ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート1 縄文との出会い

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  縄文時代に関心を持った最初のきっかけは、京大建築学科西山研究室が1970年の大阪万博の計画づくりに携わり、「お祭り広場」を提案するとともに、岡本太郎氏の縄文デザインの「太陽の塔」が採用され、縄文土器の「すざましい造形」に圧倒されてからでした。
 私は反原発でしたから、大飯原発を稼働させて電力の供給を受けた「進歩と調和」の
万博には反対でした。しかしながら、本格的に議論され、広く知られ、国民の共通理解となることのなかった「縄文」と「お祭り広場」の理念はさすがと思っています。
次の関りは、1985年に猪風来氏の「縄文野焼き」に丸木美術館で出会い、狭山市で子供たちを対象に縄文野焼きのイベントを行ったことです。その時、2回目には、沖縄出身の彫刻家・金城実氏にも指導者として参加してもらいましたから、私の感性では「縄文―沖縄」、「岡本太郎―猪風来―金城実」が繋がっていました。
 このように、私の縄文への関心は「縄文芸術」からで、それに自然との関りを重視する環境志向」が加わったものでした。
 次の関心は、私が全国各地の市町村でまちづくり計画の仕事を行うなかで各地域の古代史に触れ、青森県東北町で「日本中央」の石碑に出会ったことから古代史について書き始めたことからです。スサノオ大国主建国論についてブログを書き、『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(梓書院)をまとめる中で、霊(ひ)信仰の「八百万神」神道縄文時代に遡る可能性があると考えるようになりました。
 このブログでは、これまで縄文について書いてきたレジュメの紹介とともに、「縄文社会研究会」での報告・議論などを書いていきます。

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