ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート9 祖先霊信仰(金精・山神・地母神信仰)と神使文化を世界遺産に

 この原稿は2015年6月に書き、群馬県片品村尾瀬の村)で提案したレジュメ「金精信仰と神使(しんし:みさき)文化を世界遺産に」をもとに、部分的に修正・追加して書き換えたものです。
 明治維新までに日本いたるところで行われていた性器信仰は、土器(縄文)時代の石棒と円形石組みによる地母神信仰(地神信仰)を引き継いだものであり、母系制の海人族の祖先霊信仰の伝統文化として未来に残すべきと考えます。
 この祖先霊信仰は、世界宗教として「禁欲宗教」のユダヤ・キリスト・イスラム・仏教が成立する前に、ギリシア・ローマ文明などとともに世界に見られた普遍的な宗教であり、それが今も残されていることについて世界にアピールすべき時です。

1.群馬県片品村の5つの祭り

 群馬県片品村には次のような5つの古い祭りが伝承されています。この貴重な宗教文化は、土器(縄文)時代から続く霊(ひ:祖先霊)信仰と、霊(ひ)を産む性器信仰、女性神がやどる大地(血で満たされた子宮)に赤米・赤飯を供える信仰、霊(ひ)が山から降り、天に昇るという天神信仰、がワンセットそろっており、全国的・世界的にみて貴重な文化遺産です。
(1)  猿追い祭り(花咲地区)

 ・赤飯と甘酒を本殿周辺の70数基の石祠に備える。
 ・拝殿の前で東西に2列に並び、赤飯を「エッチョウ」「モッチョウ」と言いながら交互に投げ合う。
 ・御幣をかかげた猿役を村人が追い、山に追い返す。
(2)  十二様祭り(針山地区)
 ・十二様は「山の神」の別称で、女神。
 ・男が性器型などのツメッコを作り甘い汁粉に入れて煮て、裏山の十二様に供え、帰って食べる。
 ・十二様が嫉妬するので集落の十三歳以上の女は甘酒小屋に集まり参加できない。
(3)  十二様祭り(土出地区)
 ・十二様は山一切の神。
 ・ご神体は大山祇神で、使者はオコジョ。
⑷ にぎりっくら(武尊祭り:越本地区)
 ・12個の櫃の赤飯を人々が取り合う。
 ・地面にこぼれた赤飯が多いほど豊作とされた。
⑸ 金精神社(上小川地区)
 ・女体山(日光白根山)に金精(男性性器型)を奉納。
 ・男性のみの登拝行事が行われる。

2.祖先霊信仰と神使:「猿追い祭り」考

 猿追い祭りは、武尊山に降り立った祖先霊(霊:ひ)を御幣(ごへい)に移して里の武尊神社(祭神は穂高見命、後に日本武尊を合祀)に運んできた神使(しんし、つかわしめ)の猿を、再び、祖先霊と共に山に送り返すという、古代からの信仰を伝える神事で、出雲族の霊(ひ)信仰を示しています。
御幣は現在は木の先に白い紙垂をつけたものですが、元々は白布(幣帛:へいはく)を付け、神に対する捧げものを意味するとされていますが、元もとは死者の霊(ひ)が乗り移る依代(よりしろ)、神籬(ひもろぎ:霊漏ろ木)でした。古事記によれば、アマテル(天照:本居宣長読みはアマテラス)が死んだとき、山から榊を取り、上枝に死者の「勾玉の首飾り」、中枝に「鏡」、下枝に白と青の「和幣(布)」を付け、岩屋(石槨)の戸(蓋)のところに置き、死者の霊(ひ)を乗り移させたものですか。猿はこのような御幣を持って山に追い返されたのですから、元々は山上から御幣に祖先霊を移して運んできて、再び送り返すという儀式だったのです。
 その後、死者は仏になり、西方の極楽に行くという仏教が国教となり、この祭りでは山から猿が祖先霊を迎える前半の儀式は失われ、後半の猿に御幣を持たせて山に追い返すところだけが残ったと考えられます。そのため、「害獣を追い払う祭り」といういうような説明が生まれたと考えられます。

 「エッチョウ」「モッチョウ」と言いながらの赤飯の投げ合い f:id:hinafkin:20200302161807j:plain

    御幣をかかげた猿役を村人が山に追い返す 

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 3.山神信仰・地母神信仰と赤飯

 日本各地に残る「お山信仰」「山神信仰」について、これを山を崇拝する自然信仰とする説が見られますが、この片品村だけでなく全国各地の祭りをみればわかるように、山は人(霊人:人)が死んでその霊が宿る場所、霊(ひ)が天に昇り、降りて来る場所として信仰されたのです。
猿追い祭り(花咲地区)で赤飯を投げ合い、にぎりっくら(越本地区)で地面にこぼれた赤飯で豊作を占う祭りは、大地に赤飯を供えるという地母神信仰を示していますが、これも大地そのものの信仰というより、大地に小豆や米、人が帰り、黄泉帰るという再生信仰で、豆や米、人の霊(ひ)の信仰と考えます。
「赤飯の起源は縄文時代から続く赤米で、赤米の代わりに白米に小豆で色づけするようになった」という柳田国男の説があり、赤米飯を神に捧げる祭りは今も長崎県対馬市多久頭魂神社、鹿児島県種子島の宝満神社、岡山県総社市国司神社に残り、対馬をルーツとするスサノオ大国主一族によって各地に広まった、とも考えられますが、土器(縄文)時代にすでに小豆栽培が始まっていることからみて、縄文から続く粟やイモなどの小豆煮がもともとあって、米の伝来とともに赤米儀式に代わった可能性もあります。
 土器(縄文)時代は、植物が大地から再生するように、死者の霊(ひ)は大地に帰り、そこから黄泉帰ると考えられた地母神信仰であり、大地に埋められた霊(ひ)継の容器である棺・柩・甕棺などは女性の子宮を模して内部を赤く辰砂などで塗られていました。赤は血を表し、その中から人や動植物は再生すると考えられており、赤飯や赤米を捧げるのは、血を生み、再生を祈る地母神信仰を示しています。
 紀元頃にスサノオ大国主一族の国ができ、世襲制の王が誕生すると、この地母神信仰から、死者の霊(ひ)は山上(神那霊山:カンナビヤマ)の巨石(磐座:イワクラ)から天に昇り、降り立つという天神信仰に変わります。十二様などの山の神信仰は、山を祀る自然信仰ではなく、山上の祖先霊を祀る信仰なのです。各地の祭りの「山」(置山、飾り山など)は、この神那霊山を地上の「山」形に移したもので、そこに宿る神を運ぶものが「山車(ダシ)・山鉾・山笠・曳山・だんじり」や「御輿」なのです。
このように、祖先霊が山から天に昇り、降るという宗教に変わった時代になっても、棺内部を赤く染め、赤米飯・赤飯を神に捧げ、その後、神と共食するという土器(縄文)時代から続く黄泉帰りの宗教行事はそのまま残ったと考えれられます。なお、海人族は海から生まれて海に帰るという海神信仰であり、霊(ひ)の御旅所は山上ではなく、海岸になります。

 

土器(縄文)時代の「地神(地母神)信仰」「海神信仰」から大国主の「天神信仰」へ 

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 片品村では、大切な赤飯を神社に奉納するのではなく、大地に捧げるのですから、神社ができる以前から伝わる神事とみて間違いありません。小豆・赤飯・赤米飯を大地の神(祖先霊)に捧げる土器(縄文)時代からの文化を継承していると考えられます。母なる大地に赤飯をお供えし、生命を生みだす子宮の血からの再生を願ったのです。
 花咲地区の猿追い祭りでは猿を、土出地区の「十二様祭り」ではオコジョを神使とし、同じ神使(しんし、みさき)の神事を示しています。霊(ひ=DNA)を受け継いでいく動物たちもまた、人の仲間の神使として天上にいたと考えられていたのです。
 「エッチョウ」「モッチョウ」のかけ声の意味は不明ですが、「越長」「物長」だとすれば、出雲族の「越」(越:今の新潟・富山・石川・福井)と「物」(物部:岡山東部・大和)の2グループの子孫が、それぞれ祖先霊に声をかけながら儀式を行った、という可能性も考えられます。 
 祖先霊を祀る祠などに甘酒を供えるのは、大国主と力を合わせて「豊葦原(とよあしはら)の千秋長五百秋水穂国」の国づくりをした少彦名が作ったという濁酒(どぶろく)を神(八百万神)に奉げて豊作を祈ったことに由来すると考えられます。十二様祭り(針山地区)では、十二様(山神=女性神)が嫉妬するというので集落の十三歳以上の女性は甘酒小屋に集まり、男性たちのために濁酒を用意したのでしょうが、明治に入って酒税法によって濁酒づくりが禁止され、甘酒に代わったものと思われます。

4.性器信仰と山神信仰

 「砂糖ツメッコ」については、汁の「汁粉(関西ではつぶし餡をぜんざい、漉し餡を汁粉といい、関東では汁気のあるものを汁粉、汁気のないものをぜんざいという)」と、性器型などの「ツメッコ(すいとん)」に分けて考えてみます。

 

  砂糖ツメッコ(男女の性器型とうんこ型)

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  ぜんざいの起源は、旧暦の10月に全国から神々が出雲に集まる「神在祭(かみありさい)」の神事に振る舞われた「神在(じんざい)餅」が、ずーずー弁の出雲弁で訛り、「じんざい」→「ずんざい」→「ぜんざい」となって京都に伝わった、という説が出雲には見られます。
 もしそうなら、片品に「汁粉」が伝わったのは、「神在祭(地方では神無月になる)」の時代に北陸、あるいは信州から伝わった可能性があります。片品や日光にスサノオ大国主大国主の子の事代主、大山祇(スサノオの妻の父母の先祖)を祭る神社や、大国主の子で信州に逃れた建御名方命を祀る諏訪神社が多いことを見ると、古代に赤飯とともに「ぜんざい」も日本海側から伝わった可能性があります。赤色は「血」を増やすものとして尊重されたと考えられます。
 普通、「ぜんざい」には餅や団子などが入れられますが、「性器型ツメッコ(すいとん)」というのは片品独特です。地元にあった金精信仰、女性器の形をした「女体山(日光白根山)」などの山の神に金精(男性器形の木棒や石棒)を捧げるという金精信仰が、「性器型ツメッコ(すいとん)」に形を変えた、と考えられます。
元々は女神とされた山神に奉げるのですから、金精形だけであったのが、いつの頃か、縁結び・夫婦和合・安産・子だくさん・子孫繁栄を願って女性器形が追加されたと考えられます。
さらには、大地に糞尿を撒いて農作物を栽培したことから、うんこ形が追加され、豊作を願って地母神に供えられたのではないでしょうか。神事ですから、単なる卑猥な冗談から始まったものではないと考えます。
 縄文人は、地面上に丸く石で囲み、その中心に石棒を立てた円形石組・石棒を各地に残しており、群馬県でも渋川市北橘町の小室高田遺跡や渋川市赤城町の滝沢石器時代遺跡などには石棒が残されています。これは、インドのリンガとヨーニと同じように、女性器の中に男性器を立てたものであり、母なる大地の性器に石棒を突きさし、子孫誕生を願ったものと考えられます。

 

    大湯環状列石の中の円形石組・石棒 

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インドのリンガ(男根)とヨニ(女陰)信仰:ウィキペディアより 

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  また、女体山(日光白根山)は女性器の形状を想起させるエロチックな活火山であり、その北にはそびえ立つ金精山があり、かつては、この女体山には村の男たちが金精(男根)を奉納していました。
 この金精信仰や「性器型ツメッコ(すいとん)」は、縄文からの性器信仰の伝統を引き継いだ可能性が高いと考えます。

 

   女体山(日光白根山):気象庁HPより 

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  金精山と金精神社(群馬県片品村、栃木県日光市):ブログ「山歩き遊悠湯」より

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  儒教朱子学に毒された下級武士あがりの明治政府の官僚達は、近代化を進めるにあたって「卑猥」「ワイセツ」「グロテスク」などの理由から、性器信仰や混浴を禁止してきましたが、私はこれらの土器(縄文)時代1万年からの歴史・伝統として維持・復活を図るべきと考えます。
ローマ文明の混浴温泉の遺跡やバーデンバーデンの混浴温泉に行った日本人が、ローマ人やドイツ人を「前近代的」「野蛮」などと思うことがないように、むしろ、自然で、健康的で、うらやましいと感じるに違いありません。同じように、外国人観光客が「金精信仰」「混浴」「春画」などに興味を持ったからと言って、それで日本人が「遅れた野蛮人」と見なされることはありません。いつまでも、明治の「悪しき儒教スタンダード」ではなく、「グローカルスタンダード」で日本文化を見直すべきと考えます。

 

「偏狭な儒教スタンダード」から「グローカルスタンダード(汎地域標準)」による日本文化再発見へ

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 中国・欧米への「拝外主義」傾向が強く、日本文化の価値を低く見る日本人から、おおらかに性を信仰してきた明治以前の1万年の日本文化を見直すべき時です。群馬県みなかみ町の混浴温泉の宝川温泉・汪泉閣では宿泊客の2割が外国人という時代(2015年)になってきており、明治以前の日本文化を発信する世界に向けた取り組みが求められます。
春画アートは最高の性アートとして世界で認められつつあり、大英博物館で開かれた大春画展は、16歳未満は保護者同伴推奨で、3か月で8.8万人が来場し、「4つ星」を付ける人気を博しており、『芸術新潮』は、2012.1「恋する春画」、2013.12 大英博物館「『春画』展がすごい」を特集しています。
すでにヨーロッパではブリュッセルダルムシュタットヘルシンキバルセロナ、ミラノで「春画展」が開かれてきましたが、日本では開催が決まらず、細川元首相が理事長をつとめる永青文庫(東京都文京区、9月19日~12月23日)でやっと開催が決まった状態です。ここでも、明治の排外主義官僚たちの「悪しき儒教思想」が、春画=ポルノと決め付け、縄文以来の日本文化の伝統を否定しているのです。

5.「日本中央(群馬・新潟・富山・長野・山梨)縄文文化遺跡群」を世界文化遺産

 三内丸山遺跡大湯環状列石など「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界遺産登録をめざす取組みが進められ、2009(平成21)年1月5日には世界遺産暫定一覧表に記載され、2019年7月に世界文化遺産推薦候補に選定されました。
ところが、縄文遺跡の宝庫である「群馬・新潟・富山・長野・山梨」においては、縄文遺跡や展示施設の整備は不十分であり、世界的な文化遺産・観光資源とするという視点を欠いています。弥生人(中国人・朝鮮人)征服史観や、皇国史観・大和中心史観にとらわれ、「進んだ弥生、遅れた縄文」の意識から抜け出せないことが、その要因と考えられます。
「北海道・北東北の縄文遺跡群」に加えて、「日本中央縄文文化遺産」の世界に誇るべき優れた点は、多様な縄文土器やアクセサリー(耳飾など)の芸術性の高さと縄文文化地母神信仰、金精信仰)を現代に伝える祭りが片品村のように残されていることです。そして、「石器時代―土器時代―鉄器時代」という歴史区分を提案できる古代史の連続性を持っていることです。
 世界遺産登録の「6 顕著な普遍的価値を有する出来事(行事)、生きた伝統、思想、信仰、芸術的作品、あるいは文学的作品と直接または実質的関連がある」の基準は、まさに猿追い祭りや金精信仰など現代に引き継がれています。
 「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界遺産登録を機会に、「日本中央縄文文化遺跡群」の世界遺産登録運動を起こすことを提案したいと考えます。

<参考 性器信仰の例>

① 土器(縄文)時代の石棒(国立市

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 ② 八重垣神社の金精様(島根県松江市) 祭神:スサノオと櫛稲田姫

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 ③ 金精神社の石棒(岡山県高梁市成羽町

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 ④ 田縣神社の豊年祭(愛知県小牧市) 祭神:御歳神(スサノオの子の大歳神の子)

 f:id:hinafkin:20200302170352j:plain  ウィキペディアより