ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート85 「二足歩行」を始めたのはオスかメス・子ザルか

 「縄文ノート81 おっぱいからの森林農耕論」「縄文ノート84 戦争文明か和平文明か」などで私は食の分析を通して、サルがヒトになったのは「メスと子ザル」による可能性が高いことを明らかにしてきました。

 今西錦司河合雅雄氏らのサルの研究から始まり、黒田末寿氏らのチンパンジーボノボ(ピグミーチンパンジー)、山極寿一氏のゴリラなどの類人猿の研究により、人類誕生の出発点はかなり解明されてきましたが、私は逆からアプローチしてきました。スサノオ大国主建国から邪馬壹国研究(筑紫日向の大国主の妻の鳥耳=アマテルからの筑紫大国主王朝)に進み、さらに縄文社会研究、日本列島人起源論へと歴史を逆にたどり、霊(ひ)・霊継(ひつぎ)信仰や1~4世紀の女王国時代から人類の起源を考え、サル・類人猿研究との接点を探ってきました。

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 その結果、これまでの類人猿や人類誕生の研究は「西欧中心文明史観」に加えて「男性中心史観」であり、「メス・子ザルが主導した人類誕生」という仮説検証が欠けていることを痛感し、芋穀豆魚食やおっぱいの糖質・DHA、火の使用からの進化論に加え、ここでは「二足歩行」についてさらに追加したいと思います。

 

1 進化論検討の経過

 これまで、人類の起源については、次のようなことを考えてきており、ここにまとめてみました。

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2 食からの進化論

 「縄文ノート84 戦争文明か和平文明か」において、次のように書きましたので茶色字で再掲しておきます。ここではサバンナでの「肉食進化説」を批判し、熱帯雨林でサルからヒトへの「糖質魚介食進化」を明らかにしています。

 ゴリラ研究で大きな成果をあげた山極寿一京大教授は「肉食進化説」から、次の段階として「海の動物や貝類、鳥類といった動物資源を食物とすることを覚えた」という「動物食→魚介食」の2段階発展段階説をとっていますが、なぜかボノボ研究を無視し、魚介食や芋・穀類食の役割を検討していません。私は「イモ豆穀類魚介食→大型草食動物食」という人類進化説を考えきました。

 

3 「肉食文明」か「イモ糖質魚食文明」か

 これまで、サルはオスが熱帯雨林からサバンナの草原に降りて草食動物などの死肉をあさり、さらに投げ槍による狩りを行うようになり進化が進んだという「肉食進化説」が主流でしたが、それはアフリカのチンパンジーボノボ・ゴリラや狩猟民の食生活と合致しないだけでなく、大脳生理学から、1日の総カロリーのおよそ20%を使う脳にとって糖質の摂取が欠かせないことが明らかとなり、地上のイモやマメ、穀類などの利用によりサルからヒトへの進化が進んだと考えます。

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 「ギニアチンパンジーは水たまりの沢ガニを日常的に食べ、コンゴボノボは乾いた土地や沼を掘ってキノコや根粒菌などを食べ、ヤゴや川虫を食べる」(縄文ノート70)のですから、熱帯雨林でサルは地上に降りて「根粒菌・イモ掘り」「プハンセ(掻い出し漁)」などを行い、「糖質魚介食」により頭脳を発達させてヒトになった可能性が高いと考えます。「人類サバンナ起源説」の仮説から離れ、「人類熱帯雨林起源説」への転換を図るべきです。

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『サルはなにを食べてヒトになったか』(山極寿一著)はカラハリ砂漠のサン人(ブッシュマン)が握り棒で根菜類を掘る写真を載せていますが、「チンパンジーが示す旺盛な肉食志向」などと肉食進化論を主軸とし、最後に「サピエンスたちは、陸上の動物だけでなく海の動物や貝類、鳥類といった動物資源を食物とすることを覚えた」と、「動物食→魚介穀類食」の2段階発展段階説をとっています。「イモ豆穀類魚介食→大型草食動物食」による人類進化という仮説についっては考えてもいないようです。

 

4 「オス主導進化論」か「メス主導進化論」か

 サルはオスが熱帯雨林からサバンナの草原に降りてナックルウォーク(前足を握って地面につける四足歩行)で動物の死肉をあさり、さらに投げ槍による大型草食動物の狩りのために二足歩行になり、獲物を手で運んでメス・家族に渡すために二足歩行がさらに進んだという「オス二足歩行進化説」「オス主導家族形成説」が見られますが、本当でしょうか? 「歴史学者、見てきたような嘘をいい」とよく言われますが、人類学者はどうなのでしょうか?

 重要なことは、「プハンセ(掻い出し漁)」や「握り棒によるイモ掘り」はコンゴイドの女や子どもが日常的に行っているのです。

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 男が草食獣を狩り、女に贈ったことから家族ができたというより、「メスと子どもの日常的なイモ豆穀類魚介・昆虫・小型動物の採取」がボスオスの群れからのメスの自立を可能にし、そこにボスに群れを追われたオスが寄生して家族が生まれた、と私は考えます。「日常食はメスと子ども主体のイモ豆穀類魚介昆虫小動物食、ごちそうは男の大型動物(ワニを含む)の肉食」ではないでしょうか?

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 ヒトの脳の神経細胞は1000億個以上で成人でも乳児でも同じで、神経細胞を繋ぐシナプスの数は生後1~3年前後まで増加し不要なものは削除されて減少し、脳の重さは新生児の約400g、生後12か月で約800g、生後3年で約1000g、成人で1200~1500gとされています。―「脳科学メディアhttps://japan-brain-science.com/archives/1553」参照  1~3歳の乳幼児期に糖質たっぷりのおっぱいを飲み、安定した豊かな自由時間(狩猟採集民の労働時間は1日2~4時間:前掲の山極氏)の大人たちからさまざな刺激を受けて脳は1~3歳の乳幼児期に急速に発達したことが明らかであり。サルからヒトへの進化は、この乳幼児期の濃密なコミュニケーションにあったのです

 

2 「二足歩行」について

 「縄文ノート84 戦争文明か和平文明か」においては、「二足歩行」について次のように書きました。

 

 「慣れない二足歩行で草原で草食動物を追わなくても、タンパク質や糖質DHA食は熱帯ジャングルの魚介ではるかに容易に確保できるのです。ライオンヒョウ・チーター・サイ・ゾウなどのいるサバンナよりはるかに安全であり、いざとなれば樹上に逃げられるのです。ナックルウォークの類人猿が二足歩行で手で道具を使うヒトになったのは、メスやオス、子どもがかなりの長期間、安全に地上生活をして進化をとげることができたからであり、その理由は樹上の果実食より地上の多様なイモや魚介・昆虫(ミミズやアリ、カブトムシ等の甲虫の幼虫など)・小動物を食べる方がよりグルメで効率がよかったからに違いありません。

 

 ここではサルからヒトへの二足歩行の移行を「サバンナでのオスの追跡猟」とする説に対し、私は熱帯雨林でのメスと子ザルの「安全な日常的な地上での棒などを使ったイモ・魚介・昆虫・小動物食」が二足歩行をもたらしたと説明しましたが、「水中採集活動による水中二足歩行移行説」を追加したいと思います。

 私は子どもの頃、母の田舎に行ったとき、たつの市(旧御津町)の新舞子に潮干狩りや海水浴に必ずのように行きましたが、当時(昭和20・30年代)は立って足で砂を掘るとハマグリやアサリが実によく採れました。泳ぎに飽きると貝を足で掘り、足指で挟んで拾い上げ、海水パンツに入れたものです。

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 熱帯雨林の小川や沼、海に浸かって毎日のように顔だけ水上に出して立って足で何時間も泥や砂の中の獲物を探していたサルのメスや子たちは、浮力によって長時間直立することは容易であり、オスが草原で獲物を追うよりもはるかに早い段階で二足歩行を定着させた可能性が高いと考えます。

 また、流れを倒木などでせき止め、あるいは水流を弱めて「プハンセ(掻い出し漁)」を行う場合には、木を手で運んだり、棒で獲物を追い込んだり叩いたりする必要があり、二足で立って手で棒を使う機会は格段に増えます。棒を使っての根菜類の穴掘りもまた二足歩行を促しました。

 3歳までに頭脳は発達しますから、このような毎日の直立歩行により、メスと子サルの熱帯雨林での川や沼での食物採取活動こそが二足歩行を定着させ、そこに群れからボスに追われたオスが加わり、安定した家族が形成された可能性が高いと考えます。このような熱帯雨林での「芋穀魚介食」こそメスを中心とした家族の自立を促し、妻問夫招婚の母系制社会の人類の誕生を生み出したのです。

 これまで寒冷化による熱帯雨林の減少により、サルはサバンナに進出したとされてきましたが、熱帯雨林で果物などの樹上食料が減少して地上食への切り替えを行ったサルがヒトになり、二足歩行ができるようになって危険なサバンナでのオスの追跡猟ができ、移住できるようになったと考えます。

 草原の野生動物の追跡猟がオスの二足歩行と獲物をメスに運ぶことにより家族が形成されたという「オス中心思考」の仮説には、ボノボの生態やアフリカ原住民の食や生活の習性からみて、裏付けは乏しいと言わざるをえません。

 

4 「道具使用と手の発達」について

 黒田末寿氏は『人類の進化と起源』において、「採食技術としての道具使用は雌の方が上手でかつ長時間行う。これらは採集滑動に相応し、採集仮説で強調される女による採集活動での道具使用の発達の根拠はここにある」と書いています。

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 これまで、道具使用は「サバンナに降りた男が野獣からの防御や草食動物の狩りのために棍棒や槍を使用するようになって手の機能が発達し、石器作成が行われるようになった」と解説されてきましたが、ボノボの観察を通して黒田氏は道具使用と手の発達がメス主導であったことを明らかにしています。

 木の上に逃げられる安全な熱帯雨林の小川や沼、海辺で、毎日、数時間の採集活動を行い、雨季には水中に立って獲物を捜すなかで、棒を使って小動物などを仕留めたり、穴を掘ってイモや幼虫などを獲るために棒を使うようになり、二足歩行と道具使用、手機能向上が同時にできるようになった可能性が高いと考えます。

 なお、ボノボに見られるようなメス同士と子の群れでの採集活動や食物分配、子ども同士遊びなどはコミュニケーションと言語能力を高め、糖質とDHA摂取により急速に頭脳の発達を促したと考えられます。

 

5 「進化論」の8つのテーマ

 「縄文ノート70 縄文人のアフリカの2つのふるさと」において、私は2015年9月18日のナショナルジオグラフィックのニュースの『ヒトはなぜ人間に進化した? 12の仮説とその変遷』の「1.道具を作る」「2.殺し屋(常習的に殺りくをする攻撃性)」「3.食料を分かち合う」「4.裸で泳ぐ」「5.物を投げる」「6.狩る」「7.食べ物とセックスを取引する」「8.肉を(調理して)食べる」「9.炭水化物を(調理して)食べる」「10.二足歩行をする」「11.適応する」「12.団結し、征服する」を紹介しましたが、この典型的な白人中心主義の「肉食・闘争・戦争史観」からくる「2.殺し屋(常習的に殺りくをする攻撃性)」「5.物を投げる」「6.狩る」「8.肉を(調理して)食べる」「12.団結し、征服する」の5項目や文化指標の欠落などについては、類人猿研究や考古学・歴史学・人類学から私は科学的な基準とは認めませんので別の機会に批判をまとめたいと思います。

 サルからヒトへの進化論の論点と私の主張は次のとおりです。

 

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 なお、森本直記助教・中務真人教授(京大)によれば、ヒトは「ナックルウォーク」から「二足歩行」に移ったのではなく、「四足歩行」から「二足歩行」に移行したことがDNA分析により解明されており、今後、DNA分析により「二足歩行と手機能の発達」や「糖質食と魚介食」、「体毛消失と汗腺機能」などの前後関係も解明できないか、よくわからないままに期待しています。

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□参考

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/