ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート7 動物変身・擬人化と神使、肉食と狩猟

 この小論は2014年8月にまとめて「縄文社会研究会」のメンバーに送付したレジュメを小修整して再掲したものです。
 この時には「弥生時代はなかった」「石器・土器・鉄器時代区分にすべき」という考えに到達していなかったので、「縄文」をそのまま使っています。文化論・宗教論の枠組みに入ると思いますが、いずれ、「文明論」として展開したいと考えています。

1.動物変身・擬人化神話について

 上田篤元大阪大学教授の主催する「縄文社会研究会(縄文日本の会)」で、日本のアニメが世界各国で受け入れられているのは、鳥獣戯画などの動物擬人化や動物と人間との間に境をもうけない文化的な伝統、恐らく、縄文文化からの伝統ではないか、という意見が出された。
 確かに、宮崎駿氏の『風の谷のナウシカ』や『となりのトトロ』『もののけ姫』『紅の豚』『千と千尋の神隠し』『崖の上のポニョ』などに描かれた世界では、人間絶対主義ではなく、動物を人間と同等に扱い、人間が動物に、動物が人間に当たり前のように変身する。
 トリップアドバイザーの「外国人に人気の日本の観光スポット 2014」(サイトへのアクセス数)では、 14位に嵐山モンキーパークいわたやま、21位に地獄谷野猿公苑、22位に奈良公園が入っているが、日本人の動物へ付き合い方に外国人が興味と共感を持っていることを示している。
 私は『スサノオ大国主の日国 霊の国の古代史』(梓書院)において「霊(ひ)信仰論」や「ヤマト=山人=猟師論」を、ブログ「帆人の古代史メモ78~86」において、「非人=霊(ひ)人論」「肉食忌避論」「動物使徒論」を、ブログ「神話探偵団117、122」において「肉食論」「動物使徒論」を、ブログ「帆人の古代史メモ99」において「農耕支援狩猟論」「鹿・猪の血による稲作論(黄泉帰り宗教論)」などを書いてきたが、動物変身・擬人化神話、動物使徒伝承、肉食・狩猟について検討し、縄文人の動物観に迫ってみたい。
<参考資料> 中村禎里著『日本人の動物観―変身譚の歴史』、永松敦著『《猟師》の誕生と狩猟儀礼の成立』

2.前提としてのDNAと霊(ひ)信仰について

 ヒトの遺伝子のうち、およそ97%はその正体が不明であり、しかも、ウニの遺伝子数が人とほとんど同数で、その70%がヒトと共通していることなどが判明してきている。さらに、チンパンジーと人間のゲノム(遺伝情報)を比較すると98%以上が同じという。
これらのことから、「ジャンクDNA(がらくた遺伝子)」と呼ばれてきた97%の遺伝子は、人類が進化してきた過程で使われなくなった遺伝子であり、ヒトの遺伝子は、生物進化の全情報を含んでいるのではないか、という説も出されている。猿のように樹上生活をした段階、その前のネズミのように穴暮らしをしていた段階、もっと前の海にいた段階などの全遺伝子情報がこの「ジャンクDNA(がらくた遺伝子)」の中に記録されている可能性がある。私は子どもの木登りや舟遊び体験のボランティア活動を通して「動物進化を追体験する子どもの遊び」をまとめて「チャイルド・サイエンス 懸賞エッセイ『子どもの不思議』」に応募し、2004年9月の第1回子ども学会議(学術集会)で奨励賞をいただいたことがある。
このような遺伝子(DNA)の働きを知っている現代人は、縄文人や古代人の「霊(ひ)信仰」は荒唐無稽な思想と笑うことはできない。DNAが親から子へと受け継がれることを、古代人は「霊(ひ)」が親から子へと受け継がれる「霊(ひ)継ぎ」と考えたのである。
「生物はDNAの入れ物」(リチャード・ドーキンス博士の利己的遺伝子仮説)という考え方のはるか昔から、縄文人や古代人は「ひと」は「霊留(ひと)」(霊が留まるところ)であり、「人は『霊(ひ)』の入れ物」「霊(ひ)の器」と考え、「ひな(霊那)=霊が留まる場所=子宮」に模した壺棺や甕棺(みかかん)に死者を赤く染めて葬っていたのである。

       吉野ヶ里遺跡の石棺復元模型

 

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 縄文人の動物観や宗教思想と、現代科学のDNA理論・ゲノム理論は繋がっており、その知的水順はほとんど変わらないといえる。
 さらに、人間の細胞中のミトコンドリアは太古の海では独立した生物で、何かのはずみに動物の細胞に採り込まれ、複合生命体となっていると考えられており、今や、動物と植物の境界も絶対的なものではなくなってきている。
 石器時代から人類は、現代人と同じレベルの知性を持っており、違いは情報量に過ぎない、という観点から、縄文・古代史研究は見直されなければならない。

3.「動物みな兄弟」の輪廻思想について

 私などは、「悪さばかりしていると罰があたって、生まれ変わる時は虫けらやつく畜生になる」「全ての生き物は、前世は人間で、動物に生まれ変わったものだから、決して殺生してはならない」と祖母に教えられて育ってきたから、宮崎アニメの動物=人間変身物語はストンと入ってくる。
 人間と他の動物との間に境を儲けないのはインドの紀元前13世紀頃からのバラモン教(死者→月→雨→植物・穀類→男の精子→女との性交→胎児→誕生)や紀元前5世紀からの仏教の輪廻の再生思想からなのか、それとももっと古くからの縄文文化(例えば、紀元前20~25世紀の三内丸山遺跡など)に起源を持つのであろうか?
 縄文遺跡で子どもを壺に入れ、竪穴式住居の入口に埋め、その上をまたいで通る母親の子宮(ひな)に黄泉帰ることが期待されていたことからみて、この時代に「地母神信仰(死者が母なる大地に帰り、黄泉帰るという宗教)」が行われていたことは確実である。大地からの霊(ひ)が宿ると考えられていた妊婦土偶が無事に出産し、霊が子供に受け継がれた後に壊され、埋められたのもまた、大地に土偶を帰すという宗教思想を示している。霊(ひ)が宿ると考えられた鏡が壊され、埋められたのと同じである。
 では、動物はどう考えられていたのであろうか。
 動物土偶は猪が半数以上を占め、他に犬、猿、鳥、熊、鹿、ムササビ、亀、魚、ゲンゴロウなどがあるが、人物土偶と同様に動物土偶を大地に埋めたのは、動物の霊(ひ)を大地に帰し、その再生を願っていたとみられる。
 一方、不思議なことに鹿は数例しか確認されていない。縄文人は、猪や鹿を狩猟していたことは骨の出土から見て確実であるが、古代に卜占で男鹿の肩甲骨を焼いて占うようになったことからみて、鹿はそれらの動物とは異なる、特別の存在であったようである。
 「もののけ姫」において、宮崎駿監督は生と死をつかさどる「シシ神」を昼は鹿の形にし、夜は「ダイダラボッチ」にして描いていたが、縄文人にとって鹿は神として考えられていたのかも知れない。

       「もののけ姫」の「シシ神」

 

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 「この世は悲しいことだらけ」(『涙くんさよなら』の歌詞)ではないが、バラモン教や仏教は苦しい輪廻の世界から抜け出す(解脱する)ことを目指しているが、動物は置き去りである。キリスト教イスラム教では信仰心のない動物はやはり天国には行けない。
 とすると、人間と動物の死後の世界に区別を付けないのは、後世にわが国に入ってきた仏教の輪廻思想ではなく、縄文の黄泉帰り思想と考えられる。「人間・動物みな兄弟」は縄文思想である。

4.「生物みな兄弟」の黄泉帰り思想

 それだけではない。縄文人は「生物みな兄弟」の黄泉帰り思想を持っていた。
イヤナギの子のカグツチ神の血と死体からの神々の誕生神話、イヤナギの体についた黄泉の汚れた垢や持物・衣服からのアマテラスなどの神々の誕生神話、スサノオが殺したオオゲツ比売の死体からの米などの五穀の誕生、アマテラスの玉やスサノオの剣からの子の誕生など、記紀神話は人間の死体や物から人や穀類などが生まれる、人が物、物が人に変身する、という考えが古くからあったことを示している。
 ずっと後の竹から生まれた「かぐや姫」(竹取物語は日本最古の物語)や「桃から生まれた桃太郎」の物語もまた、人間と植物との間に生まれ変わりがあるという宗教思想を示している。人間も植物も同じように大地に帰り、再び生まれるという黄泉帰り思想は、人間と植物を区別しない。
 朝の子どもの人気番組を見ても、恐竜の「ガチャピン」や雪男の「ムック」、イタチの「ムテ吉」や猫の「ミーニャ」、さらにはサボテンの「サボさん」、椅子の「コッシー」まで擬人化して登場することに、何の違和感もないのである。縄文的な動物観や生物観、もの観は、現代にも生きている。

5.鹿や猪の血を稲作に用いる黄泉帰り思想

 播磨国風土記には、「大神(伊和大神:大国主)の妻の妹玉津日女が生きた鹿の腹を割いて、稲をその血に播いた時、一夜で苗が生えた」(讃容郡讃容:今の佐用市)、「太水神は『吾は宍(しし)の血をもって田を作るので河の水は欲しない』と述べた」(賀毛郡雲潤里:今の加西市加東市)という記載がある。ここには鹿や猪の血が稲の生育を助ける、という血(子宮をイメージ)の中から生命=稲が生まれるという「黄泉帰り」の宗教思想が見られる。
 ここにも、動物と植物に境をもうけていない。

6.神使(しんし:みさき)について

 動物を神の使いとして祀り、大事にする次のような例が見られる。その全てはスサノオ大国主の一族を神としている神社である。春日大社だけは藤原氏氏神を祭っているが、この地にはそれ以前に「春日氏」の祭祀が行われており、「あ須賀」と同じ「か須賀」のスサノオ一族の祭祀が藤原一族によって受け継がれ、鹿を神使としたと考えられる。
① 出雲大社:海蛇
② 宗像大社:蛇 
③ 三峰神社:狼
④ 稲荷大社:狐
⑤ 日枝大社・武尊神社(片品村):猿
⑥ 厳島神社春日大社:鹿
⑦ 住吉大社:兎
⑧ 伊勢神宮石上神宮:鶏
⑨ 熊野大社:烏
大山祇神社:白鷺
⑪ 武尊神社(片品村):オコジョ

    出雲大社の神使の海蛇(龍神様)

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    石上神社の神使の鶏

 

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 これらの動物は氏族のトーテムという説が見られるが、それは西洋の学説の翻訳学者の「拝外主義歴史学者」の解釈である。
 わが国の歴史・伝統からみて、これらの動物は天上から山上に降り立った祖先の霊(ひ)を山上から里の神社に迎え、再びに山上に運ぶ神使(しんし:みさき)であり、さらに古く、壱岐対馬をルーツとする海人(あま=天)族のスサノオ大国主にとっては、海蛇が海底から祖先霊(神)を迎え、送り返す神使であった。

7.動物神名について

 大国主を国譲りさせた天日名鳥命(建比良鳥命天夷鳥命・武日照命:子孫が祀らないと祟るという霊(ひ)の法則からみて、私は大国主の筑紫でもうけた御子の子と考える)、大国主の子のアジスキタカヒコネ(阿治須岐高日子根)命の別名の迦毛大御神(鴨氏の祀る高鴨神社の祭神)、3代目の鳥鳴海神(母は鳥耳神)、8代目の布忍富鳥鳴海神など、大国主命一族には鳥を人名とする王が見られる。また、神功皇后によって滅ぼされた羽白熊鷲(筆者説:朝倉市の旧甘木市の杷木(はき)=羽城(はしろ)の王で、大国主命の子孫の九州王朝の王)にも鳥名が使われている。
 天皇家では、11代垂仁天皇の子・ホムツワケ(品牟都和気)が大国主の祟りで言葉を話すことができず、鵠(くぐい、白鳥)の声を聞いて、初めて言葉(『あれは何だろう』)を発したとされ、12代景行天皇の子・ヤマトタケル(倭建)は死んで白鳥になって河内の志幾まで飛んだとされている。
 さらに、16代仁徳天皇の生前の名前は「大雀(おほさざき)命」、弟には根鳥命、早総(はやぶさ)別命があり、25代武烈天皇の生前名は小長谷若雀命である。
 鳥は死者の霊(ひ)を天に運ぶとされ、環濠城(き)や神社の入り口の鳥居や建物の棟飾りとして用いられ、古墳上に葬送儀式を模した埴輪列として飾られ、天日名鳥命の別名が出雲祝神であることから見ても、鳥は死者の霊(ひ)を運ぶ神聖な動物とみなされていたことが明らかである。
 
八幡塚古墳の鶏(右端):5世紀後半(群馬県藤岡市)、葬送儀式を再現した埴輪列

 

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今城塚古墳の白鳥:6世紀前半(高槻市)、継体天皇陵の埴輪祭祀場

 

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8.擬人化と変身神話

 この黄泉帰りの縄文思想の延長上に、動物が人間となり、動物が人間となる、次のような動物変身神話や動物擬人化神話が生まれている。
① 野原で周から焼かれた時に鼠が助けるスサノオ神話(擬人化)
② ワニに襲われた因幡の白ウサギを助ける大国主神話(擬人化)
③ 蛇に化けてモモソヒメのもとに通う大物主神話(変身)
④ 山幸彦の豊玉毘売(人間に化けた鮫:わに、龍)との結婚とウガヤフキアエズの出産(変身)
⑤ 11代垂仁天皇の子・ホムツワケ(品牟都和気)が出雲で大国主を拝んで口が利けるようになり、帰りに結ばれた一宿肥長比売が蛇であったという神話(変身)
⑥ 白鳥になって大和に帰るヤマトタケル神話(変身)
これらの神話は、動物が人間のように振る舞い、あるいは人間の物語を動物に置き換え、さらには、人間が動物になるという擬人化と変身思想を伝えている。
 その根底には、動物を人間世界から排除せず、同列に置く世界観を縄文人から古代人が引き継いでいたことを示している。

9.肉食について

 魏書東夷伝倭人条には、葬儀にあたって肉食を避け、航海の無事を祈って船に乗せる持衰(嵐に遭うと殺す生贄)には肉を食べさせない、という忌避があったことが印されている。人間の霊(ひ)を断つのと同様に、動物の霊(ひ)を断つこともまた祟りがあると信じられていたことが明らかであり、それは霊(ひ)信仰が動物を含む概念であったことを示している。
 中国や韓国、インドなどとは異なり、今もこの国では犬や猿、白鳥を食べないことは、これらの動物が神使であったことを示している。それは、肉食禁止を最初に決めた天武天皇が、675年に檻阱(落とし穴)や機槍(飛び出す槍)を使った狩猟を禁じるとともに、農耕期間の4月から9月の間、牛、馬、犬、サル、鶏を食べることを禁止したことからも頷ける。
 落とし穴や飛び出す槍の狩猟禁止は、おそらく、たびたび人々を傷つけたからであろう。牛と馬は貴重な役用動物であるからであり、犬、サル、鶏は、霊(ひ)を運ぶ動物であったからである。まだまだ鹿や猪の血が稲の生育を促すと考えられていた時代の、体力を消耗する農耕期間に肉食を禁じるということは、犬、サル、鶏には特別の宗教的な忌避があったとしか考えられない。
 桃太郎伝説において、桃太郎が犬と猿と雉を連れて「鬼退治」に行くのは、鬼(他部族の祖先霊)と戦うために、桃太郎も犬、サル、鶏に運ばせた祖先霊とともに戦ったということであろう。 
 仏教の「不殺生戒」によって肉食禁止令が出された、というのは、仏教第1主義の偏った短絡的な解釈というほかない。縄文時代から続く霊(ひ)信仰が基本となり、それに仏教の「不殺生戒」の影響もあって、肉食禁止令が出された、と考えるべきであろう。

10.狩猟について

 古事記は、薩摩半島笠沙の天皇家の直接の祖先の山幸彦(火遠命、穂穂手見命)は「毛のあら物、毛の柔(にこ)物を取っていた」猟師、山人(やまと)としている。食用に肉を取っていたというより、毛皮をとることを仕事としていた猟師の書き方である。
 岡山県の山奥の山村に住んでいた私の祖父は、山に猪や鹿が出てくる季節になると「そろそろ使いを出せや」と叔父に命じて腕のいい猟師を雇っていたが、山間部での林業・農業にとって、害獣駆除は猟師の重要な役割であった。
 播磨国風土記には、大国主一族と応神天皇の狩りや肉食、鹿と猪の飼育、鹿と猪の血での稲作に関する次のような記述が見られる。
①賀古郡:(大神=大国主)狩した
飾磨郡英馬野:品太天皇(注:応神天皇)、この野に狩した
③揖保郡伊刀島:品太天皇・・・狩したまう。
④揖保郡槻折山:品太天皇、この山に狩したまう。槻弓をもって走る猪を射た・・・
⑤讃容郡:(大神の)妹玉津日女命、生ける鹿を捕って臥せ、その腹を割いて、稲をその血に種いた。よりて、一夜の間に苗が生えたので、取って植えさせた
⑥讃容郡町田:(賛用都比売)鹿を放した山を、鹿庭山と号す
⑦讃容郡柏原里:大神、出雲国より来た時に、・・・筌(うえ:竹で編んだ魚を捕る道具)をこの川に置いた・・・魚は入らず、鹿が入った。これを取って鱠(なます)に作って、食べた
⑧宍禾郡:伊和大神・・・巡行した時に、大きな鹿が舌を出して・・・
⑨神崎郡勢賀:品太天皇、この川内に狩したが、猪鹿が多かった・・
⑩託賀郡大羅野(おおあみの):老夫と老女、羅(あみ)を袁布(おふ)の中山に張り禽鳥(とり)を捕っていると
⑪託賀郡比也山:品太天皇、この山に狩した時、1つの鹿が前に立った
⑫託賀郡伊夜丘:品太天皇の狩犬と猪とこの岡に走り上った。天皇これを見て「射よ」と言った。
⑬託賀郡阿富山:あふこを以て、宍を荷った
⑭託賀郡目前田:天皇の狩犬、猪のために目を打ち害(さ)かれた
⑮託賀郡阿多加野:品太天皇、この野に狩したが、1つの猪、矢を負いてあたきした
⑯賀毛郡:品太天皇・・・勅(みことのり)して射つよう命じた時、1矢を発って2つの鳥に命中した・・・羹(あつもの:肉・野菜の吸物)を煮た処は煮坂という
⑰賀毛郡鹿咋(ししくい)山:品太天皇、狩に行った時、白い鹿が自分の舌を咋(く)って・・・
⑱賀毛郡猪飼野:難波高津宮御宇天皇(注:仁徳天皇)の世に、日向の肥人、朝戸君・・・此の処を賜って、猪を放って飼った
⑲賀毛郡雲潤(うるみ)里:大水神・・・「吾は宍の血を以て佃(田を作る)る。故、河の水を欲しない」と辞して言った
 
 これらによれば、大国主応神天皇らは単に狩りを趣味にしていたというより、害獣駆除と軍事訓練を兼ねた狩りをひんぱんに行っていたと見られる。
 西洋人=肉食系民族、日本人=草食系民族などというのは、そもそもヨーロッパでの小麦栽培農業と縄文人の肉食の両方の歴史を無視した空想である。両文明・文化の違いは、食物―食生活習慣にではなく、宗教の違いある、と見なければならない。
 人間を動物や植物とは別の生物とする思想と、人間を動物や植物の仲間と見る思想の違いである。
 そして、動物の霊(ひ)を断つ弓矢と槍の達人の猟師が、人の霊(ひ)を断つ兵士となり、そのうちの薩摩半島の山人(やまと)族の傭兵部隊が豊前、筑紫、安芸、吉備と転々とし、最後に、奈良盆地に入って傭兵となり、その10代目の御真木入日子(御間城入彦)がスサノオ一族の美和(三輪)国の大物主の権力を奪って建国したのが「山人」天皇家の歴史である。

11.まとめ

① 人間と動物・植物の間に、宗教心によってはっきりとした境界線を引く「選民思想一神教」より、縄文人の「人間・動物・植物生命連続思想」の方が、遺伝子学・分子生物学のDNA解析と合致している。
② 縄文思想について、世界に一番アピールしているのは宮崎駿監督の作品であろう。文字のない縄文時代を低く見、「遅れた縄文、進んだ弥生」「進んだ中国・西洋、遅れた日本」の観念から抜け出せない歴史学者たちは、宮崎氏に匹敵する仕事をしていない。宮崎アニメが縄文や鳥獣戯画などの文化・芸術を引き継いで世界に認められていることと比べて、日本の歴史学者たちが西洋文化受け売りの小さな仕事しかしていないのは誰もが認めざるを得ないであろう。
③ 縄文人や古代人の霊(ひ)信仰(祖先霊信仰)を抜きにして、彼らの動物変身・擬人化や神使(しんし:みさき)の考え方、肉食と狩猟についての理解はできない。これは、日本の現代人の生き方や文化にも関わる課題である。
④ 縄文時代弥生時代で終わったとし、現代にまで続く縄文文化を見ようとしない「弥生人征服史観」は見直されなければならない。
⑤ 魏書東夷伝倭人条や古事記日本書紀風土記などの歴史書から「天皇家による国土統一」という皇国史観(大和中心史観として現代化)に沿った記載しか抽出せず、そこに記された縄文文化スサノオ大国主一族による建国の記述を神話=空想としてしか見ない、「つまみ食い古代史」の歴史分析の方法論は見直されなければならない。
⑥ 霊(ひ)を断つと、子孫に祀られない祖先霊(怨霊)が祟るという宗教思想の存在は、アマテラスと大物主(スサノオの子の大年)を宮中に祀って祟られたとすることを記した崇神天皇古事記日本書紀により、古代天皇制への見方を根本から変えるものである。この記載は、崇神天皇がアマテラス・大物主と血の繋がった直系の子孫ではないことを示しており、アマテラス・大物主一族から天皇家には「霊(ひ)継ぎ」が行われていないことを示している。