ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート37(Ⅲ-7) 「神」についての考察

 狭山事件の脅迫状の鑑定をされた大野晋さんからは何度かお話を聞く機会があり、松本清張推理小説砂の器』にも出てくる出雲弁と東北弁が似ていることや、「タミル語起源説」についても熱く語っておられたことが印象深く残っています。

               f:id:hinafkin:20210105115456j:plain

 「霊(ひ)信仰」からスサノオ大国主建国論、邪馬台国論に進み、さらに縄文論から日本語・日本列島人起源論が気になり、『日本語とタミル語』を探し出して読み直したところ、私の「霊(ひ)・霊継(ひつぎ)宗教説」や「ヒョウタン・ウリ・イネ等の海の道東進説」「主語・目的語・動詞言語族の海の道東進説」などが大野説と合致することが明らかとなりました。さらに照葉樹林文化説や稲作起源論を含めて、Y染色体DNAによる日本人起源説によって裏付けられることが明らかとなりました。

 ウィキペディアは「国語学者大野晋は、日本語の原型がドラヴィダ語族の言語の影響を大きく受けて形成されたとする説を唱えている。ただし、この説には系統論の立場に立つ言語学者からの批判も多く、この説を支持するドラヴィダ語研究者は少ない」としていますが、そもそも翻訳輸入の国語学者の「系統論」は支配民族言語の系統分析には役にたっても、タミル(ドラヴィダ)語のような被支配民族言語と日本語のような独立民族言語に比較には役に立ちません。日本語といっても倭音倭語を比較する必要があり、呉音漢語・漢音漢語の借用語で比較したのでは意味がないのと同じです。

 大野氏はタミル(ドラヴィダ)語と倭音倭語の比較において、支配言語の影響を受けやすい基本語や借用語ではなく、「希少性・伝承性」のある宗教用語や農業・食生活用語を比較しており、つまみ食いの「語呂合わせ」を行っているのではありません。次回、「縄文ノート38 『霊(ひ)』とタミル語pee(ピー)とタイのピー信仰」でも大野説の復権を図りたいと思います。                           210105 雛元昌弘  

 

※目次は「縄文ノート60 2020八ヶ岳合宿関係資料・目次」を参照ください。

https://hinafkin.hatenablog.com/entry/2020/12/03/201016?_ga=2.86761115.2013847997.1613696359-244172274.1573982388

 

                         Ⅲ-7 「神」についての考察

                                                                                  200911→1010→210105 雛元昌弘

1 大野晋氏の「カミ」説の要約

 国語学者大野晋氏は、著書『神』(1997年)において「カミ」の由来について説明し、そのルーツが南インドのドラヴィダ語系のタミル語であることを明らかにしています。

          f:id:hinafkin:20210105114342j:plain

① 「カガミ(鏡)・カシコミ(畏み)・ヒ(太陽)・カミ(上)」由来説は成立しない。

 ―これらの「ミ」は甲音であり、「神(伽未、柯微、可尾、可味)」の「ミ」は乙音である。

② 熟語では「カム」であり、一般に熟語が古形であるので「カム」が古形である。

③ 「カミ」の意味

精霊(アニマ)

   ・カミは「雷」「虎・狼などの猛獣、妖怪」「山」。

   ・カミは具体的な姿・形を持たず、漂動・来臨・カミガカリする。

   ・カミは超人的な威力を持つ恐ろしい存在。

人間化・人格化

   ・カミは場所(山や坂や川など)や物・事柄を領有・支配する。

   ・カミは祟る。

   ・カミは産む土地(産土神:うぶすなかみ)である。

④ 「カミ」が豊穣と安穏をもたらすものであるに対し、「ホトケ」は人間存在・生活の「苦」からの解脱を願い、個々人が五戒・十戒の戒律を守り死後の安穏を約束する宗教であった。

⑤ 「神」とは「示」(神への捧げものを置く台)+「申(雷光)」で、天神の意から始まった。

⑥ タミル語の「ko」は「神・雷・山・支配」を、「kon」は「神・王」を、「koman」は「神・王・統治者」を表し、日本語の「カム」に対応し、日本語の「a」はタミル語では「o」である。

    f:id:hinafkin:20210105114401j:plain

 ⑦ 日本語の「霊(ひ:fi)」はタミル語の「pee(ぴー);自然力・活力・威力・神々しさ」に対応する。(筆者注:沖縄では「ぴ」から「ひ(fi)」に変わる)

⑧ 「カミ」をめぐる次のような言葉についてもタミル語と日本語の対応が見られる。

 

f:id:hinafkin:20210105114424j:plain

 2 大野晋氏の「カミ」=ドラヴィダ語ルーツ説の考察

① 一般的に流布している「カミ(上)・ヒ(太陽)」説の批判、雷神や山神、狼(大神)、産土神などを指すという説や、さらにそのルーツがドラヴィダ語にあるとする画期的な説は、これまで日本語起源論において異端視され無視されてきましたが、DNA分析による日本列島人の高地ドラヴィダ人ルーツ説と符合しており、的をえていることが証明されました。中尾佐助・佐々木高明氏らの「照葉樹林文化説」、柳田圀男氏らの「日本民族南方起源説」、佐藤洋一郎氏らの「稲作起源論」と合わせて、復権が図られるべきです。 ―「縄文ノート41 日本語起源論と日本列島人起源説」「縄文ノート43 DNA分析からの日本列島人起源論」「縄文ノート26 縄文農耕についての補足」参照

② アイヌの「カムイ」からみて「カム」が「カミ」の古形であるはその通りと思いますが、「カン(神戸・神部・神邉・神主等)」「カモ(神魂神社:かもすじんじゃ、神魂命:出雲国風土記)」について触れていないのは国語学者として不徹底と思います。

 沖縄では「あいういう」「まみむみむ」3母音であり、「む」=「も」であり、「かむ」から「かも」と呼ばれるようになり、「かむ→かも・かん→かみ」であった可能性が高いと考えます。播磨国加茂郡大国主宗像三女神の多紀理毘売(田霧姫・田心姫)の間に生まれた「あじすきたかひこね(阿遅鉏高日子根)」は古事記では「迦毛大御神」と呼ばれており、その一族の賀茂・加茂・鴨氏は「神一族」であったことを示しています。

 なお、古事記出雲大社を「天御巣」「天新巣」と表現していることからみて、「かもす」は「神巣」と考えられ、神魂神社の元々の名前は古くから神々が巣む(住む)「神巣神社(かもすのかみやしろ)」であったと考えます。

 

f:id:hinafkin:20210105114448j:plain

 

③ 古事記序文で太安万侶は「乾坤(けんこん)初めて別れて、参神造化(ぞうけ)の首となり、陰陽ここに開けて、二霊(ひ)群品の祖となりき」と書き、本文では、「天御中主」に続いてタカミムスヒとカミムスヒ(古事記:高御産巣日・神産巣日、日本書紀:高皇産霊・神皇産霊)を始祖としてあげていますから、この人(ひと:霊人)を産んだ「二霊(ひ)」を神の始まりとしています。

④ 古事記によれば、「神」は「八百万神」とされ、死んだ人は全て天に昇って神となると考えていたのです。実際、古事記本文には天御中主神からの「別天神五柱」「神世七代」から多くの神々が登場します。生前は「命・尊(御子人)・彦(霊子)・比売(姫:霊女)」などと呼ばれ、死後には「神・大神・大御神」などと呼ばれています。

⑤ 雷神や山神、狼(大神)、産土神地母神)などは自然そのものの信仰ではなく、死者の霊(ひ)が宿る物や場所を示しているのです。古事記には、少彦名の死後、大物主が大国主の国づくりに協力する条件として、大物主大神スサノオの子の大年=大歳)を御諸山(三輪山:古くは美和山=美倭山)の上に祀ることを条件にし、「御諸山の上に坐す神」としていることからみて、三輪山そのものを神体としたのではなく、三輪山から天に昇り、降りてくる大物主大神の霊(ひ)を祀っているのです。

⑥ 大野氏は「カミ」を精霊(アニマ)と人間化・人格化したものの2つに分類しましたが、人の死後の「霊(ひ)」として見るべきと考えます。国語学者としては、精霊(アニマ)などというキリスト教からの翻訳語に頼るのではなく、倭音倭語で「霊(ひ)」と表現すべきであったと考えます。そうすれば、人(霊(ひ)人)や神名火山(神那霊山)・神籬(霊洩木)などとの統一的な解釈ができたのです。

⑦ その限界から、大野氏はタミル語の「ko(カ)」は「神・雷・山・支配」を、「kon(カン)」「koman(カマン)」は「神・王」を表し、「pee(ぴー)」は「自然力・活力・威力・神々しさ」を表すとしていますが、日本語の「カム・カン・コマ」と「霊(ぴ=ひ:fi)」の関係を統一的に説明できていません。

 私は「高皇産霊・神皇産霊(たかみむすひ・かみむすひ)」の始祖神神話や「八百万神(やおよろずののかみ)」信仰、「人・彦・姫・卑弥呼(霊人・霊子・霊女・霊御子=霊巫女)」の名称、皇位継承儀式を「日嗣=霊継(ひつぎ)」といい、死体を「柩・棺=霊継」に収めること、宗教出雲では妊娠を「霊(ひ)が留まらしゃった」と言うことなどから、人や動物などは死後に「神」となり、身体から離れた「死者の霊(ひ)」は、古くは大地・海に帰って地神(地母神)・海神となり、次には天に昇り、降りてくる天神信仰に変わり、子孫に受け継がれると考えてきましたが、日本語ドラヴィダ起源説からも裏付けられたと考えます。

⑧ 「神(かむ・かん→かも→かみ)」「霊(ひ)」などの倭語の語源について、これまで「一音語」(一音で意味を表す言葉)からその意味、由来を考え続けてきましたが(「か」の意味「かなた」や、「かも」「くも」「いずも」などの「も」の意味、「ひ」の意味「日、火、卑、氷」」など)、外来語のドラヴィダ語が起源であったなら、そのような探究は必要なくなります。これまでまず倭語か漢語か考え、漢字分解から本来の意味を探り、一音語の「な(那、奈、名など)」の意味を「中、奈良、穴」などから考えてきましたが、外来語なら詮索しても意味がないことが分かり、課題の1つが解消しました。

⑨ また、私は地神(地母神)・海神信仰から天神信仰に変えたのは、スサノオ大国主一族の神名火山(神那霊山)信仰からと考えてきていましたが、日本列島人・日本語ドラヴィダ起源説から考えるとヒマラヤ山脈からミャンマー雲南高地にかけてのドラヴィダ山人(やまと)族の天神宗教(鳥葬・風葬山岳信仰など)がルーツではないか、と考えを変えています。

 天神信仰中央アジアの草原やインド・中国の大河流域の平地が発祥ではなく、海から河川が高山まで繋がる地域で、水の循環から海神信仰と地神(地母神)・山神・木神信仰、さらに天神信仰が融合され、合わせて海・川・大地と天を繋ぐ海蛇・蛇・トカゲ・鳥信仰や龍神信仰、雷神信仰が生まれたと考えるようになりました。―「縄文ノート30 『ポンガ』からの「縄文土器縁飾り」再考」「縄文ノート35 蓼科山を神名火山(神那霊山)とする天神信仰について」参照 

       f:id:hinafkin:20210105114531j:plain

⑩ 以上、日本語・日本列島人起源論としてだけでなく、宗教論としても大野説は重要であり、高地ドラヴィダ族の調査が求められます。

 

3 柳田圀男氏の「神=祖霊説」について

① 「神」の定義について柳田圀男氏は「祖霊」と定義しており、意味としては正しい解釈と考えます。しかしながら、倭音倭語で「霊(ひ)」はなく、「それい」と漢音漢語で定義すべきではなかったと考えます。

 「霊」は漢音の「レイ」ではなく倭音倭語で「ひ」と読み、祖霊を使うなら「おやのひ」と読むべきです。そうして始めて「霊継(ひつぎ・柩・棺)」「宇気比(受け霊=スサノオとアマテルの受け霊による後継者争い)」や「神名火山(神那霊山))」「神籬(霊洩木)」の意味や、さらには新井白石説の「人(霊人)」「彦(霊子)」「姫(霊女)」「卑弥呼(霊御子)」などの意味が明らかとなるからです。

 呉音・漢音の漢語が伝わるより倭音倭語が古いという「日本語3層構造(倭音倭語・呉音漢語・漢音漢語)」をふまえ、柳田氏は倭音倭語で分析を始めるべきでした。

 

f:id:hinafkin:20210105114550j:plain

 ② 魏書東夷伝倭人条は「卑弥呼」の宗教を「鬼道」としていますが、「卑」字を漢字分解すると「甶(頭蓋骨)+寸」で祖先霊が宿る頭蓋骨を手で支える字になり、「鬼」字を漢字分解すると「甶(頭蓋骨)+人+ム」で頭蓋骨を人が支え、座った人(ム)が拝むという字になることから、いずれも祖先霊を祀る「霊(ひ)宗教」となります。

 なお、「姓名」の「姓」が「女+生」であり、「魏」字が「禾+女+鬼(祖先霊に女性が稲を捧げる)」であり、周を理想とした孔子の「男尊女卑」は「女が甶(頭蓋骨)を掲げ(寸)、それに男は酒(尊は酋=酒樽)を捧げる(寸)」という宗教上の役割分担を表しており、春秋戦国の争乱などで女奴隷が生まれる前の姫氏の周は母系制社会であったことを示しており、姫氏の分家の魏は女王国・卑弥呼に対し「金印紫綬」という格段の扱いをしたと考えられます。

 

4 「神=自然神説」と折口信夫氏氏の「神=マレビト説」の批判 

① 柳田圀男氏の「神=祖霊」の定義に対しては天皇を頂点とした家族国家主義に迎合した定義であり、日本にはもっと多様な自然神があったという批判があり、折口信夫氏は「神=祖霊説」は「近代の民族的信仰」であると批判して「神=たま=魂」であり、外界から現れる「神=マレビト」説を唱えました。アニミズム(精霊信仰)をヒントにした説です。

② これらの柳田説への折口信夫氏の批判は、次の点で誤っていると考えます。

 第1は、海神、地神(地母神、神籬=霊洩木)、水神、山神、木神(神籬=霊洩木)、雷神、神使(蛇・龍蛇・龍・狼・鹿・鳥等)などの信仰は「多様な自然信仰」のバラバラ事件ではなく、死者の霊(ひ)が宿る場所を海・地・山・木・天の循環で考え、天と地を繋ぐ水や雷、神使などと合わせて信仰したものであることを無視していることです。

 第2は、記紀が始祖神「二霊(ひ)」を高御産巣日・高皇産霊(たかみむすひ)、神産巣日 ・神皇産霊(かみむすひ)としていることや、人・彦・姫の「霊(ひ)」、柩・棺・霊継(ひつぎ)・神名火山(神那霊山)・神籬(霊洩木:ひ=神)などからみて、「霊(ひ)祀り・霊継(ひつぎ)宗教」(現代風に言えば命=DNAのリレ-)こそが日本の原宗教であることを無視していることです。

 第3は、大国主の「八百万神」信仰として百余国の全国に広まった本来の古神道・原神道が、天皇家の宗教ではないことを無視した説であることです。天皇家が始祖神として天御中主やアマテルを宮中に祀らず、明治まで伊勢神宮に参拝せず、仏教を国教としたことからみても、天皇家古神道・原神道の正当な後期王ではないことが明らかです。

 延喜式によれば、天皇家が宮中に祭っている神は次の36の神々ですが、これらの天皇家が祀る神々のうち、記紀神話に登場するのは神産日(霊)神、高御産日(霊)神、事代主神大国主の御子)、園神・韓神(スサノオの子の大歳の子)の5神だけであり、全て出雲系の神です。そして、天御中主、神産日(霊)神、高御産日(霊)神から始まる「別天神」の始祖5神は出雲大社正面に祀られているのです。さらにイヤナギ・イヤナミを最後とする「神代7代」の神々も祀っていません。

 

f:id:hinafkin:20210105114604j:plain

 

 しかも、天皇家高天原神話のアマテル・オシホミミ、薩摩半島西南端の笠沙天皇家3代のニニギ・ホオリ・ウガヤフキアエズ、大和天皇家の初代ワカミケヌ(神武天皇)などのアマテル系の神も祖先霊として祀っていないのです。

 美和の大物主大神スサノオの子の大年)一族の権力の象徴である3種の神器(スサノオヤマタノオロチ王から奪った剣、大国主の玉、アマテル=大国主の筑紫妻の鳥耳の鏡)を奪い、スサノオ大国主・アマテルの神霊を宮中に移し、民の半数が亡くなるという恐ろしい祟りを受けた「御間城入彦」(後に崇神天皇命名)の教訓から、天皇家は血が繋がらないアマテルらを先祖として祀ることを忌避しているのです。天皇家は「子孫に祀られない霊(ひ)は祟り神となる」という「霊(ひ)の法則」を信じ、怨霊を恐れたのです。

 「天皇を頂点とした家族国家主義に迎合した柳田の祖霊説」という折口氏の批判は、「天皇を頂点とした家族国家」の虚偽のアマテラス皇国史観にこそ向けられるべきであり、「柳田の祖霊説」を誤りとすべきではありません。「柳田の祖霊説」によれば、始祖神の天御中主やアマテル、イヤナギ・イヤナミらを祖先神として祀っていない皇国史観の虚偽が証明されるのです。必要だったのは柳田批判ではなく、アマテル皇国史観だったのです。

 なお、明治からの天皇家はその掟を破り「世界を照らすアマテル太陽神」の子孫神(現人神)として君臨し、日本人260~310万人、アジア各国では600万人、米兵11万人の霊(ひ)を断つという恐ろしい「祟り」を招いています。スサノオ大国主建国を記した記紀神話を無視した「皇国史観」「天皇国家史観」への批判なくして彼らの「霊(ひ)」は浮かばれません。

第4は、「魂」は倭語では「たましい=たましひ=玉し霊」で「玉の霊」を表し、「霊」を漢字分解すれば「云(雲)+鬼(甶+人+ム)」であることから、雲の上の鬼(祖先霊)を信仰する宗教であることを折口説は無視していることです。

 古代倭人は死体から離れた霊(ひ)=魂は天に昇り、子孫に受け継がれると考えていたのです。この「八百万神」信仰は神使の動物を含めて全ての生類の霊継ぎ(現代風に言えば命のリレー)を大事にする「生類共同体宗教」であったのです。

第5は、以上の考察で明らかなように、「神」は家族・共同体の共通の祖先霊であり、共同体の外からくる「マレビト」として信仰されたのではないことです。山上や海岸の「お旅所」から祖先霊を天や海に送り、再び迎えるという山車・神輿の儀式は、外から迎えた神の儀式ではないのです。

 

5 まとめ

① 私の幼児時代、私がもっとも大きな影響を受けた浄土真宗の信仰心の厚い祖母は、祖先霊が墓にいるのか神社にいるのか、天にいるのか西方の極楽浄土にいるのか、死後に神となるのか仏になるのか、屋敷の祠や神棚の地主神・屋敷神と仏壇の位牌の祖先霊との関係などについて整理できておらず、私の質問には納得できるようには答えてくれませんでした。

 「昌弘が変ことを言う」とされてしまいましたが、「三つ子の魂百まで」で、今も「変な老人」としてこだわっています。

② 次女が青年海外協力隊で出かける時に、日本人の宗教について質問されたらどう答えるのか聞いたところ、「自然宗教」というので唖然としたこともあります。どうやら、学校では「日本人の宗教は原始人・未開人の段階である」と教えているようなのです。せめて「神道か仏教か無宗教」くらい言って欲しかったのですが、わが家でも、墓参りや葬式、新年の神社参拝、神社での安産祈願や初参り、七五三、実家での仏壇のお参りとお供え、キリスト教での子どもの結婚式など宗教については実にバラバラの習慣となっており、きちんと話をしたことがなかったのですから、当然なのですが・・・

③ 日本の古代から現代までの知識人は「和魂漢才」「和魂洋才」という2つの拝外主義にとらわれ、進んだ中国・西洋の文化・支配制度輸入翻訳業者が幅を利かせており、好奇心・研究心・学習意欲旺盛なのはいいことですが、中国・欧米崇拝の念が強く、それと較べていかにわが国が遅れているか、野蛮・未開であるかという卑下意識・大衆蔑視が強く、歴史無視なのは困ったものです。

 官僚・学者・マスコミ人・知識人は漢語漢文が大好きで、今は英語英文大好きになっており、その結果、倭語には関心がなく、漢字・漢語が入る前の倭音倭語で縄文時代から続く宗教・文化やスサノオ大国主建国を分析することなどできていません。

④ その典型が「弥生人征服史観」「騎馬民族征服王朝説」であり、「縄文時代=原始・未開社会」対「弥生時代=文明社会」という思い込みの進歩史観=征服史観が左右の歴史・考古学を支配し、天皇家の「高天原」のルーツが朝鮮半島や中国にあり、天皇家が鉄と稲作を朝鮮半島からもたらして縄文人を征服し、古代国家を打ち立てたなどと考えています。

 一方、同じく進歩史観に立つ左翼もまた、「朝鮮人差別」に反対し、あるいは社会主義国へのあこがれなのか、弥生人朝鮮人、あるいは弥生人=長江流域中国人説に立って弥生人征服国家説を展開しています。どちらも、日本文化の原点である縄文1万年の歴史を軽視・無視し、内発的主体的発展史観にたって記紀に書かれたスサノオ大国主の建国を認めようとしません。

 そして、邪馬台国畿内説の大和中心史観は、九州・出雲・吉備・播磨を中心とした鉄器時代を無視して「弥生式土器時代区分」を考えだし、それが破綻すると「弥生時代」という言葉に置き換え、その「稲作開始」開始時期を600年ほど前の縄文時代に遡らせました。

 さらに、「集落墓地」から1世紀の「世襲王の山上の方墳・円墳・前方後方墳前方後円墳」への転換を無視して4世紀の大和の前方後円墳を「古墳時代区分」として、「石器―土器―土器―古墳」の「イシドキドキバカ」という独自の時代区分を考え出しています。

⑤ 宗教分析においては「神」=Godという一神教絶対神規定にひれ伏し、キリスト・マホメットなどによる創唱宗教こそが宗教と考え、それ以前の原始・未開時代の宗教を「自然宗教」に押し込め日本の「神」の分析を放棄しています。

 豊かな農耕民のカナンの地を征服し、皆殺しにして建国した遊牧民ユダヤ人は、その行為を「唯一絶対神」の命令として正当化するユダヤ教を打ち立て、その原罪を意識したキリストはユダヤ教を超えるキリスト教を考えますが、ローマ帝国に勢力を広げる過程で帝国支配のための宗教となり、他民族の武力支配・殺戮を絶対神の意志として正当化し、十字軍はイスラム教徒と戦い、世界貿易支配の道具としてキリスト教は植民地争奪の帝国主義支配に協力しました。砂漠での過酷なオアシスの争奪戦に明け暮れていた中東の遊牧民ユダヤ教をベースにしたイスラム教を考え、これまた神の意志として他民族の宗教・武力支配を行い、キリスト教に受け継がれたのです。

 これに対抗して本居宣長は「世界を照らす太陽神アマテラス」一神教で対抗しようと考え、その皇国史観の後継者たちは天皇を神とし、絶対神天皇の命令として国民を動員して右翼・軍部はアジア征服・太平洋支配に乗り出し、各国で多くの犠牲者を出して敗北しました。その反省に立つならば、一神教の危うさを教訓化する必要があります。

⑥ 今、必要なことは全ての生類の「霊(ひ)・霊継(ひつぎ)」=「すべての命のリレー」を大事にしてきたわが国の「霊(ひ)・霊継(ひつぎ)信仰」「神=霊まつり」の宗教を解明し、「共同体文明」の普遍的な宗教として解明することです。大野晋氏により「カミ」「ピー(ひー)」がインド原住民のドラヴィダ語起源であることが明らかにされたことは、インドで生まれた仏教が日本で広まったことと因縁がありそうに思えます。

 「カミ」が豊穣と安穏の現世宗教であるのに対し、「ホトケ」が現世の「苦」からの解脱と死後の安穏を願う宗教であるという大野氏の整理は、「縁結びや安産・誕生祝い」などを神社で行い「葬式」をお寺でという折り合いの付け方と符合していますが、「共同体文明時代」の宗教の解明は一神教多神教一神教同士の対立を超える人類の共通価値の確立に役立つと考えます。

⑦ 倭音倭語によって紀元1~4世紀の記紀神話時代のスサノオ大国主建国の歴史・文化・宗教を明らかにすることから始め、さらに縄文時代1万年へと遡らせ、内発的発展をとげた豊かで平和であった「共同体社会時代」の文化・文明と宗教の解明が求められます。

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート   https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ      http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論         http://hinakoku.blog100.fc2.com/