ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート79 「縄文論」のテーマ別一覧表

 「縄文文明世界遺産登録」を視野に入れ、これまで書いてきたものを「縄文文明の世界遺産登録へ」として整理を始めましたがいろいろと試行錯誤・紆余曲折をたどってきたこともあり、「縄文ノート48 縄文からの『日本列島文明論』」の修正作業などにとどまっています。「最少矛盾仮説の提案」というレベルとは言え、用語・概念の論理的整合性を図らなければなりません。

 そこで、記憶・整理・分析・統合脳力の衰えた頭の中を整理するために、この「縄文ノート」だけでなく雑誌や他のブログで公表してきたものや研究会でのレジュメを含め、主なものを再分類しました。

 

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 再整理してみると、「縄文宗教論」と「日本列島人起源論」の分析が多く、「縄文生活論(衣食住など)」「縄文社会論(家族・氏族・部族や階層・階級など)」の分析が乏しいことや、「縄文文化・芸術」は「縄文宗教論」に包摂されていることが判りましたので、今後の分析課題としたいと考えます。

 まだ用語や定義などの統一ができていませんが、「縄文文明」の総合的な研究への参考にしていただければ幸いです。 雛元昌弘

 

<縄文論のテーマ別一覧(新分類)><()内はブログ「ヒナフキンの縄文ノート」掲載番号>

 

Ⅰ スサノオ大国主建国論からの縄文研究

 Ⅰ-1(21) 八ヶ岳縄文遺跡見学メモ191030・31 191103→201207

 Ⅰ-2(22) 縄文社会研究会 八ヶ岳合宿見学資料 200802→1208

 Ⅰ-3(24) スサノオ大国主建国からの縄文研究 200911→1212

 Ⅰ-4(53) 赤目砂鉄と高師小僧とスサ(富士見町歴史民俗資料館より) 201106→210208

 Ⅰ-5(67) 海人(あま)か山人(やまと)か? 210409

Ⅱ 縄文産業論

 Ⅱ-1(25) 「人類の旅」と「縄文農耕」と「3大穀物単一起源説」 140613→201213 

 Ⅱ-2(26) 縄文農耕についての補足 200725→1215 

 Ⅱ-3(27) 縄文の「塩の道」「黒曜石産業」考 200729→1216 

 Ⅱ-4(28) ドラヴィダ系海人・山人族による日本列島稲作起源説 201119→1217

 Ⅱ-5(55) マザーイネのルーツはパンゲア大陸 210211

Ⅲ 縄文生活論

 Ⅲ-1(29) 「吹きこぼれ」と「お焦げ」からの縄文農耕論  201123→1218

 Ⅲ-2(69) 丸と四角の文明論(竪穴式住居とストーンサークル)210415

 Ⅲ-3(78) 「大黒柱」は「大国柱」の「神籬(霊洩木)」であった 210611 

Ⅳ 縄文社会論

 Ⅳ-1    妻問い・夜這いの「縄文1万年」181201→30   

 Ⅳ-2(71) 古代奴隷制社会論 210426

 Ⅳ-3(72) 共同体文明論 210506

Ⅴ 縄文宗教論

 1 霊(ひ)信仰

  Ⅴ1-1    霊(ひ)信仰の下での動物変身・擬人化と神使、狩猟と肉食 140827→0816 

  Ⅴ1-2(34) 霊(ひ)継ぎ宗教(金精・山神・地母神・神使文化) 150630→201227

  Ⅴ1-3    北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰(『季刊 日本主義』31号) 2015秋

  Ⅴ1-4    「自然崇拝、アニミズム(精霊信仰)、マナイズム(精力信仰)、霊(ひ)信仰」190129

  Ⅴ1-5(30) 「ポンガ」からの「縄文土器縁飾り」再考 201220→1221

  Ⅴ1-6(31) 大阪万博の「太陽の塔」「お祭り広場」と縄文 191004→201223

  Ⅴ1-7(37) 「神」についての考察 200913→210105

  Ⅴ1-8(38) 「霊(ひ)」とタミル語peeとタイのピー信仰 201026→210108

  Ⅴ1-9(74) 縄文宗教論:自然信仰と霊(ひ)信仰  210518

 2 女神・地母神信仰

  Ⅴ2-1(32) 縄文の「女神信仰」考 200730→1224

  Ⅴ2-2(73) 烏帽子(えぼし)と雛尖(ひなさき) 210510

  Ⅴ2-3(75) 世界のビーナス像と女神像

 3 天神信仰

  Ⅴ3-1(33) 「神籬(ひもろぎ)・神殿・神塔・楼観」考 200801→1226

  Ⅴ3-2(35) 蓼科山を神名火山(神那霊山)とする天神信仰 200808→1228

  Ⅴ3-3(36) 火焔型土器から「龍紋土器」 へ 200903→1231

  Ⅴ3-4(39) 「トカゲ蛇神楽」が示す龍蛇神信仰とヤマタノオロチ王の正体 201020→210109

  Ⅴ3-5(40) 信州の神名火山(神那霊山)と「霊(ひ)」信仰 201029→210110

  Ⅴ3-6(44) 神名火山(神那霊山)信仰と黒曜石 201014→210120

  Ⅴ3-7(56) ピラミッドと神名火山(神那霊山)信仰のルーツ 210213

  Ⅴ3-8(57) 4大文明論と神山信仰 210219

  Ⅴ3-9(61) 世界の神山信仰 210312

Ⅵ 日本語起源論

 Ⅵ-1 言語構造から見た日本民族の起源(『季刊 日本主義』42号 2018夏

 Ⅵ-2 「かたつむり名」沖縄起源説―柳田國男の「方言周圏論」批判 180816→0821

 Ⅵ-3 松本修著『全国マン・チン分布孝』の方言周圏論批判 181204→08

 Ⅵ-4 「3母音」か「5母音」か?―古日本語考 181210→190110

 Ⅵ-5(41) 日本語起源論と日本列島人起源説  200918→210112

 Ⅵ-6(42) 日本語起源論抜粋 210113

 Ⅵ-7(52) 縄文芸術・模様・シンボル・絵文字について 201104→210205

Ⅶ 日本列島人起源論

Ⅶ-1    ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”(『季刊 日本主義』40号) 2017冬

Ⅶ-2    海洋交易の民として東アジアに向き合う (『季刊日本主義』44号) 2018冬

Ⅶ-3(43) DNA分析からの日本列島人起源論  201002→210115

Ⅶ-4(45) 縄文人ドラえもん宣言(ドラヴィダ系海人・山人族宣言) 201015→210123

Ⅶ-5(46) 太田・覚張氏らの縄文人「ルーツは南・ルートは北」説は!? 201018→210124

Ⅶ-6(47) 「日本列島人はどこからきたのかプロジェクト」へ  201202→210125

Ⅶ-7(62) 日本人のルーツは「アフリカ高地湖水地方」 210316

Ⅶ-8(63) 3万年前の航海実験からグレートジャーニーへ 210323

Ⅶ-9(64) 人類拡散図の検討 210330

Ⅶ-10(65) 旧石器人のルーツ 210403

Ⅶ-11(66) 竹筏と「ノアの方舟」210405・6 

Ⅶ-12(68) 旧石器人・中石器人は黒人 210410

Ⅶ-13(70) 縄文人のアフリカの2つのふるさと 2104220422

Ⅶ-14(76) オリンピックより「命(DNA)の祭典」をアフリカで! 210527

Ⅷ 縄文文明論

 Ⅷ-1    「石器―土器―金属器」の時代区分を世界へ 150723→0816

 Ⅷ-2(48) 縄文からの「日本列島文明論」 200729→210228

 Ⅷ-3(50) 縄文6本・8本巨木柱建築から上古出雲大社へ 200207→210203

 Ⅷ-4(51) 縄文社会・文明論の経過と課題 200926→210204

 Ⅷ-5(58) 多重構造の日本文化・文明 210222

Ⅸ 世界遺産登録 

 Ⅸ-1(49) 「日本中央縄文文明」の世界遺産登録をめざして150923→210230 

 Ⅸ-2(59) 日本中央縄文文明世界遺産登録への条件づくり 210226

 Ⅸ-3(77) 「北海道・北東北の縄文遺跡群」世界文化遺産登録の次へ 210603

 Ⅸ-4(77) 「『北海道・北東北の縄文遺跡群』世界文化遺産登録の次へ」修正1 210604

 Ⅸ-5(77) 「『北海道・北東北の縄文遺跡群』世界文化遺産登録の次へ」修正2 210608

 

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/

「縄文ノート48 縄文からの『日本列島文明論』」の修正

                 200729→0826→0909→1112→210615 雛元昌弘

 2020年7月29日に縄文社会研究会・東京の八ヶ岳合宿に向けた書いたレジュメを「縄文ノート48 縄文からの『日本列島文明論』」として11月12日にこのブログにアップし、さらに今回、大幅に赤字部分を修正しました。

 大きな修正点は、これまで「縄文アート→縄文宗教・文化→縄文社会→縄文文明」と考察を進めてきたのですが、その後の「古代文明」の時代区分の検討をふまえて修正したものです。修正部分は赤字にしています。

 

はじめに

 私の縄文との出会いは1970年の大阪万博岡本太郎氏の「太陽の塔(原題:生命の樹)」からです。―「縄文ノート31 大阪万博の『太陽の塔』『お祭り広場』と縄文」参照

 さらに1985年には、沖縄の彫刻家・金城実氏を招いての縄文彫刻家・猪風来氏の縄文野焼きの子どもを対象にしたイベントを狭山市で行いましたが、アートから直感的に縄文と沖縄の繋がりを感じるというぶっ飛んだものでした。

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 その後、群馬県片品村で赤飯投げを含む猿追い祭りや金精信仰に出合い「縄文宗教・文化」に関心を持ち、2015年には「群馬・新潟・長野等の「金精信仰と神使(しんし:みさき)文化を世界遺産に」を村に提案し、「大湯環状列石三内丸山遺跡が示す地母神信仰と霊(ひ)信仰―北海道・北東北の縄文遺跡群の世界遺産登録への提案」を『季刊日本主義31号』に発表しました。

 2013年からは「縄文社会研究会」に参加して「縄文社会」について考えを進め、「『人類の旅』と『縄文農耕』、『3大穀物単一起源説』」(2014年)をさらに発展させ、2020年の縄文社会研究会・東京の八ヶ岳合宿では「縄文からの『日本列島文明論』「『日本中央縄文文化』の世界遺産登録をめざして」を提案しました。

 「縄文アート→縄文宗教・文化→縄文社会→縄文文明」と考察を進めてきたのですが、それぞれの整理・位置づけは不十分なままに、個別テーマごとに迷いながら書いてきました。

 「縄文文明論」となると、大多数の人はこれまでの常識から「眉唾もの」と思われるでしょうが、世界を相手に考えて議論の材料としていただければ幸いです。 

 

1.これまでのレジュメ

 スサノオ大国主建国論、続いて邪馬台国論に取り組んでいましたが、2014年に縄文社会研究会に参加し、縄文社会・文化・宗教を考えるようになり、縄文人起源論へと進み、さらに「日本列島文明論」を考えるに至りました。次のようなレジュメをパラパラと書いてきました。

⑴ 日本民族南方起源論(旧石器・縄文時代論)

140617→190131→200128 「人類の旅」と「縄文稲作」と「三大穀物単一起源説」

2017冬 ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”(『季刊 日本主義』40号)

180509  狩猟・農耕民族史観から海洋交易民族史観へ

2018夏 言語構造から見た日本民族の起源(『季刊 日本主義』42号

181201→30  妻問い・夜這いの「縄文1万年」

181203→15 「原日本人」のルーツについて

181204→08 松本修著『全国マン・チン分布孝』の方言周圏論批判

181210→190110 「3母音」か「5母音」か?―古日本語考

⑵ 縄文宗教論

140827→0816 霊(ひ)信仰の下での動物変身・擬人化と神使(みさき)、狩猟と肉食

150526→0816 金精信仰と神使文化を世界遺産

2015秋 北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰(『季刊 日本主義』31号)

170721→0726 沖縄は「日(太陽)信仰」か「霊(ひ:祖先霊)信仰」か

181215 大阪万博のシンボル「太陽」「お祭り広場」「原発」から次へ

190129  「自然崇拝、アニミズム(精霊信仰)、マナイズム(精力信仰)、霊(ひ:祖先霊)信仰」

⑶ 日本列島文明論

 150723→0816 「石器―土器―金属器」の時代区分を世界へ

 190320・0424→200824 「縄文文明論」考

 190329→200509・0824 「縄文文明論」の検討課題

 190508 日本民族起源論から見た縄文時代

 180509 狩猟・農耕民族史観から海洋交易民族史観へ(メモ)

 2018冬 海洋交易の民として東アジアに向き合う (『季刊日本主義』44号)

 181113→1115  日本文明の原点:石器・土器・鉄器時代の解明すべき論点(メモ)

 190413・24→0508 「日本列島文明論」メモ―ハンチントン文明の衝突』より

 190619→21 32 日本列島文明の誕生(『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』抜粋)

⑷ 縄文文化世界遺産登録

 150526→0816 金精信仰と神使文化を世界遺産

 150923 群馬・新潟・富山・長野縄文文化世界遺産登録運動

 

2.「支配的文化」から「民衆の生活文化」へ

① 縄文時代を遺跡・遺物で整理する考古学の一方で、縄文人はどのように考え、生産・生活活動を行い、現代人とどう関わりがあるのであろうかという関心から、縄文生活論・縄文社会論・縄文文化論などが生まれ、さらには縄文文明論も見られます。世界の人々に通用する文化・文明として「世界遺産登録」を視野に入れて整理しておきたいと考えます。
② これまで日本文化というと浮世絵などの絵画や伝統芸能、園芸・造園・建築などが広く世界に知られ影響を与えましたが、民衆の生活の一部であり、失われつつある「和食」などは一般的には文化として認められていませんでした。

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 しかしながら、自然志向や健康食、行事食(お祭り食)への関心が世界的に高まってきたこともあり、2013年にはユネスコ国際連合教育科学文化機関)の無形文化遺産に「和食」が登録され、それからは、広く国民の間で貴重な「文化」として認知されるようになっています。

③ 支配的文化ではなく、民衆の生活文化への視点が重視されるようになると、古代史の分析においても、巨大なシンボリックな施設だけでなく、民衆の生産活動や日常生活、社会組織の痕跡の中に文化を見い出すような視点が求められるようになります。

3.縄文土器」から「縄文文化」「縄文社会」「縄文文明」へ

① 縄文時代の土器鍋食をルーツとする「和食」が料理文化として世界に認知され広まってきた現在、世界初の調理器具の「土器鍋」、「土器鍋料理文化」、氏族社会の「神との共食の神事」の3つが成立していたと認識すべきです。

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 調理器具においては、「石器-土器-鉄器」の道具使用の発展段階の第1段階の石臼による穀類粉砕(なぜか日本の考古学者はドングリ粉砕に限定していますが)、第2段階の煮沸調理器具の革命が起きており、自然物採取の生食・焼食段階ではありません。

 さらに、土器鍋食の食材では、黒曜石の広域交易で鳥獣害対策による森林農耕(クリ類栽培と焼き畑農業)が行われるとともに、山岳地域と海岸地域との魚介干物・燻製品や塩の交換が行われ、氏族・部族間で分業と交易が成立していたと考えられます。

 もはや縄文土器だけの考古学ではカバーできない領域に縄文研究は入ってこざるをえず、料理人が「和食」の世界遺産登録に大きな役割を果たしたように、広く関係者の取り組みが求められます。考古学者や歴史学者文科省官僚だけで「和食」の世界遺産登録など思いもつかないのと同じです。

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② 「縄文文化」については、岡本太郎氏により縄文土器土偶の芸術性が評価され、太陽の塔」などのデザインにも影響を与え、広く世界で認知されています。

 岡本氏は「縄文芸術家がいた」と考えていたのであり、高度な分業社会が成立していたことが明らかです。

 岡本太郎氏こそ「縄文文明」の最初の発見者・認定者であり、他に「縄文文明」に踏み込んで論じているのは後で紹介するように哲学者や民族学者・環境学者・経済学者・農学者・生物学者などです。考古学・歴史学以外の分野こそ「縄文文明論」を論じることができるのです。

   

4.文明の定義

① 小学6年生の時と思いますが、私は「文化は精神的なもの、文明は物質的なもの」と習ったように記憶していますが、皆さんもそうではないでしょうか?

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 私の分野である建築・都市・まちづくり・地域振興などに当てはめると、「基本理念(思想・精神)・方針(利用・実現・実施方針)」→「設計(デザイン・構造・設備・環境・運営)」→「実施(建築・建設・事業・活動)」→「利用・活動(生産・消費生活など)」において、「基本理念・方針・設計・利用」などが文化、それを具体的な形にした「ハード」を含む全体が文明と整理できます。

② 文化・文明は和製漢語(日本オリジナルの漢語)なので、そこからまず考える必要があります。す。

 「文(もよう、文章、手紙等)が化けるのが文化」、「文を明らかにするのが文明」という和製漢語から考えると、造語者は「文化=ソフト、文明=ハード」と整理していたと見られます。どちらにも「文」字を使っていることからみて、「文字で表す基本理念・設計・利用・活動などが文化」、それを具体的な目に見える形とした「文化を明らかにして示す施設や都市などのハードが文明」として定義したと考えられます。

 縄文時代には文字がありませんが、このような規定で「文」を「基本理念(精神)・思想(宗教思想を含む)」と広くとらえ、それを具体的な形で明らかにした縄文土器の模様・絵文字、立棒円形石組・女神像などの造形を「文明」として見れば、縄文時代は1つの文明段階になります。例えば、日本発の「Emoji(絵文字)」は今や世界標準となっていますが、その伝統は縄文時代の「〇」(女性器、泡)や「〇〇」(目、乳房)、「△」(神那霊山)、「▽」(女性器)、「勾玉形」(霊・魂)、「縄文」(結び=産す霊)、「渦模様」(流水・対流)などに遡る絵文字になります。縄文人には「文化を土器や土偶、円形石組などの形にする」という文明があったことになります。

 脱線しますが、このような絵文字を象形文字としたのが漢字であるからこそ、倭人はスムーズに漢字を受け入れ、さらに独自の「倭製漢字・漢語」や「倭流漢字用法」を生みだすことができたのです。倭人は「火+田」の焼畑が「畑」、「白+田」の秋から春にかけての乾田が「畠」など、独自に漢字を生み出すことができたのです。

③ 一方、エーゲ・ギリシア・ローマを起点として文明を考えたい西欧では、「文明」の原語は「civilization(都市化)」であり、古代都市国家を生み出した思想、産業・人々の生活、科学技術・文化、神塔・神殿や水利施設・城壁都市などを包括して総合的にとらえた概念が文明になります。

 しかしながら、「四大古代文明」はアフリカ・アジア(東洋:近東・中東・極東)起源であり、この時代はエーゲ・ギリシア文化はエジプトの周辺文明であり、ヨーロッパは辺境に位置しています。

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 そして、メソポタミア楔形文字(表語・表音文字)やエジプトのヒエログリフ文字(象形文字)などの文字や数学・天文学、巨大なエジプトのピラミッドや神殿・神像、メソポタミアジグラット(聖塔)、人々が集まる都市の城壁と門、水利施設などの遺跡が文明の基準、指標とされました。

 この規定だと、シンボリックな楼観・宮室を設け、環濠と城柵で囲った邪馬壹国、壱岐原の辻遺跡(紀元前3世紀~紀元4世紀頃)、佐賀の吉野ヶ里遺跡(紀元前4世紀~紀元3世紀頃)、紀元2世紀の大国主の48mの杵築大社(きつきのおおやしろ:出雲大社)など、紀元前後からわが国は初期都市国家の文明段階とみていいと考えます。

 委奴(いな:稲)国王スサノオ卑弥呼後漢皇帝から金印をもらい、卑弥呼後漢に上表しており、北九州や出雲などでは紀元前後の遺跡から硯石が発見され、漢字使用の文明段階になります。一方、縄文社会には城柵はなく、土地や財宝・奴隷の略奪戦争の痕跡もなく、女神信仰の母系制社会であり、前文明段階の未開社会になります。

 しかしながら、道具使用、食文化や分業体制、部族社会、芸術、宗教などを基準としてみると、すでにみたように1万数千年の縄文時代は1つのタイプの「文明時代」であると私は考えます。

④ 原始共産社会を理想としたエンゲルスは、マルクスの草稿をもとにした『家族・私有財産・国家の起源』において、生産・生活様式によって「野蛮」(採集・漁業・狩猟)→「未開」(土器・定住・牧畜・農耕)→「文明」(肥沃な大河周辺地帯での金属器による灌漑農業・騎乗遊牧生活)という文明発展説を展開し、「氏族共同体」(古代ギリシア・ローマ・ゲルマン)→「古代」(父権世襲制奴隷制、略奪戦争)→「封建制」→「資本主義」という発展論を示しています。

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 この規定によれば、日本の旧石器時代は「野蛮」、縄文時代(土器時代)は「未開」(土器・定住・縄文農耕)、沖積平野での鉄器水利水田稲作による1~2世紀のスサノオ大国主建国からが「文明」(鉄器水利水田稲作)段階になります。

 なお、私の文明区分は次表のとおりであり、多元的・重層的文明区分であり、エンゲルスの一元的・単線的文明区分とは異なります。

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⑤ 縄文農耕や鉄器時代記紀に書かれたスサノオ大国主建国などを認めない通説歴史家たちの区分によれば、「土器・定住あり、農耕なし」の縄文時代は「半野蛮・半未開」、紀元前10~3世紀の「鉄器なし、天水・水辺稲作」の弥生中期前半までは「半未開・半文明」、紀元前2~紀元3世紀の弥生中期中葉~後期からが「文明」段階になります。

 このような複雑な時代・文明区分にしてしまったのは、土器様式で「縄文時代弥生時代」の時代区分を行ったガラパゴス史観と、弥生時代」を土器基準から稲作開始基準に変更して500年あまり遡らせて3000年前頃にした御都合主義、「農耕=水田稲作弥生時代」と狭く規定してイモ・クリ・豆・6穀の森林焼畑縄文農耕を認めない米本位主義、九州・出雲・吉備・播磨中心の鉄器時代を認めたくない大和中心史観、外発的発展大好きの拝外主義の「弥生人(中国人・朝鮮人)による縄文人征服史観」という歴史家たちの5つの旧説墨守が原因と考えます。

 

5.「部族共同体文明」の新たな設定

① ギリシア・ローマ文明を中心に考え、アフリカ・アジアの「四大文明」を劣ったものとするこれまでの古くさい「西欧中心文明史観」や、そのコンプレックスの裏返しの中国を中心とした「東洋中心文明史観」をそのまま当てはめて縄文社会・文化を考えることは誤りであり、日本の縄文文明やケルト族侵入以前のイギリスのストーンサークル文明、南北アメリカの古マヤ・古アンデス文明などを含めて、文明全体を俯瞰した脱西欧中心文明史観の新たな文明規定の検討から始める必要があると考えます。

 私は大学に入って家族(母系制→父系制)・私有財産(奴隷を含む)・国家を分析軸とした「原始共同体→古代国家→封建制→資本主義」というエンゲルスの文明発展段階を知り、その延長上で縄文時代は「未開」、紀元1~2世紀の鉄器水利水田稲作と妻問夫招婚によるスサノオ大国主建国からが「文明」段階とこれまで考えてきましたが、この「マルクス・エンゲルス文明基準」だと「父系制」「略奪婚・奴隷制」「城壁都市」などはスサノオ大国主一族の「豊葦原千秋五百秋之水穂国」(古事記葦原中国」(日本書紀)には当てはまりません。

 なお、「石造巨大建造物」については、未完ですが兵庫県高砂市の「石の宝殿」と奈良県橿原市の「益田岩船」は古事記播磨国風土記と伝承からみて大国主・大物主連合ができた際の記念構造物と私は考えており、「葦原中国」にも当てはまると考えます。ただ、木材の豊富なわが国では石造建造物を必要としなかったことと、山上の巨石の磐座(いわくら)に霊(ひ)が宿るという巨石信仰があり、石を石材として利用することを控えたため「石造巨大建造物」文化は成立しなかったと考えています。

② さらに、「稲作をもたらした弥生人(中国人・朝鮮人)による縄文人征服説」による縄文時代かの非連続な弥生時代の時代区分説に立てば、紀元前10世紀の弥生時代からが「日本文明」ということになります。

 しかしながら、日本語の「主語-目的語-動詞(SOV)」の言語構造からみて、「主語-動詞-目的語(SVO)」言語族の長江流域中国人による縄文人征服説は成立せず、「かみ・かも・かむ、ジン、シン」「こめ、マイ、ベイ」などの「倭音倭語、呉音漢語、漢音漢語」の3重構造や、わが国がインドネシアベトナム・フィリピン・台湾のような多言語・多文化の多民族構成となっていないことからみても、弥生人(中国人・朝鮮人)征服説は成立しません。

 毎年、4人の男性がアジア各地から漂着・移住すると縄文時代1.5万年の間には6万人の流入があり、海の上を自由に行き来する海人族の性質からみて一方通行ではなく故地との双方向の交流・交易が生まれた可能性が高く、縄文人現代日本人のDNAの多様性は、弥生人征服説でなくても成立します。

 いまだに「日本人の半数以上は弥生人(中国人・朝鮮人)ルーツ」などとする空想的な征服史観は根強いのですが、ミトコンドリアY染色体のDNA分析からみて破綻していることを自覚すべきです。

③ このような外発的発展説・征服史観に対し、私はドラヴィダ系海人・山人族である縄文人は「石器―土器―鉄器」時代の内発的発展をとげたと考えており、「イモクリ豆6穀」の縄文焼畑農耕(森耕農耕)と土鍋食文化の延長上にスサノオ大国主一族の鉄器水利水田稲作の普及による建国があり、記紀に書かれたスサノオ大国主建国神話を真実として考えています。

 この内発的発展史観においては、多雨の森と川・海の自然と調和した「イモクリ豆6穀焼畑農業」と健康長寿の土器鍋食文化、海人(あま)・山人(やまと)部族の分業・交易、黒曜石・ヒスイ・貝輪などの環日本海交易、妻問夫招婚・歌垣の母系制社会、霊(ひ)・霊継(ひつぎ)宗教に基づく海神・水神・地神・山神・木神・天神・神籬(霊洩木:ひもろぎ)・神名火山(神那霊山:かんなびやま)信仰、天と山と川・海を結ぶ神使の蛇(龍蛇)神・雷神、鳥・狼・鹿等の神使崇拝、巨木楼観建築や環状墓地などは、精神的・物質的な豊かな独自の「部族共同体文明」であり、自然と世界を支配しようとした西欧型文明の行き詰まりに対し、東アジア文明としてその独自の役割を果たすべきと考えます。

 「弱肉強食・優勝劣敗の戦争こそが人類を進歩させた」という「白人優性思想」の「戦争史観」に対し、「部族共同体文化」「分業・交易・交流」を基本とした文明があることを縄文研究から明らかにしたいと考えます。

④ この「部族共同体文明」はマルクスの家族単位の「原始共産社会」やエンゲルスの氏族単位の「氏族社会」とは異なり、母系制の妻問夫招婚と共通の祖先霊祭祀、活発な交易により、海人族系と山人族系からなる部族など、「氏族」単位を越えて大きくなった社会を想定しています。

 スサノオ大国主一族は「米鉄交易」と「妻問夫招婚」(大国主は各地に180人の御子をもうけた)により、共通の祖先霊祭祀「八百万神信仰」で「百余国」を統合して「部族共同体連合国家」を作り上げますが、それは、他部族・民族の軍事征服支配による「古代専制国家」とは異なるものです。

 世襲王の後継者争いから分裂して「30国」の邪馬壹国ができるなどの王侯間の戦闘(多くは宮廷内革命)は記録されていますが、遊牧民が農耕民を殺戮して国や富を奪った古ユダヤ国や、軍船を駆使して侵略し、各地に交易拠点の植民地建設を進め、奴隷労働制度を確立したギリシアローマ帝国とは異なる平和的な建国です。

⑤ マルクス・エンゲルスなどの「一元的・単線的文明区分」ではなく、世界各地の地勢・環境に応じた「多元的・重層的文明区分」から様々なタイプの文明を想定すべきであり、他民族の支配を受けずに文化・伝統が継続したわが国の縄文文明研究こそ、その解明が可能になると考えます。

 

6.主な縄文文明論

 全ての著者・著書に目を通しているわけではありませんが、歴史学者ではない梅原猛梅棹忠夫安田喜憲川勝平太の4氏の縄文文明論について整理・検討してみました。

⑴ 梅原猛(哲学:古代史)

① 梅原猛氏は『縄文文明の発見―驚異の三内丸山遺跡(共著)』『森の思想が人類を救うー21世紀における日本の役割』『近代文明はなぜ限界なのか(対談)』『文明への問い』『長江文明の探求(共著)』『日本の深層-縄文・蝦夷文化を探る-』などで縄文文化・文明論を哲学者として先駆的に展開されています。

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② 梅原猛氏の法隆寺論・出雲論の「怨霊史観」に対しては「霊(ひ)・霊継ぎ(ひつぎ)史観」の裏返しであると考え、『水底の歌』の「柿本人麻呂水死刑説」に対しては「海神信仰説」であるとし、縄文論については氏の「北方起源説」に対して「南方起源説」であるとするなど、梅原史観に対して私は批判的でしたが、私の『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)を編集者を通して進呈したところ、「必ず読みます」とのハガキをいただいたことがあり、縄文文明論と出雲王朝論との関係について議論できなかったことが悔やまれます。

③ 梅原文明論は、縄文時代を狩猟採取時代とし、「森の文化・森の神・森の文明」という考えであり、近代文明の危機に対置した縄文文明論として画期的な問題提起と考えます。ただ、地神・地母神、山神、神籬・御柱、海神、天神信仰との関係などがバラバラの提起されて体系化されておらず、また、縄文農耕を考えていない限界があると考えます。

 三内丸山遺跡の6本の巨木を神木(神籬=霊洩木)としているのに対して私は神那霊山信仰の楼観神殿と考えており、安田喜憲氏との共著の『縄文文明の発見』で三内丸山を「縄文都市」とみる点については、「文明=都市」規定から疑問を持っています。

 

⑵ 梅棹忠夫民族学:日本文化論・日本文明論)

① 梅棹忠夫氏は『文明の生態史観』『女と文明』『日本文明77の鍵』『世界史と私―文明を旅する』『宗教の比較文明学(編)』などで、「地域性」にこだわって独自の文明論を展開しています。

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② 私は著名な梅棹忠夫氏を「民族学者」と思い、文明論を展開していることを知らなかったのですが、エンゲルスの時間軸と農業からの文明論に対し、「文明の生態史観」という水平軸・地域軸、自然・気候風土・農業環境軸での文明論は新たな問題提起と考えます。世界の各文明との対比で日本文明を分析しており、古ギリシャ文明の女神が縄文と同じ母系制社会を示しているとしていることなどは重要な指摘です。

③ 三内丸山の6本柱を「単なる列柱」「見張り台」ではなく「神殿」(私は楼観神殿説)とみるのは卓見と考えますが、「全国から信者が集まる神殿都市説」になると疑問であり、茅野市の中ツ原遺跡の8本巨木柱の楼観神殿など、各地にそれぞれ同様の未発見の宗教施設があったのではないかと考えています。  

④ 『日本文明』を縄文を起点として現代にまで広げて分析しながら、エンゲルスの時間軸との関係を統合できておらず、旧石器・縄文・弥生・古墳時代の時代区分論との整理もされず、縄文文明論と現代との繋がりが明らかにされていないのは残念です。

⑶ 安田喜憲(地理学:文明論)

① 『縄文文明の発見―驚異の三内丸山遺跡』『水の恵みと生命文明』『』『一万年前 気候大変動による食糧革命、そして文明誕生へ』『環境文明論-新たな世界史像-』『稲作漁撈文明-長江文明から弥生文化へ-』『海・潟・日本人-日本海文明交流圏-』『一神教の闇-アニミズム復権-』など、始めて総合的な縄文文明論を展開されています。

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② これまで読む機会がなかったのですが、「環境文明論」の視点から、縄文文明を「森の文明」「稲作漁撈文明」「日本海文明」「生命文明」など多角的に分析するとともに、自然破壊や気候変動から近代文明の危機について鋭い批判と提案を行っています。

③ 「文明には原理がある」とし、文明の「精神」(ソフト)と「制度・組織・装置系」(ハード) から分析し、文明の「原理」「精神」「品格」から縄文文明を近代ヨーロッパ文明や4大古代文明に対置し、自然と生命を基本原理・精神とした文明論は、「霊(ひ)信仰・霊継(ひつぎ)信仰=命(DNA)のリレー」を基本に置いて考える点で私と同じです。

 しかしながら、縄文の「森の文明」に対し、長江文明を携えた弥生人による「稲作漁撈文明」という旧来の2重構造論であり、「イモ豆栗6穀」の縄文農耕やバランスの取れた豊かな土器鍋食文化とその延長上にある鉄器水利水田稲作へと連続するスサノオ大国主建国を認めない外発的発展史観・征服史観の枠組みから抜け出せていないのはちょっと残念です。

 

 ⑷ 川勝平太(経済学:比較経済史)

① 川勝平太氏(現静岡県知事)には『文明の海洋史観』『文明の海へ―グローバル日本外史』『「美の文明」をつくる―「力の文明」を超えて』『「美の国」日本をつくる―水と緑の文明論』『近代文明の誕生―通説に挑む知の冒険』などの著書があります。

② 梅棹忠夫氏の『文明の生態史観』の「ユーラシア大陸の乾燥地帯の遊牧民文明」を東洋・西洋の「農耕文明」の間にもうけた「陸地文明生態地図」に対し、川勝氏は四方に海洋を置いた新たな「海洋文明地図」を提案しています。梅棹氏の「遊牧民文明」に対し、「海洋民文明」の提案を行っています。

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 「4大古代文明」から見れば辺境の大陸西端の西欧と東端の日本が近代化を成し遂げることができたことについては、「海洋文明史観」で説明されています。

② 私の母方の祖母の家が代々、御座船で住吉大社宮司に仕えたことや、義理の叔父は笠岡市の神島(こうのしま)の「一杯船主」で金刀比羅神社に船で参っていたことなどを聞き、海や舟には関心があり和船やカヌー・小型ヨットで遊んでいた私は、海人族の歴史を中心に古代史や戦国史明治維新などを考えてきており、川勝平太氏の「海洋史観の文明地図」や、網野義彦氏の中世の「海民論」(著書名を忘れました)は興味深く、私には共感できるものでした。

③ 川勝氏が批判する「陸地文明史観」を私は「ウォークマン史観」「騎馬民族史観」と呼び、そもそも人類の拡散は「海の道」によっていると考えてきましたが、川勝氏の本は古い1998年の『文明の海洋史観』しか持っておらず、他の新しい著書は読めていないので、日本列島人形成論、交易・外交論と農耕論、言語・文化・宗教論を総合して日本列島の通史としてどのように「海洋文明史観」を川勝氏が展開されているのかは、追って加筆・修正したいと思います。

 

7.縄文時代(土器時代)に遡る「日本列島文明論」

 ヨーロッパ先史時代の研究のマルクス主義考古学者のゴードン・チャイルドは文明の基準としてさらに細かく「効果的な食料生産」「大きな人口」「職業と階級の分化」「都市」「冶金術」「文字」「記念碑的公共建造物」「合理科学の発達」「支配的な芸術様式」の9つの指標を掲げています。私はそれに「宗教」「共同体社会」「交易・交流」を加え、「縄文時代」「紀元1~2世紀のスサノオ大国主一族の建国」「天皇家大和朝廷」のどの段階から文明段階と認めるべきか、検討してみました。

 私はスサノオ大国主一族の建国からを文明段階と考えてきていましたが、この基準によっても縄文(土器)時代1万年を1つの文明段階として位置づけるべきと考えるに至りました。

 「朝鮮半島・長江流域からの弥生人による縄文人征服」の延長上に弥生人天皇の建国を位置付ける「新旧皇国史観」「反皇国史観」「大和中心史観」は、縄文文明論とスサノオ大国主建国文明論に対し、2重の見直しが必要と考えます。

 

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8.「文明の衝突」論と「文明の共通価値」論について

① 「世界四大文明論」は中国の清朝末から中華民国にかけて活躍した学者・革命家・政治家・ジャーナリストであった梁啓超(りょうけいちょう:日本留学中に福澤諭吉らの文明観の影響を受けていた)が唱えたもので、「河流文明時代→内海文明時代(ギリシア・ローマ時代)→大洋文明時代」と時代区分する鋭い文明観を提案しています。私は「四大文明論」だけは教わったのですが、梁啓超の「河流文明→内海文明→大洋文明」という文明区分は知らないままでした。

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 NHKスペシャルは2000年より「四大文明」を放映し、さらに「四大文明エピローグ 地球文明からのメッセージ謎のマヤ・アンデス」を付け加えているのはいいのですが、梁啓超の「内海文明時代」に「エーゲ海地中海文明」に「東シナ海日本海文明」を付け加えて紹介することも、「日本列島文明」を追究・紹介することもなく、「四大文明」賛美に終わってしまっているのは残念です。

② このアフリカ・アジアの古代4大文明(エジプト・メソポタミア・インダス・黄河)は、大河を治水して沖積平野で大規模灌漑農業を行う大規模農業・土木型の「河流文明」であり、エジプトと中国は「古代専制国家型文明」であり、領土拡張戦争を繰り広げ、何度も王朝交代を繰り返しています。

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 一方、メソポタミア文明は神を天から迎えるジグラット(聖塔)と城壁・灌漑施設があり、階級分化は見られるものの侵略的・略奪的な古代専制国家ではなく、ドラヴィダ族によるインダス文明は水利施設がある計画的な都市ながら城壁はなく、母系制社会であった可能性が指摘されており、「古代4大文明論」はひとくくりにはできないとする必要があります。中国もまた、彼らが大事にする「姓」字が「女+生」であることなどから、孔子が理想とした姫氏の周王朝までは母系制であり、春秋・戦国の時代から父系制にかわったのではないか、と私は考えています。

 この「四大古代文明」は文字や数学・天文学(暦)・土木建築技術など、人類の発展に大きな役割を果たしますが、欧米ロ日の植民地支配にさらされ、民主主義革命と産業革命による資本主義社会への移行は長らくできませんでした。

③ エンゲルスの「原始共同体→奴隷制封建制→資本主義」の文明発展論などに対し、英国の歴史学者アーノルド・J・トインビーは、その西欧中心史観を批判し、地域性・文化性・宗教性を分析に加え「西ヨーロッパ文明」「東ヨーロッパ文明(ビザンチン文化→帝政ロシア)」「アラブ文明」「ヒンズー文明」「中国文明儒教)」「日本文明(大乗仏教)」の6文明論を主張しました。

 文化・宗教を加えた文明の分類は画期的ですが、日本文明を「大乗仏教」としているのは表面的であり、縄文時代から続く霊(ひ)信仰の「古神道大国主の八百万神神道)」こそ日本文明の宗教とすべきであったと考えます。

 なお、明治政府は本居宣長世界を照らすアマテラス太陽神神道」を国家神道とし、天皇を神として支配の中心イデオロギーとしますが、教育勅語全体が儒教朱子学)精神で貫かれているように、むしろ徳川幕府の支配思想を継承した「儒教中国文明」の傍流と言わざるをえません。

 トインビーは日本の民衆の伝統的な宗教・文化について判断を誤まるとともに、支配者階級が「中国文明儒教)」の傍流である点を見のがすなど、2重の誤りを犯しています。

④ さらに、サミュエル・ハンチントンは『文明の衝突』(1996年)において、ラテンアメリカ文明 とアフリカ文明を追加し、現存する8大文明として中華文明、ヒンドゥー文明、イスラム文明、日本文明、東方正教会文明、西欧文明、ラテンアメリカ文明、アフリカ文明をあげ、5つの『世界的な宗教』であるキリスト教イスラム教、ヒンドゥー教儒教、仏教のうち、一神教世界宗教キリスト教イスラム教の文明対立を社会主義国との東西階級対立後の新たなアメリカの世界戦略として位置づけています。

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⑤ これに対して、中国の習近平主席は「四大文明の中で中華文明だけが中断なく続いている」「中華民族の偉大な復興の実現が、近代以降の中華民族の最も偉大な夢だと思う」とし、古代専制王朝(漢・元・唐・明など)と遊牧民王朝の元・清を受け継ぐ「中華社会主義国」として「一帯一路」戦略をとっています。

 

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 そしてギリシャとともにイラク・エジプト・インド・メキシコ・ペルーやボリビアなども参加する「古代文明フォーラム」を2017年4月にアテネで開催し、近代西欧文明批判の世界戦略を描いています。2017年5月には北京で約130ヵ国が参加した「一帯一路国際協力サミットフォーラム」と合わせて、中国の文化・経済を組み合わせた世界戦略は明確ですが、古代文明後進国のヨーロッパやアメリカがこれに対抗するすべもなく、ギリシア・メキシコ・ペルーなども取り込まれています。

 「西欧中心文明史観」に対し、遅れた工業化・近代化でも著しい発展をとげて自信を強めた中国は、「東洋中心文明史観」により古代・中世・現代を通した文明の盟主になろうとしているのですが、「縄文文明」など考えたこともない日本の歴史学者は何の反応も示していないのが現状です。

 インドと国境紛争を意識しているのかどうか、中国の考古学では長江流域がインディカ米・ジャポニカ米の発祥の地であるとする説も出てきており、これに呼応するかのような「弥生人(長江流域江南人)の縄文人征服説と弥生人天皇家の建国説」もわが国には右派・左派を問わず一部には根強く見られますが、その批判は「縄文ノート26 縄文農耕についての補足」を参照ください。

⑥ 世界単一市場化(グローバライゼーション)による格差社会化が進む中で、ユダヤキリスト教右派イスラム教過激派、中華社会主義キリスト教西欧諸国の文化・文明の対立が煽られる現代、私たちは日本文明をどこにどう位置付け、どこへ向かうべきなのか、日本文明論を本気で考えなければならない時代と考えます。

 多くの国民は葬式仏教の現状から「大乗仏教」の国と言われてもピンときませんし、江戸時代・戦前の「儒教朱子学)の上下秩序重視」の「儒教文化圏」に属すると言われても違和感を覚えるのではないでしょうか? また国語学者大野晋氏の「日本語ドラヴィダ(タミル)語起源説」や「日本人に多いY染色体Dグループがチベット・東南アジア山岳部・バイカル湖畔に多い」「同系統のY染色体Eグループがアフリカ西海岸ナイジェリアのイボ族などに多い」などについて学会やマスコミでは無視されたままです。

⑦ 私は日本列島文明は、4大大河文明の周辺に位置しながら海洋交易民として独自の発展を遂げた文明であり(母系制文化・共同体文化・祖先霊信仰・自然共生の生類文化・森林文化・巨木建築文化・土器食文化など)、軍国・侵略国のギリシアに支配される前の古エーゲ文明(キクラデス文明)とは海洋交易民として共通性を持っていると考えます。また環状列石・環状列柱はイギリスのストーンサークル(環状列石)文明と、霊(ひ=pee)信仰や倭音倭語はインドのドラヴィダ族と、大河源流の神山天神信仰はエジプト・メソポタミア・インダス・中国文明などと共通し、森林と農業の循環を大事にする照葉樹林焼畑文化は東インドミャンマー雲南などの高地民と共通しています。

 古エーゲ文明(キクラデス文明)、イギリス環状列石文明、古マヤ・古アンデス文明とあわせて「5古代部族共同体文明」と名付けるとともに、「4大古代文明」と合わせて「古代10文明」として提案すべきと考えます。、さらに共同体文明論としての解明が求められます。

 

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⑧ この「古代10文明」のうち、島国という地理的条件と武士階級の高い戦闘力によって元寇や欧米諸国の侵略を阻止し、現代まで西欧諸国の支配を受けることなく独立を保ってきたのはわが国だけであり、古代の遺跡・遺物と文献、さらには連続した伝承・文化を繋げて解釈できる条件をわが国は持っており、DNA分析と合わせると石器時代からの「古代文明」解明の一番の恵まれた条件を持っているといえます。

 例えば、今も日本語は「倭音倭語・呉音漢語・漢音漢語」の3層構造であり、倭音倭語から縄文語の推測が可能であり、8世紀の古事記日本書紀・各国風土記万葉集などから抽出できるのです。「古代10大文明」の解明において、大いに貢献すべきなのです。

 DNAで唯一、アフリカ・アジアにはっきりとした兄弟ルーツを持つ日本列島人として、アフリカで「人類誕生の祭典」を提案できるとしたら、それはわが国なのです。アフリカのチンパンジー・ゴリラ研究やイネ科穀物のルーツ研究などもあります。

⑨ 「近代科学文明」国としてはイギリスを中心とした西欧文明、それにアメリカ、日本が続いたのは、「海洋交易民」として多様な文化の積極的な受け入れと海洋交易を抜きにしては考えられません。しかしながら、グローバリゼーション(世界単一市場化)によるこの「モノカネ(拝物・拝金)文明」は格差社会化と地球環境破壊による異常気象や食料危機という行き詰まりをみせており、次の段階の「共同体文明」の創造に向かうことができるかどうか、分岐点を迎えています。

⑩ 縄文(土器)文明世界遺産登録を進めるにあたっては、「縄文文明論」「日本列島文明論」を明確にした上で世界の各文明との関係性を明らかにし、「命(DNA)という各文明の共通価値」を見出し、「文明の衝突」の回避に向けて世界へ情報発信する必要があると考えます。

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9.今後の課題

① 地球が温暖化傾向から寒冷化に向かう5000年前頃の危機の中で、世界で一斉に農耕(森林農耕・草原農耕・大河流域農耕)が始まり新しい古代文明が誕生したと考えられます。 

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② その文明の解明には、「自然」「環境」「産業」「生活」「社会」「科学技術」「言語」「宗教・芸術」から総合的に考えていく必要があると考えます。

 「大河地域―砂漠・草原地域―多島海地域」などの地域軸、「氏族共同体―部族共同体―民族共同体」の社会軸、「原始共同体―古代専制社会―封建社会―近代社会」「河流文明→内海文明→大洋文明」などの時間軸、「農業革命―工業革命―情報革命」という産業軸、「自然崇拝―祖先霊崇拝―絶対神崇拝」という宗教軸などを総合した文明論です。

③ 最終目標としては、「文明の衝突」「宗教対立」「階級対立」を超える歴史的な共通価値としての「命」=「霊(ひ)=DNAの継承」を明確にし、新たな「汎地域主義」の命の共通価値を最優先する「生類共同体世界文明」を展望したいと考えます。

④ すでに縄文時代を起源とする「和食」(生活文化)とスサノオ大国主一族の「山・鉾・屋台行事」(宗教文化)との2つと「4つの宗教遺産(厳島神社熊野古道、富士山信仰、宗像・沖ノ島遺産群)」ユネスコ無形文化遺産に登録されており、これに縄文宗教・文化・社会を示す遺跡を加えて統一的な説明を行うことにより縄文文明の世界遺産登録は可能と考えます。縄文遺跡のハードからだけではない、精神文化・生活文化からのアプローチが重要です。

 

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 ⑤ 「北海道・北東北の縄文遺跡群」世界遺産登録や各地の縄文遺跡との連携を図り、「縄文文明」として、沖縄から北海道までの「土器時代」(石器・土器・鉄器時代区分)全体の世界遺産登録を最初から目指すか、それとも「日本中央縄文文明」としてまずは世界遺産登録を目指すかは、今後、議論すべきと考えます。

 

 

<資料1>  「縄文文明論」考

                   190320・0424→200824→210615 雛元昌弘

1.古代文明論について

① 肥沃な大河のほとりで穀物栽培を開始し、金属器を使用して農耕・土木・建築・戦争を行い、古代国家を作り上げ、文字や数学・天文学を発達させるなど、産業・政治・行政・生活・文化(文字・哲学・科学・宗教・芸術)の新たな時代を作り上げたという点において、メソポタミア、エジプト、インダス、黄河は「4大文明」とされてきました。

② 一方、近年、イギリスの巨石文明や縄文文明を主張する流れとともに、「エーゲ文明(ミケーネ・クレタ・トロイ)」「ギリシア・ローマ文明」「古マヤ文明」「古アンデス文明」「遊牧民文明」などの文明論も見られます。

③ さらに時代が下がると、「ヒンズー教・仏教などの多神教」に対し、「ユダヤ・キリスト・イスラム一神教」は世界宗教として現代にまで大きな影響を与えており、文明論を「文化」の中の「宗教」という1ジャンルに押し込めていいのか、という検討も必要と考えます。「近代産業」「貨幣経済」とともに民族・国家を超えた影響を持っているからです。

④ このような文明観の中で、わが国はどのように位置づけられるのでしょうか?

 

2.「縄文文明論」について

① これまで、「縄文土器時代」は、「土器の編年」からの考古学の区分でしたが、大きく変えたのは岡本太郎氏の「縄文芸術論」であり、さらに「縄文文化論(西垣内堅祐弁護士等)」「縄文生活論・縄文社会論(上田篤氏等)」「縄文文明論(梅原猛梅棹忠夫安田喜憲川勝平太氏等)」などの主張がみられます。

② 日本のアカデミズム主流は、「進んだ弥生、遅れた縄文」「進んだ中国、遅れた日本」「進んだ西欧、遅れた日本」、「アジア的生産様式」などの拝外主義の思い込みが強いのか、あるいは物証主義によるのか、縄文論を「仮説検証型」で進化・発展させてきたのはアカデミズム傍流、あるいは他分野、在野の人たちかもしれません。

③ 例えば「石器-縄文-弥生-古墳」時代の日本の独特の時代区分は「石と土の前文明段階(未開段階)」という強い思い込みにとらわれたものであり、この「セキ・ドキ・ドキ・バカ」時代区分が世界に通用するとは思いません。素直でない私は小学生の時、日本に「金属器時代」がないことにどうしても納得できませんでした。

 単純に「石器-土器-鉄器」の時代区分に変え、沖縄から北海道を結ぶ「貝とひょうたん・ヒスイ」「日本海を結ぶ黒曜石」の道、成熟した縄文文化中心の信越・北関東・東北地方、鉄器文化中心の北九州・山陰・中国地方、沖縄から北・東への方言・地名の移動などに着目し、「大和中心史観・天皇中心史観」から脱すべきと考えます。

④ さらに重要なのは、大陸から海に隔てられた多島列島という地勢的条件と黒潮対馬暖流により、日本列島には多くのDNAを持った人々が移住しながら、部族抗争に明け暮れる多民族国になることなく、竹筏・丸木舟・鳥船(帆船)により活発に交流・交易を繰り広げ、1万年にわたる平和な縄文社会、漁撈・狩猟・縄文農耕の安定した食料確保と栄養豊かな土器煮炊き・蒸し料理文化を創り上げ、鉄器時代に入って「鉄先鋤革命」により水利水田稲作を一気に全国に普及し、妻問・夫招婚による「八百万神」信仰によるスサノオ大国主王朝建国という、独自の産業・政治・生活・文化を持った社会・国づくりを行ってきたのです。

⑤ 縄文時代の人骨2582体のうち何らかの攻撃・武器による死亡は23体(0.9%)、弥生時代は100体/3289体(3%)とされており(中尾央:『日経サイエンス』2018.12)、「戦争は人類の本能」「戦争が人類を発達させた」という戦争文明史観を否定しています。

⑥ 今、求められているのは、この縄文社会・縄文文化を、「縄文文明」として整理し、世界に発信することではないでしょうか? それは、考古学の石器・土器分類学には収まらない作業となります。

⑦ 「海洋交易民文明」として、西の「エーゲ文明」(前ギリシア・ローマ地中海文明)に対し、東の「日本列島文明」「縄文文明」を対置すべきと考えます。

 縄文1万年の祖先霊信仰(霊(ひ)継ぎ=DNAリレー)から続くスサノオ大国主一族の「八百万神」信仰は紀元前6世紀からのギリシア哲学や紀元前5世紀頃の旧約聖書に対置でき、自然との共生、栄養豊かな土器煮炊蒸料理・生魚食文化は現代にまで影響を与え、紀元前8世紀~紀元後1世紀のギリシア神話には紀元1~世紀記紀神話が対置できます。

 紀元前9世紀からのギリシア文字に対し、わが国には「縄文絵文字」の伝統の上に象形文字の漢字文化(呉音漢語・漢音漢語)を積極的に受け入れ、万葉仮名の成立は5世紀頃とされていますが、魏書東夷伝倭人条によれば、文書による「上表」、「文書の伝送」が3世紀に行われていたことが確実であり、紀元1世紀の委奴国王の後漢新羅との外交、スサノオ大国主王朝の成立に伴う「神在月」の行事などからみて、紀元1世紀には独特の音訓併用漢字(表意表音文字としての漢字)を使用していた可能性が高いと考えます。

 

3.「日本列島文明」か「縄文文明」か

① この1万年を越えるわが国の海人族の「文明」をどのように名付けるのか、今後、更に検討・議論が必要と考えますが、私の現時点での考えを述べておきたいと思います。

② 「海洋交易民」としての文明の特徴を示すなら「日本列島文明」になりますし、「土器文明」ではなく「縄文」に特別の「産す霊=むすび」の意味を持たせるなら、「縄文文明」になります。

③ この国の始祖神の「霊(ひ)を産む神」である、高御産巣日(タカミムスヒ:高皇産霊)・神産巣日(カミムスヒ:神皇産霊)の名称、人(霊人)・彦(霊子)・姫(霊女)・聖(霊知)・卑弥呼(ヒミコ:霊巫女)などの名称、アマテル・スサノオの「ウケヒ:受け霊」から考えると、「縄」は「産霊=ムスヒ=結び」のシンボルであり、男女が「ウケヒ(受霊)」で「ムスヒ」=「霊(ひ)を産む」シンボルであった可能性があります。

 従って、霊(DNA)を繋ぐ「霊(ひ)信仰」のシンボルとして「縄文」をとらえ、その土器で料理し、家族・祖先霊とともに共食しべて命を繋ぐ神器として「縄文土器鍋」に特別の宗教的な役割を考えていたとすると、「縄文文明」としてアピールした方がいいといえます。

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④ この霊(ひ)信仰は、他の動物や植物なども霊(ひ)を持っていると考える生命尊重・自然共生の「生類宗教」であり、古代人の宗教を「自然崇拝:自然(太陽、山、海、雷・・・)そのものの崇拝」、「アニミズム(精霊信仰:自然に宿る精を信仰)」「マナイズム(聖力信仰:自然や人にとりつくマナ(精なる力)信仰)」ととらえるのではなく、「霊(ひ)・霊継(ひつぎ)宗教」という世界的に普遍的な宗教としてアピールすべきです。

 

 

<資料2> 「縄文文明論」の検討課題

                                                                         190329→0509→200824→210615  雛元昌弘

1.民間研究者の役割

(1) 大胆な仮説検証型の方法論

(2) 細分化された多様な分野の多様な説の整理・統合

(3) 現代的な課題への提言(文明論、文化論、宗教論、芸術論、政治論・・・)

 ① 「中国・アメリカの周辺文明国」か、「自立発展文明国」か

  ―拝外主義・排外主義の両コンプレックスの克服

 ② 「西欧白人文明進歩史観」の再検討

  ・「肉食史観」「3大穀物史観」「焼食史観」対「魚食史観」「芋栗豆6穀食史観」「生食・鍋食史観」

 ・「原始共同体→古代専制国家→封建社会資本主義国家→社会主義国家」の進歩史観

 ・「主語―目的語―動詞言語」(自他尊重文化)対「主語―動詞―目的語言語」(自我優先文化)

 ―「主語―目的語―動詞」言語族と「主語―動詞―目的語」言語族の出アフリカと拡散分析

 ・「表意文字」対「表音文字」対「表意・表音文字

 ・「一神教史観」対「多神教史観」

 ・「人間中心宗教(信仰心を持つ人間だけが天国へ行ける)」対「死ねば誰もが神になるという動物を含めた霊(ひ)の再生宗教(八百万神信仰、生類愛信仰)」

 ③ 「文明の衝突」(サミュエル・ハンチントン)に対する、「文明の共存・共生」の提案

 ―「多DNA・多民族・3層構造の融合言語、複数宗教(神道儒教・仏教・キリスト教など)、複数国家(日本国と琉球国)」の海洋交易民文明

 

2.世界史の中での「縄文社会」の解明課題

① 「縄文文明」「日本列島文明」論は成立するか?

② 「4大文明(黄河・長江を1つとみる)」、「地中海文明ギリシア・ローマ文明」「古イギリス文明」「アスティカ・マヤ文明」、「オアシス・遊牧民文明」などとの違いと独自性の整理

③ 生産―生活―文化(言語、文字、宗教、芸術、政治)の総合的な文明論

 

3.古代文明論の整理

① 「狩猟採取民史観」、「海人族(漁労交易民)史観」、「農耕民史観」、「砂漠・オアシス・草原遊牧民史観」

② 「石器・土器・鉄器時代区分論」(武器史観から、生活用具史観へ)

③ 「肉食史観」「3大穀物食史観」対「芋栗豆6穀・魚介食史観」

―「焼食窯食文化」対「土器鍋煮炊き蒸し食文化」

④ 「宗教区分論」(自然宗教論・アニミズム論・マナイズム論対霊(ひ)信仰論)

 ・「縄文」は「産霊=ムスヒ=結び=受け霊(ひ)=男女の性交」を示すシンボル

 ・縄文土器は霊(ひ)=DNAを繋ぐ神(祖先霊)と自然との共食の神器

 ・霊(ひ)信仰を示す人(霊人)、彦(霊子)、姫(霊女)、聖(霊知)、棺(霊継ぎ)、卑弥呼(霊御子)、ヒ留女(霊留女)・蛭子(霊留子)

 ・「禁欲宗教」対「快楽・子宝・子孫繁栄宗教」(妻問夫招婚、性器崇拝)

 ・「海神(龍宮)信仰」「地神(地母神)信仰」「神木(神籬:霊洩木)信仰」「山神(神名火山:神那霊山)信仰」「天神信仰

⑤ 「縄文芸術論」(霊継(ひつぎ)=命の芸術)

 

4.日本列島人起源論と縄文社会論の整理

① 「多DNA・原日本語民族論」:インドネシア・フィリピン・台湾のような多民族多言語国にならず、「主語―動詞―目的語構造」の「倭音倭語・呉音漢語・漢音漢語の3層言語」の交流・交易社会はなぜ成立したか?

② 「北方起源説」(マンモスハンター説:大型動物狩猟民説)、「長江流域中国人渡来説水田稲作伝来説)」、「朝鮮人渡来説」(水田稲作伝来説、騎馬民族説)対「南方起源説」(竹筏・丸木船の海人族説)

③ 旧石器時代縄文時代内発的発展か、外発的発展の断続か?

 ―「自立発展史観・内発的発展史観」対「外発的発展史観(征服国家史観)」

④ 「隣接地域への波及型(リレー型)文化伝播説」対「海洋交易民による飛び石的文化運搬説」:活発な交流は陸上リレーか、竹筏・丸木舟移動・交易か?

⑤ 古日本語「5母音説」(「あいういぇうぉ」説と「あいうえお」説)と「3母音説」(5母音の方言化説、3母音古日本語説、「あいういぇうぉ」5母音からの分化説)

 

5.縄文社会論と古代国家形成論の整理

① 「石器時代縄文時代弥生時代古墳時代」の「イシドキドキバカ」時代区分説(石土文明史観の大和中心史観)か、「石器―土器―鉄器」時代区分説(スサノオ大国主建国)か?

② 「遅れた縄文人、進んだ弥生人」の「弥生人征服史観」は成立するか?

③ 「戦争本能説(弱肉強食論)」対「戦争社会条件説」

④ 「天(あま)族論」対「海人(あま)族論」

⑤ 「スサノオ大国主建国論」対「アマテラス建国論」

 ―「スサノオ天王建国論」対「神武・崇神・応神・天武天皇建国論」

⑥ 「世界を照らすアマテラス太陽神」対「甘木高台(高天原)のアマテル(海照)神論」

 ―「アマテル太陽神」説対「アマテル(オオヒルメ=大霊留女大国主の筑紫妻の鳥耳)、代々襲名の卑弥呼=霊御子説」

⑦ 「神産霊・高産霊始祖神説」対「イヤナギ・イヤナミ始祖神説」

⑧ 日本列島文明のシンボル「出雲大社説」対「箸墓古墳説」

⑨ 「三輪大物主・纏向大国主拠点説」対「纏向卑弥呼=アマテラス拠点説」

⑩ 「箸墓(大市墓)=モモソヒメ墓説」対「箸墓=オオタタネコ大物主・モモソヒメ夫婦墓説」

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/

縄文ノート78 「大黒柱」は「大国柱」の「神籬(霊洩木)」であった

 「縄文ノート69 丸と四角の文明論(竪穴式住居とストーンサークル))において、私は縄文時代の竪穴式住居は四角の柱組からすれば四角の平面形にするのが自然であるにも関わらず、円形平面にするのは不自然であり、そのルーツがアフリカの円形平面住宅にあり、Y染色体Dグループの縄文人の移動とともに日本列島に伝わった可能性が高いことを明らかにしました。

 では、大黒柱を中心にした「田の字型」の農家・民家住宅のルーツはどこにあるのでしょうか? アフリカルーツの円形平面の竪穴式住居ではなく、なぜ「田の字型」の農家・民家が標準プランとして登場したのでしょうか?

 結論からいうと、死霊・祖先霊を神籬(霊洩木)から天に送り、迎える「心御柱(しんのみはしら)」の周りに部屋を配置した大国主の「田の字型」の出雲大社の建築プランを受け継ぎ、「心御柱=大国柱(おおくにはしら)」を「田の字型」の中心に置いた高床式の農家・民家住宅となり、紀元4~8世紀の天皇家の権力奪取により倭音倭語の「大国(おおくに)」が呉音漢語で「ダイコク」と読まれ、「大黒柱」と漢字表記されるようになった、と私は考えています。

 縄文時代からの神籬(霊洩木)信仰を受け継いだ、大国主の八百万神信仰の心御柱を中心とした「田の字型」神殿から、死ねば誰もが神となる八百万神信仰により「田の字型」農家・民家が全国に普及し、竪穴式住居に置き換わったと考えます。

 「縄文文明の世界遺産登録」を目指すならば、「縄文時代」=未開社会、「弥生時代」=文明社会としてきた「弥生人(中国人・朝鮮人)による縄文人征服説」の空想を乗り越え、縄文社会から連続したスサノオ大国主一族の霊(ひ)・霊継(ひつぎ)信仰に基づく建国とそれを受け継いだ日本の文化・文明の姿を「全世界の文明」の中に位置付ける必要があると考えています。

 これまで述べてきたことと重複しますが、以下、お付き合いいただければ幸いです。 

 

1、『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』での位置づけ

 私は『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(2009年)において、出雲大社本殿と「田の字型住宅」の関係について次のように書きました。

 

 この出雲大社の神殿の特徴は、二つある。一つは、極端な高床式の建物であるということであり、もう一つは、部屋の中央に心柱を置き、田の字型に七本の柱を配置し、切妻型の屋根をもった様式である。

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 高いことはより天に近づくことであり、霊を信仰する宗教的な権威をより高めることが目的であったと考えられる。また、対馬・筑紫、越方面から、年に一度、八百八十の神々が航海してきた時の目印とするためであったとも考えられる。海から見ると陸地は平板に見え、上陸地点を見逃す心配があるが、そびえ立つ出雲大社灯台に匹敵する目印となったと考えられる。

 もう一つは、大国主神の住まいとしての形式である。わが国の田の字型の伝統的な建物では、土間から見ると、左手奥が床の間や仏壇のある上座(床の間)で、右手奥は、建物の主の寝室(納戸)になる。出雲大社は、床の間の位置に「別天津神五柱」を祀り、納戸の位置に大国主神を祀っている。記紀が描くとおりに大国主神の「住所」「天の御舎」(宮殿)であったことが明らかである。また、部屋中央の心柱は、祖先霊が降り立つ「御柱」の可能性が高く、もともとは、心柱のまわりに部屋を付けた建物であったと考えられる。

 

 ここでは「心御柱」を、記紀でイヤナギ・イヤナミが「天御柱」を回って結婚を祖先霊に誓い、セックスしたということに重点を置いて書いていますが、「大黒柱」の名称で今も伝わっていることについても書くべきでした。

 

2.日本大百科全書(ニッポニカ)の「大黒柱」の説明

 日本大百科全書(ニッポニカ)は大黒柱について、「大極柱とも書く。構造上もっとも重要な柱で、他の柱に比しとくに太い材料を用いる。その点では、神社建築の「真の御柱(みはしら)」にも匹敵する。通常は土間と床上部分との境の中央の柱をいうが、田の字型間取りの場合、中央の交差点に建つ柱をいうこともある」としていますが、この記述は皇国史観に忖度(そんたく)した、スサノオ大国主一族の建国という真実の歴史から目を逸らせる記述と言わざるをえません。

 「縄文ノート33 『神籬(ひもろぎ)・神殿・神塔・楼観』考」「縄文ノート50 縄文6本・8本巨木柱建築から上古出雲大社へ」で私は「心柱」について次のように書きました。

 

⑦ 6世紀頃からの日本の仏塔

 日本の仏塔は、中国の仏塔のような人々が昇ることのできる「高楼」ではなく、「心柱」を守る庇を何重にも付けたものであり、霊(ひ)が昇り降りてくる神籬=御柱信仰をもとにして、釈迦の仏舎利(遺骨や宝石)を崇拝対象とする「仏塔」とした独特の建築です。

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 天皇家が仏教を国教とした後にも、縄文時代から続く天神信仰の神籬=御柱信仰は形を変えて生き続けたのです。ちなみに、仏教では死者は極楽行か地獄行の一方通行であり、盆正月や祭事にこの世と行き来することはありません。

 

 出雲大社で「心御柱」とされ、仏塔の中心の「心柱」とされる柱を、「真の御柱(みはしら)」と書く日本大百科全書は、出雲大社から農家・民家建築、仏塔に続く建築様式の伝統を隠蔽しています。

 

3.「神籬」「天御柱」「天比登都柱」と「大柱・立柱」

 「縄文ノート33 『神籬(ひもろぎ)・神殿・神塔・楼観』考」では、神籬(ひもろぎ=霊洩木)やイヤナギ・イヤナミの「天御柱」や壱岐の「天比登都(ひとつ)柱」、平原遺跡の「大柱」、吉野ヶ里遺跡の「立柱」、広峯神社諏訪大社の「御柱祭」について、次のように書きました。

 

① 神籬(ひもろぎ=霊洩木)

 神籬(ひもろぎ=霊洩木)は祖先霊の依り代となる木であり、宗像大社の高宮祭場は神籬を四角の石の方壇で囲っており、地上の四方を支配する王の霊(ひ)が天から降りて留まり、また天に帰る祭祀の場です。

 

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 ② イヤナギ・イヤナミ神話の「天御柱

 古事記日本書紀などは、イヤナギ(伊邪那岐・伊耶那岐)・イヤナミ(伊邪那美・伊耶那美)は「天御柱(あめのみはしら)」と「八尋殿(やひろどの)」のある出雲の揖屋(いや)に降り立ち、「天御柱」を左右に分かれて廻り、始めてセックスして神々を産んだとしています。この神話は祖先霊の宿る神籬である「御柱」を廻って霊継(ひつぎ)を誓う宗教があったことを示しています。

 この記紀神話は、この「天御柱」が揖屋の「イヤナミ」の祖先霊の依り代、神籬(ひもろぎ=霊洩木)であることを伝えており、天(海人族が拠点とした玄界灘壱岐対馬の海域)から対馬暖流を下って揖屋にやってきたのはイヤナギ・イヤナミの夫婦神ではなく「ナギ」だけであり、この地の「イヤナミ」に妻問いして結ばれ、入り婿となって「イヤナギ」を名乗ったことを示しています。古代天皇31~50代の即位年からの最小二乗法による回帰計算では、紀元50年頃のことになります。

 

③ 壱岐の古名の「天比登都(ひとつ)柱」と魏書東夷伝倭人条の「一大国(いのおおくに)

 古事記壱岐の古い名前を「天比登都(ひとつ)柱」としており、これは魏書東夷伝倭人条が壱岐を「一大国(いのおおくに)」と記していることと符合します。壱岐は「壱城」であり、「天城(甘木)」「間城(真木・巻)」名や新羅(しんら)を「しらぎ」と呼んだように、城柵で囲まれた初期の「都市国家」を示していますが、元々は「壱=一=委」の国であり、そこでは御柱信仰が行われていたことを示しています。

 

④ 王墓の前の大柱(平原遺跡)と立柱(吉野ヶ里遺跡

 魏書東夷伝倭人条で伊都国とされる福岡県糸島市1800年前頃(筆者説では筑紫大国主王朝の14・15代目頃)の平原遺跡1号墓の前には直径70㎝の大柱が立てられ、吉野ヶ里遺跡の紀元前1世紀頃の北墳丘墓前にも立柱が立てられており、死者の霊がこの御柱から天に登り、祭事には降りてくるという宗教であったことを示しています。

 

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⑧ 現代に続く諏訪大社御柱祭広峯神社御柱焚き上げ神事など

 スサノオと御子のイタケル(五十猛:一=壱=委のタケル)を祀る「牛頭天王総本宮」の広峯神社(京都で疫病が流行った時に八坂神社へ神霊を移す)や、スサノオの子の物部氏の洩矢氏と大国主の子の建御名方を祀る諏訪大社の起源は紀元1~2世紀に遡ります。この両社などの御柱は神籬(ひもろぎ)であり、広峯神社御柱焚き上げ神事や諏訪大社御柱祭の起源はスサノオの建国時代にさかのぼり、さらにそのルーツは縄文時代からの神籬(霊洩木)信仰や神名火山(神那霊山)信仰の天神信仰と考えられます。

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 考古学者・歴史学者は.遺跡から発掘された柱跡から「見張り台」や「大柱・立柱」を再現してみせていますが、記紀に書かれた「神籬」「天御柱」「天比登都柱」や播磨・諏訪に伝わる「御柱祭」との関係を無視し、神木(神籬:霊洩木)や神名火山(神那霊山)から死霊・祖先霊が昇天・降地するという縄文時代からスサノオ大国主建国に続く八百万神の天神信仰を隠蔽しています。

 単なる「物(ぶつ)の分類を科学と考えるタダモノ主義」「閉じ籠りのセクト主義」ならいいのですが、「世界を照らすアマテル太陽神信仰」に忖度し、「スサノオ大国主建国」の正史を隠蔽しようとしているなら歴史をイデオロギーで改ざんする悪質な行為です。

 桓武天皇の第2皇子の52代嵯峨天皇は「素戔嗚尊(すさのおのみこと)は即ち皇国の本主なり」として正一位(しょういちい)の神階と日本総社の称号を尾張津島神社に贈り、66代一条天皇は「天王社」の号を贈っており、スサノオこそが「皇国の本主」の「天王(てんのう)」と認めているのです。ほとんどの考古学者・歴史学者古事記日本書紀の神話を無視し、歴代天皇のうちの第1級の文人である嵯峨天皇のこの判断を無視しているのですが、みなさんはどちらを信用されるでしょうか?

 縄文時代=未開社会、弥生時代=農耕開始=文明社会というフィクション(虚構)から目を覚ますべきでしょう。

 

4.出雲の「大黒山」は「大国山」

 縄文論からは横道に逸れますが、「大黒」=「大国」であることを示す例が、出雲にもあります。

 2020年1月28日のブログ『ヒナフキン邪馬台国ノート』の「纏向の大型建物は『卑弥呼の宮殿』か『大国主一族の建物』か」から、関係部分を添付します。

https://blog.seesaa.jp/cms/article/edit/input?id=473308058

 

4.出雲の神庭・神原に見られる「直線配置」と「二等辺三角形配置」

 この纏向の「直線配置」と「二等辺三角形配置(神那霊山形配置)」が単なる偶然ではないことは、出雲の神庭・神原にも2つの「直線配置」と2つの「二等辺三角形配置」が見られることから証明されます。

図2のように、出雲には大黒山と権現山を起点にして、次のような遺跡配置が見られます。

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① 大黒山と権現山・加茂岩倉遺跡・神原神社遺跡が直線配置

図2 大黒山と荒神谷・加茂岩倉・神原神社、権現山、神代(かむしろ)神社の位置関係

② 権現山と神代(かむしろ)神社、荒神谷遺跡、出雲郡家(役所)、西谷墳墓群が直線配置

③ 大黒山を頂点に荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡が二等辺三角形配置

④ 権現山を頂点に荒神谷遺跡、大黒山が二等辺三角形配置

 

 大黒山の頂上付近には兵主(ひょうず)神社が、権現山の麓には神代(かむしろ)神社があり、出雲国風土記大原郡神原郷には「所造天下大神之御財 積置給處也」と記載され、それを裏付けるように神原の加茂岩倉遺跡からは39個もの銅鐸が発見されています。

 なお、神庭(かんば)の神代(かむしろ)は「神城(かむしろ=かんき)」であり、三輪の「間城(まき:真木)」、「纏向(間城向)」地名とも符合します。 

 

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大黒山頂上付近の兵主(ひょうず)神社 紀元前2世紀頃には数学書『周髀算経(しゅうひさんけい)』ができており、それを入手していれば、三角形の相似から紀元1~4世紀頃に1000~2000mの距離を正確に測ることができたと考えられます。

 大和の纏向・三輪と出雲の神庭・神原において、それぞれ神那霊山を起点にして「直線配置」と「二等辺三角形配置(神那霊山形配置)」が見られることは、共通する王朝による神那霊山信仰と、王たちの山頂からの「国見」による施設配置計画、建造に携わる同じ技術者集団がいたことを示しています。

 

 ここでも大国主兵主神)を祀るもともとは「大国山(おおくにやま)」であったものが「大黒山(だいこくやま)」とされており、大黒柱と同じ言い換え・書き換えが行われています。大黒山と大国主の関係をブログ『真理探究と歴史探訪』掲載の写真から借用して添付します。

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 また、密教の伝来とともに大国主はインドの大黒天(ヒンドゥー教シヴァ神:もっとも重要な3神の1神。世界の創造、維持、再生を司る最高神)と習合され、「大黒さん・大黒様」の像・絵として親しまれていることはご存じと思います。

 

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 この「大国」隠しのように、記紀や神社伝承などの分析にあたっては、呉音漢語・漢音漢語による天皇家の歴史改ざんの下に巧妙に隠されている倭音倭語によるスサノオ大国主時代の歴史を探究する必要があります。

 「大和」を「やまとこく」ではなく「おおわのくに」と読み、「邪馬壹国」を「やまいちこく」と読むのではなく「やまのいのくに」と読むところから、分析を行うことが求められます。呉音漢語・漢音漢語を習いながら、倭音倭語を手放すことがなった倭人の主体的・内発的な言語・文化構造にたった分析が求められます。

 

4.「丸型平面」と「田の字型平面」住宅からの縄文からの重層的文明論

 「和魂漢才」「和魂洋才」の拝外主義の伝統では、縄文時代=野蛮・未開段階、「弥生人朝鮮人・中国人)による稲作開始と天皇家の建国」=文明段階という空想が定説とされ、日本は仏教国、儒教国として中国文明の一部とされていますが、「丸型平面」と「田の字型平面」の住宅文化からそのような説が成立するでしょううか?

 竪穴式円形住居も田の字型農家・民家も朝鮮・中国起源の住文化とは言えませんし、私の岡山県兵庫県の祖父母の家とも屋内には「神棚と仏壇」、敷地内には屋敷神の「祠」があり、朝鮮・中国起源とは思えません。

 円形住居はアフリカに広く見られ、大黒柱を中心に建てた田の字型農家・民家は大国主出雲大社を原型としていることが明らかです。

 鹿児島県南さつま市栫ノ原遺跡や霧島市の上野原遺跡などに見られるように、縄文時代から中世まで多くの集落遺跡が連続していることからみても、縄文1万数千年の歴史と部族社会段階のスサノオ大国主建国は連続しており、住文化や倭音倭語・呉音漢語・漢音漢語の3層構造と同じように内発的発展をとげているのです。

 「縄文文明論」においては、このような重層的に現代にまで続く連続性を重視した文明論とすべきであり、なによりもユネスコ無形文化遺産の「和食」とスサノオ大国主一族の「山・鉾・屋台行事」「4宗教世界遺産厳島神社熊野古道、富士山、宗像・沖ノ島)」と連続した位置づけが必要と考えます。

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/

 

「縄文ノート77 「北海道・北東北の縄文遺跡群」世界文化遺産登録の次へ」の修正2

 「縄文ノート77」の「図3 「文明」の基準をどこに置くか?―『産業文明』史観から『多元・多重文明史観』へ」を修正しました。

 西欧中心主義者のギリシャ・ローマ・キリスト教文明を基準にした「西欧文明区分」や、中国清朝末期の知識人・梁啓超ウィキペディア福澤諭吉浮田和民・茅原華山ら日本人の文明観の影響を受けていた)の詩『二十世紀太平洋歌』に見られる中国・インド・エジプト・小アジアのアジア・アフリカ中心の「四大文明論」、さらにはマルクス・エンゲルスの父権世襲制奴隷制を基準とした「古代奴隷制文明区分」に対し、私は下図を掲げて「多元・多重文明史観」を提案しましたが、呼称を「多元・多層文明史観」に変更するとともに、下図の赤字部分を修正・追加しました。

 

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 なお、「文明(英語:civilization)」は、ラテン語のキウィタス(civitas:都市・国家)を語源とし、奴隷制ギリシア・ローマ型の都市・生活・文化を基準としており、マルクス主義の考古学者ゴードン・チャイルドは、文明と非文明の区別をする指標として①効果的な食料生産、②大きな人口、③職業と階級の分化、④都市、⑤冶金術、⑥文字、⑦記念碑的公共建造物(ピラミッドなど)、⑧合理科学の発達、⑨支配的な芸術様式をあげており、私は「宗教論」「共同体文化論」「海洋交易論」の3つを加えて次表を作成し、日本列島では縄文時代から文明社会となったと主張しました。―「縄文ノート50 縄文6本・8本巨木柱建築から上古出雲大社へ」参照

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  その後、世界の神山天神信仰、高層建造物、黒曜石、女神像などの分析から、「ギリシア・ローマ型」「古代専制国家型」の文明観ではなく、世界各地の地域・産業・文化条件に合わせて各地に多様な「多元・多層文明型」があると考え、前掲の図3を作成しました。

 そして、「文明」の始まりを従来の「支配階級」「都市」の形成に置くのではなく、「分業・協業」「集落」「部族共同体社会」に置くことを提案したいと考えます。

 全世界各地域の産業・労働・生活・共同体社会・文化・宗教は、一斉に転換期を迎えるのではなく、不均等に「多元的・多層的」に発展するものであり、文明の起点を「古代四大文明」や「ギリシア・ローマ文明」を標準として判断すべきではない、と考えます。

 いろいろと迷いながら試行錯誤を重ねており、今後の議論材料としていただければ幸いです。。

 

<これまでの縄文文化・文明論>

 縄文ノート48 縄文からの「日本列島文明論」

 縄文ノート49 「日本中央縄文文明」の世界遺産登録をめざして

 縄文ノート50 縄文6本・8本巨木柱建築から上古出雲大社

 縄文ノート51 縄文社会・文化・文明論の経過と課題

 縄文ノート52 縄文芸術・模様・シンボル・絵文字について

 縄文ノート57 4大文明と神山信仰

 縄文ノート58 多重構造の日本文化・文明論

 縄文ノート59 日本中央縄文文明の世界遺産登録への条件づくり

 縄文ノート69 丸と四角の文明論(竪穴式住居とストーンサークル)

 縄文ノート71 古代奴隷制社会論

 縄文ノート72 共同体文明論 210506

 縄文ノート75 世界のビーナス像と女神像

「縄文ノート77 「北海道・北東北の縄文遺跡群」世界文化遺産登録の次へ」の修正1

 「縄文ノート77」の「7 全国の『縄文文化・文明』の世界遺産登録へ」を書き終えないままアップしてしまいましたので、「7 『縄文文明』の世界遺産登録へ」として修正します。

 また、「図11 森の恵みを活かした縄文人の『循環型食文明』」を変更しました。私は氏族社会から部族社会への転換を「分業」におき、階級社会の発生も「戦士(軍人)」の分業・世襲化で考えており、「縄文文明論」を展開するうえで、黒曜石採掘・製塩・交易などを含めて、修正しました。

 

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7 「縄文文明」の世界遺産登録へ

 現時点の私の提案は「日本中央縄文文明」の世界遺産登録運動ですが、アフリカからの民族移動を考えると海人族の交流・交易による日本列島全体の「縄文文明」の世界遺産登録が欠かせません。

 人類拡散の世界史への手掛かりを与える「(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠」「(5) ある文化(または複数の文化)を代表する伝統的集落、あるいは陸上ないし海上利用の際立った例。もしくは特に不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている人と環境の関わりあいの際立った例」として、太平洋・東シナ海日本海に沿って広がった海人(あま)族の文化・文明と山人(やまと)族の神山天神信仰・黒曜石文化などをさらに追加・整理し、「縄文文明の世界遺産登録」の取組として提案したいと考えます。

縄文ノート77 「北海道・北東北の縄文遺跡群」世界文化遺産登録の次へ

 三内丸山遺跡大湯環状列石など4道県17遺跡で構成される「北海道・北東北の縄文遺跡群」について、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の諮問機関のイコモス(国際記念物遺跡会議)が世界文化遺産への登録を勧告したことを、5月26日に文化庁が発表しました。関係者の十数年にわたる先駆的な粘り強い努力が報われたことに対し心から敬意を表し、ともに喜びたいと考えます。

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 ただ、「農耕・牧畜を基盤とした同時期の世界の文明と異なり、縄文社会が採集・漁労・狩猟社会」とした点については、私は西欧中心主義の文明規定としてこれまで批判してきたところであり同意できず、日本の縄文文化・文明の全体を代表していない点についても課題を残していると考えます。

 「縄文ノート49 『日本中央縄文文明』の世界遺産登録をめざして」「縄文ノート59 日本中央縄文文明世界遺産登録への条件づくり」などをもとに、それ以降の日本民族起源論と古代文明論の深化をふまえて、縄文世界遺産登録について再検討してみたいと思います。

 

1 「北海道・北東北の縄文遺跡群」は日本の縄文文化・文明全体を代表していない

 私が2006(平成18)年に青森県から始まった「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界遺産登録運動に触発され、私が「金精信仰と神使(しんし)文化を世界遺産に」「群馬・新潟・長野縄文文化世界遺産登録運動」の提案を行ったのは2015年のことでしたが、その頃の私の縄文についての知識は乏しく、次のような主張でした。

 

② 「北海道・北東北の縄文遺跡群」と比べて、「群馬・長野・新潟縄文文化遺産」の世界に誇るべき優れた点は、多様な縄文土器やアクセサリー(耳飾など)の芸術性の高さと縄文文化地母神信仰、金精信仰)を現代に伝える祭りが片品村などに残されていることである。そして、「石器時代―土器時代―鉄器時代」という歴史区分を提案できる歴史の連続性を持っていることである。

③ 世界遺産登録の「6 顕著な普遍的価値を有する出来事(行事)、生きた伝統、思想、信仰、芸術的作品、あるいは文学的作品と直接または実質的関連がある」の基準は、まさに猿追い祭りや金精信仰など現代に引き継がれているのである。

 

 現代に続く金精信仰や混浴、浮世絵などから、儒教の「禁欲的・画一的・秩序的」な文化に対し、日本文化の特徴を「開放性・多様性・共同性」として対置させるとともに、スサノオ大国主の八百万神の「霊(ひ)信仰」が縄文時代から連続していることを明らかにし、さらに2014年の「霊(ひ)信仰の動物変身・擬人化と神使(しんし)、肉食と狩猟」など「ひと(霊人)だけでなく生類全体」の霊(ひ)信仰もまた縄文時代から続くと考えました。

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 「北海道・北東北の縄文遺跡群」は世界遺産登録の評価基準の「3 現存するか消滅しているかにかかわらず、ある文化的伝統又は文明の存在を伝承する物証として無二の存在(少なくとも希有な存在)である」「5 あるひとつの文化(または複数の文化)を特徴づけるような伝統的居住形態若しくは陸上・海上の土地利用形態を代表する顕著な見本である。又は、人類と環境とのふれあいを代表する顕著な見本である(特に不可逆的な変化によりその存続が危ぶまれているもの)」の遺跡として申請していますが、「1 人間の創造的才能を表す傑作である」「6 顕著な普遍的価値を有する出来事(行事)、生きた伝統、思想、信仰、芸術的作品、あるいは文学的作品と直接または実質的関連がある」という評価基準を満たしている縄文文化の重要な価値がスッポリと抜け落ちています。

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 「北海道・北東北の縄文遺跡群」世界遺産登録運動の先駆性とその実行力は高く評価したいと思いますが、「火焔型土器」「耳飾り」や「縄文のビーナス」「仮面の女王」「妊娠土偶」「神名火山(神那霊山)信仰」「海洋交易文明」「黒曜石文明」だけをとってみても、縄文文化・文明の全体を網羅しておらず、部分的な評価にとどまっていると言わざるをえません。

 「北海道・北東北の縄文遺跡群」だけではなく、①⑥を含めた新たな評価基準による縄文文化・文明全体の申請が求められます。

 私は「日本中央縄文文明」の世界遺産登録を提案してきましたが、縄文人がアフリカを出発して日本列島にたどり着き、広がり、交流してきた歴史全体を考えると、沖縄から九州、若狭、北陸、東北・北海道へと続く対馬暖流の海人族文化・文明(母系制社会文化・文明)や照葉樹林帯の山人族の文化・文明を含めた、全国の縄文文化・文明の申請についての検討が必要と考えるようになりました。

 

2 西欧中心主義の文明基準の見直しへ

 イコモス(国際記念物遺跡会議)の時代区分規定は、「農耕・牧畜社会」=「文明段階」、「採集・漁労・狩猟社会」=「未開段階」「先史時代」とする古くさい差別的な、西欧中心主義の文明観に基づいており、日本の拝外主義の歴史家たちもこの西欧中心文明史観にひれ伏していると言わざるをえません。

 画一的・単線的な西欧中心主義の文明観に対し、各地域の環境・産業・歴史・宗教・文化に対応し、梅原猛氏は「森の文明論」、中尾佐助・佐々木高明氏らは「照葉樹林文明論」、梅棹忠夫氏は「遊牧民文明論」「生態史観文明論」、安田喜憲氏は「森の文明」「稲作漁撈文明」「日本海文明」「生命文明」など多角的文明論、川勝平太氏は「海洋文明論」を提案し、私は「霊(ひ)信仰文明(神山天神信仰文明)」「共同体社会文明」の提案を追加しましたが、文明の西欧基準を崇拝し従属するのではなく、文明のアフリカ・アジア・南北アメリカ基準を提案すべきと考えます。―「縄文ノート48 縄文からの『日本列島文明論』」、「縄文ノート49 『日本中央縄文文明』の世界遺産登録をめざして」、「縄文ノート51 縄文社会・文化・文明論の経過と課題」参照

 

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 今、国連が求めている「持続可能な社会(Sustainable society)」あるいは「持続敵開発可能な目標(Sustainable Development Goals: SDGsエスディージーズ)」を目指すのであれば、西欧文明概念の見直しこそまず行うべきと考えます。評価基準の5では「人類と環境とのふれあいを代表する顕著な見本」という項目が見られますが、「全生類の命(DNA)」を中心に置いた文明観からの新たな文明基準を提案すべきではないでしょうか?
 すでに和食がユネスコ無形文化遺産に登録されたように、恵まれた海・川・山・森・里の自然に育まれた和食は健康長寿で持続可能な食文化・文明として世界に認知されてきており、その起源は縄文時代に遡るのです。

 熱帯雨林を破壊するプランテーション、アフリカ・アジアの塩害を招く灌漑農業やアメリカの化石水灌漑の大規模農業、化学肥料・農薬・除草剤・放射性廃棄物温室効果ガスなどによる地球環境汚染、森林を破壊し大量のメタンガスを発生させる牧畜、海水温上昇によるサンゴ礁の消滅、マイクロプラスチックによる漁業・生態環境の深刻なダメージ、新興感染症の頻発の危機など、第1次産業革命(農業革命)、第2次産業革命(工業・流通革命)、第3次産業革命(情報・通信革命)による自然破壊と世界単一市場化・格差拡大への不満の爆発など、現在と将来の生命と共同体崩壊の深刻な影響が心配されています。

 世界の生類の現在と将来の生命や人権、生活、共同性などを基準に考えると、格差社会化と戦争・紛争の近・現代こそ「野蛮・未開社会」であり、世界遺産の文化・文明の基準を「命(DNA)の持続可能な社会」に向けて再構築すべき時と考えます。

 縄文文明は農業革命以前の狩猟・漁労・採取の「未開社会」としてではなく、「命(霊と霊継ぎ)」を大事にする持続可能な「種実・イモ・豆・副穀・魚介食」の「共同体文明」としてとらえなおすべきです。

 登録基準には、「命(DNA)の持続可能な社会の見本となる文化・文明」という新たな基準を提案すべきと考えます。

 古代軍国主義帝国主義奴隷制国家のギリシア・ローマ文明を「文明基準」とするのではなく、この新たな文化・文明観をもとにした世界遺産登録基準の提案から始める必要があると考えます。

 地域・地球環境の悪化と格差社会化を招いた「文明=civilization(都市化)」という規定そのものを問い直す、自然に生かされ、人間の創造的才能を育み、共に支えあい尊重しあう豊かな共同体社会をめざす共生・共同型社会を基準とした文明観の確立へ向けた取り組みこそが必要です。 

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3 人類拡散と古代アフリカ・アジア・アメリカ文明の繋がりを示す縄文文明

 「北海道・北東北の縄文遺跡群」は縄文文化として「採集・漁労・狩猟社会」「森(里山)の文明」という独自性を強調していますが、縄文文化・文明はアフリカで現生人類が誕生し、世界に分散する中で育んできた各文化・文明の繋がりを示すことができる唯一の重要な文化・文明と私は考えます。

 アフリカ・ナイジェリアのイボ族などのY染色体E型と分岐したY染色体D型の縄文人は、「主語-目的語-動詞」言語族の移動、霊(ひ)信仰に基づく天神信仰の神名火山(神那霊山)・神籬(霊洩木)・磐座信仰、地母神信仰の母系制社会を示す妊娠土偶や女神像・石棒(金精)・円形石組・環状列石、土器製作・黒曜石採掘・加工の広域分業体制、日本海の広域交易体制、イネ科植物やイモ類、容器になるヒョウタンなどの拡散、イモ・豆・魚介食文化、インダス文明の担い手であったドラヴィダ族の信仰・農耕言語(倭音倭語)の継承、アフリカの円形平面住宅を引き継いだ竪穴式住居、東南アジア海人(あま)族の竹筏・丸木舟や照葉樹林帯の山人(やまと)族のモチ食文化など、アフリカからの人類・文化拡散の痕跡をはっきりと示しています。

 

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 7000近い島からなる日本列島は豊かな食料に恵まれ、他民族の侵略・支配を受けていない特殊性から、旧石器時代縄文時代からスサノオ大国主建国、さらには現代の宗教・祭り、多様なDNAまで多くの人類拡散の歴史解明の手がかりを伝えており、人類拡散史・文明史を解明する最も重要な位置にあることを世界にアピールすべきと考えます。

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4 ユネスコ無形文化遺産の「山・鉾・屋台行事」「和食」と4つの宗教世界遺産からの縄文世界遺産登録へ  

 「北海道・北東北の縄文遺跡群」の登録は、残念なことに縄文文化について、これまでユネスコ無形文化遺産された「山・鉾・屋台行事」「和食」と4つの宗教世界遺産縄文文化との繋がりをアピールできていません。縄文文化・文明と現代を繋ぐことのない「バラバラ事件」なのです。

 

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 その原因は次のとおりであり、縄文文明の世界遺産登録のためには新たな歴史観にもとづく理論構築が求められます。

 第1は、縄文人の宗教を原始共同体の「自然宗教」とし、氏族・部族共同体社会の「霊(ひ:祖先霊)信仰」を認めず、提案できていないことです。

 その欠点は、日本の史学会全体の責任と言えますが、記紀風土記などに記載され今も各地で伝承されている「八百万神信仰」の「スサノオ大国主建国神話」を8世紀の大和朝廷の創作とし、縄文文化・文明と切り離してしまったことにあり、スサノオ大国主一族の「山・鉾・屋台行事」や「4つの宗教世界遺産」との繋がりを失ってしまったのです。

 第2は、マルクス主義歴史観の影響を受け、古代を「原始共産制」「奴隷制」に分ける時代区分説をわが国に当てはめ、縄文時代を理想的な「原始共産制社会」とし、稲作による私有財産により階級分化がおこり「古代奴隷制社会」の大和朝廷が成立したとしたため、出雲神道の「山・鉾・屋台行事」や「4つの宗教世界遺産」は縄文時代とは無関係とされたのです。

 第3は、水田稲作をもたらした「弥生人朝鮮人・中国人)による縄文人征服説」にとらわれ、甚だしきは天皇家のルーツを朝鮮人とするなど、縄文時代弥生時代を完全に切断してしまったため、「縄文時代の宗教は太陽信仰」などとされ、現代に続く「山・鉾・屋台行事」「4つの宗教世界遺産」とは切り離されてしまったのです。

 第4は、根強い大和朝廷・封建時代の「米信仰」にとらわれ、農耕開始を「水田稲作」におき、イモや熱帯ジャポニカ陸稲・豆類・副穀(雑穀)栽培を無視したことです。

 世界中の石臼(石皿)は石器時代から現代まで穀類をすり潰す道具とされているにも関わらず、なぜか日本だけは「クリ類」をすり潰してクッキーにするための道具とされ(クリ・クルミなどはそのまま食べるでしょう)、縄文土器鍋は「ただの深鉢」「ドングリあく抜きの深鉢」にされ、土器鍋のおこげに見られるC3植物(イモ、イネ、オオムギ、アズキなど)とC4植物(アワ、キビ、ヒエ、モロコシ)のイモ・豆・穀類食は無視されています。―「縄文ノート25 『「人類の旅」と『縄文農耕』、『3大穀物単一起源説』」、「縄文ノート26  縄文農耕についての補足」、「縄文ノート28 ドラヴィダ系山人・海人族による日本列島稲作起源論」、「縄文ノート29 『吹きこぼれ』と『おこげ』からの縄文農耕論」参照

 「北海道・北東北の縄文遺跡群」には長野県茅野市や富士見町の縄文遺跡に見られるような石器農具が見られないことや、スサノオ大国主一族の守谷氏や諏訪氏の神社・祭りなどがないため、縄文農耕については取り上げられなかったのはやむを得ないのですが、縄文文化・文明の全体を代表していないことを表明すべきでしょう。

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 以上、第1~4の検討を行った上で、縄文文明とユネスコ無形文化遺産の「山・鉾・屋台行事」「和食」と4つの世界遺産(宗教)と結びつけた世界遺産登録が求められます。

 

5 「麦・乳・肉食文明」史観から健康長寿・持続可能な「クリ・イモ・豆・米・副穀・魚介食文明」史観へ

 農耕文化について、中尾佐助氏氏は根栽農耕文化、サバンナ農耕文化、地中海農耕文化、新大陸農耕文化という分類を行っています。―「縄文ノート26 縄文農耕についての補足」参照

 

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 中尾氏は「農耕の起源」として4つのタイプを示し、イネ科のサトウキビ・シコクビエ・オオムギ・コムギ・トウモロコシをあげながら、イネについて触れていないのは実に奇妙です。イネの起源(陸稲水稲)に確信が持てなかったからと思いますが、私はイネ科植物単一起源説に立ち、「アジア・アフリカ熱帯・亜熱帯農耕文化」を付け加え、陸稲起源をニジェール川流域、水稲起源を東南アジアとすべきと考えます。―「縄文ノート55 マザーイネのルーツはパンゲア大陸」等参照 

 主穀の分類では、麦食、アワ・ヒエ・キビ食、米食、トウモロコシ食の4つの文明に分けるべきであり、そのルーツは全てゴンドワナ大陸の現在の西アフリカと南アメリカ東部あたりと考えます。

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 明治以降の「和魂洋才」の肉食と敗戦後に占領軍からもたらされた「パンと牛乳」の「麦・乳・肉食文化」を崇拝し、「クリ・イモ・豆・米・副穀(雑穀)・魚介食文化」を低級なものとしてきましたが、今や健康長寿の豊かな食生活として米・雑穀食や和食は世界に広まっています。

 森の恵みと森を活かした循環型の焼畑(畑=火+田)農業、森からの栄養分豊かな水に育まれた水田・畠作農業(水田は乾季には「畠(白+田)」になる)と川・海の水産業は「持続可能な循環型食料生産」であり、縄文文明は「霊(ひ)信仰」とともに「循環型食料生産」として「命(DNA)の持続可能な社会の見本となる文化・文明」として登録を果たすべきと考えます。

 

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 なお、日本の縄文学は東日本の「クリ食地域」の研究が主流であって「縄文農耕」をまだ認めておらず、土器鍋のおこげ分析と花粉分析、インドのドラヴィダ族起源の「ポンガ」のカラス祭りなどにより、縄文農耕の証明が求められます。

 

6 「縄文文化・文明」の保存・回復を!

 今回、「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界文化遺産への登録勧告において、諮問機関のイコモス(国際記念物遺跡会議)が、「不適切な構造物」(大湯環状列石を横断する道路など)の撤去や民間所有の土地の公有地化を求めたことに注意する必要があります。

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 「日本中央縄文文明」(今後全国に拡張の検討必要)においては、縄文ノート35 蓼科山を神名火山(神那霊山)とする天神信仰」において、「縄文人の宗教、ひいては世界の共同体文明の宗教・文化を・社会を解明するうえでかけがえのない、大湯環状列石以上に重要な価値のあるこの阿久遺跡が高速道路建設によって分断されたことは、世界遺産登録にあたってのブレーキとなることが心配されます。もし世界遺産登録を願うなら再発掘し、国営吉野ヶ里歴史公園のような国の特別史跡の国営歴史公園の整備を求めるべきでしょう」と書きましたが、阿久遺跡の再整備と合わせて、集団墓地である阿久遺跡を造った住民集落の発見・調査・整備とともに、日本・世界の神山天神信仰地母神信仰をまとめた展示施設の整備が求められます。

 また、「石とレンガの文化・文明」に対し、縄文時代からスサノオ大国主建国、さらには現代にまで続く「木と竹と土の文明」に焦点をあて、神名火山(神那霊山)である蓼科山信仰の高楼神殿の可能性が高い中ツ原遺跡の巨大8本柱建築の復元を検討すべきです。

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  アフリカのルーツに遡ることのできる縄文文明は「西欧中心主義の経済文明史観」の行き詰まりへの問題提起となるものであり、「命(DNA)の継承」=「霊継(ひつぎ)」にもっとも重要な価値を置いた持続可能な社会へ向けて、全世界の注目を集め、交流を深めることに繋がることは確実です。ポストコロナの国際観光戦略としても、「国営縄文歴史公園」のレベルの取り組みが求められます。

 

7 「縄文文明」の世界遺産登録へ

 現時点の私の提案は「日本中央縄文文明」の世界遺産登録運動ですが、アフリカからの民族移動を考えると海人族の交流・交易による日本列島全体の「縄文文明」の世界遺産登録が欠かせません。

 人類拡散の世界史への手掛かりを与える「(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠」「(5) ある文化(または複数の文化)を代表する伝統的集落、あるいは陸上ないし海上利用の際立った例。もしくは特に不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている人と環境の関わりあいの際立った例」として、太平洋・東シナ海日本海に沿って広がった海人(あま)族の文化・文明と山人(やまと)族の神山天神信仰・黒曜石文化などをさらに追加・整理し、「縄文文明の世界遺産登録」の取組として提案したいと考えます。

  

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/

縄文ノート76 オリンピックより「命(DNA)の祭典」をアフリカで!

 今、コロナ対策とオリンピックのどちらを優先するか、という議論が各国でなされていますが、そもそもオリンピックが「平和な世界の実現」にどれだけ貢献できるのか、「平和な世界の実現」のために必要な祭典は何なのか、考えてみました。

 「西欧中心史観」はわが国でも根強いのですが、軍国主義奴隷制度のギリシアの歴史を正視し、オリンピック賛美から目を覚ますべき時と思います。

 

1 「平和の祭典」を考える

 オリンピックは「古代ギリシアの平和の祭典」を復興したものとされていますが、八百万神の霊(ひ)信仰によるスサノオ大国主建国論から縄文社会研究、さらに日本列島人起源論へと探究を進めるうちに、人類起源の地であるアフリカ湖水地方(通説は大地溝帯地域)で「命(DNA)の祭典」を行うことがもっと重要と考えるようになりました。―「縄文ノート43 DNA分析からの日本列島人起源論」「縄文ノート62 日本列島人のルーツは『アフリカ湖水地方』」参照

 日本列島はアジア各地から多様な人々が集まったDNA多様性社会ですが、縄文人由来のY染色体DNAのⅮ型が多数を占めており、E型のアフリカのナイジェリアのイボ人などと分岐したアフリカがルーツです。

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 その後、Ⅾ型1a2aグループはチベット人(中国領)・アンダマン諸島人(ミャンマー沖のインド領)・バイブリヤート人(ロシア領のバイカル湖畔)などと分かれながら日本列島にたどり着いたことが明らかです。縄文遺跡から発見された熱帯産のヒョウタンの原産地がニジェール川流域であり、神山天神信仰ナイル川源流地域のルウェンゾリ山・ケニア山・キリマンジャロをルーツとしている可能性が高く、Y染色体DNA分析を裏付けています。

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 このように、世界の他のどの人種・民族もまたそのDNAと文化・文明のルーツをたどると、アフリカに行きつくのです。

 地球環境・異常気象の危機と食料不安、グローバル化(世界単一市場化の不均等発展)の格差社会化による対立と紛争、人種・民族差別と対立、イデオロギー対立と一神教原理主義者同士の対立の激化と戦闘、パンデミック生物多様性の危機など、全生類の命(DNA断絶)の危機が心配されている現在、人類はその発祥の地・アフリカから次の時代へ向けた「平和の祭典」を行うべきと考えます。

 スポーツなど様々な機会を通した国際的な交流は重要ですが、今はそれよりももっと重要な「平和の祭典」へ一歩を踏み出す時ではないでしょうか?

 

2 古代オリンピックは「平和の祭典」であったか?

 現在の近代オリンピックは、古代オリンピックを真似てフランスのクーベルタン男爵によって提案されたものであり、「スポーツを通して心身を向上させ、文化や国籍の違いを乗り越え、平和な世界の実現に貢献すること」については異議ありません。

 しかしながら、古代ギリシアの「オリンピア祭典競技」の歴史に戻ってみると、そもそもは「全能の神ゼウスをはじめ多くの神々を崇めるための、神域における体育や芸術の競技祭」(日本オリンピック委員会)とされています。

 このように、そもそも「ギリシア宗教の祭典」であり、ギリシア国内の戦闘を一時的に休戦した宗教行事でしたが、ポリス(都市国家)同士の戦争・覇権争いが止むはずもなく、ポリス間の戦闘が一時的にスポーツでの競争に置き換わっただけともいえます。

 そして、ギリシアローマ帝国に征服され、キリスト教が国教化されると、多神教ギリシアの神々のための祭典は終わりを迎えたのです。

 なお、ギリシアは現在のルーマニアウクライナあたりから南下して原住民を征服・支配して建国した国であり、エーゲ海・地中海・アドリア海の島々や沿岸諸国と活発に交易を行い、クレタ島のミノア文明を滅ぼすなど沿岸各地を占領して植民地をもうけ、時にはエジプトの傭兵部隊となるなどの軍国主義国でローマ帝国に先立って古代奴隷制度を確立した国であり、オリンピック種目の短距離走長距離走・幅跳び・円盤投げ・槍投げレスリング・ボクシング・4頭立戦車競争・競馬競争などは軍人養成のための重要な訓練であり、戦闘力の高さを示す国威発揚の手段でした。ペルシアとの戦いも、トロイ戦争に見られるように沿岸部各地を占領して植民地化した結果であり、ペルシャの反撃にあったのです。

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 スポーツには健康づくり、スポーツ観戦には娯楽の要素もありますが、歴史的には軍国主義帝国主義国の宗教行事、肉体的・精神的な戦闘訓練、民族意識の高揚、国威発揚の手段であり、その性格は今の近代オリンピックにも強く残っています。

 「平和の祭典」というより、「軍国主義国での一時休戦の祭典」というのがオリンピックの歴史的なのです。

 プロスポーツを真似た金まみれのオリンピックに対し、すでに招致国がなくなりつつある現状に対し、ギリシアでやるようにしたらという提案が見られますが、ますます「平和の祭典」とは言えなくなるように思います。

  

3 「世界平和の祭典」として何を選ぶか?

 国際交流の「世界平和の祭典」なら、「スポーツ祭典」だけでなく、世界の多くの人々が参加できる「食」「流し踊り」「民俗芸能」「映像」「人形劇」など、これまで日本の各地で行わてきた祭典を世界広げることを提案することも考えられます。

 しかしながら、「格差・差別・迫害と紛争・戦争を無くすための祭典」を考えるなら、全人類の誕生地であるアフリカにおいて「命(DNA)の祭典」を行い、交流を深めるべきと提案したいと思います。

 夏季オリンピック開催地は図4の通りですが、世界的は不均等発展の格差社会においてオリンピックは金権国の祭典であり、アフリカや西・中央・南・東南アジアでは開かれていないのです。

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 これまで植民地化され、自主自立の内発的発展を阻まれ、グローバル化により低付加価値産業に押しとどめられてきたアフリカ・アジア・南アメリカを中心において「世界平和の祭典」は考えるべきであり、それは「ヒトDNA」のルーツであり、イネ科作物のルーツであるアフリカで、全人類・全宗教・全思想の共通価値である「命(DNA)」をテーマにした祭典をまずは始めるべきと考えます。

 

 □参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/