ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート86 古代オリンピックとギリシア神話が示す地母神信仰

 「縄文ノート76 オリンピックより『命(DNA)の祭典』をアフリカで!」を書いたところ、先日、友人が「1994年の夏 ギリシャ旅行をした時に撮った写真です。ひょっこり出てきました」とオリンピアの写真を送ってくれました。

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 縄文ノート76では古代ギリシア人は、北方から侵入して支配者となり、各地に植民地をもうけて奴隷制度を確立した侵略民族の「軍国主義国」であり、オリンピックは「軍事教練の延長」の「一時休戦の戦技を競う男の祭典」であり、「ポリス(都市国家)同士の戦争・覇権争い」を止めさせる効果など乏しく、「平和の祭典」などとは言えないことを明らかにしました。そして、平和のためには全人類の故郷のアフリカで「命(DNA)の祭典」やるべき、と提案しました。

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 ナショナリズムとイベント経済を煽るスポーツ祭典ではなく、人類の誕生地で、奴隷制度や人種差別、植民地支配、軍国主義、不均等発展を考える機会が必要と考えます。

 私はギリシャや古代四大文明などはもともとは母系制社会ではないかと分析を進め、さらに遡ってアフリカでのヒトの誕生はメスと子ザルが主導したという小論を書いたところであり、オリンピックやギリシャ神話から母系制社会の歴史を考えてみたいと思います。

 

1 オリンピックは「伝染病まん延防止」の一時休戦

 ウィキペディアによれば、「古代オリンピックの始まりは紀元前8世紀にまでさかのぼる。伝染病の蔓延に困ったエリス王イフィトスが争いをやめ競技会を復活せよと言うアポロンの啓示を受けた事に由来すると伝えられている」「伝染病の蔓延に困ったエーリス王・イーピトスアポローン神殿で伺いを立ててみたところ、争いをやめ、競技会を復活せよ、という啓示を得た。イーピトスはこのとおり競技会を復活させることにし、仲の悪かったスパルタ王・リュクールゴスと協定を結んだ。オリュンピアの地に武力を使って入る者は神にそむくものである、というもので、この文字が彫られた金属製の円盤がヘーラーの神殿に捧げられた」というのです。

 「伝染病まん延防止のためのオリンピック」という原点から考えると、世界で400万人の死者を出した新型コロナ感染症の拡大を招きかねない「平和の祭典」「復興オリンピック・パラリンピック」などに私は賛同できません。スポーツは好きですが、やりたいなら全世界の感染死者を通常のインフルエンザレベルに抑え込んでからと考えます。そのために医療・製薬・保健などの分野で世界貢献した方が、日本は全世界の人々から評価され、尊敬されるに違いありません。新興感染症への医療・製薬後進国の日本がスポーツ祭典で浮かれてメダル数を競っている場合でしょうか? 

 第1次世界大戦中の軍隊から感染症が爆発的に広がった「スペイン風邪」では感染者は5億人、死者は5000~1億人以上にのぼり、第1次世界大戦の約1600万人(うち1/3はスペイン風邪)の死者よりも1.4~2.7倍も多いとされています。この点からみても、集団行動の軍隊は感染症の温床になるのです。古代ギリシアにおいて疫病が流行った時にも戦争などやっている場合ではなかったと思われ、少数の選抜者による競技に切り替えたのです。平和を求めてではなく、「戦争の代わり」であり「停戦」の時間稼ぎだったのです。

 なお、聖火リレーは近代オリンピックでヒトラーナチスがベルリン大会から始めたもので、ドイツ国民は最も純粋な「アーリア人」であり、その先祖がスパルタ人であるという空想(実際にはアーリア人はイランやアフガニスタン・インド北西部に分布)をアピールするためにギリシアからベルリンへと聖火をリレーしたものであり、古代オリンピックとは何の関係もありません。古代オリンピックにはないナチス聖火リレーを真似したがる人たちというのはなんとも不気味です。日本列島人の祖先は「スパルタン」なのでしょうか?

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 このゲルマン民族の起源をギリシアに結び付けようとしたナチスの「アーリア人説」やイギリスの中東からインドにかけての支配を正当化しようとした「インド・ヨーロッパ語族説」などとともに、オリンピックの聖火リレー帝国主義時代の古くさい遺物として見直すべきでしょう。

 

2 オリンピックは女神・ヘーラーに捧げられた祭りであった

 「オリュンピアで行われるオリュンピア祭は、ギリシアにおける四大競技大祭のうちの一つであった」とされ、その開催地や祭神は次のとおりです(ウィキペディアによる)。 f:id:hinafkin:20210718180500j:plain

 

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 それぞれの競技大会の祭神はゼウス・ポセイドン・アポロンの男性神ですが、エーリス王・イーピトスとスパルタ王・リュクールゴスが競技場での停戦の協定をギリシア神話最高位の女神・ヘーラー(ヘラ)の神殿に「金属製の円盤」に記して捧げた、という伝承は見逃せません。女神・ヘーラーはゼウス・ポセイドン・アポロンなどより上位の最高神だったのです。

 エーリス王・イーピトスとスパルタ王・リュクールゴスが停戦の誓約を男神・ゼウスにではなく女神・ヘーラーに対して行い、スパルタの選手(戦士)が敵地エーリスのオリンピュアで競技を行ったということは、女神・ヘーラーこそが最高の神として両国で認められていたことを示しています。だからこそ両国の停戦とその競技者(戦士)の安全を保証できたのです。

 アテナイ世界遺産アクロポリスの「パルテノン神殿」と「アテーナー・ニーケー神殿」には女神アテーナー(ゼウスの子で飲み込まれ、頭の中で成長した)が最高神として祀られ、「エレクテイオン」神殿はアテネ・ポセイドン・エリクトニオス(アテネの子とも)に捧げられたとされていることをみても、ギリシアが母系制社会であったことを示しています。

 なお、競技・観客はもともとは男のみで行われ、その理由として「裸での競技」「男色」などがあげられていますが、群馬県片品村の金精の2つの祭りが山の神(女神)に金精を捧げる祭りであるため男だけで行い、女神が嫉妬するので女性は参加できないとされていることからみても、オリンピアの祭りはもともとは女神・ヘーラーに捧げる宗教行事であった可能性があると考えます。

 「ヒーロー=英雄」の語源説がある女神・ヘーラー(ヘラ・ヘレ)は「貴婦人、女主人」を意味し、結婚・母性を司る「生命の女王」とされていたのであり、男の戦争とは対立する女神でした。男性中心思想の西欧中心主義の歴史観からではなく、母系制社会の視点でオリンピックを分析すべきなのです。

 蛇足ですが、甲斐よしひろの「HERO ヒーローになる時 それは今」の「HERO ヒーロー」は「HEROINE ヒロイン」とすべきでは、などと考えます。  

 

3 親子婚・兄妹婚のギリシア神話は母系制社会から父系制社会への転換を示す

 女神・ヘーラー(ヘラ・ヘレ)はゼウスの正妻とされています。一方、ガイア(地母神:天を内包した世界神)とウーラノス(天空神)の息子・クロノスと娘・レア(クレタ島地母神の可能性)から、ハーデース(冥府の神)、ポセイドーン、ゼウス、ヘーラーの4兄弟姉妹が生まれたとされていますから、ゼウスとヘーラーは兄妹になります。「クロノスとレア」「ゼウスとヘーラー」は2代続けて兄妹婚になるのです。

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 また始祖神のガイアはウーラノス(天空神)を産み、ウーラノスと親子婚したとされています。

 このようなギリシア神話の親子婚と兄妹婚は何を示しているのでしょうか?

 ガイア・レアー・ヘーラーという母系神話と、ウーラノス・クロノス・ゼウスという父系神話が合体されたため、親子婚や兄妹婚の神話が生まれたと私は考えます。

 

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 どちらかのスッキリとした物語にできたにも関わらず、ホメーロスらががそうしなかったのは、母系制社会の歴史を抹殺することなく、父系制社会への移行という真実を伝えるためであったと私は考えます。

 

4 妻問夫招婚の母系制を示すスサノオ・アマテル神話

 このようなギリシア神話の解釈に私が至ったのは、記紀神話スサノオとアマテルの分析が背景にあります。

 記紀神話は8世紀の太安万侶らの創作物語とする説がはびこっていますが、私は太安万侶は中国の司馬遷に学んだ、日本の「史聖」であると考えています。記紀神話にみられる様々な矛盾や荒唐無稽と思われる物語は、天皇家の優秀な学者・官僚として天武王朝を支えながら、真実の歴史を巧妙に後世に伝え残すための工夫であり、暗号として書き残したのです。―『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)参照

 1例をあげると、イヤナギ(伊邪那岐=伊耶那岐)とイヤナミ(伊邪那美=伊耶那美)は出雲の意宇川(いうがわ)沖積平野(堅州国)の揖屋(いや)で結ばれ、イヤナミ(伊邪那美=伊耶那美)はこの地の黄泉比坂(伊賦夜坂(いふやさか))に葬られますが、夫のイヤナギ(伊邪那岐=伊耶那岐)は妻の死後に筑紫日向(ちくしのひな)に行き、妻問夫招婚により綿津見3兄弟・筒之男3兄弟・月読やアマテル・スサノオを生んだとしています。

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 ところがスサノオは大人になって長い髭が生えても「母の国根の堅州国に行きたい」と泣いていたとスサノオを貶めながら、太安万侶はちゃかりとスサノオ揖屋でイヤナミから生まれた長兄であることを伝えているのです。

 スサノオはイヤナギから「海原を知らせ(支配せよ)」と命じられたとも書いていますから、海人族の長兄の後継者として、異母弟の綿津見3兄弟・筒之男3兄弟・月読らを統率した「海人族の王者」であったことを太安万侶は秘かに伝えているのです。日本書紀スサノオ新羅に渡ったと書かれ、52代嵯峨天皇が「素戔嗚尊(すさのおのみこと)は即ち皇国の本主なり」として正一位(しょういちい)の神階と日本総社の称号を尾張津島神社に贈り、66代一条天皇が「天王社」の号を贈っていることや、皇居にアマテルを祀っておらず、明治になるまで歴代天皇伊勢神宮のアマテルを参拝していないことをみても、スサノオこそがイヤナギ・イヤナミの後継王であり、百余国の委奴(いな=稲)国王=スサノオ天王であり、アマテルは天皇家の祖先ではないことを示しています。

 一方、記紀にはスサノオを末弟とし、異母姉のアマテルと「ウケヒ(受け霊)」によって後継者争いを行うという記述も見られ、姉弟婚を疑う主張もみられますが、このような混乱した記述を行った太安万侶は無能な、頭の悪い人物なのでしょうか?

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 太安万侶壬申の乱で美濃兵3千を集めて不破道(関ケ原)を塞ぎ、大海人皇子の勝利に大きな役割を果たした多品治(おおのほんじ:和音ではおおのひなおさ)の子とされており、天武天皇(天武=大海人の勇者)を支えるためにアマテルを最高神とした神話とする一方で、海人(あま)族のスサノオの正史を秘かに伝えたのです。無能なのは太安万侶ではなく、「史聖・太安万侶」の深慮遠謀を見抜けない歴史学者という他ありません。

 私はギリシアホメーロスたちもまた、同じように現実のポリス(都市国家)の政治を支持するとともに、侵略する前の母系制社会の真実を書き残すために、矛盾の多い記述や荒唐無稽な物語をちりばめたと考えます。

 拝外主義の日本の翻訳研究者たちの中には、記紀神話ギリシア神話や東南アジア・中国・朝鮮神話をもとに8世紀に創作されたという説をとなえていますが、記紀神話の研究が逆にギリシア神話の解明に手掛かりを与えてくれる、白人優位主義の世界史を正すことができる、という可能性を考えてみるべきでしょう。

 

5 母系制から軍国主義ギリシア

 中高時代の世界史は古代ギリシアのいくつかの文明や都市名、戦争、文化、人名、年号の単なる暗記学問であり、磯田道史教授のNHKの歴史ドキュメンタリー「英雄たちの選択」などのように、なぜ、どのように歴史が動いたか、別の選択肢はなかったか、などを考えさせる授業ではありませんでした。

 改めてギリシア古代史のおさらいを、ウィキペディアなどネット情報レベルですが行いたいと思います。

 ギリシアでは20~40万年前の前期旧石器時代から旧人ネアンデルタール人)の痕跡がみられ、5万年ほど前の最終氷期に新人の時代に移り、3万年前頃からの後期旧石器時代には石器の加工技術も進み、洞窟絵画や女性彫像も見られ、1万年前頃の中石器時代の温暖期になると黒曜石や魚の骨、釣り針などが発見され、9000年前頃からの新石器時代に入ると土器や大麦・小麦・レンズ豆などの栽培と山羊・羊・豚・牛などの家畜が西方から伝わり、豊富な水と肥沃な土壌のギリシア北方で初期農耕が行われたとされます。

 5000~4000年前頃にはエーゲ海のデロス島などでは大理石製の女性像で有名なキクラデス文明がおこり、4000~3000年前頃のペロポネソス半島のミケーネ文明でも多くの女性土偶が見つかっています。―「縄文ノート75 世界のビーナス像と女神像」参照

 

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 アイオリス人は5000年前頃にドナウ川流域から移住し、ギリシャ本土中部テッサリア(肥沃な平野部)とボイオティア地方からレスボス島、さらにアナトリア半島北西部に移住します。

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 3000年前頃になると、バルカン半島からアカイア人(その一部がイオニア人)がテッサリア方面から南下してペロポネソス半島一帯からアナトリア半島小アジア)西部のイオニアに定住したとされ、ミケーネ文明を構成し、クレタ島のミノア文明を滅ぼしたとされます。

 さらに2000年前頃にはドーリアギリシア北方からペロポネソス半島に侵入し、先住民アカイア人を征服しヘイロタイ(奴隷)にし、紀元前1104年にスパルタ国を建国したとされています。1~5万人のスパルタ人市民と家族に対し、15~25万人のヘイロタイが存在したため、スパルタ人は常にヘイロタイによる反乱に脅かされ、市民皆兵の軍国主義国となり、侵略を進め、紀元前5世紀初頭のペルシア戦争でスパルタはアテナイと共にギリシア諸国を主導してペルシア帝国と戦い、有名なテルモピュライ(テルモピレー)の戦いではスパルタを主力としたギリシア同盟軍は、数十倍はあるかというペルシア軍に対して奮戦しています。

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 その後、デロス同盟の盟主となったアテナイと、第1次・第2次ペロポネソス戦争になりますがアテナイに疫病が蔓延したこともあり勝利してギリシアの覇権を獲得します。ところが戦利品により貧富の差が開いて市民の結束が失われ、アテナイアルゴス(元のミケーネ)・テバイ(アイオリス人)らによるコリントス戦争でスパルタは海上での覇権を失い、その後、テバイ軍に敗れ、スパルタはギリシアでの覇権を完全に失います。

 このスパルタの軍国主義奴隷制度は、ローマ帝国に引き継がれ、封建時代をへて16~18世紀の重商主義絶対王政、19世紀からの植民地帝国主義に引き継がれて1200万人の黒人奴隷貿易が行われ、ナチスがスパルタを手本として1936年のベルリンオリンピック大会でオリンピュアからの聖火リレーを行ったのは前述したとおりです。―「縄文ノート71 古代奴隷制社会論」「縄文ノート84 戦争文明か和平文明か」参照

 生類の命という価値観で1万年単位で歴史を見ると、ギリシア・ローマ時代は「第1次暗黒時代」であり、封建時代は「第2次暗黒時代」、16~21世紀は人類最大の「第3次暗黒時代」と言わざるをえず、この戦争工業化文明はAI・ロボット戦争によりその終末時代に入ったといえます。

 私は戦後生まれですが、父から「軍人になれ」と育てられ「スパルタ式教育」がいいと思っていましたが、小学校高学年で「予科連崩れ」と陰口されていた教師から、掃除をさぼった級友の連帯責任として往復ビンタを食って以来、全体主義には反対になり、ベトナム北爆から反戦・非戦派になりましたが、スパルタ式教育や軍国主義を理想とする風潮は世界にまだ根強く残っているように思います。1万のスパルタ人が20万人の奴隷を支配し、1人が10~20人を支配する高い戦闘力を持っていたと賛美して教わりましたが、同じような軍国主義国の矛盾は今も世界にあるように思います。

 ギリシア文化・文明には素晴らしい文化があると思いますが、そもそもはギリシアへの侵略者であり、軍国主義の先住民や戦争捕虜を奴隷とした国であり、エーゲ海・地中海の諸島やアナトリア小アジア)への侵略・植民地化などの血なまぐさい軍国主義の歴史もまた見るべきです。ペルシャ帝国の侵略に対して英雄的に戦った歴史が読み物や映画で伝わっていますが、そもそも小アジアへの侵略者・植民者であり、ペルシャ小アジア民族の解放のために戦ったとも言えるのです。

 古代オリンピックは「単なる戦争の一時休戦」にすぎず、近代オリンピックはナチスに政治利用された歴史を忘れるべきでないと考えます。

 フェンシング選手のバッハ会長がまさか幻の「アーリア民族」思想を受け継いでいるというようなことはないとは思いますが・・・

 

6 喜劇作者・アリストファネス反戦劇「女の平和」

 古代ギリシアアテナイで紀元前5~4世紀に活躍した喜劇作者・アリストファネスの『女の平和』のことは何度も聞いているにも関わらずはっきりとした記憶はないのですが、おそらく姫路西高の冗談が多かった伊藤先生の授業からではないかと思います。アテナイとスパルタの戦いを終わらせるために、女たちがセックス・ストライキをおこなうという話でした。 

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 第2次ペロポネソス戦争アテネ海軍はシチリア遠征に失敗して全滅してから2年目、戦争を継続しようとした指導者に対し、この喜劇は上演されたのです。舞台はアテネアクロポリスで女主人公リューシストラテー(“戦争をつぶす女”の意味)はギリシア各地から集まってきた女たちに性的ストライキを呼びかけ、アテネとスパルタの代表が握手するという大団円を迎えたという劇です。

 「戦争は男の仕事だ、女は戦争に何の関係もない」という役人に対して、リューシストラテーは「どういたしまして、この不浄者め、あたしたちは戦争の二倍以上の被害者ですよ。第一に子供を生んで、これを兵士として戦争に送り出した」ときり返します。

 さらに「過ぎたことをとやかく言うな」という役人に、リューシストラテーは「第二に歓喜にみちた青春を享楽すべきそのときに、軍旅のために空閨を守っています。ほら、あのことを気にもかけない、わたしどもは乙女らが閨(ねや)のなかで未婚のまま老いていくのがたまらない」と答えたとういうのです。(ウィキペディアアリストパネース『女の平和』高津春繁訳:1951岩波文庫より)

 男性中心の戦争と女奴隷ヘタイア・ポルナイの売春制度に対して、女性たちが果敢に抵抗したという喜劇が上演されたということは、古代アテナイの支配層(市民)の民主制と母系制社会の女性優位の伝統を示しているといえます。

 日露戦争で旅順攻撃に参加した弟を思う与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ(旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて)」の第1・第5をアリストファネスに敬意を表して掲載しておきます。 

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 7 母系制社会の歴史から

 以上、ギリシャ神話や神殿の女神像、オリンピックの歴史、などからみて古代ギリシアがもとは母系制社会であったことが明らかです。

 わが国もまた母系制であたことは縄文時代土偶や女神像、古事記に書かれた大国主沼河比売(ぬなかわひめ)への「用婆比(よばい:夜這い)」や「島の埼々、磯ごとの若草の妻」に180人の子どもをもうけたという妻問夫招婚、神話や記紀に書かれた紀元3~4世紀の九州・出雲・紀州などの女王国、女神を祀る多くの神社、魏書東夷伝倭人条に書かれた3世紀の邪馬壹国の「会同坐起、父子男女無別」、33代推古天皇を始めとする10代の女性天皇、山の神(女神)に捧げる金精の祭りなどから明らかです。―縄文ノート34 霊(ひ)継ぎ宗教論(金精・山神・地母神・神使)」「縄文ノート32 縄文の『女神信仰』考」参照

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 この母系制社会の3世紀の女王国の邪馬壹国は「会同坐起、父子男女無別」の民主的な氏族社会であり、魏への高価な絹・絹織物の朝貢をみても卑弥呼の「奴婢千人」は機織りや米づくりに従事し、女性の社会的地位が高かった可能性が高いと考えれられます。

 全世界の文明史において、母系制社会の解明はこの日本とギリシャの歴史から可能であり、縄文文明の世界遺産登録は人類史の解明に重要な役割を果たすことができます。戦争文明の暗黒時代を作り上げた西欧中心史観からの脱却です。

 一過性の主に大都市の大企業が潤う東京オリンピック大阪万博などのイベントに頼るのではなく、縄文文明の世界遺産登録を通して、日本列島全体の地域観光・交流の促進が求められます。私の第2の故郷の姫路市では、1993年の姫路城の世界遺産登録により観光客は80万人台から2015年度には286万人に達し、うち外国人は年間4~5万人から30万人を超えています。東京オリンピック2020の目標入場者数は1010万人でしたが、姫路城観光客の3.5年分に過ぎず、投資金額は比べ物になりません。

 東京オリンピック2020による観光振興が不発に終わった今、ポストコロナに向け、縄文文明・文化の世界遺産登録運動を進めることを提案します。

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/