ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

「ワンチーム」の縄文時代:麻生太郎氏の「126代の1つの王朝」批判

 1月13日の麻生太郎副総理の「2000年の長きにわたって一つの国で、一つの場所で、一つの言葉で、一つの民族、一つの天皇という王朝を126代の長きにわたって一つの王朝が続いている国はここしかない」と発言し、アイヌ民族を「先住民族」とした「アイヌ施策推進法」と矛盾するとマスコミで批判された。これに対し、14日、「1つの民族」については「政府の方針を否定するつもりは全くありません」との訂正発言を行いました。
 しかしながら、「126代の長きにわたって一つの王朝が続いている」という天皇制発言に対し、歴史学者やマスコミが何ら反応していないことに対し、「新皇国史観」(天皇を神とする戦前の皇国史観に対し、人間天皇万世一系支配を主張する史観)を批判してきた私としては、この点にこそ反論したいと思います。
 そもそも後漢新羅や魏と国交を交わした紀元1世紀の百余国の「委奴国」、3世紀の30国の「邪馬台国」は天皇家とは関係ありません。
712年に作成された古事記は、大国主は少彦名(すくなひこな)と「国を作り堅め」、少彦名の死後には、美和(後の大和(おおわ))の大物主と「共に相作り成」したとはっきりと書き、その国名を「豊葦原の千秋長五百秋(ちあきのながいほあき)の水穂国」としています。水穂¬=水稲の国づくりは大国主が行ったとしているのです。日本書紀もまた、大国主と少彦名が「力をあわせ、心を一つにして、天下を経営し、動植物の病や虫害・鳥獣の害を払う方法を定め、「百姓、今にいたるまで、恩頼を蒙(こうむ)る」と伝えています。
 出雲国風土記大国主を「五百つ鉏々(いおつすきすき)取り取らして天の下所造らしし大穴持命」としており、「鉏(鋤、鍬)」を配って水田稲作を普及させ、「天下造所」したとして記紀を裏付けています。この「鉏(鋤、鍬)」は「金」偏ですから、縄文時代からの「木鋤(こすき)」の刃先に鉄を付けたものであり、この鉄先スコップで大国主一族は原野を開拓し、水路を整備した水田を全国に広めたのです。わが国の鉄器時代への移行と農業革命は武器ではなく、農機具を普及させた大国主によって成し遂げられたのです。
 さらに桓武天皇第2皇子の52代嵯峨天皇は「素戔嗚尊は即ち皇国の本主なり」として「正一位の神階」と「日本総社の称号」をスサノオの和魂(にぎたま)を祀る津島神社に贈り、66代一条天皇は「天王社」の号を贈っています。「天王さん」と呼ばれて庶民から親しまれ、全国約3千の津島神社・天王社に祀られているスサノオを、天皇家はこの国の「本主」「天王」として公認しているのです。
 詳しくは『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤名)、『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)やブログを参照いただきたいのですが、私は委奴国王はスサノオ、鬼(委奴国王から続く祖先霊)を祀った卑弥呼(霊(ひ)御子=霊(ひ)巫女)は筑紫大国主王朝の11代目であることを明らかにしています。
 記紀風土記、52代・61代天皇はこの国の建国者をスサノオ大国主としているのであり、麻生太郎副総理の「一つの天皇という王朝」はそもそもこの国の建国史から成立しません。さらに、21代雄略天皇、26代継体天皇など王朝交代説があり、平安時代は「藤原王朝」といってもいい貴族支配時代であり、鎌倉・室町・江戸時代は「武家支配」の時代です。
 このような歴史を無視した「新皇国史観」に対し、歴史学者やマスコミが沈黙を保っていることは、実に危機的な時代となったと感じます。
 多国籍のラグビー日本チームの「ワンチーム」をいうなら、麻生氏は1万5千年の縄文時代こそ話題にすべきです。わが国はDNA多民族であり、南方・北方・西方から多くの民族が集まり、対馬暖流(私は琉球暖流と呼ぶべき)に乗った海人(あま=天)族が活発に交流‣交易・移住を行い、世界に先駆けて芋穀・魚介肉の健康で豊かな土器鍋食の文化をつくり、それは「和食」として世界に広まっているのです。
 「ワンチーム」を「単一国チーム」と曲解し、この国の歴史を捻じ曲げる人物が副総理となっているというこの異常さに「ボー」としているマスコミに操られたこの国はどこへいくのでしょうか?

 

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