ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート182 人類進化を支えた食べもの

 「関係論文を全て読む→新仮説を立てる→検証する(調査・実験など)」という一般的な科学者の方法に対し、工学部では「現実の問題→問題解決の仮説→検証(実験・調査)」という方法をとることも多いように思います。いくつかの条件を組み合わせた仮説実験をやって最適解を求めるという方法です。

 私は現役時代、プランナー(計画家)として限られた1年という期間で分析・予測を行い、市町村・都府県の総合計画や各分野(産業・都市・環境・福祉・教育文化・行財政・住民活動)の「10年・5年計画」を立ててきましたが、どちらかというと後者の方法であったと思います。

 まずはいくつかの資料から大まかな仮説を立て、そこから関係資料読み、ヒアリング・アンケート調査、先進事例調査などで検証し、計画書をまとめるという方法です。「仮説→調査・分析→予測→計画」という順序なのです。

 スサノオ大国主建国論では、後漢書記紀などの文献がほぼ歴史を正確に伝えているという大仮説のもとに、後漢書・金印の1~3世紀の「委奴国王」と古事記日本書紀の「葦原中国王」、イヤナミ・スサノオ大国主8代から「委奴国王=イヤナミ・スサノオ大国主8代」という仮説に進み、他の文献、神社伝承、地名、鉄器などの物証を調べて検証を行う、という方法でこの仮説に致命的な矛盾がないことを確かめました。―『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』など参照

 邪馬台国論でも魏書東夷伝倭人条・記紀などの文献がほぼ歴史を正確に伝えているという大仮説のもとに、倭人条の行程分析(「正使陸行副使水行」「正使里程、副使日程表記」説)から卑弥呼の王都が旧甘木市(現朝倉市)であるとの仮説に進み、私の先祖が江戸時代には「ひな(日向・日南)」と称していたことから記紀高天原の所在地「筑紫日向橘小門阿波岐原」が旧甘木市・杷木町の「蜷城(ひなしろ)・橘・杷木」あたりであり、さらに記紀高天原に登場する地名や羽白熊鷲(羽白=羽城=波岐=杷木)が神功皇后により滅ばされた場所から、卑弥呼の宮殿が甘木高台(高天原)にあることを突き止めています。―『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)参照

 同じように、縄文社会、縄文人の起源、さらには人類誕生の分析においても、私は限られた知識・体験からまずは徹底的に考えていくつかの仮説を考え、ネット情報を調べ、次に単行本を読むという順番で調べてきました。

 学会論文に遡っての研究は、これからの若手研究者に任せたいと思っており、私の役割は「仮説ハンター」と心得ています。

 

1 通説とは異なる私の人類誕生仮説

 これまで書いてきた、通説とは異なる私の人類誕生仮説は、表1に示す「熱帯雨林人類進化説」「糖質DHA食(イモ・マメ・穀類魚介食)人類進化説」「母子おしゃべり進化説」「半身浴採取手足進化説」「母系社会進化説」「冒険者進化説」の6点です。

 

 この間、霊長類学、文化人類学、DNA人類学などの本を走り読みしていますが、私の仮説を裏付ける点、齟齬する点について、メモしておきたいと考えます。

 まずは霊長類学・人類進化学の西田利貞氏のから、人類進化に果たした食物の役割から見ていきたいと考えます。

 

1 人類進化の3段階説について

 西田利貞氏の『新・動物の「食」に学ぶ』(2000.8)は大型動物と小型動物の食性分析や大型霊長類が果食性から葉食性、雑食性へと分岐する分析などたいへん面白かったのですが、類人猿から人が生まれたことに食がどう関係しているのかの分析については疑問が残りました。

 西田氏は人類進化史の通説として、①700~500年前の直立2足歩行、②約200年前の石器と火使用、③数万年前のホモ・サピエンスという3段階で分析しています。

 この整理は、猿人、原人・旧人・新人、現代人の分類ですが、そもそも「猿人→原人・旧人・新人→現代人」が直線的に進化したのではないと筆者は述べながら、「①直立歩行→②石器・火使用→③ホモサピエンス(賢い人=頭脳の発達)」という直線的段階的進化論のように思えます。

 

 私は西アフリカ・中央部アフリカ熱帯雨林で、猿から猿人、原人・旧人・新人、現代人がそれぞれ発達し、段階的に熱帯雨林を出て東アフリカからさらに世界各地に移動して化石を残した、と考えてきました。

 現在の人の子どもを見れば明らかなように、3歳までに言語能力と脳の容量・機能、手機能と2足歩行は達成されるのであり、「現代ホモサピエンス(賢い人)」は熱帯雨林にもっとも長く留まって発達を遂げ、猿人、原人(ホモエレクトス)・旧人ネアンデルタール人)・新人(クロマニョン人など)より遅れてサバンナから全世界へ広がったと考えます。

 先に熱帯雨林をでて東アフリカのサバンナでた猿人・原人は2足歩行はできたものの頭脳の巨大化は進まず、家族・氏族の共同性が弱くて様々な環境変化に対応できず、後からきた旧人や現生人類が熱帯雨林からもたらした細菌・ウィルス感染の影響もあって滅んだと私は考えます。猿人を原人が、原人を旧人を、旧人ホモサピエンスが滅ぼしたという殺戮史観を私は支持しません。居住密度が低い段階では「棲み分け」が可能だからです。

 

2 第1段階進歩:チンパンジーからヒトへの食物について

 西田氏は「チンパンジーからヒトへの食物」を、従来のサバンナ2足歩行進化説・肉食進化説(脳筋説:脳みそまで筋肉)から離れ、「イモ説」を提案しており画期的です。「ヤムイモの多くはそのまま食べられる」「掘棒が必要だが、中央アフリカチンパンジーがシロアリの塚を掘るのに棒を使うのだから、最初の人類が使っておかしくない」としており、私の仮説は裏付けをえることができました。

 しかしながら、脳の発達に欠かせないDHA食(魚介食)について西田氏はふれていません。ヒトの脳の神経細胞は1000億個以上で成人でも乳児でも同じであり、神経細胞を繋ぐシナプスの数は生後1~3年前後まで増加し、そこで重要なのは母乳から供給されるDHAの量なのです。―縄文ノート「81 おっぱいからの森林農耕論」210622、「88 子ザルからのヒト進化」210728参照

 

 チンパンジーと人の大きな違いは水を怖がるかどうか、魚を食べるかどうかであり、水を怖がらず魚を食べるボノボよりさらに進化したのが半身浴魚介食のホモサピエンスであると私は考えます。―縄文ノート「85 「二足歩行」を始めたのはオスかメス・子ザルか」210713、「89 1 段階進化論から3段階進化論へ」210808、ボノボ | ナショナル ジオグラフィック日本版サイト (nikkeibp.co.jp)古市 剛史:水の風土記 人ネットワーク│ミツカン 水の文化センター (mizu.gr.jp)参照

 

 

 子どもの頃、私たちは海に行くと首まで浸かりながら足で貝をとり、海や川ではヤスで魚を突いたものです。

 イモの採集には掘棒が欠かせませんが、先を尖らせた「木器」について西田氏がふれていないのも気になります。石器や骨器の穂先を付けなくても、木を尖らせれば魚や子ワニ、蛇・トカゲ、カエルや哺乳類の子どもなどは突けるのです。

 私は石器文明の前に木器文明があったと考えますが、熱帯雨林では人骨や木は分解されて痕跡が残りません。だからといって石器や人骨が残る東アフリカが人類誕生の地であるとの証明にはなりません。

 現在も類人猿が棲んでおり、食料が豊富で木に登れば逃げられるという有利な生存条件があり、脳の発達に欠かせない糖質・DHA食のある熱帯雨林こそ人類誕生の地と考えます。そこに長く留まって頭脳を発達させたホモサピエンス(賢い人)こそ「最終出アフリカ現人類」なのです。

 

3 第2段階進歩:火使用によるイモ・マメ・穀類食

 西田氏は人類の第2段階の進化として「体と脳の大型化・男女の身体性差縮小・石器・火使用」をあげ、火使用によるイモ・マメ類食をあげています。

 火使用による糖質食(イモ・マメ類食)の増大は脳活動のエネルギー源として重要と思いますが、ここでも西田氏は情報伝達・処理に必要なDHA食を見逃すとともに、穀物食の起源についてふれていません。

 「縄文ノート25 『人類の旅』と『縄文農耕』、『3大穀物単一起源説』」で私は次のように書きました。

 

 昨年の秋、妻がベランダでのイチゴ栽培の苗床用にもらってきた藁に残っていた稲穂の籾を見つけ、焼いて孫に食べさせたことがあり、私も子どもの頃に田舎のどんど焼きで焼米を食べたことがあることを思い出しました。米は脱穀して煮なくても焼いて食べられるのです。

 縄文人脱穀した米の「お粥」を食べるとともに、「焼米」を食べていた痕跡が残っており、たき火をしていた旧石器人もまた、野生の稲を燃やした時に白くはぜ(爆ぜ)、こうばしい香りのする焼米などを見つけ、穀類を食べ始めた可能性があります。

 また、子どもの頃、田舎に行くと「はったい粉」を熱湯で練って食べたことがよくありましたが、炒った麦を粉にして食べる「むぎこ」「むぎこがし」「はったい粉」のルーツは、パン・クッキーよりもはるかに古い可能性があります。「食べられるおいしい麦茶」が2013年7月30日にNHKあさイチ」で【すご技Q 麦茶パワー】として紹介されていましたが、麦もまた「パン食」より前に「焼麦」として食べられ始めた可能性があります。

 棒で穴を掘って種を植えれば、気象条件さえあえば穀類は育つのです。穀類の栽培は旧石器時代に遡り、ヒョウタンの故郷、ニジェール川流域がイネ科穀物の採取・利用のルーツの可能性があります。

 

続けて、「縄文ノート81 おっぱいからの森林農耕論」では次のように書きました。

 

 火の使用はこれまで「焼肉」と結びつけられてきましたが、焼畑や畔焼き・野焼きを行うと小動物が焼かれた匂いとともに焼米・焼麦・焼豆・焼イモの香りが漂い、人類は火の使用を始めて糖質・DHAを摂取して進化した公算が高いと考えます。・・・

 西アフリカでの火を使った「穀実豆芋魚食」の糖質・DHA摂取こそがヒトの知能を発達させた可能性が高く、火の使用とセットになって焼畑の芋豆穀類の栽培が開始された可能性が高いと考えます。その栽培は木の棒さえあれば簡単にできます。

 

 西田氏は頭脳巨大化が生存に有利に働いた要因として「石器」(製作?利用?)をあげていますが、私は人と物の関係ではなく、人と人の関係(家族、氏族など集団のコミュニケーション)こそが知能の発達を促した最大の要因と考えます。

 火使用による糖質食(イモ・マメ・穀類食)・DHA食の増大は自由時間を増やし、おしゃべりや遊び、創造・創作、恋愛やセックスなどの活動を促すとともに、健康・長寿は祖父母による子どもへの経験伝達・教育機会を増やし、頭脳の発達に繋がったと考えます。―縄文ノート「88 子ザルからのヒト進化」210728、「92 祖母・母・姉妹の母系制」210826、「126 『レディ・サピエンス』と『女・子ども進化論』」220307参照

 最近、私は1か月おきに訪れる次男の0歳児を抱いて観察していますが、2か月児になるとアイコンタクトができるようになり、3か月児になると笑顔に反応して笑い声で返すようになり、4か月児になると遊んでいる姉や兄の動きをずっと追うようになり、家族が食事を始めると美味しそうな匂いにつられて指をなめ始めます。

 長女の女孫は幼児の間中、長男の年長の女孫の動きをずっと目で追っていてその真似を必ずしていましたし、次男の女孫もまた長女の女孫の動きをじっと観察して真似をしていました。下の子は上の姉・兄のしていることにできもしないのに割り込んで参加しようとし、いつも喧嘩になっていました。

 このように、乳幼児からの観察と模倣・会話によって人は頭脳や身体能力を急速に発達させるのであり、大人になって石器を作り始めてから頭脳が発達するなど、「狩猟・武器・戦争進化説」の空想からは卒業すべきです。

 

4 第3段階進歩:狩猟による道具の著しい発展と脳の巨大化

 第3段階として西田氏は狩猟具製作による脳の巨大化をあげていますが、どうや狩猟・戦争・肉食進化説に戻ってしまったようです。

 そもそも、槍やナイフなどの狩猟具はすでに第2段階に達成されており、第3段階となると6・7万年前頃の弓矢による狩猟をさしていると考えられますが、弓矢の発明と肉食の増大が脳の巨大化を促したなど、道具学や栄養学からみても何の根拠もありません。

 チンパンジーはオスよりメスの方が器用であるとされており、男が大型動物狩猟のための弓矢を作ったことが脳の巨大化を促したというのは男主導進化説のフィクションという以外にありません。

 「縄文ノート111 9万年前の骨製銛からの魚介食文明論」では東アフリカ高地湖水地方で9万年前の骨製銛が見つかったことを紹介しましたが、この「木+骨製穂先」の道具は熱帯雨林で半身浴で魚やカエル・ワニなどを採集していた母子が開発した可能性が高いと私は考えます。

 

 火を管理し、イモや穀類、魚介類などを調理したり、衣類を作ったり、採集したイモや穀類、昆虫、魚介類などを運ぶためのザルの作るなど、頭脳の発達は「狩猟」よりも複雑な女子どもの手仕事とおしゃべり、情報伝達により達成された可能性が高いと私は考えています。

 言語能力は3歳ころまでに獲得されるのであり、無言で音を立てず、身振りで合図を送る男の狩猟活動で言語能力が発達するわけなどないのです。

 西田氏のアフリカでのチンパンジーと狩猟民の調査からは多くを教えられ、サルからヒトへの食の役割への着目は重要と思いますが、食からの人類誕生分析は不十分であり、「肉食進化説」「狩猟・戦争進化説」「オス主導進化説」の西洋史観から抜け出せていないのは残念です。

 

<参考資料1 縄文ノート70 縄文人のアフリカの2つのふるさと 210422>

 

<参考資料2 縄文ノート85 「二足歩行」を始めたのはオスかメス・子ザルか 210713>

 

<参考資料3 縄文ノート89 1段階進化説から3段階進化説へ 210808>

 

 

<参考資料4 縄文ノート134 『サピエンス全史』批判3 世界征服史観 220414>

 

<参考資料5 縄文ノート140) イモ食進化説―ヤムイモ・タロイモからの人類誕生 220603>