ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート75 世界のビーナス像と女神像 

 「縄文ノート32(Ⅲ-2) 縄文の『女神信仰』考」(201224)では、長野県茅野市の2つの遺跡の「縄文のビーナス」と「仮面の女神」などから、そのデザインが単なる描写ではなく、大きくお尻を誇張したシンボリックな表現をとった明確な造形意思があり、縄文人が信仰対象とした女神像であるとしました。

 

f:id:hinafkin:20210524202104j:plain

 そして「女神信仰」は霊(ひ)を産む女性を神とする「霊(ひ)継ぎ信仰」を示し、大地から春になると再び植物が芽生え、海から魚が湧き、森から生物が生まれるように、死者が大地に帰り、黄泉帰ることを願う「地神(地母神)信仰」であったことを明らかにしました。

 親から子、孫がよく似ていたり、死者の記憶がいつまでも残ることから、死者の霊(ひ=魂)は死体から離れていつまでも残り、次世代に受け継がれると古代人は考えたのです。

 さらに、漁家では妻が家計を任されていたことを見ても、男が危険な海にでる海人(あま)族は母系制社会であり、「女神信仰」から邪馬壹国など多くの「女王国」が生まれたのです。「姓」字が「女+生」であるように古代中国もまた母系制社会であり、「姫氏」の周王朝の諸侯であった「魏」(禾+女+鬼)は「禾(稲)を女が鬼(祖先霊)に捧げる」国であり、周王朝を理想とした曹操卑弥呼の「鬼道」(孔子は「道」の国とみていた)の国を特に厚遇したのです。

 世界遺産登録を視野に入れながら、これまで「霊(ひ)信仰」「神山天神信仰(神名火山信仰)」「神使崇拝」「龍神信仰」「『主語-目的語-動詞』言語の分布」「イネ科穀物のルーツ」「黒曜石利用」「竹筏のルーツ」「丸型平面住居」「日本列島人のルーツ」などについて世界の文化・文明との比較検討を行ってきましたが、ここでは「女神信仰」について世界的な視野で検討したいと思います。

 縄文女性像は「ヴィーナス像」なのか「女神像」なのか、女性像はアフリカからの「伝播説」が成立するのか、それとも「多地域発展説」なのか、確かめたいと思います。

 

1 経過 

 これまで、私は縄文論をスサノオ大国主建国論からの縦軸と、世界の家族・氏族・部族・民族の共同体文明の横軸と、2つの軸を意識しながら分析してきました。

 後者については次表のように、最初は主に中国文明、続いてインド古文明のドラヴィダ文明や東南アジア高地文化、さらにはアフリカ文明や南北アメリカ文明との繋がりを検討し、最後にヨーロッパ文明、特に重商・資本主義の帝国主義文明との関係を分析してきました。

 世界の母系性社会の「女神信仰」についての考察はまだ抜け落ちており、さらに世界の女神信仰との関係を見ておきたいと考えます。

 

f:id:hinafkin:20210524202206j:plain

2 世界の主な女性像

 ウィキペディアなどを中心に、世界の主な女神像をピックアップすると、次のとおりです。

f:id:hinafkin:20210524202229j:plain

 

 なお、春成秀爾氏の「旧石器時代の女性像と線刻棒」は、図1の分布図を掲載し、ヨーロッパの女性像を5段階に分け、象徴的な表現から写実性を増していき、「28000 年前頃に女性像の歴史は閉じている」とし、ロシア平原では形式的表現から写実的になり、さらに全体が扁平化し、最後は身体の厚みは戻るが乳房の表現を省略し、23000年前頃に終焉しているとしています。

     f:id:hinafkin:20210524202334j:plain

f:id:hinafkin:20210524202358j:plain

3 日本の主な女性像

 日本の主な女性像は、旧石器時代のものは発見されておらず、縄文時代草創期の13000年前ころの粥見井尻遺跡と相谷熊原遺跡の土偶がもっとも古く、縄文中期・後期の5500~3500年前頃に中部高原で、晩期の3200~2400年前頃には東北地方で遮光器土偶が盛行しています。

 f:id:hinafkin:20210524202416j:plain

  

            f:id:hinafkin:20210524202518j:plain

      

f:id:hinafkin:20210524202545j:plain

        f:id:hinafkin:20210524202633j:plain

 f:id:hinafkin:20210524202727j:plain

 

4 世界の女性像の考察

 以上、主な石器・土器時代の女性像からの仮説的な考察を行っておきたいと考えます。

⑴ 女性像はアフリカ起源ではないかも

   スサノオ大国主建国は「霊(ひ:祖先霊)」が「神名火山(神那霊山)」から天に昇る天神信仰であったと考えた私は、エジプトのピラミッドもまた神名火山(神那霊山)信仰を示しているのではないか、との仮説を考えていましたが、「日立 世界不思議発見」(ミステリーハンター竹内海南江)を見て、私のこの仮説が正しかったことを確認できました。

                                  f:id:hinafkin:20210524202806j:plain

 河江肖剰氏の解説ではギザのピラミッドの上が白、下が赤のツートンカラー様式は、上エジプト・白と下エジプト・赤を統一した王朝の色という説ですが、私は四角錘の形状で上が白、下が赤の雪山をモデルにしたものと考え、母なるナイル川源流を捜し、木村愛二氏のホームページから万年雪をいだくルウェンゾリ山にたどり着きました。―「縄文ノート56 ピラミッドと神名火山(神那霊山)信仰のルーツ」参照

 女性像についても、同じような可能性を考えたのですが、石器時代の女性像をアフリカで発見することはできませんでした。現在の考古学では「女性像アフリカ起源説」は成立せず、ヨーロッパや日本でそれぞれ独自の女性像文化を作った可能性が高いと考えます。

  

⑵ 女性像(ヴィーナス像)か女神像か?

 縄文文明や世界四大文明をさておき、「ギリシア・ローマ文明」から文明史をスタートさせたい「ヨーロッパ中心史観」は、旧石器時代からの女性像に「ヴィーナス」(ウィキペディアウェヌスは、ローマ神話の愛と美の女神。日本語では英語読み「ヴィーナス」と呼ばれることが多い)の名前を付け、「ギリシア・ローマ文明」の起源がドイツ・フランスあたりにあるかのように演出していますが、日本でもその策略にまんまと乗っかり、茅野市の棚畑土偶(写真1)に「縄文のヴィーナス」などと名付けていますが、明治以来の「拝外史観」「洋才史観」の歴史家たちの恥知らずと言う以外にありません。

 一方、同じ茅野市中ツ原遺跡の土偶(写真2)には「仮面の女神」というまともな名前をつけていると私は考えますが、みなさんはどちらを支持されるでしょうか?

 男性好みの豊満な美女イメージの「ヴィーナス」なのか、それとも氏族・部族共同体の「霊(ひ)・霊継(ひつぎ)」信仰の「女神」なのかでは、縄文時代の見方はおよそ異なってきます。

 写真1~7と図1をもとに、そのデザインを整理すると表4のようになります。 

f:id:hinafkin:20210524202853j:plain

 そのデザインの特徴をみると、次のようになります。

① 4~2.2万年前頃の旧石器時代のヨーロッパ・ロシアの女性像は、大きな乳房とお腹、尻、性器を強調しており、妊婦あるいは中年女性像を示しています。

② その後、5400~4300年頃のエーゲ海のキクラデス文明になると、女性像は長身(首長・足長)・細身の性的特徴を抑えたデザインになり、2100年前頃のキクラデス諸島ミロス島の「ミロのヴィーナス」となると写実的な若い女性像となります。

③ 5000~4500年前頃のインダス文明では、乳房が大きな写実的なテラコッタが見られますが、メソポタミア文明には衣服を着た正装の女性像しか見られません。

④ 日本では縄文草創期の13000年前頃の三重県の粥見井尻土偶滋賀県の相谷熊原土偶は豊かな乳房の女性像ですが、5000~2400年前頃の縄文中期・後期になると、正中線がありお腹や尻が大きい妊婦像と乳房が小さいかあるいは無い性的特徴を抑えた女性像の2種類になります。また、刺青あるいはボディペインティングが見られるとともに、仮面の女性像も特徴的です。

⑤ 以上のように、女性像は全人類に広く見られるのではなく、ヨーロッパ・ロシアとインダス、日本に偏っており、さらに地域や時代によって変化を見せています。すべてを「ヴィーナス」あるいは「女神像」と呼ぶことができるのか、それとも地域・時代によって異なるのか、作者の創作意図や氏族・部族社会の中での役割を考察したいと思います。

 

⑶ 女性像の作者は女性か、男性か?

 縄文土器の作者については、男性説・女性説があり、さらに私は土器づくり職人・芸術家がおり、分業体制が確立していた、と考えています。

 女性像の製作についても、視覚から性的興奮を覚える男性が作った可能性があるとしても、レベルの高いものは造形家がいた可能性が高く、特に、絵文字の可能性のある文様を刺青あるいはボディペインティングしたものは、土器づくり職人・芸術家が製作した可能性が高いと考えます。

 

 ⑷ 女性像はなぜリアルでないのか?

 ヨーロッパの洞窟壁画は64000年前頃からスペインやフランスの洞窟に見られ、20000年前頃の後期旧石器時代アルタミラ洞窟壁画(スペイン北部)やラスコー洞窟壁画(フランス西南部)に描かれた馬や牛などの描写力からみて、同じネアンデルタール人あるいはクロマニョン人が女性像を作ったなら、同程度の素晴らしいリアルな女性像を造った可能性が高いと考えられます。

        f:id:hinafkin:20210524203007j:plain

 一方、これらの洞窟壁画には同程度の描写力で人物が描かれていないことからみて、旧石器人は人物像を描くことを忌避した可能性が高いと考えられます。

 可能性としては、狩りを行う動物を描くことはそれらの動物を殺すことを願う行為になるため、人を描くことは人を殺すことに繋がるので、人物を描かなかったという理由です。描くことは、霊(ひ:魂)を奪うことになる、と考えたのです。

 そのような宗教心があったため、男性像を造ることはなく、女性像を造っているのはなぜでしょうか?

 私はそこには、霊(ひ)を産み、霊継(ひつぎ)を行う女神信仰があったと考えます。乳房や腹・お尻・性器を強調しながら、あえて顔を造っていないのは、リアルな人物像とすることを避け、妊婦を殺してしまうことを防いだと考えます。 

 私はヨーロッパ・ロシアのアンデルタール人あるいはクロマニョン人による女性像は、女性奴隷を獲得してイメージした男性社会のギリシア・ローマ文明の性的興奮を催す造形としてのリアルな「ヴィーナス」の名前を付けるべきではなく、「女神像」と名前を変えるべきと主張します。

 日本の縄文土偶も同じであり、リアルな人物像にすることを避け、「女神」とするために、仮面あるいは遮光眼鏡を付け、皮膚には模様(絵文字)を描き、具体的な女性像とは離れたデフォルメした造形とし、利用後は壊して土に帰したのです。

 製作者は、後の仏師と同じように、宗教的な行為として女神像を造ったのです。

 

⑸ 女性像は母系制社会を示す

 ギリシア・ローマ文明の「ヴィーナス像」が征服戦争による女性奴隷化により男性優位の父系制社会を示すのに対し、安産・多産を願う「女神像」は母系制社会の宗教を示しています。

 「縄文ノート34 霊(ひ)継ぎ宗教論(金精・山神・地母神・神使)」「縄文ノート32 縄文の『女神信仰』考」で示したように、今も残る群馬県片品村の金精信仰は、女神が住む山に男性が「金精(男根)」を捧げる女人禁制の祭りであることからみても、縄文時代の石棒(男根)は円形石組や環状列石で示す地母神の性器に捧げる祭りが行われていた可能性が高いことを示しています。

     f:id:hinafkin:20210524203043j:plain

 「縄文ノート35 蓼科山を神名火山(神那霊山)とする天神信仰」で私は次のように書きましたが、ヨーロッパ・ロシアの「女神信仰」は縄文の「女神像」から証明できると考えます。

 

 蓼科山縄文人が信仰する円錐形の美しいコニーデ式火山の神名火山(神那霊山)であり、諏訪富士と呼ばれています。吉田金彦元大阪外大教授の「信濃=ひな野説」によれば、「たてしな=たてひな」であり、「霊那(ひな)=霊の国)」のシンボルとなる山になります。沖縄の南西諸島では女性器を「ひー」、天草地方では「ひな」といい、倭名類聚抄ではクリトリスのことを「ひなさき(雛尖)」としていることからみて、「たてひな山」は地母神の女性器信仰を示している可能性があります。

 ウィキペディアによれば「神代の頃、諏訪に建御名方神が入ってくると、武居夷(たけいひな)神は建御名方神に諏訪の国を譲り、自らは蓼科山の上に登ったという」とされ、「蓼科山にはビジンサマという名のものが住んでいるという伝承がある。姿は球状で、黒い雲に包まれ、下には赤や青の紙細工のようなびらびらしたものが下がっており、空中を飛ぶ」という伝承もあることからみて、この地はもともと「居夷神(いひな神=委の日名王)」の支配地であり、「夷(ひな)=ひ=び」の神「ビジン=霊神」という山神の山、頂上部が丸い黒い溶岩の山として信仰されていたことを示しています。

 

5 まとめ

 西欧中心主義のマルクス主義を含む歴史学の輸入・翻訳学者によって、日本の縄文時代は「野蛮・未開文明」に押し込まれ、軍国・侵略主義のユダヤキリスト教ギリシア・ローマ文明を世界標準とする歴史観を世界に押し付けてきました。

 その結果、家族・氏族・部族共同体の母系制社会段階は、歴史から葬り去られ、マルクス・エンゲルスによって「共同体社会」は「奴隷制社会」の前の「未開社会」とされ、歴史を貫く「家族・氏族・部族・市民共同体」の主体的な共同体社会像の探求は葬りさられてしまい、理想社会は「原始共同体社会」への回帰とされてしまいました。

 この誤った西欧中心主義の歴史観による「ヴィーナス女性観」ではなく、「縄文女神像」からの世界史への問題提起が求められます。

 若い世代の皆さんが縄文を引っ提げ、アフリカ・アジア・南北アメリカ中心の世界史研究に出かけていくことを期待したいと思います。

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/