ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

187 「まさひろドーイ」からの焼畑・縄文語・天皇家考 

 今回は気分転換の息抜きに、イオンモールで瓶踊りの「まさひろドーイ」の載った面白い泡盛を見つけたので紹介し、焼畑農耕と琉球弁・本土弁、天皇家のルーツについて付言します。

 私の名前は「昌弘」なので、沖縄に行った時には比嘉酒造(現まさひろ酒造:3代目の名前から)の写真の大きな壺入りの古酒「まさひろ」(2000年仕込み)を買い、子どもたちも土産には「まさひろ」を買ってきてくれていましたが、他にも名前に引かれて「海人(うみんちゅ)」や「島唄(しまうた)」もよく買っています。

 まさか埼玉で「まさひろ」に出会えるとは思わなかったのですが、沖縄紹介の旅番組などで気になっていた瓶踊りのイラストが気に入り直ちに購入しました。

 「うまさひろがる」に「まさひろ」があるのがいいし、瓶踊りイラストが面白いのでネットで検索してみると「まさひろドーイ」の歌と踊りを見つけました。

無芸なので、瓶踊りに挑戦してみたいところですが、踊は苦手なのでちょっと自信がありませんが・・・

https://www.youtube.com/watch?v=kYhgVSX4wYk

https://www.youtube.com/watch?v=fdbyWpLlFMU

 

 なお、歌詞の「海人(うみんちゅ)ん 畑人(はるんちゅ)ん 踊(うどう)てぃ飲(ぬ)でぃ遊(あし)ば」は、縄文海人族(あまぞく)・縄文山人(やまと)族による日本列島人起源論や海人族のスサノオ大国主建国論をやっている私には見逃せません。

 

 「畑人」と書いて「はるんちゅ」と読むのでびっくりしましたが、壱岐原の辻遺跡(はるのつじいせき)や福岡県糸島市の平原遺跡(ひらばるいせき)など、九州では「原」を「はる、ばる」と読む地名が多いことからみて、「はる(原)」=「畑(火+田)」=焼畑であり、沖縄と九州が焼畑の同一文化圏であった可能性がでてきました。

 なお、ウィクショナリーで調べてみると、「畑」「畠」は和製漢字であり、「畑(火+田)=焼畑」と「畠(白+田)=乾田(二毛作)」を古代人は使い分けていたことが明らかであり、「畑(火+田)」のルーツがより古いことを示しています。―縄文ノート「28 ドラヴィダ系海人・山人族による稲作起源論」「42 日本語起源論抜粋」「93 『かたつむり名』琉球起源説―柳田國男の『方言周圏論』批判」参照

 また、元の倭音の「あいういぇうぉ」が琉球弁で「あいういう」に、本土弁で「あいうえお」になったことが、「踊(どう)」「飲()」「遊(あ)」と「踊(どう)」「飲()」「遊(あ)」からも読み取れます。はてなブログ・ヒナフキンの縄文ノート「97 『3母音』か『5母音』か?―古日本語考」「153 倭語(縄文語)論の整理と課題」、gooブログスサノオ大国主ノート「倭語論17 『いあ、いぇ、いぉ』『うあ、うぇ、うぉ』『おあ』倭語母音論」参照

 

 

 本土弁の方言が琉球弁なのではなく、むしろ琉球弁の方言が本土弁の可能性が高いと考えます。

 「縄文に帰れ!」と言っていた岡本太郎氏は、沖縄の本土復帰にあたって「本土が沖縄に復帰するのだ」と述べましたが、「まさひろ」「海人」を飲み、「島唄」を歌いながら夢想してみませんか?

なお、薩摩半島南西端の南さつま市の栫ノ原遺跡(「かこいのはら」は元は「かこいのはる」であった可能性)は、古代には笠沙天皇家(阿多天皇家)3代の本拠地であった「阿多」に属します。

 

 

 記紀によれば、2代目の火照命(ホデリ=漁師=海幸彦=隼人)の弟の火遠理(ほをり=猟師=山幸彦=山人(やまと))は龍宮(琉球)に行って豊玉毘売(とよたまひめ)を妻とし、さらにその子の鵜葺草葺不合(うがやふきあえず)は豊玉毘売の妹の玉依毘売(たまよりひめ)に育てられて妻としています。

 その子の若御毛沼(わかみけぬ:後の神武天皇)の母と祖母は海人族・畑人族の琉球人、父は山人族(やまとぞく)であり、栫ノ原遺跡をみても縄文・弥生文化は連続しているのです。

 スサノオ大国主一族とこの天皇家の歴史をみても「弥生人(中国人・朝鮮人)征服史観」は成立せず、「縄文人自立・内発的発展史観」の探究を若い世代のみなさんに期待したいと思います。 

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 帆人の古代史メモ          http://blog.livedoor.jp/hohito/

 ヒナフキン邪馬台国ノート      http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 霊(ひ)の国の古事記論       http://hinakoku.blog100.fc2.com/

186 「海人族縄文文明」の世界遺産登録へ

 5000~4000年前のイギリス・アイルランドの「西のストーンサークル文明」に対し「東のウッドサークル文明」を示す6000~2000年前頃の真脇遺跡のある能登町は、能登半島地震で大きな被害を受けました。

 過疎・高齢化が進み、老朽化した多くの家屋が倒壊し、道路・水道・電気などインフラが破壊された今こそ、4000年続いた縄文海人族の歴史を世界遺産として登録をめざし、海人族である日本人の長い歴史ある定住地の1つのシンボルとして、そして全世界から人類史に関心のある人々を引き付ける観光地として復興を進めて欲しいと願っています。

 世界最古の2.3万年前頃の沖縄県南城市のサキタリ洞窟遺跡の貝製の釣り針や全国各地で発見されている鹿製の釣り針や銛、ヤス、網漁の重石、丸木舟製作に使う丸ノミ石斧の東南アジアからの分布、沖縄から北海道までの貝製腕輪やヒスイの交易、土器技術・文化の交流、日本海を超えたシベリアとの黒曜石の交易、男は危険な海に出て家は女性が守る漁村に残る母系制社会など、「男中心・狩猟・肉食・闘争・戦争文明」とは異なる海人族の「母子中心・採取漁労農耕・糖質DHA食・共同・和平文明」について、世界史に位置づける重要な役割があると考えます。

 

1 縄文遺跡世界遺産登録の経過と課題

 三内丸山遺跡大湯環状列石など4道県17遺跡で構成される「北海道・北東北の縄文遺跡群」は2020年に世界文化遺産に登録され、その取り組みの先駆性は高く評価されます。

 ただ、地域的に限定されていることから、日本列島の縄文文化・文明の全体を網羅しておらず、世界最高水準の縄文研究の成果が反映されていないといわざるをえません。

 「農耕・牧畜を基盤とした同時期の世界の文明と異なり、農耕に移行しないまま定住が営まれた採集・漁労・狩猟社会」という評価は、「農耕・牧畜・定住社会」=「文明段階」、「採集・漁労・狩猟・非定住社会」=「未開段階」とする西欧中心の文明観に基づく差別的な二分法を前提としており、文化・文明の時代区分基準にそもそも問題があると考えます。

 沖縄から南東北までの縄文遺跡群から浮かび上がり、現在に続く祭りや食文化・宗教などの縄文文化・文明をもとに、すでに登録されているユネスコ無形文化遺産の「山・鉾・屋台行事」「和食」と4つの宗教建築・文化の世界遺産を踏まえ、新たな世界遺産登録への取り組みが必要と考えます。

 

 

2 縄文遺跡の新たな世界遺産登録へ

 沖縄~南東北の全縄文遺跡群と観光・展示・案内・学習施設、現在に続く祭りや食文化・宗教などの縄文文化・文明の全体像を示す次のような新たな縄文遺跡群や縄文文化世界遺産登録が求められます。

① 土器鍋のおこげ、土器に残されたマメ・穀類の圧痕、土壌花粉、石器農具が示すイモ・マメ・穀実(ソバ・クリ等)の「縄文農耕」(焼畑農耕):土器鍋等は各地で展示。

 

② 西アフリカ原産のヒョウタン、北アフリカ原産のウリ、インド原産のリョクトウ、東南アジア原産のエゴマ、東南アジア山岳地帯原産のソバ・モチイネ・シソなど「人類移動を示す縄文食」:鳥浜貝塚遺跡などに展示。

 

③ 石床炉による焼石料理、炉穴による干物・燻製料理、土器鍋による煮炊き・蒸し料理、粉食(石皿・磨石)などの「縄文料理革命」:石床炉・炉穴、土器鍋、石皿・磨石は各地で展示。

 

④ 貝塚、貝製・鹿角製釣り針・銛、網漁の重石、丸木舟、製塩土器が示す「漁労文明」:各地に展示。

⑤ 東南アジアから琉球、九州に分布する丸木舟製作用の円筒形丸ノミ石斧、全国各地で発見されている丸木舟、海上移動に欠かせない容器のヒョウタン、土偶に見られる刺青などの「海人族文化」:各地に展示。

 

⑥ 南西諸島産・伊豆諸島産の貝輪、糸魚川のヒスイ、黒曜石、製塩土器などが示す「広域分業交易」:各地に示。

 

⑦ アフリカからの「円形平面住宅」を受け継いだ可能性のある竪穴式住居:各地に復元施設。

 

⑧ 分散住宅配置と共同祭祀のウッドサークル・ストーンサークルが示す都市形成以前の「分散定住共同祭祀社会」:ルなどは発掘展示され、真脇・小矢部・チカモリ遺跡のウッドサークルは復元されている。ウッドサークル・ストーンサークルは「円形平面住宅」を模した死者を祀る宗教施設(地母神信仰、天神信仰)の可能性。

 

⑨ 巨木6本柱・8本柱・方形柱列に見られる「巨木建築文明」:中ツ原の巨木8本柱痕は柱のみ復元、阿久・の方形柱列群は埋め戻されている。御柱祭は巨木建立の共同作業を現代に残している。

 

⑩ ホゾ・ホゾ穴仕口(組手)の「軸組工法高床式建物」(桜町遺跡など):各地に展示・復元建物。雨季に冠水する東南アジア起源の可能性。

 

⑪ 女神像や仮面女神像、妊娠土偶、出産紋土器、石棒(金精)、貝輪・耳飾りなどが示す「母系制社会」:各地に展示施設。卑弥呼の女王国、さらには各地の女神神社(稲荷神社・丹生神社・宗像神社・厳島神社浅間神社や各地の山の神神社)、金精(石棒)信仰などは現代に続く。

 

⑫ 神名火山(神那霊山)崇拝に見られる「神山天神信仰」:阿久遺跡の立石・石列は埋め戻されている。女神(ひじん=霊神)信仰や各地の神名火山(神那霊山)信仰=お山信仰は現代に続いている。

 

⑬ 巨木木柱列・環状木柱列に見られる「神籬(霊洩木)天神信仰」:吉野ヶ里遺跡の立柱や出雲大社心御柱、諏訪などの御柱祭、仏塔の心柱、住宅の大黒柱などに引き継がれる。

 

⑭ 貝輪を好み、海から生まれ海に帰るとする海人族の「海神信仰」:雛流し・精霊船浜降祭・船渡御・海上渡御・神迎えなどの神事

 

⑮ 女神像や土偶、耳飾り、縁飾り土器、香炉などが示す縄文芸術家による「縄文芸術」:各地に展示。

 

⑯ 日本人に多いY染色体D型(アフリカ西海岸にY染色体E型・D型)、頭脳の発達に不可欠な糖質・DHA食(イモマメ穀実・魚介食)が示す「人類誕生・海の道移動史」:縄文ヒョウタンは鳥浜遺跡に展示。

 

3 世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」への追加登録ではなく新規登録へ

 世界遺産として「顕著な普遍的価値(Outstanding Universal Value)」の評価基準のうち、(ⅰ)(ⅵ)や(ⅲ)(ⅴ)の内容は、2021年の「北海道・北東北の縄文遺跡群」と較べて日本中央部縄文遺跡群は新規性があり、異なる場所・空間に共通する文化・文明を示しており、新規登録に該当します。

 沖縄~南東北の縄文遺跡群として一括・新規登録するか、あるいは分割登録するかですが、縄文文化・文明の性格として、海人族(採集・田芋栽培・漁労・海洋交易民)と山人族(採集・焼畑・狩猟民)の2つのタイプに分けて世界遺産登録を提案したいと思います。

 

 

4 世界平和と持続的発展可能な文明社会へ向けて

 今、国連が求めている「持続可能な社会(Sustainable society)」あるいは「持続敵開発可能な目標(Sustainable Development Goals: SDGsエスディージーズ)」を達成するには、西欧中心文明史観の見直しが必要と考えます。

 地球温暖化と異常気象、熱帯雨林を破壊するプランテーション、アフリカ・アジアの塩害を招く灌漑農業やアメリカの化石水依存の灌漑大規模農業、農薬・除草剤・化学肥料・原発放射性廃棄物などによる地球環境汚染、森林を破壊し大量のメタンガスを発生させる牧畜、海水温上昇によるサンゴ礁の消滅、マイクロプラスチックによる漁業・生態環境の深刻なダメージ、新興感染症の頻発など、第1次産業革命(農業革命)、第2次産業革命(工業・流通革命)、第3次産業革命(情報・通信革命)による自然破壊と食料危機、世界一体化(グローバル化)による格差拡大への不満爆発など、現在と将来の生類の生命への深刻な影響が心配されてきています。

 現在と将来の地球環境や生類の生命、ヒトの人権、生活、共同性などを基準に考えると、男性中心・西欧中心の「狩猟・肉食・闘争・戦争進歩史観」による「文明社会による野蛮・未開社会の支配・開発」という文明基準そのものの見直しが求められており、世界遺産の文化・文明の基準についても「命(DNA)の持続可能な社会」に向けて再構築すべき時と考えます。

 1万数千年の縄文時代は男中心の「狩猟・肉食・闘争・戦争」社会ではなく、母子主体の「採集漁労農耕・糖質DHA食・共同・和平」社会であり、あらゆる「命(DNAの継承)」を何よりも大事にする持続可能な「母系制共同体文明」であり、かつて世界全体にあった共通文明としてとらえなおすべきと考えます。人類はイモマメ穀実・魚介の「糖質・DHA食」と母子群のおしゃべりコミュニケーションにより、知能を発達させてきたのです。乳幼児の成長をみてもわかるように、

 すでに和食がユネスコ無形文化遺産に登録されたように、恵まれた海・川・山・森・林・原の自然に育まれた食材を活かした和食は健康長寿で持続可能な食文化・文明として世界に認知され広まってきており、その起源は縄文時代に遡るのです。

 漁労・農耕具や生活用具ではなく狩猟・殺人用具を中心に時代分析を行い、古代軍国主義奴隷制国家の侵略・防御・支配拠点である「城壁都市」を「文明=civilization(都市化)」基準としたギリシア・ローマ文明で世界史を見るのではなく、「自然・命(DNA)の持続的発展可能な社会の見本となる文化・文明」という新たな視点を提案したいと考えます。

 縄文文化・文明の世界遺産登録は、かつて全世界に普遍的に存在した文化・文明を明らかにし、自然に生かされ、人間の創造的才能を育み、共に支えあい尊重しあう豊かな共同体社会をめざす共生・共同型社会への第1歩となるものです。

縄文ノート185 「184 乳児からみた人類進化と子育て家族形成」補足

 「縄文ノート184 乳児からみた人類進化と子育て家族形成」(240124)では、2004年に書いた「動物進化を追体験する子どもの遊び」をさらに発展させ、0歳児の孫に教えられて「人類進化を追体験している乳幼児の成長」論をまとめました。

 「二足歩行→手機能向上(狩猟具作成・獲物運搬)・言葉誕生(狩猟の共同作業)→頭脳肥大(肉食)」というまことしやかな「オス主導の二足歩行進化説」「狩猟・肉食進化説」が欧米だけでなく日本でもまかり通ってきていますが、乳幼児の発達を見ていると順序は違います。

 「知能発達条件の確保(おっぱいの糖質・DHA増大)→知能発達(観察・理解・記憶)→真似による手機能向上(道具使用)・会話→這い這い移動(4つ足哺乳類型)→二足歩行(サル型)」の順であり、サルからヒト進化の決定的な鍵は「母親のイモ・マメ・穀類(火使用)・魚介食によるおっぱいの糖質・DHA増大」と「イモ・マメ・穀類食がもたらした自由時間増大による母子・子育てグループ・子ども同士の楽しいおしゃべり」にあると考えます。

 カナン侵略・征服を神の命令として正当化するために作られたユダヤ教を原点とする欧州中心史観の「危機進化説」(気候変動による熱帯雨林の食料不足→サバンナでの死肉漁り・狩猟→二足歩行・言語)に対し、果実やイモ・マメ・穀類・魚介類・昆虫・小動物など食材の豊富な熱帯雨林における「快適快楽進化説」(美味しいもの・楽しいこと・新しいこと・探検などの追求)」の人類誕生史こそ未来への指針とすべきと考えます。たかだか2~3千年の「狩猟・闘争・戦争進歩史観」の延長上に希望を求めるべきではないのです。

 今回、2点、補足したいと思います。

 

1.乳児の観察・認知・記憶・模倣による道具使用について

 孫は9カ月目に入り、ようやく両手が連携してスムーズに動けるようになったので百均の「ソフトソード(やわらかチャンバラ、ソフトチャンバラ)」を渡してみました。

 そうすると、ちゃんと両手で持って机をたたいたのでびっくり。姉・兄たちのチャンバラごっこをこの数カ月じっと観察し、理解していたことにより、真似することができたのです。

 「げんこつ山の たぬきさん おっぱいのんで ねんねして だっこして おんぶして またあした」という童謡がありますが、乳児はただ「おっぱいのんで ねんねして」だけではなく、外界のいろんな出来事を観察・理解・記憶し、真似できるように準備していたのです。

 手にとるものはまず舐めるので、ソフトソードを渡すと舐めるのではないかと予想していましたが、叩こうと振り回したのであり、ソフトソードの使い方を理解し、姉兄たちから学んでいたことは明らかです。

 私の長女は保母さんに付きまとって話しかけるため「おしゃべり〇〇さん」と保母さんたちから言われていたのですが、長男は言葉がかなり遅かったのですが、喋り始めると長女のような幼児言葉のおしゃべりではなく、きちんとした大人言葉で話したので妻がびっくりしたとよく話しますが、しゃべれない間にも観察を続け、言葉を理解し、記憶していて準備していたのです。

 早々と熱帯雨林を出た700万年前頃からの直立二足歩行のラミダス猿人などや、200万年前頃からのジャワ原人北京原人とは異なり、熱帯雨林に長く留まりサルからヒトへの進化したホモサピエンスは「直立歩行」の身体機能進化が先行したのではなく、「観察・理解・記憶・真似」という頭脳の発達が乳幼児期から先行したのであり、それを支えたのが他の動物より糖質・DHA成分が多い母親のおっぱいであり、メスの「イモマメ穀類・魚介食」による「糖質・DHA」摂取と母子・子育てグループによる会話こそがその源だったのです。

 欧州中心史観の「オス主導進化説」「二足歩行進化説」「肉食進化説」には何の根拠もなく、イモマメコメ食・魚介食民族であり、母系制社会が長く続いた日本人こそその誤りを正し、「メス子ども主導進化説」「知能発達進化説」「糖質・DHA食進化説」を世界に広めるべきと考えます。

 霊長類学・文化人類学民族学の研究者は、チンパンジーボノボ、ゴリラの前に乳幼児の成長をじっくりと観察すべきであり、「魚べい」にでも行って寿司を食べながらなぜ日本人は魚や米などが好きなのにサルは魚や米などを食べないのか議論すべきでしょう。

 

2.乳児の高いエネルギー消費は頭脳発達に使われている

 『日経サイエンス』は図書館で借りて読んでいるので、いつも最新号より前の号を遅れて読むことになり、やっと2023年10月号に目を通したのですが、「カロリー計算でみる人類進化」という興味深い論文がありました。

 図2のように0歳児の代謝率(1日の総エネルギー消費量/徐脂肪対体重)には大きな差があるのですが、高いものは10歳ころまでの高い水準の幼児・児童と同じ水準で、20~60歳の代謝率より50%近くも大きいのです。

 

 「赤ん坊は胎内で母親のエネルギー消費規模を反映した発達を遂げ、小さな大人として生まれてくる。しかし、1歳の誕生日を迎える頃には、体のサイズから予測される量よりも50%も多くのエネルギーを消費するようになる。子どもの細胞は大人よりもずっと活発で、成長と発達のために懸命に働いている。この仕事の一部は神経細胞の成長とシナプスの発達であることが、幼少期の脳におけるグルコース摂取量を測定した先行研究によって示唆されている」とデューク大学進化人類学のハーマン・ポンツァー教授は書いていますが、小麦粉と牛乳・卵を書きながら、シナプス発達に必要なDHAなど魚介食により得られるオメガ3脂肪酸のことには触れていません。「肉食進化説」ではないものの「酪農・養鶏を含めた農耕民進化説」であり、魚介食を無視した西欧中心史観から抜け出してはいません。

 さらに厚労省のe-ヘルスネットの「加齢とエネルギー代謝」を見ると、図3のように乳幼児期の高いエネルギー消費量を示しています。

 10歳ころまでの子どもは活発に体を動かすのでエネルギー消費量が大きいのは当然ですが、体を動かすことが少ない0歳児も同じなのです。

 そもそも脳が消費するカロリーは人体全体の20~25%で、5~6歳では60%とされていますが、0歳児はあまり体を動かすことのない分だけ観察・理解・記憶にさらに多くのカロリ-を消費し、脳のシナプスの情報伝達機能を高めているのです。  

 前回、乳幼児期に脳のシナプス密度とDHA量が急増することを示す図4・図5を再掲しますが、脳のエネルギー消費量もまた乳幼児期に急増するのです。

 

 

 「肉食キン肉マン進化史観」から、栄養学者や乳幼児研究者の参加による「糖質・DHA食知能進化史観」への転換が求められます。

 なお、アフリカで食べられている昆虫やナマズ・カエル・トカゲ・ヘビ・ワニなどにDHAが豊富に含まれるのかどうかネットで検索しましたが、判りませんでした。どなたか、外国の文献など調べて頂けないでしょうか?

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 帆人の古代史メモ          http://blog.livedoor.jp/hohito/

 ヒナフキン邪馬台国ノート      http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 霊(ひ)の国の古事記論       http://hinakoku.blog100.fc2.com/

「邪馬台国ノート54 『神武東征』は『若御毛沼(わかみけぬ)東進』」の紹介

 Seesaaブログに「邪馬台国ノート54 『神武東征』は『若御毛沼(わかみけぬ)東進』」をアップしましたので紹介します。http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 笠沙天皇家3代の始祖ニニギの「天下り」なるものは、筑紫日向(ちくしのひな:旧甘木市の蜷城(ひなしろ))の高台・高天原卑弥呼(霊御子=大霊留女=アマテル)の死後の後継者争いで女王派(壹与派)に敗れた男王派のニニギが女王派の国々を避け、険しい九州山地薩摩半島南西端までの逃避行であることはすでに明らかにしました。

 続く笠沙天皇家4代目の若御毛沼(ワカミケヌ)3兄弟の皇国史観のいうところの「神武東征」については、8世紀の創作とする反皇国史観や、邪馬壹国(邪馬台国)以前の「紀元前660年説」「紀元前40年説」「紀元前70~29年説」「紀元6年説」「2世紀中(150、168、187年)説」、安本美典氏の「紀元271年頃説」と私の同じ方法での「277年説」がありますが、日本書紀に書かれたワカミケヌらが「浪速の渡」を「遡流而上」って生駒山麓の白肩津まで進んだという記載は、「紀元前1050~50年の河内湾時代」「紀元前50~紀元150年の河内汽水湖時代ではなく、「紀元150~385年の河内湖時代」であることが明らかであり、安本・雛元説が正しいことが裏付けられます。

 なお高木修三氏(芥川賞受賞作家)「2世紀中説神武即位」説も「紀元150~385年の河内湖時代」には合致しますが、神武即位後に卑弥呼の邪馬壹国が畿内にあったか、という根本矛盾をはらんでいます。

 もしそうなら記紀天皇紀には「146~189年頃の倭国乱、相攻伐歴年」「30国の女王・卑弥呼の共立」「魏との国交・鉄交易」「狗奴国との争い」「男王と女王・壹与の後継者争い」の大事件が記載されていなければなりませんが、何1つ記紀には記載されておらず、畿内にそのような伝承も争乱を裏付ける物証(鉄器や城柵など)もありません。

 本ブログの「縄文論」としてもポスト縄文社会の古代史を考える参考にしていただければ幸いです。雛元昌弘

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 帆人の古代史メモ          http://blog.livedoor.jp/hohito/

 ヒナフキン邪馬台国ノート      http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 霊(ひ)の国の古事記論       http://hinakoku.blog100.fc2.com/

 

「邪馬台国ノート53 『7里程』『2日程』条件から邪馬台国論争に決着を!」の紹介

 Seesaaブログに「邪馬台国ノート53 『7里程』『2日程』条件から邪馬台国論争に決着を!」をアップしましたので紹介します。http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 魏書東夷伝倭人条には、「自郡至女王国万二千余里」「東南陸行五百里到伊都国」「東南至奴国百里」「東行至不彌国百里」「参問倭地・・・周旋可五千余里」「女王国東渡海千余里 復有国」「侏儒国在其南・・・去女王四千余里」の7つの「陸行里程」と「南至投馬国水行二十日」「南至邪馬壹国 女王之所都 水行十日陸行一月」の2つの「水行日程」があります。その全てを合理的に見たす場所が邪馬壹国の位置になります。

 末盧国からの正使の陸行・里程の続きにある邪馬壹国と、副使の末盧国からの投馬国、邪馬壹国の水行・日程ルートは並行しているのであり、「陸行+水行」を連続した行程として読むべきではない、というのが私のオリジナルな主張です。

 邪馬台国論争がいまだに決着がついていない根本原因は、考古学者たちは発掘成果にハクを付け、住民は町おこし・村おこしのために魏書東夷伝倭人条と記紀の都合のいい部分だけをつまみ食いすることにあると考えます。

 私は小学校まで吉備の岡山市で過ごし、父の岡山県北の山村では熊野神社スサノオヤマタノオロチ退治の備中神楽を幼児の頃に見た記憶があり出雲とも関わりがあり、中学校からは播磨の姫路市に移り、大学・院時代には京都・奈良・大坂に住み、また京大の歴史学者たちは伝統的に畿内説のようですが、だからといって邪馬台国論において吉備説・出雲説・播磨説・畿内説などに我田引水したいとは思いません。

 卑弥呼の女王国を世界の母系制社会の歴史の中に位置づけるという大きな観点から、郷土意識や学閥などにとらわれず邪馬台国論争に決着をつけて卑弥呼の墓を突き止め、女王国の歴史を世界に情報発信することを若い世代の皆さんには期待したいと思います。

 本ブログの「縄文論」としてもポスト縄文社会の古代史を考える参考にしていただければ幸いです。

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 帆人の古代史メモ          http://blog.livedoor.jp/hohito/

 ヒナフキン邪馬台国ノート      http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 霊(ひ)の国の古事記論       http://hinakoku.blog100.fc2.com/

 

「邪馬台国ノート52 『旧百余国』から『邪馬台論』は始めるべき」の紹介

 Seesaaブログに「邪馬台国ノート52 『旧百余国』から『邪馬台論』は始めるべき」をアップしましたので紹介します。http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 邪馬台国論争は未だに「所在地論争」として決着がついておらず、卑弥呼の王都も墓も未発見ですが、いずれ九州説・畿内説の論争に関わっている歴史学者・考古学者の一方は頑迷な「古代史偽造者」の烙印を押されることになることを免れません。

 それ以上の大きな問題は、魏書東夷伝倭人条が冒頭で「倭人在帶方東南大海之中・・・舊百餘國・・・今使譯所通三十國」(倭人は帯方東南、大海の中に在り・・・旧百余国・・・今、使訳通ずる所は三十国」)と書いている以上、後漢が認めた「旧百余国王」を解明しようとしていないことです。私はこの「百余国王」は博多の志賀島で発見された金印に彫られた「委奴国王」であり、記紀に書かれたスサノオ以外にありえず、この国の建国者を示していると考えています。

 『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(梓書院),『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)をはじめ、何度も書いてきた繰り返しになりますが、スサノオ大国主一族と邪馬壹国の卑弥呼との関係について整理・要約しました。

 縄文時代の母系制社会を引き継いだスサノオ大国主7代の「百余国」の建国があり、その大国主・鳥耳夫婦の筑紫日向(ちくしのひな)王朝10代後に卑弥呼(霊御子)の女王国・邪馬壹国が成立したと私は考えており、本ブログの「縄文論」としてもポスト縄文社会の古代史を考える参考にしていただければ幸いです。 雛元昌弘

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

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 帆人の古代史メモ          http://blog.livedoor.jp/hohito/

 ヒナフキン邪馬台国ノート      http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

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縄文ノート184 乳児からみた人類進化と子育て家族形成

 サルからヒトへの進化について、私は子どもの誕生から成長の過程を辿って推定するという方法論を考えています。

 現役時代に木登り遊びのボランティア活動をやっていたとき、なぜ子どもが木登りが好きなのか、穴掘りが好きなのかなどについて、私は「動物進化を追体験する子どもの遊び」という仮説から考察したことがあったのですが、人類進化についても同じ方法で考察してみました。

 

1 子どもの遊びからみた人類進化

 「縄文ノート87 人類進化図の5つの間違い」210723→0801」)で私は次のように書きました。

 

 2004年には「動物進化を追体験する子どもの遊び」(日本子ども学会チャイルド・サイエンス 懸賞エッセイの奨励賞)を書きましたが、幼児の頃からの孫のいろんな遊びを観察し、なぜ子供は幼児の頃から水遊びや木登りが大好きなのか考えていると、表1のように子どもの遊びが「サカナ型」「カエル型」「トカゲ型」「ネズミ型」「サル型」「ヒト型」に分類でき、そこから「子どもの遊びは動物進化を追体験している」と考えるようになりました。

  このような子ども時代の遊びこそが人類だけでなくすべての動物の進化を促したのであり、それは魚類、両生類、爬虫類、哺乳類へと受け継がれ、ヒトのDNAに全て本能として残したと考えられます。

 うっかり目を離すと歩き始めたばかりの孫が川の中に入ってあわてたことが何度かあり、「いないいないばあ」が大好きな乳幼児、穴掘りや囲いの外に穴から石を入れて出すことをいつまでも止めない遊び、滑り台を腹から滑り降りる遊び、ジャングルジムやブランコでいつまでも遊んでいる子どもなど、両生類や爬虫類、穴倉居住のネズミ、樹上のサルなどのDNAが子どもの中に残っているとしか考えられませんでした

 

 この子どもの遊びの分析から私は人類について「メスと子ザルが進化を主導した」という仮説を考えましたが、さらに霊長類研究に着目して次のように書きました。

 

2 オス主導進化か、メス・子ザル主導進化か?

 「人類進化図」で検索すると、世界各国ではいろんな進化図が書かれていますが、ほぼすべてがオスの進化図であり、「メスと子ザルが進化を主導した」という仮説はまったく検討されていません。

 最初はネットで調べ、次にチンパンジーボノボ(ピグミーチンパンジー、現地名ビーリャ)研究の黒田末寿氏らや、ゴリラ研究の山極寿一氏の本にざっと目を通しましたが、類人猿や狩猟民族の食生活、採取・漁撈・狩猟について詳しく観察・記録されているものの、熱帯雨林でのサルの母子主導の「糖質魚介食進化説」「二足歩行説」「家族形成説」などからの「母系制社会説」については、思考の外に置いています。オスが石器武器で二本足で狩りをしてメスに肉を手で運んで贈って家族ができ、タンパク質をとって頭脳が大きくなった、という狩猟・肉食進化説しか頭にないようです。

 黒田末寿氏は『人類の起源と進化』において、ボノボに見られる「メスと息子、メス同士の強い絆」や「メスの集合性、オスの分散性」「メス同士、母から子への食物分配」「母親と息子が母系家族的集団をつくる」「集団内の母・息子集団と集団間の近隣関係に見られる重層構造化の萌芽」「乱婚傾向が強く、メスに無排卵発情が多く発情メスの比率が高い(ニセ発情:古市剛史)」「性皮の膨張」などと述べながら、「ヒト社会の場合、全体的には父系が優勢といえよう。これらのことから、家族の出現の時期はともかく、人類祖先の社会集団は父系的傾向が強かったと仮定してよい」とボノボ観察・分析とは正反対の結論を導いており、その根拠である「父系が優勢」「父系的傾向が強かった」というのは単なる推測、仮定にすぎないのです。

 「ボノボの生態からヒト誕生が母系制か父系制かを推定する」という方法論ではなく、「人間社会を父系制と仮定してボノボをみる」という逆立ちした男性優位思想の偏向が見られます。 

 また、黒田氏は「採食技術としての道具使用は雌の方が上手でかつ長時間行う。これらは採集滑動に相応し、採集仮説で強調される女による採集活動での道具使用の発達の根拠はここにある」と述べ、道具使用を通した手の発達がメス主導であったことを認めながら、人類の誕生がメス・子ザル主導であった可能性を検討しておらず、フィールドワークで貴重な成果を残しているものの、残念な非科学的結論に陥っていると言わざるをえません。

 それは後輩の山極寿一氏のゴリラ研究も同じであり、京大のサル・類人猿研究のオス中心主義の伝統のようであり、女性研究者主導にならないと京大のサル・類人猿研究はまともな科学にはならないのではないでしょうか。

 

 そして「肉食・狩猟・闘争・戦争文明史観」(欧州中心文明史観:オス主導進化説)を批判し、「生命・生活文明史観」(非欧州文明史観:メス・子ザル主導進化説)を提案しました。下記の表は、一部、訂正しています。

 

 

2 乳児からみた人類進化

 この子どもの遊びの分析は私の長男の1歳児と3歳児の孫の観察からであったのに対し、昨年、晩婚の次男の0歳児の孫がほぼ1か月ごとにわが家にきたので、その観察からさらに乳児について考察を進めました。

 まず驚いたのは3カ月目にアイコンタクトがとれ、いろいろと声をかけると初めて少し笑ってコミュニケーションがとれたことです。

 4カ月目になると、話しかけると、笑顔だけでなく、「ウー、ウー」というような声で反応しました。また、年寄りのしわがれ声にもかかわらずシューベルトブラームスの子守唄を歌ってやると、気持ちよさそうに眠りに入るのです。この子守歌効果は、私の4人の子ども、8人の孫の乳幼児段階の全てに共通しており、サルと親子とは異なるヒトの特性といえます。

 5か月目の大きな変化は、姉(小2)、兄(3歳、5歳)たちが遊んでいる動きをずっと目で追いかけるようになり、食事時になると匂いに呼応して指を盛んになめ始めました。

 6か月目になると、抱いていると膝の上で立とうとし、後ろ抱きが不満で対面で相手をしないと満足しないようになり、ソファで抱いているより場所を変えたり外を見せた方が機嫌がいいのです。

 7か月目になると、それまで別々の動きであった両手が連携でき、指をにぎりあうなどの動きができるようになりました。

 8か月目になると、「ウー、ウー」などの単音だけでなく、初めて「マンマ」「ママ」らしい単語を発し、盛んに話そうとします。

 以上は短時間の、それも時々の体験ですが、乳児の知能の発達が急速に進むことが確認できたのは初めての経験でした。母子のコミュニケーション(識別―応答)と身近な姉・兄などの行動や会話の観察や模倣こそが知能の発達に大きな役割を果たすのではないか、と感じました。3歳児の孫の動きを見ても、5歳、7歳の兄・姉がしていることにいつも無理やりに混じっていき、喧嘩になることが多く、模倣学習が知能の発達に大きな役割を果たすと感じました。

 それは子犬・子猫同士がじゃれあうのと同じとも言えますが、犬・猫やサルと人間の決定的に大きな違いは、歌と会話・おしゃべりにあるのではないか、と考えます。「楽しい」こととオッパイ(糖質DHA食)こそが、人類の頭脳を進化させたのではないか、と考えます。―縄文ノート「107 ドーパミン からの人類進化論―窮乏化進化か快適志向進化か」「182 人類進化を支えた食べもの」参照

 

 「気候変動で熱帯雨林の食料が乏しくなり、サバンナに出て草食動物の死肉をあさり、狩りをするようになって人類は進化した」というようなオス主導の「危機進化説」「苦難進化説」「肉食・狩猟・闘争・戦争進化説」が欧州人、旧約聖書教の人たちは好きであり、マルクス主義者も「窮乏化論」「階級闘争史観」ですが、メス・子主導で美味しいこと、楽しいことを追及したことで人類が進化したという「美食進化説(糖質DHA食進化説)」「快適・快楽進化説」「共同進化説」こそ検証すべきと考えます。

 「縄文ノート25 『人類の旅』と『縄文農耕』、『3大穀物単一起源説』」では「2019年11月からNHKスペシャルで始まった食の起源の「第1集『ご飯』~健康長寿の敵か?味方か?~」によれば、アフリカの旧石器人の摂取カロリーの5割以上が糖質で主食が肉というのは間違いであり、でんぷんを加熱して食べると固い結晶構造がほどけてブドウ糖になって吸収され、その多くが脳に集まり、脳の神経細胞が増殖を始めるとされています。火を使うでんぷん食に変わったことにより脳は2倍以上に巨大化したというのです。肉食獣の脳が大きいこともなければ、脳の中は筋肉ではないのですから、「肉食進化説」は棄却されるべきでしょう。

 さらに、「第3集『脂』~発見!人類を救う“命のアブラ”~」ではオメガ3肪酸(青魚・クルミ・豆類など)が脳の神経細胞ニューロン)を形作り、樹状突起同士をシナプスニューロン間の接合部)で結び付け、高度な神経情報回路を生み出すのを促したとされています。

 猿から人間への頭脳の深化には魚食と穀類の組み合わせが有効であったのであり、海岸・河川地域での魚介類やイモ・イネ科穀類・ドングリ類の摂取こそが人類を猿から進歩させたのです」と書きました。

 「縄文ノート85 『二足歩行』を始めたのはオスかメス・子ザルか」ではボノボに見られるようなメス同士と子の群れでの採集活動や食物分配、子ども同士遊びなどはコミュニケーションと言語能力を高め、糖質とDHA摂取により急速に頭脳の発達を促したと考えられます」と書き、「縄文ノート88 子ザルからのヒト進化説」では、「脳の重量が0~4歳(特に0~2歳)に急増すること、前頭前野(思考や創造性を担う脳の最高中枢)のシナプスの密度のピークが4歳であること、ヒトのおっぱいの糖質の割合が牛の2倍と多いことなどから考えると、母親と行動していた子ザルこそ人類進化で大きな役割を果たした可能性、ひょっとしたら主役であった可能性です」「ヒトが話せるようになったのは、単に「コミュニケーションの必要性」だけでなく、「おしゃべりや歌」の遊びがあったと考えます。子どもの道具遊びや追いかけっこなどとともに、「遊び」は人類進化に大きな役割を果たしたのではないでしょうか」などと書きましたが、母子の乳児段階の濃密な言語・歌コミュニケーションと子ども同士の刺激(観察と真似による教育)こそが、人類の知能の発達に大きな役割を果たしたと考えます。

 これまで幼児と児童の遊びには注目していましたが、0歳児のおっぱい(糖質DHA食)と濃厚な母子言語コミュニケーション、年長児の遊びや言葉の観察・模倣が乳児の脳の発達にとって重要であることに初めて気づきました。

 

 

 霊長類学や文化人類学民族学からの人類起源説は、栄養学や乳幼児・児童の発達・成長と合わせて総合的に分析されるべきであり、欧州中心史観の「肉食・狩猟・戦争進化説」「男主導進化説」を見直すとともに、人類誕生史からの「三つ子の魂百まで」の乳幼児期子育ての重要性が再確認されなければと考えます。

 

3 子育て共同からの家族形成

 サルからヒトへの進化について、私はオス主導の「危機進化説」「苦難進化説」「肉食・狩猟・闘争・戦争進化説」ではなく、メス・子主導の「美食進化説(糖質DHA食進化説)」「快適・快楽進化説」「共同進化説」を提案しましたが、家族起源もまたメス・子主導と考えます。

 サルとは異なりヒトは家族を形成したことにより生存率を高め、教育機能を高めることができたのであり、家族誕生は人類進化に決定的に重要な役割を果たしたと考えます。

 私たち夫婦は1960・70年代の「同棲時代」のはしりで、「政略結婚」ならぬ「性欲結婚」とからかわれたものですが、性欲だけなら同棲でよく、家族形成にはならなかったと思います。結婚は妻が妊娠したことによる「できちゃった婚」であり、子育てを共同でしなければというのが私の意識でした。

 これまで家族の起源については、オスがサバンナに出て大型草食動物の死肉や狩猟により肉をえて、それを両手で抱えてメスのもとに行き、食欲と性欲を交換することにより家族が生まれたという、オス主導の「二足歩行、手機能向上、食欲性欲交換」家族誕生説が通説でしたが、このような私自身の経験とは合いません。

 「縄文ノート88 子ザルからのヒト進化説」(210728→0815)では、ケニアのアビシニアコロブスとブラジルのライオンタマリンという2つのサルの子育て共同からの家族誕生論をまとめています。

 

 メスの子育てを他のメスが助けるケニアのアビシニアコロブスと、オスが助けるブラジルのライオンタマリンは前者はオス主導、後者はメス主導の群れですが、いずれも子育てと群れの天敵からの防衛を通した共同体と家族形成の同時進行の萌芽が見られ、コンゴボノボからヒトへの進化の道筋を示しているように思います。いずれも熱帯雨林に住みながら、アビシニアコロブス・ライオンタマリンとボノボの大きな違いは、後者が地上・樹上生活をしている点にあり、ここに人類誕生の鍵があるように思います。

 草原での狩猟と肉食によって共同体と家族が生まれた、というフィクションは棄却され、共同体・家族形成と言語コミュニケーションによる頭脳発達が先行し、その後に小川・沼での二足歩行と手機能発達が進み、糖質・DHA食によりさらに脳機能の向上があり、最後に草原に進出して体毛の消失になった、と考えられます。

 

 

 オスはメスの採集・漁労による食事の間、子どもの面倒をみるとともに、時には肉を提供し、用心棒として家族を守ることにより、子どもの生存率を高めるとともに、さらに重要なことは、母子、父子、子ども同士の楽しいコミュニケーション、おしゃべりと模倣教育による知能向上を実現できたと考えます。

 糖質食は樹上生活で果物を食べることができるサルも可能ですが、DHA食となると水を怖がるサルには不可能であり、地上に降りで魚介類や昆虫などを食べるようになったサルこそがヒトへの進化を辿ることができ、さらに家族形成により乳幼児期の頭脳の発達を実現できたと考えます。

 

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

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 帆人の古代史メモ          http://blog.livedoor.jp/hohito/

 ヒナフキン邪馬台国ノート      http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

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