ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート15 自然崇拝、アニミズム、マナイズム、霊(ひ)信仰

  江戸時代の「日向・日南(ひな)」の屋号から、本家なので「ひなもと=日本」を明治になって役場に届けたところ「雛元」に勝手に変えられたというのが私の名字ですが、仕事で行った青森県東北町で「日本中央」(坂上田村麻呂伝承:袖中抄)の石碑に出合い、「日(ひな)」の解明から古代史に取り組んできました。
 そこで「日」を「ひな」と読む地名・人名を調べるうちに、大国主に国譲りさせた「穂日」の子の「武日照(たけひなてる)=天夷鳥=天日名鳥」が高天原のあった「筑紫日向」の生まれであり、旧甘木市には「蜷城(ひなしろ)」があることに気づきました。邪馬台国への行程や現地に残る多くの地名などから、甘木高台=高天原邪馬台国の王都であり、卑弥呼は筑紫大国主・鳥耳王朝の11代目という結論にたどり着きました。
 そして、「日向・日南・日名(ひな)」などの地名が太陽が当たる場所とは言えないところにあることなどから、「ひな=霊那(霊の国・場所)」と考えるようになり、土器(縄文)時代は「日(太陽)信仰」か、「霊(ひ)信仰」かの解明に進みました。
 この小論は2019年1月に縄文社会研究会で発表したものに加筆修正したものです。他で書いたものと重複が多くて恐縮ですが、宗教論としてまとめています。雛元昌弘

はじめに

 日本人は外国で「あなたの宗教はなに?」「貴国の宗教はなに?」と聞かれるとちゃんと答えれられるのであろうか? 
 「仏教といっても葬式しか付き合いはないし、教義なんて知らないなあ」「お宮には正月や七五三などで行くけど、誰を祀っているかなんて意識していないよね」「祭りにはいくけど、宗教と意識してはいないね」「お墓詣りはするけど、宗教といえるのかなあ」「自然崇拝ときいたことがあるけど、朝日や山を拝んだりする習慣はないよね」「祖父母の家には仏壇と神棚があるけど、引き取れと言われたらどうしょう」「神様と仏様の違いなんて考えたことはない」「死後の世界なんてあるの?」「無宗教じゃあない」というような答えが多くの人から返ってきそうです。
 一神教の人たちは「日本人は未開人・野蛮人」と思うに違いありません。せめて歴史がどうだったのか、考えてみたいと思います。

1.多神教の整理

 多部族・多民族社会から、部族・民族を統一した古代国家が生まれると、エジプトの太陽信仰や、ユダヤ人やアラブ人などの部族統一を進め、他民族を殺戮して国を奪うことを神の命令として正当化する優生思想の「唯一絶対神」信仰が生まれました。
 これに対して、世界中に元からある多神教には次のようなものが見られます。 
① 自然信仰:太陽、山、海、雷などの自然そのものを崇拝する。
② アニミズム(精霊信仰):自然や動物などに宿る精霊を信仰する。
③ マナイズム(聖力信仰):自然や人にとりつくマナ(精なる力)を信仰する。
④ 霊(ひ)信仰:祖先霊(霊(ひ)=魂=鬼を信仰する。
自然信仰は自然の恵みに感謝し、日照りや災害など自然の脅威を恐れて祈る宗教であり、アニミズムやマナイムズは自然そのものではなく、自然に宿る精霊や聖力を信仰し、霊(ひ)信仰は人間に受け継がれる霊(ひ:祖先霊)を信仰するもので、子孫に祀られない霊は「怨霊」となり迫害者に祟るという宗教です。

2.日本の神道民間信仰は何を信仰しているか

(1) 霊(ひ)と魂

 古事記序文は「乾坤初めて別れて、参神造化の首となり、陰陽ここに開けて、二霊群品の祖となりき」と冒頭に記し、本文では、天地が開けた時の始祖神を「天御中主」「タカミムスヒ(古事記:高御産巣日、日本書紀:高皇産霊)」「カミムスヒ(同:神産巣日、同:神皇産霊)」ら5神としています。このカミムスヒは大国主を助け、大国主の国づくりに協力したスクナヒコナ(少彦名)の親としていますから、スサノオやアマテル、大物主などとと同様に、代々、襲名していたと考えられます。
 この「二霊(ひ)」は「ムスヒ=産霊=霊を産む神」であり、「霊(ひ)」を生む始祖神とした神話です。この2神は「群品の祖」というのですから、「産霊(むすひ)」によって産まれた「人・彦・姫・聖・卑弥呼・水蛭子」などは「霊人・霊子・霊女・霊知・霊御子、霊留子」であり、「日継(ひつぎ)」は「霊継」「火継」=「棺・柩」になります。

 

       神社のしめ縄、縄文式土器の縄目は「男女の産霊(むすひ、むすび)」?

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 大国主の住居である出雲大社本殿の正面に「天御中主」「タカミムスヒ」「カミムスヒ」ら別天神5神が祀られていることからみて、古事記スサノオ大国主一族の祖先をこの国の始祖神と、しているのです。一方、日本書紀は始祖神を「国常立(くにのとこたち)」「国狭槌(くにのさつち)」「豊(とよくむぬ)」の3神としており、
 吉田金彦元大阪外大教授によれば「科野(信濃)」=「品野」=「ひな野」であり(「7=しち:ひち」など)、品=霊那であり、霊(ひ)の留まる那(場所)を表しています。
 これらの古事記の記述からみて、この国は霊(ひ)を代々受け継ぐという、霊(ひ)信仰=霊継宗教=祖先霊信仰の国でした。
 霊(ひ)は魂(たま)とも呼ばれ、古事記ではスサノオ神大市比売の第2子の「ウカノミタマ(宇迦之御魂)」(稲荷神)、第1子の大年の長子の「オオクニタマ(大國御魂)」の名前に見られ、さらにニニギの天下りにあたって、アマテラスの鏡を「我が御魂として、我が前で拜(おがむ)むように、拜み奉れ」と書いていることからみて、魂(たま)=霊を示し、勾玉や鏡に宿ると考えていました。卑弥呼は鬼(祖先霊)を祀る鬼道の「霊御子=霊巫女」でした。
 このように、紀元1~3世紀には、霊(ひ)=魂は祖先霊でした。物の精霊、あるいは物や人にとりつくマナ(聖力)ではありません。

(2) 性器信仰と土鈴

 縄文人の霊(ひ)信仰を伺わせるものは、石棒を真ん中に立てた円形石組立棒遺跡、住居内の石棒、妊婦土偶、土鈴があります。
 石棒を立てた円形石組については、日時計説が見られますが、その根拠としてあげられているのはイギリスのストーンヘンジです。ところが、近年、ストーンヘンジは王の集団墓地であり、そこに続くアベニュー(直線の道:夏至の日の出の方向を示している)は自然にできた地形であることが証明されており、ストーンヘンジが太陽信仰の日時計遺跡説であるという説は否定されています。
 男根を形作った石棒が多いことからみても、日時計説は成立しません。詳しくは「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(『季刊 日本主義』31号)に書きました。

     大湯環状列石と円形石組・立棒(秋田県鹿角市

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 全国各地の縄文遺跡で見つかっている男根形状の石棒は普段は住居内に置かれていたことが明らかとなっており、葬儀あるいは祭りの際に屋外に出され、大地に突き立てられた可能性が高く、人は植物と同じように大地に帰り、蘇るという地母神(地神)信仰のシンボルであり、多産と豊穣を祈ったものと考えられます。その男根(金精)信仰は現代に続いています。

 

         金精神社の金精様(岡山県高梁市成羽町

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  土で作られた妊婦土偶は、祖先の霊(ひ)を受け継ぐ安産のお守りとして妊婦が持ち、胎内の子に移って無事に出産したのちは霊(ひ)の抜け殻であり、壊されて大地に帰されたと考えられます。

 

      妊娠表現のある壊された土偶茅野市尖石考古館)

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  また、土で作った土鈴は、その後の銅鐸や、神社の鈴、仏壇の鉦、お寺の鐘などに引き継がれ、いずれも死者の霊(ひ)に合図を送り、呼び起こす神器であったと考えられます。子どもの頃、仏壇で鉦を叩いてご先祖の霊に合図を送り、お供えをするようにと教えられたものです。
 このように、縄文の石棒を立てた円形石組みや男根形状の石棒、妊婦土偶、土鈴などは、いずれも霊(ひ)信仰が縄文時代に遡ることを示しています。

(3) 地神(地母神)信仰・海神信仰から天神信仰

 出雲の揖屋(いや)の地に葬られたイヤナミをイザナミが訪ねる古事記神話は、死者の黄泉の国が地中にあるという地神(地母神)宗教を示しています。これに対して、出雲大社は神使を海蛇(龍神様)としており、死者は海(龍宮)に帰り、黄泉帰るという海人族の海神信仰を示しています。

 

           出雲大社の神使の海蛇(龍神様)

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  一方、大国主は自らの住居(すまい)を「天の御巣(みす)」として48mも高く聳えさせ、この頃から出雲には小高い丘の上に四隅突出型方墳が現れ、その上で埋葬儀式と霊(ひ)継ぎの王位継承儀式が行われた痕跡があることから、死者の霊(ひ)は天に昇るという天神信仰が開始されたと考えられます。

 

        出雲市の小高い丘の上の西谷3号墳の上での祭祀

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 地神(地母神)信仰が縄文時代に遡ることは石棒や円形石組み立石遺跡や妊婦土偶から裏付けられ、海人族の海神信仰もまた土器(縄文)時代に遡る可能性があることは、出雲大社の神使が海蛇(龍神様)であることから裏付けられます。時代は下がりますが、山幸彦の龍宮訪問神話や雛流しや精霊流しからも海人族の海神信仰が浮かび上がります。
 これに対して天神信仰スサノオ大国主一族が百余国を米鉄交易と妻問夫招婚で統一する過程で、中国の魂魄思想(魂と死体の分離)の影響を受けるとともに、大国主の百余国の180人の御子たちを霊継によって統一し、世襲制を確立するために新たに始めたと考えます。

(4) 「血」からの再生

 紀元前から甕棺や木棺、石棺を丹(水銀朱、ベンガラ)で赤く染めるようになったのは、母なる大地の子宮の血の中で遺体が再生すると考えていたことを示しています。

 

   吉野ヶ里遺跡の甕棺        黒塚古墳石室レプリカ(天理市:4世紀)

 (佐賀県吉野ヶ里町:紀元前4世紀~) 

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  播磨国風土記の讃容(さよう)郡の「(大神の)妹玉津日女命、生ける鹿を捕って臥せ、その腹を割いて、稲をその血に種いた。よりて、一夜の間に苗が生えたので、取って植えさせた」、賀毛郡雲潤(うるみ)里の「大水神・・・『吾は宍の血を以て佃(田を作る)る。故、河の水を欲しない』と辞して言った」の記述を見ると、2世紀の大国主以前には鹿や猪の血によって稲作(おそらく陸稲であろう)を行う信仰があったと考えられます。
 甕棺などを丹で染めるのと同じように鹿や猪の血で稲を育てるという考えは、大地を母と考え、その血の中で人や稲が再生するという地神(地母神)宗教を示しています。詳しくは調べていませんが、中国・朝鮮やエジプトなどでは墓室・石棺内を赤で染めるというのはないのではないでしょうか。

(5) 神名備山、磐座、高御座(高御位)

 死者の霊(ひ)が天に昇り、降りてくる昇天降地の場所が神名備山、磐座(いわくら)、高御座(たかみくら)であり、後に、神社の山祭り(出雲大社青葉山播磨国総社の一つ山・三つ山神事、山車)に引き継がれます。

 

     大国主・少彦名の建国伝承が伝わる高砂市の高御位山(高砂市

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 「神奈備山(神名備・神南備・神奈火・神名樋山)」の「ひ、び」は、「備、火、樋」ではなく「霊(ひ)」が宿る「神那霊山」であり、出雲国風土記に登場し、古事記垂仁天皇条ではでは出雲大社の前に青葉山が飾られたことが記され、その継承と見られる「一つ山・三つ山神事」(60年、20年ごと)は、大国主命を祀る播磨国一宮の伊和神社から、射楯神(五十猛=イソタケルスサノオの子)と兵主神大国主)を祀る播磨国総社に引き継がれています。

 

         播磨国総社の「一つ山・三つ山神事」 

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  天皇家皇位継承儀式は太極殿に設けられた「高御座(たかみくら)」で行われますが、播磨富士と呼ばれる兵庫県高砂市の高御位山には大国主・少彦名の建国の伝承が残っています。古事記には、少彦名の死後、海を光らせて大物主が現れ、御諸山(美和山)に祀ることを条件に、大国主に協力して国造りを進めたと書かれていますが、太陽を受けて海が光輝く場所で、大国主の建国伝承が残っている場所としては、瀬戸内海北岸のこの地しかありません。
 各地の「お山神事」や「山・山車・屋台」に祖先霊を載せ、御旅所から天に送り、パワーアップして迎え、各神社から各家に運ぶ宗教儀式は現代に引き継がれています。さらに仏教導入と火葬の普及により、縄文の地神信仰は天神信仰に転換したと考えられます。
 海神信仰については、海辺・川辺の地域では、ひな送り・ひな流し(雛祭りの原型)、精霊流しの祭りとして、今に引き継がれています。
 「地神信仰」「海神信仰」や「お山信仰」について、大地や山や海などの自然信仰とし、あるいは山や海、川の精霊信仰とする宗教論がみられますが、以上見たように、霊(ひ)信仰であることは古代から現代まで変わりません。

(6) 神使の動物たち

 死者の霊は神使である白鳥や白鷺、烏などによって天に運ばれ、あるいは海蛇、蛇、狼、狐、猿、鹿、兎、鶏、烏、白鷺、オコジョなどによって神那霊山の磐座に運ばれて天に昇り、降地した霊は再び神使によって麓の神社や集落に運ばれます。

 

 今城塚古墳(6世紀前半:大阪府高槻市)の大王の霊(ひ)を運ぶ水鳥の埴輪列

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 海蛇(出雲大社)、蛇(宗像大社大神神社)、狼(三峰神社)、狐(稲荷大社)、猿(日枝大社)、鹿(厳島神社春日大社)、兎(住吉大社)、鶏(伊勢神宮石上神宮)、烏(熊野大社)、白鷺(大山祇神社)、オコジョ(武尊神社:片品村)などは神社に祀られ、神の一族とされています。
 人間とチンパンジーで96%、人間と猫で90%のDNAが一致していることからみても、DNAでみると動物の違いは連続的であり、両者に絶対的な差をはないのです。また人のDNAは99.9%一致しており、民族の違いなどほんの少しであり、全ての死者は神となる「八百万神信仰」はDNA分析のなのです。
 信仰心を持たない人や民族、動物などは天国には行けないとする一神教とは大違いであり、「世界を照らすアマテラス太陽神」というオカルト神道依然の日本の本来の出雲神道、「八百万神神道」こそ評価されるべきと考えます。

(7) 御柱、神籬(ひもろぎ)、幣帛(へいはく:みてぐら、ぬさ=麻)、御幣、イナウ(アイヌ

 死者の霊(ひ)が天に昇り、降りてくるという昇天降地の宗教では、御旅所である「お山」が重要な役割を果たしますが、山に昇り、降りてくるという葬儀などのイベント的な行事から、同族の結束を固めるために、より日常的な信仰の場として、「山から里へ」と信仰の場を移すようになりました。
 そして、共同の祭祀の場として神社を設けるとともに、霊(ひ)が宿る依り代として、御柱や神籬(霊(ひ)漏ろ木)、さらには小型化した幣帛(へいはく、みてぐら、ぬさ=麻)、御幣、イナウ(アイヌ)などを、祭祀の道具として使うようになりました。なお、私は幣帛・御幣とイナウは、御柱や神籬(ひもろぎ)のミニチュア説とともに、その形状(陰毛らしきものが垂れている)からみて、大地に突き立てる石棒(男根)を受け継いだものではないか、という仮説も考えていますが、今後の検討課題です。
 
    宗像大社の神籬(ひもろぎ)と4段の四角い磐境(いわさか)

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    幣帛(へいはく)、御幣(ごへい)、イナウ(アイヌ

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 古事記ではイヤナギ・イヤナミが天一柱の周りを回り、国々や人々を生んだとしていますが、壱岐のまたの名が「天一柱(原文:天比登都柱)」であることをみても、御柱は宗教的に重要な役割を持っていることが明らかです。このような婚姻儀式は、御柱に祖先霊を迎え、その周りを男女が回ることにより、祖先霊に霊(ひ)を受け継ぐ儀式であり、霊(ひ)信仰が紀元1世紀のイヤナギ・イヤナミ・スサノオ時代には行われていたと考えられます。
 このような柱を回る婚姻儀式が縄文時代にまで遡るのかどうかですが、御柱、神籬(ひもろぎ)、幣帛(へいはく)、御幣、イナウは、木そのものの信仰や木の精霊信仰でも、木にマナ(聖力)が宿っているとする信仰でもないことは明らかです。

 

      広峯神社姫路市)の御柱祭御柱を立てる場所
     ―スサノオ・五十猛(イタケル)を祀る牛頭天王総本宮

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 なお、私は心柱を中心に周りに8本の柱を置いた古代の48mの出雲大社は、回り階段で心柱を周って頂上の祭殿に登る「天一柱」「御柱」「神籬(ひもろぎ)」を受け継いだ神塔であり、それはそのまま、中国の高楼型ではない独特の建築形式の心柱をもうけた仏塔に引き継がれたと考えています。―200208Goo 「『古代出雲大社』は外階段か内階段(廻り階段・スロープ)か?」参照
 靑森市の三内丸山遺跡茅野市の中ツ原(なかっぱら)遺跡、金沢のチカモリ遺跡、能登真脇遺跡などに見られる縄文時代の柱跡については、「神籬(ひもろぎ)説」「見張り台説」「神殿説」が見られ、私は「神塔説」ですが、「天一柱」「神籬」「御柱」と出雲大社、仏塔との関係についてはさらに検討したいと考えています。

 

三内丸山遺跡の巨木柱跡(青森市:見張り台説)  中ツ原遺跡の8本の柱(茅野市

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 いずれにしても、これらは単に木を信仰する自然崇拝やアニミズム・マナイズムではないことだけは明白です。

(8) 火信仰

 霊(ひ)は火によって運ばれるとされ、「送り火・迎え火」として仏教儀式に引き継がれています。仏教では死者の霊はあの世に行ったきりの一方通行であるにも関わらず、盆暮れや祭の時に祖先霊があの世から帰ってくるというのは、霊(ひ)信仰の神道の継承であることが明らかです。また、死者の霊が火の玉となって現れるというのも、火=霊(ひ)とする宗教思想を示しています。
 古事記には、櫛八玉神が熢臼(ひきりうす)と熢杵(ひきりきね)を作り、大国主が火を熢(き)って料理する場面が登場し、この熢臼と熢杵はスサノオを祀る出雲国一之宮の熊野大社(「日本火出初之社」)に保管され、出雲国造はこの熢臼と熢杵を使い、神火を継承する鑽火祭(きりびまつり)を現在に伝えています。「霊(ひ)継ぎ」=「火継ぎ」であり、天皇家はこれを継承して「日継ぎ」としています。
 この火起こしは縄文時代に遡り、石川県能登町真脇遺跡で、火おこしに使われたとみられる約3300年前の「火きり臼(うす)」が見つかっています。

 

     真脇遺跡の火きり臼(2018年5月9日朝日新聞デジタルより)

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  スサノオの神霊を姫路の広峯神社から移した京都の八坂神社では、大晦日の深夜に熢臼と熢杵で火を熢(き)りだして灯籠にともし、参拝者は縄にこの「をけら火」を移してぐるぐると回しながら帰り、神棚の灯明に灯し、雑煮を炊く火種に用いて新年を祝うという「をけら参り」を行います。これは祖先の霊(ひ)が乗り移った火で料理して食物を食べて霊(ひ)を受け継ぐという儀式であり、この神との共飲共食(直会:なおらい)の霊(ひ)信仰もまた、現代に続いています。
 子どもの頃、播磨の田舎で1月14日に体験していた「どんど焼き」の火祭りは全国各地で「左義長」「歳(さい)の神焼き」とも呼ばれ、歳神を迎えた正月飾りを焼いて年神を送る儀式であり、この火で焼いた餅を食べると病気をしないとされ、これも霊(ひ)信仰を示しています。また、松明行列の火祭りは、夜間に行う宗教行事に集う人々の照明のための松明であり、崇拝の対象として火が扱われているのではなく、祖先霊を祀る神社行事の一環です。
 このように日本の火祭りは、霊(ひ)祭りであって、火を神とする自然信仰、火の精霊をあがめるアニミズムではありません。

(9) 太陽信仰

 「タカミムスヒ」と「カミムスヒ」の「二霊」について、古事記は「高御産巣日・神産巣日」と書いて「日を産む神」とし、日本書紀は「高皇産霊・神皇産霊」と書いて「霊(ひ)を産む神」とし、太陽信仰論は前者を採用し、天岩屋戸神話でアマテルが岩屋に隠れた(死んで岩屋に葬られた)ことにより天地が暗くなったことを取り上げてアマテルを太陽神とみなし、本居宣長にいたっては天照大神を「アマテル」ではなく「アマテラス」と読ませ、「世界を照らす太陽神」に押し上げ、皇国史観大日本帝国のアジア支配の正当化に利用しました。
 戦後になっても、この「アマテラス神話」を皆既日食と重ね合わせる解釈が見られますが、皆既日食は長くても7分あまりであり、人々が集まって宴会を行い、鉄鏡を製作するなど長期に及ぶ記紀の記載とは異なります。この古事記の記載は、縄文時代の巨大火山噴火の降灰による暗がりの伝承を反映したものであり、アマテル=太陽神の根拠にはなりません。このような暗黒場面の伝承は、高天原が九州の「筑紫日向」にあったことを裏付けており、大和高天原=大和邪馬台国説は成立しません。
 また、卑弥呼やアマテルが鏡を頭上に掲げて太陽光を反射させる場面がよく描かれたり再現され、アマテル(天照)と重ねて鏡を太陽信仰のシンボルとする説が見られますが、その根拠は不明です。古事記のアマテルが隠れた(亡くなった)場面では、神々は「五百箇(いほつ)真賢木(まさかき)」の上枝に「八尺(やた)勾玉の五百箇(いほつ)の御統玉(みすまるたま)」、中枝に「八尺(やた)鏡」、下枝に「白と青の幣(ぬさ:絹)」を付けて石屋の前に飾り、天宇受売(あめのうずめ)が裸で石棺の上屋(石屋戸)の上で踊る場面がでてきます。この榊(賢木)は、死者の魂が天に昇る「神籬(ひもろぎ:霊漏ろ木)」であり、上枝に死者の魂が宿る勾玉、中枝に鏡を取り付けたものですから、鏡はエジプトの神や王のように頭上に掲げた太陽のシンボルではありません。前述のように、ニニギの天下りにあたってアマテラスが鏡を「我が御魂として、我が前で拜(おがむ)むように、拜み奉れ」と述べたと書いていることからみても、鏡は魂(たま)=霊が宿る神器であり、女性が継承するものなのです。
 実際、土器や土偶、銅鐸の絵や記紀風土記・魏書東夷伝倭人条には太陽信仰の痕跡は皆無であり、太陽信仰が日常生活に伝わってはいません。
 魏書東夷伝倭人条に「鬼道」と書かれていることからみても、記紀の「産巣日」と「産霊」のどちらが真実を伝えているかといえば、後者の「霊(ひ)信仰」であることが明らかです。
 今も神社正面に置かれた鏡を太陽神のシンボルとするような解釈がみられますが、神=祖先霊を祀る神社では神々の霊(ひ)が宿る神器として、鏡を正面に飾っているのです

   スサノオの八岐大蛇伝説が伝わる雲南市の斐伊神社の祭壇に飾られた鏡
  ―埼玉県大宮市の氷川神社はここからスサノオの霊を分祀したとされるー

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3.霊(ひ) 信仰の現代的意義

 外国人からは、日本人の宗教は「仏教」とみられるか、無文字社会の教義のない、儀礼や祭り、呪術(おまじない)の「自然崇拝、アニミズム(精霊信仰)、マナイズム(聖力信仰)」などの原始宗教の一種の神道としてみられてきました。
 縄文文化・縄文社会論、日本列島文明論、古代国家論を考えるにあたって、アフリカ・ニューギニアアメリカの原住民の宗教をモデルにして当てはめるのは「拝外主義」の学者の伝統的な悪いクセですが、日本の歴史や民俗を無視した「借り物競争」と言わざるをえません。一神教の行き詰まりともいえる宗教戦争の時代にあって、私はスサノオ大国主一族の建国の精神的支柱となった「八百万神」の「霊(ひ)信仰」について、その解明は次のような宗教の共通価値について、世界に提案できる内容を持っていると考えます。
 今後、「『日本中央部土器(縄文)文化』の世界遺産登録」、「出雲大社を中心とする『八百万神信仰』の世界遺産登録」などを展開するにあたっては、重要なテーマと考えます。

① 霊(ひ)=DNAの継承を重視する生命尊重の「命のリレー」「霊継」の宗教であり、現代科学と合致し、あらゆる宗教の共通価値を示している。
② 「死ねば誰もが神となる」という「八百万神」の多神教は、選民思想・優生思想とは無縁であり、人命尊重・非戦・被差別の宗教である。
③ 霊(ひ)を産む神として女性を崇拝する宗教である。性交を「受け霊(ひ)」という女性側の発想である。
④ 禁欲を求めるユダヤ教キリスト教とは異なり、性器を信仰し、「産霊(むすひ=むすび)」を神聖なものとみなし謳歌する宗教である。
⑤ 霊(ひ)を運ぶ動物たちを神使とする生類愛の宗教である。