ヒナフキンの縄文ノート

スサノオ・大国主建国論から遡り、縄文人の社会、産業・生活・文化・宗教などの解明を目指します。

縄文ノート62 日本列島人の人のルーツは「アフリカ高地湖水地方」

 縄文ヒョウタンの原産地が西アフリカのニジェール川流域であることから始まり、「主語-目的語-動詞」言語族のルーツがエチオピアケニアあたりと考え、「縄文ノート25(Ⅱ-1) 『人類の旅』と『縄文農耕』と『三大穀物単一起源説』」「縄文ノート41(Ⅳ-1) 日本語起源論と日本列島人起源」などをまとめました。

 そこでエチオピアが気になり、「世界ふしぎ発見」など、ナイル源流、岩塩、大地溝帯、高原・平原の2種類の猿などをテーマにしたエチオピア関係のテレビ番組をよく見ましたが、肌の色(メラミンを作るSLC24A5遺伝子)は違っても中には日本人にそっくりな顔つきの人たちがいてびっくりしたものです。またエチオピアには日本と同じおじぎ習慣があることも知りました。

 ここから、直感的に私は人類は数万年もの間、アフリカにいた時にすでにDNAの多様化を生じ、それから世界各地に数万年かけて何段かに分かれて広がったのではないか、という「人DANのるつぼ」「人DAN爆発」アフリカ仮説を考えるようになりました。縄文人は東アジアで元の部族から分岐して日本列島に来たのではなく、アフリカですでに分岐し、アジアで諸文化を吸収しながら日本列島にきたのではないか、という直感です。

 それはヒョウタン原産地がニジェール川流域であるということから始まり、「イネ科植物のマザーイネ西アフリカ起源説」「日本語の『主語-目的語-動詞』言語エチオピア起源説」を考えてきた延長になります。

 一般的に生物の50~80%が熱帯雨林にいるという生物多様性からみて、赤道近くの強い太陽光は多様な植物を育て、それを食べる多様な動物を生み出し、その一部である人間もDNAの突然変異による多様化を生じた可能性です。人類はアフリカの熱帯雨林で猿から類人猿、原人、旧人、現生人類(ホモサピエンス)へと進化をたどるとともに、数万年かけて人DNAや言語・生活・文化など多様化を起こし、それぞれが出アフリカを果たし、さらに各地の環境変化に応じてDNAの多様化を起こした、というのが私の人類拡散の仮説です。

 

1 白人(コーカサイド)至上主義者の人類史の歪曲

 コロナでも痛感しましたが、DNA分析のような「分析手法」を科学と勘違いし、そのデータや分析方法の適用を誤っているエセ科学が多いのが気になっています。

 単なる「翻訳屋・分析屋・計算屋」があたかも科学者であるかのように振る舞い、誤った情報を流し続けて国民生活や仕事、人権、教育権に多大な損害を与えたのがコロナの忘れてはならない経験です。彼・彼女らは「イタリア・ドイツ・アメリカのような感染爆発が起きる」「42万人死亡」「都市封鎖だ」などと大騒ぎしましたが、一昨年の12月から1月の日本への中国人旅行客(96+114万人)による感染爆発がイタリア・フランス・ドイツ・イギリスのように日本では2・3月におきなかったことを冷静に分析すれば、42万人死亡の感染爆発などありえず、ロックダウンなど必要なかったのです。失職・倒産・自殺・教育空白などの責任は問われるべきでしょう。

 このように、わが国では「和魂漢才」「和魂洋才」といいつつ、実際には「漢才」「洋才」が伝統的に根強く、中華・西欧中心主義ウイルス蔓延しており、歴史学や人類学も例外ではありません。

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 図1はウィキペディア「人種」で紹介されている人類の遺伝子近縁図ですが、この図をみたとたんに怪しいと思わなければ、すでにあなたは白人中心主義ウイルスに100%感染しています。

 この図の中心はコーカサイド(白人)に置き、しかもイタリア(ローマ)からイギリス(ローマが占領)へと人類が分岐し、さらにイギリスが占領したイラン、植民地化したインドなどへと人類が分岐しかのような図にしているのです。ローマ帝国大英帝国を中心に人類が世界に広がったかのような世界観で描かれているのです。

 四大文明は全てアフリカ・アジアで誕生して発展し、当時のイギリスなど地の果ての辺境であったにも関わらず、この遺伝的近縁図はイギリス中心に描かれており、その植民地であったアメリカの白人至上主義者もまたそう思い込んでいるに違いありません。ナチスアーリア人至上主義の現代版はDNA分析を利用しているのです。

 

2 「人DANのるつぼ」アフリカ

 この白人中心主義者の遺伝近縁図とともに、ウィキペディアの「人種」「人類の進化」は「Y染色体ハプログループの拡散と人種」(図2)を載せており、ここではコーカサイド(桃色)はイランからトルコ・アルメニアを経て、東西に西欧・北欧とカザフスタンアフガニスタン北インドへ分岐して広がったとしていますが、私はこちらが正しいと考えます。

 なお、この図では日本へのⅮ1a2グループをモンゴルから朝鮮半島ルートとしていますが、「縄文ノート43(Ⅴ-1) DNA分析からの日本列島人起源論」で述べたように、ドラヴィダ系海人・山人族が「海の道」を、ドラヴィダ系山人族がシベリア・サハリンルートでやってきたと考えています。

  図2 Y染色体ハプログループの拡散と人種(ウィキペディア「人種」)

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 ウイルス学者・分子人類学者の崎谷満氏の『DNAでたどる日本人10万年の旅』では図3のよう に、9万年前ころからの現生人類は4万年ほどの間、アフリカで多くの部族に分岐し、出アフリカは53000年前頃、38300年前頃、27500万年頃の3段階であり、西ヨーロッパに多いのはY染色体R系という分析が示されています。―「縄文ノート43(Ⅴ-1) DNA分析からの日本列島人起源論)参照

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 この崎谷説が正しいとすると、出アフリカを果たすことになる部族は7万年前頃にアフリカで3つのグループに分かれ、2万年あまりアフリカで暮らし、5万年前ころにまず「JIHG」グループが分岐し、そこから「ONML」グループ、さらに「RQ」グループが分岐したことになります。「DE」グループは4万年頃、「C」グループは3万年前頃に出アフリカを果たしています。

 図4のウィキペディアY染色体亜型による系統樹と合わせてみると、西ヨーロッパ人は「R」グループで図2と同じ結果となり、図1の白人至上主義の遺伝的近縁図など成立の余地はありません。

 

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 ただ、「R」と近い「Q」グループを図4が「南北アメリカ大陸のネイティブアメリカンに非常に多い」としているのはサンプル誤差と考えます。ヨーロッパ人のアメリカ大陸征服後の混血の影響で「R」グループに近くなったと考えられ、この点ではアメリカ大陸に渡った「Q」グループをモンゴリアンとしている図2が正しいと考えます。

 

3 日本人のルーツはアフリカのニジェール川流域

 アフリカのアラブ化とアラブ人支配、イギリス・フランス・イタリア・スペイン・ポルトガル・ベルギー・ドイツなどの植民地化、スペイン・アメリカによる黒人奴隷化などにより、アフリカの自立的発展は妨げられるとともに、遅れた「未開地域」のイメージが押し付けられてきました。

 しかしながら、猿人(700~130万年前頃)から、原人(180~20万年前頃)、旧人(20~10万年前頃)、新人(9万年前頃~:現生人類:ホモ‐サピエンス)へと発展・多様化し、現生人類が約4万年ものあいだ暮らしてきた「母なる大地」はアフリカなのです。

 これまで人種として「白色人・黒色人・赤色人・黄色人」などの肌の色による差別的な分類がなされてきましたが、現生人類の起源については長い「アフリカ単一起源説」と「多地域進化説」の争いの後、DNA分析により前者が定説となってきました。人DNAの多様性はアフリカで4万年あまりかけてうまれたのであり、肌の色の分岐は出アフリカ後に黒人から生じたわずかな違いにすぎないのです。アフリカこそが「人DANのるつぼ」であり「人DAN爆発」の母体であったのです。

 前掲の図4の崎谷氏のY染色体亜型による系統樹には日本人にとっては興味深い部分があります。それは「Ⅾ・E」グループで、抜粋して図5に示しますが、縄文人はアフリカで「アフリカに多い。コンゴイド人種」の「E」グループと分岐したのです。

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 うかつな私はこれまで日本人に一番多い「D1a1」型や「C1a1」「O1b2」「O2」型にだけに注目し、「E」型のコンゴイドには注意を向けていなかったのです。「つまみ食い分析」の痛恨のミスです。

 「コンゴイドは、ニジェールコンゴニジェール・コルドファン)語族(バントゥー系民族、イボ人)やナイル・サハラ語族の言語を話し、農耕・牧畜生活を送っていた(もしくは現在も送っている)」(ウィキペディア)というのです。―図6参照

 

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 このイボ人は「黒人系の単一民族としては最大規模のグループの1つである。その人口の大半はナイジェリア東南部に住み、ナイジェリアの総人口の約20%を占める。カメルーン赤道ギニアにも相当数が居住する」とされており、「ニジェールコンゴ語は現代語ではSVO型が圧倒的に多いが、SOV型も見られ、元来の語順は明らかでない」とされています。昔、ナイジェリアから独立を求めたビアフラ戦争で150万人以上が死亡した痩せた子どもたちの痛ましい光景が目に焼き付いていますが、彼らがイボ人なのです。

 ニジェール川流域原産のヒョウタンが鳥浜遺跡(若狭)や三内丸山遺跡(青森)の縄文遺跡で見つかったことから私の縄文人のルーツ探しは始まり、「縄文ノート25(Ⅱ-1) 『人類の旅』と『縄文農耕』と『三大穀物単一起源説』」などに掲載した図7を再掲しますが、「主語-目的語-動詞」言語族のルーツが、Y染色体DNAの分析でも裏付けられたのです。

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 2014年にこのレジュメを書き、2019年・2020年と修正しながら、今日までこの点に気づかなかったのは実に不覚でした。

 私たちの先祖であるY染色体D1a1グループは、ニジェール川流域でY染色体Eグループと38300年前頃に分かれ、ヒョウタンを持ち、コンゴ川を遡って「アフリカ湖水地方」で暮らした後、エチオピアを経て、インド・ミャンマーのドラヴィダ語系海人・山人族となり、日本列島にやってきたのでした。

 このY染色体「Ⅾ・E」グループ分岐の分析結果は「縄文ノート25」で書いたパンゲア大陸時代のマザー・イネの原産地仮説と、「縄文ノート26(Ⅱ-2) 縄文農耕についての補足」で取り上げた中尾佐助氏のサバンナ農耕文化(『栽培植物と農耕の起源』)の起源がニジェールという説を裏付けます。

 

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4 「アフリカ湖水地方」は現世人類のルーツ

⑴ 神山信仰のルーツのルウェンゾリ山とイシャンゴ文明

 「縄文ノート56(Ⅲ-11)  ピラミッドと神名火山(神那霊山)信仰のルーツ」「縄ノート61(Ⅲ-12) 世界の神山信仰」では、世界各地に見られる神山信仰が各地で別々に生まれたのではなく、ナイル川源流地域で生まれたルウェンゾリ山の神山信仰がアフリカからの何次にもわたる人類の拡散により、アフリカ→アジア→アフリカへと伝播されたという「神山信仰単一起源説」を紹介しました。

 その発端は、エジプトの2色ピラミッドのルーツが「母なるナイル」源流の万年雪をいただくルウェンゾリ山信仰からきているのではないかと考えたことからですが、その麓のエドワード・アルバート湖畔にイシャンゴ文明があることを木村愛二氏のホームページで知りました。

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 木村氏はこの文明を「紀元前6000年頃」としており、下流のピラミッド信仰のルーツにはなっても、世界の神山信仰のルーツにはならないのではないかと当初は考えていました。ところが、さらに調べるとウィキペディアには「イシャンゴの骨」のページがあり、そこでは「2万年前頃」説があり、2万年頃から8000年前頃にかけて継続したイシャンゴ文明があった可能性が高く、5万年前頃から出アフリカを果たした現生人類のルーツである可能性がでてきました。

 木村氏によれば8000年前頃のルウェンゾリ山の爆発によってアルバート湖アルバートエドワード湖は溶岩流と火山灰で分断され、その端から埋もれたイシャンゴ遺跡が見つかったとされています。

 この地域のさらなる徹底的な調査が求められます。

 

⑵ 石臼・粉砕用石器・銛が示す穀類・魚食文明 

 重要な点は、このイシャンゴ文明が石臼・粉砕用石器とともに多くの骨製の銛と魚骨を伴い、漁業が主要な生業であったとされ、さらにサハラ砂漠の南(ニジェール川流域であろう)、ナイル川中流域にも類似の文化があり、近縁関係にあるとされていることです。

 穀類を挽いた石臼を伴う穀類・魚介食文化となると縄文文明と同じであり、さらに東南アジアやアンデス文明とも類似しています。人の体重の2%の脳が消費カロリーの約20%を使っているとされることからみても、脳の神経細胞の活動には糖質(デンプン)が必要であり、イシャンゴ文明に石臼があるということは文明のルーツとして極めて重要と考えます。肉食人類進歩説がみられますが、脳のエネルギー源はタンパク質ではなく糖質なのです。

 前に「縄文ノート26(Ⅱ-2)」で述べたように、チンパンジーの分布はアフリカ西海岸から赤道直下の熱帯・熱帯雨林地帯であり、そこからサバンナの草原に降りた人類は水と食料を得やすいニジェール川コンゴ川ナイル川にそって移動したと考えられ、特に東西の大地溝帯に挟まれた高地草原地帯は過ごしやすく、草食動物だけでなくアルバート湖ヴィクトリア湖などの魚も得られる「アフリカ湖水地方」は別天地であったと考えられます。

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 この高地草原地帯のアフリカ湖水地方こそ人類がバランスのとれたイモ・穀物食と魚肉食を提供し、分担・協力・分業・協業は濃密なコミュニケーションを通した言語と頭脳の発達を促したと考えられます。

 

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 なお、イシャンゴ遺跡などから黒曜石が発見されたかどうかは確認できませんでしたが、ケニア山一帯やエチオピアは黒曜石の産地であり、メソポタミア文明や縄文文明、マヤ・アステカ文明で大きな役割を果たした黒曜石の採掘・利用にルーツはこの地の可能性が高いと考えます。―「縄文ノート61(Ⅲ-12) 世界の神山信仰」参照

 またイモや穀類などの糖質食ではカリウムとのバランスをとるために塩分摂取が必要不可欠であり、牧畜によるミルク肉食でない場合には、人類は海岸に沿って移動して塩分を摂取するか、内陸部では岩塩の利用が欠かせません。

 「縄文ノート27(Ⅱ-3) 縄文の『塩の道』『黒曜石産業』考」でも検討しましたが、日本語「サラリーマン」の語源が「サラリウム(塩:ソルト)」であるように、人の活動に塩は生存に欠かせない食材でした。中国の古代国家の塩の専売制などをみても、農耕文明にとって食塩は欠かせないものであり、今後の研究課題と考えます。

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5 人類拡散図より

 前掲の「図2 Y染色体ハプログループの拡散と人種」の部分を拡大したものを図14に示しますが、Y染色体「A」「B」「DE・CF」グループのネグロイドのルーツをこの湖水地域とし、「D・CF」グループはサウジアラビア半島南海岸を通ってイランに入り、そこから「オーストラロイド(L)」「モンゴロイド(D1・C2・N・O・Q)」「コーカソイド(G・I・L・R)」の3方向に分かれたかのような図としていますが、イラン南部などそれぞれ単なる通過点に過ぎないにも関わらず、分岐点であるかのように錯覚させるのは大いに問題ありです。

   

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 そもそも出アフリカの時期は「FR」グループは53000年前頃であり、「D(チベット縄文人)」が「E(コンゴイド:イボ人など)」と別れてアフリカを出たのは38300年前頃、「C」の出アフリカは27500年頃と別々です。「G・I・J・R」グループがコーカサス地方で、「D1・C2・N・O・Q」がモンゴルあたりで分かれたという証明はありません。

 「D」と「E」がアフリカで別れたように、アフリカの熱帯雨林や高地湖水地方で人DNAの多様化がおこり、別々に出アフリカを果たした可能性を検討する必要があります。前述のように、チベット・日本に多い「Ⅾ1a1」グループは南インド「H」のドラビダ語系であり、南方系のヒョウタンやヤシの実・リョクトウ・エゴマ・ウリなどを持って若狭湾の鳥浜にやってきたことからみて、エチオピアあたりから南インドをへて「海の道」を日本列島にやってきたことが明らかなのです。

 そう考えると、アフリカ高地湖水地方で漁業にたけていたグループは、北へナイル川を下り、地中海沿岸に沿って移動したグループと、北東へ向かったグループはイラン南部からの陸路ではなく、チグリスユーフラテス川を遡り、コーカサスからカスピ海黒海・地中海、さらに黒海からドナウ川ライン川カスピ海からアラル海などへと水路を拡散したグループがあったと考えます。

 肉食・ウォーキング史観だけでなく、魚食史観・ラフティング史観も視野に入れるべきです。

 

6 まとめ

 白人中心史観・西洋中心史観ウィルスにより、人類史は大きくゆがめられてきており、それに無自覚な日本の多くの歴史・人類学もまたそのウィルスに感染しています。

 このやっかいなウィルスに感染していない素人の私やみなさんは、先行説にとらわれることなく「私たちはみんなアフリカ生まれの黒人であった」という原点からの見方が可能と考えます。

 私はアフリカには行ったことがなく、アフリカの本の1冊も読んでいない仮説的な考察ですが、「最少矛盾仮説の構築」として自分の頭で考えてきました。あとは各専門分野の若い世代に期待したいと思います。

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団              http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/

 

縄文ノート61 世界の神山信仰

 私は人類の「多地域進化説」から日本人のルーツは北京原人ジャワ原人と思い込んでおり、天皇国史観に対して邪馬台国論争の古田武彦氏の「多元的国家論」などにもはまっていました。

 ところがDNA分析により、人類の「多地域進化説」から「アフリカ単一起源説」が証明されるようになり、今度は系統論にはまって2004年には「動物進化を追体験する子どもの遊び」論を提案し、古代史では「天皇家建国論」に対し「スサノオ大国主建国論」に進み、さらに「イネ科植物西アフリカ起源説」やアフリカからのヒョウタンや穀類を持った「主語-目的語-動詞」言語族の「海の道移動説」に進み、「縄文・弥生断絶史観」(弥生人縄文人征服説など)に対する「縄文人の内発的・主体的発展史観」をとなえました。

 そして、エジプトの白・赤2色のピラミッドが「母なる川・ナイル」源流の万年雪をいただくルウェンゾリ山信仰を起源としていることに気づき、ルウェンゾリ山→アララト山カイラス山(須弥山)→蓼科山・高原山の「天神神山信仰伝播説」に到達しました。

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 ただ、東南アジアや古マヤ・古アンデスについては調べていませんでしたので、さらに検討を進めたいと思います。

 神が太陽や地球、生物・人を造ったと考える宗教原理主義者を除いて今やアフリカからの人類の移動・拡散を疑う人は少ないでしょうが、人類は出アフリカによってはじめて文明人となったという西欧中心主義の思いこみは未だに根強いものがあります。「アフリカ文化・文明起源説」についてはほとんど検討されてきていませんので、まずは「神山ルウェンゾリ山を模倣したピラミッド説」の延長として「神山文化アフリカ起源説」をアジア・アメリカ大陸にまで広げて提案したいと思います。

 ブラック・ライヴズ・マター(Black Lives Matter:BLM)を模して言えば、「ブラック・ライヴズ・マザー(Black Lives Mother:BLM:もとはみんな黒人だった)」論になります。

 

1.経過

 全国各地の仕事先でスサノオ大国主伝承に出合うとともに、2003年に仕事先の青森県東北町で「日本中央」の石碑を見たことが私が古事記日本書紀を読むきっかけでした。

 出雲大社正面に祀られ、古事記序文では「二霊(ひ)群品の祖」とされた夫婦神の「高御産巣日・神産巣日(たかみむすひ・かみむすひ)」が日本書紀では「高皇産霊・神皇産霊」と書かれていることを知り、この国は太陽神信仰ではなく、死者は地下や海底の「黄泉の国」に葬られ、その霊(ひ)は死体から離れて神名火山(神那霊山)の神籬(ひもろぎ:霊洩木)から天に昇り、降りてくるという霊(ひ=祖先霊)信仰の天神宗教に変わったと考えるにいたりました。古代人は親から子へと受け継がれるDNAの働きを「霊(ひ)」が受け継がれると考えたのです。

 それまで私は「卑弥呼=日巫女」説などから「アマテル(本居宣長説はアマテラス)太陽神」信仰であったと思っていたのですが、祖母から「ご先祖様をまつる」ように言われていたこともあり、この霊(ひ)信仰はすぐに納得でき、「卑弥呼=霊巫女」説に変りました。

 そして書き溜めてきたメモを2008年からYAHOOブログ「霊の国(ひの国)スサノオ大国主命の研究」などにアップし、翌2009年には「漢委奴国王=スサノノオ」説の『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム:梓書院)をまとめました。

 その後、縁あって縄文社会研究会に参加し、縄文人海人族論・宗教論・農耕論・日本語起源論・日本列島人起源論(ドラヴィダ系海人・山人族説)に進み、昨年の2020八ヶ岳合宿からこの霊(ひ)天神信仰縄文時代に遡るということを確信しました、

 「縄文35(Ⅲ-5) 蓼科山を神名火山(神那霊山)とする天神信仰」「縄文44(Ⅴ-2) 神名火山(神那霊山)信仰と黒曜石)」から「縄文ノート56(Ⅲ-11) ピラミッドと神名火山(神那霊山)信仰のルーツ」「縄文ノート57(Ⅵ-7) 4大文明と神山信仰」へと検討を進め、エジプトのピラミッドのルーツが「母なるナイル」源流域の「月の山」とよばれたルウェンゾリ山信仰であり、その神山・聖山信仰がチグリスユーフラテス川源流のアララト山信仰、インダス川ガンジス川源流のカイラス山(スメル山=須弥山)、縄文時代蓼科山信仰などへと波及し、スサノオ大国主一族の神名火山(神那霊山)の八百万神信仰に繋がることを明らかにしました。

 DNA分布からの人類移動・拡散論、「主語-目的語-動詞(SOV)」言語からの人類移動・拡散論、米など穀類食の伝播論と、霊(ひ)信仰による神名火山(神那霊山)信仰の分布、黒曜石使用の分布、絵文字使用の分布を重ね、現在の私は東南アジアや南北アメリカの神山信仰とピラミッド型仏塔・神塔などもまたこのエジプトの「母なるナイル」源流域のルウェンゾリ山信仰がルーツではないか、という「神山信仰単一起源説」に到達しています。

  なお、これまで「神名火山(神那霊山)信仰」としていましたが、カイラス山(スメル山=須弥山)は独峰で尖った火山型の形状をしていますが火山ではなく、ユーラシアプレートにインド・オーストラリアプレートが衝突して押し上げられたヒマラヤ造山運動によってできたものですが、私はアフリカのルウェンゾリ山信仰を受け継ぎ、インダス川ガンジス川源流として信仰されるようになったと考えています。外国向けの説明のためを考え、「神名火山(神那霊山)信仰論」とせずに、「神山信仰論」としました。

2.神山信仰の種類

 世界の神山信仰については次の3種類が見られます。

 第1は、死者の霊(ひ)が天に昇る場所(降りて来る再生信仰も)としての「(ひ)山信仰」です。確なのはピラミッドや古事記のイヤナミの「黄泉の国」と「比婆山霊場山)」神話に見られるような埋め墓と拝み墓を分離した魂魄分離(魂と死体の分離)の天神宗教によるものです。死体を風葬(殯り:もがり)・鳥葬し、あるいは川や海に流すのは魂魄分離の天神信仰を示しています。天神と地神を繋ぐ鳥・蛇・龍・雷神の「神使信仰」や、沸騰する湯気「ポンガ」や天に昇る煙や風の信仰もなども、この天神信仰に含まれます。

 第2は、天から神山に注ぎ、雪山・森山から川に水を流して農耕を助ける「水神信仰」、あるいは噴火による降灰で焼畑豊作をもたらす神山へ感謝する「(ひ)山信仰」「(ひ)山信仰」の自然神信仰です。この信仰では、洪水や噴火による災害をもたらす山の神を恐れ、その怒りを収める「恐山』信仰も表裏の関係となります。

 第3は、古代専制国家が成立し、王を太陽とみなす一神教の「(ひ)山信仰」です。各部族とその神々を統一する古代国家の成立とともに、神々を統一する唯一絶対神として太陽信仰が選ばれます。

 国や宗教によって、これらが組み合わさったり、時代とともに変化する山神信仰もあり、例えばエジプトのピラミッドは時代によって「霊(ひ)山信仰」「氷(ひ)山信仰」「日(ひ)山信仰」の複合がみられます。日本では縄文時代からスサノオ大国主建国、さらに現在まで神名火山(神那霊山)信仰ですが、天皇家記紀では「霊(ひ)」は「日」に置き換えられ、明治になって本居宣長の「アマテラス太陽神一神教」解釈の国教化により、「日(ひ)山信仰」が生まれています。

 

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3.世界の神山信仰

 これまでエジプトのピラミッドは「王墓説」が主流でしたが、ピラミッドの中に王墓はなく、別に地下に埋葬されていることが明らかとなり、奈良県や長野県・埼玉県などに伝わる両墓制(埋め墓と拝み墓)と同じ魂魄分離思想(魂と肉体の分離)であったことが解明されました。ピラミッドは「拝み墓」であり、「神殿説」に軍配があがったのです。―「縄文ノート56(Ⅲ-11) ピラミッドと神名火山(神那霊山)信仰のルーツ」参照

 古事記では、イヤナミ(伊邪那美、伊耶那美)の死後、死体は揖屋の比良坂の「黄泉の国」にあるとする一方、遠く離れた斐伊川(霊川)や日野川江の川の源流域の「比婆山霊場山)」に葬ったとされています。

 

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 「記紀神話8世創作説」は鬼の首をとったかのようにはしゃぐでしょうが、創作するならこんなヘマはやりません。これは混乱でも虚偽でもなく、日本にも魂魄分離の両墓制があり、イヤナミの死体は揖屋、魂は比婆山霊場山)から天に昇るという宗教思想があったことを示しているのです。

 この紀元1世紀頃のイヤナミ神話のルーツはチベットペルシャゾロアスター教)の風葬・鳥葬の天神宗教に遡り、日本では天皇家の殯(もがり)や沖縄・奄美風葬と洗骨、奈良県や長野県・埼玉県などの両墓制に続いているのです。

 このイヤナミの古事記記載から、私は両墓制のピラミッドのルーツがナイル川源流の神名火山(神那霊山)にあるのではないかと考え、ネットで検索したところ、木村愛二氏の「ルヴェンゾリ大爆発」を見つけ、ルウェンゾリ山の地に8000年前のイシャゴ新石器文明があることを知りました。

 木村氏はこのイシャンゴ文明を「紀元前6000年」としていますが、ウィキペディアの「イシャンゴの骨」(その刻み目については数式説・カレンダー説あり)では「2万年前頃」とされており、もしそうならエジプト・メソポタミア・インダス・黄河の四大古代文明だけでなく、日本の高原山の19~18000年前頃の1440mの高地の黒曜石原産地遺跡から伺われる神山信仰のルーツの可能性があります。さらに北アメリカ先住民の13000年前頃のクローヴィス文化やペルーの5~4000年前頃の古アンデスなどの石器文化もまた、このアフリカ中央部のルウェンゾリ山の麓のエドワード・アルバート湖畔のイシャンゴ文明がルーツの可能性がでてきました。

 そこで四大古代文明にプラスして東南アジア、メキシコ・中米、南米のコニーデ型火山について、神山信仰が見られるかどうか、ウィキペディアを中心にネットで調べてみました。 

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 「著名なコニーデ型火山で神山信仰の神話・伝承を持つものがあるか」「コニーデ型火山の地域に神山信仰を示すピラミッドやピラミッド型神塔があるか」「石器時代遺跡などの近くにコニーデ型火山があるか」という3点をざっとネットで調査したのですが、次のように山上天神信仰とそれを平地に移したピラミッド型の神殿・神塔がアフリカからメソポタミア、インド、東南アジア、中国、日本、南北アメリカまで広まっていることが明らかとなりました。

① ポッパ山(タウンカラット)

 ミャンマーのイラワジ川中流のポッパ山(中腹のタウンカラットに仏塔)は、仏教以前の「ナッ(精霊、死霊、祖霊)信仰」の聖地で、バガン平原には世界遺産のピラミッド型の仏塔(パゴダ)群が見られます。

 

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 土着の神山からナッ(精霊、死霊、祖霊)が天に昇るという信仰をもとに、神山を模してピラミッド型とした仏塔ができたことを示しています。

② ムラピ山

 インドネシアのムラピ山・ブロモ山・クリンチ山・アグン山などの美しいコニーデ型火山は「火の神が住む場所」とされて信仰されています。

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 中でもムラピ山の麓に9層の階段ピラミッドの仏教のボロブドゥール寺院遺跡群(8~9世紀)とピラミッド状尖塔の世界遺産ヒンドゥー教のプランバナン寺院群(8~10世紀)があり、インドの仏教、ヒンドゥー教などの聖地のカイラス山(仏教の世界の中心の須弥山、ヒンドゥー教のリンガ(男根)、ボン教では開祖の降臨山)信仰を引き継いでいます。

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 ③ オリサバ山

 オリサバ山はメキシコで一番高い山であり、「雲に達した地面」「星の山」と呼ばれ、この地のオルメカ文明(3200年前頃)の神話ではオリサバは「火山を形作ったワシの魂」とされ、「神が怒りで噴火したり転覆したりするのを防ぐために継続的に火山の頂点に登り神に祈った」とされています。

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 オルメカ文明は巨石人頭像で有名ですが、近くでは2017年にピラミッド状の構築物がある高さ15mの巨大な基壇があるアグアダ・フェニックス遺跡(3000年前頃)が航空レーザー測量と地上探査で発見され、チアパデコルソでは2700年前頃のピラミッド型の墓が2010年に発見されています。

 

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   古マヤ文明(紀元前3000~紀元830年)はあらゆるものに神を見出す多神教であり、天上界と地下界があると信じており、「こうしたピラミッドはウィツ(山)と呼ばれていたように、山岳信仰の影響のもとで人工の山として作られた」とされ、最古のマヤのピラミッドは3000年ごろのセイバル遺跡で確認されたとされています。

 紀元10~16世紀のチチェン・イッツァを中心とする文明の有名な「ククルカンのピラミッド」はマヤの最高神ククルカン(羽毛のあるヘビの姿の神)を祀るピラミッドで、北面階段の最下段にククルカンの頭部の彫刻があり、春分の日秋分の日に太陽が沈む時、夕日に照らされて階段の西側にククルカンの胴体(蛇が身をくねらせた姿)が現れ、ククルカンの降臨と呼ばれており、日本や東南アジア・中国の天と地を行き来する蛇神・トカゲ龍・龍神信仰との類似性が見られます。

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 なお、メキシコのポポカテペトル山(メキシコ富士、5426m)、コリマ山(3850m)、グアテマラのフェゴ山(3763m)、ニカラグアのテリカ山(1061m)などの美しいコニーデ型火山が見られますが、それら山々に神山信仰が見られるのかどうか、メソアメリカ文明(メキシコ~コスタリカ)全体については調べられませんでした。

 

④ アンデス文明

 アンデス文明には11000年前頃からの遺跡があり、7000年前頃から農耕・牧畜を行うようになり、5~4000年前頃にはペルーのカラル遺跡やエル・パライソ遺跡(不動産業者により破壊)ではピラミッド状の神殿がつくられたとされています。

   

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 エル・パライソ遺跡には供物を燃やすのに使われたとみられる炉の跡があり「炎の神殿」と名付けられ「煙によって神官たちは神とつながることができた」という解釈によれば、天神信仰であったとみられます。

 ウィキペディアの「インカ神話」によれば、「インカ帝国の国教は太陽神信仰であったとされるが、創世神話において太陽は他の神に作られることはあっても太陽自体が主神の役割をすることはなかった」「ワマニをはじめとする山上の神、地母神パチャママへの信仰は強固に残存した。 また、神秘的な力を持った物や表象物や場所、神格、神像をさす『ワカ』という概念も信仰され続けた。 雷や稲妻も天の神の姿の1つとされて信仰され、雨を降らせる力にも関連づけられた」とされ、わが国の神名火山(神那霊山)や雷神・水神信仰に見られる天神信仰とよく似ています。

 アンデス山脈にはエクアドルチンボラソ(6268m)・サンガイ山(5230m)、ペルーのミスティ山(ペルー富士、5822m)、チリ・ボリビア国境のパリナコータ山(6348m)などの美しいコニーデ型火山がありますが、神山信仰が見られるのかどうかは不明です。

 

⑤ まとめ

 日本の縄文時代からの神名火山(神那霊山)信仰が飛鳥時代に伝来した仏教と習合して修験道となり、さらに平安時代に入って最澄空海により天台宗真言宗山岳仏教となったように、仏教系のミャンマーバガン遺跡やインドネシアのボロブドゥール遺跡などはインドの「須弥山(カイラス山)信仰」を受け継いでいることが明らかです。

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 古マヤ文明や古アンデス文明には「山」を模した階段状ピラミッドの上に神殿が置かれており、次に示す人類移動の歴史からみて神山信仰がエジプト→メソポタミア→インド→アジア→アメリ カへと伝わった可能性が高いと考えますが、マヤ・インカ文字の解読などによるさらに神話や伝承からの裏付けが課題です。 

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4 黒曜石文化の伝播ルート

 私が日本の神名火山(神那霊山)信仰が縄文時代に遡るという結論に達したのは阿久遺跡の立石からの石列が蓼科山を向いていることと中ツ原遺跡の8本巨木柱が蓼科山遥拝の楼閣神殿ではないかと考えたことからでしたが、さらに栃木県の鬼怒川源流の高原山の1795mものところから19000~18000年前頃の黒曜石原産地遺跡が見つかったことで確信を深めました。

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 「縄文ノート44(Ⅴ-2) 神名火山(神那霊山)信仰と黒曜石)では次のように書きました。

 

 現在、アフリカで『主語-目的語-動詞』言語の部族はエチオピアケニアなどの『アフリカの角』あたりに居住しており、エチオピアケニアタンザニアは黒曜石の豊富な産地であり、エチオピアとはお辞儀文化が共通することからみても、エチオピアの旧石器人が黒曜石文化を持ち、海岸に沿って東進し、インドネシアの火山地帯で再び黒曜石に出合い、さらに日本列島にやってきて死者の霊(ひ)を祀る信仰上の理由から高山に登り、その途中で黒曜石を見つけ黒曜石文化を確立した可能性が高いと考えます。このような高地に縄文人が登り、途中で黒曜石露頭を見つけたか、あるいは黒曜石を産する地形条件についての知識を持ち、山に登ったかです。

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 この時のネット検索では、黒曜石はケニアニューギニアで産出しますが、ネットでの検索では、これらの地域で黒曜石文化があった痕跡には見つかりませんでした。

 ところがさらに調べると、チグリスユーフラテス川源流のアルメニアアララト山近くのアルテニ山(2046m)は「石器時代の大規模な武器工場」といわれ、ネアンデルタール人の時代から2000年前頃まで黒曜石の剣、手斧、削器、のみ、矢尻、槍の穂先などが製作され、その交易範囲はメソポタミアから地中海沿岸に及んでいたという資料が見つかりました。―2015年4月16日ナショナルジオグラフィック・ニュース「石器時代の大規模な『武器工場』を発掘」、『西アジア考古学』第11号前田修著「西アジア新石器時代における黒曜石研究の新展開」参照 

 

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 黒曜石はマヤ・アステカ文明において重要な交易品の一つとされ、アステカではマカナ(黒曜石の刃を挟んだ木剣:選ばれた戦士に与えられた)や黒曜石の穂先の槍として広く使われ、アステカを強力な軍事・征服国家としたとされています。

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 一方、アンデス文明では黒曜石は石鏃などに一部利用されただけであり、武具もあまり発達していないことから軍事国家ではなかったようです。

 以上のようなメソポタミア、縄文、マヤの黒曜石文化をみると、これらは別々に発達したのではなく、黒曜石を生み出す火山の神山信仰とともに人類の東進によって広がったことが明らかです。

 なお、私はケニア地域こそが黒曜石利用のルーツではないか、との仮説を持って調べたのですが、その痕跡は見あたりませんでした。

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5.アメリカ大陸への人類移動

 神山信仰の伝播・拡散を裏付けるのは、何次にもわたる人類の移動・拡散です。

 その移動経路が主に「海辺の道」「海の道」を通った日本列島経由であることについては次のような研究があります。―「古事記播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(『季刊 日本主義』26号2014年夏)参照

 この人類の移動とともに、神山信仰はアメリカ大陸にまで伝わったのです。

⑴ ATLウィルスから

 成人T細胞白血球病(ATL)のウィルスは、国内では西の九州・沖縄と東の東北・北海道に偏り、西アフリカ、南北米大陸の先住民、カリブ海、中国南部、パプアニューギニアに多く、アフリカを出て「海の道」から世界に分散した可能性が高いことを示しています。 

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⑵ 北南米先住民のDNAから

 北アメリカの東海岸アイダホ州のクーパーズ・フェリー遺跡の住民は15000~16000年前頃に氷のないベーリング海峡を舟で移住し、石器は北海道の白滝遺跡のものと似ているという説が見られます。―2019年08月30日 『サイエンス』より

⑶ 南米先住民のDNAから

 ペルー・チリなどの南米先住民のDNAがアイヌ縄文人ポリネシア人に近く21000~14000年前に分岐したとされています(2001年ミシガン大学のローリング・ブレイズ教授ら)。

⑷ Y染色体亜型の分布から

 現生人類の拡散を「Y染色体亜型」の分布からみると、インドネシアからオーストラリアに見られるC型や中央アジア・シベリアに見られるQ型がアメリカ大陸に多く、「海の道」と「マンモスの道」の2ルートでアメリカ大陸への何次かの移住が行われたことを示しています。

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⑸ ズビニ鉤虫から

 3500年前の南米のインディオのミイラから発見されたズビニ鉤虫(5℃以下で2年間暮らすと体内で死滅)は氷河期ではなく温暖期にベーリング海峡を舟で移住したことを示しています。

⑹ エクアドルのバルディビア土器から

 エクアドルのバルディビア貝塚遺跡では日本の縄文土器とよく似た文様の約5500年前のバルディビア土器が見られ、貝製の釣針や網漁に使われる石錘があり、鹿猟などなども含めて縄文人とそっくりです。

⑺ イモ・魚介食文化から

 エクアドルのバルディビア貝塚遺跡やペルーのカラル遺跡と東南アジア人・縄文人にはイモ・穀類・魚介食の文化の共通性が見られます。

⑻ 「主語-目的語-動詞」言語族の移動から

 「縄文ノート25(Ⅱ-1) 『人類の旅』と『縄文農耕』、『3大穀物単一起源説』」での「主語-目的語-動詞(SOV)」言語族の移動図ではアメリカ大陸を省いていましたが、追加すると図のようになり、南北アメリカ大陸の現住民へと繋がります。 f:id:hinafkin:20210312200310j:plain

  

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団              http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/

 

縄文ノート60 2020八ヶ岳合宿関係資料・目次 

 「縄文ノート20 2020八ヶ岳合宿関係資料リスト」の再掲になりますが、ここで一区切りとし、縄文ノート20~59の目次構成を示します。
 縄文農耕・縄文食論、縄文宗教論、日本語起源論、日本列島人起源論、縄文文化・文明論について書き続けてきましたが、現在、「最少矛盾仮説」の縄文論となるよう内容と用語の統一に向けて最終調整を行っています。あと2日で作業を終え、次の段階に進みたいと考えています。

                               210301 雛元昌弘

 

<()内はブログ「ヒナフキンの縄文ノート」番号>

Ⅰ 合宿概要

 Ⅰ-1(20) 2020八ヶ岳合宿関係資料リスト 201203→210213

 Ⅰ-2(21) 八ヶ岳縄文遺跡見学メモ191030・31 191103→201207

 Ⅰ-3(22) 縄文社会研究会 八ヶ岳合宿見学資料 200802→1208

 Ⅰ-4(23) 縄文社会研究会 八ヶ岳合宿報告 200808→1210

 Ⅰ-5(24) スサノオ大国主建国からの縄文研究 200911→1212

Ⅱ 縄文農耕・縄文食論

 Ⅱ-1(25) 「人類の旅」と「縄文農耕」と「3大穀物単一起源説」 140613→201213 

 Ⅱ-2(26) 縄文農耕についての補足 200725→1215 

 Ⅱ-3(27) 縄文の「塩の道」「黒曜石産業」考 200729→1216 

 Ⅱ-4(28) ドラヴィダ海人・山人族による日本列島稲作起源論 201119→1217

 Ⅱ-5(29) 「吹きこぼれ」と「お焦げ」からの縄文農耕論  201123→1218

 Ⅱ-6(30) 「ポンガ」からの「縄文土器縁飾り」再考 201220→1221

 Ⅱ-7(55) マザーイネのルーツはパンゲア大陸 210211

Ⅲ 縄文宗教論

 Ⅲ-1(31) 大阪万博の「太陽の塔」「お祭り広場」と縄文 191004→201223

 Ⅲ-2(32) 縄文の「女神信仰」考 200730→1224

 Ⅲ-3(33) 「神籬(ひもろぎ)・神殿・神塔・楼観」考 200801→1226

 Ⅲ-4(34) 霊(ひ)継ぎ宗教論(金精・山神・地母神・神使文化) 150630→201227

 Ⅲ-5(35) 蓼科山を神名火山(神那霊山)とする天神信仰 200808→1228

 Ⅲ-6(36) 火焔型土器から「龍紋土器」 へ 200903→1231

 Ⅲ-7(37) 「神」についての考察 200913→210105

 Ⅲ-8(38) 「霊(ひ)」とタミル語peeとタイのピー信仰 201026→210108

 Ⅲ-9(39) 「トカゲ蛇神楽」が示す龍蛇神信仰とヤマタノオロチ王の正体 201020→210109

 Ⅲ-10(40) 信州の神名火山(神那霊山)と「霊(ひ)」信仰 201029→210110

 Ⅲ-11(56) ピラミッドと神名火山(神那霊山)信仰のルーツ 210213

Ⅳ 日本語起源論

 Ⅳ-1(41) 日本語起源論と日本列島人起源  200918→210112

 Ⅳ-2(42) 日本語起源論抜粋 210113

Ⅴ 日本列島人起源論

 Ⅴ-1(43) DNA分析からの日本列島人起源論  201002→210115

 Ⅴ-2(44) 神名火山(神那霊山)信仰と黒曜石 201014→210120

 Ⅴ-3(45) 縄文人ドラえもん宣言 201015→210123

 Ⅴ-4(46) 太田・覚張氏らの縄文人「ルーツは南・ルートは北」説は!? 201018→210124

 Ⅴ-5(47) 「日本列島人はどこからきたのかプロジェクト」へ  201202→210125

Ⅵ 縄文文化・文明論

 Ⅵ-1(48) 縄文からの「日本列島文明論」 200729→210228

 Ⅵ-2(49) 「日本中央縄文文明」の世界遺産登録をめざして150923→210230 

 Ⅵ-3(50) 縄文6本・8本巨木柱建築から上古出雲大社へ 200207→210203

 Ⅵ-4(51) 縄文社会・文明論の経過と課題 200926→210204

 Ⅵ-5(52) 縄文芸術・模様・シンボル・絵文字について 201104→210205

 Ⅵ-6(53) 赤目砂鉄と高師小僧とスサ 201106→210208

 Ⅵ-7(57) 4大文明論と神山信仰 210219

 Ⅵ-8(58) 多重構造の日本文化・文明 210222

 Ⅵ-9(59) 日本中央縄文文明世界遺産登録への条件づくり 210226

 

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団              http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/

縄文ノート59(Ⅵ-9) 日本中央縄文文明の世界遺産登録への条件づくり

 私は小学校までは岡山市、中高時代を姫路市で過ごしましたが、実家に帰るたびに新幹線も駅も外国人が増えていくのにびっくりしたものです。1993年の姫路城の世界遺産登録で観光客は80万人台から2015年度には286万人に達し、うち外国人は年間4~5万人から30万人を超えています。

 さらに仕事先の平泉町では「平泉‐仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」の世界遺産登録運動を行っており、自然保護で焦点となっていた白神山地や知床、屋久島などにも関心があり、「出雲を中心とした霊(ひ)信仰(八百万神の神名火山信仰)」や「金精信仰と神使(しんし)文化」などの世界遺産登録の提案を行ってきました。

 現在、「世界四大文明」や「ギリシア・ローマ文明」とは異なる「共同体文化」として日本中央縄文文明(長野・新潟・群馬・山梨)の世界遺産登録を目指すべきと考えてきており、今後、どのような条件整備が必要か、思いつく点をメモしました。

                             210226 雛元昌弘

 

※目次は「縄文ノート60 2020八ヶ岳合宿関係資料・目次」を参照ください。

https://hinafkin.hatenablog.com/entry/2020/12/03/201016?_ga=2.86761115.2013847997.1613696359-244172274.1573982388

 

1 経過

 世界遺産登録の提案を行うようになった経過は次のとおりです。

・2015年6月 群馬県片品村尾瀬世界遺産登録が難しいことがわかり、代わり「金精信仰と神使(しんし)文化を世界遺産に」を提案

・2015年7月 「大湯環状列石三内丸山遺跡が示す地母神信仰と霊(ひ)信仰―北海道・北東北の縄文遺跡群の世界遺産登録への提案」を『季刊日本主義31号』に発表

・2015年9月 「群馬・新潟・長野縄文文化世界遺産登録運動」を縄文社会研究会で提案

・2018年6月 「スサノオ大国主建国論その2 『八百万の神々』の時代」『季刊山陰』36号)で「霊(ひ)信仰と出雲大社」の世界遺産登録を提案

・2020年3月 FB『ヒナフキンの縄文ノート』に「縄文ノート11 『日本中央縄文文明』の世界遺産登録をめざして」をアップ

・2021年1月 「縄文ノート58(Ⅵ-8)」として更新

 

2 登録基準

 世界遺産登録には、下記の登録基準のいずれか1つ以上に合致するとともに、真実性(オーセンティシティ)完全性(インテグリティ)の条件を満たし、締約国の国内法によって、適切な保護管理体制がとられていることが必要とされています。注:アンダーラインは筆者

 

① 人間の創造的才能を表す傑作である。

② 建築、科学技術、記念碑、都市計画、景観設計の発展に重要な影響を与えた、価値観の交流を示すもの。

③ 現存するか消滅した文化的伝統又は文明の存在を伝承する物証として無二または希有な存在。

④ 歴史上の重要な段階を物語る建築物、集合体、科学技術の集合体、景観を代表する顕著な見本。

⑤ ある文化(または複数の文化)を特徴づける伝統的居住形態、陸上・海上の土地利用を代表する顕著な見本、人類と環境とのふれあいを代表する顕著な見本 (特にその存続が危ぶまれているもの)。

⑥ 顕著な普遍的価値を有する出来事(行事)、生きた伝統、思想、信仰、芸術的・文学的作品と直接または関連がある(他の基準とあわせて用いられることが望ましい)。

⑦ 最上級の自然現象、又は、類まれな自然美・美的価値を有する地域。

⑧ 生命進化の記録や、地形形成における重要な進行中の地質学的過程、重要な地形学的又は自然地理学的特徴など、地球の歴史の主要な段階を代表する顕著な見本。

⑨ 陸上・淡水域・沿岸・海洋の生態系や動植物群集の進化・発展において、重要な進行中の生態学的過程又は生物学的過程を代表する顕著な見本。

⑩ 学術上又は保全上顕著な普遍的価値をもつ絶滅のおそれのある種の生息地など、生物多様性の生息域内保全にとって最も重要な自然の生息地を包含する。

 

 これらの条件のうち、「日本中央縄文文明」では文化遺産として①③⑤⑥の基準が当てはまり、「適切な保護管理体制がとられている」ことが重要と考えます。

 この適合条件をほぼ満たしている点については、「Ⅵ-2(縄文ノート49) 『日本中央縄文文明』の世界遺産登録をめざして」を参照下さい。なお、石器農具と土器鍋のおこげに加えて、現代に続く長野県栄村秋山郷やかつての山梨県早川町奈良田の「焼畑農耕」を加えて⑤の基準も満たすことができると考えるようになり、「Ⅵ-2(縄文ノート49)」は修正を行いました。

 問題点としては、「国内法によって、適切な保護管理体制がとられている」という点において、高速道路によって環状列石が分断された阿久遺跡にはやや難点があるかもしれません。

 「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界遺産登録が③⑤での申請に対し、「日本中央縄文文明」では①⑥を加えた①③⑤⑥の基準による、より包括的な申請になります。

 

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3.全国・世界へ向けた情報発信へ

 今、「日本中央縄文文明」として長野・新潟・群馬・山梨の縄文遺跡と展示施設、祭りを想定していますが、それらの遺跡発掘や研究、展示施設の整備、観光への取組みなどは進んでいるものの、「世界の共同体文明解明の鍵となる縄文文明」として位置づけた展示や研究、復元などはできていないように思います。

 縄文遺跡・遺物中心ではなく、人(霊人)だけでなく生類全ての霊(ひ)が死後に肉体から離れて神名火山(神那霊山)の磐座(いわくら)や神木(神籬:ひもろぎ)から天に昇るという天神信仰、死者の霊が海や地底に帰り黄泉帰るという海神信仰や地母神・女神・性器信仰、天神と海・大地を繋ぐ雨や鳥、龍や雷などの崇拝、霊(ひ)を山上に運ぶ鳥や蛇・猿・狼などの神使の信仰、共同体信仰のシンボルの巨木楼観神殿と環状列石、再生可能型の焼畑農耕と水辺水田農耕、縄文土器鍋による煮炊き蒸し料理文化、鳥獣害対策の大量の黒曜石鏃生産、穀物食を可能にした製塩と塩干物の生産・流通、母系制社会の妻問夫招婚のヒスイやメノウ・貝製品の広域流通、日本海の海洋交易、縄文土器土偶・耳飾りデザインや縄文絵文字など、縄文文明の全体像を世界文明の中に位置付けた研究と展示への次のステップが求められます。縄文時代を「野蛮・未開段階」の前文明社会に押しとどめるべきではありません。

 今、近代文明が転換点にあるとき、森と水の循環を基本とした持続的発展可能な共同体文明の豊かな内容を明らかにし、世界標準として世界にアピールすべきと考えます。現状の各展示施設は「食材は素晴らしいのに、料理ができていない」「仏作って魂入れず」という印象です。世界遺産登録を視野に入れ、世界に影響を与える「縄文共同体文明」の生産・生活・社会・宗教・文化の全体を示すとともに、アフリカを出てからの数万年の民族移動の歴史とスサノオ大国主建国までの全体像を押し出し、各施設・遺跡の連携強化(ネットワーク化)と磨き上げ(ブラッシュアップ)を図るべきと考えます。

 なお、「適切な保護管理体制」という条件は、御柱祭片品村の赤飯投げや猿追いの祭り、栄村秋山郷焼畑などはクリアしているものの、日本最大の縄文集落跡の可能性のある茅野市中ツ原遺跡や大規模墓地跡の原村阿久遺跡は埋め戻されており、前者は一部が公園化されているものの大部分は農地であり、後者は中央自動車道で分断されており、再整備の検討も求められます。

 

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4.縄文文化・文明のテーマ博物館・体験施設へ

 現在、長野・新潟・群馬・山梨の縄文遺跡の各展示施設は充実していますが、発掘の記録的展示が中心であり、世界の文明史の解明に寄与することができる「縄文社会・文化・文明全体」を明らかにする展示施設としては不十分と言わざるをえません。

 世界の共同体文明との関係を明確にしながら「神山(神那霊山)・神木(神籬)・天神信仰」「龍神天神信仰」「自然循環と調和した分散共同型の焼畑農耕」「生産分業交易社会」「健康長寿の土器鍋による煮炊き蒸し料理の縄文食」「母系制共同体社会の女神(地母神)信仰」「縄文アート・絵文字」など人類史の解明に向けてテーマを明確にした博物館・展示館化を進めるとともに、縄文遺跡の国営の「縄文歴史公園化」、木の文明を世界にアピールする「巨木楼観神殿シンボル施設復元」など、国際的な文化文明の観光施設として磨き上げる(ブラッシュアップ)する必要があると考えます。

 そのためには、考古学・歴史学の枠を超えて、人類文明史の解明に向けて民族学文化人類学・農学・民俗学言語学・芸術文化など広範な関係者の連携が求められるとともに、歴史文化財政が厳しい中で、焼畑農耕・縄文食や祭りの維持、埋め戻し遺跡の再整備・公園化、展示施設の更新なども含めて、住民の盛り上がりが欠かせません。また、世界の共同体文化の研究者との協力も重要となります。

 

5.世界遺産登録に向けての環境づくり

 地元をさておいての先走った提案で恐縮ですが、議論の材料にしていただければとコンサル感覚でメモしました。

⑴ 阿久遺跡の「縄文歴史公園化」:世界5神山のイメージづくり

 上が白色で裾が赤色のピラミッドのルーツであるナイル川源流の「月の山」ルウェンゾリ山、メソポタミアの「ノアの箱舟」伝説のチグリスユーフラテス川源流のアララト山バラモン教・仏教などで世界の中心の須弥山とされたインダス川源流のカイラス山、黄河流域の泰山などの共同体社会の世界の神山(聖山)・山上天神信仰は日本各地の神名火山(神那霊山)信仰にもみられます。―「縄文ノート56(Ⅲ-11)ピラミッドと神名火山(神那霊山)信仰のルーツ」「縄文ノート57(Ⅵ-7) 4大文明と神山信仰」参照

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 このわが国の神名火山信仰を示すのが上川(古くは神川の可能性)源流の女神「ビジン(霊神=霊人)」の住む神名火山(神那霊山)の蓼科山であり、阿久遺跡の石棒から蓼科山に向かう2列の通路を示す石列はこの信仰が5000年前頃に遡ることを示しています。 

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  なお、「縄文ノート44(Ⅴ-2) 神名火山(神那霊山)信仰と黒曜石」で述べましたが、鬼怒川源流域の1440mもの高原山で黒曜石原産地を旧石器人が見つけた理由としては、神名火山(神那霊山)信仰しか考えられず、そうすると日本列島での神名火山(神那霊山)信仰は後期旧石器時代初頭(19000~18000年前頃)に遡ります。

 ルウェンゾリ山やケニア山、キリマンジャロあたりに住み、神名火山(神那霊山)信仰を持った人たちの一部は、出アフリカを果たして日本列島にたどり着いた後、各地で農耕開始とともに河川の源流域の神名火山(神那霊山)を信仰するようになったと考えられますが、今のところ祭祀遺跡と認められるのは5000年前頃の阿久遺跡・中ツ原遺跡からと考えられ、国の特別史跡の指定がなされるべきと考えます。

 現在、阿久遺跡は中央自動車道で分断されていますが、国営吉野ヶ里歴史公園のような「縄文歴史公園」を目指した取組により、中央自動車道の北側に蓼科山を望む石棒・石列の復元を考えるべきではないでしょうか。 

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⑵ 蓼科山信仰を示す中ツ原遺跡の8本柱巨木楼観神殿の復元

 貝や黒曜石、ヒスイの交易からみて、私は茅野市の中ツ原遺跡の8本柱巨木建築と青森市三内丸山遺跡の6本柱巨木建築は同じ建築思想・技術で作られたものであり、蓼科山八甲田山を神名火山(神那霊山)として崇拝する楼観神殿として考えてきました。―「縄文ノート33(Ⅲ-3) 『神籬(ひもろぎ)・神殿・神塔・楼観』考」「縄文ノート50(Ⅵ-3) 縄文6本・8本巨木柱建築から上古出雲大社へ」参照

 今、中ツ原遺跡の8本柱は柱列として、三内丸山遺跡の6本柱は屋根のない見張り台として復元されていますが、前者は「高層か低層か」、後者は「柱列か建物か」の意見を「足して2で割る」という科学的根拠に乏しい中途半端な復元に終わっています。

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 できの悪い建築学科卒としての意見ですが、縄文時代巨木建築と紀元2世紀頃の杵築大社(出雲大社)、3世紀の吉野ヶ里遺跡原の辻遺跡の巨木建築が同じ建築思想・技術で作られていない、など考えられません。

 さらに多雨・多雪のこの国で屋根や壁のない建物など作るでしょうか? 「縄文人ワイルドだぜ! 屋根や壁などいらないぜ!」と野蛮人・未開人あつかいするなら、その証明をすべきでしょう。

 魏書東夷伝倭人条が「楼観」(高殿)と記録している邪馬壹国の吉野ヶ里遺跡原の辻遺跡で壁のない「物見台」「見張り台」として復元しているのもまた意味不明です。紀元2世紀に大国主の「天の御舎(みあらか)」「天の御巣(みす)」「天の新巣(にいす)」「天日隅宮(あめのひすみのみや)」「所造天下大神宮」として建てられたと記紀風土記が記載している杵築大社(出雲大社)の伝統を引き継いだ神殿としてなぜ復元しなかったのか、理解に苦しみます。記紀風土記を後世の創作として無視してきた津田左右吉氏の亡霊が未だにこの国の考古学や建築学を支配しているようです。

 「土と石」の4大古代文明に対し、「森と水を活かした再生可能な焼畑農耕と水辺水田農業」の日本列島文明は「土と木」の建築・土木文明でもあり、その原点である縄文文明のシンボル施設の復元においては、縄文人の宗教から議論を尽くした上での復元が求められます。

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 「仏作って魂入れず」とならないよう、女ノ神山と呼ばれ武居夷(たけいひな)・ビジン(霊神・霊人)の住むとされた蓼科山信仰と「仮面の女王」女神像からの中ツ原8本柱巨木建築の再現が求められます。―「縄文ノート35(Ⅲ-5) 蓼科山を神名火山(神那霊山)とする天神信仰について」「縄文ノート40(Ⅲ-10) 信州の神名火山(神那霊山)と霊(ひ)信仰」参照 

 

⑶ 「天神信仰博物館」づくり

 死者の霊(ひ)が天に昇って神となり、降りてくるという天神信仰は、女神(地母神)信仰と結びついた神名火山(神那霊山)信仰だけでなく、「神=霊(ひ)」とする神籬(ひもろぎ:霊洩木)信仰、霊(ひ)の依り代となる御柱祭、天地を結ぶ海蛇や蛇・トカゲ蛇・龍神・雷神・水神信仰、死者の霊(ひ)を運ぶ鳥や猿・狼・鹿などの神使信仰などとして、縄文時代から現代にいたるまで続いています。

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 縄文土器の縁飾りの龍、土器や土偶の蛇とともに、諏訪大社神社(前宮・御左口神境内・上社・下社)の御柱祭などの祭祀、各神社の八百万神信仰、片品村の猿追い祭りや女体山などへの金精(木やしとぎの男性器)の奉納など、霊(ひ)信仰の解明と各博物館・展示館などでの総合的な展示が課題です。

 なお、宗教に関わる展示やイベントについて行政が関わるのは憲法の「政教分離の原則」からいかがなものか、という批判がありそうですが、歴史的な解説、世俗的な習俗・イベントとして問題はないと考えます。

 

⑷ 「縄文農耕・縄文食博物館」づくり

 地球環境や食料、格差社会化の危機が叫ばれている現在、人類史の視点からこれからの社会を考えるべきであり、博物館や展示館には石器や縄文土器土偶などのモノ中心展示から、縄文人の生活・産業・社会・文化・宗教などを総合的に解明し、現代と未来に活かすことが求められます。

 縄文焼畑農耕を認めない「米中心文明史観」がまだ支配的ですが、長野県富士見町の井戸尻考古館などの取り組みにより転換期を迎えてきています。沖積平野での大規模灌漑による「集中集約型農耕」の文明史観に対し、自然と調和した持続的発展可能な焼畑農耕など「分散共同型農耕」の文明史観の確立が求められます。

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 縄文時代焼畑天水6穀栽培から水辺水田稲作を経て、その成熟の上に縄文人社会の内発的発展としてスサノオ大国主一族の沖積平野での「五百鋤々」の鉄器水利水田稲作の普及による百余国の「葦原中国」「豊葦原水穂国」の建国があったことを、各地域の発掘成果と記紀・伝承を結び付けた分析から明らかにすべきと考えます。

 「縄文・弥生断絶史観」「8割の弥生人朝鮮人・中国人)による縄文人征服史観」「弥生人天皇家の建国史観」による郷土史からの転換です。 

 焼畑農業とイモ豆栗6穀縄文食の解明により、全世界の共同体文明の解明に示唆を与えるような時空スケールアップした各展示施設の展示の更新が求められます。同時に、「イモ豆栗6穀の里づくり」「土器鍋の里づくり」など、住民による健康長寿食の取り組みも重要です。

 さらに、縄文農耕の鳥獣害対策に欠かせない「黒曜石鏃分業生産・流通」や、穀物食に欠かせない「縄文製塩と塩の道交易」など、ドラヴィダ系海人・山人族の縄文文明として総合的な解明・展示が求められます。

 また、この「縄文農耕・縄文食」を支えたのが女性であり、海人(あま)・山人(やまと)として海や山に出かけていた男性との妻問夫招婚であったことは、神山信仰(お山信仰)が山を女性神とみなしていたこや、貝の腕輪や土器製の耳飾り、ヒスイのペンダント、後の記紀に書かれた多くの女王国などからも裏付けられます。

  

⑸ 「縄文アート博物館」のイメージづくり

 岡本太郎氏が絶賛し、大英博物館などの展示では「ピカソが何人もいる」と絶賛された縄文土器土偶・女神像などについては、実用的な生活雑器とは別の、宗教祭具の芸術作品とみなすべきものを分離 展示し、縄文人アーティストの存在を認めるべきと考えます。

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 豊かな食料に裏打ちされた、明らかに高度な分業社会が成立し、豊かな文化的芸術的生活が実現されていた文明として認めるべきです。

 「野蛮・未開縄文人史観」に基づく展示から「縄文アート美術館」への転換が求められ、展示にあたっては芸術家・工芸家の意見を反映させるべきと考えます。

 

6.各施設のネットワークに向けて

 今、各施設のホームページや地域ごとのパンフレット、観光案内ホームページなどは充実し、「日本遺産ポータルサイト」に「―数千年を遡る黒曜石鉱山と縄文人に出会う旅─」が設けられ、各県のサイトなども整備されています。

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 しかしながら、日本中央の縄文社会・文化・文明の全体像を把握でき、欧米・アジア・アフリカにも情報発信できるホームページはまだありません。最初の課題は情報発信になりますが、行政主導だと平等性が求められて画一的な紹介となり、しかも調整に時間がかかり、民間の取り組みなどはなかなか載りませんから、民間でのネットワークづくりが重要と考えます。各遺跡とも自分のところが一番と思っており、客観性・公平性から紹介に濃淡をつけることの難しさがどこまでもつきまといますが、観光ガイドブック感覚のホームページが利用者からは求められます。

 また、分散共同型社会の縄文遺跡は各地に分散しており、多くの施設を見て回るにはマイカーかレンタカーでないと難しく、個人観光の若者や高齢者、外国人には周遊見学は困難です。各県・地域ごとに、休日などには周遊バス、平日には乗り合いタクシーなど、周遊観光の交通体制の整備が求められます。

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□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団              http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/

 

縄文ノート58(Ⅵ-8) 多重構造の日本文化・文明論

 日本の「未開・古代」の歴史区分は「石器→縄文→弥生→古墳」時代の4段階説、民族論は「縄文人(北方説・南方説)→弥生人(長江流域江南人説・朝鮮人説)」の二重構造説(征服説を含む)、宗教論は「自然崇拝→アマテラス太陽神」崇拝説、農耕論は「狩猟漁撈採取→水田稲作」説、建国は「天皇家大和朝廷」説が定説でした。

 これに対して、私は時代区分は「石器―土器―鉄器」時代説、民族論は「ドラヴィダ海人・山人族を中心とした多DNA民族」説、宗教論は「海神・地神・天神の霊(ひ)・霊継(ひつぎ)宗教」説、農耕論は「焼畑→水辺水田→水利水田」農耕説、建国は「スサノオ大国主一族による葦原中国」建国説を提案してきました。

 なお、世界の文明史から考察するとわが国では「石器時代」は「木器・石器時代」に変更し、DNA分析と言語分析、インダス文明の関係を整理すると「ドラヴィダ海人・山人族」としていたのは「ドラヴィダ系海人・山人族」と修正する必要があると考えるにいたりました。

 また、「ドラヴィダ系海人・山人族の内発的自立的発展説」からの言語論「倭音倭語・呉音漢語・漢音漢語」や「和魂漢才・和魂洋才」の3重構造から考えると、わが国では「文化・文明転換説」は成立せず、図のように「文化・文明重層構造説」で分析すべきではと考えています。

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 まだ全面展開できてはいませんが、バウムクーヘン型で文化を積みあげきた日本列島人の歴史の解明は、世界の共同体時代の歴史・文化の解明に寄与できる「世界標準モデル」となる可能性があると考えています。

                               210222 雛元昌弘

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団              http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/

縄文ノート57(Ⅵ-7) 4大文明と神山信仰

 「縄文ノート56(Ⅲ-11) ピラミッドと神名火山(神那霊山)信仰のルーツ」において、私は上が白く下が赤色のエジプトのピラミッドが雪山を模したものであり、「母なるナイル」源流域の三角形の峰々の活火山で、「月の山」とよばれたルウェンゾリ山信仰がルーツであることを明らかにし、その神山・聖山信仰が日本列島の縄文人の神名火山(神那霊山)信仰に繋がることを明らかにしました。

 この気づきにより、エジプト文明だけでなくメソポタミアインダス文明にも神山信仰があり、そのルーツがヌビア(スーダン)ではないかという仮説にたどり着き、中国文明にもその可能性があるという結論に達しました。

 人類の起源について、私が小学校で習ったのはジャワ原人北京原人ネアンデルタール人などの「多地域起源説」でしたが今は「アフリカ単一起源説」になったように、私は「マザーイネ単一起源説」を提案するとともに、「主語―動詞-目的語」言語族・「主語-目的語-動詞」言語族の2段階出アフリカ説を考えてきましたが、さらに「4大古代文明単一起源説」という仮説を考えるようになりました。

 その結果、「4大古代文明」を「奴隷制社会の古代専制国家」と単純にみてきた私の考え方を訂正せざるをえなくなりました。

 ウィキペディアなどHP資料からの仮説であり、検討の途中ですが、参考にしていただければと考えます。

 

1  「ピラミッド王墓説・奴隷建造説」から「神山信仰説」へ

 エジプト文明を象徴するピラミッドが奴隷によって造られたとする「奴隷建造説」はパピルスの記録や労働者の住居跡の発見から否定され、「王墓説」は王の遺骸がなく王墓は地下に別にあることから否定されてきています。

 その他、ピラミッドの用途の「日時計説」「穀物倉庫説」「宗教儀式神殿説」「天体観測施設説」「雇用確保のための公共工事説」なども疑問視されています。

 私は、ヒマラヤや東南アジア高地、日本に見られる使者の霊(ひ)がコニーデ型の神山から天に昇り、降りてくるという「神名火山(神那霊山)信仰」と同じであり、ナイル川の水源地域、ヌビア(今のスーダンあたり)でルウェンゾリ山信仰を行っていた人々がナイル川を下り、平地に「人工の神名火山(神那霊山)」を作って信仰したと考えます。

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 王の霊(ひ)だけでなく、部族の人々の霊もまた天に昇る宗教施設として「共同体作業=宗教的奉仕作業」によって造られた可能性が高いと考えます。

 「縄文ノート56(Ⅲ-11)」と重複しますが、その根拠を整理すると次のとおりです。

 

 ① ルウェンゾリ山の峰々が鋭い三角形型をしているというピラミッドとの類似性

 ② 万年雪をいだくルウェンゾリ山が、ギザのピラミッドの白色や下部の赤色と符合

 ③ ピラミッドには空の墓室があり、ミイラは別に地下に埋葬される魂魄(こんぱく)分離の天神思想があったこと

 ④ エジプト文明を育てた「母なるナイル」の源流がルウェンゾリ山地域一帯であること

 ⑤ ルウェンゾリ山は8000年前に大爆発を起こし、一帯の住民がナイル川下流に避難した可能性があること

 ⑥ アフリカ最高峰のキリマンジャロは「神の家」、2番目のケニア山は「神の山」、3番目のルウェンゾリ山は「月の山」とよばれ、ナイル源流域に神山信仰が見られること

 ⑦ エジプトには月神コンス(女性神)信仰があること

 ⑧ 「もともとエジプトとヌビアは同一の祖先から別れた国であった」(ウィキペディア)とされること

 ⑨ 「ヌビアは古代から金や鉄、銅などの鉱物資源に恵まれた」(ウィキペディア)こと。

 ⑩ 「ナイル河とほぼ並行に北から南へと延びている古代からの幹線道路ダルブ・アル=アルバイーン(四十日路)はスーダンダルフールを越えてニジェール河にまで繋がっていた」「ヌビア文明は、世界で最も古い文明のひとつである」(大城道則『古代エジプト第 25 王朝におけるアムン神崇拝の受容とピラミッド建造の復活』http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/33852/jbg072-03-ohshiro.pdf)とされていること。

 

 なお、ルウェンゾリ山とケニア山がほぼ赤道直下にあり、春分秋分には太陽が真東から真西に移動し、正午には真上に来るという体験がその後のエジプトやメソポタミアでの天文学にどのような影響を与えたか、気になるところです。   

2 神山信仰はメソポタミア文明にも

 メソポタミア文明のジッグラトはどうでしょうか? 

 ジッグラトは「高い所」を意味する聖塔で、自然の山に対する「クル信仰」(クル=山)が起源だと考えられています。三層構造で基壇上に月神ナンナル(シュメール語:アッカド語ではシン)の至聖所があり、基幹構造は日乾煉瓦、外壁は瀝青で仕上げられていたとされます(ウィキペディアより)。

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  ではもともとの「クル信仰」の聖山はどこにあったのでしょうか? 

 第1の可能性は、ティグリス川・ユーフラテス川の源流域のアララト山で、『旧約聖書』のノアの箱舟伝説で大洪水の後、箱舟が流れ着いたとされる山です。写真のようなきれいなコニーデ型の火山で、幾度となく大噴火が生じたと推定されています。

     

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 第2の可能性は、ヌビア(スーダン)文明の神山信仰が「海の道」を通って伝わった可能性です。ルウェンゾリ山が「月の山」と呼ばれ、ジグラットの頂上に月神シン(ナンナル)の神殿があるという類似性があることです。

 今のところ決め手はありませんが、私は以下の理由からピラミッドと同じように、ジグラットもまた神山信仰を示し、そのルーツはヌビア(スーダン)文明のルウェンゾリ山・ケニア山・キリマンジャロの神山信仰にあると考えます。

 1つ目は、ノアの箱舟伝説に見られるように移動・交易・交流が容易であったと考えられチグリスユーフラテス川流域にアララト山信仰を示す神話が現在の私には確認できていないことです。

 古事記神話には揖屋のイヤナミが斐伊川日野川江の川の源流域の比婆山(筆者説:霊場山)に葬られたとする魂魄分離の神名火山(神那霊山)信仰の神話がありますが、このような神山伝説がアララト山について残されていないことは、神山信仰のルーツがアララト山ではない可能性を示しています。

 2つ目の理由は、メソポタミア文明が河口に近いシュメールからバビロニアへと上流に広がったことです。遺跡からシュメール人がエジプトやインダスと活発に交易を行っていた海人族であることが明らかになっており、ヌビア人もまた南北・東西に活発に交易を行っており、活発な交易・交流によってヌビア人の神山信仰がエジプトとメソポタミアへと伝わった可能性が高いことです。

 3つ目の理由は、エジプトの月神コンス(女性神)・月神シン(男性神)、メソポタミア月神シン(男性神)信仰が「月の山」とよばれたルウェンゾリ山に由来する可能性が高いことです。

 4つ目の理由は、エジプト神話では「月神コンス」とともに時を刻み、暦をつける知恵の神の「トト」も月神とされ、メソポタミアにおいても月神について「シンは月を司り、大地と大気の神としても信仰されていた」「シンボルは三日月で、三日月に似た角を持つ雄牛と深い結びつきを持つとされた」という共通性があることです。

 以上、メソポタミアにも神山信仰があり、それはヌビア(スーダン)文明のルウェンゾリ山などをルーツとする可能性が高いと考えますが、後世に「ノアの箱舟」伝説があることからみて、天水農業から灌漑農業へと転換した時代に、水源地域のアララト山信仰に変わったと考えます。 

3 インダス文明に神山信仰は?

 4500~3800年前頃に栄えたインダス文明の都市には、水路・貯水池・上下水道・大浴場、城塞(注:戦争用ではない)、穀物倉、円形作業台などがあり、煉瓦を10メートルほど積み上げた基壇の上に、「学問所」「列柱広間」などがあったとされていますが、ピラミッドのような神山信仰を伺わせる高層建造物は見られません。また王宮や神殿のような建物もなく、強い権力者のいた痕跡が見つかっていません。

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 宗教は「大浴場」で豊饒と再生を祈念する沐浴儀礼が行われ、遺丘の上では「火の祭祀」が行われ、テラコッタ女性像に象徴される再生増殖儀礼が行われていたと考えられています。

 氾濫やダムを利用した肥沃な土壌を利用した氾濫農耕が行われていたことからみて、水神信仰や水源の山神信仰、雨を降らせる雷神信仰と死者の霊(ひ)が聖山から天に昇る天神信仰が見られてもよいように思いますが、解明されていません。現在のアフガニスタンからのアーリア人の侵入や後の10世紀頃からのイスラム化により、現在のパキスタンインダス文明の伝承は失われたしまった可能性が高いと思われます。

 ただ、次の3つの点から、インダス文明にも山上天神信仰があった可能性は高いと私は考えています。

 1つは、インダス文明の担い手であったのではないかと考えられているドラヴィダ族の「ポンガ」の祭りです。土鍋で米の粥を煮て、カラスに与えるという儀式が日本にも伝わっていることです。「Ⅳ-1(縄文ノート41) 日本語起源論と日本列島人起源―ドラヴィダ語起源説を裏付けるDNA分析結果」のその部分を再掲します。

 

「大野氏の『日本語とタミル語』(1981年)の冒頭の、大野氏を驚愕させた印象深いエピソードを紹介したいと思います。

 大野氏は1980年に現地に行き、実際の新年である1月15日に行われる赤米粥を炊いて「ポンガロー、ポンガロ!」と叫び、お粥を食べ、カラスにも与えるポンガロの祭りを実際に体験し、青森・岩手・秋田・新潟・茨城にも1月11日、あるいは小正月(1月15日)にカラスに米や餅を与え、小正月に小豆粥を食べる風習があることを確かめています。私も幼児の1950年頃かと思いますが、兵庫県たつの市の母親の実家で、小正月に「どんど焼き」を行い、赤飯を食べたことが何度かあります。

 ・・・

 カラスに米や餅を与えるのもまた、カラスを猿や狼・鹿・鶏などと同じように先祖の霊(ひ)を天から運び、送り帰す神使としてして見ていたと考えます。

 さらに、秋田・青森では小正月に豆糟(大豆や蕎麦の皮に酒糟などを混ぜたもの)を「ホンガホンガ」と唱えながら撒く「豆糟撒き」の風習があり、長野県南安曇郡では「ホンガラホーイ ホンガラホーイ」と囃しながら鳥追いを行い、餅を入れた粥を食べるというのです。沖縄では「パ行→ハ行」への転換があることからみて、「ホンガ」「ホンガラ」は古くは「ポンガ」「ポンガラ」であったのです。

 ここでは「小正月祝い」「赤米粥と小豆粥、赤飯」「カラス行事」「ポンガロとホンガ・ホンガラ」の共通点があり、ヒンズー教や仏教以前から同じような宗教行事が続いていることが明らかです。」

 

 私は「ポンガ」は煮えたぎったお粥から水蒸気が天に昇ることを祝うはやし言葉で、カラスが赤米(赤飯)のお粥を天の祖先霊に届ける宗教儀式とともに、天神信仰を示していると考えます。縄文土器の縁飾りは同じように「泡吹きこぼれ」や「龍神(トカゲ龍)」を表すと考えており、インダス文明にも天神宗教があった可能性があったと考えます。―「Ⅱ-6(縄文ノート30) 『ポンガ』からの『縄文土器縁飾り』再考」参照

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 2つ
目は、インダス川やガンジス河ベットのカイラス山が古代インドの世界軸の中心にそびえる聖なる山として、仏教(特にチベット仏教)、ボン教(仏教以前のチベットの原宗教)、バラモン教ヒンドゥー教ジャイナ教で聖地とされ、特にチベット仏教で須弥山(インド神話のメール山・スメール山:世界の中心にそびえる聖なる山)と同一視されていることです。

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 ペルシア語の「ヒンドゥー」は「インダス川対岸に住む人々」を指し、ヒンドゥー教バラモン教を再編したもので、バラモン教は紀元前13世紀頃、アーリア人がインドに侵入し、先住民族であるドラヴィダ人を支配する過程で作られ、紀元前10世紀頃、アーリア人ドラヴィダ人の混血により宗教の融合が始まり、紀元前5世紀頃に4大ヴェーダが現在の形で成立したとされ、それに反発して仏教やジャイナ教などが成立したとされます。このようなインドの宗教史からみてカイラス山の神山信仰がインダス文明にあったことは明白と考えます。その後、現在のパキスタン

 3つ目は、インダスの紅玉髄(べにぎょくずい:カーネリアン)製のビーズがメソポタミアオマーンバーレーンなどから見つかっていることからみて、「海の道」を利用したメソポタミアなどとの交易が盛んであり、ヌビア(スーダン)文明→メソポタミア文明インダス文明と神山信仰が伝わった可能性は高いと考えます。

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 なお、記紀神話はアマテルの「八尺(やさか)の勾玉の五百箇(いほつ)の御統珠(みすまるのたま)」「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」(八尺=180~190cmの赤メノウの玉を五百箇つなぎ、ヒスイの勾玉を付けたネックレス)を皇位継承三種の神器の1つとしていることからみて、インダスの紅玉髄(べにぎょくずい)製のネックレス文化はドラヴィダ海人・山人族によって日本列島に伝わった可能性があります。

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4 黄河長江文明に神山信仰は?

 「中国において、泰山、衡山、嵩山、華山、恒山は五岳と呼ばれ、神格化されている。本来は山自体を信仰する山岳信仰であったと考えられるが、盤古神話や五行思想と結びついて、道教の諸神のひとつに変容している。ただ、泰山についてはいまだに別格であり、道教の聖地であるだけでなく、岱廟、石敢當など、他と異なる山岳信仰の形態を残している」(ウィキペディア)とされています。その中心の泰山では帝王が天と地に王の即位を知らせ、天下が泰平であることを感謝する封禅(ほうぜん)の儀式が行われており、神山信仰があったことは確実です。

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 しかしながら、図(注:渤海湾朝鮮半島の東て誤り)のような5岳の分布からみて黄河・長江の源流域がルーツの神山信仰ではない山上天神思想と思われます。

 一方、「古代中国で、人の命の永遠であることを神人や仙人に託して希求した思想。不老不死の仙人・神人の住む海上の異界や山中の異境に楽園を見いだし、多くの神仙たちを信仰し、また、神仙にいたるための実践を求めようとした。道教思想の基礎となり、また、民間の説話・神話の源泉となった」(デジタル大辞泉)という神仙思想があり、『史記』によれば三神山の「蓬莱 (蓬莱山) 、方丈、瀛州 (えいしゅう)」 は渤海湾の沖にあるとされていますから、日本列島を指していると考えれられています。琉球の「ニライカナイ(海の彼方の神界)」信仰と同じような南方からきた海人族が伝えた神仙思想と考えられます。

 このように、中国に見られる神山信仰が黄河・長江源流の神山信仰ではないのは、黄河・長江が恵みとともに洪水という恐ろしい災害をもたらす川であり、また火山がないためコニーデ型の神名火山信仰が生まれなかったのかも知れません。

 言語構造とDNAでみると、中国人は東南アジア系の「主語―動詞-目的語」言語構造であり、さらに東南アジアに多いY染色体O型系であることからみて、中国の神山信仰は「河川源流神山信仰」ではなく「海島神山信仰」の性格が強いと考えます。

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 なお日本人はエチオピアケニアメソポタミア、インダスと同じく「主語―動詞-目的語」言語族であり、エチオピアと同じくY染色体Ⅾ系統が多く、神名火山(神那霊山)信仰は「河川源流神山信仰」であり、ヌビア(スーダン)文明のルウェンゾリ山信仰をルーツとする神山宗教の可能性が高いと考えます。

 

5 「4大古代文明論」対「共同体文明論」について

 「Ⅵ-1(縄文ノート48) 縄文からの『日本列島文明論』」において、私はマルクス・エンゲルスの生産・生活様式による「野蛮」(採集・漁業・狩猟)→「未開」(土器・定住・牧畜・農耕)→「文明」(肥沃な大河周辺地帯での金属器による灌漑農業・騎乗遊牧生活)という文明発展説をもとにした、「氏族共同体」(古代ギリシア・ローマ・ゲルマン)→「古代」(父権世襲制奴隷制、略奪戦争)→「封建制」→「資本主義」という発展論からの中国清朝末期の知識人・梁啓超の「四大文明論」に対し、「縄文時代(土器時代)」を「共同体文明社会」と考え、「古代専制国家」(父権世襲制奴隷制、略奪戦争)からを「文明社会」とする定義に対し、古エーゲ文明(キクラデス文明)、イギリス環状列石文明、縄文文明、古マヤ・古アンデス文明の「5大古代共同体文明」の提案を行ってきました。

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 そして「『4大文明』にもそれぞれ共同体社会段階があり、さらに共同体文明論としての解明が求められます」としましたが、今回、古代エジプトのピラミッドやメソポタミアのジッグラト、インダスの沐浴場・基壇やなどが「奴隷制の古代専制国家のシンボル」とはみなせず、エジプト・メソポタミア・インダス・中国の水利施設と同様に「古代共同体の宗教・都市・水利施設」の性格を持っていることが明らかとなりました。

 「5大共同体文明+4大古代文明」とするか、「(4+5)古代共同体文明」とすべきかについて、部族共同体連合か統一専制国家か、多神教か統一宗教か、自然水利型農耕か沖積平野での大規模灌漑農耕か、父系制か母系制か、遠征略奪国家か交易型国家かなど、さらに総合的な検討が求められます。

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団              http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/

縄文ノート56(Ⅲ-11) ピラミッドと神名火山(神那霊山)信仰のルーツ

 「瓢箪から駒」は無理ですが、娘が行っていた西アフリカのニジェール川流域原産のヒョウタン土産からの始まりで、「ヒョウタンから主語・目的語・動詞(SOV)言語族移動論」「ヒョウタンから縄文人起源論」「ヒョウタンからマザーイネ論(三大穀物起源論)」へと進み、「芋づる式」ならぬ「ヒョウタンづる式」に謎が解けてきました。

 今回は「ヒョウタンからピラミッド」「ヒョウタンから神名火山(神那霊山)」へと進みたいと思います。前から気になっていたピラミッドと神名火山(神那霊山)の両方のルーツを突き止めることができました。

                              210213 雛元昌弘

 

※目次は「縄文ノート60 2020八ヶ岳合宿関係資料・目次」を参照ください。

https://hinafkin.hatenablog.com/entry/2020/12/03/201016?_ga=2.86761115.2013847997.1613696359-244172274.1573982388

 

1.神名火山(神那霊山)信仰で考えてきたこと

 「縄文ノート44 神名火山(神那霊山)信仰と黒曜石」において、1440mもの高地に後期旧石器時代初頭(19000~18000年前頃)の高原山黒曜石原産地があることから、私は神名火山(神那霊山)から死者の霊(ひ)が天に昇り、降りてくるという魂魄分離(死者の魂=霊と肉体の分離)の山神信仰・山上天神信仰旧石器時代から行われ、スサノオ大国主建国から現在まで引き継がれてきたことを明らかにしました。

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 縄文時代においても、長野県原村の阿久遺跡の石列の方向が蓼科山を指しているということから、神名火山(神那霊山)信仰は旧石器人から縄文人へと受け継がれて、記紀万葉集出雲国風土記などからみてスサノオ大国主建国、さらには大和天皇家に受け継がれていることを明らかにしました。

 そして、この神名火山(神那霊山)信仰ルーツがチベットの聖山・カイラス山(6656m:男根として信仰)やブータンの聖山・チョモラリから、ドラヴィダ海人・山人族の「海の道」の移動に伴い、インドネシアスマトラ島シナブン山(2460m)やフィリピン・ルソン島マヨン山など美しいコニーデ型火山に出合ったことにより「神名火山」信仰に変わったのではないか、と考えました。

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 縄文のヒョウタンの原産地が西アフリカのニジェール川流域であり、「主語-目的語-動詞」言語族のルーツもまた西アフリカからエチオピアケニアあたりを経由してではないか、というところからスタートし、前回には三大穀物などのマザーイネのルーツが西アフリカにあるとの確信を持ち、今回、さらに神名火山(神那霊山)信仰のルーツもまたアフリカではないか、という仮説を確かめることにしました。

 なお、これまで神名火山(神那霊山)信仰については、次の小論で触れてきています。

 縄文ノート33 「神籬(ひもろぎ)・神殿・神塔・楼観」考(Ⅲ-3縄文宗教論)

縄文ノート34 霊(ひ)継ぎ宗教(金精・山神・地母神・神使)について(Ⅲ-4縄文宗教論)

縄文ノート35 蓼科山を神那霊山(神奈火山)とする天神信仰について(Ⅲ-5縄文宗教論)

縄文ノート38 「霊(ひ)」とタミル語peeとタイのピー信仰」(Ⅲ-8縄文宗教論)

縄文ノート40 信州の神那霊山(神名火山)と「霊(ひ)」信仰(Ⅲ-10縄文宗教論)

縄文ノート44 神名火山(神那霊山)信仰と黒曜石」(Ⅴ-2日本列島人起源論)

 

2.四角錘型ピラミッドのルーツは白い雪山

 最近、円錐形のピラミッドの中に墓室はなく、「埋め墓」は別にあるということが明らかとなったことをテレビ番組で何度か見てずっと気になっていました。ピラミッドは「太陽信仰の神塔」であり「拝み墓(詣り墓)」であったと私は考えます。

 わが国にも「両墓制」があることは狭山事件の亀井トム説で知りましたが、ウィキペディアによれば、柳田國男氏らは「祖霊信仰に基づく日本固有の古い習俗」とし、一方「庶民の墓に石塔を墓標として建てる習慣が中世末より近世期に一般的になったことや、両墓制が近畿地方にのみ濃密で、他の地域では極端に例が少なくなる」ことから両墓制はそれほど古い習俗ではないという考え方もあるとされています。

 私は柳田説支持で、魂魄分離(死者の霊と肉体の分離)の宗教思想が旧石器・縄文時代からあったことから、両墓制の起源は古いと考えています。

 ピラミッドは「太陽信仰の神塔」して太陽に近づく最高の高さの山をモデルにするとともに、魂魄分離の山上天神信仰の「拝み墓」として死んだ王の霊(ひ)が宿る人工の聖山をつくったと考えられます。これらの点からみて、エジプト人のルーツはアフリカの高山のある地域で、平野部に移住して人工の高い山を作ったと考えられます。

 紀元前2650年頃のジェセル王の階段ピラミッドから「階段型→屈折型→四角錘型」への形状の変更を見ても、山を模したことは明らかであり、「神山・聖山信仰」があったことを示しています。

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 ではどの山を模したのでしょうか? 1つの重要な手掛かりはピラミッドの色にあります。2017年3月11日のTBS「世界ふしぎ発見! ~世界初!ついに解明か!?ピラミッド王朝の秘密~」の河江肖剰氏の解説では、最大のクフ王のピラミッドは「白いピラミッド」で、カフラー・メンカフラーのピラミッドは上は石灰岩の白、下は花崗岩御影石)の赤であったことが報道されていました。

https://www.bing.com/videos/search?q=%e3%83%94%e3%83%a9%e3%83%9f%e3%83%83%e3%83%89%e3%80%80%e8%89%b2&&view=detail&mid=EF04E2617CF02BCE1891EF04E2617CF02BCE1891&rvsmid=452B6E350669453058CB452B6E350669453058CB&FORM=VDMCNR

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 なかでもメンカウラーのピラミッドには、3分の1位の高さ辺りまで、赤色だったとされています。

  この上が白、下が赤の配色は山頂に雪を頂く山を模したものであり、クフ王のピラミッドが4500年前頃に築かれたことからみて、7500~5000年前頃の寒冷期に近い頃に全山が雪に覆われた白い山を模したものであることが明らかです。そして、カフラー王、メンカウラ―王と下部が赤色になるのは温暖化により山裾に地肌の赤色が増えてきたことを示しています。 

3.四角錘型ピラミッドのモデルとなった神山・聖山はルウェンゾリ山

 私は縄文遺跡から発見されたヒョウタンの原産地がアフリカ西部のニジェール川流域であるということから、そこからエチオピアケニアあたりを経由し、「海の道」を通ってインド・東南アジアを経てやってきた「主語・目的語・動詞(SOⅤ)言語族が日本列島人のそもそものルーツではないか」「三大穀物のルーツは西アフリカではないか」「火山から生成される黒曜石の文化のルーツはエチオピアケニアの火山地帯ではないか」「縄文時代からづく神名火山(神那霊山)信仰のルーツはインドネシアシナブン山(2460m)やフィリピンのマヨン山ではないか」と考えてきましたが、さらにその原点はマサイ人が「神の家」と呼ぶ万年雪を抱くアフリカ最高峰のキリマンジャロ(5,895m)からという仮説も考えていました。

 この山上天神宗教の横軸の伝播に対し、ピラミッドが神山・聖山信仰の山を模した建造物であるとすると、エジプト文明を育んだ「母なるナイル」からみて、ナイルに水をもたらす源流の聖山がモデルになったに違いないと縦軸での伝播を考えるに至りました。

 そこで調べてみると、ナイル源流域のウガンダコンゴの国境の、アルバート湖エドワード湖、ビクトリア湖の間にルウェンゾリ(ルヴェンゾリ)山(5109m)がありました。アフリカで3番目に高く、万年雪に覆われ、「月の山」として古代から知られていたのです。―木村愛二著『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』http://www.jca.apc.org/~altmedka/afric-51-602.html

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 木村氏によれば、このルウェンゾリ山は8000年前に大爆発を起こし、溶岩流と火山灰で埋もれた一番南のはずれからは、イシャンゴ文明と名付けられた新石器時代の石臼、粉砕用石器、装飾用具などの磨製石器や住宅が発見されています。

 エジプトで人々が定住し、農耕を開始したのは7000年前ごろと考えられていますから、それよりも1000年ほど前のルウェンゾリ山の噴火により、この地域からナイル川に沿って南に逃れた多くの部族がおり、神山・聖山信仰を伝えてエジプト文明の担い手となった可能性が高いと考えます。

 エジプトのピラミッドがこのルウェンゾリ山を模したものであると考える点をまとめると、次の3つになります。

 第1は、ルウェンゾリ山の峰々が鋭い三角形型をしているという類似性です。

 第2は、ルウェンゾリ山が万年雪をいだき、ピラミッドが白色であったことと符合することです。

 第3は、エジプト文明を支えた大麦・小麦栽培を生み出した「母なるナイル」のうちの「白ナイル」の源流がルウェンゾリ山地域一帯であることです。

 第4は、アフリカに火山信仰が見られることです。最高峰のキリマンジャロ(5,895m)は「神の家」と呼ばれ、2番目に高いケニア山(5,199 m)もまた原住民族のキクユ人は「神の山」と呼んでおり、3番目のルウェンゾリ山も「月の山」とよばれ月神信仰を伝えています。

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4.東アフリカ→ヒマラヤ高地→インドネシア・フィリピンから伝わった神名火山(神那霊山)信仰

 私は当初、古事記出雲国風土記万葉集などと現在に伝わる「お山信仰」の宗教儀式から、神名火山(神那霊山)崇拝はスサノオ大国主一族による八百万神の霊(ひ)信仰からと考えていましたが、昨年夏に長野県原村の阿久遺跡の石列が蓼科山を指していることや諏訪大社の信仰から神名火山(神那霊山)信仰が縄文時代に遡り、高原山の黒曜石産出地から旧石器時代にまで遡ることを確かめました。

 そして、神使の蛇・龍神・雷神などの分析、湯気の「ポンガ」から、海・川・大地と天を繋ぐ水の循環を霊(ひ)の再生と重ねた天神信仰が神名火山(神那霊山)崇拝となったことを縄文土器鍋の縁飾りの龍などから明らかにしました。

  

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 さらにDNA分析からの日本列島人起源論、ドラヴィダ語起源説からの霊(ひ=pee)信仰論、稲作起源論から、神名火山(神那霊山)信仰が、東アフリカ→ヒマラヤ高地→インドネシア・フィリピンの「海の道」から伝わったとの横軸伝播仮説を考えました。

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 今回、ナイル川の上流から下流への神名火山→ピラミッド(人工の神山・聖山)の縦軸伝搬ルートを 明らかにすることができたことにより、日本の神名火山(神那霊山)信仰とエジプトのピラミッドのルーツが東アフリカのルウェンゾリ山・ケニア山・キリマンジャロにあることを証明できたと考えます。

 ルウェンゾリ山の「月の山」、ケニア山の「神の山」、キリマンジャロの「神の家」の伝承を調べることはまだできていませんが、神が「日本の死者の霊(ひ)」や「東南アジアのpee」をさすのかどうか、「月」信仰がどのようなものか、確かめたいところです。 

5.日本列島史をアフリカ・アジア全史の中に位置付ける

 私は「汎」、倭音倭語で「ひろ-い、あまね-く、みな、だたよ-う」、呉音漢語で「ホン」、漢音漢語で「ハン」の字が好きです。「氵(水)+凡(風)」ですから、海や川の上を風が吹き渡るイメージであり、アクセスディンギー障がい者・高齢者・子どものための絶対に転倒しないヨット)の普及活動のセイラビリティジャパン創設者の故・西井伸嘉さんの「水の上は自由(バリア―フリー)だ!」の言葉のように、海人族であった日本列島人にぴったりとくるからです。

 もっとも、海は通行が自由=侵略が容易であり、大航海時代帝国主義時代には植民地支配を広げて富を奪い、産業の不均等発展による格差拡大を広げた通路でもあり、「蒙古・黒船来襲」「太平洋戦争」などの負のイメージは免れません。しかしながら、地球環境・食料・パンデミック格差社会化などの危機を迎えている今、旧石器人・縄文人がアフリカからでて日本列島人にまでたどり着いた数万年の希望と苦難の自立・探求・冒険の歴史から、「先進国主導の世界単一市場化(グローバリゼーション)」ではない「汎地域主義」の未来、文明論を考えてみるべきではないでしょうか? 

 人類誕生から始まり、ヒョウタン容器の利用や相手・目標を考えて行動する「主語-目的語-動詞」言語構造、全ての死者の霊(ひ)は神名火山(神那霊山)から天に昇って神となるという八百万神の天神宗教はアフリカ起源であり、温帯ジャポニカの栽培はインド東部・東南アジアの山岳地帯、漢字文化は中国、そして縄文土器鍋食は日本列島など、アフリカ・アジアの多DNA・文化の中でわが国の歴史全体を位置づけ、未来に向かうべきと考えます。

 なお、旧新石器時代の考古学、「倭音倭語・呉音漢語・漢音漢語」の記紀風土記万葉集分析の国語学歴史学、農耕の起源分析、人類学など、わが国の研究がアフリカ・アジアの歴史研究で果たす役割は大きく、「拝外主義の閉じこもり学」ではなく、世界の文明論において若い世代が活躍することを期待したいと思います。

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)

<ブログ>

  ヒナフキンスサノオ大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団              http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/