ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート137 『サピエンス全史』批判その4 嘘話(フェイク)進化説

 私は「『サピエンス全史』批判その1」でユヴァル・ノア・ハラリ氏の『サピエンス全史』について、「伝説やユダヤ教キリスト教イスラム教、イデオロギー社会主義、人間至上主義)、貨幣信用などを『嘘話(虚構)』と批判し、『嘘話』で形成された集団によって人類が進歩したと勇気ある分析を行い、世界に大きな影響を与えた点は高く評価したいと思います」と述べました。

        

 ただ、「世界に大きな影響を与えた」と書いたのは不正確であり、「嘘話を信じる人たちに大きな影響を与えた」に変更したいと思います。ユダヤ教徒約0.14億人(0.2%)、キリスト教徒約20億人(33.0%)、イスラム教徒約11・9億人(19.6%)の、合計約32億人(53%)のうちの神が世界を作ったと信じる宗教者やイデオロギー集団、金権主義者にはショックだったと思われます。

 しかしながら、その代わりにハラリ氏は歴史家というより、ユダヤ・イデオローグとして「新たな嘘話」を作り上げようとしています(成功してはいませんが)。

             

 イスラエルヘブライ大学歴史学部の終身雇用教授なのですから、「唯一絶対神ユダヤ教キリスト教イスラム教の嘘話が人類を進歩させた」としてカナンの地の征服・支配、殺戮と女・子どもの奴隷化、土地・都市・財宝の略奪をの歴史を述べることから「嘘話進化論」を始めるならともかくも、「第2章 虚構が協力を可能にした」として嘘話がホモ・サピエンスからの人類進化の法則であるとする新たな嘘話を作り上げようとしているのです。 旧約聖書聖典とする世界で5割を占める「ユダヤ教キリスト教イスラム教」の嘘話が、いつ誰によって何のために作り上げられたのか、王や皇帝を首長とする神権帝国主義ヒトラーの「アーリア民族」の嘘話がいつ誰によって何のために作られたのか、そのような人類にとって重要なテーマについての歴史的・具体的な検討・証明を行うことなく、「嘘話が協力を可能にした」と嘘話があたかもホモ・サピエンスの普遍の法則であるかのようにハラリ氏は一般化しています。

 ホモ・サピエンス(「賢い人間」)が他のサピエンスのネアンデルタール人などを「中東から追い払ったばかりか、地球上からも一掃してしまった」という嘘話(何の考古学的証明はなく、ハラリ氏の妄想です)に続いて、それができた理由として、「ホモ・サピエンスだけが『伝説や神話、神々、宗教』を作り上げる認知革命を行った」「現実には存在しないものに語り、信じられる」ようになった、「虚構のおかげで、私たちは集団でそうできるようになった」「神話は、大勢で柔軟に協力するという空前の能力をサピエンスに与える」などとしています。「ユダヤ教」が歴史に果たした役割を述べるべきであるにも関わらす、それをホモ・サピエンスの本性に置き換え、ユダヤ人のカナン征服を免罪化しようとしているのです。

 ハラリ氏はこの主張を証明するために明らかな誤魔化しを行っています。ホモ・サピエンスの話をしているかと思えば、いつの間にかサピエンスとアリやミツバチ、オオカミやチンパンジーとの違いにすり替えて説明しています。ホモ・サピエンスがサピエンスに勝利した理由を述べているかと思えば、サピエンスとアリやミツバチなどとの違いで誤魔化しているのです。

 本人が単に整理能力がないだけなのか、それともずる賢くて意図的に話をすり替えているのか、『サピエンス全史』は注意して読んでいただきたいと思います。

 本の帯に書かれたジャレド・ダイアモンド氏の「歴史と現代社会の最大の問題に取り組んだ書」という評価に釣られて本書を買ってしまい読んだのですが、それこそ大嘘でした。バラク・オバマビル・ゲイツ池上彰堀江貴文氏らは、人類学や考古学・歴史学のイロハも知らないでハラリ氏の嘘話の信者に成り下がったようです。

          

 時代と場所、論点を無視し、無数の事例を羅列して読者を混乱させて「嘘話進化説」に誘導しているのが「ハラリ歴史学」=「ハラハラムリムリ歴史学」の特徴であり、さらに具体的に検証したいと思います。

 なお、何度も繰り返しますが、私はユダヤ人差別・迫害・虐殺には断固反対する立場であり、ハラリ氏の「嘘話進化説」がユダヤ人差別の解消には繋がらないと考えて批判しています。

 

1 5W1Hがない「ハラリ認知革命説」

 「嘘話(伝説・宗教・思想・ブランド・貨幣信用)をつくりだした認知革命」について、歴史家と称してハラリ氏は論じながら、「What:何を」「When:いつ」「Where:どこで」「Who:だれが」「Why:なぜ」「How:どのようにして」の整理・説明が全くできていません。

 研究者の仕事というより、『サピエンス全史』はユダヤ人のイスラエル侵略・建国をあたかもホモ・サピエンス誕生からの人類共通の本性であるかのように錯覚させるための新たな「嘘話」のアジテーションでしかありません。

⑴ What:何を

 そもそも一番肝心の「What:何を」ですが、彼は「嘘話(伝説・宗教・思想・ブランド・貨幣信用)をつくりだした認知革命」の解明を行うのが研究目的であったはずですから、伝説・宗教・思想・ブランド・貨幣信用の1つ1つについて、どのような「認知革命」がおきて社会変革に繋がったのか、整理して系統的に論証すべきでした。ところが、全ての嘘話をまとめていろんな事例をとりとめもなく羅列し、ひっくるめて「嘘話」として論じています。

 例えば「天地が初めて発した時、男女の神が成った」という古事記神話と「神が男の肋骨から女を作った」というユダヤ神話を同列に論じることはできません。後者の嘘話は女を男の付属物とみるというユダヤ民族の神話であり、キリスト教イスラム教へと今にいたるまで女性差別を正当化する果たしています。このような時代も場所も異なる、漁撈農耕民族と狩猟・遊牧民族の別々の神話を、まともな研究者なら「嘘話」として同列に論じることなどありえません。

 またギリシア神話からシュリーマンがトロイ遺跡を発掘し、荒神谷遺跡・加茂岩倉遺跡での大量の青銅器の発見によって出雲神話が8世紀の創作ではないことが明らかになるなど、神話に反映された民族の真実の歴史を具体的に解明することなく、神話や伝説のすべてを嘘話とするハラリ氏はトンデモ歴史家という以外にありません。

             

 聖書から真実の歴史を解明しようする聖書考古学などの多くの研究をハラリ氏は無視しているのであり、反科学主義の観念論者と言わざるをえません。

⑵ Who:だれが

 「Who:だれが」については、伝説や宗教などの嘘話を発明したのがホモ・サピエンスなのか、ホモ・サピエンスが滅ぼしたとハラリ氏が主張する他のサピエンスなのかという、一番肝心の説明すらあいまいです。

 そもそもネアンデルタール人などのサピエンスをホモ・サピエンスが地球上から一掃したというハラリ説は考古学・遺伝子学の裏付けがない嘘話です。

 

 さらに、ハラリ氏は嘘話認知革命をホモ・サピエンスが実現したという証明を行う代わりに、「アリやミツバチも大勢で一緒に働らけるが、彼らのやり方は融通が利かず、近親者としかうまくいかない」というおよそ無関係な例を持ち出しているのです。

 この説明はサピエンスとアリやミツバチの違いを説明しているだけであり、サピエンスの中でホモ・サピエンスだけが嘘話を創ることができ、他のサピエンスを中東から世界各地い追い払い、滅ぼしたという証明は何もしていません。ペテン師という以外にありません。

⑶ When:いつ

 「When:いつ」についての説明は、もっと混乱しています。「社会学の研究からは、嘘話によってまとまっている集団の『自然』な大きさの上限がおよそ150人であることがわかっている」と述べるかと思えば、「近代国家にせよ、中世の協会組織にせよ、古代の都市にせよ、太古の部族にせよ、人間の大規模な協力体制は何であれ、人々の集合的想像の中にのみ存在する共通の神話に根差している」と近代国家から時代を遡らせて「共通の神話=嘘話」が人類を協力させてきた、と主張しています。

 旧石器人のライオン像と自動車メーカー・プジョーのライオンマークをとりあげ、旧石器時代からライオンの嘘話により人々が協力していたなどと錯覚させようとしていますが、旧石器人のライオン立像とプジョーのライオン像のどこに共通した嘘話=神話があるのでしょうか?

 旧・新石器人の宗教を論じるならライオン像ではなく、世界各地で多数発見されている女性像・女神像について論じるべきであり、それが母系制共同社会の信仰の反映である可能性こそまず検討すべきです。―縄文ノート「10 大湯環状列石三内丸山遺跡が示す地母神信仰と霊(ひ)信仰」「32 縄文の『女神信仰』考」「99 女神調査報告3 女神山(蓼科山)と池ノ平御座岩遺跡」「75 世界のビーナス像と女神像」「85 『二足歩行』を始めたのはオスかメス・子ザルか」「86 古代オリンピックギリシア神話が示す地母神信仰」「90 エジプト・メソポタミア・インダス・中国文明の母系制」「92 祖母・母・姉妹の母系制」「126 『レディ・サピエンス』と『女・子ども進化論』」参照

 「ライオンマン」を持ち出す前に、旧・新石器時代は男性社会であって、女神信仰は現実を反映していない「嘘話」であるとハラリ氏は証明することから始めるべきでしょう。

⑷ Where:どこで

 「Where:どこで」も同じです。ホモ・サピエンスが世界を支配する「嘘話能力」を獲得したのは、サルからサピエンス、さらにホモ・サピエンスが生まれたアフリカでのことなのか、ホモ・サピエンスが他のサピエンスを「中東から追い払ったばかりか、地球上からも一掃してしまった」(注:ハラリ氏の単なる妄想ですが)という中東でのことなのか、あるいはネアンデルタール人が住んでいたヨーロッパやデニソワ人が住んでいたロシア・アルタイ地方でのことなのか、具体的な説明も証明もありません。

 

 ハラリ氏の説は、具体的な歴史分析から離れた空論・空想・嘘話という以外にありません。―縄文ノート「64 人類拡散図の検討」「65 旧石器人のルーツ」「81 おっぱいからの森林農耕論」「85 『二足歩行』を始めたのはオスかメス・子ザルか」「87 人類進化図の5つの間違い」「88 子ザルからのヒト進化説」「89 1段階進化論から3段階進化論へ」「107 ドーパミンからの人類進化論―窮乏化進化か快適志向進化か」「111 9万年前の骨製銛からの魚介食文明論」「126 『レディ・サピエンス』と『女・子ども進化論』」参照

⑸ Why:なぜ

 「Why:なぜ」についても同じです。ユダヤ人が作り上げ、キリスト・イスラム教徒が信じる神話や宗教は「旧約聖書」にはっきりと書かれています。

                                   

 羊と山羊の遊牧民が農耕民の豊かな国を奪うために、「ヤハウエ神」が「君の子孫に私はこの地を与える。エジプトの大河からユーフラテスの河まで」と約束したという嘘話をユダヤ人が発明し、男は殺し女・子どもは奴隷にし、泥棒・略奪を行うことができた、とハラリ氏は旧約聖書を例をあげて説明すべきなのです。侵略と略奪、殺人と奴隷化を公認し、奨励するために、「ヤハウエ神」をユダヤ人が発明した、とハラリ氏は具体的に述べるべきでしょう。

 サピエンスの中でホモ・サピエンスだけが嘘話を作り出す必要があったという理由について、アリやミツバチで説明するのではなく、ユダヤ人の「ヤハウエ神」の嘘話がなぜ生まれたのか、ユダヤ人の歴史からハラリ氏は解明すべきです。

⑹ 「How:どのようにして」

 「How:どのようにして」嘘話を作り上げるかについて、ハラリ氏は「カトリックの司祭が『これは私の身体だ!』という意味のラテン語を唱えると、あら不思議―パンはキリストの肉に変わった。司祭がすべての手順を滞りなく熱心に執り行うのを目にした何百、何千万ものフランスの敬虔なカトリック教徒は、聖別されたパンとブドウ酒の中に神が本当に存在しいるかのように振る舞った」という宗教儀式を例にあげ、嘘話の「すべては、物語を語ること、人々を説得してその物語を信じさせることにかかっていた」と説明しています。

 これは一面では真実を言い当てているように思えます。ユダヤ人を殺戮したヒトラーは「嘘を大声で、充分に時間を費やして語れば、人はそれを信じるようになる」と言い、ナチス政権の国民啓蒙・宣伝大臣であったゲッベルスは「嘘も100回言えば真実になる」と同じことを言っています。ハラリ氏はこのヒトラーゲッペルスと同じプロパガンダ・宣伝理論の持ち主のようですが、またまた大きな嘘をついています。

         

 ユダヤ人が侵略したカナンの人々は別の神を信じていたに違いありませんが、ユダヤ人たちはその神々の司祭者・信仰者たちを殺戮し、ヤハウェ神を信じるように強制したのです。ヨーロッパでは母系制社会の女性祭祀者をキリスト教の牧師たちは「魔女」として焼き殺し尽くしたのです。「魔女の宅急便」のキキや黒猫ジジ、「ハリー・ポッター」の魔法使いたちは全て抹殺されたのです。

                             

 トランプ元大統領やプーチン大統領のように「フェイクだ」と大声て決めつける前に、ハラリ氏は歴史学者として神話や伝承が真実の歴史の反映か、単なる嘘話か、1つ1つ整理すべきでしょう。

 ハラリ氏の「嘘話進歩史観」の歴史学社会心理学のレベルを疑います。

 

2 嘘話が先か、共同利益が先か?

 ハラリ氏は「認知革命の結果、ホモ・サピエンスは嘘話の助けを得て、より大きく安定した集団を形成した。・・・社会学の研究からは、嘘話によってまとまっている集団の『自然な』大きさの上限がおよそ150人であることがわかっている」「今日でさえ人間の組織の規模には、150人というこの魔法の数字がおおよその限度として当てはまる」と述べながら、どう混乱しているのか、そのすぐ後では「膨大な数の見知らぬ人どうしも、共通の神話を信じることによって、首尾よく協力できるのだ」「人間の大規模な協力体制は何であれ、人々の集合的想像の中にのみ存在する共通の神話に根差している」と述べて何万もの住民から成る都市や、何億もの民を支配する帝国が神話という嘘話で可能となったと述べています。

 ハラリ氏は論理的に整理して書くことができないタイプのようで、彼のバラバラ事件とも言える主張を整理するのは大変ですが、「150人までの集団をまとめる嘘話」と「何万・何億人をまとめる嘘話=神話」が同じなのか違うのか、どこがどう違うのか、きちんと分析できていません。

 もし私が「嘘話論」を書くなら、旧石器、新石器、古代、中世、近世、近代、現代などの各時代ごとに、地域特性に応じて、社会、産業、宗教、国家、軍事などの集団ごとに嘘話がどう形成されてきたか、2次元・3次元の一覧表を作って分析します。ハラリ氏の作業は混乱を極め、時代・地域・集団を無視してチャランポランに事例を並べたてています。

 日本では1970年頃に吉本隆明氏の『共同幻想論』が流行りましたが、ウィキペディアは「当時の国家論は、集団生活を成立させる機能として国家を作ったという社会契約説や、国家とはブルジョワジーが自分の既得権益を守るために作った暴力装置であるというレーニン的な国家論が一般的であった。つまり、国家とはルール体系であり、機能性を重視したシステムなのである。しかし、吉本は、国家とは共同の幻想であると説く。人間は、詩や文学を創るように、国家と言うフィクションを空想し、創造したのである」と要約しており、ハラリ氏の「嘘話」説と同じ主意主義説ですが、国家論に収束するように国家共同幻想=嘘話を論じている点はまだ整理されています。

                                      

 ところが、ハラリ氏の嘘話論は、もっとも身近で現実的な問題として、ユダヤ人の民族形成や「ヤハウェ神」の発明、カナン征服、アラブ人の土地を奪った第2次世界大戦後のイスラエル国家建設などの分析をまず行うのではなく、ホモ・サピエンスの歴史から嘘話論を作り上げようとしているのです。それはすでにみたように、アリやサルとサピエンスの違いで嘘話を説明しているかと思えば、旧石器人のライオン像とプジョーのライオンマークと同じ「嘘話」の例として思わせぶりに書いたり、カトリック司教の呪文によってパンとブドウ酒の中に神がいると信じるという例をあげ、さらにはホモ・サピエンスが他のサピエンスを絶滅させたという現在は否定されている説を持ち出し、それを可能にしたのがホモ・サピエンスだけが嘘話を作ることができたかのように書くなど、要するに支離滅裂でまともな論証とは程遠いものです。

 賢いホモ・サピエンスが他のサピエンスを絶滅させたとしてますが、すでに見たように両者は長い間、共存し、現代人のDNAにネアンデルタール人のDNAが含まれることが明らかとなっており、「嘘話」による集団的戦闘力の差でホモ・サピエンスネアンデルタール人を絶滅させた証拠などどこにもありません。

 前に書きましたが、異種類のサルの集団が助け合う例やゴリラやチンパンジーの群れが棲み分けを行っている例、東南アジアの少数民族が住み分けを行っている例などの文化人類学をハラリ氏は無視しています。他のサピエンスが死滅し、ホモ・サピエンスだけが生きのこることができたのは、突然変異によって疫病への免疫力を獲得することができたからであるという説を私は支持します。

 ユダヤ人の例に戻りましょう。アララト山あたりにいた貧しい羊・山羊飼いの遊牧民ユダヤ人がカナンの地を征服したのは、ヤハウェ神が「君の子孫にわたしはこの地を与える」と言ったという嘘話を信じたからなのか、それとも「乳と蜜の流れる場所」である豊かなカナンの地を奪い、男は殺し食料と女、財宝と都市を奪いたかったユダヤ人の野蛮で貪欲な欲望からなのか、どちらが先なのでしょうか?

                  

 農耕民に放牧地を奪われ、あるいは寒冷化・乾燥化により牧草地を失い、放牧民が農耕民の国へ侵略を繰り返してきたことは中国の2000年の歴史を見れば明らかですが、旧約聖書アブラハムの放牧の跡をたどると、都市住民に乳と肉と羊毛を提供し、小麦や鉄製品などを交易して移動していたことが明らかであり、豊かな農耕・交易民のカナンの地は小国家が分立して軍事力が弱く、その隙を突いてユダヤ人たちはその土地・都市・財宝・女が欲しくて征服と殺戮を行ったのであり、それを正当化するために「ヤハウェ神」を発明し、キリスト教徒は神を「ゴッド・キリスト・精霊」に、イスラム教徒は「アッラー」に置き換えたのです。

 私は「汝の敵を愛せよ」とユダヤ教を否定したキリストは偉大な思想家と考えますが、その弟子たちはユダヤ教に先祖帰りして、帝国主義の世界征服の手先に成り下がってしまったようです。

 古くからの哲学の命題である、存在より思考・精神を優先する唯心論(意識が存在を決定する)・主意主義(われ思うがゆえに我あり)・観念論(精神論)と唯物論(存在が意識を規定する)の論争に立ち返ってみるとわかりやすいのですが、ハラリ氏の嘘話論は主意主義のい変形(われら嘘を信じるがゆえにわれらあり)なのです。

 「ユダヤ人のカナン征服」「アラブ人の地を奪ったイスラエル建国」さらには「ユダヤ金融資本のグローバリズム」というユダヤ人の欲望・野望を隠し、ハラリ氏は「嘘話が人々を団結させた」「嘘話を作ったホモ・サピエンスが他のサピエンスを絶滅させた」「嘘話が人類を進化させた」として、その行為が人類普遍の原理であるかのようにみなす「嘘話進化論」を作り上げたのです。

 人々が共同するようになったのは「共同生活・活動が先か、嘘話が先か」ですが、日本の縄文時代(土器鍋時代:新石器時代)でみると、例えば6000~5500年前の諏訪の阿久・阿久尻遺跡のストーンサークルや神名火山(神那霊山)を示す立石・石列、多くの方形巨木列柱神殿は150人をはるかに超える広域の共同体の祖先霊信仰の共同祭祀を示しており、それらの共同作業を行った人たちは母系制社会の家族・氏族・部族社会の共同生活・広域交易・妻問夫招婚の延長上で共通の祖先を祀る共同祭祀を行ったのであり、「嘘話」の神話によって人々が共同性を獲得したとする合理的な理由はありません。―縄文ノート「104 日本最古の祭祀施設―阿久立石・石列と中ツ原楼観拝殿」「105 世界最古の阿久尻遺跡の方形巨木柱列群」  

  

 嘘話などなくても家族、氏族社会、部族社会は共同生活を通して共同意識を育み、そこから死者の霊(ひ)が神名火山(神那霊山)から天に昇り、天と地を結び雨を降らせる龍神などの空想を膨らませたのです。

 

3 擬人化を神格化と勘違いさせるハラリ氏の嘘話

 ハラリ氏はドイツ南部で発見された旧石器時代、32000年前頃の象牙彫刻「ライオンマン」とフランスの自動車メーカー・プジョーのライオンマークから独特の「嘘話説」を紡ぎ出していますが、ライオンマンについて「おそらく宗教的な意味を持ち、実際には存在しないものを想像する人類の心の能力裏付ける、議論の余地のない例」とし、プジョーについては、「人間のアルマン・プジョーは、いったいどうやって会社のプジョーを生み出したのだろう?・・・すべては、物語を語ること、人々を説得してその物語を信じさせることにかかっていた」という奇妙な説を述べています。

  

 まずライオンマン像から見ていきますが、ハラリ氏はこれを実際には存在しない神像と解釈していますが、私にはライオンを人に見立てて表現したとしか思えません。ミッキーマウスやドナルドダックと同じ擬人化です。ハラリ氏にはミッキーマウスやドナルドダックが神像に見えるようですから、相当な変人です。―「縄文ノート7 動物変身・擬人化と神使、肉食と狩猟」参照

 プジョーのライオンマークは自動車工場のあったフランシュ・コンテ州の紋章を模しており、その地を誇りにしていることを示しており、もともと鋸を作っていたプジョーの広告の「鋸の刃の堅牢さは、ライオンの歯のごとく」「鋸の刃のしなやかさは、ライオンの強靭な肉体のごとく」「鋸の刃の切れ味の良さは、獲物に飛びかかるライオンのごとく」にみられるように、これまた「擬人化」ならぬ「鋸の擬ライオン化」なのです。

 なお、プジョーに投資した人たちはプジョーの経営計画に確かさを感じたから投資したのであり、そこに働く人たちはいい賃金を得るためであり、プジョーの車を買う人はその性能やデザインを支持したのであり、ライオンマークを神像とみて信仰したのでも、プジョーという嘘話に騙されたのでもありません。プジョーの信用はその会社の経営と賃金と製品の実質に裏付けられたものなのです。もし、鋸の刃が実際に堅牢・強靭でなく切れ味が悪ければ、プジョーはとっくに倒産していたでしょう。プジョーの宣伝が嘘話と決めつけるハラリ氏こそが嘘八百の嘘つきというべきでしょう。嘘話で車を売っているとされたプジョーやその車の利用者は、ハラリ氏を告訴すべきです。

 

4 ハラリ氏の「認知革命」の怪しい定義

 ハラリ氏はホモ・サピエンスだけが嘘話を作り出し、共有できたというのですから、それは「嘘話革命」と名付けるべきでしょう。「認知革命」などと思わせぶりな単語を使用していることこそ胡散臭いという以外にありません。

 普通、「認知」といえば親が子を自分の子として認めることでしょう。ハラリ氏は「ヤハウェ神がユダヤ人を神の子と認知してカナンの地をくれた。われわれはこの神の意志を共有してカナン人を殺し、奴隷にした」という嘘話を認知革命といいたいのなら、ユダヤ教やそれを受け継いだキリスト教イスラム教を嘘話として論じるべきでしょう。ヒトラーの「優秀なアーリア民族は劣等民族のユダヤ人やスラブ人を一掃すべきだ」という嘘話を信じたドイツ人は、ユダヤ人と同じように人類普遍の嘘話を信じるホモ・サピエンスの認知革命のおとし子というのでしょうか?

 一般的な「認知」ではなく、心理学の装いをこらして「認知」という言葉をハラリ氏は使ったのでしょうか?

 しかしながら、心理学では「認知」は「知識を得る働き、すなわち知覚・記憶・推論・問題解決などの知的活動を総称する」としており、「嘘話創作力=空想力」や「嘘話共有=共同幻想」はそもそも認知の概念には含まれていません。

 あるいは「認知科学」の方法論を受け継いでハラリ氏は「認知革命」という言葉を使ったのでしょうか?

 しかしながら、ウィキペディアによれば「認知心理学で鍵となったのは、人工知能と計算機科学で成功した機能を研究し発展させることで、人間の心的プロセスについて検証可能な推論を立てることができる」と説明し、スティーブン・ピンカーの『人間の本性を考える』により、認知革命の中心となる主張を「①心的世界は、情報、計算、フィードバックという概念によって物理的世界に位置づけることができる」「②心は空白の石版ではありえない」「③無限の幅を持つ行動は、心のプログラムの有限の組み合わせによって生み出されうる」「④基盤となる心的メカニズムは普遍的である一方で、それを覆う表層部分は文化によって異なりうる」「⑤心は多くの相互作用する部分から構成される複雑なシステムである」としています。

 この「認知革命」の用語から、ハラリ氏は「④基盤となる心的メカニズムは普遍的である」という部分だけに着目し、「嘘話」を人間の普遍的心理的カニズムと考えたのでしょうが、「泥棒」「殺人」「女の誘拐・奴隷化」は普遍的な心的メカニズムではなく、「嘘話」だけ普遍的心理的カニズムであると証明すべきです。

 ハラリ氏はこの「認知革命」という用語を使うなら、人工知能・計算機科学を使い5つの指標から「嘘話」だけが普遍的心的メカニズムであると証明すべきです。ハラリ氏はかっこよく科学的に見せるために「認知革命」という言葉を拾ってきて使っただけのようです。(注:ハラリ氏は言語学者ノーム・チョムスキーの「普遍文法仮説」の考えを模倣・転用した可能性があると考えますが、私は人類拡散史からチョムスキー理論には違和感を持っており、勉強したうえでいつかまとめたいと考えます)

         

 日本の研究者・ジャーナリストには、外国の研究の単なる翻訳者にすぎない人が多くてガッカリすることが多いのですが、池上彰氏も「ハラリ認知革命説」をかつぐなら、日本の文化人類学者や心理学者、歴史学者などの研究者にヒアリングし、賛否両論の解説を行うべきでしょう。池上氏は解説者ではなく研究者であるというなら、単なる受け売りではなく、自分の頭で考えたことを付け加えて紹介すべきでしょう。

 

5 ハラリ氏に必要なのは歴史からの具体的な教訓

 今、ウクライナ戦争で世界は大きな岐路に立たされています。プーチン大統領の「ゼレンスキー政府はネオナチ」という嘘話を信じる多くのロシア国民とその嘘話を信じない多くのウクライナ国民にとって必要なのは、それが真実なのか嘘話なのかの徹底的な議論です。

 ユダヤ人を迫害したナチスヒトラーやロシアの反ユダヤ主義キリスト教徒に殺され、奴隷化されたアフリカ・南北アメリカの原住民、ユダヤ人に今も土地を奪われ殺され続けているアラブ人に対して、「嘘話はホモ・サピエンスの認知革命の必然」などと言っている場合でしょうか? ハラリ氏はヒトラープーチンの支持者なのでしょうか?

 ハラリ氏に必要なのはトインビーの「自国の歴史を忘れた民族は滅びる」ではないでしょうか?

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/

縄文ノート136 「銕」字からみた「夷=倭」の製鉄起源

 最初に漢字を習った頃、「林=木+木」「森=木+木+木」という漢字は面白く、偏と旁で漢字を覚えたものです。近くの埼大の中国人留学生に聞いてみても、やはり必ず漢字を分けて意味を考えると言っていました。

 従って、「漢字分解」してその字源を考えるというのは、「倭音倭語・呉音漢語・漢音漢語分析」と沖縄に残る「あいういう5母音分析」と合わせて、私の古代史分析では欠かせません。

 「縄文ノート132 ピュー人(ミャンマー)とピー・ヒ信仰」で「イ族(夷族)」の先祖の烏蛮(うばん)族について書き、司馬遼太郎氏が中国の雲南を歩いていたことを思い出して『街道をゆく7』を図書館で借りてパラパラとみていたところ、冒頭に「中国・江南の道」に「鉄の文字の古形は銕(てつ)である」という見逃せない指摘がありました。

              

 製鉄について通説の「ヒッタイト起源説(トルコ起源説)」に対し私は「アフリカ起源説」支持であり、鉄の伝播ルートでは通説のヒッタイトからの「草原の道ルート説」「照葉樹林帯ルート説」に対し、私は「海の道ルート説(アフリカ鉄→インド鉄→倭鉄)」であり、「銕(鉄)」字から中国・日本の製鉄起源を考えてみたいと思います。―「縄文ノート122 『製鉄アフリカ起源説』と『海の鉄の道』」参照

 

1 「銕(てつ)」の漢字分解からみた鉄のルーツ

 ウィクショナリーによれば、「鉄」(呉音:テチ、漢音:テツ、和音:かね)字について「異体字 : 鐵(旧字体繁体字)、铁(簡体字)、銕(古字)、鐡(俗字)、𨫓(俗字)、鉃(代用字)」としています。重要なのは、古字が「銕=金+夷」であり、ウィクショナリーは「中原の外の夷狄から伝えられた金属であることから」としています。「夷狄から」としていますが、「金+狄」字ではなく「金+夷」字である以上、中国製鉄は「夷」族が起源であるとすべきでしょう。

    

 この「夷」字については、ウィクショナリーは字源は「弓と大を合わせた会意文字。大きな弓で『たいらげる』『やっつける』という意味で、意義は「えびす。未開部族」「たいらげる、やっつける」「ねこそぎにする」とし、『漢語林』は「紐のまきついた矢=いぐるみ」の象形文字で、四方の異民族の総称としています。

 「南蛮北狄東夷西戎(なんばんほくてきとういせいじゅう)」という蔑称からみると、「夷」は図3のように東方の異民族になりますが、図4のように「南蛮」が「西南夷」「山越」「南夷」などとも呼ばれていますので、「西南夷」「南夷」「東夷」の範囲が中国製鉄の起源である可能性が高いと考えます。

      

       

 「銕(鉄)」字からみると、中国の鉄の起源は北北狄西戎からではなく、東夷が起源であり「照葉樹林の道」か「海の道」から伝わったことが明らかです。

 「縄文ノート132 ピュー人(ミャンマー)とピー・ヒ信仰」でも少し書きましたが、ウィキペディアによれば、「西南夷」の名残は少数民族のイ族(彝族、旧族名: 夷族、倭族)に残っており、中国に1100万人(2013年)のほか、ラオスミャンマーベトナム(3307人:1999年)、タイなどにも分布し、民族名の自称は「ロロ」「ノス」「ラス」「ニス」「ノポス」など地域によって異なり、中国古典では「夷」「烏蛮」「羅羅」「倮倮」などと書かれています。

 なお、イ族は中国西部の古羌の子孫で、イ族は南東チベットから四川を通り雲南省に移住し、現在では雲南に最も多く居住しているという説が見られますが、「羌(コウ、キョウ)=羊+人」であることからみて遊牧民西戎」であり、照葉樹林帯に暮らして弓矢による狩りが得意な南の「イ族」とは異なります。

 一方、「東夷」は元々は江蘇省山東省付近の「畎夷・於夷・方夷・黄夷・白夷・赤夷・玄夷・風夷・陽夷(九夷)」などであり、後には朝鮮半島や日本列島の「委奴国(いなのくに)」「倭人(いひと・いと・いじん)」「一大国(いのおおくに)」「邪馬壹国(やまのいのくに)」なども指すようになります。

 

2 「照葉樹林帯ルート」か「海の道ルート」か?

 「縄文ノート122 『製鉄アフリカ起源説』と『海の鉄の道』」からの再掲になりますが、図5のように製鉄の起源としては、ヒッタイト説とアフリカ説の2つがありますが、現時点の考古学ではアフリカの4000~3000年前のブルキナファソ古代製鉄遺跡群(世界遺産登録)が最古であり、ナイル上流のクシュ文明遺跡からさらに古い製鉄遺跡が見つかる可能性があります。

 図6のように、「NHKスペシャル アイアンロード~知られざる古代文明の道」(2020年1月13日、10月13・20日)は、「ヒッタイト(紀元前1500~2000年頃)→スキタイ→中国→朝鮮→倭」の「鉄の草原ルート伝播説」です。

 

 一方、日立金属HP「たたらの由来」では、「たたら」語源として「百済新羅との交渉の場のたたら場、たたら津」説、「ダッタン(タタール)語のタタトル(猛火のこと)からの転化説(窪田蔵郎氏)」、「古代インド語のサンスクリット語でタータラは熱(安田徳太郎氏)」説などをあげながら、図7のように北の「草原ルート説」とチベットから雲南高地経由の「照葉樹林帯ルート説」(揚子江河口伝播説・朝鮮半島経由説)を紹介しています。―「縄文ノート53 赤目砂鉄と高師小僧とスサ」参照

 「銕(古字)」字から考えると、この日立金属HPの「照葉樹林帯ルート説」は成立しそうにみえ、Y染色体D型の分布、米やイモ・ソバ・粟・麦・コンニャクなどの焼畑農業、赤飯・もち・納豆食文化、ヒー(祖先霊)信仰・神名火山信仰・神籬(霊洩木)信仰・火祭り宗教などが「倭人(いひと)」と符合します。

 しかしながら、インダス文明メソポタミア文明の交易、アフリカのバナジウム鋼の可能性が高いインドのウーツ鋼とメソポタミアのダマスカス刀剣、日本の天叢雲大刀・蛇行剣、縄文人縄文文化の海人・山人の両方の性質、ドラヴィダ語起源の農業語・宗教語、南方系の龍神(トカゲ龍)信仰、黒曜石文化などから、私は「雲南揚子江下流→日本列島ルート」ではなく、「南インドミャンマー海岸・高地→スンダランド→中国沿岸・台湾→日本列島」への何次にもわたる海の道伝搬ルートがあった可能性が高いと考えます。

 日本語が中国語の「主語―動詞-目的語」言語の影響を受けずに「主語-目的語-動詞」言語構造を維持し、倭音倭語・呉音漢語・漢音漢語の3層構造であり、しかも金属・金属器語に中国にはない倭音倭語が見られることは、日本列島への金属の伝播が中国・朝鮮半島経由ではないことを示しています。

 

 大野晋氏の『日本語とタミル語』から抜き出すと、表1のようにドラヴィダ語には倭音倭語の金属名に明確に相当するものはなく、表2の農業・食関係語や表3の宗教語の多くがドラヴィダ語(タミル語)ルーツであるのに対し、大きな違いを見せています。―縄文ノート「28 ドラヴィダ系山人・海人族による日本列島稲作起源論」「37 『神』についての考察」参照

 「金(かね、かな)」「銅(あかがね)」「鉄(くろがね)」「鋼(はがね)」などのベースとなる「かね」の語源については、真弓常忠氏の『古代の鉄と神々』は「テツ(鉄)はヒッタイト民族が鉄をもって築いた巨大な王国トルコの名に由来することは広く知られている」としていますが、紀元前15~13世紀のヒッタイトと、トルコ(テュルク)系民族の突厥が552年にモンゴル系民族の支配から独立し、西進したのがトルコの起源であり、真弓氏の「テツ(鉄)トルコ語説」は成立せず、インターネット検索ではその裏付けは得られませんでした。

 製鉄については多くの研究がありながら、「テツ」語についてヒッタイト語・スキタイ語サンスクリット語(インド)・チベット語・夷族語・中国語・朝鮮語などの語源説は証明されていないようです。

 私は「かね」などの金属語のルーツはさらにアフリカに遡る必要があり、「鑪(たたら)」を「古代インド語のサンスクリット語でタータラは熱」とした安田徳太郎氏の説からみても、インド経由の「海の道鉄ルート説」を考えています。

 

3 「海の道」の双方向性とスケール

 ここで思い切った仮説を提案します。オアシスを結ぶ「シルクロード(絹の道)」を見ても明らかなように、「シーロード(海の道)」もまた双方向の交通・交易路であったと考えるべきという説です。

 縄文人琉球と北海道の間で貝輪とヒスイ・黒曜石の交易を行っていたことが明らかであり、宮古から北海道の距離の範囲を図9の赤点線円で、インダス文明が交易していたペルシャ湾メソポタミア文明)や紅海(エジプト文明)の範囲を黒線円で示すと、ほぼ同じ大きさになるのです。

  

 水や食料が乏しく、寒暖の差の激しい「草原の道」を旅するより果物やイモ・豆・穀類、魚介類の食料が豊富でありスコールのある熱帯・亜熱帯・温帯の帆船での航海ははるかに楽です。特に鉄のような重量があり、大量に消費する金属の運搬には船しかありません。

 太平洋のメラネシアミクロネシアポリネシアの島々に人類が拡散した広大な範囲をみても、海人族の「海の道」を考えないウォークマン史観などありえません。「縄文ノート6 古代国家形成からみた縄文時代―船・武器・稲作・宗教論」で書きましたが、明治45(1912)年に愛媛県八幡浜の5人の漁民は移民のために打瀬船で76日かけて太平洋を渡り、大正2(1913)年には15名が58日かけて渡り、アメリカへの船での移民は5回に及んでいるように、海人族は冒険者であり自由民なのです。

 アフリカ鉄の技術はインドからさらにミャンマーあたりに伝わり、縄文交易圏に入ったと考えられます。

 なお、南インドから西インド・ミャンマー高地をへて、Y染色体D型族が「海の道」を通って3万数千年前から1万5千年前頃にかけて竹筏で日本列島にやってきた旧石器人・縄文人には当然のことながら金属器はありません。

 4600年前頃に製鉄がアフリカで始まり、インドや4300年前頃にはヒッタイトに伝わり、さらに江南・台湾あたりを経由して日本列島に「海の道」から鉄などが伝わるとともに、対馬壱岐の海人族とスサノオ一族により朝鮮半島からの米鉄交易による鉄製品の輸入と製鉄技術が伝わったと考えます。

 

4 「イ族(委)」と「ソ族(曽)」―川下り文明か川上り文明か?

 縄文ノート「125 播磨・吉備・阿蘇からの製鉄・稲作・古墳の起源論」「127 蛇行剣と阿曽地名からの鉄の伝播ルート考」において、私は図10・11のような曽族(阿曽族・曽根族)と蛇行剣の分布が古代製鉄部族を示し、そのルーツがアフリカ・インド系製鉄であることを示唆しました。 

  

    

 この時は論点が拡散するので書きませんでしたが、「曽族」のルーツは中国の揚子江下流域の湖北省湖南省あたりに紀元前11~3世紀の周代・春秋時代・戦国時代に存在した「楚」(図12)と同じルーツの可能性が高いと考えています。

         

 この中国の「楚」は「夷族」が住む雲南下流になりますから、「照葉樹林帯ルート伝播説」とも符合しますが、ウィキペディアでは「黄河文明に属する諸族が移住して成立したとする北来説と、それとは異質な長江文明の流れを汲む南方土着の民族によって建設されたとする土着説に大きく分かれ」ているとしており、私は「龍信仰」から後者の南方説を支持しており、「海の道鉄伝播説」とも符合します。

 長江・黄河文明については、根強いウォークマン史観・肉食人類サバンナ・ステップ拡散史観の影響で、西方・南方からの「川下り文明」説が定説となっていますが、私は日本の縄文文明からみても、インダス文明や長江・黄河文明は「海の道」からの「川上り文明」であると考えます。―縄文ノート「36 火焔型土器から『龍紋土器』へ」「39) 「トカゲ蛇神楽」が示す龍神信仰とヤマタノオロチ王の正体」参照

 インド製鉄を伝えた「ソ族」は黄河を遡って「楚」の国を建てるとともに、日本列島では「曽於」「阿曽」などに定着し、アフリカ・インド系製鉄文化を広めたと考えています。

 「縄文ノート127 蛇行剣と阿曽地名からの鉄の伝播ルート考」の「6 アフリカ・インド系製鉄説のさらなる探究へ」の再掲になりますが、「アフリカ・インド系製鉄」と「新羅系製鉄」の2ルートの製鉄伝播について若い世代の次のような研究を期待します。

 ⑴ 直接証拠

  ① 錆びず柔らかい蛇行剣の成分分析―バナジウム鋼などの可能性

  ② 大隅(曽於)・阿蘇・阿曽(吉備・播磨・伊勢・美濃・三河・諏訪など)での縦型炉製鉄遺跡の発見と金糞の成分・年代分析

 ⑵ 間接証拠

  ① 縦型炉による阿蘇リモナイト・赤目砂鉄などによる製鉄再現実験による金糞成分分析による「アフリカ・インド系製鉄」と「新羅系製鉄」の解明

  ② ヤマタノオロチ王の「天叢雲大刀」(八雲肌鋼仮説)の再現実験

  ③ ダマスカス鋼(インドのウーツ鋼の別称)の成分分析との対照

  ④ 「テツ」語源の探究

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/

135 則天武后・周王朝にみる母系制

 4月8日に録画していたNHKBSプレミアムの再放送「中国王朝 英雄たちの伝説『権力者たちの素顔 史上唯一の女帝・則天武后』」(2020年初放送)をやっと見ました。

                                 

 私はスサノオ大国主建国論、邪馬台国論から縄文社会研究に進み、わが国は母系制社会であったという結論に達し、さらに女性像・女神像と神話、人類誕生の分析から、世界の全古代文明は母系制社会であったとの論証を行いました。

 今回、中国の唐時代の武周王朝が母系制社会の世界の最後の女王国であったことがわかりましたので、ユヴァル・ノア・ハラリ氏の『サピエンス全史』批判4の前に、面白い方を先にまとめておきたいと思います。

 

1 則天武后とは

 番組は佐々木蔵之介浅田次郎両氏が出演し、次のような案内を行っています。

 

 中国歴代およそ200人の皇帝の中で、ただ1人の「女帝」則天武后(624-705 在位690-705)。

もともと唐の皇帝の側室ながら、上の妃を次々謀殺して皇后に。夫である皇帝をないがしろにし、夫の死後、息子が皇帝になると追放。遂に自ら皇帝となり、新たな王朝「周」を開く…

後世、国を乱した「悪女」の代表とされるが、その真実は?

 

 私の則天武后の知識もまた残虐な悪女というイメージだったのですが、どうやら後世の歪曲であったようです。

 ウィキペディアは次のように伝えています(要約)。

 

 武則天(ぶそくてん)は、中国史上唯一の女帝。唐の高宗の皇后となり、後に唐に代わり武周朝を建てた。・・・

 顕慶5年(660年)、新羅の請願を容れ百済討伐の軍を起こし、百済を滅ぼした。倭国(日本)・旧百済連合軍と劉仁軌率いる唐軍が戦った白江口の戦い(白村江の戦い)にも勝利し、その5年後には孤立化した高句麗を滅ぼした(唐の高句麗出兵)・・・。

 天授元年(690年)、武后は自ら帝位に就いた。国号を「周」とし、自らを聖神皇帝と称し、天授と改元した。・・・この王朝を「武周」と呼ぶ(国号は周であるが、古代の周や北周などと区別するためこう呼ぶ)。

 帝室を老子の末裔と称し「道先仏後」だった唐王朝と異なり、武則天は仏教を重んじ、朝廷での席次を「仏先道後」に改めた。諸寺の造営、寄進を盛んに行った他、自らを弥勒菩薩の生まれ変わりと称し、このことを記したとする『大雲経』を創り、これを納める「大雲経寺」を全国の各州に造らせた。・・・

 後世の中国社会や文人界においては、女性でありながら君権の上に君臨し、唐室の帝位を簒奪した武則天の政治的遍歴に対する評価はおおむね否定的であり続け、簒奪に失敗した韋后の行実と併せて武韋の禍と呼ばれるなど、負のイメージで語られることが多かった。・・・

 一方で、長年の課題であった高句麗を滅ぼし、唐の安定化に寄与した事実は見逃せない功績であるが、それは高宗がまだ重篤に陥っていなかった668年のことである。また、彼女が権力を握っている間には農民反乱は一度も起きておらず、貞観の末より戸数が減らなかったことから、民衆の生活はそれなりに安定していたと見る向きもある。加えて、彼女の人材登用能力が後の歴史家も認めざるをえないほどに飛びぬけていたことは事実であり、彼女の登用した数々の人材が玄宗時代の開元の治を導いたことも特筆に値する。歴史上にもわずかながら、彼女について「不明というべからず」と評した南宋の洪邁(毛沢東が愛読)や「女中英主」と評価した清代の趙翼(現有制度の打破を叫んだ)のように、武則天に対して肯定的な評価を下した者も存在した。

 

 なお番組でも紹介していた「前王妃の手足を切り、酒壺に入れて殺した」と書かれた新唐書などのエピソードは、前漢初代皇帝の劉邦の皇后・呂雉(りょち:呂后)が行った行為を武后にかぶせたでっち上げとみて間違いありません。番組では武后がわが子を殺し、前王妃が殺したかのように仕組んで追い落としたことを史実であるかのように取り上げていましたが、真相はどうだったでしょうか? 

 

2 新たな則天武后

 今回の番組は、次のような則天武后像を伝えています。

① 中国2000年の約200人の皇帝のうち、唯一の女性皇帝であった。

② 詩人の上官婉児など女官を高級官僚として登用し、活躍させた(墓、男装・騎乗女性像等)。 

③ 「牝鶏之晨(ひんけいのしん:めんどりが時を告げると国が亡びる)」としてきた男系社会を打破しようとした。

④ 門閥にとらわれず、科挙により優秀な人材を登用した。

⑤ 周辺民族への軍のほとんどを引き揚げ、内政を安定・充実させた。

⑥ キリスト教フレスコ画など、積極的に国際化を進めた。

⑦ 弥勒菩薩釈迦牟尼仏の次の「慈しみ」の未来仏)の生まれ変わりと称し、仏教を広めた。

⑧ 周王朝を開き、長安から洛陽に都を移して「神都」と名付けた。

⑨ 唐の最盛期の孫の玄宗の「開元の治」の基礎は則天武后が作った。

 なお番組では指摘していませんが、則天武后周王朝から次の点を継承し、発展させたことが私は重要と考えます。

ア.殷(商)を滅ぼし、周王朝を開いた「殷周革命」の「周」と「武王(姫発)」の王朝・王名を受け継いで理想の政治を行った。

イ.周が首都を鎬京(長安:現西安市)、洛邑(洛陽)を副都にしたのにちなみ、洛陽に都を移して女王が祖先霊祭祀を行う「神都」と名付けた。

                                     

ウ.女性が祖先霊祭祀を行う母系制社会の周王朝の伝統を「神都・洛邑(洛陽)」で復活した。

エ.呂尚太公望)や周公旦などを重用した武王に習い、実力のある若手官僚を育成した。なお私は「八俣遠呂智古事記)」名は「遠い呂の智慧」という好字・華字を使った王名と考えています。―縄文ノート「39 『トカゲ蛇神楽』が示す龍神信仰とヤマタノオロチ王の正体」「123 亀甲紋・龍鱗紋・トカゲ鱗紋とヤマタノオロチ王」参照

オ.「道先仏後」だった唐王朝から朝廷での席次を「仏先道後」に改め、諸寺の造営、寄進を盛んに行った。

 

 ここで脱線しますが、中国人がインドの「シャーキヤムニ(シャーキヤ族の聖者)」に「釈迦牟尼」の漢字を宛て、「ブッダ」に中国では「仏陀」の字を宛て、日本で「仏(ブツ)」を「ほとけ」としていることについて私説を補足しておきたいと思います。

 まず「ムニ(聖者)」に「牟尼=ム+牛+尼」の漢字を宛ているのは、聖牛アピスを信仰したエジプトや牛を神聖視したインドの伝統の影響とともに、その聖者を「尼」(比丘尼=出家した女性)としていることが注目されます。「尼=尸(しかばね)+ヒ(年老いた女性)」が死者=祖先霊を祀る老女を表していることからみても、中国では女性が祭祀者であったことを示しています。

 日本の弥勒菩薩像の顔が優しく、写真のように腰の大きい女子像としていることからみても、中国や日本では母系制社会の女神像に重ねて弥勒菩薩みていたのです。

                                       

 さらに「仏(ブツ・フツ=人+ム(わたし)」を「ほとけ」と読むことについては、縄文ノート「21 2019八ヶ岳縄文遺跡見学メモ」「32 縄文の『女神信仰』考」「94 『全国マン・チン分布考』からの日本文明論」などで次のように書きました。

 

 「『仏(ほとけ)』(人+ム)は、倭語倭音では『ほと+け』であり『女性器の化身』であり、倭人の女性器信仰に仏教が合わせた『和名』の可能性があります」

 「仏教では悟りを開いた人『仏=人+ム(座って座禅を組んだ人)』を呉音では『フツ』、漢音では『ブツ』(ブッダの訳)と言いますが、なぜか倭音倭語では『ほとけ』といいます。語源由来辞典では『浮屠(ふと)』に『け(家・気)』がついた、『解脱(げだつ)』の『解(と)け』に『ほ』を付けたと説明していますが語呂合わせにもなっておらず、私は『ほとけ=ホト化』であり、もともと日本にあった女性器名『ほと』からきていると考えますが、どちらがのこじつけでしょうか? なお、『宝登山(ほとさん)』だけでなく、約100mの3基の前方後円墳の保渡田古墳群のある群馬県高崎市保渡田町や横浜市保土ヶ谷など各地に『ホト・ホド』地名があり、谷のある地形からかあるいは縄文時代の円形石組など地母神信仰の地であった可能性がありますがチェックできていません」

 

2 周王朝は母系制であった

 武則天が王朝名を「周」としたのは、利州の都督(ととく:軍職)であった武氏の出であったからだけでなく、姫氏の文王(姫昌)・武王(姫発)にちなみ、母系制社会の伝統を残した周王朝を理想としたからと考えます。

 なお、私は「姓」「姫」「卑」「尊」「鬼」「魏」などの漢字分解と伏羲(ふぎ)・女媧(じょか)の神話分析により、中国の母系制について次のような分析を行っています。

 

⑴ 『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本) 191217

  • ひな 21:30

 祖父の曹騰(そうとう)は皇帝の身の回りのことを司る宦官のトップの中常侍(ちゅうじょうじ)で一流の儒学者でした。曹操の父はその養子となりましたが、父は夏(か)王朝の流れをくむ夏侯(かこう)氏の一族で、魏王は姫(キ)姓の周王朝から分家していますから、曹操周王朝の姫氏一族に仕えた夏侯氏の後継者意識が強かったと思います。その「姫」は「女+臣」です。

 曹操は「われは文王、姫昌(きしょう)たらん」と述べ、自分こそが孔子が理想とした周王朝を再建したい、という「志」を持っていたと思います。

  • カントク 21:35

 なるほど、邪馬台国の女王・卑弥呼周王朝の「姫(キ)氏」も繋がってくる。

  • ヒメ 21:36

 姫路生まれの「ヒメ」としては、周王朝邪馬台国も姫路も母系制社会だったと考えたいね。

  • ひな 21:37

 「姓名」の「姓」は「女+生」ですから、春秋戦国の争乱などで女奴隷が生まれる前の周は、女系性の国であった可能性があります。

「卑」字を漢字分解すると「甶(頭蓋骨)+寸」で、祖先霊が宿る頭蓋骨を手で支える字になります。一方、「尊」字は「酋(酒樽)+寸」ですから、孔子の「男尊女卑」は「女が掲げる頭蓋骨に男は酒を捧げる」という宗教上の役割分担を表したのではないでしょうか。

  • マル 21:41

「男は尊い、女は卑しい」という解釈は、後世の儒家による歪曲なんだよ。

  • ヒメ 21:42

 「われは文王、姫昌(きしょう)たらん」と志した曹操が好きになってきた。「姫昌」は「女+臣+日+日」だから「女のしもべとして大いに光る」という意味になる。

  • 長老 21:44

 曹操は農民の漢初代皇帝・劉邦の子孫の劉備より、夏→殷→周→秦→漢と続く王朝の中で、夏や周に繋がる自分の方が皇帝にふさわしいと曹操は考えていたんだ。

 

 縄文ノート14 大阪万博の「太陽の塔」「お祭り広場」と縄文 200404

 ちなみに、「鬼」字は「甶(頭蓋骨)+人+ム」からなり、「人が支えた甶(頭蓋骨)を、ム(私)が拝む」という象形文字です。なお「人+ム」は「仏」になります。

 「魂」字は「雲+鬼」で「天上の鬼=祖先霊」なり、「魏」字は「委(禾+女)+鬼」で「鬼(祖先霊)に女が稲を捧げる」という字になります。「姓名」の「姓」は「女+生」(女が生まれ、生きる)ですから、もともと中国の姫氏の周時代は母系性社会であった可能性が高く、魏はその諸侯でした。孔子の「男尊女卑」も「尊(酋(酒樽)+寸)」「卑(甶(頭蓋骨)+寸)」からみて、「女は頭蓋骨を掲げ、それに男は酒を捧げる」という祖先霊信仰上の女性上位の役割分担を表しており、孔子は姫氏の周時代の母系制社会を理想としていたことを示しています。

 卑弥呼の「卑」字は「甶(頭蓋骨)+寸」からなり、「祖先霊を手で支える」という意味であり、八百万神信仰の倭語では「霊(ひ)巫女」になります。「巫女」は「御子」であり、死者の霊(ひ)を祀る子孫の女性を表します。

 

⑶ 縄文ノート90) エジプト・メソポタミア・インダス・中国文明の母系制 210822

5 中国文明の母系制

 中国神話では、人類創成の神は伏羲(ふぎ)と女媧(じょか)の兄妹とされ、姓は「風」で蛇身人首の姿で描かれることがあり、大洪水が起きたときに二人だけが生き延びて夫婦となり、それが人類の始祖となったとして中国大陸に広く残されているとされています。 

                                                       


   この伏羲・女媧神話は中国少数民族のミャオ(苗)族が信奉した神と推測されており、雷公が洪水を起こした時、兄妹は雷公を助けた時にもらった種を植え、そこから生えた巨大なヒョウタンの中に避難して助かり、結婚して人類を伝えたとされています。西アフリカのニジェール川原産のヒョウタンが登場し、メソポタミアの洪水伝説や蛇神神話、兄妹婚と同じであることが注目されます。

 Y染色体D型は日本人41~47%(アイヌ88%)で、チベット人43~52%、アンダマン諸島人73%などに近いことからみて、アフリカのニジェール川コンゴ川流域に住むY染色体E型のコンコイド(ナイジェリア・コンゴなど)と分かれたD型の縄文人メソポタミア・エジプトの蛇神伝説や兄妹婚やメソポタミアの洪水伝説をその移動ルートに隣接して住むミャオ(苗)族に伝え、中国の始祖伝説となった可能性が高いと考えます。

     

 ちなみに、Y染色体D型はミャオ(苗)族3.6%、タイ人・ベトナム人2.9%、スマトラ1.8%、台湾原住民・フィリピン人0%、華南人2.1%、蒙古人1.5%、朝鮮民族2.3%などであり、「海の道」ルートと「マンモスルート」を通って日本列島にやってきたと考えられます。―縄文ノート「43 DNA分析からの日本列島人起源論」「62 日本列島人のルーツは『アフリカ湖水地方』」参照

 鬼神(祖先霊)信仰の中国人が大事にする「姓」は「女+生」であり、周王朝が姫氏であり、周の諸侯であった「魏」は「禾(稲)+女+鬼」で鬼(祖先霊)に女が禾(稲)を捧げる国であり、女王・卑弥呼(霊巫女)に金印を与えて厚遇したことをみても、もともとの中国は母系制社会であったと考えられます。―縄文ノート「31 大阪万博の『太陽の塔』『お祭り広場』と縄文」「32 縄文の『女神信仰』考」参照

   

 孔子の「男尊女卑」も、「尊=酋(酒樽)+寸(手)」、「卑=甶(頭蓋骨・仮面)+寸(手)」で、女は祖先霊が宿る頭蓋骨を手で支え、男はそれに酒を捧げるという役割分担を姫氏の周時代の母系制社会を理想として孔子は述べたのであり、「男は尊い、女は卑しい」というのは後世の儒家の歪曲です。

 「鬼」(祖先霊)は「甶(頭蓋骨又は仮面)+人+ム(座った私)」であり、「祖先の頭蓋骨を捧げた人」「仮面をかぶった人」を私が拝むという鬼神信仰、卑巫女(霊巫女)の役割を示しており、「魂」字は「雲+鬼」で「天上の鬼(祖先霊)」であり、「卑」字は「甶(頭蓋骨)+寸(手)」で祖先霊を掲げて祀る女性の巫女(みこ=御子)を表しており、いずれも祖先霊信仰を示しています。

 「卑」を卑しいという意味に変えたのは、春秋・戦国時代に戦勝国が女性を性奴隷にするようになり、男性優位社会となったのに儒家が合わせたことによるものです。

 

3 「夏」王朝について

 かつて私は、中国の最古の王朝「夏」について、「玉璋は中国各地やベトナムで発掘され、番組では夏の龍信仰が各地に広まったかのように述べていましたが、ベトナム四川省の龍の形がリアルであるのに対し、二里頭のものはより抽象化されてシンプルになっており、『考古学のデータ限界の法則』は免れませんが、むしろ南方系の起源であり、長江流域を経て、黄河流域に広まった可能性があります」と次のように書きました。

 

 縄文ノート36 火焔型土器から「龍紋土器」へ 2.夏王朝龍神信仰

① 2020年8月27日にNHK・BSの「古代中国 よみがえる英雄伝説 『伝説の王・禹~最古の王朝の謎~』」(2013年2月7日の再放送)などによれば、中国最古の夏王朝(4080~3610年前頃)の王都が黄河中流二里頭遺跡で確認され、粟・黍・小麦・大豆・水稲の五穀を栽培し、人口2万人以上を擁し、トルコ石の龍の杖と青銅の鈴、銅爵(どうしゃく:酒器)、宮殿区、龍の文様の入った玉璋(ぎょくしょう:刀型の儀礼用玉器)が発掘されたとしています。

② 玉璋は中国各地やベトナムで発掘され、番組では夏の龍信仰が各地に広まったかのように述べていましたが、ベトナム四川省の龍の形がリアルであるのに対し、二里頭のものはより抽象化されてシンプルになっており、「考古学のデータ限界の法則」は免れませんが、むしろ南方系の起源であり、長江流域を経て、黄河流域に広まった可能性があります。

③ ウィキペディアは「竜の起源は中国」としていますが、「インドの蛇神であり水神でもあるナーガの類も、仏典が中国に伝わった際、『竜』や『竜王』などと訳された」としており、中国起源説とともに、インド起源説、東南アジア起源説を検討する必要があります。

④ 足があり、頭や背中に突起のあるデザインは蛇からとは考えれられず、トゲ状のウロコで覆われているインドネシアパプアニューギニアのアカメカブトトカゲやニューギニアカブトトカゲ、スリランカアンダマン諸島ミャンマー・マレーシア・インドネシアベトナム・中国南部等の最長250㎝にもなり水によく入り泳ぎや潜水も上手いミズオオトカゲの姿が蛇神信仰と結びついて「龍」となった可能性が高いと考えます。

 

⑤ ベトナムの玉璋には牙があるように見えるのに中国のものにはないこと、龍に「人食い伝承」がなく雨を呼ぶ神、神使として信仰されていること、胴体が長く細い「蛇」と合体した姿としていることからみて、カブトトカゲ、ヘビを合体させ、水神であり天神でもある「龍」が創作されたと考えられます。

 カブトトカゲ、ミズオオトカゲの生息地から見て、「龍伝説」は東南アジアで生まれ、長江流域から黄河流域へと広がった可能性が大きいと考えられます。

 

 この夏―殷―周と続く最初の夏王朝について、ウィキペディアは概略、次のように紹介しています。

 

 夏(紀元前2070~1600年頃)は、史書に記された中国最古の王朝。夏后氏ともいう。・・・初代の禹から末代の桀まで14世17代471年間続き、殷の湯王に滅ぼされたと記録されている。

 夏王朝の始祖となる禹は、・・・大洪水の後の治水事業に失敗した父の後を継ぎ、舜帝に推挙される形で、黄河の治水事業に当たり、功績をなし大いに認められたとされる。2016年8月に科学雑誌『サイエンス』に掲載された研究結果によると、この大洪水は紀元前1920年に起こったという。

 ・・・禹は姓は姒(じ)と称していたが、王朝創始後、氏を夏后とした。

 禹は即位後暫くの間、武器の生産を取り止め、田畑では収穫量に目を光らせ農民を苦しませず、宮殿の大増築は当面先送りし、関所や市場にかかる諸税を免除し、地方に都市を造り、煩雑な制度を廃止して行政を簡略化した。・・・禹は河を意図的に導くなどして様々な河川を整備し、周辺の土地を耕して草木を育成し、中央と東西南北の違いを旗によって人々に示し、古のやり方も踏襲し全国を分けて九州を置いた。・・・

 尚、「禹」という文字は本来蜥蜴や鰐・竜の姿を描いた象形文字であり、禹の起源は黄河に棲む水神だったといわれている。この神話から、禹及び夏人は南方系の海洋民族であったと想定する説もあり、その観点からも多数の研究書がある。

 

 「縄文ノート36」は縄文土器の縁飾り分析のために書いたもので、まだ中国文明の始まりには関心がなくこのウィキペディア記載を読んでいなかったのですが、ここには重要な2つのポイントがあります。

 第1は、禹王が姓を「姒(じ)」と称し、氏を「夏后」としたという点です。漢字分解すれば「姒=女+以」で「女をもちいる」でありウィクショナリーによれば「夏后」の「夏」は「大きな面をつけて踊る人の姿を象る」とされ、「后」は『説文解字』(後漢時代の字典)で「先代の地位を正当に継いだ者」とされていますが、漢字分解すれば「后=人+口」で「告げる人」になります。

 殷時代の象形文字でみると、「夏」字は頭の上に「日」があり、嘴と尾羽のある鳥頭の装束の人が膝まづいた形をしており、死者の霊(魂)を天に運ぶ鳥信仰を表しています。そして「后」字は祖先霊の声を告げる人を表しています。

         

 わが国の小正月の「ホンガ(ポンガ)」のカラス行事や男子が正装として「ひな(女性器)とひなさき(陰核)」を正面にした烏帽子を被る風習との類似性が思い起こされます。なお、「烏帽子」をわが国では「えぼし」と発音しますが、「烏」は呉音では「ウ」と発音し(烏合の衆など)、禹(ウ)と同じ発音になります。―縄文ノート「41 日本語起源論と日本列島人起源」「73 烏帽子(えぼし)と雛尖(ひなさき)」参照

 第2は、ウィクショナリーによれば「禹」字は本来蜥蜴や鰐・竜の姿を描いた象形文字とされ、「禹=九+虫」とされ、「九」は竜の象形で、「虫」は蛇のような爬虫類を意味するとされており、トカゲ龍・龍神信仰を示していることです。

   

 「禹の起源は黄河に棲む水神だったといわれている。この神話から、禹及び夏人は南方系の海洋民族であったと想定する説」の裏付けになります。

 私は縄文土器のこれまで「鶏冠」とされていた縁飾りが「龍紋」であり、出雲神楽のトカゲ龍に引き継がれていると考え、「玉璋」のデザインの変化から、夏の龍信仰が南方系の起源であると考えましたが、「禹」字の漢字分析からも裏付けをえることができました。

 なお「九」が竜の象形文字であり、禹王が全国を分けて九州(=竜州)を置いたことは知りませんでしたが、わが国の「九州」名もまた琉球(龍宮)名や九州の龍神信仰と関りがある「竜州」であった可能性もあります。桜島阿蘇山などの神名火山(神那霊山)の雷の閃光を伴う噴火は、龍が天に昇ると考えた可能性が高いと考えます。―縄文ノート「33 『神籬(ひもろぎ)・神殿・神塔・楼観』考」「36 火焔型土器から『龍紋土器』へ」参照

 

4 則天武后の評価について

 姫氏の周王朝を理想と考えていた孔子は、前述のように「男尊女卑(男=酋(酒樽)+寸)(女=卑(甶(頭蓋骨)+寸)」を「女は頭蓋骨を掲げ、それに男は酒を捧げる」という祖先霊信仰上の役割分担を表していたのですが、孔子の弟子たちは春秋戦国時代の戦乱から秦始皇帝焚書坑儒をへて、「男は尊く、女は卑しい」とする男系社会儒教へと変質させてしまいました。「汝の敵を愛せよ」と述べたキリストの教えを、弟子たちが非キリスト教徒を殺し、支配・征服する宗教に変質させてしまったのとそっくりです。

 則天武后の評価や漢字の字源解釈には、孔子の弟子たちの「歪曲した儒教」の影響から離れて分析する必要があると考えます。

 洛陽の世界遺産龍門石窟は緻密な硬い岩質であるにもかかわらず規模は大きく、則天武后の顔に似せたとされる盧舎那仏は、実に優しい、穏やかな表情をしており、他の仏たちもまた人間的な顔をしています。戦争に明け暮れた時代のものではありません。

    

 私は中国王朝には、夏や周のような母系制の農民国家と、騎馬にたけて全土を統一した秦や殷・遼・金・元・清(大清帝国)の騎馬民族国家の2つがあると考えますが、習近平政権は後者を「中国の夢」=「中華民族の偉大なる復興」として考えているのではないかと危惧します。

 19世紀からの近代帝国主義時代、さらには16世紀からの大航海時代の近世帝国主義時代ににまで歴史を後戻りさせようとするプーチン大統領ウクライナ戦争の時代に突入した現代であるからこそ、女性皇帝・即天武后の治世は再 評価される必要があると考えます。

 「縄文ノート86 古代オリンピックギリシア神話が示す地母神信仰」の最後に書いた、古代ギリシアアテナイで紀元前5~4世紀に活躍したアリストファネスの『女の平和』の女主人公リューシストラテー(“戦争をつぶす女”)が主導して女たちの性的ストライキによるアテネとスパルタの停戦を実現した喜劇ドラマが思い出されます。

             

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/

 

縄文ノート134 『サピエンス全史』批判3 世界征服史観

 前回、私は人類進化について「タカ派ハト派」の2説を整理して紹介しました。

 その表を再掲しますが、「タカ派人類進化史観」のユヴァル・ノア・ハラリ氏の目的が白人・男性・ユダヤキリスト教徒・国際金融資本中心の新たな「グローバル帝国」を作り上げるための嘘話として人類誕生からの『サピエンス全史』を書きあげたことを明らかにしたいと思います。

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1 あっと驚く「世界征服地図」

 ハラリ氏の思想がどのようなものかは、最初に彼が掲げた「兄弟たちはどうなったか?」の中の図にはっきりと示されています。そのタイトルはなんと「地図1 ホモ・サピエンスによる世界征服」なのです。

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 ホモ・サピエンスが新天地に拡散したのは「世界征服」のためというのですから、仰転・イナバウアーです。ホモ・サピエンスは誕生した時から、世界征服を目指していたというのがハラリ史観の本質であることを示しています。

 「縄文ノート64 人類拡散図の検討」では多くの図を載せましたが、全て「人類移動」「人類拡散」としており、「ホモ・サピエンスによる世界征服」とするハラリ氏の説は異端もいいところです。この本を称賛したジャレド・ダイアモンドバラク・オバマビル・ゲイツ池上彰堀江貴文氏らの思想が同じような世界征服史観であるのにはゾッとします。

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 なお、この図は次の5点の誤りを犯し、「人類の世界征服」嘘話をでっち上げています。

 ① 人類誕生を東アフリカのサバンナとしている。

 ② 人類拡散の熱帯・亜熱帯の「海の道・海辺の道」(インド洋・地中海・太平洋など)の横移動を除外している。

 ③ 人類拡散の海から続く「川の道」(ナイル・チグリスユーフラテス・インダス・長江黄河)を除外している。

 ④ 西洋人・東欧人拡散のハブ(中継点)をユダヤ人の「ノアの箱舟伝説」のアララト山あたりに置いている(ななんと露骨な!)。

 ⑤ 東洋人拡散のハブ(中継点)を乾燥地帯(イラン・トルクメニスタンあたり)に置いている。

 

 以下、これまで書いてきたことの繰り返しになりますが、具体的に批判していきたいと思います。

 

2 「サバンナ人類誕生説」の嘘話

 東アフリカのサバンナで人類が誕生したという説は、猿人(アウストラロピテクス:390~290万年前頃)や原人(ホモ・ハビリス:240~140万年前頃)の化石がタンザニアなどの東アフリカで発見されたことからの化石学者説です。―「縄文ノート64 人類拡散図の検討」参照

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 ハラリ氏が採用したサバンナ人類起源説は「乾燥したサバンナから発見された人体化石」と石器に基づくものであり、死体や木の穴掘り棒・銛などがすぐに分解してしまう高温多湿の熱帯雨林などではその痕跡が見つかることがないことから、人類誕生地サバンナ説は必要十分条件を満たしていません。他の起源説の検討がないからです。

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 考古学にはこのような「サンプル限界の罠」がつきものであり、化石からだけの人類誕生嘘話から考古学者・歴史学者は卒業すべきです。

 一方、熱帯雨林人類起源説には、類人猿とホモ・サピエンスの総合的な研究から、次のような裏付けがあります。―縄文ノート「43 DNA分析からの日本列島人起源論」「62 日本列島人のルーツは『アフリカ湖水地方』」「64 人類拡散図の検討」 「70 縄文人のアフリカの2つのふるさと」「81 おっぱいからの森林農耕論」「87人類進化図の5つの間違い」「88 子ザルからのヒト進化説」「89 1段階進化論から3段階進化論 へ」参照

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① ホモ・サピエンスと分かれたゴリラ・チンパンジーボノボの生息域はアフリカ西海岸のニジェールコンゴ川流域の熱帯雨林である。縄文ノート「70 縄文人のアフリカの2つのふるさと」「89 1段階進化論から3段階進化論へ」参照

 

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② メス子どものおしゃべりと共同子育て・共同採集漁撈が乳幼児期の知能を発達させ、教育が子どもの生存率を高めた。―縄文ノート「88 子ザルからのヒト進化説」「107 ドーパミンからの人類進化論―窮乏化進化か快適志向進化か」「92 祖母・母・姉妹の母系制」「103 母系制社会からの人類進化と未来」「126 『レディ・サピエンス』と『女・子ども進化論』」

 

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③ 糖質(脳の活動エネルギー)・DHA(シナプス形成)食が頭脳の発達を支えた。―縄文ノート「25 『人類の旅』と『縄文農耕』、『3大穀物単一起源説』」「81 おっぱいからの森林農耕論」参照

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④ 水中歩行採集(魚介類・両生類・爬虫類)が二足歩行と手機能の向上をもたらした。―縄文ノート「85 二足歩行」を始めたのはオスかメス・子ザルか」「「92 祖母・母・姉妹の母系制」「111 9万年前の骨製銛からの魚介食文明論」参照

 

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⑤ メス・子どもの採集のための穴掘り棒(イモ類・イモムシ)・銛・調理具の製作が手機能と脳の発達を促し、食料調達を容易にした。―縄文ノート「111 9万年前の骨製銛からの魚介食文明論」「113 道具からの縄文文化・文明論」参照

 

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⑥ カメルーン山やルウェンゾリ山などの火山噴火や熱帯雨林の雷による火の調理使用を促した。「縄文ノート89 1段階進化論から3段階進化論へ」参照

 

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⑦ Y染色体D型族はアフリカ西海岸でY染色体E型族と分かれた。

 さらに、熱帯雨林が人類誕生の地であることを裏付けるのが、ナイジェリア・チベットアンダマン諸島ミャンマー沖)・日本列島などのY染色体D型族と西アフリカのコンゴイド族に見られるE型の分布です。―縄文ノート「43 DNA分析からの日本列島人起源論」「46 太田・覚張氏らの縄文人『ルーツは南・ルートは北』説は!?」「62 日本列島人のルーツは『アフリカ高地湖水地方』」「70 縄文人のアフリカの2つのふるさと」参照 

 

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⑦ ヒョウタンとマザーイネ

  ニジェール川流域原産のヒョウタンが若狭の鳥浜遺跡(12000~5000年前頃)、青森の三内丸山遺跡(5900-4200年前頃)から見つかっていることや、ゴンドワナ大陸時代の全てのイネ科穀類のルーツ(マザーイネ)がニジェール川流域の可能性が高いことからみても、人類は砂漠・サバンナ地帯よりも糖質・魚介食材の豊富な熱帯・亜熱帯の海沿い・川沿いを拡散したことが明らかです。―縄文ノート「25 『人類の旅』と『縄文農耕』、『3大穀物単一起源説』」「26 縄文農耕についての補足」「55 マザーイネのルーツはパンゲア大陸」参照

 

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3 「ウォークマン史観」の嘘話

 「脳の進化の答えはわからない」と言いながら、続けてハラリ氏は「人間ならではの特性として、直立二足歩行も挙げられる」として、サバンナで獲物を追い、石を投げたり合図で手を使い、道具を作るようになって進化したという自説を展開します。そして、直立歩行によって産道が狭まり、早期に主産して子育てをする必要が生じ、助け合い、教育できるようになった、という自説に読者を誘導しています。

 ここでは、①サバンナ人類誕生説、②二足歩行サバンナ起源説、③二足歩行後の女性たちの子育て・採集コミュニティ形成説という3つの「嘘話」を展開し、その延長上に人類は草食動物を追い、他のヒト属を絶滅して世界征服した、という嘘話を作り上げています。

 既に述べたように、人類は海辺・水辺の熱帯雨林での糖質(イモ類・穀類)・DHA(魚介類)食によってサルから進化したのであり、その拡散はサルとヒトの食性や糖質食に不可欠な塩分の摂取からみても、熱帯・亜熱帯の「海の道・海辺の道」(インド洋・地中海・太平洋など)の横移動だったのです。

 

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 「採集漁撈主・狩猟従」が人類の現代まで続く一貫した食生活であったことをハラリ氏は無視した男性優位の狩猟・肉食人種説です。

 ハラリ氏の「サバンナ人類誕生説(化石起源説)→二足歩行進化説→ウォークマン世界拡散説」は女子ども主導の熱帯雨林人類誕生の糖質・DHA採集漁撈・食生活を無視した嘘話であり、羊飼いの狩猟・遊牧民であったユダヤ人男性を人類進歩の頂点に置こうとする「人類は野生動物を追い、他のヒト属を殺戮して世界を征服した」という嘘話という以外にありません。

 ハラリ氏がユダヤキリスト教の神を嘘話とした点は評価できますが、その代わりに「ホモ・サピエンス世界征服」という新たな西欧中心史観の嘘話をでっち上げたのです。

 人類の多くは竹筏や丸木舟、樹皮・獣皮カヌーで食料の豊かな海辺の熱帯雨林・亜熱帯地域を通って世界に拡散し、交易・交流したのです。水や食料、塩の乏しい乾燥地帯を狩りをしながらトボトボ歩いて世界に拡散したのではありません。―縄文ノート「64 人類拡散図の検討」「63 3万年前の航海実験からグレートジャーニー航海実験へ」「66 竹筏と「ノアの箱筏」参照

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 海洋交易民であった豊かなカナン人フェニキア人)の国々を滅ぼして建国し、今度は農業・交易国のエジプト・バビロン・ローマの支配下に置かれた貧しく野蛮な羊飼いのユダヤ人の劣等感と原罪を隠し、「狩猟採集民の世界征服史」のホモ・サピエンス史としたのがハラリ氏固有の歴史観であり、海洋交易民のギリシア・ローマ文明、エジプト・メソポタミアインダス文明、日本文明は無視し、農耕民文明のエジプト・メソポタミア・インダス・中国文明などは「農耕がもたらした繫栄と悲劇(環境破壊と人の家畜化)」の中に押し込めているのです。「狩猟採集民世界征服史観」のトンデモ本と言わざるをえません。

 

4 「4河川文明無視」の嘘話

 前述のように、ハラリ氏のサピエンス全史は、大規模灌漑農業が発展し、文字・数学・天文学・宗教・都市などの文化が生まれたエジプト・メソポタミア・インダス・長江黄河文明の正当な位置づけを欠いています。アフリカ・アジア人の文明にコンプレックスを持つ西欧中心史観の特徴をよく示しています。

 この4大文明のうち、エジプト文明ナイル川源流のアフリカ高地湖水地方から川沿いに下って沖積平野で形成された「川下り型文明」であるのに対し、メソポタミア・インダス・長江黄河文明は「海の道」から川を上った「川上り文明」であるという違いをみせています。―縄文ノート「56 ピラミッドと神名火山(神那霊山)信仰のルーツ」「57 4大文明と神山信仰」参照

 

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 糖質(イモ・穀類)・DHA(魚介)食からみても、食料の豊富な海沿い・川沿いに人類が拡散したことは明らかです。特に、「脳神経を活性化し、記憶力の向上などの効果がある」DHAが多いおっぱいにはナマズや青魚食が欠かせず、人類は海と川の幸によって知能の向上を果たしたのです。―縄文ノート「81 おっぱいからの森林農耕論」「111 9万年前の骨製銛からの魚介食文明論」参照

 ここからは、私の好きであった浦沢直樹さん作画の『MASTERキートンマスターキートン』に思い切り脱線して気分転換したいと思いますが、主人公の平賀=キートン・太一は大学講師と保険会社ロイズの探偵をしながら「西欧文明ドナウ起源説」の証明を行うというロマンあふれる物語です。

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 私もまた人類は黒海からドナウ川ライン川ドニエプル川、ドン川沿いに、カスピ海からヴォルガ川沿いに、地中海からローヌ川沿いなどに拡散したのではないか、という可能性を夢想しています。ドニエプル川流域からヴォルガ川流域にかけてのクルガン文化仮説(6000~5000年前頃)があるものの旧石器時代の明確な痕跡は見つかってはいないようですが、エジプト・メソポタミア・インダス・長江黄河文明や日本の信濃川・姫川・天竜川・富士川源流の神山天神信仰と縄文文明などからみても、その可能性は十分にあると考えています。

 梁啓超江上波夫の「4大文明論」、マルクス・エンゲルスの「支配階級文明」論、アーノルド・J・トインビーの地域性・文化性・宗教性を分析に加えた「西ヨーロッパ文明、東ヨーロッパ文明(ビザンチン文化→帝政ロシア)、アラブ文明、ヒンズー文明、中国文明儒教)、日本文明(大乗仏教)」の6文明論、梅原猛安田喜憲氏の「縄文文明=森の文明」論、梅棹忠夫氏の水平軸・地域軸、自然・気候風土・農業環境軸での「生態史観文明」論、川勝平太氏の「海洋史観文明」論、中尾佐助・佐々木高明氏らの「照葉樹林文化」論などと較べると、ハラリ氏のホモ・サピエンス史観がいかに偏ったものであるかは明白です。―縄文ノート「48 縄文からの『日本列島文明論』」「49 「日本中央縄文文明」の世界遺産登録をめざして」「57 4大文明と神山信仰」「59 日本中央縄文文明の世界遺産登録への条件づくり」「77 『北海道・北東北の縄文遺跡群』世界文化遺産登録の次へ」「82 縄文文明論の整理から世界遺産登録へ」参照

 

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 なお、私は糖質・DHA食論、土器鍋食論、縄文(焼畑・水辺水田)農耕論、母系制社会論、神山天神(ピー)信仰論、共同体文明論などから日本文明論(縄文文明論)を考えて世界遺産登録を願っており、ハラリ氏の薄っぺらな「狩猟採集民の世界征服史観」を認めることなどできません。―縄文ノート「61 世界の神山信仰」「75 世界のビーナス像と女神像」「86 古代オリンピックギリシア神話が示す地母神信仰」「90 エジプト・メソポタミア・インダス・中国文明の母系制」「92 祖母・母・姉妹の母系制」「103) 母系社会からの人類進化」参照

 

5 「西欧人アララト山ルーツ説」の嘘話

 ハラリ氏の「地図1 ホモ・サピエンスによる世界征服」を再掲しますが、この図では黒海黒海の南のアルメニアとの境のトルコ領にあるアララト山あたりからヨーロッパに人類が移動したかのようにとれる図になっています。

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 旧約聖書『創世記』の「ノアの方舟」伝説によれば、アダムから数えて10代目の子孫、ノアに神は命じて方舟を作らせ、大洪水を起 こさせてノア一家だけが助かり、アララト山にたどり着いたとしていますが、古代メソポタミアの伝説的な王ギルガメシュの洪水伝説をもとにチグリス・ユーフラテス川中・下流から源流部に場所を移してユダヤ人がつくりかえたものであり、ユダヤ人の故郷がアララト山周辺の羊飼い部族であったことを示しています。―「縄文ノート66 竹筏と『ノアの箱筏』」参照

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 ユダヤ教キリスト教を「嘘話」として批判しながら、旧約聖書の「ノアの方舟」選民伝説をちゃっかりと使用し、アララト山あたりに住んでいたユダヤ人が西欧人のルーツであるかのように描いた新たな「嘘話」の「ホモ・サピエンスによる世界征服地図」を作り上げているのです。

 しかしながら、この世界征服地図はユダヤ人にとっては天敵のナチスヒトラーの「アーリア人」説(イラン・アーリア人ルーツ説)や、ユダヤ人差別・迫害を行ったロシア・ウクライナ南部を起点とする「インドヨーロッパ語族」説(クルガン仮説:ロシア・ウクライナ南部のクルガン文化をルーツとする説)と重なりますが、ハラリ氏の世界征服史観としてはそれでいいのでしょうか?

 

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 私はこの「インドヨーロッパ語族」説はインド植民地化を進めたイギリス人や、ギリシア・ローマ文明に劣等感を持ったドイツ人のアーリア民族説による偏向を受けた言語分析(音韻と単語)とみており、図19に見られるように言語の幹である「SVO・SOV言語構造」からみて西欧・東欧言語とトルコ・モンゴル・イラン・インド系言語は別系統と考えています。

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 なお、メソポタミア神話の最古のシュメール神話は、「海の女神」ナンム(Nammu)が天地を生み、全ての神々を生んだ母なる祖先と称され、蛇の頭を持つ蛇女神として表現されていることから明らかかなように、アフリカを出てインド洋かアラビア海ペルシャ湾を通ってチグリス・ユーフラテス川の河口から都市建設を始めた部族であり、アララト山あたりからチグリス・ユーフラテス川を下ってきたのではありません。―縄文ノート「57 4大文明と神山信仰」「90 エジプト・メソポタミア・インダス・中国文明の母系制」参照

 

6 「東洋人乾燥地帯ルーツ説」の嘘話

 さらに許せないハラリ氏の「嘘話」は、全東洋人・アメリカ原住民の拡散のハブ(中継点)を乾燥地帯のステップ気候の西アジアのイラン、中央アジアトルクメニスタンあたりに置いていることです。

 ここには、熱帯・亜熱帯・温帯のエジプト・メソポタミア・インダス・長江黄河文明などの農耕文明などから目を逸らせ、狩猟・遊牧民の世界征服を歴史の中心におきたいユダヤ人であるハラリ氏の意図はミエミエです。

 海沿いの人類拡散ルートはY染色体亜型の分析から図20を始め多くの説が出されているにも関わらずハラリ氏はそれらを無視しており、科学者というよりはグローバリズムの「人類世界征服説」のアジテーター・新興宗教者のようです。期待して読んだだけに、がっかりですが、日本を始め世界の研究者たちが批判していないのが残念です。―縄文ノート「43 DNA分析からの日本列島人起源論」「45 縄文人ドラえもん宣言」「46 太田・覚張氏らの縄文人『ルーツは南・ルートは北』説は!?」「63 3万年前の航海実験からグレートジャーニー航海実験へ」「64 人類拡散図の検討」参照

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 『DNAでたどる日本人万年の旅』の著者の崎谷満氏の図21などは、7 ~5万年前に南インドからニューギニアオーストラリア大陸などに移住したオーストライドが「海・海辺の道」を通ったとしながら、なぜかその後にアフリカを出たモンゴロイドは同じように「海・海辺の道」を通ったとはしていません。

 

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 Y染色体O型が多い東南アジア人・中国人(「主語―動詞-目的語」言語族)や、Ⅾ型が多い日本人(「主語-目的語-動詞」言語族)が海・海辺の道を通らずにヒマラヤ山脈の麓から東インド・東南アジアの山岳地帯を移動したとしているのは意味不明です。

 「縄文ノート39 『トカゲ蛇神楽』が示す龍神信仰とヤマタノオロチ王の正体」において、「黄河流域の夏王朝龍神信仰は、龍の文様の入った玉璋(ぎょくしょう:刀型の儀礼用玉器)のデザインがベトナム→四川→二里頭(黄河流域)とシンプル化していることからみて東南アジア起源で、龍神は背中に突起があるトカゲをモデルにしたものである可能性が高い」と書きましたが、中国人は東南アジアの大トカゲが棲む海辺から北上したことが明らかであり、それは細長く、炊くとパラパラしたインディカ米を好むことからも明らかです。

 日本人とチベット人などに多いⅮ型のドラヴィダ系海人・山人族は、前掲の図10に示したように、南インドから東南アジア山岳地帯をへて海の道をやってきたジャポニカ米やもち食を好む部族と、チベットからシベリアを横断して北海道にやってきた部族が合流したと考えています。―縄文ノート「43 DNA分析からの日本列島人起源論」「45 縄文人ドラえもん宣言」「64 人類拡散図の検討」など参照

 徳川幕府鎖国300年により、日本人はすっかり「海は怖い・船が嫌い」になり、さらに明治維新からは欧米拝外主義に転換して「狩猟・肉食人類進化説」にはまってしまい、「ウォークマン史観」にどっぷりとつかっていますが、西アフリカからの日本人の大移動から人類史に提案する気概を持ちたいものです。

 なお、私が小学生の頃だったと思いますが「日本語はウラル・アルタイ語フィンランド語やトルコ語モンゴル語朝鮮語・日本語)」と習い、ずっとそう思い込んでいましたが、大野晋氏の『日本語とタミル語』(1981年)や安本美典氏の『日本語の起源を探る』(1985年)などを読み、さらに霊(ひ)信仰の神山天神信仰や稲作起源の分析を行ううちに、交流・交易や他民族支配により借用が起りやすい数詞や身体語などの基本語の統計的分析よりも、民族固有の宗教語や農耕語などの希少性・恒常性のある単語分析と言語の幹である言語構造の比較こそが重要と考えるようになり、現在は倭音倭語・呉音漢語・漢音漢語の3層構造の日本語のルーツはドラヴィダ語であると考えており、それこそがDNA分析やヒョウタン・イモ食・稲作・もち食、霊(ひ)信仰の起源とも符合すると考えています。―縄文ノート「26 縄文農耕についての補足」「28 ドラヴィダ海人・山人族による日本列島稲作起源論」「29 『吹きこぼれ』と『お焦げ』からの縄文農耕論」「36 火焔型土器から『龍紋土器』へ」「37 『神』についての考察」「38 『霊(ひ)』とタミル語『pee(ぴー)』とタイ『ピー信仰』」「41 日本語起源論と日本列島人起源」「42 日本語起源論抜粋」「53 赤目砂鉄と高師小僧とスサ」「80 『ワッショイ』と山車と女神信仰と『雨・雨乞いの神』」「115 鳥語からの倭語論」 

 

7 「グローバル帝国主義」のためのユダヤキリスト教に代わる嘘話

 ヘブライ大学歴史学部の終身雇用教授であるユヴァル・ノア・ハラリ氏のことはNHKのテレビ番組で知り(録画しているはずですが、見てはいません)、本を買いましたが私が自分で人類史について考えきる前にカンニングするのは嫌で読んでおらず、それなりの私なりの答えを見つけたのでやっと読みました。

 ユダヤ人差別を受けてきた彼が、どのように人類史をみているのか興味津々でしたが、「ユダヤ教キリスト教」「貨幣」を嘘話と断言したことは評価できますが、ではユダヤ人やユダヤ教が元となったキリスト教イスラム教全体の歴史や金融資本の歴史をどうとらえているのか、ユダヤ教がどのようにして生まれたのか、ユダヤ人が関わった金融資本の歴史的な役割がどうであったのかの分析・記述はなく、実にがっかりでした。

 ユダヤ人差別をはね返す役割などなく、さらには現代の格差社会化や民族間戦争、地球環境・食料などの危機に対して有効な歴史的教訓もなく、狩猟民族を原点に置いた新たな「世界征服」の嘘話のための作業(成功してはいませんが)でしかないように思いました。

 さらに批判を続けたいと思います。

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/

縄文ノート133 『サピエンス全史』批判2 狩猟・遊牧民族史観

 『サピエンス全史』と名付けているので、ユヴァル・ノア・ハラリ氏が人類誕生について最新の研究を踏まえた新たな提案をしているものと期待したのですが、古くさい教科書的な要約でした。

 それも、羊飼いであったユダヤ人のルーツを隠そうとした、世界史については偏った西欧中心主義の偏った歴史書でした。

 それも、羊飼いであったユダヤ人のルーツを隠そうとした、世界史については偏った西欧中心主義の偏った歴史書でした。

 数回に分けて批判し、私の「女・子ども主導進化説」「熱帯雨林進化説」「おしゃべり・共同子育て・採集進化説」「糖質・DHA(魚介)食進化説」「水中歩行採集(魚介類・両生類・爬虫類)進化説」「穴掘り棒・銛・調理具製作進化説」「焼芋・焼麦・焼米進化説」「家族・氏族・部族(分業)・地域共同体進化説」「母系制妻問夫招婚進化説」「冒険・探検好き族拡散説」「ホモ・イミューン(免疫力の高い人間)生き残り説」のまとめとしたいと思います。

1.「狩猟民族に学ぶべき」???

 『未来を読む』(大野和基インタビュー)では、ハラリ氏は「21世紀の人間は狩猟民族に学ぶべき」とし、「自分自身を環境に適応させる」「自分の身体や五感に対して、敏感であること」を提案していますが、ここには狩猟・遊牧民についての歴史の歪曲が見られます。

 干ばつや寒冷化で草地が消えて大型動物がいなくなると、狩猟民は移住します。放牧地の草がなくなると遊牧民は他の放牧民を攻めて草地を奪い、さらに農耕民族の国を侵略したことは、中国の「万里の長城」や元のユーラシア大陸征服が示しています。

   採集民や漁撈民、農耕民の歴史を無視・否定し、狩猟・戦争民族を頂点に置いた歴史観の持ち主であることをハラリ氏は隠していません。

 アーノルド・J・トインビー氏が人類の歴史を26の文明の興亡としてとらえ、『文明の生態史観』『女と文明』『宗教の比較文明学(編)』などで、「地域性」にこだわって多様な文明論を展開した梅棹忠夫氏とは異なり、ハラリ氏の人類史は狩猟・遊牧民であるユダヤ人をベースにして西欧のキリスト教白人を中心に置いた偏ったホモ・サピエンス論であり、それはユダヤ人のマルクス・エンゲルスと同じ偏った世界観に立っています。

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 羊飼いの遊牧民であったユダヤ民族が「乳と蜜の流れる場所」カナン(今のパレスチナを中心とした地域)やヒッタイトにおいて、神がアブラハムに下した命令として皆殺しの殺戮を行い、あるいは男は殺戮し女子どもを奴隷化した罪悪については旧約聖書がはっきりと誇らしげに書いています。

 同じユダヤ人でもジャレド・ダイアモンド博士は『昨日までの世界(下)』においてその事実をはっきりと書き、ユダヤ教徒キリスト教徒の宗教による戦争の正当化を非難しているのに対し、ハラリ氏はこのユダヤ民族の原罪を隠しており、歴史家としては失格といわざるをえません。

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 「ユダヤ人によるユダヤ人のためのサピエンス全史」を全人類の歴史に置き換えることは許されません。このような「嘘話歴史書」「エセ歴史書」をもてはやした池上彰氏など日本のマスコミの責任は大きいといわなければなりません。

 採集漁撈民・焼畑農耕民であり、母系制社会であったドラヴィダ系海人・山人族の縄文人の1万数千年の歴史とアフリカを出て日本列島にやってきた4万年の全歴史から、ハラリ氏の人類史を批判したいと思います。

 なお、私はユダヤ人差別・迫害やナチスユダヤ人虐殺を否定するような反ユダヤ主義の人種差別主義やユダヤ人陰謀説などには組せず、ハラリ氏の歴史観ユダヤ人擁護のために歪められ、グローバリズムの世界支配に理論的根拠を与えようとしていることに対してだけ批判していることを再度、明言しておきます。

 

2 「ホモ・イミューン(免疫力の高い人間)」の生き残り

 ハラリ氏は「第1章 唯一生き延びた人類像」の冒頭において、「不面目な秘密」として、ホモ・サピエンス(賢い人間)が他のネアンデルタール人など「少なくとも6つの異なるヒトの種」を絶滅させたかのように書き、「私たちしかいない現在が特異なのであり、ことによると、私たちが犯した罪の証(あかし)なのかも知れない」としています。

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 ユダヤ人やキリスト教徒が行ってきた殺戮をホモ・サピエンスがそもそも誕生の時から持っていた本能であり、「ユダヤ人の原罪」「キリスト教徒の悪行」を「ホモ・サピエンスの本能」としてすり替えているのです。

 ユダヤ人を神に選ばれた選民とし、カナンの住民を虐殺し、アフリカやアメリカ、オーストラリア大陸キリスト教徒たちが原住民を殺戮し、奴隷化した人類史を隠蔽し、それらの非人道的行為がそもそもの人類すべての本能であるかのように書いているのです。ジャレド・ダイアモンド博士とは決定的な違いです。

 では、ホモ・サピエンスネアンデルタール人を集団虐殺したような明白な証拠はあるのでしょうか? そのような考古学的証拠は皆無です。ホモ・サピエンスが世界に拡散した頃に、他のホモ属が絶滅したことが判っているだけです。

 世界には多くの種類のサルがおり、ホモ・サピエンスに近いゴリラ、オランウータン、チンパンジーボノボなどの多様な類人猿がいるにも関わらず、ホモ・サピエンスだけが他の他のヒト属(原人や旧人類)を殺し尽くしたという合理的な理由があるのでしょうか?

 他のヒト属をホモ・サピエンスが絶滅させたという説はハラリ氏だけでなく西欧中心史観の「肉食・闘争・戦争進歩史観」には根強く見られますが、合理的な推理と言えるでしょうか?

 多種多様なサルや類人猿をみていると、今西錦司氏の「棲み分け理論」があてはまり、彼らは可能かぎり競争を避けながら棲み分けを行い共生していることが明らかです。DNAや食物からみてほぼ同類のヒト属もまた共生していたと推理するのが合理的な推理です。アフリカなどでホモ・サピエンスがサルやゴリラやチンパンジーと共生し、絶滅させていないことをみても、ホモ・サピエンスだけが他のヒト属を残らず殺戮してしまったという特殊な理由は考えられません。

 また、人類のアフリカ・アジアなどの多様な民族・部族構成をみても明らかなことは、基本的にホモ・サピエンスは言語・容貌・習俗などが異なっても住み分けて共生しており、他の部族・民族を抹殺することなどやっていないのです。1例として台湾の少数民族の分布を図2に示しますが、時に対立して殺人を犯すことがあったとしても、それぞれ距離を置いて各民族は暮らしているのです。

 広域的に交易・交流を行っていた縄文人の1万数千年の歴史において集団殺戮や戦争の痕跡が見られないことをみても、食物が豊富であり母系制社会で女性を奪い合う必要がなければ、理由もなく他部族を殺し合うことなどなく、逆に交易・交流・婚姻によって相互に利益をえていたのです。

 では、ホモ・サピエンス以外の他のヒト属はなぜ絶滅したのでしょうか?

 1例として、人口100万人あたりの新型コロナウィルスによる国別の死者数を思い出していただきたいのですが、日本や韓国、インドなどは1/10~20と異常に少ないのです。もし感染予防対策を知らず、医療がない時代であればその差はもっと大きくなり、絶滅に追い込まれた人類種があった可能性は高くなります。

 細菌やウィルスなどによる絶滅こそまず考えるべきであり、野菜・穀類・魚介類などを食べ、突然変異で免疫力が高くなった「ホモ・イミューン(免疫力の高い人間)」の「ホモ・サピエンス」だけが生き残った可能性が高いと私は考えます。

 このハラリ氏の「闘争・殺戮・戦争人類本能説」は彼だけのものではなく、一神教選民思想の「西欧中心史観=白人中心史観」に根強く続いており、日本でも多くの拝外主義の翻訳研究者が追随しています。

 縄文ノート「70 縄文人のアフリカの2つのふるさと」「85 『二足歩行』を始めたのはオスかメス・子ザルか「87 人類進化図の5つの間違い」において、私は2015年9月18日のナショナルジオグラフィックのニュースの『ヒトはなぜ人間に進化した? 12の仮説とその変遷』を紹介しました。

 それは「1.道具を作る」「2.殺し屋(常習的に殺りくをする攻撃性)」「3.食料を分かち合う」「4.裸で泳ぐ」「5.物を投げる」「6.狩る」「7.食べ物とセックスを取引する」「8.肉を(調理して)食べる」「9.炭水化物を(調理して)食べる」「10.二足歩行をする」「11.適応する」「12.団結し、征服する」というものですが、「2.殺し屋(常習的に殺りくをする攻撃性)」「12.団結し、征服する」を人類進化の仮説としています。

 さらに「1.道具を作る」「5.物を投げる」「6.狩る」「7.食べ物とセックスを取引する」「8.肉を(調理して)食べる」は男性が行う狩猟を想定したものであり、「2.殺し屋(常習的に殺りくをする攻撃性)」「12.団結し、征服する」と合わせると、「男性中心史観」の「狩猟・殺戮・征服史観」といえます。

 一方、私の知識は『日経サイエンス』『ナショナル ジオグラフィック』を読んでいるレベルですが、「3.食料を分かち合う」「11.適応する」だけでなく、「女同士が協力して子育てと食料採集を行った」「加熱糖質食が脳の発達を促した」などを人類進歩の重要なきっかけとして考えるメス主導進化説の「共同・共生文明」史観が登場してきています。「タカ派進歩史観」に対し「ハト派進歩史観」とでも言うべき新説が次々と生まれてきているのです。

 それは日本の文化人類学者によるサルやチンパンジーボノボ、ゴリラ研究やアフリカ原住民の生活・文化の分析なども大きな役割を果たしています。

 

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 ハラリ氏がそのような研究動向を知らないことは考えられず、まともな自信のある歴史学者なら「ハト派史観」と「タカ派史観」の両説を紹介し、その上で「狩猟・殺戮・征服史観」が正しいと根拠を示して主張すべきなのです。

 

3 「脳の進化不明説」のインチキ

 サルからヒトになった脳の進化について、ハラリ氏は「200万年もの年月に、いったい何が人類の巨大な脳の進化を推し進めたのか? 正直なところ、その答えはわからない」としています。この一番重要なテーマを避けているところに、ハラリ氏の真実を隠そうとしている「嘘話」はミエミエです。

 私の知識は『日経サイエンス』『ナショナル ジオグラフィック』を読み、NHKスペシャルやコズミックフロント、ヒューマニエンスなどの番組を見る程度ですが、その素人レベルでも、「肉食・生存競争・戦争進歩史観」と「糖質魚介食・共同進歩史観」が対立していることぐらい判ります。

 ハラリ氏は前者に立ちながら、後者を紹介し、批判することもなく、「その答えはわからない」ととぼけて、前者の主張を続けています。

 その理由ははっきりとしており、脳の巨大化が3~5歳までにおこることと、乳幼児の脳のDHA量の増加に相関関係があることかみて、脳の巨大化とシナプス密度(神経細胞の情報伝達機能)の高まりは乳幼児期におこり、それは熱帯雨林での母子の子育てコミュニティでの会話と熱帯雨林での根菜類や魚介の採集・漁撈・栽培活動によるものなのであり、男性主導のサバンナでの狩猟によるものではないのです。―縄文ノート「81 おっぱいからの森林農耕論」「85 『二足歩行』を始めたのはオスかメス・子ザルか」「87 人類進化図の5つの間違い」「88 子ザルからのヒト進化説」参照

 糖質とDHA・たんぱく質をたっぷりととり、親子・メス同士・子ども同士の活発なおしゃべりと共同採集・漁撈活動による会話と知識伝達により、危険を避けながら成長した賢い子どもが生き残り、進化を遂げたのです。

 

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 □参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

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  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/

縄文ノート132 ピュー人(ミャンマー)とピー・ヒ信仰

 江戸中期からの父方の先祖の墓には「日向」、提灯には「日南」と書いて「ひな」と名乗っており、明治になって30戸の本家であったため「ひなもと=日本」の名字を届けたところ役場が「雛元」漢字に変えたため一族は憤慨している、というきわめて珍しく、面白い先祖の歴史があり、さらに仕事先の青森県東北町で平安時代とされる「日本中央」の石碑に出合い(青森の中に東北があり、さらに日本中央があるという逆立ちの面白さ!)、私は「ひな」の全国の地名や記紀の研究に入り、多くの「ひ」は「日」ではなく「霊」ではないか、との結論に達しています。

 「縄文ノート128 チベットの『ピャー』信仰」では冒頭で次のように書きました。

 

 神々を産んだ始祖神の「むすひ=産日(古事記)=産霊(日本書紀)」夫婦、「人・彦・姫・聖・卑弥呼・日嗣‣棺・神籬(ひもろぎ)・神名火山(かんなびやま)」は「霊人・霊子・霊女・霊知・霊巫女・霊継・霊洩木・神那霊山」、出雲では妊娠を「霊がとどまらしゃった」ということ、「ぴー=ひ(沖縄)=ひな(天草)」が女性器名であること、霊(ひ)信仰のルーツが南インドのドラヴィダ語(タミル語)の「pee(自然力・神々しさ)」や雲南省ロロ族の「ピー・モ」(巫師)、タイ農耕民の「ピー(先祖、守護神)」信仰にあることなど明らかにしてきました。

 

 素人の気楽さで、「思い切った仮説をたてるのが素人の役割」「仮説検証は各分野の専門家に任せればいい」と考えているため、記紀ウィキペディアのデータで徹底的に考え抜いて「最少矛盾仮説」をまとめ、あとで関係資料を読むことが多いのですが、今回も今頃になって『東南アジア史Ⅰ 大陸部』(石井米雄・桜井由躬雄)を読み、10世紀までのミャンマービルマ)のイラワジ川に沿って「ピュー人」が住んでいたという図に出合いました。

 ドラヴィダ系海人・山人族が日本列島人のルーツと考えてきた私の説に、新たな裏付けが加わりました。

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1 ミャンマーの「ピュー人」

 『東南アジア史Ⅰ 大陸部』では、ミャンマーのイラワジ川沿いに「ピュー人」の記載を見つけましたが、残念ながら本文には記載がありません。

 ウィキペディアは次のように書いています。

 

 ピューは他称で、漢文史料の「驃」「剽」などの表記、ビルマ語のピュー(Pyu)に由来する。古くはPruと発音され、『ハンリン・タマイン(由来記)』には「微笑む」を意味するPrunに由来すると記されている。

 

 なお、モン人のタイが今も「微笑みの国」と言われていることからみて、チベットビルマ語系の「ピュー」の語源がオーストロアジア語族のモン語の「Prun:微笑む」であるという説には疑問があります。

 「ピュー人」がチベットビルマ語系とされていることからみて、チベットの「ピャー(祖先霊)」信仰からきており、バラモン教が入ってきた時点で本来の「ピュー」の意味は忘れられた可能性があります。

 

 唐会要第100巻には「魏晋の間(3世紀)に『西南異方志』及び『南中八郡志』なる著ありて云わく『永昌、古の哀牢国(注:雲南省南西部地方に建国した西南夷の国)なり。伝え聞く、永昌の西南のかた三千里に驃国あり。君臣、父子、長幼に序あり。』と。然れども史伝に見るものなし。

 

 この記載から、3世紀には「驃国」(驃:呉音「ビョウ」、漢音「ヒョウ」)があったことは確実です。

 なお沖縄の「あいういう」3母音と本土の「あいうえお」5母音の関係から見て、「ゆ=よ」で「Yuo」音であり、ミャンマーでは「ピュー」、漢人は「ヒョー」と聞いたと考えられます。

 

 10世紀以前に建設された7つのピューの城郭都市が発見されている。・・・かつてエーヤワディー川流域では一大文化圏が形成されていたと考えられており、その文化圏はピュー文化圏と呼ばれている。・・・1-2世紀から3-4世紀にかけて存続していたベイッタノーが最古の城郭都市であるが、一部にはベイッタノーをピューの城郭都市と見なすことに疑問を投げかける意見もある。・・・ピュー語はチベットビルマ語派に属することが判明したが、ピューの言語は完全に解読されていない。1,2世紀ごろに南インドの人間が下ビルマに移住し、300年ごろに文字を初めとするインドの思想・学問がピューに伝わり、ビルマ土着のナッ信仰や竜神信仰にインド伝来のバラモンの思想がまじりあった。

 

 この記述からみると、紀元1~2世紀頃の南インドからのバラモン教の移住民より前に住んでいた原住民が「ピュー人」であったと考えられます。

 

2 チベットの「ピャー」信仰

 「縄文ノート128 チベットの『ピャー』信仰」の繰り返しになりますが、「ピュー人」との関係を探るために要点を再掲しておきます。

 7世紀にチベット高原を支配していた「吐蕃王家」の始祖王ニャティ・ツェンポの父もしくは祖父は「ピャー」と呼ばれ、敦煌資料では一族の神は「ピャーのうちのピャー」と呼ばれていたとされており、「ピャー=神=祖先霊」を指していることが明らかです。

 このニャティ・ツェンポ王はインドから流離する形で現れ、天から降りてきた縄を登ってこの世から去ったとされる天神信仰であり、この「ピャー族」は西チベットからきたとされていることからみて、インダス川を遡り、聖山・カイラス山(仏教では須弥山)を祖先霊が宿る聖山とし、チベットを東西に流れるヤルンツァンポ川(ブラマプトラ川上流)を下った「ピャー族=神族」と考えられます。―「縄文ノート57 4大文明と神山信仰」参照

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3 台湾の卑南族

 「縄文ノート91 台湾・卑南族と夜這い・妻問夫招婚の『縄文1万年』」では、台湾の東南部山地の約1万人の卑南族(現地ではピューマ、呉音ではヒナ・ヒナン)族について、「原住民の祭礼・祭祀に欠かせない祖霊部屋は巫女信仰のアニミズム」「豊年祭 - 粟の収穫を祈願する祭祀; 収穫祭 - 粟の収穫を感謝する祭祀; 大狩猟祭」「祖霊部屋(巫師部屋)、少年会所、青年(男子)会所」「頭目制度と男子会所による年齢階級組織が混在した母系社会」などはわが国の民俗と似たところがあることを紹介しました。

 ピー信仰と関係がある部族名の可能性があります。

             

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4 「ピュー」「ピャー」「ピー」「ひ・ぴ」が示すもの

 「縄文ノート38 霊(ひ)とタミル語pee、タイのピー信仰」で取り上げたタイの「ピー」、ロロ族(雲南のイ=夷=倭族)の「ピー」、ドラヴィダ語(タミル語)の「ピー」、倭語の「ヒ=ピ」と、ミャンマーの「ピュー」、チベットの「ピャー」、台湾卑南族の「ピュー」を整理すると、表1、図1のようになります。

 

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 これらの「ピー・ヒ」の祖先霊信仰はチベット族の伝承とドラヴィダ族のルーツからみてアフリカの神山天神信仰を起点とした可能性が高く、北のチベットと西(南インドミャンマー)へ広がり、日本列島にまでたどり着き、霊(ひ)を継承する「人(霊人:ひと)」「霊神(ひじん=ひのかみ:蓼科山)」などの縄文文化へと続いたと考えられます。―縄文ノート「56 ピラミッドと神名火山(神那霊山)信仰のルーツ」「57  4大文明と神山信仰」「61 世界の神山信仰」参照

 図4のアジアの「ピー・ひ」宗教の分布で特徴的なことは、琉球から北海道までの海人族・縄文人の活動範囲が非常に広いことです。その島々からなる細長い交易ルートは「海の道」しか考えられず、そのスケールは「アフリカからインド」「インドから東南アジア」への距離と匹敵し、海人族が伝え運んだ可能性が高いと考えます。

 

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 ただ、現在のドラヴィダ人Y染色体はH型33%、O・L・R1a・J型がそれぞれ14~11%であり、紀元前53000年頃にアフリカ東岸からインド南西部に移住したのに対し、日本人(沖縄北39%、九州28%、東京40%、アイヌ88%)やチベット人などに多いY染色体D型は残っておらず、Y染色体D型族は南インドから残らず移動したと考えられます。しかし、「ピー」信仰やポンガルの赤米・烏祭り、宗教・農耕のドラヴィダ語(タミル語)などの文化をドラヴィダ族に残し、北のチベットと東のミャンマーなどに移住したと考えます。―縄文ノート「28 ドラヴィダ系海人・山人族による稲作起源論」「38 霊(ひ)とタミル語pee、タイのピー信仰」「30 『ポンガ』からの『縄文土器縁飾り』再考」「37 『神』についての考察」「38 『霊(ひ)』とタミル語peeとタイのピー信仰」「41 日本語起源論と日本列島人起源」「42 日本語起源論抜粋」参照

 従って、日本列島人のルーツはドラヴィダ族ではなく、「ドラヴィダ系海人・山人族」と考えています。

 

5 「イ族」と照葉樹林文化論

 ウィキペディアによれば、イ族(旧族名: 夷族、倭族、自称:ロロ族)は南東チベットから四川を通り雲南省に移住してきており、現在では雲南に最も多く居住し、南詔王国を建国した烏蛮(うばん)族が先祖だと言われています。北方から徐々に南下したこれらイ語系種族集団(烏蛮)は、それまでその地に先住し勢力を有していた白蛮(広義のタイ系諸族)と対立抗争を繰り返し、白蛮系の高い文化の影響を受けた烏蛮系が台頭して先住の白蛮系をおさえ、唐代にはリス族、ナシ族とともに烏蛮を形成したとされています。

 ピー・モが主催する祖先霊信仰を行う焼畑民でトウモロコシ、米、ジャガイモ、麦、ソバ、豆類などを栽培し、ヤギや豚などの家畜を飼育し、伝統的な主食はツアンパという炒ったムギ粉を水で練ったもので、チベット族の食習慣に近いとされ、火祭りや独自の相撲があります。

 注目したいのは、イ族(夷族、倭族)の先祖の烏蛮(うばん)族が南東チベットをルーツとし、ピー=霊(ひ)信仰の「烏(う=カラス)」を神使とする部族であることです。

 「縄文ノート73 烏帽子(えぼし)と雛尖(ひなさき)」などにおいて書いたように、平安時代から近代にかけての礼服において男子が「雛尖(ひなさき:クリトリスを前に付けた烏帽子(えぼし=からすぼうし)を被り、住吉大社熊野大社(本宮・速玉・那智)、厳島神社安芸国一宮)などスサノオ一族が烏を神使とし、青森・秋田・茨城・新潟・長野で小正月(1月15日)にカラスに餅や米、大豆の皮や蕎麦の殻、酒かすなどを与える「ホンガ」のカラス神事が残っており、そのルーツがドラヴィダ族の可能性が高いこと、ドラヴィダ族がインダス文明を作ったことからみて、烏蛮(うばん)族のイ族(夷族、倭族)が倭人と同じくドラヴィダ族を先祖としている可能性が高いことが符合します。

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   私は「委奴国=いなのくに」、「倭国=いのくに」、「一大国=いのおおくに」「邪馬壹国=やまのいのくに」と読んでおり、イ族(夷族、倭族)との符合は偶然ではなく、チベット人と日本人がY染色体D型が多いこととも符合します。

 文化人類学者の中尾佐助氏や佐々木高明氏らは、「根栽類の水さらし利用、絹、焼畑農業陸稲の栽培、モチ食、麹酒、納豆など発酵食品の利用、鵜飼い、漆器製作、歌垣、お歯黒、入れ墨、家屋の構造、服飾などが圏の特徴として挙げられる」(ウィキペディアより引用)とし、中国雲南省を中心にヒマラヤ、ブータン、華南、台湾、西日本に広がる地域を照葉樹林文化圏と名づけており、私はこの照葉樹林文化の類似性については認め、継承していますが、「照葉樹林文化圏中国雲南省中心説」「長江ルート渡来説」については次節のようにDNA・言語・農耕などから同意できません。―縄文ノート「25 『人類の旅』と『縄文農耕』、『3大穀物単一起源説』」「26 縄文農耕についての補足」「28 ドラヴィダ系山人・海人族による日本列島稲作起源論」「43 DNA分析からの日本列島人起源論」「62 日本列島人のルーツは『アフリカ湖水地方』」参照 

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6 日本列島人の起源について

 中尾佐助氏や佐々木高明氏らの「照葉樹林文化論」とは、次の点で私は異なります。

 第1は、鳥浜遺跡で発見されたアフリカ西部のニジェール川流域が原産地とされるヒョウタンや北アフリカが原産地のウリ、さらには琉球から東北にかけての対馬暖流交易圏からみて縄文人は海人族の性格が強く、海の道から日本列島にやってきた可能性が高いことです。―縄文ノート「25 『人類の旅』と『縄文農耕』、『3大穀物単一起源説』」「26 縄文農耕についての補足」参照

 第2Y染色体D型人はE型人(コンゴイド)とニジェールコンゴ川流域の海岸部で誕生し、糖質・魚介食によって知能を発達させ、アフリカ高地湖水地方を経て南インド、さらには東南アジアへと熱帯雨林を移住し、糖質・魚介食・土器鍋食文化(特にさしみ)を維持してきており、乳製品・肉・糖質食文化のチベットから雲南にかけての山岳地域を主要なルーツとしてはいません。―縄文ノート「81 おっぱいからの森林農耕論」「85 『二足歩行』を始めたのはオスかメス・子ザルか」「89 1 段階進化論から3段階進化論へ」「111 9万年前の骨製銛からの魚介食文明論」「62 日本列島人のルーツは『アフリカ湖水地方』」「70 縄文人のアフリカの2つのふるさと」参照

 ただし、Y染色体D型人の一部は山岳地域に移住してドラヴィダ系山人族として照葉樹林文化を育んでおり、寒冷化を迎えた時にイラワジ川を南下し、ドラヴィダ系海人と共同で東に「海の道」を進み、日本列島にやってきたと考えています。―「縄文ノート28 ドラヴィダ系海人・山人族による稲作起源論」参照

 

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    第3は、Y染色体D型族の分布と「主語-目的語-動詞」言語構造からみて、チベット・東南アジア山岳地帯・雲南から長江流域を下って「主語-動詞-目的語」言語構造の漢民族の間を縫って日本列島にやってくることができた可能性は低く、「シベリアの道」から北海道へやってきたアイヌ系とミャンマーからアンダマン諸島をへて「海の道」をやってきた南方系の2ルートが日本列島人の起源であるとするのが私の「主南方系・従北方系日本列島人形成説」です。―縄文ノート「41 日本語起源論と日本列島人起源」「42 日本語起源論抜粋「43 DNA分析からの日本列島人起源論」参照 

 日本語が倭音倭語・呉音漢語・漢音漢語の3層構造となっているのは、倭音倭語の旧石器・縄文人がベースとなり、徐福をはじめ中国の戦乱を逃れ、あるいは中国南方の沿岸漁業民が流されて日本列島に漂着して呉音漢語がもたらされ、さらに邪馬台国の遣使、遣隋使・遣唐使や仏師の受け入れ、琉球王国の交易などにより漢音漢語が加わったことによると考えます.

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 第4は、「照葉樹林文化圏中国雲南省中心説」が成立しないことです。前述のようにイ族(旧族名: 夷族、倭族、自称:ロロ族)は南東チベットをルーツとしており、Y染色体D型がチベット人(43~52%)やミャンマー沖のアンダマン諸島(73%)に濃厚であることや、モチイネ・茶・ソバ・納豆の分布中心からみて、「照葉樹林文化圏」の中心はイラワジ川上流のミャンマー高地の可能性が高いと考えます。―縄文ノート「28 ドラヴィダ系海人・山人族による稲作起源論」参照

 なお、「畑=火+田」の焼畑由来の和製漢字や「ソバ」の語源からみても、「蕎麦食」は中国伝来ではなく、もっと古い縄文焼畑によるソバ栽培からと私は考えます。―「縄文ノート109 日本列島そば好きラインー蕎麦と焼畑」参照

 

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7 まとめ

 ミャンマービルマ)のイラワジ川に沿って「ピュー人」が住んでいたという図に出合い、「ぴー・ひ」信仰の日本列島の「ひと=霊人」のルーツについてアフリカからのジグゾーパズルが完成しました。

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/

縄文ノート131 「仮説ハンター」からの考古学・歴史学

 『サピエンス全史』批判から、少し、横道に逸れます。学生・高校生「ロボコン」のMCであり、「サイエンスZERO」(NHK・Eテレ)のMCであるタレントの小島瑠璃子さんが降板することになった3月27日の録画を昨夜見ましたので、関連して私の思い出を書いていきたいと思います。

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 ただ、記憶がとみにが衰えており、ひょっとしたら「ガリレオX」(BSフジ)か「コズミックフロント」(NHK-BS)だったかも知れないのですが、「素粒子物理学では全世界で毎日10~20個の仮説が生まれている」という研究者の発言を「こじるり降板」番組で思い出したので、私の印象に残っていたこの発言を紹介しておきたいと思います。若い研究者により「考古学・歴史学の分野では全世界で毎日10~20個の仮説が生まれている」ようなことがあるのでしょうか?

 「仮説検証型」の工学は「仮説命」みたいなところがあり、「仮説を立てて実験で証明する」ことに明け暮れています。私も「仮説は自由だ!」とばかりに古代史や人類史の「仮説ハンター」(化石ハンターからのもじり)として探究を進めてきました。

 私の仕事であったまちづくりの分野では、5年後・10年後の市町村計画や、具体的な戦略プロジェクト・事業計画をたてるために、ヒアリング調査・グループインタビュー調査、アンケート調査を必ず行いますが、その時「何かありませんか」と御用聞き調査を行ったのでは5年後・10年後の住民ニーズはつかめません。質問されて初めて意識した、考えた、質問されたから答えた、という人が多いからです。

 いろいろと将来像や問題解決案などについて仮説をたて、質問し、アンケート項目をたてる必要があるのです。その際、仮説的質問が間違って誘導的であったり、不十分であったりすれば、きちんとした調査にはなりません。検証は5年、10年の時間が立たないとできないのですが、仕事がリピートすれば、「仮説→調査→予測→計画」が正しかったということが認められたことになります。

 『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』では、「委奴国王=スサノオ」とするか金印が発見された志賀島を本拠地としていた「委奴国王=綿津見3兄弟」とするか迷いましたが、前者仮説を立てて調べを進めると、総合的な「最少矛盾仮説」としてまとめることができました。最終的な検証はスサノオ大国主の墓を見つけ、発掘する必要があります。

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 『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)では、「卑弥呼=アマテル3(代々襲名)」仮説をもとに、魏書東夷伝倭人条と古事記日本書紀の地名・神話分析、「正使陸行・副使水行」の行程分析、後漢王朝の「金印・ガラス壁・金銀珠龍文鉄鏡」出土地の分析により、総合的な「最少矛盾仮説」としてまとめました。あとは卑弥呼の墓を見つけて発掘して検証することですが、そのプロジェクトを立ち上げるには齢を取りすぎており、代わりに小説スタイルにしてまとめました。

 縄文社会論では、「縄文時代弥生時代古墳時代天皇家建国)」という子どもの時から納得できなかったドキドキハカ定説を捨て、「土器時代→鉄器時代」(土器鍋→鉄先鋤)という時代区分仮説を立てることにより、「縄文社会→スサノオ大国主建国」という総合的な「最少矛盾仮説」に到達することができました。その最終検証は大国主王墓の発見と発掘になります。

 日本列島人起源論では、「チンパンジー・ゴリラ居住地人類起源仮説」「ヒョウタン原産地縄文人ルーツ仮説」「海人族竹筏移動仮説」「イネ科植物単一起源仮説」「『主語-目的語-動詞』言語族移動仮説」をもとに、Y染色体D型・E型分布や宗教分析(霊信仰、神山天神信仰)、宗教・農耕語ドラヴィダ語(タミール語)などと合わせて総合的な「最少矛盾仮説」としてまとめました。その最終検証は、Y染色体D型の東南アジア・雲南山岳地帯での分布調査で可能になると考えます。

 限られた発掘資料から考古学は「帰納法」による分析にならざるをえず、「天皇中心史観」のイデオロギーと「記紀8世紀創作説」に導かれた文献歴史学は偏った定説からの「演繹法」の「つまみ食い古代史」にならざるをえず、どちらも1~4世紀の歴史の解明など不可能と考えます。

 これからの若い考古学者・歴史学者の皆さんは、「帰納法」「演繹法」の「重箱の隅研究」に止まることなく、「仮説検証法」の大胆な「仮説ハンター考古学・歴史学者」として、世界史にどんどん提案し、名を残す成果を上げていただきたいと心から願っております。

 世界の栄養学者や脳科学者、食物学者や農学者、霊長類研究者や文化人類学者、言語学者民俗学者宗教学者などと交流を重ね、古代史を面白くしたいとは思いませんか? 

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/