ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート144 琉球の黒曜石・ヒスイ・ソバ・ちむどんどん

 琉球の黒曜石・ヒスイ・ソバ・ちむどんどんについての忘備メモです。琉球を起点とした交易と言語から日本列島人起源について考えてみました。

1 琉球の黒曜石

 縄文時代に腕輪になる琉球の貝が東北・北海道まで運ばれており、それは双方向の交易であり、黒曜石が琉球に運ばれていた可能性を考えていましたが、確かめていませんでした。

 沖縄おもしろ探険隊 シーカウ・アドベンチャーのホームページ:【沖縄で鉱物・パワーストーンを探したい!】 (hi-ho.ne.jp)http://www.cam.hi-ho.ne.jp/seacow/p/blog/44-okinawakoubutsu.htmlを見つけたので、紹介したいと思います。蛇足ですが、隊長の宮城明氏は所沢市生まれとのことで、隣の狭山市に住んでいたことのある私としては親近感を感じます。

 

 黒曜石が見つかるのは、沖縄本島中部恩納村仲泊にあるビーチ。火山の無い沖縄本島にはあるはずのない火山由来の鉱物「黒曜石」があるのです。・・・

 沖縄で初めて黒曜石が遺跡から出土したのは、1926年のこと。そして1977年には恩納村にある仲泊遺跡から出土した黒曜石の組成を調べることで、九州の腰岳の黒曜石であることが判明したのです。今では沖縄本島の16ヶ所から黒曜石が発掘されています。・・・

 海岸を散歩するだけで黒曜石を見つけられる可能性があるんです。

 この時代と現代との海岸線の違いや、川からの流出など、本当のところは分かりませんが、遺跡の近くの海岸に打ち上がることがあるんです。・・・
 仲泊遺跡の黒曜石は、沖縄の貝塚時代(紀元前1500年頃)のもの。なんと3500年前の品。しかも、九州の北部から沖縄まで、縄文人が荒波を渡って命を掛けて運んだ貴重品です。

 

 腰岳(こしだけ)北松浦半島佐賀県伊万里市にあり、「松浦富士」「伊万里富士」とも呼ばれる縄文人が好きな神名火山(神那霊山)ですが、海人族である縄文人の活発な交易活動が証明されました。

 

<参考資料>

⑴ 縄文ノート27 縄文の『塩の道』『黒曜石産業』考

 図のように、「貝と黒曜石とヒスイ」「丸ノミ石斧」「曽畑式土器」の分布は、海人族である縄文人は活発に交易を行い、妻問夫招婚を行う冒険心にあふれた海洋交易民であったことを示しています。・・・

 黒曜石文化でいえば、火山地域のエチオピアインドネシア→フィリピン→日本への「黒曜石の道」の可能性を「主語-目的語-動詞」族の移動、Y染色体Ⅾ型族の移動、イモ・縄文6穀の縄文農耕の伝播と合わせて総合的に検討すべきと考えます。

  

⑵ 縄文ノート44 神名火山(神那霊山)信仰と黒曜石

 現在、アフリカで『主語-目的語-動詞』言語の部族はエチオピアケニアなどの『アフリカの角』あたりに居住しており、エチオピアケニアタンザニアは黒曜石の豊富な産地であり、エチオピアとはお辞儀文化が共通することからみても、エチオピアの旧石器人が黒曜石文化を持ち、海岸に沿って東進し、インドネシアの火山地帯で再び黒曜石に出合い、さらに日本列島にやってきて死者の霊(ひ)を祀る信仰上の理由から高山に登り、その途中で黒曜石を見つけ黒曜石文化を確立した可能性が高いと考えます。

      

⑶ 縄文ノート61 世界の神山信仰

 チグリスユーフラテス川源流のアルメニアアララト山近くのアルテニ山(2046m)は「石器時代の大規模な武器工場」といわれ、ネアンデルタール人の時代から2000年前頃まで黒曜石の剣、手斧、削器、のみ、矢尻、槍の穂先などが製作され、その交易範囲はメソポタミアから地中海沿岸に及んでいたという資料が見つかりました。―2015年4月16日ナショナルジオグラフィック・ニュース「石器時代の大規模な『武器工場』を発掘」、『西アジア考古学』第11号前田修著「西アジア新石器時代における黒曜石研究の新展開」参照

 ・・・以上のようなメソポタミア、縄文、マヤの黒曜石文化をみると、これらは別々に発達したのではなく、黒曜石を生み出す火山の神山信仰とともに人類の東進によって広がったことが明らかです。・・・

 

2 琉球のヒスイ

 琉球の貝製品が東北・北海道に運ばれていることからみて、逆方向の交易が行われていた可能性が高く、現在のところ糸魚川のヒスイが種子島で発見されているだけですが、私は沖縄においても発見される可能性が高いと考えています。

 勾玉については神器としてずっと継承されてきている可能性があり、既存のヒスイ製品についても成分分析が必要と考えます。

 

<参考資料>

⑴ 縄文ノート12 琉球から土器(縄文)時代を考える

 首里城には、琉球神道における最高神女(ノロ)である「聞得大君」(きこえおおぎみ)が儀礼の時に身に着ける首飾りが展示してありましたが、越・糸魚川~出雲・玉造由来の翡翠の「勾玉(曲玉)」信仰が沖縄でも続いていることを示しています。

         

 勾玉(曲玉)は石垣島から沖縄本島の各地でも発見されていますが、土器時代から沖縄と日本海を結ぶ「ヒスイの道」があり、共通の宗教圏を構成し、それが女性によって担われていたことを示しています。・・・

 北海道など東日本の多くの縄文遺跡から発見されるイモガイやオオツタノハ貝などのうち、イモガイ・ゴホウラ・スイジガイなどの多くは奄美群島以南に産し、沖縄諸島などではこれらを大量に加工したとみられる遺跡も見つかっています。

  

 1988年に発掘された有珠モシリ遺跡から見つかった貝輪は、ダイミョウイモという琉球諸島以南の貝であることが明らかとなり、日本海に「貝の道」があったことが証明されました。ガンガラーの谷の武芸洞の約3千年前の人骨は巻貝のビーズの腕輪を付けており、北海道など東日本に多い貝輪の装飾文化との連続性が見られます。

         

 一方、糸魚川のヒスイは北は北海道、南は種子島にヒスイ製大珠が運ばれており、海人族の交易が琉球から北海道まで活発に行われていたことを伺わせます。

 

⑵ 縄文ノート27 縄文の「塩の道」「黒曜石産業」考

 琉球の貝を対馬暖流の「海の道」を通って東北・北海道まで運んだ海人族の広域交易性は、縄文山人族が中部・関東内陸部に移住しても維持され、「川の道」「川辺の道」などを通り、海と山間部を繋ぐ広域交易交通網を維持した可能性が高いと考えます。・・・

 図のように、「貝と黒曜石とヒスイ」「丸ノミ石斧」「曽畑式土器」の分布は、海人族である縄文人は活発に交易を行い、妻問夫招婚を行う冒険心にあふれた海洋交易民であったことを示しています。―「縄文ノート93 『かたつむり名』琉球起源説からの母系制論」参照 ・・・

 

縄文ノート81 おっぱいからの森林農耕論

 記紀をそのまま読めば、天皇家の祖先の笠沙天皇家3代(ニニギ・ホオリ・ウガヤフキアエズ)は鹿児島県の薩摩半島西南端の笠沙・阿多・長屋・竹屋の「毛のあら物、毛の柔物」を取る「山幸彦(山人:やまと)」であり、初代ニニギの妻の名は阿多都比売で、笠沙天皇家4代目の初代大和天皇家のワカミケヌ(若御毛沼:8世紀に神武天皇命名)の母と祖母は龍宮(琉球)出身の姉妹です。

 右派は「天皇家のルーツは日向」としてこれらの記載を無視し、左派は「記紀神話は8世紀の創作」としていますが、この記載は動かせない事実です。この点では左右の歴史家は協力して、笠沙天皇家3代の歴史を闇に葬ってきたのです。

 重要な点は、この笠沙天皇家3代の歴史を裏付けるような遺跡がいくつもこの地で発見されていることです。

 南さつま市栫ノ原遺跡からは国内最古の丸木舟製作用の12000年前頃の丸ノミ石斧やくんせい施設が発見され、後期旧石器時代から中世までの集落遺跡が連続しています。万之瀬川対岸の「阿多」には縄文前期の阿多貝塚があり、南西約10㎞のところには「笠沙」、南西約4㎞のところには「長屋」、西約2㎞のところには「竹屋神社」があり、天皇家のルーツがこの地であるとする記紀の記載を正確に裏付けています。

 図6のように縄文時代前期の曽畑式土器文化圏は沖縄から韓国に及び、南九州に分布中心があり、ウィキペディアは「朝鮮半島の櫛目文土器とは表面の模様のみならず、粘土に滑石を混ぜるという点も共通しており、櫛目文土器の影響を直接受けたものと考えられている」「南方性海洋性民族(南島系海人族)の担い手が、櫛目文土器の造り手(ウラル系民族)との接触により、影響を受けたものと考えられる」と単に土器様式の説明に終始していますが、「南九州の海人族が沖縄から朝鮮半島まで活発に交易を行っていた」と歴史として論じることを避けています。文化・文明は中国・朝鮮からもたらされた、という「和魂を忘れた漢才」の拝外主義的歴史観は未だに根強いことを思い知らされます。

          

 なお、古事記はニニギが『ここは韓国に向い、笠沙の御前(岬)を真来(真北)とおりて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。いとよき地だ』といって宮殿をたてて阿多都比売を娶ったと伝えていますが、この地の海人族が韓国と九州西岸を通る対馬暖流に乗って交易していたことを知って驚いたというのです。武器づくりに必要な鉄を入手できる可能性があるからです。実際には、琉球から鉄器を入手したことが、鉄の釣り針を巡る海幸彦との争いとして描かれています)。

 記紀に書かれた地名をきちんと読めば、図7に示したように天皇家の先祖とされるニニギの「天下り」のルートは、北九州からこの地に九州山地を通って笠沙・阿多にやってきたのです。―『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)参照

       

 卑弥呼なきあとの後継者争いの「相攻伐」で女王(壹与)派に敗れた男王(弟王)派のニニギの逃避行であり、天皇家の祖先が龍宮(琉球)と関りの深い薩摩半島縄文人の末裔の「山人(やまと)」であることを記紀は隠しておらず、「弥生人天皇国史観」など何の根拠もないことが明らかです。

 紀元1~3世紀の百余国のスサノオ大国主一族も、反乱を起こした30国をまとめた卑弥呼も、笠沙3代からの天皇家も、全て縄文人の末裔なのです。

 

3 琉球のソバ 

 約2.7万年前の日本最古の全身骨格が発見された石垣島白保竿根田原洞穴遺跡について、竿根田原を「さおねたばる」ではなく、白保で用いられている「そねたばる」とすべきではないかとの指摘が石垣市議会でなされているというウィキペディア記載を見つけました。白保竿根田原洞穴遺跡 - Wikipedia  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E4%BF%9D%E7%AB%BF%E6%A0%B9%E7%94%B0%E5%8E%9F%E6%B4%9E%E7%A9%B4%E9%81%BA%E8%B7%A1

 縄文ノート「125 播磨・吉備・阿蘇からの製鉄・稲作・古墳の起源論」「127 蛇行剣と阿曽地名からの鉄の伝播ルート考」において、私は古代製鉄が「曽系(阿曽・麻生・曽根系:インド系)」と「新羅系(中国系)」の2種類があるという説をまとめました。

 また、「縄文ノート109 日本列島そば好きラインー蕎麦と焼畑」においては、「ソバの日本への伝来は縄文時代まで遡る」「熊本県宇土市の曽畑貝塚『曽畑』という地名から『蕎麦田』を思い浮かべてソバの花粉が縄文時代の地層にないか調べるなど、視野を広げた研究を望みたいところです」と書きましたが、「曽畑」は「曽族の畑」であり、石垣島の「竿根田原」の「曽根田」は「曽族の根(根拠地)の田」を表している可能性もあります。

 ソバというと東南アジアから雲南の山岳地域が原産地であり、日本では北海道が一大産地であることからみて寒冷地の作物のイメージが強かったのですが、2021年の農林水産統計によれば、沖縄でもわずかながら46haに作付けされており、東京・神奈川・愛知・奈良・和歌山・愛媛・高知・佐賀を上回り、徳島と同じとなっています。

「縄文ノート25 『人類の旅』と『縄文農耕』、『3大穀物単一起源説』」では、縄文時代からアワ・ヒエ・キビは栽培されている痕跡があり、沖縄の久高島には『イシキ浜に流れ着いた壺(またはヒョウタン)の中に麦・粟・アラカ(もしくはクバ=ビロウ)・小豆の種子が入っていた』という伝承が伝えられており、アフリカ西海岸原産のヒョウタンに種子が入れられ、『海の道』を通ってやってきた可能性があります」と書きましたが、サツマイモ・ジャガイモなどが伝来する前は、琉球ではサトイモとともにソバも主食であった可能性があります。

 花粉などの直接証拠はありませんが、今後の調査課題です。

 

4 NHK朝ドラ「ちむどんどん」の「ぽってかす」「ちばりよー」「ちむ」

 縄文ノート「41 日本語起源論と日本列島人起源縄文」「93 『カタツムリ名』琉球起源説―柳田國男の『方言周圏論』批判」「94 『全国マン・チン分布考』からの日本文明論」「97 『3母音』か『5母音』か?―古日本語考」などにおいて、私は大野晋氏の「倭音倭語ドラヴィダ(タミル)語起源説」とともに「琉球弁北進・東進説」を展開し、DNA分析や農耕・食文化などと合わせて日本列島人起源論を追究してきました。

 今、NHK朝ドラ「ちむどんどん」を見ることがあり、「ちむ」「ちばりよー」「ぽってかすー」が「きも」「きばりよー」「ぼけかす」であることを私なりに説明したいと思います。

 まず、日本語には、「『さみしい』と『さびしい』、『さむい』と『さぶい』、青森の『ねぶた』と『ねむた』、寅さんで有名な『柴又(しばまた)』と平安時代の『嶋俣(しままた)』、旧甘木市の『蜷城(ひなしろ)』の『美奈宜(みなぎ)』神社、大国主出雲大社の『御巣(みす)』と『日栖 (ひすみ)』、女性器語の『へへ』と『メメ』のような、『は行とま行』の音韻転換」があることです。 

 同じように「ち行とか行」にも音韻転換があり「ち=き」から「ちばりよー」は「きばりよー」になり、沖縄では「あいういう」5母音であることから「まみむみ=まみむめ」であり、「ちむ=きも」なのです。

 

 また「ぱ行」が「は行・ば行」に変わることから、「ぽ=ぼ」になり、「ぽってかす=ぼけかす」になったと考えます。

 柳田國男氏らは、古い本土倭語が方言として周辺の沖縄に残ったいう説であり、氏の日本民族南方起源説とは正反対の分析を行っていますが、日本語は琉球から北上・東進して広がっているのです。

 私は記紀や地名の検討においては、沖縄や出雲に残る古い倭音倭語により分析する必要があると考えており、ましてや呉音漢語・漢音漢語で分析するなど問題外と思っています。

 魏書東夷伝倭人条の「一大国」の「大」を「支」の書き誤りとし「壱岐国」に当てるのではなく、「一大国(いのおおくに)」と読むと古事記の「天比登都柱(あめのひとちはしら)天一柱」と符合し、「邪馬壹国」は「やまのいのくに」として、壱岐の海人族の進出拠点となるのです。

 なお、子どもが「か行」を言えない時の原因。カ行がタ行になる時は4歳ごろから練習が必要かも | ことば発達セラピーKIZUKI (kotobast.com) https://kotobast.com/2020/01/18/post-1160/は、「か行の音は、舌の奥の方(奥舌)を挙上させることによって構音しています。構音の発達には個人差がありますが、かきくけこの発音が可能になるのは3歳〜4歳ぐらいのことが多いです。・・・か行が言えず、他の音に言い換えるケースで最も多いのが、「か行」を「た行」に言い換えて発音している場合です」としていますが、歴史的には「た行」の発音であったのが、後に「か行」に変わるようになったのではないか、と考えます。

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(前同42号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(前同43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/