ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

「倭語論11 『委奴国』名は誰が書いたか?」の紹介

 本日、Gooブログ「ヒナフキンスサノオ大国主ノート」に「倭語論11 『委奴国』名は誰が書いたか?」をアップしました。https://blog.goo.ne.jp/konanhina
「大和」と書いて「やまと」と読み、覚えることにずっと疑問を感じていた変な子供であった私は、この国の国名にこだわってきました。
 縄文論との関係では、「「弥生時代はなかった」「イシ・ドキ・ドキ・バカ時代区分はおかしい」「石器・土器(土器鍋)・鉄器時代区分にすべきである」と考える私にとって、「委奴国(いなのくに)」=「稲の国」と解釈すると、「委奴国王スサノオ」一族の大国主の国「豊葦原の千秋長五百秋(ちあきのながいほあき)の水穂国」(古事記)とは合致します。 雛元昌弘

中国の記録に現れた国名

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