ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

「琉球論2 『龍宮』は『琉球』だった」の紹介

 

 昨日、Livedoorブログ「帆人の古代史メモ」において「琉球論2 『龍宮』は『琉球』だった」をアップしました。http://blog.livedoor.jp/hohito/
 記紀神話に登場する「龍宮」は、海の底の架空の話とされてきましたが、龍宮=りゅうぐう=りゅうきゅう=琉球であると私は考えます。2018年5月に書き、『季刊日本主義』(43号2018秋)に掲載した原稿「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」をもとに加筆・修正したものを、2回にわけて紹介します。
 卑弥呼(襲名アマテル4)を筑紫大国主王朝11代目であり、卑弥呼の後継者争いで破れて薩摩半島生南端の笠沙に逃げ延びたニニギ(偽名の可能性がある)の子が山幸彦(山人:やまと)であるとする私の説については、『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)を参照下さい。
 縄文論との関係でいえば、笠沙の地は琉球(龍宮)から黒潮に乗ってやってくると九州への入り口であり、丸木舟製作に使用する縄文時代の丸ノミ石器と曽畑式土器の分布が琉球(龍宮)と笠沙の関係を証明しており、縄文時代スサノオ大国主の委奴国・倭国・鄙国、邪馬壹国、美和国・大和朝廷の関係をつなぐ接点になるテーマです。 雛元昌弘