ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

「倭語論14 『アマテラス』か『アマテル』か」の紹介

 2月13日からLivedoorブログ「帆人の古代史メモ」での「アマテル論」を開始しましたが、関連してGooブログに「倭語論14 『アマテラス』か『アマテル』か」をアップしました。https://blog.goo.ne.jp/konanhina
 大学1年生の時、夏休みに工務店でアルバイトした時のことですが、職人の間で「玉から生まれたアマテラス」や「万世一系」なんか嘘だろうなど、天皇崇拝を皮肉る話がよく飛びかっていました。中には「天照大御神」のことを「テンテル」としか言わない若い腕のいい大工がいました。
 古代史をブログで書き、『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)を出したときも、「天照」を「アマテラス」と書いたり「アマテル」と書いたりしてきましたが、昨年末の『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(第2版)からは引用など以外では「アマテル」を使うようになりました。
 最近、「モモソヒメ=卑弥呼=アマテラス」という「新皇国史観」があたかも歴史であるかのような邪馬台国畿内説の主張が目に付きだし、「アマテラス」か「アマテル」か、はっきりさせる必要があると考えます。
 あの「大東亜戦争」の反省と裕仁天皇の「人間宣言」に照らせば、本居宣長の「世界を照らす太陽神アマテラス」の解釈を否定され、「天照」を「アマテラス」ではなく「アマテル」と読むるべきと考えますが、みなさんはいかがでしょうか? 
 縄文論との関係では、太陽信仰があったのかどうか、それが古代国家建設に結びつくのかどうかなど深いかかわりがあります。ご検討いただければと考えます。雛元昌弘

たつの市龍野町日山の天神山の粒坐天照(いいぼにますあまてらす)神社
―祭神は天照国照彦火明(あまてるくにてるひこほあかり)―

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