FB邪馬台国探究会「20 「邪馬台国畿内説」は成立するか?」の紹介
「石器―土器(土器鍋)―鉄器(鉄先鋤)」時代区分説の私は、縄文社会解明にはスサノオ・大国主建国から遡るべきと考え、海人族の交易・交流・文化、糖質・DHA食(イモ・マメ・穀類・魚介食)、縄文農耕の延長としての鉄先鋤による水利水田稲作、巨木建築、八百万神の霊(ひ)・霊継(ひつぎ)宗教、神名火山(神那霊山)・神籬(霊洩木)信仰、妻問夫招婚の母系制社会など、縄文社会の解明を続けてきました。
私はスサノオ・大国主フェイスブックの邪馬台国探究会で、「『卑弥呼王都=高天原』は甘木(天城)高台―地名・人名分析からの邪馬台国論」を連載してきましたが、「20 『邪馬台国畿内説』は成立するか?」を昨日アップしました。
卑弥呼は筑紫大国主・鳥耳王朝の11代目と考えていますが、縄文母系制社会の延長として卑弥呼の女王国など、古代史を見て頂ければと考えます。
「邪馬台国畿内説」と「邪馬壹国九州説」の争いは論理的にはすでに決着がついているいると考えますが、未だに纏向遺跡を卑弥呼の王都にあてる説が横行していますので、すでに多くの論者によって明らかにされている言わずもがなの批判に私説を加えておきたいと思います。
⑴ 畿内説は「里程引き算足し算条件」を満たさない
⑵ 畿内説には「東を南とした90度方位誤記」の証明がない
⑶ 「水行十日」の起点は「不彌国」ではなく「末盧国」の呼子港である
⑷ 魏使は「ガキの使いやあらへんで!」
⑸ 「水行―陸行―水行」の途中下船・乗り継ぎはありえない
⑹ 漢・魏皇帝由来の「皇帝3物証」は畿内からは何も発見されていない
⑺ 鉄器時代は北九州・出雲が中心である
⑼ 箸墓は大物主・モモソヒメ夫婦の墓であり、卑弥呼・アマテルの墓ではない
⑽ 間城(まき)・纏向(間城向)は大国主の拠点であった
① 纏向の大型建物は「日御子=アマテラス」の太陽信仰神殿か、大国主一族の穴師山崇拝の拝殿か?
③ 大国主・大物主連合の成立
④ 「間城」「纏向(間城向)」は大国主一族の拠点
⑤ 銅鐸・銅槍(通説は銅剣)・銅矛祭祀から八百万神の神名火山(神那霊山)信仰へ
⑥ 「仮面」と「桃の種」は大国主由来の宗教を示す
⑦ 穴師山は穴師=鉱山師の大国主一族の拠点
⑧ 播磨の養久山古墳群の「円墳・方墳・前方後円墳」から前方後円墳は生まれた
⑨ 「邪馬台国畿内説」「卑弥呼・アマテル・モモソヒメ三位一体説」は新皇国史観(天皇中心・大和中心史観)の空想