ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート45(Ⅴ-22) 縄文人ドラえもん宣言(ドラヴィダ系海人・山人族宣言)

 昔、ちょっとだけ合気道をやり、妻が太極拳をやっていることもあり、興味があってNHKのBS1スペシャルの『真実への鉄拳〜中国・伝統武術と闘う男〜』を見ると、なんと、インドを口汚くののしる武術家(総合格闘技の男性と対戦して敗れた)が愛国者として支持を集め、総合格闘技家はネットで情報遮断されて活動できない、というのです。今、中印が国境で衝突していますが、国内矛盾をそらすために、愛国心に訴えるという政治が常套手段となれば、世界が格差社会化している中で危険な時代に差し掛かっていることが心配されます。

 スポーツや武術で「強ければいい」とは考えませんが、気功など伝統的な武術家にはウソが多い、という総合格闘技家の主張もわかり、さらに習近平主席の「中華民族の偉大な復興」の夢が中印紛争や排外的な愛国心に繋がっていることには危惧を覚えました。「縄文人ドラえもん(ドラヴィダ系海人・山人族)説」で「倭音倭語・呉音漢語・漢音漢語三重構造言語」の漢字文化に親しんでいる私としては、印中両国の民族和解を強く願わずにはおれません。

 本稿は、2010年10月15日の「縄文ノート17 ドラえもん宣言(海人・山人ドラヴィダ族宣言)」を、「縄文ノート43 DNA分析からの日本列島人起源論」「縄文ノート44 神名火山(神那霊山)信仰と黒曜石」での考察をもとに加筆・修正したもので、「縄文人ドラえもん」というキャッチコピー(宣伝文句)の紹介としてみていただければと思います。                       210123 雛元昌弘

 

※目次は「縄文ノート60 2020八ヶ岳合宿関係資料・目次」を参照ください。

https://hinafkin.hatenablog.com/entry/2020/12/03/201016?_ga=2.86761115.2013847997.1613696359-244172274.1573982388

 

 Ⅴ-22 縄文人ドラえもん宣言(ドラヴィダ系海人・山人族宣言)

                                                                                   201015→1203→210123 雛元昌弘

 縄文人ドラえもん(ドラヴィダ系海人・山人族)

 8月3~5日の縄文社会研究会・東京の八ヶ岳合宿を挟んで7月下旬から「書きこもり」になり、日本語起源論と日本列島人起源論に集中し、DNA・言語・農耕・食生活文化・宗教(霊(ひ)・性器・神那霊山・神籬・龍神信仰)などの分析を行ってきました。

 これまで異説として無視されたきた各分野の専門家の諸研究の成果を総合し、縄文人と倭語の起源が38000年前頃にエチオピアあたりから出アフリカを果たしてインド原住民となり、後の5000年前頃のインダス文明を作り上げた「主語-目的語-動詞」言語のドラヴィダ語を受け継いだ「ドラヴィダ系海人・山人族」こそが日本列島の縄文人の起源であるとの結論に達しました。

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 なお、これまで「ドラヴィダ海人・山人族」などと表現してきましたが、DNAのドラヴィダ族ではなく、ドラヴィダ語・文化を受け継いだということで「系」をつけて、「ドラヴィダ系海人・山人族」などと表現したいと思います。

 私がこのような説にいたったそもそもの出発点は、鳥浜遺跡のヒョウタンの起源が西アフリカであることを知り、ヒョウタンに入れた水を飲み、種子を入れて運んだ「海の道」から日本列島人のルーツを考え始めたことにあります。

 熱帯系のヒョウタンを持った「主語-目的語-動詞(SOV)」言語族の「海の道」移動ルート、毎日新聞倉嶋康記者(長野北高校→早大)による竹筏ヤム号のフィリピンから鹿児島までの航海実験、中尾佐助・佐々木高明氏らの「照葉樹林文化論」の稲作・米食文化「アッサム・雲南起源論」、大野晋氏の「日本語タミル語(ドラヴィダ語)起源説」、さらには篠田謙一・崎谷満・斎藤成也・神澤英明氏らのDNA分析などを重ね合わせたのです。

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 その結果、16000年前頃からの「縄文人のルーツはドラえもん(ドラヴィダ系海人・山人族)である」というのが私の揺るがぬ現時点での結論です。

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 アフリカ西海岸から赤道に沿ってアフリカの角、今のエチオピアケニアあたりに移動した「主語-目的語-動詞」言語族は温暖期の38300年前頃にアフリカを出て西進してインド大陸に移住し、原住民のドラヴィダ族となりました。

 その後、Y染色体Ⅾグループの「ドラヴィダ系海人族」は東インドミャンマービルマ)海岸部やミャンマー沖のアンダマン諸島に移住し、その一部は東インドミャンマーラオス雲南高地に移住して「ドラヴィダ系山人(やまと)族」となり、肌の色を変え、山道で重い荷物を運ぶ生活から短足・ガッシリ型になります。

 そして寒冷期の32000年前頃に二手に分かれ、チベットからバイカル湖畔(ブリヤート族:モンゴル族のルーツ)、さらにシベリアの草原を経て20000年前ころに北海道に移動した細石刃槍で大型動物を追った一群と、山を南に下りてドラヴィダ系海人系族と共同で竹筏と丸木舟に乗り、今の南シナ海ベトナム:東海、フィリピン:ルソン海、インドネシア:北ナトウ海)にあったスンダランドに移住し、温暖化によって水没を迎え、16000年前頃に竹筏と丸ノミ石斧による丸木舟で日本列島まで移住した新石器人がいました。彼らこそが日本人の遺伝子で多数を占めるY染色体Ⅾ系統の縄文人となったと考えます。

 

旧石器人のルーツは北方か南方か?

 残る問題は、さらに前の36000年前頃に隠岐島の黒曜石を丹後半島に運んだ旧石器人や35000年前頃に諏訪の星糞峠で黒曜石を採掘した旧石器人、沖縄の白保竿根田原洞穴27000~15000年前頃の19体の遺骨を残した旧石器人のルーツです。白保人のうち、2~10000年前とされた2人のミトコンドリアDNAはM7aの南方系であることが明らかとなっていますが、「東南アジアン海人族」が先にやってきていたのか、それともY染色体Ⅾ型のドラヴィダ系海人・山人族がもっと早い時期にミトコンドリアM7a・Y染色体O系の人たちとやってきたのか悩みましたが、最終的には旧石器人は「東南アジアン海人族」という判断に至っています。

 

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 アフリカの「主語-動詞-目的語(SVO)」言語族は53000年前頃にアラビア半島を経て「出アフリカ」をはたし中央アジア・ヨーロッパに向かった「Y染色体Jグループ」と、アフリカを出て「海の道」を通り、東南アジアと中国に広がった「Y染色体Oグループ」があります。

 第2波は38300年前頃に「Y染色体Ⅾグループ」で、日本人に一番多いドラヴィダ系海人・山人族の縄文人となり、第3波の「Y染色体Cグループ」は27500年前頃にアフリカをでて草原の道を大型動物を追ってシベリアに向かいます。

 これらの3グループのうち、日本列島には4~30000年前頃に琉球Y染色体Oグループの「東南アジアン海人族」が竹筏で黒曜石文化を持ってやってくるとともに、北からは20000年前頃に石刃槍を持ったドラヴィダ系山人族の「シベリアン」がやってきます。

 その後、16000~12000年前頃に南方のスンダランドから竹筏と丸ノミ石斧による丸木舟で日本列島まで移住したドラヴィダ系海人・山人族と、北方からのドラヴィダ系山人族が本州で出会い、彼らこそが日本人の遺伝子で多数を占めるY染色体Ⅾ系統の縄文人となったと考えます。

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 日本がインドネシアベトナム・フィリピン・台湾のような多言語・多文化の多民族国家にならなかったのは、北と南から同じドラヴィダ語系の多数が合流し、先住していた少数の東南アジアン海人族とは日本列島で争うことなく、活発に交流・交易・妻問婚を行ったからと考えます。

 なお、朝鮮半島あるいは長江(揚子江)流域からの多数の弥生人朝鮮人・中国人)が移住し、縄文人を征服したという説が見られますが、Y染色体Oグループが少数であることや、稲のDNA分析や稲作・米食文化に関わる多くの単語が漢語・朝鮮語ではなく倭音倭語であり、そのルーツがドラヴィダ語系であることからみて、弥生人縄文人征服説が成立しないことは明らかです。

 旧石器・縄文時代を通して、日本列島には東南アジア、中国・朝鮮、シベリアから多くの漂流民・移住民が絶えず渡来しており、毎年5人とすれば3万年で15万人あまりになり、言語は「倭音倭語」に「呉音漢語」「漢音漢語」が加わった3重構造の多DNA・多文化民族であり、この独自性と多様性のある日本列島文明から、これからの国際社会の中での日本人の未来を考えるべきと思います。

 気候変動などの危機に対し、リスクを恐れない冒険心と探究心にあふれた日本列島人の先祖たちの多くは、アフリカ大陸を出て南廻りの「海の道」から7次に渡る大移動を行い、「主語-動詞-目的語」言語の東南アジア諸民族の間を縫い、文化を吸収しながら日本列島にたどりつきました。

 そして島国という地理的障壁に守られながら閉じ籠ることはなく、活発に交易・交流を行い、中国文化を吸収しながら内発的自立的な独自の発展をとげてきました。

 ヨーロッパ西端の辺境のイギリスで産業革命が始まり、アジア東端の日本がなぜアジアで最初に近代化をなしとげることができたのか、西アフリカのニジェール川流域あたりから大移動を行ってきた自主・独立・共同心を持ち、進取にとみ探検・冒険心にあふれた5万年の歴史から未来を考えたいと思います。

 縄文1万数千年の歴史を通して部族間で戦争を行うことなく、多DNA・共通文化の共生・共同社会を築くことができたのは、豊かな海と山の幸に恵まれて食料争奪戦を行う必要や妻問夫招婚の母系制社会で略奪婚の必要がなく、さらにドラヴィダ系海人・山人族もドラヴィダ系山人族もそれぞれもともとスンダランドやシベリアで残留していた東南アジアンやシベリアンたちと交流があり文化を共有していたことと、ドラヴィダ海人族の活発な交流・交易活動により対立・戦争よりも相互利益を甘受できる交換・交易共同体社会を構築できたからと考えます。

 その歴史こそがスサノオ大国主7代の鉄器水利水田稲作による八百万神信仰の「豊葦原(とよあしはら)の千秋長五百秋(ちあきのながいほあき)の水穂(みずほ)国」「葦原中国(あしはらなかつくに)」の百余国の武力統一によらない1~2世紀の建国に繋がったと考えられ、人類史・文明史の中でその歴史は活かされるべきと考えます。

 15~18世紀の大航海時代や19・20世紀の帝国主義時代に西欧で育まれた歴史学は、「適者生存・優勝劣敗・選民思想」の厳しい砂漠地帯で生まれた一神教の白人支配の「文明化」を正当化する歴史観であり、「肉食と戦争が人類を進歩させてきた」という戦争史観であり、マルクス主義もまたその影響を受けた階級闘争進歩史観となっています。

 植民地化の危機の中での清・中華民国の革命家・梁啓超の「世界四大文明論」の影響などにより、日本では旧石器時代は「野蛮社会」、縄文時代は「未開社会」、弥生時代からが「文明社会」というイメージが作り上げられてきましたが、「ドラえもん(ドラヴィダ海人・山人族)」の末裔としては、共同体社会であった数万年の歴史こそ本来の人類のあり方として見直す必要があると考えます。

 地球温暖化による環境・食糧危機や、グローバリズム(世界単一市場化)の格差拡大に伴う民族・地域紛争や宗教戦争、自然・生命・共同性を軽んじる拝金・拝物主義が心配されますが、今こそ、自然破壊の農業・牧畜・機械・都市文明社会、大国中心の国際分業格差社会から、森と海の幸に活かされた農業と漁業、世界に開かれた各国・地域の内発的・自立的発展と相互互恵の交易を重視した開かれた汎地域主義(グローカリズム)、自然・生命・共同社会への転換が求められ、その共通価値の確立に向けて数万年の人類史から考えてみるべきと思います。

 浮世・憂世離れした老人の妄想と思われるかもしれませんが、これから先の「半減期3万年」のプルトニウム社会を考えると、旧石器時代縄文時代はそんなに遠い昔のこととは思えません。

 

◇参考◇

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート   https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ      http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論         http://hinakoku.blog100.fc2.com/