ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート150 人類・イネ科と恐竜の起源はアフリカ(パンゲア大陸)

 6日のナショジオ・メール(ナショナル ジオグラフィック日本版 ngj@nikkeibp.co.jp)には恐竜の面白い記事が紹介されていたことに今日になって気付きましたので、書きかけの「朝鮮半島ルートか黒潮ルート、オホーツクルート、長江ルートか?」より先に書いておきたいと思います。

 次女が青年海外交流隊員としてアフリカ西部のニジェールに赴任し、若狭の鳥浜貝塚や青森の三内丸山の縄文遺跡から発見されたヒョウタンの原産地がニジェール川流域であり、アフリカイネやタロイモ(里芋)あることも知り、「主語-目的語-動詞」言語族の縄文人のアフリカ起源地に関心を持つようになりました。

 

   

 そして、日本人のDNAに多いY染色体D型と分岐したE型はニジェール川流域からアフリカ西海岸に多く、D型もまたナイジェリアで1人見つかっており、「主語-目的語-動詞」(SOV)言語のY染色体D型人はヒョウタンに水や種子を入れ、南インドから東インドミャンマーをへて、日本列島にやってきたと書いてきました。1万数千年前からの縄文土器は、このヒョウタン容器を真似て土で作り、焼いたと考えています。

 さらに、コメや粟、麦、トウモロコシ、サトウキビなどの全イネ科植物のルーツもまたパンゲア大陸南半分のゴンドワナ大陸のアフリカ大陸と南アメリカ大陸が接していたあたりではないか、という説へと進んできました。

 

    

 このような、人類・ヒョウタン・イネ科植物西アフリカ起源説の私にとって、9月2日付の「ナショナルジオグラフィック日本版」の、「アフリカ最古、2億3000万年前の恐竜化石が見つかるー竜脚類の祖先、恐竜が発祥地から広がった過程の解明に役立つ発見」という記事は実に衝撃的でした。

アフリカ南部のジンバブエで、三畳紀にあたる約2億3000万年前の恐竜の化石が発見され、アフリカで発見された恐竜の化石の中では最も古く、「アフリカは人類の最古の系統などをたどることができる場所でしたが、今回の発見によって、恐竜の起源をたどるための場所にもなったのです」というのです。

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/22/090200407/?n_cid=nbpnng_mled_html&xadid=10005

 

   

 この恐竜は、竜脚類の最古の祖先の1つで、竜脚類ブラキオサウルスブロントサウルスなどが有名で体重が60トン以上になるものもいたとされますが、今回発見された「ムビレサウルス・ラーティ」の腰高は60センチ程度だったと推定されています。

 恐竜は今から約2億4500万年前に、古代の超大陸パンゲアの最南部で最初に進化したと考えられており、現在のアフリカ、南米大陸、インドには、初期の恐竜の化石が残っているが、それらは後の時代の恐竜の化石ほど大きくも多様でもなく、小型でスリムで機敏で三畳紀の大半を古代のワニの仲間である偽鰐類(ぎがくるい)の陰に隠れるようにして暮らしていたとされています。

 当時、パンゲアは中緯度から極域にかけては緑豊かで快適だったが、赤道付近の熱帯地域は高温で、乾燥し、火事が起こりやすく、動物たちが生きていくのは困難だったとされています。

 研究チームが今回の地層で発見した動物化石は、アルゼンチンやブラジルで見つかった同時期の動物化石によく似ており、パンゲア大陸南部で同じような緯度にあった地域には、種は違っていても同じ分類群の動物がいたことを強く示唆し、恐竜はパンゲア大陸の最南部で誕生し、北上は2億3000万年前以降に始まったと推測しています。

 最初に広まり始めたのは、のちにティラノサウルスなどの2足歩行の肉食恐竜や現代の鳥類につながる獣脚類で、その後、2億2000万年前頃に、ムビレサウルスのような竜脚形類が広まっていったされ、この三畳紀の2億3500~3000万年前の間、地球全体は湿潤化し、パンゲア大陸の熱帯砂漠が縮小して動物たちが生息しやすくなったことで、恐竜が新たな生息地に進出できるようになった可能性があり、恐竜は特定の地域と環境で暮らしていたものが、のちに地球全体に広まるようになったとされています。

 イネ科植物の原産地やゴリラ・チンバンジーボノボ・人類の誕生地は赤道付近であり、小型恐竜「ムビレサウルス」の化石発見地の南アフリカとは異なります。

 しかしながら、私は人類誕生の地も化石が発見された東アフリカではなく、ゴリラやチンパンジーボノボが棲む熱帯雨林であり、高温多湿・酸性土壌の熱帯雨林では化石が発見されないだけだと思っており、小型恐竜発生地もまた熱帯雨林地域と考えています。

 恐竜も加え「イネ科植物と恐竜、人類のふるさと・アフリカ熱帯雨林」にしていいのではないでしょうか?

 何度もの重複になりますが、これまで書いてきたブログと関係図を添付します。

 

<参考:縄文ノート>

5、25 「人類の旅」と「縄文農耕」と「3大穀物単一起源説」 140613→201213 

26 縄文農耕についての補足 200725→1215 

55 マザーイネのルーツはパンゲア大陸 210211

109 日本列島そば好きラインー蕎麦と焼畑 211121

41 日本語起源論と日本列島人起源説  200918→210112

43 DNA分析からの日本列島人起源論  201002→210115

70 縄文人のアフリカの2つのふるさと 210422

140 イモ食進化説―ヤムイモ・タロイモからの人類誕生

142 もち食のルーツは西アフリカ 220619

 

□参考□ 

 <本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(前同42号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(前同43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/

縄文ノート149 「委奴国」をどう読むか?

 記録上確かなこの国の建国は、「建武中元二年(注:紀元57年)倭奴國奉貢朝賀」(3~5世紀の後漢書)と記録され、博多湾入口の志賀島で発見された「漢委奴国王」の金印に記された百余国の連合国家の「委奴国・倭奴国」に遡ります。そして、記紀は「葦原中国」「豊葦原水穂国」の建国者はスサノオ大国主一族であるとはっきりと記しています。

  

 私はこの中日の記録から「其国本亦以男子為王 住七八十年」の男王がスサノオ大国主7代であり、卑弥呼(霊御子)の「鬼道」(祖先霊信仰)はこのスサノオ大国主の霊(ひ)を祀る宗教であることを解明してきました。ただ「委奴国・倭奴国」をどう読むかについては、最初は「ひなの国」と読み、次に「いなの国」「いぬ(いの)の国」と読むなど迷ってきており、ここに整理しておきたいと考えます。―『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)、ブログ「ヒナフキンスサノオ大国主ノート(旧・神話探偵団)」「邪馬台国探偵団」等参照

 なお、紀元57年に後漢光武帝スサノオ朝貢した時の国名は「委奴国・倭奴国」ですが、107年の遣使では「倭国王帥升」(筆者説:スサノオ5代目の淤美豆奴(おみづぬ))と書かれており、帥升(すいしょう)は「委奴国・倭奴国」から「奴」を外し「倭国」への国名変更を行ったと考えています。

 百余国の「委奴国」が乱により30国が分離・独立し、30国は「相攻伐」した後に鬼道(30国王の共通の祖先霊信仰)を行う卑弥呼を共立して「邪馬壹国」としてまとまったのであり、この国の建国は「委奴国」から始まっており、「邪馬壹国論争」などやっている場合ではなく、「委奴国論争」こそ議論すべきなのです。

 

1 「委奴国・倭奴国」についてのこれまでの説

 これまで委奴国・倭奴国について、通説は「わのなのくに」とよみ、「いとのくに(伊都国)」と読む少数意見があるのに対し、私は『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』では「ひな(ふぃな)のくに」と読み、『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)では「いなのくに(稲国)」「いぬのくに→いののくに」と読む説の可能性を提案しました。

 

 

    

  

 

2 「イ(委・倭)族」と「匈奴」からの「委奴国」

 これまで中国・日本の文献や地名などから紀元1世紀の「委奴国」を「わのなのくに」「いとのくに」と読むか「ひなのくに」「いなのくに」と読むか、その意味や、後漢側か委奴国側のどちらの漢字使用かについて検討してきましたが、東・南・東南アジア全体に視野を広げて検討したいと思います。

 前回、「縄文ノート148 『地・姓・委・奴・卑』字からの母系社会論」において、殷・周時代から紀元前8~3世紀の春秋・戦国・秦時代の戦乱で、母系制社会から父系制社会に転換したことにより、甲骨文字から漢字が成立する過程で、「地・委・奴・卑」字や孔子の「男尊女卑」などが儒家たちにより男性優位の解釈に変えられてきたことを明らかにしましたが、当時の漢民族と「南蛮・北狄・東夷・西戎(なんばん・ほくてき・とうい・せいじゅう)」の民族の関係から論証したいと思います。

 図5は後漢の周辺民族を示したものですが、委奴国の「委」字は「イ(委・倭)族」に、「奴」字は「匈奴」にみられ、卑弥呼の「卑」字は「鮮卑」に見られます。漢民族にとっては、「イ(委・倭)族」は南蛮(なんばん)、「匈奴」「鮮卑」は北狄(ほくてき)に、「委奴国」は東夷(とうい)になり、これらの「委・奴・匈・卑」は悪字は周辺民族を蔑視して漢民族が付けたとこれまで解釈されてきました。

   

   

 ところが縄文ノート148でみたように、「委=禾/女」字は「女が稲のように頭を下げている」ではなく、本来の意味は「女が稲を捧げる」であったことは、「倭=人+禾/女」(女が人に稲を捧げる)、「魏=禾/女+鬼」(鬼(祖先霊)に女が人に稲を捧げる)字から明らかです。魏王朝が姫氏だあることからみても、野生の米や粟など採集していた女性が栽培を行うようになったという歴史を「委・倭・魏」字は示しています。

 なお、「あわ(呉音:ソク、漢音:ショク)」が「粟=西/米」字であることからみて、栽培は米が先であり、後に西からアワが伝わった可能性があります。

 「奴=女+又(右手)」字も、春秋戦国時代の戦乱で女・子どもを奴隷にするようになり、「女を右手でとらえる」と解釈されるようになりますが、元々の意味は「女をかばう、たすける」の意味であったことは「又」が「右」「友」「有」の原字とされ、「佑(すけ、たすく)」字などからも裏づけられます。

 「匈奴」の「匈(勹+凶)」字についても、「凶」が「胸に記された不吉を祓うしるし」であり、「勹」が「つつむ」であることからみると、中央アジアの諸民族にみられる「心臓に手を当てて敵意がないことを示す挨拶」を表す漢字であったものが、匈奴族の侵攻により、「凶悪」「凶行」「凶作」などのような悪字イメージに変えられた可能性があります。「匈=凶を勹(包む)」字と「凶」をごちゃまぜにした悪意に加担すべきではありません。

 「匈奴」の読み方ですが、表3のように「ヒョン・」「フン」「フン」「ションヌゥ」「ヒュン・」などの説からみて「奴」は「ナ、ニ、ヌゥ、ノ」の可能性があり、委奴については「いな」説、「いぬ」説、「いの」説のどれもが成立する可能性があります。また、匈奴も「あいういぇうぉ」5母音であった可能性が高く、「ヒュン=ヒョン」であり、ミャンマーに「ピュー人」、台湾に「ピュー族」がいることからみて、もともとは「ヒュン・ナ」発音であったと考えられます。

 さらに注目すべきは、「ヒュン」「ヒョン」という「ひ音」が見られることで、「ピ(ヒ)信仰」の部族であった可能性があることです。ヨーロッパへ民族移動を行ったフン族と同じという説もあり、モンゴル語で「人間=フンニー」は「ト(霊人)」や「アイヌ(人間)」と同じ語源の可能性があることに注目したいと考えます。

 

 以上のように、母系制社会の春秋戦国時代以前の甲骨文字は、「イ(委・倭)族」と「匈奴」の文字からみても、「委奴」は悪字(卑字)などではなく、良字(貴字)であった可能性が高いと私は考えます。

 

3 「南蛮・北狄・東夷・西戎」について

 中華思想漢民族は周辺民族の侵入・略奪に対抗する中で、異民族を「南蛮北狄東夷西戎(なんばんほくてきとういせいじゅう)」と蔑視し、民族名・国名に悪字(卑字)を付け、「委奴国」「倭国」などと称したというのがこれまでの定説でした。

 これに対し、私は「委奴国」名はスサノオ後漢皇帝に上表した国書に書かれていたと考え、次のように書いてきました。

 

① 「倭語論4 『倭人』の漢字使用」 200126

そもそも、委奴国王が国書も通訳も持たせず使者を後漢に送り、光武帝に面会などできません。ましてや漢語を理解しない野蛮国に後漢が金印を与え、国書(冊)や金印を渡すことなどありえません。

紀元前2~1世紀の硯が唐津市糸島市、福岡市、筑前町松江市から、紀元1~2世紀の硯が吉野ヶ里町から見つかっており、紀元3世紀に卑弥呼は「使により上表」、「使訳通ずる所、三十国」としています。末盧国(唐津市)、伊都国(糸島市)、奴国(福岡市)、邪馬壹国(筆者説:吉野ヶ里町筑前町朝倉市など)など卑弥呼を共立した倭国の30国には漢語を理解し、読み書きできる通訳がいたのであり、発見された硯からみて紀元前2~1世紀にはこれらの国々では漢字を使用していたことが明らかです。

② 「縄文ノート48 縄文からの『日本列島文明論』」 200729→210228

 委奴国王スサノオ卑弥呼後漢皇帝から金印をもらい、卑弥呼後漢に上表しており、北九州や出雲などでは紀元前後の遺跡から硯石が発見され、漢字使用の文明段階になります。

③ 「縄文ノート136 『銕(てつ)』字からみた『夷=倭』の製鉄起源」 220427

 重要なのは、古字が「銕=金+夷」であり、ウィクショナリーは「中原の外の夷狄から伝えられた金属であることから」としています。「夷狄から」としていますが、「金+狄」字ではなく「金+夷」字である以上、中国製鉄は「夷」族が起源であるとすべきでしょう。・・・

 「銕(鉄)」字からみると、中国の鉄の起源は北狄西戎からではなく、東夷が起源であり「照葉樹林の道」か「海の道」から伝わったことが明らかです。・・・

 なお、イ族は中国西部の古羌の子孫で、イ族は南東チベットから四川を通り雲南省に移住し、現在では雲南に最も多く居住しているという説が見られますが、「羌(コウ、キョウ)=羊+人」であることからみて遊牧民西戎」であり、照葉樹林帯に暮らして弓矢による狩りが得意な南の「イ族」とは異なります。

 一方、「東夷」は元々は江蘇省山東省付近の「畎夷・於夷・方夷・黄夷・白夷・赤夷・玄夷・風夷・陽夷(九夷)」などであり、後には朝鮮半島や日本列島の「委奴国(いなのくに)」「倭人(いひと・いと・いじん)」「一大国(いのおおくに)」「邪馬壹国(やまのいのくに)」なども指すようになります。

 

 

④ 『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本) 2020105

 孔子は「道が行なわれなければ、筏(いかだ)に乗って海に浮かぼう」と述べ、これを受けた陳寿(ちんじゅ)三国志魏書東夷伝の序に「夷狄(いてき)の邦(くに)といえども、俎豆(そとう)の象(しょう)存り。中國礼を失し、これを四夷(しい)に求む、猶(な)を信あり」と書いています。

 「俎(ソ)(まないた)は祭の生贄(いけにえ)を乗せる台で「豆(トウ)」は食物を乗せる高坏、「象(ショウ)」は道理を指しますから、「俎豆(そとう)の象(しょう)存り」は「祖先霊を祀る祭祀が行われている」という意味になります。

 朝鮮半島の鬼神信仰に対し、卑弥呼にだけ「鬼道」という尊称にしたのは、作者の陳寿(ちんじゅ)孔子の教えを忠実に受け継いだ儒家だからと思います。「東夷」の「夷(い)」の国ではなく「委(い)(稲)」の国であり、「道・礼・信」の国とみていたことが明らかです。

 

 三国志から100年後の『後漢書東夷伝は、「東方のことを夷という。夷とは根本の意味である」「恵み育て生命を尊重することで、万物は土地に根ざしてできるものである」「東夷は一般に心穏やかに行動し、心に謹むことを慣習としている。これは他の三方の蛮夷(北狄西戎・南蛮)と異なるところである」としていますが、三国志が「中國礼を失し、これを四夷(しい)に求む、猶(な)を信あり」と書いていることからすると、陳寿の頃には四夷(しい)は「なお信あり」であったのであり、東夷だけでなく南蛮・北狄西戎についても、侮蔑の意味を持った悪字ではなかった可能性が高いと考えられます。

 そこで、表5に「蛮・狄・戎」字の字源を示します(『ウィクショナリー』『漢語林』による)。

 

 「蛮・狄・戎」の字源をみると、「戎」の字源は「ほことよろい」の重武装兵を指しており侮蔑の意味はなく、「蛮」の字源は「亦+虫」で「虫+虫」になり、「虫」の字源は蛇・龍であり、蛇神・龍神信仰を示していることから漢族の蛇神信仰(伏羲・女媧の兄妹夫婦神)、龍神信仰のルーツを示しており、悪字とは考えられません。―縄文ノート「30 『ポンガ』からの『縄文土器縁飾り』再考」「36 火焔型土器から『龍紋土器』へ」「39 『トカゲ蛇神楽』が示す龍神信仰とヤマタノオロチ王の正体」参照

 

 「狄」字の「犬+火」は犬の焼肉文化を想像させますが、中国では新石器時代から黄河流域・長江流域では犬食がさかんに行われていたものの、狩猟・遊牧民は犬を狩猟犬、家畜の番犬として大事に飼っており、犬肉を食べることはありません。「狄」字は犬食漢民族にとっては大好きな良字であり、「北狄」を差別語とみるのは2重の言いがかりという以外にありません。

         

  以上、「南蛮・北狄・東夷・西戎」の字源の検討からみても、甲骨文字段階からの「委奴」「イ(委・倭)」「匈奴」字は悪字ではありません。後漢側が「委奴国」の使者からの聞き取り音をもとに差別的な語を選んで「委奴国」の漢字を当てたのではなく、「委奴国」はスサノオが国書に記した国名であるとが明らかです。

 

4 「ピー・ヒ」信仰と南蛮・北狄・東夷・西戎」について

 この国の人々を生んだ始祖神を古事記は「産日(むすひ)」、日本書紀は「産霊(むすひ)」夫婦神とし、出雲大社の神殿の正面に祀られていますが、DNAが親から子へと受け継がれるのを古代人的合理的解釈としては「霊(ひ)が受け継がれる」と考えたのでした。天皇家皇位継承儀式は「日継(ひつぎ)」とされていますが、日本書紀による解釈では「霊継(ひつぎ)」です。

 この「霊(ひ)信仰」のルーツについて、私は「縄文ノート37 『神』についての考察」において大野晋氏の「日本語の『霊(ひ:fi)』はタミル語の『pee(ぴー);自然力・活力・威力・神々しさ』に対応する(筆者注:沖縄では「ぴ」から「ひ(fi)」に変わる)」とする説をもとに、南・東南・東アジア各地に「ピー・ヒ」信仰が見られることを明らかにしましたが、匈奴(ヒュンナ・ヒョンナ)や鮮卑(センピ)もその国名から「ピー・ヒ」信仰の宗教圏であった可能性が高いことが明らかとなりました。―縄文ノート「10 大湯環状列石三内丸山遺跡が示す地母神信仰と霊(ひ)信仰」「15 自然崇拝、アニミズム、マナイズム、霊(ひ)信仰」「37 『神』についての考察」「38 『霊(ひ)』とタミル語peeとタイのピー信仰」「40 信州の神那霊山(神名火山)と霊信仰」 「128 チベットの『ピャー』信仰」「132 ピュー人(ミャンマー)とピー・ヒ信仰」参照

 

    

 この「ピー・ヒ宗教圏」は縄文ノート「43 DNA分析からの日本列島人起源論」「45 縄文人 ドラえもん宣言」「46 太田・覚張氏らの縄文人『ルーツは南・ルートは北』説は!?」「140 イモ食進化説―ヤムイモ・タロイモからの人類誕生」「縄文ノート147 『ちむどんどん』からの古日本語(縄文語)解明へ」などで述べてきた「Y染色体D型分布」「イモ・ソバ食」「もち食」「温帯ジャポニカのDNA」や、「縄文ノート4 日本語起源論と日本列島人起源」などで述べた「主語-目的語-動詞」(SOV)言語分布や「あいうえお」「あいういいぇうぉ」母音分布とも重なっており、「南北2ルート」「海人族+山人族」の日本列島人のルーツは解明できたと考えます。

 

   

 残るテーマの、縄文人の南ルートが「海の道ルート」なのか、それとも「揚子江ルート」なのか、は次回に検討したいと思います。

 

5 「委奴国」は「いな国」か「ひな国」か?

 以上の「イ(委・倭)族」と「匈奴(ヒュン・ナ)」の検討により、「委奴国」を「わのなの国」あるいは「いとの国」と読む説は成立しないと考えます。

 「イ・ナ」発音と「豊葦原水穂国」から「いなの国」説の可能性も高いのですが、南・東南・東アジアの「ピ(ヒ)ー」信仰と匈奴(ヒュン・ナ)・鮮卑(センピ)の「ヒュン・ヒ」と、同時代の後漢霊帝中常侍(ちゅうじょうじ)の李巡(りじゅん)が東夷9国を「八倭人、九天鄙(テンヒ)」と書いていることからみて、「ひなの国」説がもっとも可能性が高いと考えます。

 また、「奴」を倭流の「ぬ(の)」と読む「いぬ(いの)の国」説も否定できず、図4のように魏書東夷伝倭人条の伊都国=平原遺跡より「百里」の行程から、「奴国」の王都「ぬの国(ぬ城=のき=のけ)」が「野芥(のけ)櫛田神社」の小山から発掘されれば、奴国は「ぬの国=のの国」であり、委奴国は「いぬ(いの)の国」の可能性があると考えます。―表1および『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)参照

 なお『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』では、金印を「漢の委奴(ひな)国王」と読むことができる2つの説を紹介していますので転載します。

① HP(古代日本語研究掲示板)

 委の字は音符禾(クワkwa、中国音としてはむしろ喉の奥で発音するファxwa)の転音ウィ(wi)と意符女(従順の意)の形声文字であり、フィ(xwi)に近い発音だった時期もあると推定できるので、古代日本語の「ひな」のヒ(fi または pi)を古代中国人が「委」と表記したのではないかという推測もにわかには否定できない。

② 『日本古語大辞典』(柳田圀男の実弟の松岡静雄著、昭和四年発行)

・ヒ族:上代ヒという種族名が存したらしい。ヒイ、もしくはイヒとして、地名、神名等に残る。

・イヒ族:イヒ川、イヒ田、イヒ森などの地名が諸国に存在する。この種族がヒナともヒダとも呼ばれ、或いはシナ、シ。」

・ヒナ(夷):ヒ(族名)ラ(接尾語)の呼称。この種族はキ(紀)、アマ(海人)よりも先にこの国に渡来し、原住民コシ(高志)を征服したが、自己もまた新来者によって駆逐せられた。

 

 結論として「委奴国」の読み方は「ひなの国」説がもっとも有力であり、次に「いなの国」説の可能性も高く、「いぬ(いの)の国」の可能性も否定できない、と考えます。

 この間、私はこの3つの説をそれぞれ迷いながら書いてきており、煮え切らない結論ですが以上のように整理しておきたいと思います。

 

□参考□ 

 <本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(前同42号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(前同43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

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縄文ノート148 「地・姓・委・奴・卑」字からの中国母系社会論

 古事記冒頭が「天地初めて発(はな)れる時」から始まっているように、「天と地」は中国人にとっても日本人にとっても世界の基本的な2つの構成要素でした。

現代人的合理性だと「宇宙と地球」となるのでしょうが、目に見える範囲で「天と地」と考えるのは古代人的合理的にかなっています。

 この「地」についていつものように漢字分解を行ってみると「地=土+也(女性器)」であり、中国人は「地」は「土+女性器」と考え、倭人は「土からなる」と解釈していたようです。

 人類の文明史の解明において、私は今や世界標準となった、縄文人から続く日本の「Emoji(絵文字)」と中国人の象形文字である漢字分解による分析は、世界の氏族・部族社会段階の宗教・社会の解明に大きな役割を果たすことができると考えます。

 今回、「地・姓・委・奴・卑」字の漢字分解と元字分析により、「蛇神信仰」「兄妹婚」「母系制社会」「女性による農耕起源」の解明が進みましたが、鉄の古形が「銕(てつ:金+夷(い))」であるいことから雲南の「イ(委、倭)族」と日本の「委奴国・倭国」の製鉄の関係など、さらにいろんなテーマで各分野の方に取り組んでいただきたいものです。

 

1 「地」字の意味

 ウィクショナリーの記載は混乱しており、「地」については「土+也。也は平らに伸びたサソリの象形文字、平らに伸びる様子を表す」とする一方で、「也」については説文解字後漢の部首別漢字字典)は「女陰の象形」、中国語学者藤堂明保氏は「蠍(さそり)の象形」としています。

 

 

 この「也」字にはこのように女陰説と蠍(さそり)説がありますが、図1のように古い象形文字の「地」字と「蠍=虫+歇(曷+欠)」字には類似点が全くありません。一方、「地」字の「也」字は漢代には「注1:」と書かれており、女性器から子どもが生まれる形を表しています。

 

 私は「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(『季刊 日本主義』31号20150925)とこれを修正した「縄文ノート10 大湯環状列石三内丸山遺跡が示す地母神信仰と霊(ひ)信仰」において、環状列石(ストーンサークル)太陽信仰説を批判し、次のように主張しました。

 

① 私は、石器人は人の生死を、植物が大地から生え、種子が落ち、枯れて大地に帰り、春に再生するのと同じように考えたという地母神信仰説を支持しています。

② 地面に掘る穴の円形の形状、昆虫があけた円形の穴、大地から生える木や植物の茎の円形の断面、子どもが生まれてくる女性の膣の形状、住居の円形平面などから、石器人たちは地中の死者の国は円形と考え、その範囲を円形に石で囲った可能性が高いと考えます。円形は天の太陽信仰ではなく、地母神信仰の入口を示しているのです。

③ 円形の石組の中心立てられた立棒は、東日本の各地の住居内の炉の近くや土坑の中央や縁に直立して発見されている男根型石棒と同じであり、円形石組は女性器を形象し、母なる大地の女性器に男根を立てて精液を注ぎ、黄泉の国の死者が再生することを願ったものと私は考えます。

 

       

 「地=土+也(女性器)」の漢字は、植物が生え、虫や蛇たちが湧いてくる大地を母と考え、その入り口の円形を女性器の象徴として崇拝した地母神信仰を示しています。

 また、「縄文69 丸と四角の文明論(竪穴式住居とストーンサークル))では、四角平面の箱型の骨組みに円形平面になるように屋根を設けていることから、縄文人は円形平面住宅にこだわっていることが明らかであり、そのルーツがアフリカから伝播した可能性を述べ、世界各地の集団墓地の環状列石(ストーンサークル)や円形石組、円墳に反映した可能性を次のように述べています。

 

 私は「縄文ノート32 縄文の『女神信仰』考」「縄文ノート34 霊(ひ)継ぎ宗教論(金精・山神・地母神・神使)」などにおいて、大湯環状列石において環状列石と石棒・円形石組がセットであることや、朱で満たした甕棺・石棺・石槨、現代に続く石棒―金精信仰などから、母系制社会の地神(地母神)信仰として「環状列石地母神性器説」を提案してきました。

 しかしながら、円形平面住居の歴史がアフリカに濃厚に残っており、日本では竪穴式住居として先行している以上、「環状列石死者の住居聖域説」もまた成立する可能性があります。死者の魂は神山(神名火山:神那霊山)から天神となって天に昇る一方、地中には死者の円形の住まいがあると考え、その範囲を環状の石列、あるいは土塁として、聖域化したのではないか、と考えるようになりました。

 竪穴式住居・ストーンサークルの「北方起源・南方起源」と合わせて、決着をつけるべき時でしょう。

 

 今回、「地」字が「土+也(女性器)」であることが明らかとなったことにより、アフリカから世界に広がった人類が母系制社会の地母神信仰であることが黄河文明からも裏付けられました。

 

2 蛇神信仰を示す戦国時代の「地」字

一方、戦国時代の「地」字には「土」字や「:以下注参照」=它(へび)字や「」=「阜(D」(フ:おか)字が見られることからみると、戦国時代には「地」字は「土の上に丘があり蛇がいる」という象形文字になります。

 

 図2に戦国時代と漢代の「地」字を比較しましたが、後者の「也」字は「女陰の象形」(〇から子どもが生まれる象形)とされる一方、「它(E)」(へび)字にも似ており、もともと両者は同じ字源であった可能性があります。

 

 さらに「縄文ノート90 エジプト・メソポタミア・インダス・中国文明の母系制」の「5 中国文明の母系制」で私は次のように書きました。

 

 中国神話では、人類創成の神は伏羲(ふぎ)と女媧(じょか)の兄妹とされ、姓は「風」で蛇身人首の姿で描かれることがあり、大洪水が起きたときに二人だけが生き延びて夫婦となり、それが人類の始祖となったとして中国大陸に広く残されているとされています。

 この伏羲・女媧神話は中国少数民族のミャオ(苗)族が信奉した神と推測されており、雷公が洪水を起こした時、兄妹は雷公を助けた時にもらった種を植え、そこから生えた巨大なヒョウタンの中に避難して助かり、結婚して人類を伝えたとされています。西アフリカのニジェール川原産のヒョウタンが登場し、メソポタミアの洪水伝説や蛇神神話、兄妹婚と同じであることが注目されます。

           

 戦国時代には人類のルーツを半蛇神とするミャオ(苗)族の蛇神信仰が行われており、「地」字も「(阜(おか)+它(へび))/土」で書かれていたものが、ミャオ(苗)族が漢族に敗れて揚子江中流域から山岳地帯に追われることにより、漢族の地母神信仰に変わり、「地」=「土+也(女性器)」に変わったと考えられます。

 わが国でも長野県富士見町の井戸尻考古館の「巳を戴く神子」土偶茅野市の「蛇体把手土器」や新潟・長野・福島等の「火焔型土器」のトカゲ龍の縁飾り、スサノオに殺されたヤマタノオロチ王は「八岐大蛇」とされ、スサノオと御子・大年(大歳)の大物主一族は美和(三輪)山に住む蛇神として大神(おおみわ)神社で祀られ、海人族の出雲大社では海蛇を龍蛇神として祀っており、4~6世紀の蛇行剣など、蛇神信仰は地母神信仰とともにわが国にも伝わっています。―縄文ノート「36 火焔型土器から『龍紋土器』へ」「39 『トカゲ蛇神楽』が示す龍蛇神信仰とヤマタノオロチ王の正体」「123 亀甲紋・龍鱗紋・トカゲ鱗紋とヤマタノオロチ王」「127 蛇行剣と阿曽地名からの鉄の伝播ルート考」参照

 その伝播時期は、縄文ノート「30 『ポンガ』からの『縄文土器縁飾り』再考」「36 火焔型土器から『龍紋土器』へ」で書いたように縄文時代に遡り、東南アジアのトカゲ龍信仰からの伝播と考えられます。

 さらに「縄文ノート90 エジプト・メソポタミア・インダス・中国文明の母系制蛇神信仰」において、「メソポタミア神話の最古のシュメール神話は、「海の女神」ナンム(Nammu)が天地を生み、全ての神々を生んだ母なる祖先と称され、蛇の頭を持つ蛇女神として表現され、天と地が結合している『天地の山』アン(アヌ)と『大地・死後の世界を司る女神』キを生んだとされます。・・・アンとキが兄妹神でありながら夫婦になる兄妹婚神話はギリシア神話のゼウスとヘーラーの兄妹婚にも見られ、私は母系神に妻問夫招婚した男神を血族として書き換えたことによるものと考えています」と書いたように、蛇神信仰は兄妹婚とともに海人族のメソポタミアが起源の可能性があります。

 また、エジプト神話においても、「創世神のヌン(Nun)は『原初の水』と呼ばれてあらゆる存在の起源とされ、その子の創造神アトゥム(Atum)の立つ大地『原初の丘』も指すとされています。アトゥムは原初の水『ヌン』より『蛇』の姿をして誕生し、独力で大気の神シューや湿気の女神テフヌトなどの神々を生み出した両性具有の神とされています」とされており、「原初の丘」と「蛇」、「両性具有の神」などは、前述のように中国の戦国時代の「地」字には「土」字や它(へび)字、阜(おか)字が見られることと符合しており、メソポタミア・エジプト神話がミャオ族に伝わった可能性を示しています。

 インダス文明では蛇神信仰は確認できていませんが、「八俣遠呂智(古事記)・八俣大蛇(日本書紀)の『八俣』は8つの頭を持っていた大蛇とされ、東南アジアに伝わる頭が7つあるインドの『ナーガ(蛇神)』や、仏法の守護神の八大竜王をイメージさせる偉大な王名としていることです(縄文ノート39 『トカゲ蛇神楽』が示す龍神信仰とヤマタノオロチ王の正体)と書いたように、インド神話にもは蛇神信仰が見られます。

 このようにメソポタミア・エジプト・中国の3大文明には確実に蛇神信仰が見られ、さらに日本の縄文文明にはもっとも古い蛇神・トカゲ蛇神信仰が見られることが縄文土器土偶から明らかです。4大文明以前にこの蛇神・トカゲ蛇神信仰は人類のアフリカからの拡散とともに、地母神信仰や水神信仰、神山天神信仰とともに各地に広がった可能性が高いことを伺わせます。

 

3 「姓」字など家族関係語が示す母系制社会

「姓」字が「女+生」であることは、中国においては5000年前頃の甲骨文字から3000年前頃の姫氏の周王朝の頃は母系制社会であったことを、私は次のように書いてきました。

① 「縄文ノート48 縄文からの『日本列島文明論』」

中国もまた、彼らが大事にする「姓」字が「女+生」であることなどから、孔子が理想とした姫氏の周王朝までは母系制であり、春秋・戦国の時代から父系制にかわったのではないか、と私は考えています。

② 「縄文ノート75 世界のビーナス像と女神像」

 「姓」字が「女+生」であるように古代中国もまた母系制社会であり、「姫氏」の周王朝の諸侯であった「魏」(禾+女+鬼)は「禾(稲)を女が鬼(祖先霊)に捧げる」国であり、周王朝を理想とした曹操卑弥呼の「鬼道」(孔子は「道」の国とみていた)の国を特に厚遇したのです。

 

 「女」偏の漢字が、家族語の「娘、媛、姫、姉、妹、姪、妻、婦、嫁、婿、婚、妊、娠、姻、姑、婆」などに多く見られることをみても、中国は元々が母系制社会であったことを示しています。 特に注目したいのは「婿(むこ)=女+疋(足)/月」で、中国では男が女の家に「足入れ婚」(正式の婚姻前に家族に入る婚姻居住形態)を行われていたことを示しています。

 さらに、「威(女+戈:おどす)」「媚(女+眉:こび、うつく-しい)」「姜(羊/女:美女)」「妙(女+少:若い)」「姿(次/女)」「嬰(貝貝/女:あかご)」「娯(女+呉)」などをみても、女性文化の国であったことを示してます。

 これに対して、「男=田/力」であり、田を耕す働き手であることを期待されているだけであり、「男」偏はなく、「男」字を含むよく知られている漢字は「甥(おい:生+男)」、「舅(しゅうと:臼/男)」、「虜(とりこ:虍(とらかんむり)+男)」らいしかありません。

 

4 「委」「倭」「魏」「始」「嫌」字が示す稲作の女性起源

 これまで「委(禾/女)」「倭(人+禾/女)」「魏(委+鬼)」字について、私は次のように書いてきました。「委」字について、ウィクショナリーは「禾と女ともに柔らかいので、任せて従うことを示す」と解釈していますが、これは母系制社会から父系制社会に変わった後の儒家の解釈であり、そのまま読めば「禾/女」字は「禾(のぎ:稲や穀物)を女が掲げる」という字です。

     

① 縄文ノート6 古代国家形成からみた縄文時代―船・武器・稲作・宗教論

 「魏」は「委+鬼」であり、「鬼」は頭蓋骨や仮面をかぶった人とされている。「委」は「禾(のぎ:稲)+女」で女性が頭を下げた様子を表しており、「魏」は女性が祖先霊を敬うことを表す漢字である。

② 縄文ノート21 2019八ヶ岳縄文遺跡見学メモ

 石包丁や石鍬、磨り臼・磨り石を合わせて考えると、この地では4~5000年前頃に「粟(西+米)」「稗(禾(ワ:稲)+甶(頭蓋骨)+寸(手))」「黍(禾:稲)+人+水)」「麦(麥=來(来)+夂(足))」などのイネ科穀物やソバ(タデ科)の栽培が行われており、縄文農耕が確立していた可能性が高いと考えます。

③ 縄文ノート26 縄文農耕についての補足

 「委奴」国名は漢字分解すると「禾(稲)+女+女+又」になり、「縄文絵文字」の伝統を受け継いだ倭流漢字用法で「禾(稲)を女が、子を宿す女の又(子宮)に捧げる母系制の国」であることを表したものであり、委奴国王・スサノオ後漢への使者に持たせた国書に倭人側が書いた国名であると私は考えます。「いな=いね」の国を倭人が「委奴(いな)」と国書に表記したのであり、後漢側が「卑字」として使ったものではないのです。―詳しくは『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)参照

④ 縄文ノート32 縄文の「女神信仰」考

 周(姫氏)の諸侯であった「魏(禾(稲)+女+鬼)」は鬼(祖先霊)に女性が禾(稲)を捧げる漢字であり、魏の曹操は「われは文王、姫昌(きしょう)たらん」と述べ、孔子が理想とした周王朝を再建したい、という「志」を持っていました。

 

 さらに注目したいのは、「始」字が「女+ム(耜(すき)の象形で原字)/口)であることです。なお「ム=耜(すき)」字は「耒(すき)+𠂤(「堆」の異体字)」と考えられ、鍬で土を盛り上げて畝をつくることを象形した字であり、「女+ム+口」は「女が鍬で穴を掘る」という象形文字と考えられます。ウィクショナリーは「『厶』は耜(すき)を意味、台は耜を持ち耕し始めるの意。女としてはじめて子を孕むことであり、胎と近縁」として女性の出産と解釈していますが、厶(耜(すき))字が含まれる以上、「始まり」は「女による農耕の開始」という意味と私は考えます。

 なお、「鬼」字について、前掲のように「『鬼』は頭蓋骨や仮面をかぶった人とされている」としましたが、漢の時代になると「ム」が加わっており、「甶(頭蓋骨)/(人+ム(耜(すき))」であることからみると、「鋤を使った農業で支えられた祖先の甶(頭蓋骨)」という字になり、農耕文明段階の祖先霊信仰を示しています。私はこの「甶(頭蓋骨)」は女性のものであると考えています。

        

 さらに「嫌(女+兼:きらう)」字も気になります。「兼(かね-る)」字は「禾+禾+又(手)」の象形文字で、「『秝(『禾』が並ぶ様)』を、『又(手)』で持つ様で、あることが続くの意」とウィクショナリーは解釈していますが、「嫌」は女性が稲運びの力仕事を嫌い、男(田/力)に任せたという母系制社会を示す漢字と考えます。

        

 「鎌」(藁などを手でまとめ刈り取る刃物)字をみても、「兼」は農耕から派生した象形漢字であることが明らかであり、しかも女性中心の漢字なのです。

 私はサルから人類への進化は、熱帯雨林の沼地・小川・海岸での母・子たちの採集・漁撈による糖質・DHA食とおしゃべりによる頭脳の発達と下半身を水につけての二足歩行と棒を使う手の発達によるものであり、家族の形成はそこにオスが用心棒・力仕事で加わったと考えてきましたが、漢字の「禾」「始」「嫌」「男」字はそのような人類進化を見事に示しています。―縄文ノート「81 おっぱいからの森林農耕論」「85 『二足歩行』を始めたのはオスかメス・子ザルか」「88 子ザルからのヒト進化説」「89 1段階進化説から3段階進化説へ」「107 ドーパミンからの人類進化論―窮乏化進化か快適志向進化か」「111 9万年前の骨製銛からの魚介食文明論」「126 『レディ・サピエンス』と『女・子ども進化論』」「140 イモ食進化説―ヤムイモ・タロイモからの人類誕生」「141 魚介食進化説:『イモ・魚介、ときどき肉食』その2」「142 もち食のルーツは西アフリカ」参照

 

5 「奴」「卑」は女性差別の悪字か?

 「縄文ノート21 2019八ヶ岳縄文遺跡見学メモ」において、私は「孔子が述べた『男尊女卑』の、『尊』字は『酋(酒樽)+寸(手)』、『卑』字は『甶(頭蓋骨・仮面)+寸(手)』で、女は祖先霊が宿る頭蓋骨を手で支え、男はそれに酒を捧げるという意味であり、『男は尊い、女は卑しい』というのは後世の儒家の歪曲です」と書きましたが、始祖の言葉とそれ伝えた弟子たちの記録や後世の学者たちの解釈には歪曲がある可能性を考えておく必要があると考えます。キリスト教などもその典型です。

 「匈奴」や「委奴国」の「奴」についても同じで、「奴」は「女+又(右手)」でウィクショナリーは「女を手でとらえ奴隷としたものとも、手作業をする奴隷とも」と解釈する一方で、「又」については「『右』の原字。かばう・たすける(佑)の意があり、『友』『有』の原字でもある」としています。

      

 この「又」字の解釈なら、奴(女+又)は「右手で女をかばう、助ける」の意味となり、漢委奴国王の金印に刻まれた「委奴」=「禾/女+女+又」は「稲を掲げる女を手で助ける」の意味となり、「匈奴」や「奴隷」などに使われた女性を蔑んだ悪字にはなりません。ノーベル生理学・医学賞を受賞した本庶佑さんの「佑=人+右」字を「たすく」と読むことから見ても、「奴=女+又(右手、友、有)」字は本来は良字であったとみて間違いありません。

 「卑」字について、前掲のように私は「孔子が述べた『男尊女卑』の、『尊』字は『酋(酒樽)+寸(手)』、『卑』字は『甶(頭蓋骨・仮面)+寸(手)』で、女は祖先霊が宿る頭蓋骨を手で支え、男はそれに酒を捧げるという意味」と書きましたが、当時はウィクショナリーの字源を知らず、今回、「甶(頭蓋骨・仮面)」字の下に棒が伸びていることに気付いたので訂正したいと考えます。

 ウィクショナリーは「柄杓又は柄杓状の酒器を手で持つ様で、『椑』の原字。柄杓や酒器で雑事を処理することから、身分が『ひくい』『いやしい』事と概念された」としていますが、もともと酒は女性が造り、祖先霊に捧げ、皆で共飲するものであったことからみて、孔子の「男尊女卑」は「男が尊(酋:酒樽)を寸(手)で運び、女は柄杓を持って祖先霊に捧げるという役割分担を示した言葉」に修正したいと考えます。

 「縄文ノート73 烏帽子(えぼし)と雛尖(ひなさき)」で書きましたが、中国唐代の「烏沙 (うしゃ) 帽」やわが国の「烏帽子(えぼし)」、「八咫烏」伝承、青森・秋田・茨城・新潟・長野に小正月(1月15日)にカラスに餅や米、大豆の皮や蕎麦の殻、酒かすなどを与える「ホンガ」のカラス神事に伝わり、そのルーツは南インドのドラヴィダ族の「ポンガ」の祭りから雲南などのイ(委・倭)族(烏蛮)をへて揚子江流域に広がったと私は考えています。

      

 「奴」や「卑」字は、姫氏の周代の母系制の氏族社会では良字=貴字であったものが、春秋戦国時代の領地争いの争乱により男は殺し、女・子どもは奴隷とするようになり、「奴」や「卑」字は女性差別・軽蔑の悪字にされたと私は考えています。

漢王朝を支えた儒家たちは、母系制社会から戦争による父系制社会への移行に合わせ、孔子の「男尊女卑」の解釈を変えるとともに、「奴」「卑」字などを女性差別・軽蔑の悪字に貶めたのです。

 「妖(女+夭(走る):なまめかしい、あやしい)」「嫉(女+疾(病気):ねたむ)」「妾(辛(針状のとがった刃物)/女:女奴隷)」「姦(女+女+女:かん-する、かしま-しい)」「娼(女+昌(日+日:さかん))」なども良字から悪字にされたと考えます。

 なお、「委奴国」「倭国」を誰が書き、どうよみ、どう解釈するかについては、別稿で整理したいと思います。

 

6 まとめ

 人類の文明史の解明において、「縄文ノート52 縄文芸術・模様・シンボル・絵文字について」においても少し触れましたが、縄文人の「縄文Emoji」と、中国人の象形文字である漢字は、世界の氏族・部族社会段階の宗教・社会の解明に大きな役割を果たすと考えます。―縄文ノート「22 縄文社会研究会八ヶ岳合宿報告」「36  火焔型土器から『龍紋土器』 へ」「39 『トカゲ蛇神楽』が示す龍蛇神信仰とヤマタノオロチ王の正体」参照

 「蛇神信仰論」「兄妹婚論」「母系制社会論」「女性による農耕起源論」をテーマとして、門外漢なりの検討を進めてきましたが、さらにいろんな切り口で検討を進めていただきたいものです。―「縄文ノート136 『銕(てつ)』字からみた『夷=倭』の製鉄起源」参照

 特に、言語学や漢語学、絵文字アートなどの関係者の皆さんに取り組んでいただくことを期待したいと思います。また文化人類学の皆さんには、世界の絵文字伝播の可能性について検討し、人類拡散ルートの解明に役立てていただければ幸いです。

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(前同42号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(前同43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団              http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/

縄文ノート147 『ちむどんどん』からの古日本語(縄文語)解明へ

 「NHK連続テレビ小説大河ドラマは視聴率が低い地域を舞台地とする」と誰かが言っていましたが、そもそも忙しくて時間もなくほとんど見ていませんでしたが、まちづくりの仕事で気になるところとか、縁のある土地などを偶然のきっかけでたまに見ることがあります。

最初に気になったのは和歌山の林業がでてくる「ほんまもん」をチラッとみて、次は湯布院のまちづくりで興味のあった「風のハルカ」、次は島根と京都がでてくる「だんだん」、川越が舞台となった「つばさ」、水木しげるさんに興味があった「ゲゲゲの女房」、好きな尾道・大阪が舞台の「てっぱん」、中島みゆきさんの歌と仕事で通った余市がでてくる「マッサン」、郷里の岡山と太秦映画村がでてくる「カムカムエヴリバディ」、そして沖縄がでてくる「ちむどんどん」と取りとめもなく見ているだけですが、それも時々見るのでストーリーもよくわからないままです。

 『ちむどんどん』は沖縄言葉や祖先霊信仰が知りたくて録画してみているのですが、「た行とか行の音韻転換」と「あいういう5母音」について、確証がえられました。

 はてなブログ「ヒナフキンの縄文ノート144 琉球の黒曜石・ヒスイ・ソバ・ちむどんどん」でも少し書きましたが、気づいた言葉を一覧表にしてみました。

 

  このような音韻法則は記紀分析の前提として欠かせず、見直しが必要と考えています。同時に、琉球弁と本土弁から古日本語(縄文語)の音韻法則が解明され、縄文人のルーツ解明の重要な手掛かりになる可能性があると考えます。

 

 例えば、「ち=き」の「てびち=てびき(手引切)」から、「切る」=「kir-i(キリ:ドラヴィダ語)」に繋がってきます。たまたまの一致かもしれませんが、言語学に興味のある方は系統的に追いかけてみていただきたいものです。

  特に、スサノオ大国主一族のルーツである海人族の壱岐対馬や出雲の方言と沖縄弁(琉球弁)との対応関係は重要と考ます。

 また、ウクライナ戦争から、ライブドアブログ「帆人の古代史メモ114 『和をもって貴し』は『倭をもって貴し』である」では新羅侵攻を進めていた聖徳太子は好戦派か和平派かについてまとめましたが、「委奴国王」「倭国」の「委・倭」は「い」と読むべきであるとの私の持論を雲南省北西部などに住む「イ(夷・倭)族」の漢字表記から補強しましたが、同時にイ族が「すべての音節の末尾が母音で終わる開音節言語」であり、「a、 i、 u、 e、ie、 o、uo」母音であることに、今回、初めて気づきました。

 なお、母音転換と子音因転換、古日本語(縄文語)のルーツについて、これまで検討してきたことを紹介しておきたいと思います。

⑴ 母音の音韻転換

 本土弁の「あ、い、う、え、お」5母音と、琉球弁では「あいういう」5母音から、元の古日本語は「あ、い、う、いえ、うお」5母音であったと考えられます。沖縄弁(琉球弁)では表1の例の他、雨(あみ)、酒(さき)、風(かじ)、心(くくる)、声(こい)、夜(ゆる)など、その名残を多く残しています。

 出雲国風土記の「神戸(かむべ)・神原(かむはら)」と「神魂神社(かもすじんじゃ)・神魂命(かもすのみこと)」の「かむ=かも」の例など本土弁にも琉球弁からの伝播は残っており、「賀茂・加茂・鴨」は古くは「神(かも)」であったと考えられます。―縄文ノート「37 『神』についての考察」「97 『3母音』か『5母音』か?―古日本語考」、『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)参照

 

 なお、表2・図3のように、母音併用はさらに広範に見られ、その体系的な分析は専門家に任せたいと思いますが、記紀等の用法と現代の地名との対照や語源分析にあたっては注意する必要があります。Gooブログ・ヒナフキンスサノオ大国主ノート「倭語論17 『いあ、いぇ、いぉ』『うあ、うぇ、うぉ』『おあ』倭語母音論」(200316)参照

 

 

⑵ 子音の音韻転換

 表1の沖縄弁の「た行とか行」の音韻転換のように、「は行とま行」「た行とな行・ら行」の音韻転換も見られます。記紀等の古日本語(縄文語)由来の倭音倭語の分析では、次のような音韻転換の可能性を考慮する必要があります。―『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)参照

 

 

 このような子音の音韻転換がいつ、どこで、なぜ、どのようにして起こったのか、言語学国語学については全くの素人の私には手も足もでませんので、系統的な分析は誰か専門分野の方に取り組んでいただきたいと思います。

 私としては記紀風土記・魏書東夷伝倭人条などについて引き続き具体的に追究していきたいと思います。

 

⑶ 「あ、い、う、いえ、うお」5母音のルーツ

 ウクライナ戦争に関連して、ライブドアブログ「帆人の古代史メモ114 『和をもって貴し』は『倭をもって貴し』である」で新羅侵攻を進めていた聖徳太子は好戦派か和平派かについてまとめ、「倭を以て貴しとなす」の「倭」は「わ」か「い」かについて書きましたが、雲南省北西部などに住む「イ(夷・倭)族」(1200万人)と、わが国の「委奴国」「倭人」との繋がりはあるのかどうか気になり、再度、検討しました。

 この「イ(夷・倭)族」については、縄文ノート「30 『ポンガ』からの『縄文土器縁飾り』再考」「38  霊(ひ)とタミル語 pee、タイのピー信仰」「132 ピュー人(ミャンマー)とピー・ヒ信仰」ではロロ族と書き、「136 『銕(てつ)』字からみた『夷=倭』の製鉄起源」では「民族名の自称は『ロロ』『ノス』『ラス』『ニス』『ノポス』など地域によって異なり、中国古典では『夷』『烏蛮』『羅羅』『倮倮』などと書かれています」と書きましたが、「すべての音節の末尾が母音で終わる開音節言語」であり、「a、 i、 u、 e、ie、 o、uo」母音であることは、今回、初めて気づきました。

 「イ(夷・倭)族」のDNA・宗教・畑作・食文化・『銕(てつ)』字などに興味があったのですが、言語についてはウィキペディアから、今回、初めて気づきました。

 「9.『委・倭人』のルーツはどこか?」を再掲すると、次のとおりです。

 

 私は次の10点から「イ(夷・倭)族」と「倭人」は共通のルーツと考えています。

① 「イ(夷・倭)族」名称と「委奴(いな)・倭(い)国名」が共通している。

② 「イ族」は南東チベットから四川を通り雲南省に移住してきたとされ、縄文人Y染色体D型を共通する可能性が高い。―縄文ノート「43 DNA分析からの日本列島人起源論」「45 縄文人ドラえもん宣言」「46 太田・覚張氏らの縄文人『ルーツは南・ルートは北』説は!?」参照

 

    

③ すべての音節の末尾が母音で終わる開音節言語である。

④ イ族の「a、 i、 u、 e、ie、 o、uo」母音は、現在の本土弁の「あいうえお(a i u e o)」5母音と琉球弁の「あいういう(古くはa i u ie uoの可能性)」5母音と対応している。―縄文ノート「4 日本語起源論と日本列島人起源」「97 3母音か5母音か?―縄文語考」、「Gooブログ:「ヒナフキンスサノオ大国主ノート 倭語論1~17(200123~0314)」参照

 

  図7 琉球弁「3母音化説」(通説)と本土弁「5母音化説」(筆者説)

   ―図2と同じなので省略

 

⑤ イネのRM1遺伝子や6穀の倭音倭語からみて、温帯ジャポニカ東インドミャンマー雲南山岳地帯で生まれ日本列島に伝わった可能性が高い。―縄文ノート「25 『人類の旅』と『縄文農耕』、『3大穀物単一起源説』」「26 縄文農耕についての補足」参照

 

 

⑥ もち食文化が共通している。―縄文ノート「28 ドラヴィダ系海人・山人族による稲作起源論」「142 もち食のルーツは西アフリカ」参照

⑦ ソバ食が共通している。―「縄文ノート 109 日本列島そば好きラインー蕎麦と焼畑」参照

 

 

⑧ 「ピー・モ」という巫師(みこ)による祖先霊信仰とわが国の霊(ひ)信仰、祖先霊が聖山から天に昇るという神山天神信仰が共通している。―縄文ノート「38 霊(ひ)とタミル語 pee、タイのピー信仰」「80 『ワッショイ』と山車と女神信仰と『雨・雨乞いの神』」「128 チベットの『ピャー』信仰」「132 ピュー人(ミャンマー)とピー・ヒ信仰」参照

 

   

⑨ イ族の別称「烏蛮」とわが国の男子正装の「烏帽子」や「ホンガラ」の烏祭りが符合する。―縄文ノート「29 『吹きこぼれ』と『お焦げ』からの縄文農耕論」「30 『ポンガ』からの『縄文土器縁飾り』再考」「73 烏帽子(えぼし)と雛尖(ひなさき)」「108 吹きこぼれとポンガ食祭からの縄文農耕説」参照 

 

       

⑩ 火祭りや歌垣・相撲の文化が符合する。―縄文ノート「15 自然崇拝、アニミズム、マナイズム、霊(ひ)信仰」「132 ピュー人(ミャンマー)とピー・ヒ信仰」「103 母系制社会からの人類進化と未来」「136 『銕(てつ)』字からみた『夷=倭』の製鉄起源」参照

 

   

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(前同42号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(前同43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団              http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図14 ドラヴィダ系海人・山人族の2段階の日本列島への移住

 

 

 

「帆人の古代史メモ114」の図7の修正

 ライブドアブログ「帆人の古代史メモ」に「114 『和をもって貴し』は『倭をもって貴し』である」の図7を修正しました。http://blog.livedoor.jp/hohito

倭語論・倭人ルーツ論に関わる重要な論点の図7の古日本語の「あ、い、う、いえ、いお」5母音が、琉球では「あ、い、う、い、う」、本土では「あ、い、う、え、お」になったとした図の最後の文字などが、コピーの際に欠けていました。ワード図のコピー作業は油断できません。

 これまで、琉球弁は本土弁が変化した方言とされてきましたが、私は共通の古日本語から、琉球弁と本土弁に分かれたと考えてきており、今回、チベット東部からきたとされる雲南省などの「イ(夷・倭)族」が「a、 i、 u、 e、ie、 o、uo」母音であることに気付き、雲南の「イ(夷・倭)族」と日本列島の「委奴族・倭族」が共通のルーツを持つことに確信を持っています。

 

<元図>

 

<修正図>

 

 本ブログの縄文社会論としても、雲南の「イ(夷・倭)族」と日本列島の「委奴国・倭人」の関係について、さらに総合的に追究していきたいと考えます。

「帆人の古代史メモ114 『和をもって貴し』は『倭をもって貴し』である」の紹介

 ライブドアブログ「帆人の古代史メモ」に「114 『和をもって貴し』は『倭をもって貴し』である」をアップしました。http://blog.livedoor.jp/hohito

 縄文論とは直接には関わりありませんが、「9.『委・倭人』のルーツはどこか?」では、雲南の「イ(夷・倭)族(烏蕃、ロロ族:1200万人)」とわが国の「委・倭(い)人」との関係を整理していますので、参考にしていただければ幸いです。

聖徳太子についての各説を極論的にまとめると、右派は「日出処天子致書日沒処天子」と「新羅侵攻」に着目して独立・武闘派であると主張し、左派リベラルは反天皇制から「聖徳太子架空説」を唱えるか、「和を以て貴しとなす」から現憲法9条などに繋がる協調・和平派ととらえ、あるいは人道的な立場から仏教思想を広めた「聖王」とみるなどの大きな相違が見られます。

 このような分岐は、ロシアのウクライナ侵略がおこり、米中両覇権国に挟まれた現在のわが国の政治的・軍事的な立ち位置にも密接に関わるテーマでもあり、私は歴史的な分析として、聖徳大王(おおきみ)は若き独立・武闘派から、スサノオ大国主建国からの「倭国(わのくに)」「美和国(みわのくに)」「大和国(おおわのくに)」の伝統を引き継ぎ、隋と対等に渡りあう駆け引きのできる和戦両様の協調・和平派の成熟した政治家へと変貌を遂げた、と考えます。

私は磯田道史氏のように、歴史解釈では「もし~」を含めて検討することこそが重要と考えますが、「もしも聖徳太子が長寿な聖徳天皇であったら」と考えざるをえません。そうすると蘇我入鹿殺害、中大兄皇子百済出兵と白村江での新羅・隋連合軍への大敗北、大海人皇子天武天皇)への政権移動があったかどうか、気になりませんか? 是非、皆さんもシミュレーションしてみて頂きたいと考えます。 雛元昌弘

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(前同42号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(前同43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団              http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/

 

「神話探偵団139 史聖・太安万侶の古事記からの建国史」の紹介

 Gooブログ「ヒナフキンスサノオ大国主ノート」に「神話探偵団139 史聖・太安万侶古事記からの建国史」をアップしました。https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 私のスサノオ大国主建国論は、古事記(ふるのことふみ)を中心に置き、日本書紀風土記万葉集、魏書東夷伝倭人条・後漢書三国史記新羅本紀などの文献、神社伝承や民間伝承、地名、物証(農耕痕跡・石器・玉器・青銅器・墓等)などを総合的に検討してきましたから、古事記の評価が何よりも重要となります。

 これまで「古事記偽書説」「記紀神話8世紀創作説」「太安万侶非実在説」など、シュリーマン以前の19世紀のヘーゲル左派の「キリスト神話説」「キリスト非実在説」に倣った「日本神話否定史観」に対し、私は太安万侶こそが日本の「史聖」であり、古事記こそが「日本最初の根本史書」であると考えています。

 「スサノオ大国主建国論と天皇家建国論の2層構造」の古事記と、「ドキュメンタリー・ミステリー・ファンタジー3表現」で書き上げた太安万侶復権と名誉回復を図っておきたいと考えました。

 本ブログの「縄文論」としても、スサノオ大国主建国から遡って縄文社会の解明を進める作業の参考にしていただければと思います。 雛元昌弘