縄文ノート163 古代出雲大社復元に取り組んだ馬庭稔君逝く
同窓会の案内の続きかと思ったメールで、同期生の馬庭稔君が3月16日に急逝されたことを知りました。なんとも悲しく、残念でたまりません。
2020年春には出雲に行き、スサノオ・大国主建国論や八百万神信仰の世界遺産登録などを話し合いたいと新年に入って約束していたのですがコロナでダメになり、そのままで過ごしてしまったことが悔やまれます。
馬庭君は建築史を専攻して京都・出雲・東京に設計事務所を開き、住吉大社造を始めとする神社・寺社建築や宗教施設、公共施設などの設計で多くの功績を残し、出雲の古代史では京大建築学科同期生では一番詳しいと自負し、出雲では高齢者福祉施設や保育所を経営する郷土愛にあふれる方でした。
私が『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』の原稿を書いた時には読んで「間違いない」と出版を後押ししてくれ、屋根などの大改修中の出雲大社や西谷古墳群などを案内していただいたこともありました。その後もスサノオ・大国主建国論の研究を私が続けることになったのは彼のおかげです。
また、馬庭君は福山敏男京大名誉教授と大林組プロジェクトチームによる48mの古代出雲大社復元に取り組むという出雲古代史において大きな成果を残しました(『古代出雲大社の復元―失なわれたかたちを求めて』)。
しかしながら、私は縄文巨木建築と吉野ヶ里・原の辻遺跡の楼観から、出雲大社本殿の金輪御造営差図に書かれた「引橋長一町」は馬庭君が想定した「直階段(階:きざはし)」ではなく日本書紀に書かれた「高橋(桟橋)+浮橋(浮桟橋)」であり、外階段ではなく内階段との結論に達したので、私が書いたものを彼に送り、この4月には議論したかったのですが果たせないままになってしまいました。
もしあの世があるなら彼と酒を飲みながら議論したいところですが(雛元はしつこいなあ、と言われそうですが)、馬庭君とやりたかった「八百万神信仰」の世界遺産登録へ向けて、48mの古代出雲大社の現地復元を提案し続けたいと思います。
<参考ブログ>
・33 「神籬(ひもろぎ)・神殿・神塔・楼観」考(200731・0825・0903→1226)
・50 縄文6本・8本巨木柱建築から上古出雲大社へ(210208)
・140 縄文建築から出雲大社へ:玉井哲雄著『日本建築の歴史』批判(221024)
・141 出雲大社の故地を推理する(221027)
・145 岡野眞氏論文と『引橋長一町』『出雲大社故地』(230110)