ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート84 戦争文明か和平文明か

 サルからヒトへの進化や文明史の検討において、文明の定義には「侵略・戦争・殺害・奴隷化」を基準として追加する必要があると考えるようになりました。

 英ユニバーシティー・カレッジ・ロンドン(UCL)の研究チームは、5600万人南北アメリカの先住民が大量虐殺(疫病死などを含む)されたとしています。アメリ国務省は先住民を200万~1800万人と推定していますが、現在の先住民の人口が200万人ほどであることからみて1000万人を超える殺害が行われた可能性が高く、インカ帝国では1500万人が殺害されたとされています。そして、原住民は奴隷として鉱山やプランテーションで働かされて殺され、アフリカから1200万人(うち65万人がアメリカ合衆国)の黒人奴隷が連行されました。

 第一次世界大戦では約3700万人の死者(軍人は1600万人)、第二次世界大戦では6000〜8500万人の死者(軍人は2200~2500万人:うち米軍42万人)とされ、その中にはナチスによる580万人のユダヤ人虐殺、米軍による2発の原爆投下で21万人(1945年12月末)の殺戮があり、朝鮮戦争の死者462万人(軍人は79万人:うち米軍4万人)、ベトナム戦争の死者611万人(軍人は153万人:うち米軍6万人)、イラク戦争の死者50~60万人(米軍は4489人)など、近代文明は大多数の民間人を殺害した「侵略・戦争・殺戮・奴隷化文明」であり、そのすべてにアメリカ人は関わり、日本人も第二次世界大戦の死者には責任があります。これは「終末期文明」といえそうです。

 一方、マルクス主義原始共産制を目指したはずですが、ソ連では1924~1938年(36~38年がスターリンの大粛清)で約75万人が処刑されたと記録され、ゴルバチョフ政権はスターリン時代(1930~1953年)の処刑者を79万人としています。また処刑者を除く有罪者220万人のうちのかなりが過酷な囚人奴隷労働に従事させられたことは、日本兵捕虜もまたシベリアで体験しています。なお、死者の推計には2000万人説から6200万人説まで見られますが、戦前のソ連人口が17000万人とされていることから誇張があることを考慮する必要があります。中華人民共和国では、全体主義化(対地主・資本家・軍閥チベット民族など)、集団化(人民公社化などへの反対派)、飢餓(大躍進政策による農業生産力低下と飢餓輸出)、文革(対走資派)、天安門事件(対民主派)などでの推定死者数をハワイ大ラムル教授は7700万人ウィキペディア)としていますが、さらに総合的・多角的な研究が求められます。

 部族社会や封建時代の戦いや捕虜ではなく、資本主義社会は新たな「奴隷文明社会」であり、鉄砲・大砲・毒ガス・爆撃機・ミサイル・原爆・ロボットロボットなどの化学・機械を駆使した「戦争工業化文明」であり、共産主義国もまた同じ道を歩んできたのです。

 この破壊的・破滅的な文明と較べると、縄文1万数千年の「豊かで戦争のない社会」は「生命・生活・芸術」の面では最も進んだ文明社会だったといえます。狩猟採取民の労働時間は1日2~4時間とされ、1日8時間労働の現代社会とどちらが豊かで文化的といえるでしょうか? 

 日本の武家政権は元軍の侵攻を果敢に戦って防ぎましたが(貴族支配の天皇制では占領されていたでしょう)、豊臣政権は朝鮮国・民国侵略をめざして敗北し、徳川政権300年の平和な時代を経て、明治・大正・昭和天皇政府は「脱亜入欧」の帝国主義化を進め、台湾・朝鮮・満州支配から日中戦争に拡大し、ハワイ大のラムル教授は日本軍による中国民衆殺戮を395万人と推定しています。

 わが国もたどったこのような「侵略・戦争・殺戮・奴隷化文明」を超える次の文明を考えるなら、今こそ、岡本太郎氏のように「縄文に帰れ」と世界に向けて発信すべきではないでしょうか。

 「侵略・戦争・殺戮・奴隷化」を文明の重要な基準とし、「戦争文明か和平文明か」というテーマで検討してみたいと思います。なお「平和」ではなく「和平」としたのは、積極的な経済・政治・外交を行う行為としたからで、「和平=禾(稲)+口+平」は経済の不均等発展の解消に努めることを含んでいます。

 

1 「文明の衝突」とは

 1996年出版のサミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』は、「今後、危険な衝突が起こるとすれば、それは西欧の傲慢さ、イスラムの不寛容、そして中華文明固有の独断などが相互に作用して起きるだろう」と分析し、その後のアメリカ政府の指針となっていますが、「文明の衝突の回避」については「文明にもとづいた国際秩序こそが世界戦争を防ぐもっとも確実な安全装置である」としてアメリカ主導の昔ながらの「西欧文明の国際秩序」(経済・政治・軍事体制)をあげただけで、「西欧文明を超える新しい国際秩序」への展望はなく、「文明の衝突」をもたらした不均等発展の格差解消という根本的課題については答えを出していません。

 その後20年を超えても「文明の衝突」は何も解決されないまま、世界単一市場化・情報化(グローバリゼーション)による格差拡大と情報共有による不満・怒りの広がりによる経済・階級階層・思想・宗教対立や、地球環境悪化に伴う生命環境や食料事情の悪化、新興感染症など「文明の危機」は深刻さを増しています。

 それを第1・第2次世界大戦から中東・朝鮮・ベトナム・イライラ・イラク・アフガン戦争などへと続く「戦争文明」の延長で乗り切るのか、それとも和平と内発的発展による豊かな汎地域主義(グローカライゼーション)の均等発展に向けた新たな「和平文明」への転換を図るのか、今、大きな岐路にあると考えます。

 その選択に向けて、私は人類の誕生からの「文明の誕生・成熟・滅亡の文明史」をたどってみる必要があると考えています。アフリカで誕生し、探究心と冒険心、共同心にあふれた先祖たちが日本列島にたどりつき、自然豊かな島国という侵略を受けにくい恵まれた環境を活かし、独自の内発的発展をとげた日本列島人の文明の解明は、新たな世界文明へのモデルになると考えるに至りました。「戦争文明」の西欧化へと誤ることがなければ、「大東亜共栄圏」などを夢見ることもなかったのです。

 もし、日本列島が朝鮮半島と陸続きであったら、絶えず侵略を受けてこのような自立的内発的発展はとげられなかった可能性が高いことを考えると、この貴重な体験は「戦争文明」に代わる「和平文明」の1つのモデルとして新たな世界文明への指針になると考えます。

 

2 「侵略文明」への回帰

 ここに8世紀頃の1つの世界地図を掲げますが、この地図から皆さんは何を感じられるでしょうか?

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 私はIS(イスラム国)と中国の習近平主席の「中華民族の偉大な復興」を思い浮かべます。

 図2はISが建国しようとした領土の範囲ですが、8世紀のイスラム王朝最大のウマイヤ朝の領土の図3に、17世紀の図4のオスマン帝国の東欧の領土を加え、さらに中央アフリカに領土の範囲を加えた宗教国家を作り上げる野望を持ち、多くの支持者をえたのです。

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 では習近平主席の「中華民族の偉大な復興」の範囲はどうでしょうか?

 図5は8世紀の唐の最盛期の国土ですが、漢民族がアラル湖までの東トルキスタン(一部は新疆ウイグル自治区に)・内モンゴルチベット南詔(なんしょう:チベットビルマ語族)・北ベトナム渤海(靺鞨族)・高句麗などの諸民族を征服(台湾は未征服)した一大帝国です。

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 図6の「一帯一路」構想の図と較べると習近平主席の「中華民族の偉大な復興」はこの唐帝国をさらに拡張した復興であることが明らかであり、ウィグル族の圧迫・弾圧や南シナ海の南沙・東沙諸島の軍事基地化、さらには台湾支配の主張、高句麗を中国の一部とする主張などは「中国人民と中華民族の最も偉大な夢」のようですが、「漢民族だけの最も偉大な夢」との反発もおきそうです。

 西欧・米日帝国主義国の支配に対するイスラムや中国の人たちの反発は当然としても、このようなIS(イスラム国)や習近平主席の「復古帝国主義」の文明観が世界中で通用するのでしょうか?

 日本にも「日本を、取り戻す」(戦後の歴史から、日本という国を日本国民の手に取り戻す)という安倍晋三元首相らのキャッチコピーがありましたが、まさかアメリカと組んで「世界を照らすアマテラス」の「神の国」(森喜朗元首相)の「大東亜共栄圏」を夢想していなか心配です。

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 ISや習近平主席だけでなく、イギリスのEU分離派は「大英帝国」を、トルコのエルドアン大統領は「オスマン帝国」の復活を夢見るとともに、アメリカのトランプ前大統領は「アメリカ第1主義」、バイデン大統領は「戦後体制盟主」の国際協調路線をとるなど、今、かつての栄光の夢をあおり、人々の不満を外部に向けさせて煽り覇権を求める軍国主義帝国主義の時代に逆戻りしているのではないか、という危惧を感じます。

  文明論において欠かせないのは、8世紀のイスラム帝国唐帝国だけでなく、紀元前のエジプト・メソポタミアインダス文明やアレクサンダー帝国、さらには13・14世紀の東・中東アジアから東欧まで征服したモンゴル帝国が滅亡し、世界征服をめざしたナチスやイタリア・日本もまた敗戦したという「文明滅亡」の歴史についても教訓化しなければならないと思います。

 「戦争文明」か「和平文明」か、世界の文明史を振り返りたいと考えます。

 

3 「肉食文明」か「イモ糖質魚食文明」か

 私は歴史・考古学の門外漢であり、これまで『日経サイエンス』や『ナショナルジオグラフィック』にざっと目を通してきたレベルの知識しかありませんが、「肉食が人類を生んだ」「適者生存の競争の闘争と戦争が人類を発展させた」という肉食・競争・戦争進化派(タカ派)と、「糖質魚食が脳の発達をうながした」「共同と和平が人類を発展させた」という糖質魚食・共同・和平派(ハト派)の2つの古くて新しい論争が今も続いていることにびっくりします。

 日本の歴史でみても、水田稲作を携えてやってきた弥生人(中国人・朝鮮人)が縄文人を征服して日本文明が始まったという「弥生人による縄文人征服史観」は前者であり、戦争のない1万数千年の縄文人の歴史を受け継いだスサノオ大国主一族の新羅との米鉄交易と妻問夫招婚、八百万神信仰による「縄文人自立内発的発展史観」は後者になります。

 新羅侵攻を進めた神功皇后は前者、消極的で妻に殺された仲哀天皇ヤマトタケルの子)は後者、新羅・唐連合軍に対し百済救援の出兵を行なった中大兄皇子(後の天智天皇)は前者、その子の大友皇子を打倒した大海人皇子(後の天武天皇)は後者、明・朝鮮支配を企てた織田信長豊臣秀吉は前者、消極的で政権奪取後に「鎖国(管理貿易)」を行った徳川家康は後者、幕末の尊王攘夷派は前者、開国派は後者と、わが国でも2つの路線は歴史の重要局面で争っています。そして、中大兄皇子新羅・唐との白村江敗北の9年後、秀吉の朝鮮出兵11年後、満州事変14年後にいずれも軍国主義政権は滅亡しています。

 このような繰り返されてきた「戦争文明」対「和平文明」の2つの路線のスタートとして、私は2つの人類進化説、「肉食進化説」と「糖質魚食進化説」から検討する必要があると考えます。

 この論点については、すでにこれまで、私は次のような主張を行ってきました。

 

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 これまで、サルはオスが熱帯雨林からサバンナの草原に降りて草食動物などの死肉をあさり、さらに投げ槍による狩りを行うようになり進化が進んだという「肉食進化説」が主流でしたが、それはアフリカのチンパンジーボノボ・ゴリラや狩猟民の食生活と合致しないだけでなく、大脳生理学から、1日の総カロリーのおよそ20%を使う脳にとって糖質の摂取が欠かせないことが明らかとなり、地上のイモやマメ、穀類などの利用によりサルからヒトへの進化が進んだと考えます。

 そもそも、熱帯雨林の樹上で果物を中心に食べていた大型類人猿がそれに代わるだけの糖質を地上で確保するとしたら、イモ類を棒で掘って確保した可能性が高く、火事が起こった機会に匂いにつられて穀類を食べるようになったと考えられます。

 また『アフリカを歩く』(加納隆至・黒田末寿・橋本千絵編著)によれば、コンゴ(ザイール)の人たちはティラピアナマズ・ウナギ・ナイルパーチ・小魚・カニ・エビ・オタマジャクシ・カエル・ヘビ・ミズオオトカゲ・カメ・スッポン・ワニなどを食べており(安里龍氏によれば最も美味なのはミズオオトカゲ)、一般的な漁法は女性や子どもたちが日常的に行う「プハンセ(掻い出し漁:日本では田や池の水を抜く「かいぼり」)」(武田淳氏)で、他にも多種多様な漁法で魚をとっているというのです。

 私はサルが水を怖がることから、ヒトもワニや大蛇、カバなどを恐れて川に近づくことを怖がったのではないかと最初は思いましたが、ニジェールに海外協力隊員として赴任していた次女に聞くと肉は貴重なのでワニを見つけると捕まえて食べると言っており、武田氏によれば「ワニを見つけた女性は、いち早く山刀で頭部を叩くように切り付けて殺し、家に持ち替えって調理する」(前同)というのです。

 慣れない二足歩行で草原で草食動物を追わなくても、タンパク質や糖質DHA食は熱帯ジャングルの魚介ではるかに容易に確保できるのです。ライオンヒョウ・チーター・サイ・ゾウなどのいるサバンナよりはるかに安全であり、いざとなれば樹上に逃げられるのです。ナックルウォークの類人猿が二足歩行で手で道具を使うヒトになったのは、メスやオス、子どもがかなりの長期間、安全に地上生活をして進化をとげることができたからであり、その理由は樹上の果実食より地上の多様なイモや魚介・昆虫(ミミズやアリ、カブトムシ等の甲虫の幼虫など)・小動物を食べる方がよりグルメで効率がよかったからに違いありません。

 「池の水ぜんぶ抜く」というテレビ東京の番組がありますが、日本では田や池の水を抜く「かいぼり」でナマズやコイ・フナなどを普通に獲っていたのです。子どもの頃、母の田舎に行くと近くの揖保(いぼ)川を石でせき止めて魚を追い込んでよく遊びましたが、ナイジェリアのY染色体E型で縄文人のⅮ型に近いE型のコンゴイドの「イボ人」も同じようなことをしていたのかと思わずにはおれません。

      

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 大国主一族の拠点であった播磨の「揖保(いぼ)川」や大国主の建国伝説の伝わる「伊保」(伊保山には大国主・少彦名を祀る巨大な「石の宝殿」があります)地名と「イボ人」の音韻の一致は偶然かもわかりませんが気になります。

 「ギニアチンパンジーは水たまりの沢ガニを日常的に食べ、コンゴボノボは乾いた土地や沼を掘ってキノコや根粒菌などを食べ、ヤゴや川虫を食べる」(縄文ノート70)のですから、熱帯雨林でサルは地上に降りて「根粒菌・イモ掘り」「プハンセ(掻い出し漁)」などを行い、「糖質魚介食」により頭脳を発達させてヒトになった可能性が高いと考えます。「人類サバンナ起源説」の仮説から離れ、「人類熱帯雨林起源説」への転換を図るべきです。

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 『サルはなにを食べてヒトになったか』(山極寿一著)はカラハリ砂漠のサン人(ブッシュマン)が握り棒で根菜類を掘る写真を載せていますが、「チンパンジーが示す旺盛な肉食志向」などと肉食進化論を主軸とし、最後に「サピエンスたちは、陸上の動物だけでなく海の動物や貝類、鳥類といった動物資源を食物とすることを覚えた」と、「動物食→魚介穀類食」の2段階発展段階説をとっています。「イモ豆穀類魚介食→大型草食動物食」による人類進化という仮説についっては考えてもいないようです。

 ナイジェリア・ニジェール・マリ・ギニアを流れるニジェール川流域を原産地とするヒョウタンが若狭の鳥浜貝塚や青森の三内丸山遺跡で発見され、容器として使っていたことが明らかとなり、Y染色体Eグループのコンゴイドがニジェールのイボ人やコンゴなどに多いことや、チンパンジーボノボ・ゴリラの生息域と重なることなどを考えると、「サルはイモ豆穀魚介類を食べてヒトになった」と結論づけるべきです。―図9・10参照

 頭の中に筋肉が詰まって進歩したのではなく、糖質食とDHA食がヒトへの進化を助けたのです。人類は寒冷地で大型化し、熱帯地方では小型であることからみても、「筋肉マンの狩猟・肉食進化論」からはそろそろ卒業すべきです。

 

4 「オス主導進化論」か「メス主導進化論」か

 サルはオスが熱帯雨林からサバンナの草原に降りてナックルウォーク(前足を握って地面につける四足歩行)で動物の死肉をあさり、さらに投げ槍による大型草食動物の狩りのために二足歩行になり、獲物を手で運んでメス・家族に渡すために二足歩行がさらに進んだという「オス二足歩行進化説」「オス主導家族形成説」が見られますが、本当でしょうか? 「歴史学者、見てきたような嘘をいい」とよく言われますが、人類学者はどうなのでしょうか?

 重要なことは、「プハンセ(掻い出し漁)」や「握り棒によるイモ掘り」はコンゴイドの女や子どもが日常的に行っているのです。

 男が草食獣を狩り、女に贈ったことから家族ができたというより、「メスと子どもの日常的なイモ豆穀類魚介・昆虫・小型動物の採取」がボスオスの群れからのメスの自立を可能にし、そこにボスに群れを追われたオスが寄生して家族が生まれた、と私は考えます。「日常食はメスと子ども主体のイモ豆穀類魚介昆虫小動物食、ごちそうは男の大型動物(ワニを含む)の肉食」ではないでしょうか?

 『アフリカを歩く』(実に面白い素晴らしい本です)で古市剛史氏は「男の仕事は『本当の食べもの』を取ってくることだなんていって、ときどきは槍やら網やらをもって森に狩りにでかけていくけど、獲物をもって帰ってくることなどほとんどない。夫が最後に小さなダイカーをおおいばりでもって帰ってきたのは、もう二カ月も前のことだ」と紹介していますが、毎日の食料確保は女が担っていたことをよく伝えています。

 母系制社会が家族を作り、地母神信仰を生み出し、「死肉あさりと狩りと縄張り争い」が男の役割であったのです。いつまでも「狩猟・戦争文明」の男性優位の偏った西欧文明を投影してサルからヒトへの進化を見るべきではないと考えます。

 この母系制の家族・氏族社会で食料確保と育児・教育などの分担・共同や分業・協業の機会が生じると飛躍的にコミュニケーションが増え、言語能力が高まるとともに経験の継承が行われ、安定した食料による自由時間の増加や長寿化は文化を育み、集団の教育・学習力を高め、脳の肥大化を促したと考えられます。

 ヒトの脳の神経細胞は1000億個以上で成人でも乳児でも同じで、神経細胞を繋ぐシナプスの数は生後1~3年前後まで増加し不要なものは削除されて減少し、脳の重さは新生児の約400g、生後12か月で約800g、生後3年で約1000g、成人で1200~1500gとされています。―「脳科学メディアhttps://japan-brain-science.com/archives/1553」参照 

 妊娠中に母ザルが神経細胞シナプスをつくる糖質と魚介類をたっぷり食べ、1~3歳の乳幼児期に糖質とDHAたっぷりのおっぱいを飲み、安定した豊かな自由時間(狩猟採取民の労働時間は1日2~4時間:前掲の山極氏)の母親や子育てメスグループ、子どもとの会話により脳は1~3歳の乳幼児期に急速に発達したことが明らかであり、サルからヒトへの進化は、この乳幼児期の濃密なコミュニケーションにあったのです。

 「縄文ノート71 古代奴隷制社会論」において、私は「『攻撃的チンパンジー』と『平和的ボノボ』の2種類のDNAを現生人類(ホモ・サピエンス:賢い人間)は受け継いでおり、氏族・部族・民族・宗教集団・思想集団・国家などの如何に関わらず『軍事主義』と『平和主義』の2つの性質を本能的に受け継いでいると考えます」として「縄文ノート70 縄文人のアフリカの2つのふるさと」で掲載した表を再掲しましたが、さらに再再掲します。

 

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 私には工学部の「仮説検証型」の方法論が染みついており、まずネット検索レベルの情報で考えて上記のような仮説を作成し、それから関係する元資料(図書館で借りられる本レベル)を読み、間違っていれば修正、あるいは補足するという方法をとっていますが、今回、『人類の起源と進化』(黒田末寿・片山一道・市川光雄著)にチンパンジーとピグミーチンパンジーボノボ、現地名ではビーリャ)、ゴリラ、ヒトを対比した2つの表があったので参考のために添付しておきます。

 

         表3 アフリカの類人猿の社会特性

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    表4 アフリカの類人猿とヒトの性行動および繁殖能力

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 「縄文ノート34 霊(ひ)継ぎ宗教論(金精・山神・地母神・神使)」「縄文ノート74 縄文宗教論:自然信仰と霊(ひ)信仰」「縄文ノート75 世界のビーナス像と女神像」などで明らかにしたように、縄文人の妊娠土偶仮面の女神像、石棒・円形石組・ストーンサークルなどは後の金精信仰が女神の神名火山(神那霊山)に捧げられていることをみても縄文社会が母系制社会であったことを示しており、世界各地の石器時代のビーナス像や中国人が大事にする「姓」字が「女+生」であることや孔子が理想とした周王朝が姫氏であることなどを見ても、「サルからヒトへの進化はメス主導の母系制社会であった」とすべきと考えます。

 

5 人類拡散は「肉食・ウォークマン拡散」か「イモ豆穀魚介食・竹筏拡散」か

 テレビアニメの『はじめ人間ギャートルズ』(園山俊二原作)を見て育った世代の研究者たちは輪切り肉をモリモリ食べるマンモスハンターのイメージが強いようで、欧米の「バイキング」の映画・テレビドラマ・アニメを見て育った世代の研究者たちもまた同じように「肉食史観」に陥っていると予想されますが、すでにみたように熱帯雨林では魚介や小動物などが毎日、短時間で簡単に獲れるのです。

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 そのような熱帯雨林を離れてなぜ人類は全世界に広がったのでしょうか。

 寒冷化・乾燥化による熱帯雨林の減少と果物などの不作、居住密度が高まることによる縄張り争いの激化、ツエツエバエによるアフリカ睡眠病など病虫害などのプッシュ要因と、より快適な居住環境を求めた移動や旺盛な好奇心・冒険心・独立心による移動などプル要因による移動が考えれられますが、ルーツが同じY染色体D型の縄文人が日本列島まで移動し、Y染色体E型のコンコイドが西・中央アフリカに残っていることをみると、プッシュ要因がより強い可能性があります。

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 いずれにしても、インド洋の海岸沿いに東に熱帯地域を移動すれば、安定した果物とイモ豆穀類魚介昆虫小動物を確保でき、糖質をとるようになるとカリウムとのバランスをとるために塩分の摂取が不可欠であり、人類の多くはサルと同じように海岸に沿って移動・拡散したと考えれられます。食料や塩分がなく、寒暖差の激しい砂漠や草原、山岳地帯をウマやラクダの家畜化や保存食料の穀類栽培が進むより前に全世界に「肉食人種」が拡散したとは考えられません。―縄文ノート「25 『人類の旅』と『縄文農耕』と『三大穀物単一起源説』」「26  縄文農耕についての補足」「27 縄文の『塩の道』『黒曜石産業』考」「62 日本列島人のルーツは『アフリカ湖水地方』」「64  人類拡散図の検討」など参照 

 赤道直下で高温多湿・酸性土質の西・中央アフリカにおいては、人骨やイネ科植物などの直接の痕跡は残りにくく、各国の考古学研究も遅れており、直接的な証明はまだできていませんが、この地域で生まれた人類は、魚介類がとれるアフリカ東部の湖水地方からはナイル川を北上したグループや大地溝帯に沿って今のエチオピアに進んだグループ、インド洋の沿岸を竹筏で東進したグループ、アフリカ西海岸に沿って北上・南下したグループなどがあったと考えれられます。

 移動によって新たな環境で刺激を受けるとともに、近親結婚を避けるために他の氏族・部族と積極的な妻問夫招婚の婚姻を進めたことは、言語コミュニケーション能力を高め、知能の発達を促したと考えられます。

 このような人類の拡散は、これまで地球寒冷化・乾燥化というプッシュ要因から大型動物を追っての拡散という「肉食・ウォークマン史観」で語られてきましたが、人類の起源から「イモ豆穀魚介食・竹筏拡散」を考えてみるべきです。

 

6 「肉食進化説」の延長の「闘争・戦争進化説」

 「肉食進化説」が孕む思想・宗教・文明の危機は、狩猟時代から牧畜・放牧時代に移行し、人間と動物を峻別し、DNAが連続的に進化した「生類」としてとらえるのではなく、ヒトの生命維持に他の動物の生命を奪うことに何の疑問も感じなくさせたことです。

 その先に生まれたのは、ヒトを「唯一絶対神への信仰心を持ったもの」と「唯一絶対神への信仰心を持たないもの」に峻別する宗教思想であり、後者を前文明の未開人とし、動物の位置に落とし込めて狩猟(殺戮)し、家畜化して奴隷化した文明です。

 それを可能にしたのは、カナンの人々を殺し、その土地を奪うことを「神の命令」として正当化した砂漠の遊牧民ユダヤ人の「一神教」の発明です。―縄文ノート74 縄文宗教論:自然信仰と霊(ひ)信仰」参照

 現在に続くユダヤ・キリスト・イスラム一神教であり、「汝の敵を愛せよ」としたキリストはそのようなユダヤ教に反対でしたが処刑され、その弟子たちはローマ帝国に迫害された後にその侵略に協力するようになり、さらにはスペイン・イギリス・フランス・ドイツ・ロシアなどの重商主義国・帝国主義国のアフリカ・アジア・アメリカの植民地化と大量虐殺、奴隷化の思想的な先兵となったのです。イスラム帝国が成立したのも、ユダヤ教由来のイスラム教によってでした。

 このキリスト教の影響を受けた「肉食進化説」は「生存競争の戦争進化説」「闘争・戦争進化説」に発展し、科学のよそおいをまとった西欧中心主義の「侵略・戦争・殺戮・奴隷化文明観」を作り上げたのです。

 このようなユダヤキリスト教の破滅的なエセ科学の「戦争進歩史観」の文明観をアフリカ・アジア・オセアニアアメリカ原住民は受け継ぐ必要はありません。

 

7 「終末宗教」と「霊(ひ)継ぎ宗教」

 サミュエル・ハンチントンは、「今後、危険な衝突が起こるとすれば、それは西欧の傲慢さ、イスラムの不寛容、そして中華文明固有の独断」という3つの世界の衝突としましたが、その巧妙な誤魔化しに乗るべきではありません。「傲慢なキリスト教、不寛容なイスラム教、独断的な中華一党独裁思想の衝突」と端的に取らえるべきです。 

 そうすれば、それ以外の日本などの人々の目指すべき思想は明確となります。「侵略・殺戮・奴隷化」を神の命令として実行するユダヤ人、ユダヤキリスト教徒、ユダヤイスラム教徒の対極にある宗教は、縄文人から続き、全ての生類に霊(ひ=DNAの働き)を認め、霊継(ひつぎ:命のリレー)を大事にし、全ての死者の霊(ひ)を神として祀る「八百万神」の日本の原神道本居宣長解釈のアマテラス太陽神神道を除く)=出雲神道こそ、私たちは未来への指針とすべきと考えます。

 魏書東夷伝高句麗や濊(朝鮮半島東北地域)に死刑を認めていますが、馬韓や弁辰、倭人には書いていません。

 

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 さらに平安時代の52代嵯峨天皇は818年から1156年までの347年間、死刑を廃止し、文治政治を推進した第5代征夷大将軍徳川綱吉の「生類憐みの令」があったことを、私たちは日本文明として高く評価すべきと考えます。

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 その生命尊重の思想について、仏教の「五戒」(不殺生戒、不偸盗戒、不邪婬戒、不妄語戒、不飲酒戒)の最初にあげられた「不殺生戒 (ふせつしようかい)」や儒教の「仁義礼智信」の「仁」に求めて説明する説が流布していますが、私は縄文時代から続く霊(ひ)信仰の八百万神宗教こそその土台として認めるべきと考えます。霊(ひ)を断たれ、子孫に祀られない死者の霊(ひ)は「怨霊」となって迫害者に祟るとされたのです。

 磯城の大物主(スサノオの御子の大年の別名で代々襲名)の権力を奪ったミマキイリヒコ(御間城入彦)が民の半数以上が亡くなるという恐ろしい祟りを受け、大物主の子孫を河内から探し出して大物主を襲名させて祖先を祀らせ、「崇神天皇」と8世紀になって諡号(死号)を与えれらたように、怨霊を人々は恐れたのです。

 嵯峨天皇も叔父の早良親王(さわらしんのう:桓武天皇同母弟)が長岡京建設を進めた藤原種継の暗殺に関与したとされ抗議のために絶食して死に、怨霊となって後に「崇道天皇(すどうてんのう)」と追諡されたことや、実兄の平城天皇上皇となった後に平城京への遷都を企て(薬子の変)などがあり、怨霊を恐れて死刑制度を廃止したと考えられます。嵯峨天皇が「素戔嗚尊(すさのおのみこと)は即ち皇国の本主なり」として正一位(しょういちい)の神階と日本総社の称号を尾張津島神社に贈ったこともまた、スサノオ大国主一族の怨霊を恐れてのことと考えます。

 日本の西欧文明や中国文明の拝外主義の「翻訳輸入学者」たちは、古神道が八百万神信仰であることを隠して野蛮人・未開人の「アニミズム・マナイムズ」で説明したり、嵯峨天皇徳川綱吉将軍の行為を仏教や儒教に結び付けて知ったかぶりの得意になっていますが、縄文人からスサノオ大国主建国に続く日本の宗教からまず考えてみるべきです。

 「霊」を倭音倭語で「ひ」と読むことなく、呉音漢語で「リョウ」、漢音漢語で「レイ」などと読むことからは卒業すべきであり、いつまで「漢才」を続けるのでしょうか?

 ハリウッド映画に宇宙人・エイリアン襲撃やバイオハザード、地球氷河化・巨大津波、原爆テロ、ホラーなどのパニック・恐怖映画が実に多いのは、彼らが「文明の滅亡」におびえ、敵との戦いを鼓舞することしか解決策を持っていないことを示しています。そのルーツは「世界は終末期を迎え、絶対神最後の審判で信仰心のあるもにだけが救済されて天国に行ける」というユダヤ教ユダヤ教化したキリスト教イスラム教の終末宗教と無関係ではないと思います。

 一方、日本には自然との共存と和平を求め、あらゆる生類に障壁を設けない『風の谷のナウシカ』などがありましたが、今や『進撃の巨人』『鬼滅の刃』など「敵と戦って生き延びる」という危険なアメリカ型文明に染まってきている印象を受けます。

 日本では寒冷化が進み、天皇・貴族政権から武家政権に移行する戦乱期に、大乗仏教の「すべての衆生は成仏できる」という中国の天台宗から派生し、極楽浄土をめざして阿弥陀念仏を唱える浄土教浄土真宗や、南無妙法蓮華経を唱える日蓮宗などの終末思想の一神教的な仏教が生まれたとされていますが、私は縄文から続く、死者の霊(ひ)は天に昇って天神となり、降りてきて子孫に霊継(ひつぎ)される霊(ひ)信仰を受け継いだ大国主の「八百万神(やおよろずのかみ)信仰」ベースがあったからこそこれらの宗派が生まれたのです。

 ただ、ユダヤ・キリスト・イスラム教や浄土教浄土真宗日蓮宗などが信仰心の厚い死者の霊(ひ)だけが死後に天国・極楽に行けるとする終末宗教であるのに対し、「八百万神(やおよろずのかみ)信仰」は全ての死者の霊(ひ)が子孫に受け継がれるという黄泉帰りの「霊(ひ=命)を継ぐ宗教」、生命を讃える宗教であるという大きな違いを認めるべきです。

 天皇家が仏教を国教とし、江戸幕府が縁結び・安産・生誕・七五三などは神道、葬式は仏教と役割分担(収入源)を決めたことを見ても、神道は命の宗教、仏教は死の宗教なのです。

 西欧やその植民地国では、一神教こそが文明とされ、それ以前にあった自然宗教や霊(祖先霊)宗教は野蛮・未開のアニミズム・マナイムズとされましたが、一神教の「侵略・戦争・殺戮・奴隷化」の死の宗教こそ終末を迎えているのではないでしょうか。

 「縄文に帰れ」から「自立・和平・命・共生文明」への転換を図るべきと考えます。

 

8 「気候変動枠組条約」「生物多様性条約」と「SDGs(持続可能な開発目標」「核兵器禁止条約」

 1992年のブラジルサミット(環境と開発に関する国際連合会議)で「気候変動に関する国際連合枠組条約」と「生物多様性条約」、1997年の京都議定書採択(COP3)(2005年発効)、2015年の国連サミットの「SDGsエス・ディー・ジーズ:Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標17)」、さらに2017年の国連総会の「核兵器禁止条約」(2021年発効)など、ようやく共生・共同・和平文明の時代への道筋は示されてきました。

 私は「SDGs(Sustainable Development Goals)」は日本語としては「持続可能な開発目標」ではなく「持続可能な発展目標」とするか、あるいはSSGs(エスエスジーズ:Sustainable Social Goals:持続可能な社会目標)とすべきと思いますが、「格差・戦争文明時代」から新たな「格差是正・和平文明」を目指す世界的な動きが始まったと考えます。

 歴史学・考古学で文明を研究する場合にも、文明の興亡と滅亡の歴史から「SDGs(持続可能な発展目標)」の達成に向けた文明論を探るべきと考えます。そのためには、ユダヤキリスト教の西欧中心主義の「文明」の規定を変えるところから出発する必要があると考えます。

 今、世界的・一国的な格差が拡大し、軍国主義国では「軍事経済を維持し、内部矛盾を外部矛盾に転嫁する」経済・政治・軍事勢力が大きな影響を持ち、情報化によって格差社会を誰もが認識して不満が拡大・爆発する可能性があり、第1次世界大戦のようにちょっとしたきっかけやイラク戦争のように核・化学兵器の嘘(フェイク)からアメリカ・イギリスがフセイン打倒の攻撃を行うような戦争のリスクは高まりつつあると考えます。

 人口・食料・環境やコロナのような新興感染症の危機以前に、若者を中心に世界の人々が知恵を出し合えるかどうか、と考えます。

 

9 「霊(ひ=DNA=命)の文明」へ

 八百万神の霊(ひ)信仰をベースにしながら、中国から最澄が「すべての衆生は成仏できる」とする天台宗を取り入れ、儒教の「仁義礼智信」、道教の「道」を取り入れるなど、各宗教・思想の共通価値として「霊継(ひつぎ:DNA=命のリレー)」の宗教思想を定着させていった歴史に注目すべきです。

 このような宗教戦争を回避した経験に照らし、神道の「八百万神の霊・霊継」、仏教の五戒の「不殺生戒」、モーゼの十誡の「5 殺してはならない」、キリストの「汝の敵を愛せよ」、儒教の「仁」、道教の「一に殺さず、まさに衆生を念ずべし」などの現世的な共通価値を認め合うことから「文明の衝突」を回避すべきと考えます。

 国対国、民族対民族、宗教対宗教、思想対思想の対立を殺戮・戦争に持ち込むのではなく、「殺人文明」「戦争文明」と「命の文明」「和平の文明」の対立としてとらへ、後者の共通価値を確認するところから新たな「文明社会」へと踏み出すべきと考えます。

 春秋時代の乱れた世を嘆いた孔子は「道が行なわれなければ、筏に乗って海に浮かぼう」と述べ、これを受けた儒家陳寿(ちんじゅ)三国志魏書東夷伝の序に「夷狄(いてき)の邦(くに)といえども、俎豆(そとう)の象(しょう)存り。中國礼を失し、これを四夷(しい)に求む、猶(な)を信あり」と書きましたが、「俎(ソ)(まないた)は祭の生贄(いけにえ)を乗せる台で「豆(トウ)」は食物を乗せる高坏、「象(ショウ)」は道理を指しますから、「俎豆(そとう)の象(しょう)存り」は「祖先霊を祀る祭祀が行われている」という意味になります。

 朝鮮半島の鬼神信仰に対し、卑弥呼の宗教を「鬼道」という尊称にしたのは、作者の陳寿孔子の教えを忠実に受け継ぎ、「道の国」として邪馬壹国を見ていたことを示しています。

 孔子陳寿が「道・礼・信」の国とみていた縄文時代からの歴史を受け継ぎ、「文明の衝突」の回避に向け、新たな「命の文明」「和平の文明」へと進むべきではないでしょうか。

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/