ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート59(Ⅵ-9) 日本中央縄文文明の世界遺産登録への条件づくり

 私は小学校までは岡山市、中高時代を姫路市で過ごしましたが、実家に帰るたびに新幹線も駅も外国人が増えていくのにびっくりしたものです。1993年の姫路城の世界遺産登録で観光客は80万人台から2015年度には286万人に達し、うち外国人は年間4~5万人から30万人を超えています。

 さらに仕事先の平泉町では「平泉‐仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」の世界遺産登録運動を行っており、自然保護で焦点となっていた白神山地や知床、屋久島などにも関心があり、「出雲を中心とした霊(ひ)信仰(八百万神の神名火山信仰)」や「金精信仰と神使(しんし)文化」などの世界遺産登録の提案を行ってきました。

 現在、「世界四大文明」や「ギリシア・ローマ文明」とは異なる「共同体文化」として日本中央縄文文明(長野・新潟・群馬・山梨)の世界遺産登録を目指すべきと考えてきており、今後、どのような条件整備が必要か、思いつく点をメモしました。

                             210226 雛元昌弘

 

※目次は「縄文ノート60 2020八ヶ岳合宿関係資料・目次」を参照ください。

https://hinafkin.hatenablog.com/entry/2020/12/03/201016?_ga=2.86761115.2013847997.1613696359-244172274.1573982388

 

1 経過

 世界遺産登録の提案を行うようになった経過は次のとおりです。

・2015年6月 群馬県片品村尾瀬世界遺産登録が難しいことがわかり、代わり「金精信仰と神使(しんし)文化を世界遺産に」を提案

・2015年7月 「大湯環状列石三内丸山遺跡が示す地母神信仰と霊(ひ)信仰―北海道・北東北の縄文遺跡群の世界遺産登録への提案」を『季刊日本主義31号』に発表

・2015年9月 「群馬・新潟・長野縄文文化世界遺産登録運動」を縄文社会研究会で提案

・2018年6月 「スサノオ大国主建国論その2 『八百万の神々』の時代」『季刊山陰』36号)で「霊(ひ)信仰と出雲大社」の世界遺産登録を提案

・2020年3月 FB『ヒナフキンの縄文ノート』に「縄文ノート11 『日本中央縄文文明』の世界遺産登録をめざして」をアップ

・2021年1月 「縄文ノート58(Ⅵ-8)」として更新

 

2 登録基準

 世界遺産登録には、下記の登録基準のいずれか1つ以上に合致するとともに、真実性(オーセンティシティ)完全性(インテグリティ)の条件を満たし、締約国の国内法によって、適切な保護管理体制がとられていることが必要とされています。注:アンダーラインは筆者

 

① 人間の創造的才能を表す傑作である。

② 建築、科学技術、記念碑、都市計画、景観設計の発展に重要な影響を与えた、価値観の交流を示すもの。

③ 現存するか消滅した文化的伝統又は文明の存在を伝承する物証として無二または希有な存在。

④ 歴史上の重要な段階を物語る建築物、集合体、科学技術の集合体、景観を代表する顕著な見本。

⑤ ある文化(または複数の文化)を特徴づける伝統的居住形態、陸上・海上の土地利用を代表する顕著な見本、人類と環境とのふれあいを代表する顕著な見本 (特にその存続が危ぶまれているもの)。

⑥ 顕著な普遍的価値を有する出来事(行事)、生きた伝統、思想、信仰、芸術的・文学的作品と直接または関連がある(他の基準とあわせて用いられることが望ましい)。

⑦ 最上級の自然現象、又は、類まれな自然美・美的価値を有する地域。

⑧ 生命進化の記録や、地形形成における重要な進行中の地質学的過程、重要な地形学的又は自然地理学的特徴など、地球の歴史の主要な段階を代表する顕著な見本。

⑨ 陸上・淡水域・沿岸・海洋の生態系や動植物群集の進化・発展において、重要な進行中の生態学的過程又は生物学的過程を代表する顕著な見本。

⑩ 学術上又は保全上顕著な普遍的価値をもつ絶滅のおそれのある種の生息地など、生物多様性の生息域内保全にとって最も重要な自然の生息地を包含する。

 

 これらの条件のうち、「日本中央縄文文明」では文化遺産として①③⑤⑥の基準が当てはまり、「適切な保護管理体制がとられている」ことが重要と考えます。

 この適合条件をほぼ満たしている点については、「Ⅵ-2(縄文ノート49) 『日本中央縄文文明』の世界遺産登録をめざして」を参照下さい。なお、石器農具と土器鍋のおこげに加えて、現代に続く長野県栄村秋山郷やかつての山梨県早川町奈良田の「焼畑農耕」を加えて⑤の基準も満たすことができると考えるようになり、「Ⅵ-2(縄文ノート49)」は修正を行いました。

 問題点としては、「国内法によって、適切な保護管理体制がとられている」という点において、高速道路によって環状列石が分断された阿久遺跡にはやや難点があるかもしれません。

 「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界遺産登録が③⑤での申請に対し、「日本中央縄文文明」では①⑥を加えた①③⑤⑥の基準による、より包括的な申請になります。

 

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3.全国・世界へ向けた情報発信へ

 今、「日本中央縄文文明」として長野・新潟・群馬・山梨の縄文遺跡と展示施設、祭りを想定していますが、それらの遺跡発掘や研究、展示施設の整備、観光への取組みなどは進んでいるものの、「世界の共同体文明解明の鍵となる縄文文明」として位置づけた展示や研究、復元などはできていないように思います。

 縄文遺跡・遺物中心ではなく、人(霊人)だけでなく生類全ての霊(ひ)が死後に肉体から離れて神名火山(神那霊山)の磐座(いわくら)や神木(神籬:ひもろぎ)から天に昇るという天神信仰、死者の霊が海や地底に帰り黄泉帰るという海神信仰や地母神・女神・性器信仰、天神と海・大地を繋ぐ雨や鳥、龍や雷などの崇拝、霊(ひ)を山上に運ぶ鳥や蛇・猿・狼などの神使の信仰、共同体信仰のシンボルの巨木楼観神殿と環状列石、再生可能型の焼畑農耕と水辺水田農耕、縄文土器鍋による煮炊き蒸し料理文化、鳥獣害対策の大量の黒曜石鏃生産、穀物食を可能にした製塩と塩干物の生産・流通、母系制社会の妻問夫招婚のヒスイやメノウ・貝製品の広域流通、日本海の海洋交易、縄文土器土偶・耳飾りデザインや縄文絵文字など、縄文文明の全体像を世界文明の中に位置付けた研究と展示への次のステップが求められます。縄文時代を「野蛮・未開段階」の前文明社会に押しとどめるべきではありません。

 今、近代文明が転換点にあるとき、森と水の循環を基本とした持続的発展可能な共同体文明の豊かな内容を明らかにし、世界標準として世界にアピールすべきと考えます。現状の各展示施設は「食材は素晴らしいのに、料理ができていない」「仏作って魂入れず」という印象です。世界遺産登録を視野に入れ、世界に影響を与える「縄文共同体文明」の生産・生活・社会・宗教・文化の全体を示すとともに、アフリカを出てからの数万年の民族移動の歴史とスサノオ大国主建国までの全体像を押し出し、各施設・遺跡の連携強化(ネットワーク化)と磨き上げ(ブラッシュアップ)を図るべきと考えます。

 なお、「適切な保護管理体制」という条件は、御柱祭片品村の赤飯投げや猿追いの祭り、栄村秋山郷焼畑などはクリアしているものの、日本最大の縄文集落跡の可能性のある茅野市中ツ原遺跡や大規模墓地跡の原村阿久遺跡は埋め戻されており、前者は一部が公園化されているものの大部分は農地であり、後者は中央自動車道で分断されており、再整備の検討も求められます。

 

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4.縄文文化・文明のテーマ博物館・体験施設へ

 現在、長野・新潟・群馬・山梨の縄文遺跡の各展示施設は充実していますが、発掘の記録的展示が中心であり、世界の文明史の解明に寄与することができる「縄文社会・文化・文明全体」を明らかにする展示施設としては不十分と言わざるをえません。

 世界の共同体文明との関係を明確にしながら「神山(神那霊山)・神木(神籬)・天神信仰」「龍神天神信仰」「自然循環と調和した分散共同型の焼畑農耕」「生産分業交易社会」「健康長寿の土器鍋による煮炊き蒸し料理の縄文食」「母系制共同体社会の女神(地母神)信仰」「縄文アート・絵文字」など人類史の解明に向けてテーマを明確にした博物館・展示館化を進めるとともに、縄文遺跡の国営の「縄文歴史公園化」、木の文明を世界にアピールする「巨木楼観神殿シンボル施設復元」など、国際的な文化文明の観光施設として磨き上げる(ブラッシュアップ)する必要があると考えます。

 そのためには、考古学・歴史学の枠を超えて、人類文明史の解明に向けて民族学文化人類学・農学・民俗学言語学・芸術文化など広範な関係者の連携が求められるとともに、歴史文化財政が厳しい中で、焼畑農耕・縄文食や祭りの維持、埋め戻し遺跡の再整備・公園化、展示施設の更新なども含めて、住民の盛り上がりが欠かせません。また、世界の共同体文化の研究者との協力も重要となります。

 

5.世界遺産登録に向けての環境づくり

 地元をさておいての先走った提案で恐縮ですが、議論の材料にしていただければとコンサル感覚でメモしました。

⑴ 阿久遺跡の「縄文歴史公園化」:世界5神山のイメージづくり

 上が白色で裾が赤色のピラミッドのルーツであるナイル川源流の「月の山」ルウェンゾリ山、メソポタミアの「ノアの箱舟」伝説のチグリスユーフラテス川源流のアララト山バラモン教・仏教などで世界の中心の須弥山とされたインダス川源流のカイラス山、黄河流域の泰山などの共同体社会の世界の神山(聖山)・山上天神信仰は日本各地の神名火山(神那霊山)信仰にもみられます。―「縄文ノート56(Ⅲ-11)ピラミッドと神名火山(神那霊山)信仰のルーツ」「縄文ノート57(Ⅵ-7) 4大文明と神山信仰」参照

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 このわが国の神名火山信仰を示すのが上川(古くは神川の可能性)源流の女神「ビジン(霊神=霊人)」の住む神名火山(神那霊山)の蓼科山であり、阿久遺跡の石棒から蓼科山に向かう2列の通路を示す石列はこの信仰が5000年前頃に遡ることを示しています。 

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  なお、「縄文ノート44(Ⅴ-2) 神名火山(神那霊山)信仰と黒曜石」で述べましたが、鬼怒川源流域の1440mもの高原山で黒曜石原産地を旧石器人が見つけた理由としては、神名火山(神那霊山)信仰しか考えられず、そうすると日本列島での神名火山(神那霊山)信仰は後期旧石器時代初頭(19000~18000年前頃)に遡ります。

 ルウェンゾリ山やケニア山、キリマンジャロあたりに住み、神名火山(神那霊山)信仰を持った人たちの一部は、出アフリカを果たして日本列島にたどり着いた後、各地で農耕開始とともに河川の源流域の神名火山(神那霊山)を信仰するようになったと考えられますが、今のところ祭祀遺跡と認められるのは5000年前頃の阿久遺跡・中ツ原遺跡からと考えられ、国の特別史跡の指定がなされるべきと考えます。

 現在、阿久遺跡は中央自動車道で分断されていますが、国営吉野ヶ里歴史公園のような「縄文歴史公園」を目指した取組により、中央自動車道の北側に蓼科山を望む石棒・石列の復元を考えるべきではないでしょうか。 

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⑵ 蓼科山信仰を示す中ツ原遺跡の8本柱巨木楼観神殿の復元

 貝や黒曜石、ヒスイの交易からみて、私は茅野市の中ツ原遺跡の8本柱巨木建築と青森市三内丸山遺跡の6本柱巨木建築は同じ建築思想・技術で作られたものであり、蓼科山八甲田山を神名火山(神那霊山)として崇拝する楼観神殿として考えてきました。―「縄文ノート33(Ⅲ-3) 『神籬(ひもろぎ)・神殿・神塔・楼観』考」「縄文ノート50(Ⅵ-3) 縄文6本・8本巨木柱建築から上古出雲大社へ」参照

 今、中ツ原遺跡の8本柱は柱列として、三内丸山遺跡の6本柱は屋根のない見張り台として復元されていますが、前者は「高層か低層か」、後者は「柱列か建物か」の意見を「足して2で割る」という科学的根拠に乏しい中途半端な復元に終わっています。

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 できの悪い建築学科卒としての意見ですが、縄文時代巨木建築と紀元2世紀頃の杵築大社(出雲大社)、3世紀の吉野ヶ里遺跡原の辻遺跡の巨木建築が同じ建築思想・技術で作られていない、など考えられません。

 さらに多雨・多雪のこの国で屋根や壁のない建物など作るでしょうか? 「縄文人ワイルドだぜ! 屋根や壁などいらないぜ!」と野蛮人・未開人あつかいするなら、その証明をすべきでしょう。

 魏書東夷伝倭人条が「楼観」(高殿)と記録している邪馬壹国の吉野ヶ里遺跡原の辻遺跡で壁のない「物見台」「見張り台」として復元しているのもまた意味不明です。紀元2世紀に大国主の「天の御舎(みあらか)」「天の御巣(みす)」「天の新巣(にいす)」「天日隅宮(あめのひすみのみや)」「所造天下大神宮」として建てられたと記紀風土記が記載している杵築大社(出雲大社)の伝統を引き継いだ神殿としてなぜ復元しなかったのか、理解に苦しみます。記紀風土記を後世の創作として無視してきた津田左右吉氏の亡霊が未だにこの国の考古学や建築学を支配しているようです。

 「土と石」の4大古代文明に対し、「森と水を活かした再生可能な焼畑農耕と水辺水田農業」の日本列島文明は「土と木」の建築・土木文明でもあり、その原点である縄文文明のシンボル施設の復元においては、縄文人の宗教から議論を尽くした上での復元が求められます。

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 「仏作って魂入れず」とならないよう、女ノ神山と呼ばれ武居夷(たけいひな)・ビジン(霊神・霊人)の住むとされた蓼科山信仰と「仮面の女王」女神像からの中ツ原8本柱巨木建築の再現が求められます。―「縄文ノート35(Ⅲ-5) 蓼科山を神名火山(神那霊山)とする天神信仰について」「縄文ノート40(Ⅲ-10) 信州の神名火山(神那霊山)と霊(ひ)信仰」参照 

 

⑶ 「天神信仰博物館」づくり

 死者の霊(ひ)が天に昇って神となり、降りてくるという天神信仰は、女神(地母神)信仰と結びついた神名火山(神那霊山)信仰だけでなく、「神=霊(ひ)」とする神籬(ひもろぎ:霊洩木)信仰、霊(ひ)の依り代となる御柱祭、天地を結ぶ海蛇や蛇・トカゲ蛇・龍神・雷神・水神信仰、死者の霊(ひ)を運ぶ鳥や猿・狼・鹿などの神使信仰などとして、縄文時代から現代にいたるまで続いています。

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 縄文土器の縁飾りの龍、土器や土偶の蛇とともに、諏訪大社神社(前宮・御左口神境内・上社・下社)の御柱祭などの祭祀、各神社の八百万神信仰、片品村の猿追い祭りや女体山などへの金精(木やしとぎの男性器)の奉納など、霊(ひ)信仰の解明と各博物館・展示館などでの総合的な展示が課題です。

 なお、宗教に関わる展示やイベントについて行政が関わるのは憲法の「政教分離の原則」からいかがなものか、という批判がありそうですが、歴史的な解説、世俗的な習俗・イベントとして問題はないと考えます。

 

⑷ 「縄文農耕・縄文食博物館」づくり

 地球環境や食料、格差社会化の危機が叫ばれている現在、人類史の視点からこれからの社会を考えるべきであり、博物館や展示館には石器や縄文土器土偶などのモノ中心展示から、縄文人の生活・産業・社会・文化・宗教などを総合的に解明し、現代と未来に活かすことが求められます。

 縄文焼畑農耕を認めない「米中心文明史観」がまだ支配的ですが、長野県富士見町の井戸尻考古館などの取り組みにより転換期を迎えてきています。沖積平野での大規模灌漑による「集中集約型農耕」の文明史観に対し、自然と調和した持続的発展可能な焼畑農耕など「分散共同型農耕」の文明史観の確立が求められます。

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 縄文時代焼畑天水6穀栽培から水辺水田稲作を経て、その成熟の上に縄文人社会の内発的発展としてスサノオ大国主一族の沖積平野での「五百鋤々」の鉄器水利水田稲作の普及による百余国の「葦原中国」「豊葦原水穂国」の建国があったことを、各地域の発掘成果と記紀・伝承を結び付けた分析から明らかにすべきと考えます。

 「縄文・弥生断絶史観」「8割の弥生人朝鮮人・中国人)による縄文人征服史観」「弥生人天皇家の建国史観」による郷土史からの転換です。 

 焼畑農業とイモ豆栗6穀縄文食の解明により、全世界の共同体文明の解明に示唆を与えるような時空スケールアップした各展示施設の展示の更新が求められます。同時に、「イモ豆栗6穀の里づくり」「土器鍋の里づくり」など、住民による健康長寿食の取り組みも重要です。

 さらに、縄文農耕の鳥獣害対策に欠かせない「黒曜石鏃分業生産・流通」や、穀物食に欠かせない「縄文製塩と塩の道交易」など、ドラヴィダ系海人・山人族の縄文文明として総合的な解明・展示が求められます。

 また、この「縄文農耕・縄文食」を支えたのが女性であり、海人(あま)・山人(やまと)として海や山に出かけていた男性との妻問夫招婚であったことは、神山信仰(お山信仰)が山を女性神とみなしていたこや、貝の腕輪や土器製の耳飾り、ヒスイのペンダント、後の記紀に書かれた多くの女王国などからも裏付けられます。

  

⑸ 「縄文アート博物館」のイメージづくり

 岡本太郎氏が絶賛し、大英博物館などの展示では「ピカソが何人もいる」と絶賛された縄文土器土偶・女神像などについては、実用的な生活雑器とは別の、宗教祭具の芸術作品とみなすべきものを分離 展示し、縄文人アーティストの存在を認めるべきと考えます。

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 豊かな食料に裏打ちされた、明らかに高度な分業社会が成立し、豊かな文化的芸術的生活が実現されていた文明として認めるべきです。

 「野蛮・未開縄文人史観」に基づく展示から「縄文アート美術館」への転換が求められ、展示にあたっては芸術家・工芸家の意見を反映させるべきと考えます。

 

6.各施設のネットワークに向けて

 今、各施設のホームページや地域ごとのパンフレット、観光案内ホームページなどは充実し、「日本遺産ポータルサイト」に「―数千年を遡る黒曜石鉱山と縄文人に出会う旅─」が設けられ、各県のサイトなども整備されています。

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 しかしながら、日本中央の縄文社会・文化・文明の全体像を把握でき、欧米・アジア・アフリカにも情報発信できるホームページはまだありません。最初の課題は情報発信になりますが、行政主導だと平等性が求められて画一的な紹介となり、しかも調整に時間がかかり、民間の取り組みなどはなかなか載りませんから、民間でのネットワークづくりが重要と考えます。各遺跡とも自分のところが一番と思っており、客観性・公平性から紹介に濃淡をつけることの難しさがどこまでもつきまといますが、観光ガイドブック感覚のホームページが利用者からは求められます。

 また、分散共同型社会の縄文遺跡は各地に分散しており、多くの施設を見て回るにはマイカーかレンタカーでないと難しく、個人観光の若者や高齢者、外国人には周遊見学は困難です。各県・地域ごとに、休日などには周遊バス、平日には乗り合いタクシーなど、周遊観光の交通体制の整備が求められます。

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□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団              http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/