「縄文ノート120」の追加修正
昨日の「縄文ノート120 吉備津神社と諏訪大社本宮の『七十五神事』」の最後の内容が尻切れトンボに終わっており、次のような追加修正と少しだけ部分修正を行いました。
もとに戻って見直していただくか、以下、目を通していただければ幸いです。
5.「七十五神事」の起源について
丸谷氏の「ユダヤ人起源説」には私は同意できませんが、「七十五神事」がアフリカあるいはメソポタミアで始まり、それがイスラエルと日本に別々に伝わり、吉備から諏訪に伝わった可能性はある、と私は考えます。
私の縄文研究は次女がアフリカのニジェールに青年海外協力隊員として行き、鳥浜遺跡や三内丸山遺跡の「ヒョウタンのルーツがニジェール川流域」であり、人類大移動の水筒として「海の道」を通って日本列島に伝わったのではないか、という南方起源説からでした。「人類手ぶら大移動」ではなく、人とともに、物や文化・宗教なども伝わったと考えたからです。
そして「Y染色体Ⅾ型」「主語-目的語-動詞(SOV)言語」「宗教語・農耕語」「イネ科植物」「粉食」「魚介食」「モチ食・そば食」「黒曜石」「おじぎ文化」「白山信仰(神山天神信仰)」「ヒ(ピー:霊)信仰」「社叢(鎮守の森)」「妊娠女性・女神信仰」「性器信仰」「小正月のホンガ(ポンガ)のカラス行事」「山車とワッショイの掛け声」「龍神(トカゲ龍・龍蛇)信仰」など、私は人類大移動とともにアフリカ・メソポタミア・インダス・インド東南アジア高地などからDNAや言語、農耕、文化、宗教が日本列島に伝わったことを明らかにし、「七十五神事」もまた同じようにそのルーツがアフリカ・アジアの移動ルート上のどこかにある可能性が高いと考えます。
もちろん、技術・文化・宗教なども「多地域発展」の「偶然の一致」もあるとは思いますが、人類が石槍だけもって世界に拡散したとは考えられず、人類の発展史と同じように「アフリカ単一起源説」でまずは考え、そこから「多地域発展」の部分を引き算すべきと考えます。
丸谷氏発見の吉備津神社「七十五膳据神事」と守矢氏の「七十五鹿頭の御頭祭」「年内七十五度の神事法秘伝」の「七十五祭祀」の一致は重要な指摘であり、私が考えて来た諏訪の守矢氏のルーツが備前赤坂のスサノオ系物部氏一族という説と符合しますが、さらにそのルーツは世界的な視野で研究する必要があると考えます。
この「七十五神事」について、吉備と諏訪の地元のみなさんを始め、さらに探究が進むことを期待したいと思います。