「神話探偵団133 「大国主王墓」を捜す」の紹介
Gooブログ「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」で、「神話探偵団133 「大国主王墓」を捜す 」をアップしました。2016年11月の「『大国主王墓』想定地メモ」の表をレジュメに書き換えました。https://blog.goo.ne.jp/konanhina
Gooブログ「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」で、「神話探偵団133 「大国主王墓」を捜す 」をアップしました。2016年11月の「『大国主王墓』想定地メモ」の表をレジュメとしました。
「邪馬台国はどこか」「卑弥呼の墓はどこか」については多くの人の関心が深く、天皇陵についても発掘を求める声が考古学者から出ているにも関わらず、不思議なことに、古事記が記した豊葦原の千秋長五百秋(ちあきのながいほあき)の水穂国の「大国主の墓はどこか」や、桓武天皇第2皇子の第一流の文人の52代嵯峨天皇が「皇国の本主」とし、ヤマタノオロチ退治で有名な「スサノオの墓がどこか」については誰も追究しようとはしていません。
「皇国の本主」の建国王の解明を恐れ、神話として空想の世界に閉じ込めてきたのです。日本の考古学は150年近く前の1873~7年のシュリーマンのトロイア以前の水準といえます。
現地を訪ねて大国主の墓地については一定の結論に到達することができましたので、紹介いたします。
今後は地元、出雲の皆さんによって、「八百万神信仰」の世界遺産登録を目標に置きながら、スサノオ・大国主建国の証拠を見つけ出していただきたいと期待しています。
世界に出かける日本人が「無宗教・自然宗教の未開人・野蛮人」として軽蔑されないためには、スサノオ・大国主建国と大国主の「霊(ひ)信仰・霊継(ひつぎ)信仰」(すべての命を大事にする八百万神信仰)を世界にアピールする必要があると考えます。
縄文論としては、縄文とスサノオ・大国主建国を連続したものととらえる一環として参考にしていただければと思います。雛元昌弘
大国主王墓の想定地