ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート123 亀甲紋・龍鱗紋・トカゲ鱗紋とヤマタノオロチ王

 スサノオ大国主建国論から縄文社会研究に入った私は、出雲大社で神使の海蛇を「龍神様」として祭り、神紋の六角紋(通説では亀甲紋)が海蛇神・龍神信仰の龍鱗紋(りゅうりんもん)であり、その起源が縄文時代に遡るとし、井戸尻考古館の「巳を戴く神子」をその根拠とするとともに、トカゲがジャンプするときに尻尾を上げる形状から縄文土器の縁飾りの「鶏頭」とされてきた突起や諏訪大社の「薙鎌(なぎかま)」はトカゲ龍であるとしました。

 そして、八俣遠呂智ヤマタノオロチ古事記)を日本書紀が「八岐大蛇」と書き換え、出雲神楽でヤマタノオロチ王を「トカゲ蛇」としていることから、ヤマタノオロチ王もまた東南アジアルーツの「トカゲ龍」を龍神として信仰する海人族系縄文人であると考えました。

 その時に指摘しなかったのですが、出雲大社の「亀甲紋」「龍鱗紋(りゅうりんもん)」は「トカゲ鱗紋」であることをここで補足説明し、製鉄とともに「トカゲ龍」信仰がヤマタノオロチ王からスサノオ大国主一族に伝わった可能性を検討し、縄文社会の内発的自立的発展の延長上にヤマタノオロチ王をへてスサノオ大国主建国が成立したことを明らかにしたいと思います。

 

1 これまでの「龍蛇」「トカゲ龍」「龍神」信仰の検討経過

 重複で恐縮ですが、これまで「龍蛇」「トカゲ龍」「龍神」信仰について書いてきたことをまとめておきます。

 

資料1 縄文ノート31) 大阪万博の「太陽の塔」「お祭り広場」と縄文 201004→200726→0802

 「縄文に帰れ」「本土が沖縄に復帰するのだ」と主張し、「火炎型縄文土器」を深海のシンボルとしてみていた岡本太郎さんは、海人(あま)族の「龍宮」が「琉球(沖縄)」であり、縄文人のルーツが龍宮であり、海人族の始祖が琉球の始祖のアマミキヨであることを見抜いていたのではないでしょうか?

 

資料2 縄文ノート33 「神籬(ひもろぎ)・神殿・神塔・楼観」考 200731→0825

 水蒸気が天に昇り、山に雨(あめ=あま)となり山に降り、源流となって川から海に注ぎ、大地にしみ込んだ水は「黄泉=夜海」となり海と繋がるという水の循環に人(霊止)の死と再生を重ね、「天神-山神-木神―地(地母)神-水神-海神」信仰が生まれたと考えられます。

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 合わせて、天と地、巨木を繋ぐ雷から雷神信仰が生まれ、地下と川、海を行き来する海蛇・蛇を神使とする蛇(龍蛇)神信仰が生まれたと考えられます。土偶や土器の蛇文様や出雲大社の神使が海蛇であり、大神神社(大美和神社)の神使が蛇であることから見ても、海人族の縄文人スサノオ大国主の建国は繋がっています。

 

資料3 縄文ノート35 蓼科山を神名火山(神那霊山)とする天神信仰  200808→1228

 出雲大社は神使の海蛇を「龍神様」として祭り、神紋の六角紋は通説では亀甲紋とされていますが、正式には海蛇神・龍神信仰の龍鱗紋(りゅうりんもん)であることからみて、海人族の天神信仰は雨をもたらす「龍神信仰」であったとみられます。

 海底を泳ぐ海蛇を神使とする海神信仰、地にもぐり巣を作る蛇を神使とする地神信仰に加えて、天から雨をもたらす龍を神使とする天神信仰として繋がっており、河川の源流域は死者の霊(ひ)が天に登り、降りて来る霊場(ひば=霊那)として信仰対象となっていたと考えられます。このイヤナギ・イヤナミ神話は紀元1世紀のことですが、その起源はさらに古い可能性があります。

 井戸尻考古館では、藤内遺跡出土の「巳を戴く神子」の頭の髪を束ねた形を蛇とみていますが、縄文時代に蛇信仰があったとすると、川の源流域の神那霊山信仰は縄文に遡る可能性がでてきました。

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資料4 縄文ノート36 火焔型土器から「龍紋土器」へ 200903→1231

2.夏王朝龍神信仰

③ 茅野市の「蛇体把手土器」や新潟・長野・福島等の「火焔型土器」の縁飾りからみて、海と大地、天を繋ぐ水神の「龍神信仰」は縄文時代に遡る可能性が高い。

 火焔型土器の4つの把手は、「足があり尻尾を上げてジャンプするトカゲと蛇」を組み合わせて龍とし、波の上を歩くデザインとした「龍紋土器」とみられる。

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④ 黄河流域の夏王朝龍神信仰は、龍の文様の入った玉璋(ぎょくしょう:刀型の儀礼用玉器)のデザインがベトナム→四川→二里頭(黄河流域)とシンプル化していることからみて東南アジア起源で、龍神は背中に突起があるトカゲをモデルにしたものである可能性が高い。

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3.日本の龍神信仰:ミシャクジ神と龍宮(琉球)と鮫(和邇

① ウィキペディアは「龍」について「様々な文化とともに中国から伝来し、元々日本にあった蛇神信仰と融合した」としていますが、海の道を通り、ヒョウタンやウリ、米などとともに、「主語-目的語-動詞」言語のドラヴィダ族が北東アフリカ(アフリカの角と言われるエチオピアあたり)からインドに渡り、さらに西へミャンマーアンダマン諸島を経て、スンダランドへ渡ったドラヴィダ系海人・山人族が1万数千年前頃から何次かに分かれて日本列島へと移動し、龍神信仰を伝えた可能性が高いと考えます。

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② 「蛇」と「龍」は、米などの「5穀名」や「神」などの名詞と同じく、和音・呉音・漢音の3重構造になっており、中国から呉音・漢音が伝わる以前に蛇(へび、み)、龍(たつ)の倭音・倭語があり、続いて紀元前3世紀頃に呉音「ジャ、タ」「リュウ」、さらに委奴国王(筆者説はスサノオ)が後漢卑弥呼(同・大国主筑紫王朝11代目)が魏へ使者を送るようになった紀元1~3世紀頃に漢音「シャ、タ」「リョウ」が伝わった可能性が高いと考えます。

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③ ちなみに、鰐(わに)、鮫(さめ)、蜴(とかげ:蜥蜴)には和音の呼び名しか通用しておらず、中国語との交流が始まる以前から、日本列島に南方から持ち込まれた呼び名の可能性が高いと考えます。

④ 諏訪大社の神長官守矢家の奥の『みさく神境内内社叢』の「みさく神=ミシャクジ神(御左口神)」は、漢音だと「シャ=蛇」であり「御蛇口神」の可能性があり、信仰の対象であった神籬(ひもろぎ:霊洩木)の下に蛇の巣があり、霊(ひ)を運ぶ神使として蛇が信仰されていた可能性があります。縄文土器土偶の「蛇紋様」にみられる蛇信仰が出雲大社の海蛇・龍蛇信仰、大神大社の蛇信仰へ続いているのと同じです。

⑤ また諏訪大社前宮では背後の山の「水眼(すいが)(倭音だとみずのめ:め=芽)と呼ばれる源流を信仰の対象としており、海人族にとっては海にそそぐ川の源流が天と繋がる聖地として考えていたことを示しており、神那霊山信仰と源流信仰(川神信仰)の天神宗教と、海神信仰と天神信仰(水源信仰)、蛇神信仰の統一です。

 

資料5 縄文ノート39 「トカゲ蛇神楽」が示す龍神信仰とヤマタノオロチ王の正体  201020→210109

3.「トカゲ蛇」神楽が伝える「龍神」信仰

④ 須我神社例大祭の動画から『トカゲ蛇』の姿を見ると、角を4本生やし、牙がなく、手足があり、胴体の長い形になっており、出雲大社の神使の「海蛇」が「龍神」信仰に変わるとともに、「龍」を「トカゲ」と考えた出雲の人たちは、ヤマタノオロチを「大蛇」とし、さらに「トカゲ蛇」=「龍神」として神楽にした可能性が考えられます。

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6.諏訪大社の「ミシャグチ」信仰と薙鎌(なぎかま)

 中世まで行われた諏訪上社の冬祭りでは、御室(みむろ)の中に藁、茅、またはハンノキの枝で作られた数体の蛇形、「そそう(祖宗)神」が安置され、翌春まで大祝がそこに参籠し、神長官とともに祭事を行い、諏訪神社の神体は蛇で、神使も同じく蛇であるとされています。

 ここで思い出されるのは、古事記スサノオ6代目(代々襲名)のもとに大国主が訪ね、スセリヒメ(須勢理毘売)に妻問した時、スサノオ大国主を「蛇の室」に寝かせたという神話です。これまで、試練を与えて大国主を試したと解釈されてきましたが、大国主に蛇神の祖先霊信仰を継承させるスサノオ7代目を襲名させる儀式であったことが、諏訪上社の御室の中に蛇形を置いて大祝(おおはふり)が参籠する儀式から裏付けられます。

 なお、オロチの国の支配と石上布都魂神社の祭祀を物部一族に任せたことからみて、物部氏スサノオ一族であり、諏訪上社の大祝の守屋氏(物部氏)もまたスサノオ一族として、蛇を神体として祀ったと考えられます。

 水の神・風の神とされる諏訪明神は巨大な蛇・龍として長野県や群馬県に伝わり、「神無月に神々が出雲に集ったとき、諏訪明神が龍(蛇)の姿で現れたが、体があまりにも大きすぎて集いの邪魔になったので明神は出雲に行かなくなった」「出雲には龍神の頭だけが現れ、体はいくつもの国にまたがり、尾は諏訪湖の高木(尾掛松)に掛かっていたといい、そこから大和(おわ、諏訪市)と高木(下諏訪町)の地名が生まれた」という伝承なども伝わっています。

 また、『日本書紀』の持統天皇記には「使者を遣わして、龍田風神、信濃須波水内(みのち)等の神を祭らしむ」とあり、諏訪と水内郡(長野県北部)の神は朝廷に風の神・水の神として崇敬されていました。諏訪地方には古くから、暴風を鎮めるために諏訪明神御神体・御神幣とされる薙鎌(なぎかま)を竿の先に結びつけて風の方向に立て、あるいは神木、神輿、建物に打ち付ける習慣があるとされています。その形は「蛇(龍)または鳥にも見える」とウィキペディアは解説していますが、尻尾が上がり、背中にギザギザがある形は蛇ではなく、すでにみたように「トカゲ蛇」型の龍神であり、火焔型縄文土器の把手の形に起源がある可能性があります。

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資料6 縄文ノート98 女神調査報告2 北方御社宮司社・有賀千鹿頭神社・下浜御社宮司神社 210924

① これまでの「ミシャグジ」説は次のとおりであり、私は縄文時代からの地母神・性器信仰と天神信仰(神名火山(神那霊山・神籬(霊洩木)・水神・龍蛇神信仰)・農業神信仰が習合されたと考えています。

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2 出雲大社などの「亀甲紋」は「トカゲ龍紋」

 亀甲紋は熊野大社出雲大社などの神紋とされています。主な神社は次表のとおりです。

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 亀甲紋のいわれとしては、海神信仰の海亀に結び付ける説や中国起源の亀卜(きぼく)に結び付ける説がみられますが、ウミガメやニホンイシガメの楕円形の甲羅の形や甲羅の模様からみてみても成立しません。特に、後者は古くは対馬国壱岐国伊豆国の卜部(うらべ)氏が行ったニホンジカの肩甲骨を使った太占(ふとまに)であったことが魏書東夷伝倭人条の「骨を灼きて卜し」からみて明らかであり、成立しません。

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 前者の海亀に結び付ける説は「龍宮」伝説から成立しそうですが、出雲大社がセグロウミヘビを神使の「龍蛇神」としていることや「龍鱗紋」説とは合いません。また、写真のような猛毒を持つセグロウミヘビの四角に近い鱗模様とも異なります。

 出雲神楽で「トカゲ龍」とされていることからみると、亀甲紋の形は次の写真に明らかなように「ニホントカゲ」の鱗の形と考えます。

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3 ヤマタノオロチはなぜ「八岐大蛇」なのか?

 八俣遠呂智ヤマタノオロチ古事記)を日本書紀が「八岐大蛇」と書き換え、出雲神楽でヤマタノオロチ王を「トカゲ蛇」としていることから、ヤマタノオロチ王もまた東南アジアルーツの「トカゲ龍」を龍神として信仰する一族であると私は考えました。

 「ヤマタノオロチ」名については「地名+名前」(どこどこの誰々)あるいは「属性+名前」(〇〇族の誰々)(〇〇屋の誰々)の命名が多いことからみて、「ヤマタ」地名由来か、「ヤマタ」族由来の名前の可能性が高いと考えます。

 それらの説は次のようになります。

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 「オロチ」名については、「縄文ノート39 『トカゲ蛇神楽』が示す龍神信仰とヤマタノオロチ王の正体」で書いたように、「オロチに『遠呂智』と『遠い国の呂(呂尚:周の建国を支えた軍師で後の斉国王。太公望として有名)のような智者』をイメージさせる漢字を当てていることです。よく使われている万葉仮名なら「意路知」、オロチの尾からでた大刀のイメージなら「尾漏血」などになるでしょう」と書いたように、敬意のこもった漢字を充てており、オロチが王者であることを秘かに伝えていると考えます。

 「オロチ」の意味は「あいういう」5母音から「おろち=おるて=伏して手を深くまげて祖先霊を拝む」王名なども考えられます。吉備に龍神・龍蛇神・トカゲ龍神信仰や「ヤマタ」「オロチ王」の伝承のカケラがどこかに残っていないでしょうか。

 

4 古事記からの「ヤマタノオロチ」分析へ

 津田左右吉氏の記紀神話否定の影響から、日本の歴史学・考古学には記紀神話を無視する「戦後70年の停滞」を未だに続けています。

 それは、右派・左派・近代合理主義・進歩主義の誰にとっても記紀神話は都合が悪いからです。

 「大和中心主義」「天孫降臨信仰」の右派にとっては、天皇家の先祖が「薩摩半島南西端の笠沙・阿多の猟師(山幸彦=山人(やまと))」「高天原から九州山地を逃走した地名の繋がり」や、ワカミケヌ(若御毛沼=初代神武天皇)の祖母と母が龍宮(琉球)の出身であるという記紀記述や、高天原が「筑紫日向橘小門阿波岐原」という、現代風に言えば「県・市・町・地区・集落名」まで具体的に書かれているのは実に都合が悪いのです。そこで神話全体は虚偽とし、アマテル始祖神・ニニギ降臨・神武東征神話だけをピックアップする作戦としたのです。

 「天皇制否定」の左派からすれば、「世界を照らすアマテラス神話」は帝国主義侵略戦争の精神的支柱であり、そのようなものは認められないと考え、記紀神話と9代までの天皇の存在を否定するために、スサノオ大国主建国神話なども合わせて「十把一絡げ」「味噌クソ一緒」の神話全面否定になります。

 「物証=考古学だけが信用できる。書証や伝承など後世の創作であり信用できない」と考える「たたもの(唯物)史観の近代合理主義者は、そもそも文学的表現や神話的表現、宗教、人間心理などには何の興味も理解もありませんから、「天上の高天原」や「カグツチの血からの神々の誕生」「死体からの五穀誕生」「百歳を越える天皇年齢」「死んだ大国主やアマテルの復活」など、到底、信じられないというすごく単純・明快な記紀神話全面否定になります。

 「古代人はバカ。だんだんと脳が発達し、情報量が増えた現代人(とりわけ自分)が一番賢い」「暗黒時代から人類は発展してきた」と考え、自然人類学・文化人類学縄文人のデザイン力など認めない「発達史観」の進歩主義者は、ニニギ(笠沙天皇家1代目)への大山津見神の呪いで「今に至るまで、天皇命らの命は長くない」と書きながら、そのすぐ後でホホデミ(同2代目)を「五百八十歳」としている太安万侶などはバカにしか見えないのであり、その古事記など信用できないとします。

 そして、「みんなで渡れば怖くない」と記紀を全面否定しながら、中には「箸墓はアマテラス=卑弥呼の墓」などと記紀神話をほんの一部だけを「つまみ食い」して恥じないのです。このような「戦後70年間停滞した歴史学」を科学として私は認めるわけにはいきません。

 「大和(おおわ)」を「やまと」と読むと習って納得できず、「石器―青銅器―鉄器」時代区分と「旧石器―縄文―弥生―古墳」時代区分の関係を説明しない教師に「日本には鉄器時代はないんかい」と疑問に思った小学生(妻に聞いてみると、同じ疑問を持ったと言います)の時から、歴史学は怪しいと考えてきましたが、刑事事件の「自白調書分析」の真偽判断のように「古事記日本書紀」の記述の1つ1つの真偽を分析することは可能と考え、記紀神話などから真実の歴史の復元に取り組んできました。

 そして、太安万侶天武天皇の忠実な部下でありながら「真実の歴史を神話的表現で巧妙にアレンジして後世に残す」という困難な作業をこなした誠実で優秀な歴史家であり、私は「史聖」「日本の司馬遷」として尊敬し、彼の残した古事記から古代史を復元したいと考えています。

 「ヤマタノオロチ」は「大蛇」とされ、出雲に来て娘を次々と食う凶暴な悪役でスサノオに殺されたとされていますが、その「都牟刈(つむがり)乃大刀」は「三種の神器」の1つとして、美和(三輪)の大物主一族から天皇家に受け継がれ(「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)・草薙剣(くさなぎのつるぎ)」へと大刀から剣へと変更)、皇位継承の武力の象徴とされてきたのです。

 そして「トカゲ龍」としてオロチ王が出雲神楽で演じられている以上、オロチ王の神紋は「トカゲ龍鱗紋」であり、「都牟刈(つむがり)乃大刀」とともにスサノオ一族に引き継がれ、出雲族の神紋とされてきたことが明らかです。

 スサノオ大国主一族に先立って出雲を支配した「ヤマタノオロチ王」は吉備の製鉄王であったと私は考えていますが、いったい何者なのか、その謎に迫ってみませんか?

 

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□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/