ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート43(Ⅴ-19) DNA分析からの日本列島人起源論

 「われわれはどこからきて、どこへ行くのか」については前から興味があり、DNA分析について何冊か本は買っていたのですが、読めないままになっていました。縄文論をやるようになり、縄文農耕起源論や日本語起源論、龍神信仰・天神信仰起源論などと合わせて、その検討は避けては通れないようになりました。

 若い頃はよく山に登っていましたが「人はなぜ山に登るのか?」も「そこに山があるからだ」では私には納得できません。暖かい海辺で暮らしていて食料に事欠くことがなく、塩分を必要とする縄文人が、なぜ群馬県片品村の山奥に住み、中部地方の山岳地域に住むようになったのか、と疑問に思っていましたが、それは「なぜ舟に乗って遠くに行きたいのか」「釣りをしたいのか」についても同じでした。

 2004年のことですが、日本子ども学会のチャイルド・サイエンス 懸賞エッセイの「子どもの不思議」の募集があり、私の「動物進化を追体験する子どもの遊び」は奨励賞をいただきましたが、それは「動物進化を追体験する子どもの遊び」というもので、その要旨は次のとおりです(ネットで検索すれば見ることができます)。

 

 「子どもたちの木登り遊びのボランティアを行ったことをきっかけに、『子どもは木登りが好きなのは、かつて人が猿であったからではないか』と考えるようになりました。

 さらに、『いない いない ばあ』や『腹すり遊び』『泥遊び』『水遊び』などの考察から、子どもたちは幼児期から10歳頃までの間に、人類のDNAに残されている、魚類から両生類、は虫類、原始ほ乳類から猿、人への進化の過程を短期間に追体験しているのではないか、と考えるようになりました。

 人固有の『社会体験遊び』や『生活体験遊び』、『仕事体験遊び』、『技術・文化体験遊び』も重要ですが、子どもの肉体的・精神的な形成には、このような『動物遊び』も重要である、と考えます。」

 

 同じように、私たちのDNAには数万年の民族大移動の体験が刻まれている可能性があり、日本列島人(ジャポネシア人)がアフリカを出てどういうルートでやってきたのかの解明は縄文研究に欠かせないと考えます。     210115  雛元昌弘

 

※目次は「縄文ノート60 2020八ヶ岳合宿関係資料・目次」を参照ください。

https://hinafkin.hatenablog.com/entry/2020/12/03/201016?_ga=2.86761115.2013847997.1613696359-244172274.1573982388

 

      Ⅴ-19 DNA分析からの日本列島人起源論

                                                                            200924→1023→210115→0404 雛元昌弘

1.DNA分析の有効性と限界

① 人類学では、形態比較(骨、歯)、血液型、ピロリ菌、DNA分析(ミトコンドリアDNA分析、Y染色体分析、核ゲノム分析)などがあり、DNA分析により精度の高い分析が可能となりました。

② ただし、DNA分析自体は科学的としても、第1縄文人など古代人についてはサンプルが極端に少なく、第2にその採取も地域的偏りという大きな制約があります。さらに、第3に歴史的な民族移動や征服、近現代の国際化によって急速に混血が進んでおり、現代人からの古代民族の推定には飛躍があることです。多民族国家では古代人のルーツ探求には少数民族や辺境住民との対照が必要です。

③ この3つの「サンプル限界」(サンプルの罠)を踏まえた上で、言語・農産物・生活文化・宗教等の伝播を含めて、総合的に各研究を見ていく必要があります。特に荒神谷遺跡での大量の青銅器発見により、記紀に書かれたスサノオ大国主神話が裏付けられたように、今後、新たな人骨発見や少数民族のDNA分析によってデータが大きく更新される可能性があります。

④ 民族のDNA構成の比較では、そもそも基本的には多くの共通性を持つのが基本です。その上で、「固有・希少DNA」の「相同性比較」を見る必要があります。ただ、この場合にサンプルの少なさと偏りが、「希少性」に大きな影響を与える危険性があることを認識する必要があります。

⑤ さらに、気候変動による民族大移動や、西日本に大量の降灰をもたらした7300年前の喜界カルデラ噴火、スサノオ蘇民将来伝承に見られる1世紀の疫病流行、崇神天皇紀に見られる民の半数以上が亡くなった4世紀の疫病の大流行などの影響をみる必要があります。

⑥ 「大して変わらない。お互いによく似ているね」ということを大前提にしながら、「いまのところ」として「固有希少性の相同性」に注目して民族形成のルーツを探ることが大前提になります。

⑦ なお、私の考察は限られた2次・3次資料によるもので、刻々と明らかにされる最新データに基づいていない考察であり、その限界をふまえてみていただきたいと思います。

 

2.研究の成果と私の仮説

① 日本人起源論については、縄文人弥生人に変化したという鈴木尚氏の「縄文人ルーツ説」や、東南アジア系縄文人社会に稲作をもった北東方系弥生人が渡来し、アイヌ人と沖縄人が北と南に追いやられたという金関丈夫氏・埴原和郎氏らの「南方系縄文人・北東系弥生人の二重構造説」、北方系縄文人に長江流域から長江系弥生人水田稲作を伝えたという篠田謙一・崎谷満氏の「北方系縄文人・長江系弥生人の二重構造説」、北方系旧石器人・縄文人から朝鮮半島人と日本列島人が分かれ、日本列島人からアイヌ人、沖縄人が分かれ、朝鮮半島人と大陸中国人が少しづつ移住したという斎藤成也氏の「北方系旧石器人・縄文人分岐説」、古東アジア人(東アジア人共通祖先)から縄文人が独自に分かれ、北東アジア人やオホーツク系の集団が渡来したという神澤英明氏の「古東アジア人分岐説」などが見られます。

 これに対して、私は4~3万年前に少数の東南アジア系の旧石器人がまず沖縄に渡来し、1万数千年前頃に多数のドラヴィダ海人・山人族が南方から移住し、北方からはドラヴィダ山人族が北海道に移住し、大陸(中国・朝鮮)からは絶えず漂着民や亡命民が加わったという「南方系を主とした多重的民族形成説」を考えています。

 

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② 従来の説については、私は次のような問題点を感じます。

 第1は、1万5千年前の日本人固有で26~88%のY染色体Ⅾ型の縄文人や、4~2万年前の旧石器人の故郷はどこなのか、中継居住地・経由地はどこなのか、未だに解明していないことです。

 すでにDNA分析では縄文人のルーツが中国(黄河流域)・韓国・シベリアや中国(長江流域)・台湾・東南アジア地域ではないことが明らかとなっているのですから、さらにその外に範囲を広げて調査し、突き止めるべきです。

 第2は、これまで熱帯性のヒョウタンやウリ・エゴマ、熱帯ジャポニカ陸稲)が遅くとも6000年前頃の縄文時代中期までには持ち込まれ、3000年前頃に渡来弥生人朝鮮人・中国人)によって温帯ジャポニカ水稲)の水田栽培が始まったとされてきましたが、同じようにイネの原産地がDNA分析で証明されていないことです。

 温帯ジャポニカの発生地としては、かつての「アッサム・雲南説」から「長江流域説」に移ってきていますが、「熱帯ジャポニカ陸稲)」から「温帯ジャポニカ水稲)」へと種の多様化が起きる環境としては、雨季がある熱帯地域の冷涼高地の可能性が高く、熱帯の東インドミャンマー高地の方が長江流域より可能性が高いと考えます。DNA分析による「長江流域起源説」は長江流域に雲南高地から多様なDNAの稲がもたらされた可能性を否定できておらず、必要十分条件を満たした定説とは言えません。また長江流域や朝鮮半島では日本のような栽培に伴う「種の純化」が起きておらず、日本への伝播は両地域からではありません。

 日本人起源論は日本イネ起源論とセットで考えるべきです。

 第3は、言語論に民俗論(生産・生活・宗教文化)を加えた日本語起源説としては、唯一、大野晋氏による「ドラヴィダ(タミル)語」説しかないにも関わらず、ドラヴィダ語系の「主語―動詞-目的語」言語構造の少数民族のDNA分析が探究されていないことです。大野説から40年になりながら未だに他の有力な日本語起源説が国語学者から出ていない以上、残るのは大野説しかなく、DNA研究者は大野説にもとづく比較対照分析を行うべきです。東南アジア系・北方系・古東アジア系などと40年前と同じようなボンヤリした日本人起源論を行っている場合ではないと考えます。

 黒褐色で手足の長い現在の南インドに住むドラヴィダ族は、山地での肌を覆う長い生活で黄色で短足・頑強の「山人」に変形したと考えられ、高地のドラヴィダ系少数民族のDNA調査が重点的に行われるべきです。

 第4は、大野氏は小正月に赤米の粥や赤飯を大地にまき、カラスに与える「ポンガ」の行事など「希少性・固有性・継承性」のある言語・風俗のドラヴィダ族との共通性を明らかにしており、その以前から中尾佐助氏や佐々木高明氏らは照葉樹林文化論によりアッサム・雲南地方から稲作やもち食文化・ピー(ひ=霊)信仰などが伝わったことを明らかにしており、ドラヴィダ語系という点において大野説との接点があり、文化人類学の成果をもとにしたDNA分析が求められます。

 第5は、「海が嫌い」「船が苦手」なほとんどのウォークマンジベタリアン研究者が「海の道」を通っての「海人(あま=天)族」の民族移動ルートと中継居住地についての検討をパスしていることです。

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 寒暖差の激しく食料の乏しい砂漠や草原地帯ではなく、四季を通して海産物や果物・イモ類が豊富で、塩分が確保できる暖かい海岸線をそって人類は主に移動したと考えるべきであり、日本列島人起源説では「竹筏による旧石器人、竹筏・丸木舟による縄文人の移動」を主として検討すべきです。

 第6は、①DNA分析、②言語論、③農耕論、④民俗論(生産・生活・宗教文化論)、⑤海の道移動論を総合した、「最少矛盾仮説」採用の仮説検証型の日本列島人起源説が取り組まれていないことです。

 今後の課題として、おさえておきたいと考えます。

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3.ミトコンドリアDNA亜型からみた日本列島人

① ミトコンドリアDNA亜型は女性に受け継がれる遺伝子です。

② 篠田謙一著『日本人になった先祖たち』などによれば、図5のように「本土日本」「沖縄」はⅮ4型を「山東遼寧」「韓国」とほぼ同等に多くもち、「南方海人族系」「南方大陸系」「北方大陸系」が混じった「多DNA民族」であることが明らかです。

 一番重要なポイントは、このⅮ4型を北方系の縄文人とみるか、南方系とみるかです。後述する表2の男性に受け継がれるY染色体DNAの崎谷満氏の分析を見ると、日本人に14~26%みられ、華北に66%、朝鮮に38%みられるO3型に対応しており、O型は東南アジアに多いことから見て南方系の可能性が高いと考えます。

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③ 一方、「沖縄」「本土日本」はM7a型が多いという独自性を持つとともに、北方大陸系の「山東遼寧」「韓国」と較べてM7c~M10型が少なく、南方大陸系の「台湾先住民」「広東」に多いB4・F・R型も少ないという特徴を持っています。

③ 「沖縄」に多く、次いで「本土日本」、さらに「韓国」に少し見られるM7a型が「台湾先住民」「広東」「山東遼寧」のどちらにもほとんど見られないことは、日本列島と韓国には南から陸路を通らずに「海の道」を通り、直接日本列島にやってきた「南方海人族系」の人たちがいたことを示しています。日本人のルーツは「ミトコンドリアDNAM7a型を持つ南方系」であることが明らかであり、男性だけの漂着ではなく、女性を伴った民族移動であったのです。

④ 「南方系」の型、「南方系海人族」のM7a型、「南方大陸系」の広東・台湾先住民に多いM7a・B4・F型、「北方大陸系」の山東遼寧・韓国のM7c~M10型がどのような順番で日本列島にどこからやって来たかですが、日本人が「主語―目的語―動詞」構造言語で「主語―動詞-目的語」構造の中国語や東南アジア語の影響を受けていないことからみて、M7a型海人族はミャンマー・インドあたりをルーツとし、「海の道」をスンダランドを経て竹筏・丸木舟でやってきたことは明らかです。その途中で、東南アジア系のM7a・B4・F型と混血したと考えられます。

⑤ 「倭音倭語・呉音漢語・漢音漢語」の3層構造からみて、紀元前3世紀の徐福など長江流域からの「呉音漢語」のM7a・B4・F型の移住・漂着があり、最後に「北方大陸系」の山東遼寧・韓国系のM7c~M10型が移住してきた、と考えられます。

 

4.Y染色体亜型DNAからみた日本列島人

① Y染色体のDNA亜型は男性に受け継がれる遺伝子です。崎谷満氏の『DNAでたどる日本人10万年の旅』は、5.3万年前にアフリカを出たN系統(日本:わずか)とO系統(ある程度)、3.83万年前にアフリカを出たⅮ系統(高頻度)、2.75万年前にアフリカを出た系統(わずか:シベリア系)が日本列島にやってきたとしています。―図6参照

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③ 崎谷満氏の本からY染色体DNA亜型のデータをまとめたものが表2ですが、沖縄南を除く日本に26~88%と一番多いⅮ系統は東アジア・シベリアにはなく、その圏外がルーツであることが明らかです。

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 次に沖縄に30~67%と多く、朝鮮にも51%と多いO2b系統は沖縄・韓国の伝承からみて、海の彼方の東南アジア諸島からかなり早い時期に黒潮に乗って沖縄南をへて対馬暖流で朝鮮に伝わったと考えられます。

 沖縄南・アイヌを除く沖縄北・本土に14~26%のO3系統は中国・台湾・東南アジアに広く分布しています。

 沖縄・本土にはほとんど見られずアイヌに13%のC3系統はシベリア系になります。

 ④ ネットの出典不明の図7を示しますが、日本人に一番多い黄色D-M174チベットに多くタイにわずかに見られ、次に多い青色O-P31紫O-M122は東南アジア系になり、シベリアに見られる橙色C-M86や中国に多い薄紫F-M89は日本にはほとんど見られません。

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⑤ 崎谷説でもっとも注目すべきは、沖縄39%、九州28%、東京40%、青森39%、アイヌ88%等に多いⅮ1系統がチベットに16%、Ⅾ3系統が33%あり、Ⅾ1系統はイー族(中国チベット系)16%、ミャオ族(中国・タイ・ミャンマーラオスベトナムの山岳地帯)7%などにも見られるとしていることです。―表2・図8参照

 

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⑥ このⅮ系統の移動ルートについて、崎谷氏は「華北から朝鮮半島を経て日本列島へ渡ってきたことが推定される。また華北から一部はチベットへ達したことが推定される」としています。―図9参照

 

 しかしながら、「主語-動詞-目的語」言語の漢民族の地に入って支配・影響を受けながら「主語-目的語-動詞」言語と倭音倭語を維持して日本に到達したとは考えにくく、また縄文人が熱帯ジャポニカ陸稲)やヒョウタンやウリなど熱帯系植物を栽培していたこと、東南アジア系の単語を多く吸収していること、南方系のもち米・イモ食文化を受け継いでいること、ベンガル湾ミャンマーに近いアンダマン諸島にもⅮ系統見られることからみても、華北朝鮮半島経由説は成立しません。

⑦ ホームページ「Easy Word Power」の「言語系統をハプログループ(Y染色体ミトコンドリアDNA)で辿る-語族と遺伝子の関係」は次のような、Ⅾ系統の遺伝子の分布とモンゴル起源の拡散モデルを掲載しています。-図10・11参照

 ―http://easywordpower.org/multilingual/languages-haplogroups/

 

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⑧ この説は寒冷地のモンゴルの砂漠・草原地帯から朝鮮半島をへて日本列島へやってきたという説ですが、Ⅾ1a2a型の分布図ではチベットから北進してバイカル湖の南に移住し、温暖期に大型動物を追ってシベリアを東進し、オホーツク海に到達して北海道に渡ったと考えられ、漢民族満州族朝鮮族の中を横断したとは考えられません。

 また、ベンガル湾ミャンマーの南のインド領アンダマン諸島にもⅮ系統が見られることからみて、インド東部・ミャンマーの高地ドラヴィダ族は南北に分かれ、チベット高原から草原のシベリアへ向かった狩猟民の「山人(やまと)ドラヴィダ族」(ブリヤート人などマンモスハンター)と、寒冷期に高地を下りアンダマン諸島ミャンマー海岸部の「海人ドラヴィダ族」と協力し、スンダランドを経て竹筏・丸木舟で日本列島へ向かって縄文人となった「狩猟・海人ドラヴィダ族」に分かれて日本列島に向かったと考えます。

 図10に「海人族D型グループ」の移動経路を筆者が追加した図12を示します。

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 イネやヒョウタン・ウリ・エゴマなど熱帯性食物の伝播と稲作系の文化・宗教から見て、Ⅾ系統人が日本列島に華北ルートやってきたという図9、シベリアルートでやってきたという図10の説は成立しません。

 東インドミャンマー山岳地域のⅮ系統のドラヴィダ山人族は、北のシベリアの「マンモスの道」と南の「海の道ルート」の2コースに分かれて東進し、日本列島で劇的に出会った可能性があります。

⑨ 日本列島とチベットだけにY染色体Ⅾ系統が多いのは、日本列島は海に、チベットはヒマラヤ・崑崙両山脈によって隔絶され、他民族の流入・支配を阻んできたからと考えます。

⑩ 大野晋氏によれば「主語-目的語-動詞」言語の南インドに住むドラヴィダ族はインダス文明を作ったインド原住民であり、ドラヴィダ語は短母音が「a,i,u,e,o」5母音であること、対応単語が約300語あること、語頭の子音がほぼ一致すること、「名詞、動詞、形容詞・副詞、小詞(助詞・助動詞)」の分類が一致すること、「ポンガロー」と叫びながら小正月に赤米を炊いて祝い、カラスに与えるという風習は日本の青森・岩手・秋田・新潟・長野に同じような行事が見られ、さらに小正月に小豆粥や赤飯を炊いて祝う「どんと焼き」「左義長」は全国に見られます。農業や食生活、宗教言語など固有の継承性・希少性の高い言語と民俗・文化が共通しているのです。

⑪ Y染色体Ⅾ系統のドラヴィダ語族の一部はインド東部・ミャンマー海岸部に移住し、漁撈に従事するとともに、雨季に冠水する河川流域で陸稲のインディカ稲を熱帯ジャポニカに変えて栽培し、その一部は熱帯のマラリアなどの感染症を避け、アッサム・ブータンチベットミャンマー・タイ・雲南等の山岳地域に移住して狩猟採取を行うとともに寒さに強い温帯ジャポニカ栽培を行い、寒冷地で日射を避けて肌色も黒褐色から白くなり、重い荷物をかついで短足・ガッシリ型の体形に変わったと考えられます。

 その後、寒冷期を迎えて高地のドラヴィダ系山人族は南下してドラヴィダ系海人族とともに竹筏・丸木舟で東進してスンダランドに移住し、温暖化によるスンダランド水没の危機に直面し、竹筏・丸木舟に乗って日本に移住してきた可能性がY染色体亜型DNAのⅮ型の分析から裏付けられます。

⑫ アジア各地から多くの人々が集まった日本列島には、様々な国・地域の人々の容貌が見られますが、中でもブータンの人々の容貌が日本人とそっくりであることは、1969年の京大ブータン学術調査隊 から「旅に出て驚いた。 どこで会うブータン人も、顔や体格が日本人とそっくりだ。男は日本の丹前(たんぜん)や厚子(あつし)に似た着物を着ている」と衝撃をもって報告されており、私も当時、探検部のメンバーから聞いていました。

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 ブータンミャンマーなど東インド・東南アジア高地のドラヴィダ系少数民族Y染色体DNA亜型の調査、温帯ジャポニカなどのDNA分析、言語・風俗・宗教の総合的な調査が求められます。

 

5.「日本人バイカル湖畔起源説」について

 前述のように、Ⅾ2は沖縄北39%、アイヌ88%であることからみて、チベットから北へ向かいシベリアを横断した「ドラヴィダ系山人族」(ブリヤート人など)と海の道をやってきた「海人・山人系ドラヴィダ族」が日本列島で劇的に出会い、縄文文化を作り上げた可能性があります。

 シベリアの各民族に68~91%含まれるC3遺伝子が、アイヌに13%見られることはⅮ2系ドラヴィダ族は途中で他の民族と混血したことを示しており、沖縄南(八重山)の海人族にO2bが67%、沖縄北に30%見られることはインドネシア系旧石器人とドラヴィダ系海人・山人族の混血を示しています。

 松本秀雄大阪医科大名誉教授はGm遺伝子分析(抗体を形成する免疫グロブリンを決定する遺伝子)から「日本人バイカル湖畔起源説」を提案していますが、C3がアイヌなどに見られることと符合します。2001年「NHKスペシャル『日本人はるかな旅』第1集 マンモスハンター シベリアからの旅立」などで紹介されたテレビ番組を見ても、バイカル湖あたりのブリアート人は日本人にそっくりです。

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 しかしながら、松本説の「日本人のほとんどは北方系で、南方系モンゴロイドとの混血率は低く7~8%以下」は、「主語-目的語―動詞」言語族のドラヴィダ族がシベリアの「マンモスの道」と「海の道」に分かれて日本列島に到達して合体した可能性を検討しておらず、必要十分条件を満たしていません。

 

6.核DNA分析からみた日本列島人

① 16500の「ミトコンドリアDNA」、6500万の「Y染色体DNA」の塩基対に対し、「核DNA」は30億の塩基対(うち99.9%は同じで異なるのは0.1%)もあり、格段に精度の高い分析が可能です。ただし、「サンプル限界」の影響をより強く受ける危険性が残ることを踏まえた検討が必要ですが。

② 篠田謙一著『日本人になった先祖たち』、斎藤成也著『核DNA解析でたどる日本人の源流』、神澤英明「縄文人の核ゲノムから歴史を読み解く」(生命誌ジャーナル)などによれば、本土日本人は中国人と琉球人の中間にあり、琉球人とは近く、三貫地縄文人福島県新地町)やアイヌ人とは離れており、本土日本人と韓国人、中国人(北京・南方・雲南省)・ベトナム少数民族とも離れています。

https://www.brh.co.jp/publication/journal/087/research/1.html参照

③ 図13・14に点線を追加しましたが、「縄文人アイヌ人・琉球人」系と「東南アジア・中国」系の延長上の接点に現代の日本人は位置していることが明らかです。

 

 

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④ さらにネットではアジア各地の民族の核DNAの多次元散布図の最も変化の大きい直交平面への射影図の図16が紹介されていました。

 その図にドラヴィダ系、東アジア系、日本人を濃紺・紫・赤の楕円点線で囲って示しましたが、縄文人はドラヴィダ系に入り、両者が交わる交点に現代の日本人(赤色楕円)が位置していることが明らかです。日本人はドラヴィダ系DNAの縄文人をベースにしながら、東南アジア・中国系DNAを受け入れてきたことが証明されています。https://mocchiri-matome.slash-mochi.net/2019/04/09/参照

 

 

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 ⑤ これらの結果は、日本人固有の一番多数のY染色体Ⅾ型(父系)は周辺の朝鮮・中国・東南アジアにはなく、「本土日本人→琉球人→縄文人アイヌ人」の延長上にルーツがあることを示しています。

 すでにY染色体Ⅾ型がチベット地域やベンガル湾ミャンマー南のアンダマン諸島に見られることが解明されていますから、この地域にこそ縄文人のルーツがあり、この地域の少数民族に絞った核DNAの徹底的な調査が求められます。

⑥ 熱帯・温帯ジャポニカの原産地が「インド東部・ミャンマー高地」(アッサム・雲南説など)である可能性が高く、京大のブータン民俗学的調査により体格・容貌・民俗(赤米食・もち米食・歌垣・妻問婚・性器信仰など)に日本人との類似点が多いこと、国語学者大野晋氏により日本語とドラヴィダ語に高度の一致点があり、特徴的な民俗(赤い粥を大地に撒く、カラスに与えるなど)の一致が見られることが明らかとなっており、「Y染色体Ⅾ型」「ジャポニカ米食・もち米食」「ドラヴィダ系言語」「ドラヴィダ系民俗・文化」の4点セットが見られる少数民族に絞った核DNA調査により、日本人の故郷を解明すべきです。

 

7.旧石器人のルーツ

① 以上、16000年前頃からのY染色体Ⅾ系統の縄文人のルーツに焦点を当てて分析してきましたが、その前の旧石器時代は約3.5万年前に始まっており、国内最古の約3.2万年前の那覇市の山下洞人、約3.0万年前のガンガラーの谷のサキタリ洞遺跡幼児人骨、近くの港川フィッシャー遺跡の2.0~2.2万年前の人骨、約2.0万年前の石垣島白保竿根田原洞穴遺跡の数体の全身骨格などが次々と見つかっており、北海道・東北では2万年前頃からシベリア・サハリン系の細石刃文化が広がています。この南北の旧石器人のルーツはどこに位置付けられるのでしょうか? 

② 前述のように「ドラヴィダ系山人族」はチベット高原から草原が広がるシベリアへ向かい、バイカル湖畔に定住してブリヤード人となっており、さらに東進して2万年前頃に北海道に到達した可能性が高いと考えます。

 一方、4~2万年前頃の沖縄の旧石器人は、現在の沖縄人に見られるミトコンドリアDNAのB4型Y染色体O2b系からみて南インドシナ系の海人族と考えられ、さらにドラヴィダ系山人・海人族(ミトコンドリアDNAM7a型Y染色体Ⅾ系統)がスンダランド水没とともに日本列島に大挙おしよせ、対馬暖流を利用して琉球から日本列島本土へ移住し、活発に交流・交易を進めて「主―動詞-目的語」構造の単一の言語・文化を形成したと考えられます。

 これらの竹筏・丸木舟を使った日本列島(ジャポネシア)への移住は一度だけでなく、何次にも渡って行われたと考えられ、琉球で稲作が定着しなかったのは、保水力の乏しい土壌とすぐに海に流れてしまう水利条件と、旧石器時代からの南インドシナ系の豊かな漁撈・イモ食文化が根付いており、「ドラヴィダ山人・海人族」が持ってきた集約労働型のしんどい手間のかかる稲作を行う必要がなかったからと考えられます。

 なお、インドネシア系と考えれられるY染色体O2b系が沖縄南(宮古)に67%、沖縄北に30%、朝鮮に51%見られるにも関わらず九州・徳島などには見られず、縄文人Y染色体D系が沖縄南4%、沖縄北に39%見られる一方、朝鮮0であることは、南インドシナ系旧石器人は沖縄から南朝鮮黒潮対馬暖流に乗って移住してそこにとどまり、D系縄文人は沖縄から日本本土に移住し、南朝鮮には移住しなかったと考えられます。

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 「縄文ノート41 日本語起源論からみた日本列島人起源 」で述べたように、「半島南部に住んでいいた民族はインドネシア系」(ロシアの民族学者のジャリガシノバ説:鈴木武樹元明大教授の紹介)、「済州島には蛇神や竜神信仰が広く分布しています」「韓国の玩具のチャッチキというのがベトナムにあるんです。琉球にもある」「綱引きも、鹿児島から琉球、中国から南にもあって、豊凶を占う」「新羅の4大王ですね。あれは竜城からきたという話がある」(金両基元ソウル中央大教授)、「済州島の有名な伝説に『海を渡って3人がきた』がある」(梅田博之元東京外大教授)からみて、琉球(龍宮、竜城伝承)経由で済州島への旧石器人の移住があった可能性は高いと考えます。

8.気候変動と民族移動

① 以上のDNA分析から、日本人は独立心と探検・冒険心を持ち、移動性を持った多DNA民族であり、多様な言語・技術・文化を吸収してきたことが国語学・農学・植物学・民俗学・考古学・民族学の結果と符合します。

 今後も、その特質をいかした海洋交易民としての国づくりを進めるべきであり、誇りと自主独立心を失った拝外主義や偏狭な排外主義や縄文国粋主義などに陥るべきではないと考えます。

② 地球寒冷化・温暖化やそれに伴う紛争や侵略の危機に直面し、冒険心にあふれた勇敢な原日本人は、自由と独立を大事にし、他民族の支配に甘んじることなく、リスクを冒しながら新天地へと果敢に乗り出し、各地の他民族と友好を保ち、文化・技術を吸収しながら大移動を行ったと考えられます。

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⑥ 縄文人の祖先は、寒冷化が進んだ旧石器時代アフリカの角エチオピアあたり)から海岸にそってインドに第1次移動を行い、ドラヴィダ語の言語・文化を確立しました。

 さらにインド東南海岸部やスリランカあたりのドラヴィダ系海人族は東進してインド東部・ミャンマーの海岸部やアンダマン諸島に第2次移動を行い、インディカ稲を雨季の水没にも強い熱帯ジャポニカに変え、タロイモ(田イモ)とともに栽培を行うドラヴィダ系海人族(海幸彦)となり、その一部は温暖期に灼熱・多雨の地の疫病や水害を避けて快適なインド東部・ミャンマーの高地へと第3次移動を行い、ヤムイモ・タロイモと温帯ジャポニカ栽培を行うドラヴィダ系山人族となり安定した生活を続け、黒褐色・長足から黄色・短足・頑強な体質へと変化を遂げたと考えます。

⑦ そして、ドラヴィダ系山人族は寒冷化した17000年前頃に南下し、ドラヴィダ系海人族(海幸彦)とともに東進して陸地化したスンダランドに第4次移動を行い、さらに温暖化によるスンダランド水没により、14000年頃に日本列島に竹筏・丸木舟で第5次移動を行い、縄文人となったと考えます。弓矢にたけた「山幸彦(山人:やまと)」と「海幸彦(海人:あまと=あま)」の連携です。

 琉球に先住していたインドネシア系旧石器人とは、スンダランドで東南アジア系の単語を吸収していたドラヴィダ系山人・海人族はスムーズな混血と言語統一を行い、さらに対馬暖流に乗って北進したと考えます。

⑧ インド東部・ミャンマー高地からチベット高原に向かったドラヴィダ系山人族は北の草原地帯に向かいマンモスなどの大型動物を追ってバイカル湖周辺に第4次移動を行いブリヤート人として定住するとともに、その一部はさらに東に細石刃の槍を持って第5次移動を行い、2万年前頃に北海道に到達し、南からきていた縄文人と劇的な再開を果たしたと考えます。

 「モンゴル秘史」はチンギスカンの始祖を「上天より命ありて生まれたる灰白色の狼(ボルテ・チノ)ありき。その妻なる青白き牝鹿(コアイ・マラル)ありき。大海を渡りて来ぬ」と書いており、バイカル湖の南で、黄色い肌のドラヴィダ系山人族の男と湖を渡って北からきた白人の女が出会ってブリヤート人となったことを伝えています。

 モンゴル族は後に中国を征服して「元」を建国して、「大海を渡りて」日本人と戦ったのですが、ルーツをたどれば同じドラヴィダ系であった可能性があります。

⑨ 以上の結果をまとめると縄文時代への日本列島人の形成と移動図をまとめると次のようになります

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 ⑩ 「ミトコンドリアM7a型」「Y染色体Ⅾ型」「熱帯・温帯ジャポニカ栽培」「ドラヴィダ系言語」「ドラヴィダ系民族・宗教」の5点セットを持つインド東部・東南アジア高地の少数民族に絞ったミトコンドリアY染色体・核DNA調査により、4万年にわたる数次の大移動を行った日本列島人のルーツを解明し、独立自立心・探検心・冒険心・共同性・移動性に富み、多DNA・共通言語文化の平和で豊かな縄文1万年の歴史を保ち、極東小国でありながら中国・欧米文化をどん欲に吸収し、1万5千年の縄文文明を現代文明にまで発展させた独自の歴史を明らかにし、現代文明の危機を乗り越える道を世界に示したいと考えます。

 

◇参考◇

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート   https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ      http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団         http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論         http://hinakoku.blog100.fc2.com/