ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

「邪馬台国ノート53 『7里程』『2日程』条件から邪馬台国論争に決着を!」の紹介

 Seesaaブログに「邪馬台国ノート53 『7里程』『2日程』条件から邪馬台国論争に決着を!」をアップしましたので紹介します。http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 魏書東夷伝倭人条には、「自郡至女王国万二千余里」「東南陸行五百里到伊都国」「東南至奴国百里」「東行至不彌国百里」「参問倭地・・・周旋可五千余里」「女王国東渡海千余里 復有国」「侏儒国在其南・・・去女王四千余里」の7つの「陸行里程」と「南至投馬国水行二十日」「南至邪馬壹国 女王之所都 水行十日陸行一月」の2つの「水行日程」があります。その全てを合理的に見たす場所が邪馬壹国の位置になります。

 末盧国からの正使の陸行・里程の続きにある邪馬壹国と、副使の末盧国からの投馬国、邪馬壹国の水行・日程ルートは並行しているのであり、「陸行+水行」を連続した行程として読むべきではない、というのが私のオリジナルな主張です。

 邪馬台国論争がいまだに決着がついていない根本原因は、考古学者たちは発掘成果にハクを付け、住民は町おこし・村おこしのために魏書東夷伝倭人条と記紀の都合のいい部分だけをつまみ食いすることにあると考えます。

 私は小学校まで吉備の岡山市で過ごし、父の岡山県北の山村では熊野神社スサノオヤマタノオロチ退治の備中神楽を幼児の頃に見た記憶があり出雲とも関わりがあり、中学校からは播磨の姫路市に移り、大学・院時代には京都・奈良・大坂に住み、また京大の歴史学者たちは伝統的に畿内説のようですが、だからといって邪馬台国論において吉備説・出雲説・播磨説・畿内説などに我田引水したいとは思いません。

 卑弥呼の女王国を世界の母系制社会の歴史の中に位置づけるという大きな観点から、郷土意識や学閥などにとらわれず邪馬台国論争に決着をつけて卑弥呼の墓を突き止め、女王国の歴史を世界に情報発信することを若い世代の皆さんには期待したいと思います。

 本ブログの「縄文論」としてもポスト縄文社会の古代史を考える参考にしていただければ幸いです。

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 帆人の古代史メモ          http://blog.livedoor.jp/hohito/

 ヒナフキン邪馬台国ノート      http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 霊(ひ)の国の古事記論       http://hinakoku.blog100.fc2.com/

 

「邪馬台国ノート52 『旧百余国』から『邪馬台論』は始めるべき」の紹介

 Seesaaブログに「邪馬台国ノート52 『旧百余国』から『邪馬台論』は始めるべき」をアップしましたので紹介します。http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 邪馬台国論争は未だに「所在地論争」として決着がついておらず、卑弥呼の王都も墓も未発見ですが、いずれ九州説・畿内説の論争に関わっている歴史学者・考古学者の一方は頑迷な「古代史偽造者」の烙印を押されることになることを免れません。

 それ以上の大きな問題は、魏書東夷伝倭人条が冒頭で「倭人在帶方東南大海之中・・・舊百餘國・・・今使譯所通三十國」(倭人は帯方東南、大海の中に在り・・・旧百余国・・・今、使訳通ずる所は三十国」)と書いている以上、後漢が認めた「旧百余国王」を解明しようとしていないことです。私はこの「百余国王」は博多の志賀島で発見された金印に彫られた「委奴国王」であり、記紀に書かれたスサノオ以外にありえず、この国の建国者を示していると考えています。

 『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(梓書院),『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)をはじめ、何度も書いてきた繰り返しになりますが、スサノオ大国主一族と邪馬壹国の卑弥呼との関係について整理・要約しました。

 縄文時代の母系制社会を引き継いだスサノオ大国主7代の「百余国」の建国があり、その大国主・鳥耳夫婦の筑紫日向(ちくしのひな)王朝10代後に卑弥呼(霊御子)の女王国・邪馬壹国が成立したと私は考えており、本ブログの「縄文論」としてもポスト縄文社会の古代史を考える参考にしていただければ幸いです。 雛元昌弘

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 帆人の古代史メモ          http://blog.livedoor.jp/hohito/

 ヒナフキン邪馬台国ノート      http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 霊(ひ)の国の古事記論       http://hinakoku.blog100.fc2.com/

 

縄文ノート184 乳児からみた人類進化と子育て家族形成

 サルからヒトへの進化について、私は子どもの誕生から成長の過程を辿って推定するという方法論を考えています。

 現役時代に木登り遊びのボランティア活動をやっていたとき、なぜ子どもが木登りが好きなのか、穴掘りが好きなのかなどについて、私は「動物進化を追体験する子どもの遊び」という仮説から考察したことがあったのですが、人類進化についても同じ方法で考察してみました。

 

1 子どもの遊びからみた人類進化

 「縄文ノート87 人類進化図の5つの間違い」210723→0801」)で私は次のように書きました。

 

 2004年には「動物進化を追体験する子どもの遊び」(日本子ども学会チャイルド・サイエンス 懸賞エッセイの奨励賞)を書きましたが、幼児の頃からの孫のいろんな遊びを観察し、なぜ子供は幼児の頃から水遊びや木登りが大好きなのか考えていると、表1のように子どもの遊びが「サカナ型」「カエル型」「トカゲ型」「ネズミ型」「サル型」「ヒト型」に分類でき、そこから「子どもの遊びは動物進化を追体験している」と考えるようになりました。

  このような子ども時代の遊びこそが人類だけでなくすべての動物の進化を促したのであり、それは魚類、両生類、爬虫類、哺乳類へと受け継がれ、ヒトのDNAに全て本能として残したと考えられます。

 うっかり目を離すと歩き始めたばかりの孫が川の中に入ってあわてたことが何度かあり、「いないいないばあ」が大好きな乳幼児、穴掘りや囲いの外に穴から石を入れて出すことをいつまでも止めない遊び、滑り台を腹から滑り降りる遊び、ジャングルジムやブランコでいつまでも遊んでいる子どもなど、両生類や爬虫類、穴倉居住のネズミ、樹上のサルなどのDNAが子どもの中に残っているとしか考えられませんでした

 

 この子どもの遊びの分析から私は人類について「メスと子ザルが進化を主導した」という仮説を考えましたが、さらに霊長類研究に着目して次のように書きました。

 

2 オス主導進化か、メス・子ザル主導進化か?

 「人類進化図」で検索すると、世界各国ではいろんな進化図が書かれていますが、ほぼすべてがオスの進化図であり、「メスと子ザルが進化を主導した」という仮説はまったく検討されていません。

 最初はネットで調べ、次にチンパンジーボノボ(ピグミーチンパンジー、現地名ビーリャ)研究の黒田末寿氏らや、ゴリラ研究の山極寿一氏の本にざっと目を通しましたが、類人猿や狩猟民族の食生活、採取・漁撈・狩猟について詳しく観察・記録されているものの、熱帯雨林でのサルの母子主導の「糖質魚介食進化説」「二足歩行説」「家族形成説」などからの「母系制社会説」については、思考の外に置いています。オスが石器武器で二本足で狩りをしてメスに肉を手で運んで贈って家族ができ、タンパク質をとって頭脳が大きくなった、という狩猟・肉食進化説しか頭にないようです。

 黒田末寿氏は『人類の起源と進化』において、ボノボに見られる「メスと息子、メス同士の強い絆」や「メスの集合性、オスの分散性」「メス同士、母から子への食物分配」「母親と息子が母系家族的集団をつくる」「集団内の母・息子集団と集団間の近隣関係に見られる重層構造化の萌芽」「乱婚傾向が強く、メスに無排卵発情が多く発情メスの比率が高い(ニセ発情:古市剛史)」「性皮の膨張」などと述べながら、「ヒト社会の場合、全体的には父系が優勢といえよう。これらのことから、家族の出現の時期はともかく、人類祖先の社会集団は父系的傾向が強かったと仮定してよい」とボノボ観察・分析とは正反対の結論を導いており、その根拠である「父系が優勢」「父系的傾向が強かった」というのは単なる推測、仮定にすぎないのです。

 「ボノボの生態からヒト誕生が母系制か父系制かを推定する」という方法論ではなく、「人間社会を父系制と仮定してボノボをみる」という逆立ちした男性優位思想の偏向が見られます。 

 また、黒田氏は「採食技術としての道具使用は雌の方が上手でかつ長時間行う。これらは採集滑動に相応し、採集仮説で強調される女による採集活動での道具使用の発達の根拠はここにある」と述べ、道具使用を通した手の発達がメス主導であったことを認めながら、人類の誕生がメス・子ザル主導であった可能性を検討しておらず、フィールドワークで貴重な成果を残しているものの、残念な非科学的結論に陥っていると言わざるをえません。

 それは後輩の山極寿一氏のゴリラ研究も同じであり、京大のサル・類人猿研究のオス中心主義の伝統のようであり、女性研究者主導にならないと京大のサル・類人猿研究はまともな科学にはならないのではないでしょうか。

 

 そして「肉食・狩猟・闘争・戦争文明史観」(欧州中心文明史観:オス主導進化説)を批判し、「生命・生活文明史観」(非欧州文明史観:メス・子ザル主導進化説)を提案しました。下記の表は、一部、訂正しています。

 

 

2 乳児からみた人類進化

 この子どもの遊びの分析は私の長男の1歳児と3歳児の孫の観察からであったのに対し、昨年、晩婚の次男の0歳児の孫がほぼ1か月ごとにわが家にきたので、その観察からさらに乳児について考察を進めました。

 まず驚いたのは3カ月目にアイコンタクトがとれ、いろいろと声をかけると初めて少し笑ってコミュニケーションがとれたことです。

 4カ月目になると、話しかけると、笑顔だけでなく、「ウー、ウー」というような声で反応しました。また、年寄りのしわがれ声にもかかわらずシューベルトブラームスの子守唄を歌ってやると、気持ちよさそうに眠りに入るのです。この子守歌効果は、私の4人の子ども、8人の孫の乳幼児段階の全てに共通しており、サルと親子とは異なるヒトの特性といえます。

 5か月目の大きな変化は、姉(小2)、兄(3歳、5歳)たちが遊んでいる動きをずっと目で追いかけるようになり、食事時になると匂いに呼応して指を盛んになめ始めました。

 6か月目になると、抱いていると膝の上で立とうとし、後ろ抱きが不満で対面で相手をしないと満足しないようになり、ソファで抱いているより場所を変えたり外を見せた方が機嫌がいいのです。

 7か月目になると、それまで別々の動きであった両手が連携でき、指をにぎりあうなどの動きができるようになりました。

 8か月目になると、「ウー、ウー」などの単音だけでなく、初めて「マンマ」「ママ」らしい単語を発し、盛んに話そうとします。

 以上は短時間の、それも時々の体験ですが、乳児の知能の発達が急速に進むことが確認できたのは初めての経験でした。母子のコミュニケーション(識別―応答)と身近な姉・兄などの行動や会話の観察や模倣こそが知能の発達に大きな役割を果たすのではないか、と感じました。3歳児の孫の動きを見ても、5歳、7歳の兄・姉がしていることにいつも無理やりに混じっていき、喧嘩になることが多く、模倣学習が知能の発達に大きな役割を果たすと感じました。

 それは子犬・子猫同士がじゃれあうのと同じとも言えますが、犬・猫やサルと人間の決定的に大きな違いは、歌と会話・おしゃべりにあるのではないか、と考えます。「楽しい」こととオッパイ(糖質DHA食)こそが、人類の頭脳を進化させたのではないか、と考えます。―縄文ノート「107 ドーパミン からの人類進化論―窮乏化進化か快適志向進化か」「182 人類進化を支えた食べもの」参照

 

 「気候変動で熱帯雨林の食料が乏しくなり、サバンナに出て草食動物の死肉をあさり、狩りをするようになって人類は進化した」というようなオス主導の「危機進化説」「苦難進化説」「肉食・狩猟・闘争・戦争進化説」が欧州人、旧約聖書教の人たちは好きであり、マルクス主義者も「窮乏化論」「階級闘争史観」ですが、メス・子主導で美味しいこと、楽しいことを追及したことで人類が進化したという「美食進化説(糖質DHA食進化説)」「快適・快楽進化説」「共同進化説」こそ検証すべきと考えます。

 「縄文ノート25 『人類の旅』と『縄文農耕』、『3大穀物単一起源説』」では「2019年11月からNHKスペシャルで始まった食の起源の「第1集『ご飯』~健康長寿の敵か?味方か?~」によれば、アフリカの旧石器人の摂取カロリーの5割以上が糖質で主食が肉というのは間違いであり、でんぷんを加熱して食べると固い結晶構造がほどけてブドウ糖になって吸収され、その多くが脳に集まり、脳の神経細胞が増殖を始めるとされています。火を使うでんぷん食に変わったことにより脳は2倍以上に巨大化したというのです。肉食獣の脳が大きいこともなければ、脳の中は筋肉ではないのですから、「肉食進化説」は棄却されるべきでしょう。

 さらに、「第3集『脂』~発見!人類を救う“命のアブラ”~」ではオメガ3肪酸(青魚・クルミ・豆類など)が脳の神経細胞ニューロン)を形作り、樹状突起同士をシナプスニューロン間の接合部)で結び付け、高度な神経情報回路を生み出すのを促したとされています。

 猿から人間への頭脳の深化には魚食と穀類の組み合わせが有効であったのであり、海岸・河川地域での魚介類やイモ・イネ科穀類・ドングリ類の摂取こそが人類を猿から進歩させたのです」と書きました。

 「縄文ノート85 『二足歩行』を始めたのはオスかメス・子ザルか」ではボノボに見られるようなメス同士と子の群れでの採集活動や食物分配、子ども同士遊びなどはコミュニケーションと言語能力を高め、糖質とDHA摂取により急速に頭脳の発達を促したと考えられます」と書き、「縄文ノート88 子ザルからのヒト進化説」では、「脳の重量が0~4歳(特に0~2歳)に急増すること、前頭前野(思考や創造性を担う脳の最高中枢)のシナプスの密度のピークが4歳であること、ヒトのおっぱいの糖質の割合が牛の2倍と多いことなどから考えると、母親と行動していた子ザルこそ人類進化で大きな役割を果たした可能性、ひょっとしたら主役であった可能性です」「ヒトが話せるようになったのは、単に「コミュニケーションの必要性」だけでなく、「おしゃべりや歌」の遊びがあったと考えます。子どもの道具遊びや追いかけっこなどとともに、「遊び」は人類進化に大きな役割を果たしたのではないでしょうか」などと書きましたが、母子の乳児段階の濃密な言語・歌コミュニケーションと子ども同士の刺激(観察と真似による教育)こそが、人類の知能の発達に大きな役割を果たしたと考えます。

 これまで幼児と児童の遊びには注目していましたが、0歳児のおっぱい(糖質DHA食)と濃厚な母子言語コミュニケーション、年長児の遊びや言葉の観察・模倣が乳児の脳の発達にとって重要であることに初めて気づきました。

 

 

 霊長類学や文化人類学民族学からの人類起源説は、栄養学や乳幼児・児童の発達・成長と合わせて総合的に分析されるべきであり、欧州中心史観の「肉食・狩猟・戦争進化説」「男主導進化説」を見直すとともに、人類誕生史からの「三つ子の魂百まで」の乳幼児期子育ての重要性が再確認されなければと考えます。

 

3 子育て共同からの家族形成

 サルからヒトへの進化について、私はオス主導の「危機進化説」「苦難進化説」「肉食・狩猟・闘争・戦争進化説」ではなく、メス・子主導の「美食進化説(糖質DHA食進化説)」「快適・快楽進化説」「共同進化説」を提案しましたが、家族起源もまたメス・子主導と考えます。

 サルとは異なりヒトは家族を形成したことにより生存率を高め、教育機能を高めることができたのであり、家族誕生は人類進化に決定的に重要な役割を果たしたと考えます。

 私たち夫婦は1960・70年代の「同棲時代」のはしりで、「政略結婚」ならぬ「性欲結婚」とからかわれたものですが、性欲だけなら同棲でよく、家族形成にはならなかったと思います。結婚は妻が妊娠したことによる「できちゃった婚」であり、子育てを共同でしなければというのが私の意識でした。

 これまで家族の起源については、オスがサバンナに出て大型草食動物の死肉や狩猟により肉をえて、それを両手で抱えてメスのもとに行き、食欲と性欲を交換することにより家族が生まれたという、オス主導の「二足歩行、手機能向上、食欲性欲交換」家族誕生説が通説でしたが、このような私自身の経験とは合いません。

 「縄文ノート88 子ザルからのヒト進化説」(210728→0815)では、ケニアのアビシニアコロブスとブラジルのライオンタマリンという2つのサルの子育て共同からの家族誕生論をまとめています。

 

 メスの子育てを他のメスが助けるケニアのアビシニアコロブスと、オスが助けるブラジルのライオンタマリンは前者はオス主導、後者はメス主導の群れですが、いずれも子育てと群れの天敵からの防衛を通した共同体と家族形成の同時進行の萌芽が見られ、コンゴボノボからヒトへの進化の道筋を示しているように思います。いずれも熱帯雨林に住みながら、アビシニアコロブス・ライオンタマリンとボノボの大きな違いは、後者が地上・樹上生活をしている点にあり、ここに人類誕生の鍵があるように思います。

 草原での狩猟と肉食によって共同体と家族が生まれた、というフィクションは棄却され、共同体・家族形成と言語コミュニケーションによる頭脳発達が先行し、その後に小川・沼での二足歩行と手機能発達が進み、糖質・DHA食によりさらに脳機能の向上があり、最後に草原に進出して体毛の消失になった、と考えられます。

 

 

 オスはメスの採集・漁労による食事の間、子どもの面倒をみるとともに、時には肉を提供し、用心棒として家族を守ることにより、子どもの生存率を高めるとともに、さらに重要なことは、母子、父子、子ども同士の楽しいコミュニケーション、おしゃべりと模倣教育による知能向上を実現できたと考えます。

 糖質食は樹上生活で果物を食べることができるサルも可能ですが、DHA食となると水を怖がるサルには不可能であり、地上に降りで魚介類や昆虫などを食べるようになったサルこそがヒトへの進化を辿ることができ、さらに家族形成により乳幼児期の頭脳の発達を実現できたと考えます。

 

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 帆人の古代史メモ          http://blog.livedoor.jp/hohito/

 ヒナフキン邪馬台国ノート      http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 霊(ひ)の国の古事記論       http://hinakoku.blog100.fc2.com/

183 八ヶ岳高原の女神・石棒・巨木拝殿・黒曜石・土器鍋食・散村文明

 2015年に群馬県片品村で「日本中央縄文遺跡群の世界遺産登録」を提案して以来、私は世界へ「縄文文化」「縄文文明」をアピールすることを提案してきましたが、さらに踏み込んで考えたいと思います。

 

1 「縄文文明を世界遺産へ」の提案

 これまで「縄文芸術」「縄文宗教」「縄文食」「縄文建築」「縄文交易」「縄文社会」「縄文文明」「世界遺産登録」について考察を進め、次のような小論を書いてきました。なお、「(縄文〇〇)」は本ブログ番号です。

1-1 縄文芸術論

 181215→201223(縄文14・31) 大阪万博のシンボル「太陽」「お祭り広場」と縄文

 210205(縄文52) 縄文芸術・模様・シンボル・絵文字について

 211204(縄文114) 縄文アーチストと「障害者アート」 

1-2 縄文宗教論

⑴ 霊(ひ)信仰

 140827→151023(縄文7) 霊(ひ)信仰の下での動物変身・擬人化と神使(みさき)、狩猟と肉食

 150630→201227(34) 霊(ひ)継ぎ宗教(金精・山神・地母神・神使文化) 

 190129(縄文15)  「自然崇拝、アニミズム、マナイズム)、霊(ひ)信仰」

 200307(縄文10) 大湯環状列石三内丸山遺跡が示す地母神信仰と霊(ひ)信仰 

 201026(縄文38) 「霊(ひ)」とタミル語「pee(ぴー)」とタイ「ピー信仰」 

 210518(縄文74) 縄文宗教論:自然信仰と霊(ひ)信仰 

 220323(縄文128) チベットの「ピャー」信仰 

 220404(縄文132) ピュー人(ミャンマー)とピー・ヒ信仰 

 220513(縄文138) 縄文人の霊(ひ)宗教と『旧約聖書』 

⑵ 女神信仰

 210415(縄文69) 丸と四角の文明論(竪穴式住居とストーンサークル)

 210510(縄文73) 烏帽子(えぼし)と雛尖(ひなさき) 

 210619(縄文80) 「ワッショイ」と山車と女神信仰と「雨・雨乞いの神」 

 210918(縄文96) 女神調査報告1 金生遺跡・阿久遺跡

 210924(縄文98) 女神調査報告2 北方御社宮司社・有賀千鹿頭神社・下浜御社宮司神社 

 210930(縄文99) 女神調査報告3 女神山(蓼科山)と池ノ平御座岩遺跡 

 211003(縄文100) 女神調査報告4 諏訪大社下社秋宮・性器型道祖神・尾掛松 

 211008(縄文101) 女神調査報告5 穂高神社の神山信仰と神使 

 211213(縄文102) 女神調査報告6 石棒・男根道祖神 

⑶ 神山天神(神名火山(神那霊山))信仰

 200801・1226(縄文33) 「神籬(ひもろぎ)・神殿・神塔・楼観」考 

 200808→1228(縄文35) 蓼科山を神名火山(神那霊山)とする天神信仰 

 200903→1231(縄文36) 火焔型土器から「龍紋土器」 へ 

 201029→210110(縄文40) 信州の神名火山(神那霊山)と「霊(ひ)」信仰 

 210118(縄文44) 神名火山(神那霊山)信仰と黒曜石

 210312(縄文61) 世界の神山信仰 

 211025(縄文104) 日本最古の祭祀施設―阿久立棒・石列と中ツ原楼観拝殿 

 211030(縄文105) 世界最古の阿久尻遺跡の方形巨木柱列 

 220111(縄文118) 「白山・白神・天白・おしら様」信仰考 

 221024(縄文154)  縄文建築から出雲大社へ:玉井哲雄著『日本建築の歴史』批判

1-3 縄文語論

 180816・21(縄文93) 「かたつむり名」琉球起源説―柳田國男の「方言周圏論」批判 

 181204→210907(縄文94) 『全国マン・チン分布考』からの日本文明論

 181210→210922(縄文97) 「3母音」か「5母音」か?―縄文語考

 200918・0112(縄文41) 日本語起源論と日本列島人起源説 

 210113(縄文42) 日本語起源論抜粋 

 220820(縄文147) 『ちむどんどん』からの古日本語(縄文語)解明へ 

 220928(縄文153) 倭語(縄文語)論の整理と課題

 230224(縄文162)  絵文字か記号かー「謎の記号 祖先からのメッセージ」から  

1-4 縄文生活論

 140617→200128(縄文5・25) 「人類の旅」と「縄文稲作」と「三大穀物単一起源説」

 200725→1215(縄文26) 縄文農耕についての補足 

 201123→1218(縄文29) 「吹きこぼれ」と「お焦げ」からの縄文農耕論 

 211128(縄文111) 9万年前の骨製銛からの魚介食文明論

 211208(縄文113) 道具からの縄文文化・文明論 

 201220→1221(縄文30) 「ポンガ」からの「縄文土器縁飾り」再考

 220603(縄文140) イモ食進化説―ヤムイモ・タロイモからの人類誕生 

 220611(縄文141) 魚介食進化説:イモ・魚介、ときどき肉食 

1-5 縄文交易論

 2017冬 ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”(『季刊 日本主義』40号)

 2018冬 海洋交易の民として東アジアに向き合う (『季刊日本主義』44号)

 200729・0903(縄文27) 縄文の「塩の道」「黒曜石産業」考

1-6 母系制社会論

 181201→200401(縄文13) 妻問夫招婚の母系制社会1万年

 210826(縄文92) 祖母・母・姉妹の母系制

 181201→210824(91) 台湾・卑南族と夜這い・妻問夫招婚の「縄文1万年」

 211017(縄文103) 母系社会からの人類進化と未来

 220307(縄文126) 「レディ・サピエンス」と「女・子ども進化論」

 220827(縄文148) 「地・姓・委・奴・卑」字からの母系社会論 

 220915(縄文151) 「氏族社会」から「母族社会」へ

 230605(縄文170) スサノオ大国主建国論からの妻問夫招婚の母系制社会論

 230714(縄文173) 「原始、女は太陽」か、「原始、女は霊(ひ)を産む神」か 

 230723(縄文174) 公開講座「縄文は母系制社会であった」報告 

 231115(縄文181) 縄文石棒と世界の性器信仰

1-7 縄文文明論

 150723→0816(縄文8) 「石器―土器―金属器」の時代区分を世界へ

 190413・24→0508 「日本列島文明論」メモ―ハンチントン文明の衝突』より

 190619・21 「32 日本列島文明の誕生」(『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』抜粋)

 200729→210228(縄文48) 縄文からの『日本列島文明論』

 200926→210204(縄文51) 縄文社会・文明論の経過と課題

 210219(縄文57)  4大文明論と神山信仰

 210222(縄文58) 3重構造の日本文化・文明

 210507(縄文72) 共同体文明論 

 210712(縄文84) 戦争文明か和平文明か

 220107(縄文117) 縄文社会論の通説対筆者説 

1-8 世界遺産登録

 150630→0816(縄文9・34) 祖先霊信仰(金精・山神・地母神信仰)と神使文化を世界遺産

 150923→200307(縄文11) 「日本中央部土器(縄文)文化」の世界遺産登録をめざして

 210208(縄文49) 「日本中央縄文文明」の世界遺産登録をめざして

 210226(縄文59) 日本中央縄文文明世界遺産登録への条件づくり 

 210626 縄文82) 縄文文明論の整理から世界遺産登録へ

 230129・0206(縄文160) 「日本中央部縄文遺跡群」の世界遺産登録にむけて 

 230419・29(縄文166) 日本中央部縄文文明世界遺産登録への研究課題 

 

 以上のような各分野の検討から、世界史の中での縄文文明の位置づけとして、「縄文ノート48 縄文からの『日本列島文明論』」で次のようにまとめています。

 

 ヨーロッパ先史時代の研究のマルクス主義考古学者のゴードン・チャイルドは文明の基準としてさらに細かく「効果的な食料生産」「大きな人口」「職業と階級の分化」「都市」「冶金術」「文字」「記念碑的公共建造物」「合理科学の発達」「支配的な芸術様式」の9つの指標を掲げています。私はそれに「宗教」「共同体社会」「交易・交流」を加え、「縄文時代」「紀元1~2世紀のスサノオ大国主一族の建国」「天皇家大和朝廷」のどの段階から文明段階と認めるべきか、検討してみました。

 私はスサノオ大国主一族の建国からを文明段階と考えてきていましたが、この基準によっても縄文(土器)時代1万年を1つの文明段階として位置づけるべきと考えるに至りました。

 「朝鮮半島・長江流域からの弥生人による縄文人征服」の延長上に弥生人天皇の建国を位置付ける「新旧皇国史観」「反皇国史観」「大和中心史観」は、縄文文明論とスサノオ大国主建国文明論に対し、2重の見直しが必要と考えます。

 

2 縄文芸術・女神山信仰・黒曜石・土器鍋食・巨木拝殿との出合い

 私が縄文に関心を持つようになったのは、岡本太郎氏による火焔型土器の紹介と1970年の大阪万博の「太陽の塔(実際は黒い太陽を背負い内に「生命の樹」を抱いて天に昇る鳥の塔)」、縄文彫刻家の猪風来氏と沖縄彫刻家の金城実氏を招いた1985年の狭山市での縄文野焼きのイベントなど、世界に誇るべき縄文アートへの関心からでした。―縄文ノート「31 大阪万博の『太陽の塔』『お祭り広場』と縄文」「48 縄文からの『日本列島文明論』」参照

 その後、村づくりの仕事で通った群馬県片品村での「山の神(女神)・金精・神使(猿)の祭り」に衝撃を受けるとともに、榛東村耳飾り館での世界に類のない耳飾りアクセサリーデザインや旧赤城村の赤城歴史資料館の石棒と各地との交流を示す縄文土器群との出合いから、世界遺産登録への確信を深めたのが第2段階です。金精様(男性性器型)を女体山(日光白根山)や十二様(山の神=女神)に男性が捧げるという片品村の2つの祭りや女性のための耳飾りアクセサリー工房は、縄文時代からの母系制社会の名残りと考えたからです。

 さらに「スサノオ大国主建国論」「邪馬台国論」では、ひと・ひこ・ひめ・ひみこ(霊人・霊子・霊女・霊御子)の八百万神の霊(ひ)・霊継(ひつぎ)宗教、神名火山(神那霊山)・神籬(霊洩木)に見られる神山天神信仰、海人族の交易・妻問夫招婚による建国などを追究してきており、先輩の上田篤氏主催の縄文社会研究会に参加して紀元1~2世紀のスサノオ大国主建国、3世紀の卑弥呼(霊御子)女王国から遡って縄文社会解明に取り組んだのが第3段階です。

 2019年には京大農学部有志の同窓会に参加して八ヶ岳山麓の縄文遺跡群を見学し、中ツ原遺跡の「8本柱巨木建築」が世界最高の48mの「出雲大社本殿」や卑弥呼の「楼観」のルーツではないかと考え、茅野市尖石縄文考古館の「仮面の女神縄文のビーナス」からは母系制社会の確信を深め、富士見町井戸尻考古館の石器農耕具と石器調理具(石包丁・磨り臼・磨り石)では縄文文明の基礎となる縄文農耕土器鍋食文化を再確認し、尖石縄文考古館と井戸尻考古館の石棒からは金精信仰が縄文時代に遡ると再確認し、黒耀石体験ミュージアムでは縄文黒曜石文化世界遺産登録の動きを知りました。

 翌2020年の縄文社会研究会・東京の八ヶ岳合宿では阿久尻遺跡の蓼科山(女神山)に向かう石棒からの石列から神名火山(神那霊山)信仰が縄文時代に遡ることを確信し、さらに阿久尻遺跡の20の巨木方形柱列のうち19が蓼科山を向いていることからこれらの柱列が樹頭を超えて蓼科山を信仰する高層拝殿(楼観)ではないか、と考えるにいたりました。

 

3 「日本中央部縄文遺跡群」(仮称)の範囲と名称

 「日本中央部縄文遺跡群」(仮称)の範囲については、女神(山の神)信仰(石棒奉納)、神山天神信仰(神名火山(神那霊山)・神籬(霊洩木)崇拝)、巨木拝殿、黒曜石・ヒスイ流通、縄文アート(吹きこぼれ縁飾り土器鍋、耳飾り)など共通する宗教、農耕・食・建築・道具文化、芸術があり、その伝統が現代に活かされ遺跡公園や博物館など展示・研究施設が整備され、市町村・住民の積極的な保護活動が見られることなどから対象都府県の区域を決めることになると考えます。

 長野・新潟・群馬・福島・埼玉・千葉・山梨などの縄文遺跡群を想定していますが、重要な縄文遺跡がありながら見学施設(遺跡公園・博物館等)が未整備であったり住民活動のない市町村への働きかけが課題となるように思います。―「縄文ノート160 『日本中央部縄文遺跡群』の世界遺産登録へ向けて」参照

 また、海人族縄文文化の共通性から、石川・富山・福井などは沖縄・鹿児島などと合わせて別の遺跡群として申請すべきと検討中です。―「縄文ノート161 『海人族旧石器・縄文遺跡群』の世界遺産登録メモ」参照

 すでに長和町の星糞峠黒曜石原産地遺跡や諏訪湖周辺の縄文遺跡、山梨県北杜市の金生遺跡、笛吹市甲州市の釈迦堂遺跡、南アルプス市の鋳物師屋遺跡などを含めた遺跡群は「日本遺産」の取り組みが進められ、「星降る中部高地」の名称が付けられています。しかしながら、世界遺産登録へ向けた取り組みとしてはアピールするテーマが弱い弱いように思います。

 蓼科山(女神山)を中心とした母系制社会の神山天神信仰(神名火山(神那霊山)・神籬(霊洩木)信仰)、女神の依り代の石棒、女神像、縄文農耕・土器鍋食をメインテーマとして「女神のさと中部高地」(仮称)とし、縄文時代スサノオ大国主一族建国との繋がりを示す諏訪大社塩尻市の平出遺跡、さらに女神信仰を示す各地の神社群や金精・道祖神、巨木建築文化の伝統を受け継いだ御柱祭なども含めるべきであり、世界遺産としては新潟の火焔型土器や群馬の耳飾りや金精信仰・お山信仰なども含めるべきと考えます。―図1参照

 また、八ヶ岳山麓を取り巻く茅野市・原村・佐久穂町の各遺跡や北杜市の石棒・円形石組のある金生遺跡、北沢川大石棒と双子山・双子池黒曜石原産地と池之平遺跡群、佐久市の月夜平大石棒などについては「八ヶ岳高原縄文遺跡群」(仮称)、女神像と巨木建築群のある八ヶ岳西山麓地域の名称としては「茅野原高原縄文遺跡群」(仮称)などが考えられます。―図2参照 

 

4 「日本中央部縄文遺跡群」(仮称)のシンボル施設「阿久尻遺跡の巨木建築群」

 「日本中央部縄文遺跡群」(仮称)の世界遺産登録運動を進めるにあたっては、登録基準の「(ⅲ) 現存するか消滅しているかにかかわらず、ある文化的伝統又は文明の存在を伝承する物証として無二の存在(少なくとも希有な存在)である」を満たすシンボル施設として、「茅野原高原縄文遺跡群」(仮称)のうちの蓼科山に向かう立石・石列と蓼科山を向いた19の方形巨木建築のある阿久・阿久尻遺跡の国営歴史公園化を求めるべきと考えます。―「縄文ノート106 阿久尻遺跡の方形柱列建築の復元へ」(211107)参照

 世界遺産登録の評価基準の「(ⅱ) 建築,科学技術,記念碑,都市計画,景観設計の発展に重要な影響を与えた,ある期間にわたる価値観の交流又はある文化圏内での価値観の交流を示すものである」「(ⅵ) 顕著な普遍的価値を有する出来事(行事)、生きた伝統、思想、信仰、芸術的作品、あるいは文学的作品と直接または実質的関連がある(この基準は他の基準とあわせて用いられることが望ましい)」にも該当する遺跡であり、「縄文巨木拝殿→出雲大社→邪馬壹国の楼観→仏塔」と続く巨木建築文明として、また世界各地の分明に見られる神山天神信仰や日本各地の神名火山(神那霊山)信仰を示す遺跡であり、現代の御柱祭りに引き継がれる遺跡として、阿久尻遺跡の方形巨木建築を日本中央縄文遺跡群のシンボル施設として位置づけ、復元を図ることを提案したいと思います。―縄文ノート「33 『神籬(ひもろぎ)・神殿・神塔・楼観』考」「59 日本中央縄文文明世界遺産登録への条件づくり」「104 日本最古の祭祀施設―阿久立棒・石列と中ツ原楼観拝殿」「105 世界最古の阿久尻遺跡の方形巨木柱列」「154  縄文建築から出雲大社へ:玉井哲雄著『日本建築の歴史』批判」「縄文160 『日本中央部縄文遺跡群』の世界遺産登録にむけて」「166 日本中央部縄文文明世界遺産登録への研究課題」参照

 難点は反対運動を抑えて中央自動車道が建設されて阿久遺跡が埋められ分断され、阿久尻遺跡が工場敷地化されていることですが、世界遺産としての価値を広く世界にアピールすることにより、中央自動車道の地下道化による環状列石の復元を国に求めるべきと考えます。

 

5 縄文時代は「散村・共同祭祀社会」

 「縄文ノート91 台湾・卑南族と夜這い・妻問夫招婚の『縄文1万年』」(181201→210823)」では、母系制社会の居住形態について次のように書きました。

 「全国各地の市町村総合計画(5年の基本計画、10年の基本構想)に携わってきましたが、・・・疑問に思ったのは黒曜石などの鏃が畑からいたるところで数多く出てくることと、居住跡が実に多いことでどれだけの戸数・人口であったのか、驚かされることです」

 「また信州の八ヶ岳黒姫山山麓や上州の榛名・赤城山麓や片品川山間部、岩手県の沿岸部、中国・四国地方などで見た居住跡の多さは、『妻問・夫招婚社会』では男子は家を出、家を継承する長女以外の女子もまた家を出て男を迎えるため、住居跡が増えた可能性を示しています。狩りの危険が少なく、豊かな安定した煮炊き食により長寿化が進み、自由時間が増えると多産となり、家を出る男子数は増え、同時に、長女以外の女子は家を建ててもらい、男を迎える社会となり、住居址が分散して数多く増えた可能性です。片倉佳史著の『観光コースではない台湾』では、台湾には成人になると女子は家を建ててもらい、男を迎えるという『族群』があると書かれています」

 「原住民の祭礼・祭祀に欠かせない祖霊部屋は巫女信仰のアニミズム」「豊年祭 - 粟の収穫を祈願する祭祀; 収穫祭 - 粟の収穫を感謝する祭祀; 大狩猟祭」「祖霊部屋(巫師部屋)、少年会所、青年(男子)会所」「頭目制度と男子会所による年齢階級組織が混在した母系社会」

 また、「縄文ノート92 祖母・母・姉妹の母系制」(210826)では、日本の青年宿・若衆宿・若者宿が母系制社会の妻問夫招婚の名残である可能性について書いています。

 「わが国も明治までは集落で『青年宿、若衆宿、若者宿など』が設けられ、年長者がリーダーとなり、後輩たちに指導を行い、村内の警備や作業、祭礼を担い、飲酒・喫煙や恋愛、結婚などの生活指導を行い、リーダーが夜這い指示することもあったとされています・・・。

 このような風習は、女が家を出るという家族形態の前に、男が家を出るという家族形態があり、それが残っているとしか思えません。・・・

 稲作開始により農業が男中心となり、農地継承と年貢確保から男系社会に移行する一方で、「男は漁や交易、女は家を守る」という海人族の母系制の伝統もまた根強く残ったと私は考えています」

 さらに「縄文ノート173 『原始、女は太陽』」か、『原始、女は霊(ひ)を産む神』か」(230714)、「縄文ノート181 縄文石棒と世界の性器信仰」(231115)では、竪穴式住宅の竃の角に置かれた石棒は男性が贈った可能性が高く、母系制社会の妻問夫招婚を示している可能性が高いこと明らかにしました。

 「縄文の女神信仰などからみて、縄文人の妻問夫招婚はスサノオ大国主建国にそのまま引き継がれたと考えています。なお、後述するように、竪穴式住居内の石棒(金精:女神の依り代)からみて、竪穴式住居は母系制社会を示していると考えます」(縄文ノート173)

 「中ツ原遺跡(長野県茅野市:縄文中期~後期前半)では竪穴式住居内の竃(かまど)の角に石棒が置かれています。・・・火を使い竃で料理するのは女性の役割とみられ、火を使った祭祀もまた女性が担っていた可能性が高く、これらの男根型石棒は片品村の金精奉納の祭祀からみて、母系制社会の妻問夫招婚で男性が女性に贈ったものと考えられます」(縄文ノート181)

 図3に添付した「霧ケ峰・蓼科山八ヶ岳山麓遺跡図」のように、八ヶ岳高原(仮称)においても、縄文遺跡は広範に分布した「散村居住形態」であり、阿久遺跡では周辺地域から墓石を持ち寄った大規模な環状列石の共同墓地が見られ、その中央広場には蓼科山に向かう石列の共同祭祀モニュメントがあり、南の阿久尻遺跡には他蓼科山を向いた19の巨木建築(筆者説:蓼科山(女神山)信仰の拝殿)が建築されています。

 食料争奪の争いや略奪婚、異民族侵入などのなかった縄文社会は、芋豆栗雑穀の採集・栽培による主食料の調達と調理・保存、子育てを担う女性主導の社会であり、多世代居住の大型住居や共同防御の村・町・都市集住の必要がなく、家族単位で家を持ち妻問夫招婚により母系2世代・3世代が集まった小さな集落が散在した「散村居住」であり、葬式や同じ祖先霊信仰の共同祭祀を行う氏族・部族集団を形成していたと考えられます。芋豆栗雑穀の焼畑農耕は散村居住形態の方が適しており、大規模集落を形成する必要がなかったと考えられます。

 

6 文明の時代区分と世界遺産登録基準

 男中心の肉食・戦争進歩説の西洋中心史観は、「狩猟採集」=「石器」=「移動」=「未開(uncivilized)」、「農耕(agriculture)」=「金属器」=「定住・都市化」=「文明(civilization)」という単純な未開・文明2区分説ですが、三内丸山遺跡ではこの枠組みのもとで「狩猟採集段階の定住」として「未開段階」として世界遺産登録がなされています。

 これに対して、「採集漁労時々狩猟」「鳥獣害対策の黒曜石鏃狩猟と落とし穴猟」「芋豆栗雑穀・石臼粉食」「土器鍋煮炊き蒸し食」「女神信仰(霊(ひ)・霊継(ひつぎ)の神山天神信仰)」説の私は、「焼畑農耕」「土器(鍋)食」「散村定住社会」「共同墓地と共同祖先霊祭祀」「母系制社会」の文明段階を新たに設定し、世界標準とすべきと考えています。

 そしてアフリカ・アメリカを侵略し、狩猟採集の原住民を殺害・奴隷化・差別迫害し植民地化することを合理化するために考案された西欧人の「未開・文明」という時代区分そのものを変え、全てを統一基準(文化、文明、その他)で区分すべきと考えます。―表2・3参照 

 世界遺産登録の認定基準の「(ⅴ) あるひとつの文化(又は複数の文化)を特徴づけるような伝統的居住形態若しくは陸上・海上の土地利用形態を代表する顕著な見本である。又は,人類と環境とのふれあいを代表する顕著な見本である。(特に不可逆的な変化によりその存続が危ぶまれているもの)」については、私はこれまで表4のように「①環境共生の焼畑農耕を示す石器農具と鳥獣害対策の大規模な黒曜石鏃生産と流通、落とし穴猟」「②長野県栄村秋山郷やかつての山梨県早川町奈良田の『焼畑農耕』」をあげていましたが、「陸上・海上の土地利用形態」としての焼畑農耕にプラスし、「伝統的居住形態」として「散村居住」「大規模共同祭祀施設」を申請項目としてあげるべきと考えるにいたりました。―縄文ノート「49 『日本中央縄文文明』の世界遺産登録をめざして」「59 日本中央縄文文明世界遺産登録への条件づくり」「77 北海道・北東北の縄文世界遺産登録の次へ」「82 縄文文明論の整理から世界遺産登録へ」「160 『日本中央部縄文遺跡群』の世界遺産登録にむけて」「166 日本中央部縄文文明世界遺産登録への研究課題」参照

 なお「散村居住」「大規模共同祭祀施設」については、イギリスのストーンヘンジ文明など、世界各地に共通する文明が存在すると考えています。

 世界遺産登録に向けては、遺跡・遺物全体を網羅した分析がまだできておらず、仮説段階の「絵文字」「縄文食」「焼畑農耕」「女神信仰の民俗調査」などのテーマについて、各分野の専門家を交えた調査・研究・議論が求められます。

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 帆人の古代史メモ          http://blog.livedoor.jp/hohito/

 ヒナフキン邪馬台国ノート      http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 霊(ひ)の国の古事記論       http://hinakoku.blog100.fc2.com/

FB邪馬台国探究会「20 「邪馬台国畿内説」は成立するか?」の紹介

 「石器―土器(土器鍋)―鉄器(鉄先鋤)」時代区分説の私は、縄文社会解明にはスサノオ大国主建国から遡るべきと考え、海人族の交易・交流・文化、糖質・DHA食(イモ・マメ・穀類・魚介食)、縄文農耕の延長としての鉄先鋤による水利水田稲作、巨木建築、八百万神の霊(ひ)・霊継(ひつぎ)宗教、神名火山(神那霊山)・神籬(霊洩木)信仰、妻問夫招婚の母系制社会など、縄文社会の解明を続けてきました。

 私はスサノオ大国主フェイスブック邪馬台国探究会で、「『卑弥呼王都=高天原』は甘木(天城)高台―地名・人名分析からの邪馬台国論」を連載してきましたが、「20 『邪馬台国畿内説』は成立するか?」を昨日アップしました。

 卑弥呼は筑紫大国主・鳥耳王朝の11代目と考えていますが、縄文母系制社会の延長として卑弥呼の女王国など、古代史を見て頂ければと考えます。

 「邪馬台国畿内説」と「邪馬壹国九州説」の争いは論理的にはすでに決着がついているいると考えますが、未だに纏向遺跡卑弥呼の王都にあてる説が横行していますので、すでに多くの論者によって明らかにされている言わずもがなの批判に私説を加えておきたいと思います。

 

<構成> 20 「邪馬台国畿内説」は成立するか?

⑴ 畿内説は「里程引き算足し算条件」を満たさない

⑵ 畿内説には「東を南とした90度方位誤記」の証明がない

⑶ 「水行十日」の起点は「不彌国」ではなく「末盧国」の呼子港である

⑷ 魏使は「ガキの使いやあらへんで!」

⑸ 「水行―陸行―水行」の途中下船・乗り継ぎはありえない

⑹ 漢・魏皇帝由来の「皇帝3物証」は畿内からは何も発見されていない

⑺ 鉄器時代は北九州・出雲が中心である

⑻ 卑弥呼をアマテル(天照)とする畿内説の「自爆」「敵塩」

⑼ 箸墓は大物主・モモソヒメ夫婦の墓であり、卑弥呼・アマテルの墓ではない

⑽ 間城(まき)・纏向(間城向)は大国主の拠点であった

 ① 纏向の大型建物は「日御子=アマテラス」の太陽信仰神殿か、大国主一族の穴師山崇拝の拝殿か?

 ② 奈良盆地の開拓・建国者はスサノオ大国主一族

 ③ 大国主・大物主連合の成立

 ④ 「間城」「纏向(間城向)」は大国主一族の拠点

 ⑤ 銅鐸・銅槍(通説は銅剣)・銅矛祭祀から八百万神の神名火山(神那霊山)信仰へ

 ⑥ 「仮面」と「桃の種」は大国主由来の宗教を示す

 ⑦ 穴師山は穴師=鉱山師の大国主一族の拠点

 ⑧ 播磨の養久山古墳群の「円墳・方墳・前方後円墳」から前方後円墳は生まれた

 ⑨ 「邪馬台国畿内説」「卑弥呼・アマテル・モモソヒメ三位一体説」は新皇国史観天皇中心・大和中心史観)の空想

 

「スサノオ・大国主ノート149 NHK『出雲大社 八雲たつ神々の里』から古出雲大社復元と世界遺産登録を考える」の紹介

 Gooブログ「ヒナフキンスサノオ大国主ノート」に「スサノオ大国主ノート149 NHK『出雲大社 八雲たつ神々の里』から古出雲大社復元と世界遺産登録を考える」をアップしました。https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 11月20日のNHKBSプレミアム『出雲大社 八雲たつ神々の里』を見たことをきっかけに、これまで書いてきたものを「出雲大社本殿は『直階段』か、心御柱(神籬=霊洩木)を中心とした『廻り階段』か?」「古出雲大社本殿は現在地にあったか?」「出雲大社本殿は『高床式建物』の延長か、『縄文巨木建築』の伝統か?」「縄文からの巨木建築は『雪の重み対策』か、『神名火山(神那霊山)信仰の高層拝殿』か?」「八百万神信仰は『海神信仰』か、『地神信仰』か、『天神信仰』か?」の5つの論点で整理しました。

 豊かで平和であったカナン(現在のパレスチナ)の侵略・虐殺・女性奴隷化・略奪を神の命令として正当化するために考え出された一神教旧約聖書教(ユダヤ教とその影響下のキリスト教右派)が、母系制社会から父系制社会への転換をもたらし、ヨーロッパ・中東では宗教戦争を招き、アジア・アフリカ・アメリカの植民地化と奴隷貿易を思想的に支え、日本やベトナムなどの原爆・空爆ジェノサイドを正当化し、さらに現在、パレスチナを侵略したユダヤシオニストがガザ・ゼェノサイドを進めているのをみると、1万数千年前からの縄文人の平和な「全ての死者が神として祀られる八百万神」信仰が新たな輝きを増してくると考えざるをえません。

 私は縄文時代から続く「八百万神信仰の世界遺産登録」と、2世紀には世界最高であったと考えられる48mの「出雲大社本殿の復元」を提案してきましたが、『出雲大社 八雲たつ神々の里』から再度、整理を行いました。出雲を中心に各分野で議論いただければ幸いです。

 本ブログの「縄文論」としても、縄文巨木建築の延長上に48mの古出雲大社があり、縄文母系制社会の霊(ひ)・霊継(ひつぎ)宗教の延長上にスサノオ大国主一族の八百万神信仰があるなど、縄文時代を日本文化・文明の源流と位置づける参考にしていただければと思います。「遅れた縄文、進んだ弥生」など、弥生人(中国人・朝鮮人)征服史観、二重構造史観などの拝外主義を見直すべき時です。雛元昌弘 

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(前同42号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(前同43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  帆人の古代史メモ          http://blog.livedoor.jp/hohito/

  ヒナフキン邪馬台国ノー      http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論       http://hinakoku.blog100.fc2.com/

  ヒナフキンの縄文ノート       https://hinafkin.hatenablog.com/

 

縄文ノート182 人類進化を支えた食べもの

 「関係論文を全て読む→新仮説を立てる→検証する(調査・実験など)」という一般的な科学者の方法に対し、工学部では「現実の問題→問題解決の仮説→検証(実験・調査)」という方法をとることも多いように思います。いくつかの条件を組み合わせた仮説実験をやって最適解を求めるという方法です。

 私は現役時代、プランナー(計画家)として限られた1年という期間で分析・予測を行い、市町村・都府県の総合計画や各分野(産業・都市・環境・福祉・教育文化・行財政・住民活動)の「10年・5年計画」を立ててきましたが、どちらかというと後者の方法であったと思います。

 まずはいくつかの資料から大まかな仮説を立て、そこから関係資料読み、ヒアリング・アンケート調査、先進事例調査などで検証し、計画書をまとめるという方法です。「仮説→調査・分析→予測→計画」という順序なのです。

 スサノオ大国主建国論では、後漢書記紀などの文献がほぼ歴史を正確に伝えているという大仮説のもとに、後漢書・金印の1~3世紀の「委奴国王」と古事記日本書紀の「葦原中国王」、イヤナミ・スサノオ大国主8代から「委奴国王=イヤナミ・スサノオ大国主8代」という仮説に進み、他の文献、神社伝承、地名、鉄器などの物証を調べて検証を行う、という方法でこの仮説に致命的な矛盾がないことを確かめました。―『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』など参照

 邪馬台国論でも魏書東夷伝倭人条・記紀などの文献がほぼ歴史を正確に伝えているという大仮説のもとに、倭人条の行程分析(「正使陸行副使水行」「正使里程、副使日程表記」説)から卑弥呼の王都が旧甘木市(現朝倉市)であるとの仮説に進み、私の先祖が江戸時代には「ひな(日向・日南)」と称していたことから記紀高天原の所在地「筑紫日向橘小門阿波岐原」が旧甘木市・杷木町の「蜷城(ひなしろ)・橘・杷木」あたりであり、さらに記紀高天原に登場する地名や羽白熊鷲(羽白=羽城=波岐=杷木)が神功皇后により滅ばされた場所から、卑弥呼の宮殿が甘木高台(高天原)にあることを突き止めています。―『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)参照

 同じように、縄文社会、縄文人の起源、さらには人類誕生の分析においても、私は限られた知識・体験からまずは徹底的に考えていくつかの仮説を考え、ネット情報を調べ、次に単行本を読むという順番で調べてきました。

 学会論文に遡っての研究は、これからの若手研究者に任せたいと思っており、私の役割は「仮説ハンター」と心得ています。

 

1 通説とは異なる私の人類誕生仮説

 これまで書いてきた、通説とは異なる私の人類誕生仮説は、表1に示す「熱帯雨林人類進化説」「糖質DHA食(イモ・マメ・穀類魚介食)人類進化説」「母子おしゃべり進化説」「半身浴採取手足進化説」「母系社会進化説」「冒険者進化説」の6点です。

 

 この間、霊長類学、文化人類学、DNA人類学などの本を走り読みしていますが、私の仮説を裏付ける点、齟齬する点について、メモしておきたいと考えます。

 まずは霊長類学・人類進化学の西田利貞氏のから、人類進化に果たした食物の役割から見ていきたいと考えます。

 

1 人類進化の3段階説について

 西田利貞氏の『新・動物の「食」に学ぶ』(2000.8)は大型動物と小型動物の食性分析や大型霊長類が果食性から葉食性、雑食性へと分岐する分析などたいへん面白かったのですが、類人猿から人が生まれたことに食がどう関係しているのかの分析については疑問が残りました。

 西田氏は人類進化史の通説として、①700~500年前の直立2足歩行、②約200年前の石器と火使用、③数万年前のホモ・サピエンスという3段階で分析しています。

 この整理は、猿人、原人・旧人・新人、現代人の分類ですが、そもそも「猿人→原人・旧人・新人→現代人」が直線的に進化したのではないと筆者は述べながら、「①直立歩行→②石器・火使用→③ホモサピエンス(賢い人=頭脳の発達)」という直線的段階的進化論のように思えます。

 

 私は西アフリカ・中央部アフリカ熱帯雨林で、猿から猿人、原人・旧人・新人、現代人がそれぞれ発達し、段階的に熱帯雨林を出て東アフリカからさらに世界各地に移動して化石を残した、と考えてきました。

 現在の人の子どもを見れば明らかなように、3歳までに言語能力と脳の容量・機能、手機能と2足歩行は達成されるのであり、「現代ホモサピエンス(賢い人)」は熱帯雨林にもっとも長く留まって発達を遂げ、猿人、原人(ホモエレクトス)・旧人ネアンデルタール人)・新人(クロマニョン人など)より遅れてサバンナから全世界へ広がったと考えます。

 先に熱帯雨林をでて東アフリカのサバンナでた猿人・原人は2足歩行はできたものの頭脳の巨大化は進まず、家族・氏族の共同性が弱くて様々な環境変化に対応できず、後からきた旧人や現生人類が熱帯雨林からもたらした細菌・ウィルス感染の影響もあって滅んだと私は考えます。猿人を原人が、原人を旧人を、旧人ホモサピエンスが滅ぼしたという殺戮史観を私は支持しません。居住密度が低い段階では「棲み分け」が可能だからです。

 

2 第1段階進歩:チンパンジーからヒトへの食物について

 西田氏は「チンパンジーからヒトへの食物」を、従来のサバンナ2足歩行進化説・肉食進化説(脳筋説:脳みそまで筋肉)から離れ、「イモ説」を提案しており画期的です。「ヤムイモの多くはそのまま食べられる」「掘棒が必要だが、中央アフリカチンパンジーがシロアリの塚を掘るのに棒を使うのだから、最初の人類が使っておかしくない」としており、私の仮説は裏付けをえることができました。

 しかしながら、脳の発達に欠かせないDHA食(魚介食)について西田氏はふれていません。ヒトの脳の神経細胞は1000億個以上で成人でも乳児でも同じであり、神経細胞を繋ぐシナプスの数は生後1~3年前後まで増加し、そこで重要なのは母乳から供給されるDHAの量なのです。―縄文ノート「81 おっぱいからの森林農耕論」210622、「88 子ザルからのヒト進化」210728参照

 

 チンパンジーと人の大きな違いは水を怖がるかどうか、魚を食べるかどうかであり、水を怖がらず魚を食べるボノボよりさらに進化したのが半身浴魚介食のホモサピエンスであると私は考えます。―縄文ノート「85 「二足歩行」を始めたのはオスかメス・子ザルか」210713、「89 1 段階進化論から3段階進化論へ」210808、ボノボ | ナショナル ジオグラフィック日本版サイト (nikkeibp.co.jp)古市 剛史:水の風土記 人ネットワーク│ミツカン 水の文化センター (mizu.gr.jp)参照

 

 

 子どもの頃、私たちは海に行くと首まで浸かりながら足で貝をとり、海や川ではヤスで魚を突いたものです。

 イモの採集には掘棒が欠かせませんが、先を尖らせた「木器」について西田氏がふれていないのも気になります。石器や骨器の穂先を付けなくても、木を尖らせれば魚や子ワニ、蛇・トカゲ、カエルや哺乳類の子どもなどは突けるのです。

 私は石器文明の前に木器文明があったと考えますが、熱帯雨林では人骨や木は分解されて痕跡が残りません。だからといって石器や人骨が残る東アフリカが人類誕生の地であるとの証明にはなりません。

 現在も類人猿が棲んでおり、食料が豊富で木に登れば逃げられるという有利な生存条件があり、脳の発達に欠かせない糖質・DHA食のある熱帯雨林こそ人類誕生の地と考えます。そこに長く留まって頭脳を発達させたホモサピエンス(賢い人)こそ「最終出アフリカ現人類」なのです。

 

3 第2段階進歩:火使用によるイモ・マメ・穀類食

 西田氏は人類の第2段階の進化として「体と脳の大型化・男女の身体性差縮小・石器・火使用」をあげ、火使用によるイモ・マメ類食をあげています。

 火使用による糖質食(イモ・マメ類食)の増大は脳活動のエネルギー源として重要と思いますが、ここでも西田氏は情報伝達・処理に必要なDHA食を見逃すとともに、穀物食の起源についてふれていません。

 「縄文ノート25 『人類の旅』と『縄文農耕』、『3大穀物単一起源説』」で私は次のように書きました。

 

 昨年の秋、妻がベランダでのイチゴ栽培の苗床用にもらってきた藁に残っていた稲穂の籾を見つけ、焼いて孫に食べさせたことがあり、私も子どもの頃に田舎のどんど焼きで焼米を食べたことがあることを思い出しました。米は脱穀して煮なくても焼いて食べられるのです。

 縄文人脱穀した米の「お粥」を食べるとともに、「焼米」を食べていた痕跡が残っており、たき火をしていた旧石器人もまた、野生の稲を燃やした時に白くはぜ(爆ぜ)、こうばしい香りのする焼米などを見つけ、穀類を食べ始めた可能性があります。

 また、子どもの頃、田舎に行くと「はったい粉」を熱湯で練って食べたことがよくありましたが、炒った麦を粉にして食べる「むぎこ」「むぎこがし」「はったい粉」のルーツは、パン・クッキーよりもはるかに古い可能性があります。「食べられるおいしい麦茶」が2013年7月30日にNHKあさイチ」で【すご技Q 麦茶パワー】として紹介されていましたが、麦もまた「パン食」より前に「焼麦」として食べられ始めた可能性があります。

 棒で穴を掘って種を植えれば、気象条件さえあえば穀類は育つのです。穀類の栽培は旧石器時代に遡り、ヒョウタンの故郷、ニジェール川流域がイネ科穀物の採取・利用のルーツの可能性があります。

 

続けて、「縄文ノート81 おっぱいからの森林農耕論」では次のように書きました。

 

 火の使用はこれまで「焼肉」と結びつけられてきましたが、焼畑や畔焼き・野焼きを行うと小動物が焼かれた匂いとともに焼米・焼麦・焼豆・焼イモの香りが漂い、人類は火の使用を始めて糖質・DHAを摂取して進化した公算が高いと考えます。・・・

 西アフリカでの火を使った「穀実豆芋魚食」の糖質・DHA摂取こそがヒトの知能を発達させた可能性が高く、火の使用とセットになって焼畑の芋豆穀類の栽培が開始された可能性が高いと考えます。その栽培は木の棒さえあれば簡単にできます。

 

 西田氏は頭脳巨大化が生存に有利に働いた要因として「石器」(製作?利用?)をあげていますが、私は人と物の関係ではなく、人と人の関係(家族、氏族など集団のコミュニケーション)こそが知能の発達を促した最大の要因と考えます。

 火使用による糖質食(イモ・マメ・穀類食)・DHA食の増大は自由時間を増やし、おしゃべりや遊び、創造・創作、恋愛やセックスなどの活動を促すとともに、健康・長寿は祖父母による子どもへの経験伝達・教育機会を増やし、頭脳の発達に繋がったと考えます。―縄文ノート「88 子ザルからのヒト進化」210728、「92 祖母・母・姉妹の母系制」210826、「126 『レディ・サピエンス』と『女・子ども進化論』」220307参照

 最近、私は1か月おきに訪れる次男の0歳児を抱いて観察していますが、2か月児になるとアイコンタクトができるようになり、3か月児になると笑顔に反応して笑い声で返すようになり、4か月児になると遊んでいる姉や兄の動きをずっと追うようになり、家族が食事を始めると美味しそうな匂いにつられて指をなめ始めます。

 長女の女孫は幼児の間中、長男の年長の女孫の動きをずっと目で追っていてその真似を必ずしていましたし、次男の女孫もまた長女の女孫の動きをじっと観察して真似をしていました。下の子は上の姉・兄のしていることにできもしないのに割り込んで参加しようとし、いつも喧嘩になっていました。

 このように、乳幼児からの観察と模倣・会話によって人は頭脳や身体能力を急速に発達させるのであり、大人になって石器を作り始めてから頭脳が発達するなど、「狩猟・武器・戦争進化説」の空想からは卒業すべきです。

 

4 第3段階進歩:狩猟による道具の著しい発展と脳の巨大化

 第3段階として西田氏は狩猟具製作による脳の巨大化をあげていますが、どうや狩猟・戦争・肉食進化説に戻ってしまったようです。

 そもそも、槍やナイフなどの狩猟具はすでに第2段階に達成されており、第3段階となると6・7万年前頃の弓矢による狩猟をさしていると考えられますが、弓矢の発明と肉食の増大が脳の巨大化を促したなど、道具学や栄養学からみても何の根拠もありません。

 チンパンジーはオスよりメスの方が器用であるとされており、男が大型動物狩猟のための弓矢を作ったことが脳の巨大化を促したというのは男主導進化説のフィクションという以外にありません。

 「縄文ノート111 9万年前の骨製銛からの魚介食文明論」では東アフリカ高地湖水地方で9万年前の骨製銛が見つかったことを紹介しましたが、この「木+骨製穂先」の道具は熱帯雨林で半身浴で魚やカエル・ワニなどを採集していた母子が開発した可能性が高いと私は考えます。

 

 火を管理し、イモや穀類、魚介類などを調理したり、衣類を作ったり、採集したイモや穀類、昆虫、魚介類などを運ぶためのザルの作るなど、頭脳の発達は「狩猟」よりも複雑な女子どもの手仕事とおしゃべり、情報伝達により達成された可能性が高いと私は考えています。

 言語能力は3歳ころまでに獲得されるのであり、無言で音を立てず、身振りで合図を送る男の狩猟活動で言語能力が発達するわけなどないのです。

 西田氏のアフリカでのチンパンジーと狩猟民の調査からは多くを教えられ、サルからヒトへの食の役割への着目は重要と思いますが、食からの人類誕生分析は不十分であり、「肉食進化説」「狩猟・戦争進化説」「オス主導進化説」の西洋史観から抜け出せていないのは残念です。

 

<参考資料1 縄文ノート70 縄文人のアフリカの2つのふるさと 210422>

 

<参考資料2 縄文ノート85 「二足歩行」を始めたのはオスかメス・子ザルか 210713>

 

<参考資料3 縄文ノート89 1段階進化説から3段階進化説へ 210808>

 

 

<参考資料4 縄文ノート134 『サピエンス全史』批判3 世界征服史観 220414>

 

<参考資料5 縄文ノート140) イモ食進化説―ヤムイモ・タロイモからの人類誕生 220603>