4大文明と神山信仰

 「縄文ノート56(Ⅲ-11) ピラミッドと神名火山(神那霊山)信仰のルーツ」において、私は上が白く下が赤色のエジプトのピラミッドが雪山を模したものであり、「母なるナイル」源流域の三角形の峰々の活火山で、「月の山」とよばれたルウェンゾリ山信仰がルーツであることを明らかにし、その神山・聖山信仰が日本列島の縄文人の神名火山(神那霊山)信仰に繋がることを明らかにしました。

 この気づきにより、エジプト文明だけでなくメソポタミアインダス文明にも神山信仰があり、そのルーツがヌビア(スーダン)ではないかという仮説にたどり着き、中国文明にもその可能性があるという結論に達しました。

 人類の起源について、私が小学校で習ったのはジャワ原人北京原人ネアンデルタール人などの「多地域起源説」でしたが今は「アフリカ単一起源説」になったように、私は「マザーイネ単一起源説」を提案するとともに、「主語―動詞-目的語」言語族・「主語-目的語-動詞」言語族の2段階出アフリカ説を考えてきましたが、さらに「4大古代文明単一起源説」という仮説を考えるようになりました。

 その結果、「4大古代文明」を「奴隷制社会の古代専制国家」と単純にみてきた私の考え方を訂正せざるをえなくなりました。

 ウィキペディアなどHP資料からの仮説であり、検討の途中ですが、参考にしていただければと考えます。

 

1  「ピラミッド王墓説・奴隷建造説」から「神山信仰説」へ

 エジプト文明を象徴するピラミッドが奴隷によって造られたとする「奴隷建造説」はパピルスの記録や労働者の住居跡の発見から否定され、「王墓説」は王の遺骸がなく王墓は地下に別にあることから否定されてきています。

 その他、ピラミッドの用途の「日時計説」「穀物倉庫説」「宗教儀式神殿説」「天体観測施設説」「雇用確保のための公共工事説」なども疑問視されています。

 私は、ヒマラヤや東南アジア高地、日本に見られる使者の霊(ひ)がコニーデ型の神山から天に昇り、降りてくるという「神名火山(神那霊山)信仰」と同じであり、ナイル川の水源地域、ヌビア(今のスーダンあたり)でルウェンゾリ山信仰を行っていた人々がナイル川を下り、平地に「人工の神名火山(神那霊山)」を作って信仰したと考えます。

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 王の霊(ひ)だけでなく、部族の人々の霊もまた天に昇る宗教施設として「共同体作業=宗教的奉仕作業」によって造られた可能性が高いと考えます。

 「縄文ノート56(Ⅲ-11)」と重複しますが、その根拠を整理すると次のとおりです。

 

 ① ルウェンゾリ山の峰々が鋭い三角形型をしているというピラミッドとの類似性

 ② 万年雪をいだくルウェンゾリ山が、ギザのピラミッドの白色や下部の赤色と符合

 ③ ピラミッドには空の墓室があり、ミイラは別に地下に埋葬される魂魄(こんぱく)分離の天神思想があったこと

 ④ エジプト文明を育てた「母なるナイル」の源流がルウェンゾリ山地域一帯であること

 ⑤ ルウェンゾリ山は8000年前に大爆発を起こし、一帯の住民がナイル川下流に避難した可能性があること

 ⑥ アフリカ最高峰のキリマンジャロは「神の家」、2番目のケニア山は「神の山」、3番目のルウェンゾリ山は「月の山」とよばれ、ナイル源流域に神山信仰が見られること

 ⑦ エジプトには月神コンス(女性神)信仰があること

 ⑧ 「もともとエジプトとヌビアは同一の祖先から別れた国であった」(ウィキペディア)とされること

 ⑨ 「ヌビアは古代から金や鉄、銅などの鉱物資源に恵まれた」(ウィキペディア)こと。

 ⑩ 「ナイル河とほぼ並行に北から南へと延びている古代からの幹線道路ダルブ・アル=アルバイーン(四十日路)はスーダンダルフールを越えてニジェール河にまで繋がっていた」「ヌビア文明は、世界で最も古い文明のひとつである」(大城道則『古代エジプト第 25 王朝におけるアムン神崇拝の受容とピラミッド建造の復活』http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/33852/jbg072-03-ohshiro.pdf)とされていること。

 

 なお、ルウェンゾリ山とケニア山がほぼ赤道直下にあり、春分秋分には太陽が真東から真西に移動し、正午には真上に来るという体験がその後のエジプトやメソポタミアでの天文学にどのような影響を与えたか、気になるところです。   

2 神山信仰はメソポタミア文明にも

 メソポタミア文明のジッグラトはどうでしょうか? 

 ジッグラトは「高い所」を意味する聖塔で、自然の山に対する「クル信仰」(クル=山)が起源だと考えられています。三層構造で基壇上に月神ナンナル(シュメール語:アッカド語ではシン)の至聖所があり、基幹構造は日乾煉瓦、外壁は瀝青で仕上げられていたとされます(ウィキペディアより)。

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  ではもともとの「クル信仰」の聖山はどこにあったのでしょうか? 

 第1の可能性は、ティグリス川・ユーフラテス川の源流域のアララト山で、『旧約聖書』のノアの箱舟伝説で大洪水の後、箱舟が流れ着いたとされる山です。写真のようなきれいなコニーデ型の火山で、幾度となく大噴火が生じたと推定されています。

     

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 第2の可能性は、ヌビア(スーダン)文明の神山信仰が「海の道」を通って伝わった可能性です。ルウェンゾリ山が「月の山」と呼ばれ、ジグラットの頂上に月神シン(ナンナル)の神殿があるという類似性があることです。

 今のところ決め手はありませんが、私は以下の理由からピラミッドと同じように、ジグラットもまた神山信仰を示し、そのルーツはヌビア(スーダン)文明のルウェンゾリ山・ケニア山・キリマンジャロの神山信仰にあると考えます。

 1つ目は、ノアの箱舟伝説に見られるように移動・交易・交流が容易であったと考えられチグリスユーフラテス川流域にアララト山信仰を示す神話が現在の私には確認できていないことです。

 古事記神話には揖屋のイヤナミが斐伊川日野川江の川の源流域の比婆山(筆者説:霊場山)に葬られたとする魂魄分離の神名火山(神那霊山)信仰の神話がありますが、このような神山伝説がアララト山について残されていないことは、神山信仰のルーツがアララト山ではない可能性を示しています。

 2つ目の理由は、メソポタミア文明が河口に近いシュメールからバビロニアへと上流に広がったことです。遺跡からシュメール人がエジプトやインダスと活発に交易を行っていた海人族であることが明らかになっており、ヌビア人もまた南北・東西に活発に交易を行っており、活発な交易・交流によってヌビア人の神山信仰がエジプトとメソポタミアへと伝わった可能性が高いことです。

 3つ目の理由は、エジプトの月神コンス(女性神)・月神シン(男性神)、メソポタミア月神シン(男性神)信仰が「月の山」とよばれたルウェンゾリ山に由来する可能性が高いことです。

 4つ目の理由は、エジプト神話では「月神コンス」とともに時を刻み、暦をつける知恵の神の「トト」も月神とされ、メソポタミアにおいても月神について「シンは月を司り、大地と大気の神としても信仰されていた」「シンボルは三日月で、三日月に似た角を持つ雄牛と深い結びつきを持つとされた」という共通性があることです。

 以上、メソポタミアにも神山信仰があり、それはヌビア(スーダン)文明のルウェンゾリ山などをルーツとする可能性が高いと考えますが、後世に「ノアの箱舟」伝説があることからみて、天水農業から灌漑農業へと転換した時代に、水源地域のアララト山信仰に変わったと考えます。 

3 インダス文明に神山信仰は?

 4500~3800年前頃に栄えたインダス文明の都市には、水路・貯水池・上下水道・大浴場、城塞(注:戦争用ではない)、穀物倉、円形作業台などがあり、煉瓦を10メートルほど積み上げた基壇の上に、「学問所」「列柱広間」などがあったとされていますが、ピラミッドのような神山信仰を伺わせる高層建造物は見られません。また王宮や神殿のような建物もなく、強い権力者のいた痕跡が見つかっていません。

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 宗教は「大浴場」で豊饒と再生を祈念する沐浴儀礼が行われ、遺丘の上では「火の祭祀」が行われ、テラコッタ女性像に象徴される再生増殖儀礼が行われていたと考えられています。

 氾濫やダムを利用した肥沃な土壌を利用した氾濫農耕が行われていたことからみて、水神信仰や水源の山神信仰、雨を降らせる雷神信仰と死者の霊(ひ)が聖山から天に昇る天神信仰が見られてもよいように思いますが、解明されていません。現在のアフガニスタンからのアーリア人の侵入や後の10世紀頃からのイスラム化により、現在のパキスタンインダス文明の伝承は失われたしまった可能性が高いと思われます。

 ただ、次の3つの点から、インダス文明にも山上天神信仰があった可能性は高いと私は考えています。

 1つは、インダス文明の担い手であったのではないかと考えられているドラヴィダ族の「ポンガ」の祭りです。土鍋で米の粥を煮て、カラスに与えるという儀式が日本にも伝わっていることです。「Ⅳ-1(縄文ノート41) 日本語起源論と日本列島人起源―ドラヴィダ語起源説を裏付けるDNA分析結果」のその部分を再掲します。

 

「大野氏の『日本語とタミル語』(1981年)の冒頭の、大野氏を驚愕させた印象深いエピソードを紹介したいと思います。

 大野氏は1980年に現地に行き、実際の新年である1月15日に行われる赤米粥を炊いて「ポンガロー、ポンガロ!」と叫び、お粥を食べ、カラスにも与えるポンガロの祭りを実際に体験し、青森・岩手・秋田・新潟・茨城にも1月11日、あるいは小正月(1月15日)にカラスに米や餅を与え、小正月に小豆粥を食べる風習があることを確かめています。私も幼児の1950年頃かと思いますが、兵庫県たつの市の母親の実家で、小正月に「どんど焼き」を行い、赤飯を食べたことが何度かあります。

 ・・・

 カラスに米や餅を与えるのもまた、カラスを猿や狼・鹿・鶏などと同じように先祖の霊(ひ)を天から運び、送り帰す神使としてして見ていたと考えます。

 さらに、秋田・青森では小正月に豆糟(大豆や蕎麦の皮に酒糟などを混ぜたもの)を「ホンガホンガ」と唱えながら撒く「豆糟撒き」の風習があり、長野県南安曇郡では「ホンガラホーイ ホンガラホーイ」と囃しながら鳥追いを行い、餅を入れた粥を食べるというのです。沖縄では「パ行→ハ行」への転換があることからみて、「ホンガ」「ホンガラ」は古くは「ポンガ」「ポンガラ」であったのです。

 ここでは「小正月祝い」「赤米粥と小豆粥、赤飯」「カラス行事」「ポンガロとホンガ・ホンガラ」の共通点があり、ヒンズー教や仏教以前から同じような宗教行事が続いていることが明らかです。」

 

 私は「ポンガ」は煮えたぎったお粥から水蒸気が天に昇ることを祝うはやし言葉で、カラスが赤米(赤飯)のお粥を天の祖先霊に届ける宗教儀式とともに、天神信仰を示していると考えます。縄文土器の縁飾りは同じように「泡吹きこぼれ」や「龍神(トカゲ龍)」を表すと考えており、インダス文明にも天神宗教があった可能性があったと考えます。―「Ⅱ-6(縄文ノート30) 『ポンガ』からの『縄文土器縁飾り』再考」参照

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 2つ
目は、インダス川やガンジス河ベットのカイラス山が古代インドの世界軸の中心にそびえる聖なる山として、仏教(特にチベット仏教)、ボン教(仏教以前のチベットの原宗教)、バラモン教ヒンドゥー教ジャイナ教で聖地とされ、特にチベット仏教で須弥山(インド神話のメール山・スメール山:世界の中心にそびえる聖なる山)と同一視されていることです。

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 ペルシア語の「ヒンドゥー」は「インダス川対岸に住む人々」を指し、ヒンドゥー教バラモン教を再編したもので、バラモン教は紀元前13世紀頃、アーリア人がインドに侵入し、先住民族であるドラヴィダ人を支配する過程で作られ、紀元前10世紀頃、アーリア人ドラヴィダ人の混血により宗教の融合が始まり、紀元前5世紀頃に4大ヴェーダが現在の形で成立したとされ、それに反発して仏教やジャイナ教などが成立したとされます。このようなインドの宗教史からみてカイラス山の神山信仰がインダス文明にあったことは明白と考えます。その後、現在のパキスタン

 3つ目は、インダスの紅玉髄(べにぎょくずい:カーネリアン)製のビーズがメソポタミアオマーンバーレーンなどから見つかっていることからみて、「海の道」を利用したメソポタミアなどとの交易が盛んであり、ヌビア(スーダン)文明→メソポタミア文明インダス文明と神山信仰が伝わった可能性は高いと考えます。

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 なお、記紀神話はアマテルの「八尺(やさか)の勾玉の五百箇(いほつ)の御統珠(みすまるのたま)」「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」(八尺=180~190cmの赤メノウの玉を五百箇つなぎ、ヒスイの勾玉を付けたネックレス)を皇位継承三種の神器の1つとしていることからみて、インダスの紅玉髄(べにぎょくずい)製のネックレス文化はドラヴィダ海人・山人族によって日本列島に伝わった可能性があります。

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4 黄河長江文明に神山信仰は?

 「中国において、泰山、衡山、嵩山、華山、恒山は五岳と呼ばれ、神格化されている。本来は山自体を信仰する山岳信仰であったと考えられるが、盤古神話や五行思想と結びついて、道教の諸神のひとつに変容している。ただ、泰山についてはいまだに別格であり、道教の聖地であるだけでなく、岱廟、石敢當など、他と異なる山岳信仰の形態を残している」(ウィキペディア)とされています。その中心の泰山では帝王が天と地に王の即位を知らせ、天下が泰平であることを感謝する封禅(ほうぜん)の儀式が行われており、神山信仰があったことは確実です。

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 しかしながら、図(注:渤海湾朝鮮半島の東て誤り)のような5岳の分布からみて黄河・長江の源流域がルーツの神山信仰ではない山上天神思想と思われます。

 一方、「古代中国で、人の命の永遠であることを神人や仙人に託して希求した思想。不老不死の仙人・神人の住む海上の異界や山中の異境に楽園を見いだし、多くの神仙たちを信仰し、また、神仙にいたるための実践を求めようとした。道教思想の基礎となり、また、民間の説話・神話の源泉となった」(デジタル大辞泉)という神仙思想があり、『史記』によれば三神山の「蓬莱 (蓬莱山) 、方丈、瀛州 (えいしゅう)」 は渤海湾の沖にあるとされていますから、日本列島を指していると考えれられています。琉球の「ニライカナイ(海の彼方の神界)」信仰と同じような南方からきた海人族が伝えた神仙思想と考えられます。

 このように、中国に見られる神山信仰が黄河・長江源流の神山信仰ではないのは、黄河・長江が恵みとともに洪水という恐ろしい災害をもたらす川であり、また火山がないためコニーデ型の神名火山信仰が生まれなかったのかも知れません。

 言語構造とDNAでみると、中国人は東南アジア系の「主語―動詞-目的語」言語構造であり、さらに東南アジアに多いY染色体O型系であることからみて、中国の神山信仰は「河川源流神山信仰」ではなく「海島神山信仰」の性格が強いと考えます。

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 なお日本人はエチオピアケニアメソポタミア、インダスと同じく「主語―動詞-目的語」言語族であり、エチオピアと同じくY染色体Ⅾ系統が多く、神名火山(神那霊山)信仰は「河川源流神山信仰」であり、ヌビア(スーダン)文明のルウェンゾリ山信仰をルーツとする神山宗教の可能性が高いと考えます。

 

5 「4大古代文明論」対「共同体文明論」について

 「Ⅵ-1(縄文ノート48) 縄文からの『日本列島文明論』」において、私はマルクス・エンゲルスの生産・生活様式による「野蛮」(採集・漁業・狩猟)→「未開」(土器・定住・牧畜・農耕)→「文明」(肥沃な大河周辺地帯での金属器による灌漑農業・騎乗遊牧生活)という文明発展説をもとにした、「氏族共同体」(古代ギリシア・ローマ・ゲルマン)→「古代」(父権世襲制奴隷制、略奪戦争)→「封建制」→「資本主義」という発展論からの中国清朝末期の知識人・梁啓超の「四大文明論」に対し、「縄文時代(土器時代)」を「共同体文明社会」と考え、「古代専制国家」(父権世襲制奴隷制、略奪戦争)からを「文明社会」とする定義に対し、古エーゲ文明(キクラデス文明)、イギリス環状列石文明、縄文文明、古マヤ・古アンデス文明の「5大古代共同体文明」の提案を行ってきました。

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 そして「『4大文明』にもそれぞれ共同体社会段階があり、さらに共同体文明論としての解明が求められます」としましたが、今回、古代エジプトのピラミッドやメソポタミアのジッグラト、インダスの沐浴場・基壇やなどが「奴隷制の古代専制国家のシンボル」とはみなせず、エジプト・メソポタミア・インダス・中国の水利施設と同様に「古代共同体の宗教・都市・水利施設」の性格を持っていることが明らかとなりました。

 「5大共同体文明+4大古代文明」とするか、「(4+5)古代共同体文明」とすべきかについて、部族共同体連合か統一専制国家か、多神教か統一宗教か、自然水利型農耕か沖積平野での大規模灌漑農耕か、父系制か母系制か、遠征略奪国家か交易型国家かなど、さらに総合的な検討が求められます。

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団              http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/