ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

135 則天武后・周王朝にみる母系制

 4月8日に録画していたNHKBSプレミアムの再放送「中国王朝 英雄たちの伝説『権力者たちの素顔 史上唯一の女帝・則天武后』」(2020年初放送)をやっと見ました。

                                 

 私はスサノオ大国主建国論、邪馬台国論から縄文社会研究に進み、わが国は母系制社会であったという結論に達し、さらに女性像・女神像と神話、人類誕生の分析から、世界の全古代文明は母系制社会であったとの論証を行いました。

 今回、中国の唐時代の武周王朝が母系制社会の世界の最後の女王国であったことがわかりましたので、ユヴァル・ノア・ハラリ氏の『サピエンス全史』批判4の前に、面白い方を先にまとめておきたいと思います。

 

1 則天武后とは

 番組は佐々木蔵之介浅田次郎両氏が出演し、次のような案内を行っています。

 

 中国歴代およそ200人の皇帝の中で、ただ1人の「女帝」則天武后(624-705 在位690-705)。

もともと唐の皇帝の側室ながら、上の妃を次々謀殺して皇后に。夫である皇帝をないがしろにし、夫の死後、息子が皇帝になると追放。遂に自ら皇帝となり、新たな王朝「周」を開く…

後世、国を乱した「悪女」の代表とされるが、その真実は?

 

 私の則天武后の知識もまた残虐な悪女というイメージだったのですが、どうやら後世の歪曲であったようです。

 ウィキペディアは次のように伝えています(要約)。

 

 武則天(ぶそくてん)は、中国史上唯一の女帝。唐の高宗の皇后となり、後に唐に代わり武周朝を建てた。・・・

 顕慶5年(660年)、新羅の請願を容れ百済討伐の軍を起こし、百済を滅ぼした。倭国(日本)・旧百済連合軍と劉仁軌率いる唐軍が戦った白江口の戦い(白村江の戦い)にも勝利し、その5年後には孤立化した高句麗を滅ぼした(唐の高句麗出兵)・・・。

 天授元年(690年)、武后は自ら帝位に就いた。国号を「周」とし、自らを聖神皇帝と称し、天授と改元した。・・・この王朝を「武周」と呼ぶ(国号は周であるが、古代の周や北周などと区別するためこう呼ぶ)。

 帝室を老子の末裔と称し「道先仏後」だった唐王朝と異なり、武則天は仏教を重んじ、朝廷での席次を「仏先道後」に改めた。諸寺の造営、寄進を盛んに行った他、自らを弥勒菩薩の生まれ変わりと称し、このことを記したとする『大雲経』を創り、これを納める「大雲経寺」を全国の各州に造らせた。・・・

 後世の中国社会や文人界においては、女性でありながら君権の上に君臨し、唐室の帝位を簒奪した武則天の政治的遍歴に対する評価はおおむね否定的であり続け、簒奪に失敗した韋后の行実と併せて武韋の禍と呼ばれるなど、負のイメージで語られることが多かった。・・・

 一方で、長年の課題であった高句麗を滅ぼし、唐の安定化に寄与した事実は見逃せない功績であるが、それは高宗がまだ重篤に陥っていなかった668年のことである。また、彼女が権力を握っている間には農民反乱は一度も起きておらず、貞観の末より戸数が減らなかったことから、民衆の生活はそれなりに安定していたと見る向きもある。加えて、彼女の人材登用能力が後の歴史家も認めざるをえないほどに飛びぬけていたことは事実であり、彼女の登用した数々の人材が玄宗時代の開元の治を導いたことも特筆に値する。歴史上にもわずかながら、彼女について「不明というべからず」と評した南宋の洪邁(毛沢東が愛読)や「女中英主」と評価した清代の趙翼(現有制度の打破を叫んだ)のように、武則天に対して肯定的な評価を下した者も存在した。

 

 なお番組でも紹介していた「前王妃の手足を切り、酒壺に入れて殺した」と書かれた新唐書などのエピソードは、前漢初代皇帝の劉邦の皇后・呂雉(りょち:呂后)が行った行為を武后にかぶせたでっち上げとみて間違いありません。番組では武后がわが子を殺し、前王妃が殺したかのように仕組んで追い落としたことを史実であるかのように取り上げていましたが、真相はどうだったでしょうか? 

 

2 新たな則天武后

 今回の番組は、次のような則天武后像を伝えています。

① 中国2000年の約200人の皇帝のうち、唯一の女性皇帝であった。

② 詩人の上官婉児など女官を高級官僚として登用し、活躍させた(墓、男装・騎乗女性像等)。 

③ 「牝鶏之晨(ひんけいのしん:めんどりが時を告げると国が亡びる)」としてきた男系社会を打破しようとした。

④ 門閥にとらわれず、科挙により優秀な人材を登用した。

⑤ 周辺民族への軍のほとんどを引き揚げ、内政を安定・充実させた。

⑥ キリスト教フレスコ画など、積極的に国際化を進めた。

⑦ 弥勒菩薩釈迦牟尼仏の次の「慈しみ」の未来仏)の生まれ変わりと称し、仏教を広めた。

⑧ 周王朝を開き、長安から洛陽に都を移して「神都」と名付けた。

⑨ 唐の最盛期の孫の玄宗の「開元の治」の基礎は則天武后が作った。

 なお番組では指摘していませんが、則天武后周王朝から次の点を継承し、発展させたことが私は重要と考えます。

ア.殷(商)を滅ぼし、周王朝を開いた「殷周革命」の「周」と「武王(姫発)」の王朝・王名を受け継いで理想の政治を行った。

イ.周が首都を鎬京(長安:現西安市)、洛邑(洛陽)を副都にしたのにちなみ、洛陽に都を移して女王が祖先霊祭祀を行う「神都」と名付けた。

                                     

ウ.女性が祖先霊祭祀を行う母系制社会の周王朝の伝統を「神都・洛邑(洛陽)」で復活した。

エ.呂尚太公望)や周公旦などを重用した武王に習い、実力のある若手官僚を育成した。なお私は「八俣遠呂智古事記)」名は「遠い呂の智慧」という好字・華字を使った王名と考えています。―縄文ノート「39 『トカゲ蛇神楽』が示す龍神信仰とヤマタノオロチ王の正体」「123 亀甲紋・龍鱗紋・トカゲ鱗紋とヤマタノオロチ王」参照

オ.「道先仏後」だった唐王朝から朝廷での席次を「仏先道後」に改め、諸寺の造営、寄進を盛んに行った。

 

 ここで脱線しますが、中国人がインドの「シャーキヤムニ(シャーキヤ族の聖者)」に「釈迦牟尼」の漢字を宛て、「ブッダ」に中国では「仏陀」の字を宛て、日本で「仏(ブツ)」を「ほとけ」としていることについて私説を補足しておきたいと思います。

 まず「ムニ(聖者)」に「牟尼=ム+牛+尼」の漢字を宛ているのは、聖牛アピスを信仰したエジプトや牛を神聖視したインドの伝統の影響とともに、その聖者を「尼」(比丘尼=出家した女性)としていることが注目されます。「尼=尸(しかばね)+ヒ(年老いた女性)」が死者=祖先霊を祀る老女を表していることからみても、中国では女性が祭祀者であったことを示しています。

 日本の弥勒菩薩像の顔が優しく、写真のように腰の大きい女子像としていることからみても、中国や日本では母系制社会の女神像に重ねて弥勒菩薩みていたのです。

                                       

 さらに「仏(ブツ・フツ=人+ム(わたし)」を「ほとけ」と読むことについては、縄文ノート「21 2019八ヶ岳縄文遺跡見学メモ」「32 縄文の『女神信仰』考」「94 『全国マン・チン分布考』からの日本文明論」などで次のように書きました。

 

 「『仏(ほとけ)』(人+ム)は、倭語倭音では『ほと+け』であり『女性器の化身』であり、倭人の女性器信仰に仏教が合わせた『和名』の可能性があります」

 「仏教では悟りを開いた人『仏=人+ム(座って座禅を組んだ人)』を呉音では『フツ』、漢音では『ブツ』(ブッダの訳)と言いますが、なぜか倭音倭語では『ほとけ』といいます。語源由来辞典では『浮屠(ふと)』に『け(家・気)』がついた、『解脱(げだつ)』の『解(と)け』に『ほ』を付けたと説明していますが語呂合わせにもなっておらず、私は『ほとけ=ホト化』であり、もともと日本にあった女性器名『ほと』からきていると考えますが、どちらがのこじつけでしょうか? なお、『宝登山(ほとさん)』だけでなく、約100mの3基の前方後円墳の保渡田古墳群のある群馬県高崎市保渡田町や横浜市保土ヶ谷など各地に『ホト・ホド』地名があり、谷のある地形からかあるいは縄文時代の円形石組など地母神信仰の地であった可能性がありますがチェックできていません」

 

2 周王朝は母系制であった

 武則天が王朝名を「周」としたのは、利州の都督(ととく:軍職)であった武氏の出であったからだけでなく、姫氏の文王(姫昌)・武王(姫発)にちなみ、母系制社会の伝統を残した周王朝を理想としたからと考えます。

 なお、私は「姓」「姫」「卑」「尊」「鬼」「魏」などの漢字分解と伏羲(ふぎ)・女媧(じょか)の神話分析により、中国の母系制について次のような分析を行っています。

 

⑴ 『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本) 191217

  • ひな 21:30

 祖父の曹騰(そうとう)は皇帝の身の回りのことを司る宦官のトップの中常侍(ちゅうじょうじ)で一流の儒学者でした。曹操の父はその養子となりましたが、父は夏(か)王朝の流れをくむ夏侯(かこう)氏の一族で、魏王は姫(キ)姓の周王朝から分家していますから、曹操周王朝の姫氏一族に仕えた夏侯氏の後継者意識が強かったと思います。その「姫」は「女+臣」です。

 曹操は「われは文王、姫昌(きしょう)たらん」と述べ、自分こそが孔子が理想とした周王朝を再建したい、という「志」を持っていたと思います。

  • カントク 21:35

 なるほど、邪馬台国の女王・卑弥呼周王朝の「姫(キ)氏」も繋がってくる。

  • ヒメ 21:36

 姫路生まれの「ヒメ」としては、周王朝邪馬台国も姫路も母系制社会だったと考えたいね。

  • ひな 21:37

 「姓名」の「姓」は「女+生」ですから、春秋戦国の争乱などで女奴隷が生まれる前の周は、女系性の国であった可能性があります。

「卑」字を漢字分解すると「甶(頭蓋骨)+寸」で、祖先霊が宿る頭蓋骨を手で支える字になります。一方、「尊」字は「酋(酒樽)+寸」ですから、孔子の「男尊女卑」は「女が掲げる頭蓋骨に男は酒を捧げる」という宗教上の役割分担を表したのではないでしょうか。

  • マル 21:41

「男は尊い、女は卑しい」という解釈は、後世の儒家による歪曲なんだよ。

  • ヒメ 21:42

 「われは文王、姫昌(きしょう)たらん」と志した曹操が好きになってきた。「姫昌」は「女+臣+日+日」だから「女のしもべとして大いに光る」という意味になる。

  • 長老 21:44

 曹操は農民の漢初代皇帝・劉邦の子孫の劉備より、夏→殷→周→秦→漢と続く王朝の中で、夏や周に繋がる自分の方が皇帝にふさわしいと曹操は考えていたんだ。

 

 縄文ノート14 大阪万博の「太陽の塔」「お祭り広場」と縄文 200404

 ちなみに、「鬼」字は「甶(頭蓋骨)+人+ム」からなり、「人が支えた甶(頭蓋骨)を、ム(私)が拝む」という象形文字です。なお「人+ム」は「仏」になります。

 「魂」字は「雲+鬼」で「天上の鬼=祖先霊」なり、「魏」字は「委(禾+女)+鬼」で「鬼(祖先霊)に女が稲を捧げる」という字になります。「姓名」の「姓」は「女+生」(女が生まれ、生きる)ですから、もともと中国の姫氏の周時代は母系性社会であった可能性が高く、魏はその諸侯でした。孔子の「男尊女卑」も「尊(酋(酒樽)+寸)」「卑(甶(頭蓋骨)+寸)」からみて、「女は頭蓋骨を掲げ、それに男は酒を捧げる」という祖先霊信仰上の女性上位の役割分担を表しており、孔子は姫氏の周時代の母系制社会を理想としていたことを示しています。

 卑弥呼の「卑」字は「甶(頭蓋骨)+寸」からなり、「祖先霊を手で支える」という意味であり、八百万神信仰の倭語では「霊(ひ)巫女」になります。「巫女」は「御子」であり、死者の霊(ひ)を祀る子孫の女性を表します。

 

⑶ 縄文ノート90) エジプト・メソポタミア・インダス・中国文明の母系制 210822

5 中国文明の母系制

 中国神話では、人類創成の神は伏羲(ふぎ)と女媧(じょか)の兄妹とされ、姓は「風」で蛇身人首の姿で描かれることがあり、大洪水が起きたときに二人だけが生き延びて夫婦となり、それが人類の始祖となったとして中国大陸に広く残されているとされています。 

                                                       


   この伏羲・女媧神話は中国少数民族のミャオ(苗)族が信奉した神と推測されており、雷公が洪水を起こした時、兄妹は雷公を助けた時にもらった種を植え、そこから生えた巨大なヒョウタンの中に避難して助かり、結婚して人類を伝えたとされています。西アフリカのニジェール川原産のヒョウタンが登場し、メソポタミアの洪水伝説や蛇神神話、兄妹婚と同じであることが注目されます。

 Y染色体D型は日本人41~47%(アイヌ88%)で、チベット人43~52%、アンダマン諸島人73%などに近いことからみて、アフリカのニジェール川コンゴ川流域に住むY染色体E型のコンコイド(ナイジェリア・コンゴなど)と分かれたD型の縄文人メソポタミア・エジプトの蛇神伝説や兄妹婚やメソポタミアの洪水伝説をその移動ルートに隣接して住むミャオ(苗)族に伝え、中国の始祖伝説となった可能性が高いと考えます。

     

 ちなみに、Y染色体D型はミャオ(苗)族3.6%、タイ人・ベトナム人2.9%、スマトラ1.8%、台湾原住民・フィリピン人0%、華南人2.1%、蒙古人1.5%、朝鮮民族2.3%などであり、「海の道」ルートと「マンモスルート」を通って日本列島にやってきたと考えられます。―縄文ノート「43 DNA分析からの日本列島人起源論」「62 日本列島人のルーツは『アフリカ湖水地方』」参照

 鬼神(祖先霊)信仰の中国人が大事にする「姓」は「女+生」であり、周王朝が姫氏であり、周の諸侯であった「魏」は「禾(稲)+女+鬼」で鬼(祖先霊)に女が禾(稲)を捧げる国であり、女王・卑弥呼(霊巫女)に金印を与えて厚遇したことをみても、もともとの中国は母系制社会であったと考えられます。―縄文ノート「31 大阪万博の『太陽の塔』『お祭り広場』と縄文」「32 縄文の『女神信仰』考」参照

   

 孔子の「男尊女卑」も、「尊=酋(酒樽)+寸(手)」、「卑=甶(頭蓋骨・仮面)+寸(手)」で、女は祖先霊が宿る頭蓋骨を手で支え、男はそれに酒を捧げるという役割分担を姫氏の周時代の母系制社会を理想として孔子は述べたのであり、「男は尊い、女は卑しい」というのは後世の儒家の歪曲です。

 「鬼」(祖先霊)は「甶(頭蓋骨又は仮面)+人+ム(座った私)」であり、「祖先の頭蓋骨を捧げた人」「仮面をかぶった人」を私が拝むという鬼神信仰、卑巫女(霊巫女)の役割を示しており、「魂」字は「雲+鬼」で「天上の鬼(祖先霊)」であり、「卑」字は「甶(頭蓋骨)+寸(手)」で祖先霊を掲げて祀る女性の巫女(みこ=御子)を表しており、いずれも祖先霊信仰を示しています。

 「卑」を卑しいという意味に変えたのは、春秋・戦国時代に戦勝国が女性を性奴隷にするようになり、男性優位社会となったのに儒家が合わせたことによるものです。

 

3 「夏」王朝について

 かつて私は、中国の最古の王朝「夏」について、「玉璋は中国各地やベトナムで発掘され、番組では夏の龍信仰が各地に広まったかのように述べていましたが、ベトナム四川省の龍の形がリアルであるのに対し、二里頭のものはより抽象化されてシンプルになっており、『考古学のデータ限界の法則』は免れませんが、むしろ南方系の起源であり、長江流域を経て、黄河流域に広まった可能性があります」と次のように書きました。

 

 縄文ノート36 火焔型土器から「龍紋土器」へ 2.夏王朝龍神信仰

① 2020年8月27日にNHK・BSの「古代中国 よみがえる英雄伝説 『伝説の王・禹~最古の王朝の謎~』」(2013年2月7日の再放送)などによれば、中国最古の夏王朝(4080~3610年前頃)の王都が黄河中流二里頭遺跡で確認され、粟・黍・小麦・大豆・水稲の五穀を栽培し、人口2万人以上を擁し、トルコ石の龍の杖と青銅の鈴、銅爵(どうしゃく:酒器)、宮殿区、龍の文様の入った玉璋(ぎょくしょう:刀型の儀礼用玉器)が発掘されたとしています。

② 玉璋は中国各地やベトナムで発掘され、番組では夏の龍信仰が各地に広まったかのように述べていましたが、ベトナム四川省の龍の形がリアルであるのに対し、二里頭のものはより抽象化されてシンプルになっており、「考古学のデータ限界の法則」は免れませんが、むしろ南方系の起源であり、長江流域を経て、黄河流域に広まった可能性があります。

③ ウィキペディアは「竜の起源は中国」としていますが、「インドの蛇神であり水神でもあるナーガの類も、仏典が中国に伝わった際、『竜』や『竜王』などと訳された」としており、中国起源説とともに、インド起源説、東南アジア起源説を検討する必要があります。

④ 足があり、頭や背中に突起のあるデザインは蛇からとは考えれられず、トゲ状のウロコで覆われているインドネシアパプアニューギニアのアカメカブトトカゲやニューギニアカブトトカゲ、スリランカアンダマン諸島ミャンマー・マレーシア・インドネシアベトナム・中国南部等の最長250㎝にもなり水によく入り泳ぎや潜水も上手いミズオオトカゲの姿が蛇神信仰と結びついて「龍」となった可能性が高いと考えます。

 

⑤ ベトナムの玉璋には牙があるように見えるのに中国のものにはないこと、龍に「人食い伝承」がなく雨を呼ぶ神、神使として信仰されていること、胴体が長く細い「蛇」と合体した姿としていることからみて、カブトトカゲ、ヘビを合体させ、水神であり天神でもある「龍」が創作されたと考えられます。

 カブトトカゲ、ミズオオトカゲの生息地から見て、「龍伝説」は東南アジアで生まれ、長江流域から黄河流域へと広がった可能性が大きいと考えられます。

 

 この夏―殷―周と続く最初の夏王朝について、ウィキペディアは概略、次のように紹介しています。

 

 夏(紀元前2070~1600年頃)は、史書に記された中国最古の王朝。夏后氏ともいう。・・・初代の禹から末代の桀まで14世17代471年間続き、殷の湯王に滅ぼされたと記録されている。

 夏王朝の始祖となる禹は、・・・大洪水の後の治水事業に失敗した父の後を継ぎ、舜帝に推挙される形で、黄河の治水事業に当たり、功績をなし大いに認められたとされる。2016年8月に科学雑誌『サイエンス』に掲載された研究結果によると、この大洪水は紀元前1920年に起こったという。

 ・・・禹は姓は姒(じ)と称していたが、王朝創始後、氏を夏后とした。

 禹は即位後暫くの間、武器の生産を取り止め、田畑では収穫量に目を光らせ農民を苦しませず、宮殿の大増築は当面先送りし、関所や市場にかかる諸税を免除し、地方に都市を造り、煩雑な制度を廃止して行政を簡略化した。・・・禹は河を意図的に導くなどして様々な河川を整備し、周辺の土地を耕して草木を育成し、中央と東西南北の違いを旗によって人々に示し、古のやり方も踏襲し全国を分けて九州を置いた。・・・

 尚、「禹」という文字は本来蜥蜴や鰐・竜の姿を描いた象形文字であり、禹の起源は黄河に棲む水神だったといわれている。この神話から、禹及び夏人は南方系の海洋民族であったと想定する説もあり、その観点からも多数の研究書がある。

 

 「縄文ノート36」は縄文土器の縁飾り分析のために書いたもので、まだ中国文明の始まりには関心がなくこのウィキペディア記載を読んでいなかったのですが、ここには重要な2つのポイントがあります。

 第1は、禹王が姓を「姒(じ)」と称し、氏を「夏后」としたという点です。漢字分解すれば「姒=女+以」で「女をもちいる」でありウィクショナリーによれば「夏后」の「夏」は「大きな面をつけて踊る人の姿を象る」とされ、「后」は『説文解字』(後漢時代の字典)で「先代の地位を正当に継いだ者」とされていますが、漢字分解すれば「后=人+口」で「告げる人」になります。

 殷時代の象形文字でみると、「夏」字は頭の上に「日」があり、嘴と尾羽のある鳥頭の装束の人が膝まづいた形をしており、死者の霊(魂)を天に運ぶ鳥信仰を表しています。そして「后」字は祖先霊の声を告げる人を表しています。

         

 わが国の小正月の「ホンガ(ポンガ)」のカラス行事や男子が正装として「ひな(女性器)とひなさき(陰核)」を正面にした烏帽子を被る風習との類似性が思い起こされます。なお、「烏帽子」をわが国では「えぼし」と発音しますが、「烏」は呉音では「ウ」と発音し(烏合の衆など)、禹(ウ)と同じ発音になります。―縄文ノート「41 日本語起源論と日本列島人起源」「73 烏帽子(えぼし)と雛尖(ひなさき)」参照

 第2は、ウィクショナリーによれば「禹」字は本来蜥蜴や鰐・竜の姿を描いた象形文字とされ、「禹=九+虫」とされ、「九」は竜の象形で、「虫」は蛇のような爬虫類を意味するとされており、トカゲ龍・龍神信仰を示していることです。

   

 「禹の起源は黄河に棲む水神だったといわれている。この神話から、禹及び夏人は南方系の海洋民族であったと想定する説」の裏付けになります。

 私は縄文土器のこれまで「鶏冠」とされていた縁飾りが「龍紋」であり、出雲神楽のトカゲ龍に引き継がれていると考え、「玉璋」のデザインの変化から、夏の龍信仰が南方系の起源であると考えましたが、「禹」字の漢字分析からも裏付けをえることができました。

 なお「九」が竜の象形文字であり、禹王が全国を分けて九州(=竜州)を置いたことは知りませんでしたが、わが国の「九州」名もまた琉球(龍宮)名や九州の龍神信仰と関りがある「竜州」であった可能性もあります。桜島阿蘇山などの神名火山(神那霊山)の雷の閃光を伴う噴火は、龍が天に昇ると考えた可能性が高いと考えます。―縄文ノート「33 『神籬(ひもろぎ)・神殿・神塔・楼観』考」「36 火焔型土器から『龍紋土器』へ」参照

 

4 則天武后の評価について

 姫氏の周王朝を理想と考えていた孔子は、前述のように「男尊女卑(男=酋(酒樽)+寸)(女=卑(甶(頭蓋骨)+寸)」を「女は頭蓋骨を掲げ、それに男は酒を捧げる」という祖先霊信仰上の役割分担を表していたのですが、孔子の弟子たちは春秋戦国時代の戦乱から秦始皇帝焚書坑儒をへて、「男は尊く、女は卑しい」とする男系社会儒教へと変質させてしまいました。「汝の敵を愛せよ」と述べたキリストの教えを、弟子たちが非キリスト教徒を殺し、支配・征服する宗教に変質させてしまったのとそっくりです。

 則天武后の評価や漢字の字源解釈には、孔子の弟子たちの「歪曲した儒教」の影響から離れて分析する必要があると考えます。

 洛陽の世界遺産龍門石窟は緻密な硬い岩質であるにもかかわらず規模は大きく、則天武后の顔に似せたとされる盧舎那仏は、実に優しい、穏やかな表情をしており、他の仏たちもまた人間的な顔をしています。戦争に明け暮れた時代のものではありません。

    

 私は中国王朝には、夏や周のような母系制の農民国家と、騎馬にたけて全土を統一した秦や殷・遼・金・元・清(大清帝国)の騎馬民族国家の2つがあると考えますが、習近平政権は後者を「中国の夢」=「中華民族の偉大なる復興」として考えているのではないかと危惧します。

 19世紀からの近代帝国主義時代、さらには16世紀からの大航海時代の近世帝国主義時代ににまで歴史を後戻りさせようとするプーチン大統領ウクライナ戦争の時代に突入した現代であるからこそ、女性皇帝・即天武后の治世は再 評価される必要があると考えます。

 「縄文ノート86 古代オリンピックギリシア神話が示す地母神信仰」の最後に書いた、古代ギリシアアテナイで紀元前5~4世紀に活躍したアリストファネスの『女の平和』の女主人公リューシストラテー(“戦争をつぶす女”)が主導して女たちの性的ストライキによるアテネとスパルタの停戦を実現した喜劇ドラマが思い出されます。

             

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/