縄文ノート141 魚介食進化説:「イモ・魚介、ときどき肉食」その2
私が西欧中心史観の「肉食進化説」を批判するようになったのは、縄文社会研究で「縄文狩猟社会説」と「縄文人ドングリ主食説」に反発したことからでした。
その出発点は、私などの戦後に育った世代の生活実感として、そもそも肉食はめったいないごちそうであり、瀬戸内海の沿岸では毎日のように魚介類を食べていたことや、夏休みに田舎に行くと、1か月の間、毎日網を持って従兄弟と川に行き、時々、海にも行き、キスやハゼを釣り、アサリ・ハマグリ・マテ貝などを獲っていた体験にあります。春には、毎年、親戚一同で潮干狩りに行くなど、川や海の幸は実に豊かだったのです。
別の従兄弟たちとは和舟で艪を漕いで釣りをし、千歳空港でイタオマチプ(板綴り船)の展示をしていた秋辺得平氏(元北海道アイヌ協会副理事長)に出会い、「アイヌは漁民である」「沖縄のサバニと同じ構造」と聞いたことも、旧石器・縄文時代からの魚食文化に確信を持たせました。
さらに、「栗(九里)よりうまい十三里」という江戸から十三里の川越のサツマイモの売り文句ではありませんが、私はサツマイモや里芋、山芋、ジャガイモなどの「イモ好き」であり、米などの穀類以前の主食がドングリ・クリであるとはとうてい考えられませんでした。播磨の母方の田舎で、十五夜の縁側のお供えが生の里芋であり、甘いダンゴではなかったのでガッカリしたことは子ども心に忘れられませんが、全国各地で同じように芋祭りが行われており、正月の丸餅の雑煮のルーツは里芋の輪切りという話もラジオで聞いて知っていました。また、昔はおやつとしてそら豆や大豆、葛湯やきな粉・はったい粉(香煎、麦焦がし)もよく食べていました。
このように、昔の多くの日本人の生活や祭りなどの伝統からみて、人類の起源に遡ってみても「肉食進化説」は私にとては信じられるものではなく、「海辺の熱帯雨林人類進化説」「糖質・DHA食(イモ・マメ・魚介食)人類進化説」「縄文人イモ主食説」「縄文農耕鳥獣害対策狩猟説」などについてこれまで書いてきましたが、今回は「魚介食進化説」について補強しておきたいと考えます。
1 「肉脳」説から「イモ・魚介食脳」説へ
某球団の有名な監督は現役時代、脳みそが筋肉でできている「脳筋」と呼ばれていましたが、人類は石槍で狩りをし、肉食によってサルからヒトになったという「肉食人類進化説=脳筋説」がいまだにまかり通り、研究者・マスコミでも「脳筋派」が主流のようです。なお、この某有名監督は運動神経抜群であれこれ考えなくても打てたので、「脳筋」は彼をバカにしているのではなく「アホやなあ」がほめ言葉の大阪人にとっては愛すべき「すごいなあ」の呼び名であったのであり、私も好きでしたが・・・
旧約聖書やユダヤ教の食物に関する戒律・カシュルートでは「ヒレやウロコがない魚を食べてはいけない」と書かれており、アフリカで大好物のナマズやサメ・エイ・イカ・タコ・エビ・カニ・貝類などを避けるからでしょうか、『サピエンス全史』の著者ユバル・ノア・ハラリ氏もまた狩猟大好き派の「肉食人類進化説」です。貝塚をよく知っている日本の歴史学者・考古学者は、「隠れ日ユ同祖説信者」「単なる翻訳研究者」ではないならば、石槍を持った男性中心の「狩猟進化史観」「肉食進化史観」に対し、異を唱えるべきでしょう。
ちなみに、「採集・狩猟・漁労(漁撈)」の語順についてインターネットで検索してみると、私などの化石世代が習った男中心史観の「狩猟・漁撈・採集」が6.4万件に対し、「採集・狩猟・漁撈」が16.9万件、「採集・漁労・狩猟」は30万件であり、女性・子ども中心の「採集中心史観」に変わってきていることは、世界の中で日本の歴史・考古学が最先端であることを示しています。
「採集・漁労食中心説」の日本の縄文研究者こそ「魚介食文明」についてもっともっと発信し、ユダヤ・キリスト・イスラム教の西欧中心の「肉食人類進化史観」「男性進化主導史観」を覆し、全国各地の縄文遺跡の世界遺産登録を進めて「狩猟・殺戮・戦争文明史観」の人類史に変えるべきでしょう。若い世代の研究者に期待したいのですが、先輩たちの後追いの「閉じられた島国根性」の「重箱の隅研究」に明け暮れている場合ではないと考えます。「イモ」の研究者が世界で20人しかいない、というところから縄文研究をやっている場合ではありません。
生活習慣病が広がり、異常気象による食料危機や工業化された大規模畜産による化石水の枯渇(アメリカ)やメタンガスの温室効果、放牧による森林破壊(アマゾン)や過放牧による砂漠化などが心配されている現在、間違いだらけの「肉食人類進化史観」に対し科学的な批判が求められ、イモ食や焼畑のソバ食、魚介食こそ重視されるべきと考えます。
2 ゴリラ、チンパンジー、ボノボ(ピグミーチンパンジー)、ヒトの食物の違い
草食動物や肉食動物が進化せず、小さく弱くて樹上に逃げた雑食のサルからヒトに進化し、雑食の犬や鳥の知能が発達したことを見ると、頭脳が大きくなりその機能が発達した進化には、食事と生活の両方が関係しているのではないか、というのは子どもでもわかる推理ではないでしょうか? 肉食獣が一番かしこくはならなかったのです。
体を大きくして肉食獣から群れを守り地上で暮らしほとんど樹上に登らないゴリラは「硬い木の葉や樹皮、根などを食べられるように頑丈な歯と胃を持ち、長大なそしゃく器官と消化器官を収める大きな体を発達させた」「地上にはセロリやアザミなど、水分に富んだおいしい草がふんだんにあり、マウンテンゴリラは一年中それらの草を食べて暮らしている」「ゴリラも甘い果実が大好き」「サファリアリや、樹上にフットボールのような形の巣を作るツムギアリ、お尻を上げてピコピコ歩くシリアゲアリなどをよく食べます」(山極寿一:ゴリラの好物って何? | どうぶつのくに.net (doubutsu-no-kuni.net))とされていますが、小さくて主に樹上で暮らし地上にも降りる脳容量は400gほどのチンパンジーやボノボ(ピグミーチンパンジー)がゴリラよりも知能が高く、さらに脳容量1200~1400gもある人間との違いがどこにあるのでしょうか?
このサル・チンパンジー・ボノボ・ヒトの主な食料の比較から明らかなことは、サル・ゴリラ・チンパンジーからボノボ(ピグミーチンパンジー)さらにヒトへの大きな飛躍は、魚介食にあるのではないか、と考えざるをえません。次に脳科学からみてみたいと思います。
3 脳の働きを支える物質と役割
脳科学の発達はめざましく、図1・図2のように、脳の認知・記憶・分類・推測・判断・創造・想像などの総合的な働きを行う神経細胞の巨大なネットワークのメカニズムが解明されてきています。
筋肉を増やすプロテイン(タンパク質サプリメント)を飲んでいれば、脳が活発に働くというのではないのです。
表4は脳を構成する物質の働きを、ウィキペディアなどからまとめたものです。
この表から明らかなことは、脳はタンパク質や脂肪で形成され、脳の神経機能はオメガ3脂肪酸やリン脂質、カルシウムなどにより機能を発揮し、糖質によって動きます。
重要なことは、「DHAは精液や脳、網膜のリン脂質に含まれる脂肪酸の主要な成分で、脳の記憶装置の『海馬』に特に多い」「オメガ3脂肪酸(DHAなど)の欠乏により学習能力、視力の低下をきたす」「オメガ3脂肪酸は授乳期の赤ちゃんの脳や体の発育に欠かせない脂肪酸で、シーフードをたくさん摂取するところほど母乳内のDHAは高い」という点であり、人類の脳の発達にDHAを始めとした脳構成物質の摂取が欠かせなかったことです。
なお、神経伝達物質のドーパミンについて、ウィキペディアは「運動調節、ホルモン調節、快の感情、意欲、学習などに関わる」「中脳皮質系ドーパミン神経は、とくに前頭葉に分布するものが報酬系などに関与し、意欲、動機、学習などに重要な役割を担っていると言われている。新しい知識が長期記憶として貯蔵される際、ドーパミンなどの脳内化学物質が必要になる」としており、「幸せホルモン」とも呼ばれています。―「縄文ノート107 ドーパミン からの人類進化論―窮乏化進化か快適志向進化か」参照
ボノボが疑似性的行為で親しくして対立を和らげ、ヒトがキス・抱擁で挨拶したり、ボノボが発情期とは関係なくセックスすることや、ボノボやヒトのメス・子どものおしゃべりや歌(音声コミュニケーション)、さらにはボノボの水浴や水中食物の採集、ヒト族の移動・拡散などをみると、「幸せホルモン・ドーパミン」により「楽しいことをする」ことが人類の発達に繋がった可能性が高いと私は考えており、それは必須アミノ酸・トリプトファン食によって可能となったと考えます。
4 魚介食こそがヒトの脳の発達を支えた
「表2 サル・大型類人猿・ヒトの主な食料」と「表4 脳を構成する物質と働き」とをまとめると、次の「表5」になります。
表2と表5を合わせ、入手可能性を加えて検討すると、草食動物や肉食動物と較べて樹上のサルは果実・昆虫食によって知能を発達させ、ゴリラ・チンパンジーにはマメ食が加わり、ボノボとヒトはさらにイモ・魚介食によって脳の機能を高めた可能性が高いと考えます。
5 アフリカ熱帯雨林での魚介食
チンパンジーからボノボ、さらにヒトへと魚介食によって進化した可能性については、すでに次のような例を挙げてきました。
⑴ 縄文ノート70 縄文人のアフリカの2つのふるさと 210422
<若月利之島根大名誉教授からの返事>
① ナイジェリアの3大部族は北のハウサ(イスラム、軍人向き?)、南西のヨルバ(キリスト教と祖霊信仰、文化人向き)、南東のイボ(キリスト教と祖霊信仰、科学者向き?)と言われています。
② イボにはJujuの森があり、日本のお地蔵さまと神社が合体した「聖なる」場所は各村にあります。③ イボの根作は多様性農業の極致です。
④ イボ(とヨルバ)の主食はヤムもち(日本の自然薯と同種)で、大鯰と一緒に食べるのが最高の御馳走。古ヤムのモチは日本のつき立てものモチよりさらにおいしい。貝は大きなタニシをエスカルゴ風に食べます。男性の精力増強に極めて有効。
⑵ 縄文ノート84 戦争文明か和平文明か 210712
『アフリカを歩く』(加納隆至・黒田末寿・橋本千絵編著)によれば、コンゴ(ザイール)の人たちはティラピア・ナマズ・ウナギ・ナイルパーチ・小魚・カニ・エビ・オタマジャクシ・カエル・ヘビ・ミズオオトカゲ・カメ・スッポン・ワニなどを食べており(安里龍氏によれば最も美味なのはミズオオトカゲ)、一般的な漁法は女性や子どもたちが日常的に行う「プハンセ(掻い出し漁:日本では田や池の水を抜く「かいぼり」)」(武田淳氏)で、他にも多種多様な漁法で魚をとっているというのです。
私はサルが水を怖がることから、ヒトもワニや大蛇、カバなどを恐れて川に近づくことを怖がったのではないかと最初は思いましたが、ニジェールに海外協力隊員として赴任していた次女に聞くと肉は貴重なのでワニを見つけると捕まえて食べると言っており、武田氏によれば「ワニを見つけた女性は、いち早く山刀で頭部を叩くように切り付けて殺し、家に持ち替えって調理する」(前同)というのです。
⑶ 縄文ノート85 「二足歩行」を始めたのはオスかメス・子ザルか 210713
熱帯雨林の小川や沼、海に浸かって毎日のように顔だけ水上に出して立って足で何時間も泥や砂の中の獲物を探していたサルのメスや子たちは、浮力によって長時間直立することは容易であり、オスが草原で獲物を追うよりもはるかに早い段階で二足歩行を定着させた可能性が高いと考えます。
⑷ 縄文ノート89 1段階進化説から3段階進化説へ 210808
チンパンジーが3歳で食の自立を果たせることからみて、この時期に水を怖がらないボノボの母親と子ザルは首まで水に浸かり足を伸ばして水中の川底や沼底のミミズや根粒菌などの採集活動を毎日、数時間、浮力の助けを借りながら二足歩行して行ってきたサルの生存率は高く、人類の先祖となったと考えられます。・・・
私は子どもの頃、母の田舎に行ったとき、たつの市(旧御津町)の新舞子に潮干狩りや海水浴に必ずのように行きましたが、当時(昭和20・30年代)は立って足で砂を掘るとハマグリやアサリが実によく採れました。泳ぎに飽きると貝を足で掘り、足指で挟んで拾い上げ、海水パンツに入れたものです。
⑸ 縄文ノート92 祖母・母・姉妹の母系制 210826
『アフリカを歩く』の中で武田淳氏(執筆時:佐賀大教授)は「森の生活をもっとも安定させてきたのは、コンゴ盆地のなかを毛細血管状に発達した大小の河川で捕れる魚類なのである。とくに女性と子どもたちが日常的に従事するプハンセ(注:搔い出し漁)を通して供給される動物性たんぱく源の安定した補給が大きく寄与している言える。もっともシンプルであるが、捕獲がゼロということはありえない、もっとも確実な漁法であるからである。
・・・(3~4月)種類数も29種ともっとも多くなる。水生のヘビ類やワニの捕獲がこの時期に多いのも、その活動が活発になることを裏付けるものである。一方、女性や子どもたちが食用幼虫類の採集に集中する8~9月は、魚の摂取頻度が12種ともっとも少なく、3~4月の半分以下になる」と紹介していますが、女性たちは子どもとともに、植物食だけでなく、魚介類・爬虫類・昆虫を安定的に実現していたのです。
6 アフリカ西部・中部での魚介食
さらに現在のアフリカ西部・中部での魚介食についてホームページから検索すると、次のように魚介食は肉食を上回わっていると思われますが、さらに関心のある方は留学生や大使館、アフリカ研究者などにヒアリングして確かめてみて下さい。
⑴ 西アフリカ料理(ウィキペディア)
https://en.wikipedia.org/wiki/West_African_cuisine
西アフリカ人は過去にはるかに多くの野菜とはるかに少ない肉を食べましたが、今日では彼らの食事は肉、塩、脂肪が重いです。シーフードは海岸沿いで特に人気があり、多くの料理が魚と肉の両方を組み合わせています。シーフードは、西アフリカで最も一般的なタンパク質源の1つです。
この地域ではシーフードが非常に普及しているため、この産業は労働力の4分の1を占めています。乾燥魚や燻製魚は、他の多くの料理のアンチョビやベーコン風味の食品とほぼ同じように、ソース、シチュー、調味料を含む他の料理の多くを味わう。それはしばしばフレークで油で揚げられ、時には唐辛子、タマネギ、トマト、様々なスパイス(スンバラなど)と水で作られたソースで調理され、微妙な風味の信じられないほどの組み合わせを作り出します。
⑵ 家族で漁に出る理由(カメルーン) | アフリック・アフリカ (afric-africa.org)
https://afric-africa.org/essay/country/cameroon-essay/fish02/
アフリカの漁労民と言うと、東アフリカ大湖地帯の湖や、西アフリカのサバンナの専業漁民が有名だが、熱帯雨林各地にも、森や川の生態を巧みに利用する漁労文化が人びとの生活に深く根付いている。森に棲む人びとの漁労活動の特徴は、多様な魚種(ジャー川流域だけで160種以上)や水棲動物を対象とした漁法の多様性(カメルーンのバクウェレ人だけで、25種類以上)にある。河川本流で行う成人男性中心の漁だけではなく、森林内を流れる小河川の水を堰き止めたり、森林内のみずたまりの水をかいぼりして中の魚をつかみ取る掻い出し漁など、女性やこどもの得意とする漁が含まれていて、参加者の多くはなんらかの漁で活躍できる。
⑶ 辛くて美味しい!ナイジェリア料理を大紹介
https://africalove.jp/nigeria-food/
・クロッカーフィッシュ:ナイジェリアで広く食べられている魚
・サバ:ナイジェリアではサバも結構食べられています。
・ティラピア:西アフリカで広くたべられている淡水魚。
・キャットフィッシュ(ナマズ):「ナイジェリア人は1日に100万匹以上以上なまずを食べるんだぜ!」と聞いて、「絶対嘘だ。」と思っていましたが本当でした。 ナマズの屋台が街のいたるところにあります! 1つのナマズを3-4人で食べるので、人口2億のナイジェリアだと確かに1日100万匹くらいは消費している計算になります。
⑷ ナイジェリアの食文化を紹介。卵を食べると泥棒に!?
https://www.olive-hitomawashi.com/column/2018/08/post-2800.html
・南部と北部で大きな差があり、貧困と宗教制限から、肉料理を食べられるのは富裕層だ。主食は芋である。
・魚はナマズなどの川魚が多く、ナイジェリアビールの「スター」と合わせて、肉や卵は大人だけの贅沢品として食べられることが多い。
⑸ JICAが伴走するアフリカの食
https://www.facebook.com/jicapr/posts/4657858450916932
西アフリカ・ギニアでは、魚は大切なおかず🐡
沿岸部ではニシンや海ナマズの仲間、内陸部では川の恵みであるナマズやティラピアなどスープや煮込み、燻製などにして日々の食卓に並んでいます🍲
⑹ 西アフリカ・セネガルの「国民食」と言えばチェブジェン…魚の煮汁の炊き込みご飯
https://www.yomiuri.co.jp/hobby/travel/20220511-OYT1T50119/
・西アフリカ・セネガルの「国民食」と言えばチェブジェン。地元のウォロフ語で「チェブ」は「コメ」、「ジェン」は「魚」。文字通り、魚の煮汁の炊き込みご飯だ。・・・雑穀類に代わり主食になったコメと、地元で取れた新鮮な魚が出会って生まれたのがチェブジェンだ。
・大西洋に面する港町ダカールは、高層ビルがそびえる中心部のすぐそばに漁港が散在し、新鮮な魚が次々に水揚げされる。焼き魚にタマネギソースをかけた「ヤッサ・ポワソン」とご飯の組み合わせも、セネガル料理の定番だ。
・セネガルでは、ハタの一種の「チョフ」が国民魚とされ、チェブジェンにもよく使われる。「ヤーフ」のほか、ニシンの仲間の「ヤボーイ」も人気だ。身が軟らかく、「ポワソン・バナヌ(バナナ魚)」と呼ばれる魚も、ダカールの魚市場に並んでいた。
7 狩猟・肉食進歩史観からイモ・魚食進歩史観へ
アフリカ人のイメージは南部のブッシュマンに代表される槍や弓で大型草食動物を狩る肉食の狩猟民のイメージが強いのですが、以上から明らかなように、アフリカ西部・中部の海岸沿いの熱帯雨林では「森林内を流れる小河川の水を堰き止めたり、森林内のみずたまりの水をかいぼりして中の魚をつかみ取る掻い出し漁など、女性やこどもの得意とする漁」が行われ、脂肪・タンパク質は魚でとっているのです。そして、その地域こそ、Y染色体D型の縄文人が分岐したE型人が住み、ゴリラ・チンパンジー・ボノボが棲む地域なのです。
イモもち食がアフリカ西部熱帯雨林地域や雲南、北海道で行われ、米もち食が東南アジア高地と日本にあることとも重なります。
「アフリカ人=狩猟肉食民」の思い込みから「ホモ・サピエンス=狩猟肉食民」とする誤った類推とともに、「アイヌ==狩猟肉食民」の思い込みから「縄文人=狩猟肉食民」の誤った類推を捨てるべきです。
次回は「もち食」について検討したいと思います。
□参考□
<本>
・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)
・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)
<雑誌掲載文>
2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)
2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)
2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)
2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)
2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(前同42号)
2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(前同43号)
2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)
2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)
<ブログ>
ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina
ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/
帆人の古代史メモ http://blog.livedoor.jp/hohito/
邪馬台国探偵団 http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/
霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/